第8話 マリと過ごす年末年始。

 マリは、クリスマスケーキをテーブルに並べる。

「ほぉ、うまそうじゃな」

「ハイ、うまくできました。後は、ろうそくを立てるだけです」

 見事に豪華なクリスマスケーキだった。こんなのお店でも見たことがない。、

これをマリが作ったというのか? マリは、どこまで優秀なんだ。

 俺は、取り皿を出したり、フォークやナイフを並べた。それくらいは、俺に

でもできる。

「ひろしさん、ケーキ用のお皿は、こちらですわ」

 お皿一つ手伝えないのか…… 俺は、かなり無力だ。

「ひろしは、黙って座ってろ。マリの邪魔になるだけじゃ」

 じいちゃんに言われても、返す言葉がなくて、自分の椅子に座り直す。

マリは、テキパキと準備をしている。それも楽しそうにだ。もちろん、俺も

見ているだけで楽しい気分になる。

「ひろしさん、ろうそくを立てて下さい」

「センスよくやるんじゃぞ。お前は、不器用だからな」

「じいちゃんは、黙ってみてろ」

 俺は、じいちゃんを見返してやろうと、考えながらろうそくを立てる。

「あぁ~、もう、全然ダメじゃ。せっかく、マリが作ったケーキが台無しじゃ」

 そう言うと、じいちゃんは、俺からろうそくを取り上げてケーキに刺して

いく。俺には、じいちゃんのセンスのがわからない。だけど、ここは黙って

みていることにする。

 その間もマリは、チキンの焼き加減に注意している。

「ほら、出来た。どんなもんじゃ」

 じいちゃんのドヤ顔と、ろうそくのデコレーションが一致しない。

でも、ここは、じいちゃんに華を持たせて、文句を言うのはやめた。

「見事に出来ましたね」

 マリは、うれしそうに手を叩いて笑った。じいちゃんに、一本とられて、

ちょっと悔しかった。

「ハイ、チキンも焼けました」

 テーブルの真ん中に、大きな鳥の丸焼きが鎮座した。それだけで迫力と

食べがいがある。

「すげぇ……」

 思わず声に出るほどだった。茶色く焦げた皮から湯気が出ている。

マリは、上手に切り分けると、肉の部分から肉汁が溢れ出る。見ているだけで、よだれが出る。

「ひろしさんには、足のところをどうぞ。骨を持って、かぶりついて下さい」

 そう言って、骨が見える足の部分を渡された。これじゃまるで、原始人じゃ

ないか。

でも、こんな食べ方はしたことないから、なんか楽しくなってきた。

「博士は、骨がないところをどうぞ」

「すまんな、マリ」

 そして、アルコールが入っていない、シャンパンで乾杯した。俺は、手で

掴んで丸かじりする。

「うまい!」

 それしか言葉がない。これ以上の言葉が思い付かない。

それくらいうまかった。俺は、夢中でかぶりついた。

この際、行儀が悪いとかは関係ない。

マリは、ナイフとフォークで器用に肉を切り分けながら食べている。

俺は、勉強以外にも、テーブルマナーとかも教わろうと思った。

「それじゃ、ケーキもいただきましょう」

 あれだけ大きかった、チキンもあっという間に、骨だけになった。

じいちゃんの食欲も年の割には大生だが、俺の食欲もすごいと思う。

 マリが、ろうそくに火をつける。白いクリームにチョコがちりばめられて、

『メリークリスマス』とチョコで書いてあった。

ろうそくの小さな炎を見ると、ケーキが一段とおいしそうだ。

「それじゃ、皆さんで吹き消しますよ。メリークリスマス!」

「メリークリスマス!」

 俺たちは、三人声を合わせてろうそくの炎を吹き消した。

条件反射的に、小さな拍手もする。

マリは、ケーキを上手に切り分けている間に、じいちゃんにこっそり話した。

「じいちゃん、これ着ろよ」

「なんじゃ、これは?」

「いいから、着ろって。絶対、似合うから」

 そう言って、サンタの衣装の入った紙袋をじいちゃんに押し付けて、強引に

地下室に連行した。

「ハイ、ひろしさん、どうぞ」

「ありがとう」

 お皿に乗ったケーキを見ると、白いクリームで覆われているシンプルな

ケーキに見えたが切った断面は、スポンジケーキが二段になって、その間に

チョコレートクリームが挟んであった。

一口食べると、ふわふわのスポンジケーキとクリームの甘さが絶妙だった。

「あぁ~、うまいよ」

 トロけそうなほどのおいしさだった。こんなケーキは、食べたことがない。

「マリは、料理の天才だな」

「ありがとうございます」

 マリは、そう言ってニコッと笑いながら、ケーキを口に運んでいる。

「ほら、着てやったぞ。これでいいのか」

 じいちゃんが地下室から出てきた。その姿は、まんまサンタクロースだった。

それを見てマリが笑った。俺も腹を抱えて笑った。

こんなに笑ったのは、久しぶりだった。

赤い衣装に、帽子を被り、白い口ひげを生やして、プレゼントの入った袋を

持っている。

 イヤ、待てよ。クリスマスプレゼントの袋は、用意してないぞ。

それじゃ、あの袋は、じいちゃんが自分で用意したのか?

「まったく、何かと思えば、サンタのコスプレか……」

「よく、お似合いですわ」

「マリも、笑いすぎじゃ」

 そう言いながらも、じいちゃんの顔も笑っていた。どうやらまんざらでも

ない様子だ。じいちゃんは、口ひげをはずして、ケーキを頬張った。

 こんなに楽しいクリスマスは、きっと生まれて初めてだ。

両親を早くに亡くしてから、じいちゃんに育てられた俺は、クリスマスと

イベント事は何ひとつしてもらった記憶がない。じいちゃんは、年がら年中、

研究と講義で忙しいからだ。

クリスマスも、毎年一人で過ごすし、ケーキなんて改まって食べることも

しなかった。

 それが、今年に限ってマリがいる。じいちゃんもいる。

ケーキにチキンがある。ご馳走がある。そして何より楽しくて、笑いが

絶えない。これが、クリスマスというものなのか? たぶん、違うと思う。

でも、楽しかったらそれでいい。

 俺たちは、話が尽きないというくらい、しゃべった。そして、笑った。

おいしいものを食べて、楽しい話をして、みんなで笑いあう。

それだけで充分だ。それも、みんな、マリがいたからだ。マリのおかげなのだ。

マリを作ってくれた、じいちゃんにも感謝しなきゃいけないと思った。

「よし、三人で写真を撮ろう」

 俺は、思いついて、カメラを持ってきた。セルフタイマーをセットする。

「じいちゃん、もっと右。マリは、もう少し左によって。それじゃ、いくぞ」

 俺は、タイマーのスイッチを押して、三人の中に入る。

「ハイ、チーズ!」

 三人で声を合わせる。このときに撮った、記念の写真は、俺の一生の宝物に

なった。

「そうそう、お前たちに、クリスマスプレゼントがあるんじゃ」

 いきなり、じいちゃんが言い出して、袋の中をごそごそとやりだした。

「いいよ別に。もう、子供じゃないんだし、プレゼントなんていらないよ」

「そうか、お前は、いらないのか」

「もらって、うれしい年でもないし」

「それじゃ、後になって、やっぱり欲しいと言っても、やらんぞ」

 じいちゃんは、もったいぶった言い方をして、俺たちの前に小さな小箱を

置いた。

「開けてみろ」

 言われて、俺とマリは箱を開けた。

「なに、これ?」

 それは、指輪だった。もちろん、見たことない。

「見てわからんか。指輪じゃ」

「どうされたんですか?」

 マリが不思議そうな顔をして聞いた。

じいちゃんは、一度、咳払いをすると、改まった口調で語り始めた。

「それは、ひろしの両親の婚約指輪じゃ」

「えっ! 父さんと母さんの婚約指輪?」

「アメリカに行くときに、荷物の整理をしてて、見つけたもんじゃ」

 初めて見る両親の指輪だ。これって、遺品なのか?

「これはな、お前の父さんが、母さんと婚約したときに買った婚約指輪じゃ。

その後、結婚したからこの指輪は、用なしになったわけじゃよ。結婚したら、

結婚指輪をするからな」

 確かに、その通りかもしれないけど、よく、取っておいたなと感心する。

「お前の両親は、結婚した後も、記念にこの指輪を大事に取っておいたん

じゃな」

 俺もマリも、ただ指輪を見つめるだけだった。

「その指輪をお前たちにやる。婚約指輪としてな。ひろしのは父親ので、

マリのは母親のじゃ」

 これが、父さんの婚約指輪なのか。初めて見たけど、なんかすごく神聖な

ものに感じる。

「お前たちは、婚約したんじゃろ。だから、それをつける資格がある。大事に

せい」

「こんな大事なもの、私は、受け取れません」

 マリが、真面目な顔をして言った。俺だって、まだ受け取る資格はないと

思った。

「マリは、ひろしの妻じゃないのか?」

「ハイ、私は、ひろしさんの妻です」

「だったら、それをつける資格はある。ひろしの母親からの贈り物だと思えば

いい」

「でも……」

「もちろん、正式に結婚したときは、それは外すんじゃよ」

 じいちゃんは、いつもとは違う、真面目な顔で話を続けた。

「ひろしが社会人になって、ちゃんと給料をもらえるようになって、そのときになってもお前たちの気持ちが変わらなかったら、結婚すればいい。そのときは、ひろし、お前が自分の金で、結婚指輪をマリに買ってやるんじゃぞ。それまでの婚約期間中は、それを嵌めていなさい」

 涙が出そうになる話じゃないか。結婚指輪を買うなんて、そんな先の話の

こと、俺には、まったく実感がない。

だけど、マリと結婚を約束したのは、事実なのだ。

だったら、何が何でも、結婚指輪は、自分で買わなきゃと思った。

「博士、ありがとうございます。この指輪は、大事にします」

「じいちゃん、ありがとな。最高のクリスマスプレゼントだぜ」

 俺は、素直に感謝の言葉を言うことができた。マリの瞳は、潤んでいるように見える。

「いいから、嵌めてみろ」

 言われて俺たちは、左手の薬指に指輪を嵌めた。

「ピッタリじゃん」

「まぁ、ホントに」

 俺たちの指のサイズに丁度だった。父さんの指って、こんなに細かったのか?

一瞬、疑問に思ったけど、じいちゃんがこっそりサイズを直したんじゃないかと思った。でも、そのことは、口にはしなかった。

「どうじゃ、いいプレゼントになったじゃろ。わしは、本物のサンタクロース

じゃ」

 そう言って、大きな声で笑った。

「でもよ、クリスマスプレゼントって言うのは、普通は、子供が寝た後に枕元に置くんじゃなかったっけ?」

 俺は、素朴な疑問を代わりにぶつけてみた。

「それじゃ、夫婦の寝室に、こっそり入ってもいいのか? それじゃ、ただの覗きじゃないか」 

 確かに、そうだ。俺とマリは、いっしょに寝ている。そこに、じいちゃんが

入ってきたら……

それを想像すると、ゾクッと震えた。

「ひろし、これでも、まだ、プレゼントはいらんというか」

「イヤ、いただきます」

 俺は、わざとらしく頭を下げた。

「そうじゃろう。つまらんところで、見栄を張ることはないんじゃ。それと、

学校に行くときは外せよ」

 そりゃそうだろう。学校に指輪を嵌めて行ったら大事になる。

そのときは、ちゃんと外して行く。

「あの、食後のコーヒーを入れますね」

 マリは、そう言って席を立った。その指には、銀色の婚約指輪が光っていた。

俺は、自分の指輪を見て、また一つ、大人になった気がした。

 その夜、ベッドに入ると、俺とマリは、お互いの指に光る指輪を見せ合い

ながら夫婦として一歩前進した気がして、なかなか眠れなかった。


 翌日のクリスマスは、昨日の残りのケーキを朝食代わりに食べながら年末の

ことを話し合った。

「じいちゃんは、いつまでいるんだよ?」

「正月三が日が明けるまでかな」

「それじゃ、正月の準備もしなきゃな」

「ハイ、お任せ下さい。おせち料理に、お雑煮、食べたいものがあれば、何でもも言ってくださいね」

 マリは、早くもやる気満々だ。しかし、今の俺は、正月どころではない。

年が明けたら本格的な入試の本番だ。浮かれている気分ではない。

 実際、今日からは、本番の試験を想定して、過去の入試問題を勉強すること

になった。これが難しい。マリは根気よく、丁寧にわかりやすく教えてくれた。

 相変わらず、じいちゃんは、食事のときくらいにしか顔を出さない。

ずっと地下室に閉じ篭りっ放しだった。いったい、何を研究している

ことやら……

 クリスマスは、あっという間に終わったが、一生忘れられないクリスマスに

なった。

そして、いよいよ年末がやってきた。なんとなく年が明けるというのは、

ワクワクする。

例年は、友だちと近所の神社に初詣に行くだけで、特に正月らしさはない。

正月でも一人ぼっちで、特別お餅を焼くこともなかった。

だけど、今年の正月は、きっと違うんだろう。クリスマスと同じくらいか、

それ以上に楽しいだろう。

イヤイヤ、正月気分に浸っている場合ではない。俺は、受験生なんだ。

頭を振って、浮かれ気分を振り払った。


そして、今日は大晦日。マリは、商店街でいろいろと買い込んできたらしい。

キッチンには、いろいろな食材の匂いがした。おせち料理が楽しみだ。

 テーブルに置いてある重箱には、次々と正月用の料理が詰め込まれていく。

明日の元日用らしい。しかし、大晦日でも、受験生の立場は代わりがない。

俺は、朝から問題集を解く。同じ問題を百点を取るまで繰り返す。

 今のこの家は、三人が三人とも、まったく違うことをしている。

しかし、今は、マリが中心に回っていると思う。それくらいの存在感が、

今のマリにはあるのだ。

 勉強も一段落して、じいちゃんも地下室から出てきた。

「今夜は、どうされますか?」

「そうじゃな。三人で初詣にでも行ってみるか」

「どちらへですか?」

「決まっとる。地元のあの神社じゃよ」

「えーっ。アソコかよ。なんか、ご利益なさそうだけどな」

 思わずそう言うと、じいちゃんが口を尖らせて怒った。

「バカもん。まずは、地元の神様からに決まっとるじゃろ」

「そう言うもんなんだ」

「それじゃ、その前に、年越しそばを作りますね」

 早くもマリは、やる気を出している。

初詣に行くからと言って、特に神様に何かお願いするとかはなかった。

意識しているわけでもなく、神様とか余り信じているわけでもないからだ。

 だけど、今年だけは違う。大学合格のためなら、神様にだって、なんだって

お願いする。手を合わせて、合格祈願だ。

 その夜、テレビで紅白歌合戦を見ながら年越しそばを三人で食べた。

相変わらず、ダシが効いてとてもおいしい。

その後、夜の十一時を過ぎてから、近所の神社に初詣に出かけた。

 俺もじいちゃんも寒くないように、ダウンコートなんか着た。

マリは、ピンク色のロングコートを着ていた。こうして客観的にみると、

マリは、やっぱり美人だ。

実際、三人で神社まで歩いていると、隣近所の人たちや商店街の人たちから声をかけられる。いまや、この町内でマリを知らない人はいないんじゃないかと

思う。すっかり有名人なのだ。ひょっとしたら、次期ノーベル賞候補の

じいちゃんより有名かもしれない。

 神社に着くと、すでに初詣の順番を待っている人たちが並んでいた。

境内の中では、ドラム缶に薪を燃やして、かがり火を炊いている。

激しく燃えるオレンジ色が、妙に迫力があった。

「なんか、すごいですわ」

 初めての初詣。初めての年越しにマリも興奮しているようだ。

カウントダウンが始まると、アチコチから『明けましておめでとう』という声が聞こえた。俺たちも挨拶回りに忙しい。そうこうしているうちに、

やっと俺たちの順番が回ってきた。

 お賽銭を入れて手を合わせる。願い事は言うまでもない、大学の合格祈願だ。

マリは、なにをお願いしたんだろうか? そんなことを聞くのは、野暮ってもんだ。

 寒いので、早々と帰宅すると、じいちゃんが眠くなったので、寝ることに

する。今年最初の夜だった。俺にとっても特別な夜だ。

「マリ、今年もよろしくな」

「ハイ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 ベッドの中で向かい合って新年の挨拶をする。雰囲気はゼロだ。

「ひろしさん、今年もいい年になるといいですね」

「そうだな」

「去年は、ひろしさんの妻になれて、よかったです」

「俺もマリと知り合えてよかったよ」

 ベッドで寝ながら言うことじゃないけど、改まった形で言うのは照れくさい。

「一年の計は、元旦にありといいますね。いい一年にしたいですね」

 こんなことは、一度も思ったことはなかった。

元旦とか、新年とか、一年の節目であり、その年の新しい一日を迎えるのに

俺は、普通に一日が明けただけとしか思っていなかった。

 正月と言っても、特別感慨深くはなかったからだ。

しかし、今は違う。マリが来てから、一日が、とても充実して、毎日が楽しく

なった。マリには、感謝しかない。

そんなことを思っていると、マリは、いつの間にか眠ってしまった。

「マリ、おやすみ。いつもありがとうな。大好きだよ。早く結婚しような」

 眠っているマリに小さな声で囁いた。もちろん、マリに返事はない。

でも、心なしか笑っているように見えた。なにか、楽しい夢でも見ているの

かもしれない。


 翌朝、元旦の朝を迎えた。すでにマリは起きて隣にはいない。

俺は、部屋着に着替えて部屋のカーテンを開けた。俺にとっての初日の出だ。

一階に降りると、マリは、朝ごはんの支度をしていた。

そして、俺に気がつくと、マリは、しっかり前を向いてこう言った。

「新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」

 静かに頭を下げるのを見て、俺も慌てて挨拶を返す。

「あけましておめでとうございます。こちらこそ、今年もよろしくお願いします」

 なんだか恥ずかしくなる。面と向かって、こんな挨拶は初めてだ。

「起きたか。いつまで寝てるんじゃ」

 じいちゃんが地下室からやってきた。

「正月から、そんなに寝てる場合じゃなかろう。お前は、受験生なんだぞ」

 俺は、大学入試を控えた受験生なのだ。正月で浮かれている場合じゃない。

「まぁ、今日くらいはいいじゃろ。明日から、しっかり勉強するんだぞ」

 そう言って、じいちゃんは席に着くと、テーブルの真ん中にある重箱を

開けた。

「こりゃ、うまそうだ」

「どうぞ、召し上がって下さい」

 マリは、そう言って、取り皿を出してくれた。箸もこの日は、特別に新しいのを卸す。

三段重のおせち料理は、ホントに宝石箱のようだった。

こんなの見たことがない。じいちゃんと二人暮らしのときでは、ありえない料理だ。

「ひろしさんも、たくさん食べて下さいね。今、お雑煮を作っています」

 重箱を開けると、紅白のかまぼこに伊達巻に黒豆がある。

俺が知ってるのは、それくらいだった。食べたことがないから、わかる訳が

ない。

 マリが言うには、他にも数の子とか栗きんとん、にしん巻き、エビの丸焼き、野菜巻きなどなど、

いろんな食材があって、俺は、夢中になって食べた。どれもこれもうますぎる。

「ひろしさんには、白酒です。飲めますか?」

 そう言って、杯に白い飲み物を注いでくれた。一口で飲み干すと、甘い味が

して甘酒のようだった。

だけど、しつこい甘さでもなくて飲みやすい。

「飲みすぎるなよ。それも、立派な酒じゃからな」

 じいちゃんもそう言って、白酒を飲んでいた。もちろん、マリもだ。

てゆーか、アンドロイドがお酒を飲んでいいのか? 酔っ払ったりしないのか?

そんな疑問がふと頭をよぎったが、そんなことは、今はどうでもいい。

「ハイ、お待たせしました」

 マリは、大き目のお椀にお雑煮を作って持ってきた。

しょうゆ味で、鶏肉と三つ葉が入っただけの、シンプルな雑煮だ。

餅は四角くてしっかり焼いてある。ダシの効いた汁を飲むと、体中に染み渡る

ようだ。

「ああぁ~、うまいのぉ……」

 じいちゃんが、ホントにおいしそうな顔をしている。こんな顔は、見たことがない。もちろん俺もだ。餅を一口食べると、それが伸びて箸で手繰り寄せる。

これが日本の正月なのか。日本人なのに、こんなことを今まで知らなかった。

「たくさんあるので、お代わりしてくださいね」

 言うまでもない。俺は、餅を続けて五個も食べてしまった。

その前に、マリは、餅を食べてもいいのか? 喉に詰まらせたりしないのか……

でも、おいしそうに食べるマリを見ると、そんなことを聞く気にも

ならなかった。

 お腹一杯になってひと休みだ。俺たちは、リビングで正月番組を見る。

どれもお笑い番組ばかりなので、途中で見るのをやめて、マリを散歩に誘って

みた。

「わしは、まだ、やることがあるから、お前たちで行ってこい」

 じいちゃんは、そう言って地下室に行った。

「それじゃ、着替えてきます。ひろしさんも着替えて下さい」

 そう言われても、いつもの服しかない。いっしょに着替えるのは恥ずかしい

ので、先にマリに行かせた。

マリは、俺の勉強部屋で、着替えを始めた。

 しかし、この日に限って、なかなか戻ってこない。もしかして、化粧でもしているのか?

何か時間がかかるようなことでもしているのか、ちょっと気になった。

 しばらくすると、階段から降りてくる足音が聞こえた。

「お待たせしました。ひろしさんもどうぞ。よかったら、お着替えをお手伝いしますよ」

 振り向くと、そこにいたマリは、まったくの別人のようだった。

「マ、マリ…… それ、どうした?」

 マリは、着物姿だった。赤い着物に白い模様が入って、長い髪をアップに

まとめて、きれいな髪飾りをしている。そして、ほんのり頬がピンク色に染めて化粧をしていた。

「博士が、この日のために買ってくれました。似合いますか?」

 俺は、言葉が出なかった。余りにもきれい過ぎたからだ。

「似合うよ。すっごく似合うよ。きれいだよ、マリ」

「ありがとうございます」

 そこに、じいちゃんがタイミングよく地下室から戻ってきた。

「ほぉ、よく似合うな。マリにピッタリじゃ。きれいじゃよ」

「博士、ありがとうございます」

「いつも、わしやひろしが世話になっておるんじゃ。これくらい、してやらんとな」

 じいちゃんは、満足そうにマリの着物姿を見ていた。

「ひろし、お前もさっさと着替えてこんか」

「イヤ、でも、俺、ジーパンくらいしか持ってないし……」

「心配すんな。ちゃんと、ひろしの分もある。マリ、着替えを手伝ってやれ」

「ハイ、それじゃ、ひろしさん、こちらにどうぞ」

 俺は、マリに言われて二階に上がった。部屋に入ると、そこに用意されて

いたのは、男物の着物だった。

「こ、これ、着るのか?」

「ハイ、そうですよ」

「でも、着たことないし、似合わないと思うけど」

「大丈夫ですわ。博士が見立ててくれたものですから」

 そう言うと、着ていた部屋着をマリは、手早く脱がせる。

下着一枚にされた俺は、マリのされるがままに、着物を着ていった。

襦袢を羽織、帯を締めて、その上から紺の着物を着せてもらった。

帯を締めるのもマリにやってもらう。足には、黒足袋を履かせてもらって

鏡の前で髪をセットしてもらった。何から何まで、マリ任せだ。

「ハイ、出来上がりです。素敵ですわ、ひろしさん」

 鏡で自分の姿を見ると、自分とは思えなかった。

とはいえ、初めて来た着物だけに、着慣れていないので、子供っぽく見えた。

「似合うかな?」

「ハイ、とっても」

 どうみても、似合わないだろ。まして、マリと並んで歩いたら、どう見ても

釣り合いが取れない。

俺は、裾を気にしながら階段をゆっくり降りた。

「ハッハッハッ、ひろし、なんじゃ、そりゃ」

 じいちゃんが俺の着物姿を見て笑った。

「やっぱり、いつものジーパンのがいいよ」

「そんなことはないですわ。お正月くらいは、着物を着ましょう」

 マリは、そう言って、なれない俺の手を引いて、玄関に向かった。

すでに、玄関には、俺の草履が用意してあった。

スニーカーやサンダルくらいしか履いたことがない俺は、草履なんてきっと

これが初めてかもしれない。

足袋を履くだけでも、慣れてないのに、まして草履なんて……

 それでも、何とか草履に足の指を入れて履いてみる。

これまた、歩き慣れてないので、引きずって歩く感じだ。

 マリの方は、きれいな下駄を履いている。鼻緒が赤くなっている。

「さぁ、参りましょう」

 マリは、そう言って、先に玄関から出て行った。

これで外を歩くのか…… まるでコスプレじゃないか。

 しかし、マリは、堂々とした足取りで歩いている。後から付いていく俺は

カッコ悪い。マリは、俺を気にして、ゆっくり歩いてくれるのが、さらに

屈辱的だ。

「どこに行くんだ?」

「駅前のショッピンセンターで、イベントをしているんですよ」

 何をやってるのかわからないけど、とにかく、今はマリのいうことを

聞いた方がいい。

「ひろしさん、手を繋いでいいですか?」

「えっ…… いいけど……」

 いきなり言われて、どう返事をするべきか迷ったけど、自然に左手を

差し出していた。

マリと手を繋いでいると、なぜか気持ちが安らぐ。安心するのだ。

通り過ぎる人たち全員が、マリを見て目を止める。こんな美人と手を繋いでいる俺は、なんとなく場違いな気がして、前を向いて歩けなかった。

「ひろしさんの手は、暖かいですね」

 歩きながら、そんなことを言わないでくれ。みんなに聞かれるじゃないか……

「ひろしさん、ちゃんと前を向いてないと、危ないですよ」

 そう言われても、通り過ぎる人たちの視線を気にして前を向けない。

「アレですわ」

 駅前に着いて、ふと見ると駅前広場で餅つき大会や着物美人のイベントが

やっていた。

他にも、初売りセールなどで、人もお店もたくさん出ていて賑やかだった。

「ひろしさん、お餅つき、やってみませんか?」

「えっ、俺は、いいよ。やったことないし」

「だから、いいんですわ。私、やってみようかな」

「イヤ、マリは、やめといた方がいいと思うけど……」

 マリの力で餅をついたら、臼までついてしまうだろう。

「大丈夫ですわ。手加減はしますから」

 そう言うと、マリは、餅つき大会に飛び入り参加した。

すると、回りで見ている観客から歓声が上がった。

「おっと、ここで、着物美人のお客さんから、餅つきの飛び入りだ!」

 マイクを持った進行役の声が響いた。それを聞いて、客がどんどん集まって

くる。

俺は、その客をかき分けて一番前まで出ると、たすき掛けで袖を捲くった

マリが、杵を上段に構えているところだった。俺は、大事にならないうちに

着物のたもとにしまった携帯電話でじいちゃんに連絡した。

「もしもし、じいちゃん、すぐ来てくれ」

『なんだ、どうしたんじゃ?』

「駅前で、マリが餅つき大会に出てるんだ」

『なんじゃと! 早く言わんか。すぐに行く』

 そう言って、電話が切れた。マリは、声に合わせて、振り上げた杵でお餅を

つき始めた。

「よいしょ!」

「ハイ!」

「もう一回、よいしょ」

「ハイ」

「その調子だよ。お嬢さん、上手だね」

 調子に乗ったマリは、餅をつく速度を早める。杵で餅をつくなんて、普通は

若い女性は力がないので無理だ。でも、マリならできる。

実際、あっという間に餅がつけてしまった。

それなのに、汗一つかいてないし、息も切れていない。

「すごいね、お嬢さん」

「ハイ、ありがとうございます」

 満面の笑みのマリだった。お客さんからの拍手と大歓声に頭を下げる。

「ついでに、着物のファッションショーに出てみませんか?」

「えっ? でも、私は……」

「イヤイヤ、お嬢さんは、とてもきれいだし、その着物も素晴らしい。ぜひ、

どうぞ」

「あの、その…… ひろしさん……」

 マリは、俺に助けを求めているが、スタッフらしい人たちに案内されて、

ステージの方に連れて行かれた。

どうしたらいいんだ…… 早く来てくれ、じいちゃん。

 俺は、じいちゃんを探した。しかし、人が多すぎてわからない。

そうこうしていると、ステージの上にマリがいた。

「お待たせしました。ファッションショーのスタートです。一人目は、飛び入り参加の、お嬢さんです」

 着物姿のマリが、ステージの中央にいた。見ている観客から拍手が起きる。

「まずは、お名前からどうぞ」

「ハ、ハイ、マリです」

「マリさんですか。可愛い名前ですね。その着物もよくお似合いです」

 進行役からマイクを向けられて、緊張気味のマリだ。

「今日は、どなたかと来ているんですか?」

「ハイ、素敵な旦那様と来てます」

 えっ! それは、言っちゃダメだろ。何を言ってんだ……

「それじゃ、ご結婚されているんですか?」

「ハイ」

 そう言うと、左手の指に光る婚約指輪を見せた。

「おおぉ、それは、すごい。それじゃ、旦那様は、どこにいるのかな?」

 まずい、まずいぞ。俺は、人ごみの中に混じって誤魔化そうとした。

そのとき、俺の肩を誰かが掴んだ。振り向くと、じいちゃんだった。

「じいちゃん、遅いよ」

「何を言っとる。絶好のタイミングじゃないか」

「どこが!」

 俺とじいちゃんが言い合っているときも、マイクから声が聞こえる。

「マリさんの御主人、いたら、手を上げてください」

「ほら、手を上げんか」

「できるか!」

「マリさんの御主人、どちらですか?」

「ほら、行け」

 俺は、じいちゃんに背中を押されて、一番前まで来てしまった。

「あなたが、マリさんの御主人ですか?」

「ハイ、そうです」

 俺が言う前に、マリが先に答えた。

「さぁ、どうぞ、ステージの方に」

 進行役の人に手を引かれて、ほとんど無理くりステージに上がることに

なった。

「ずいぶんお若いですね。御主人様のお名前は?」

「えっと、ひろしです」

「失礼ですが、おいくつですか?」

 年は、いえない。言ったら、まずい。

「えーと、二十三歳です」

「それは、お若いですね。素敵な奥様で、幸せそうですね」

「ハイ、ありがとうございます」

 俺は、ステージから下にいる人たちの顔を見ると倒れそうだった。

この中にクラスの友だちがいないことを神に祈った。

 そんな俺の心中など知らずに、マリは、終始笑顔だった。

「ありがとうございました。若くて素敵なご夫婦に拍手をどうぞ」

 そう言われて、やっと、ステージから降りることが出来た。

「ひろし、よくやった」

 じいちゃんに迎えられても、全然うれしくない。まだ、心臓がバクバクして

いる。

「マリ、きれいじゃったよ。上出来じゃ」

「ハイ、ありがとうございます」

 それどこじゃないんだけど…… とにかく、この人混みの中から逃げたい。

俺は、人を掻き分けて、やっと人の輪から逃げた。

「マリ、なにやってんだよ」

「すみません。断りきれなくて……」

「気持ちはわかるけど、立場を考えてくれよ」

「ハイ、ごめんなさい」

 マリがしゅんとして謝った。

「こら、ひろしこそ、年をサバ読むとは、怒れる立場か」

 今度は、俺がじいちゃんに怒られた。

「だって、ホントの年を言うわけいかないだろ」

「せめて、十八くらいに言っとけ。五歳もサバ読むとは、まったく、けしからんやつじゃ」

「ハイハイ、わかりましたよ。マリ、俺の方こそ、ごめん」

「いいえ、私が出すぎたことをしたのが悪かったんです」

 そんなやり取りをしていると、餅つき大会のスタッフが俺たちの元にやって

きた。

「あー、いたいた。探しましたよ」

「あら、先ほどの……」

「すみませんけど、もう一度、お餅をついてもらえませんか?」

「えっ?」

「実は、餅つき役の人が腰をやっちまって、つけないんですよ。すみませんが、やってもらえませんか?」

 マリが、困ったような顔で俺を見る。事情が事情なのはわかるけど、マリに

これ以上目立って欲しくない。

「構わんよ。マリ、これも人助けじゃ、ついてやれ」

 なんと、じいちゃんが代わりに答えた。

「えーと、あなたは、どちら様ですか?」

「父親じゃ」

「そうですか。それじゃ、ぜひ、お願いします」

「あの、いいんですか?」

「やってやれ。お前ならいくらでも出来るだろ。ついでに、ひろしも手伝って

やれ」

「えー! 俺もかよ」

「バカもん、女房を助けるのが、夫の役目じゃろ」

 そう言われると後に引けない。結局、そのまま、俺とマリは、再び餅をつく

ことになった。

普通は、男が餅をついて、女が餅をこねる役だが、この場合は逆だ。

それが、俺としては格好つかない。

だからと言って、俺に餅をつけというは、限りなく無理だ。

 マリは、もう一度、袖をたすき掛けすると、杵を振り上げる。

「ひろしさん、行きますわよ」

「ハイよ」

 俺は、マリと息を合わせて、つかれた餅を手でこねる。

「ハイ」

「よいしょ」

「ハイ」

「よいしょ」

「ハイ」

「よいしょ」

 俺は、声を出して、マリを見上げる。

回りで見ている人たちも、普段と違う光景に声をかけてくれる。

「いいぞ、その調子だ」

「すごいぞ、お譲ちゃん」

 そばで見ているじいちゃんは、満足そうな顔で見ている。

「ハイ、ストップ。出来上がりました」

 きれいにつけたお餅を持って、スタッフが取り上げると、そのまま付きたてのお餅をあんこやきな粉などにつけて、見ていた観客たちに振舞っている。

「ひろしさん、お疲れ様でした」

「マリの方こそ、疲れただろ」

「まだまだ、大丈夫ですわ」

 俺のが汗だくなのに、マリはケロッとしている。

「皆さんも、こちらにどうぞ」

 スタッフに案内されて、つきたてのお餅をご馳走になった。

見ているだけのじいちゃんが、一番うまそうに餅を食べている。

 気がつけば、マリは、たすき掛けのままだった。

白くて長い腕が丸出しなので、客の注目が集まる。それに気がついて、慌てて

たすきを外した。

「ありがとうございます」

「いいって。それより、腕を出しすぎだぞ」

「ごめんなさい。忘れてました」

 マリは、そう言って、ペロッと舌を出す。その仕草が可愛すぎる。

俺たちは、じいちゃんもいっしょに、駅前広場を見て歩いた。

「こんな正月は、初めてじゃ」

 じいちゃんも俺と同じことを思っていたようだ。

「思えば、わしは、いつも研究ばかりで、ひろしには何一つ楽しいことをして

やらんかったな」

 今頃反省しても遅い。

「すまんな、ひろし」

「別に、気にしてないよ」

 そう言いながら足を進めた。いつの間にか、草履で歩くのも慣れていたよう

だった。マリと歩く早さについていける。

「私は、お正月の楽しさを知りましたわ。これも、博士とひろしさんのおかげです」

「それは、こっちの台詞じゃ。マリのおかげで、わしらは、正月の楽しさを改めて実感したんじゃ」

「そう。そのとおり」

 俺は、久しぶりにじいちゃんに同意した。そして、俺たちは、夕暮れの中を

家に帰った。    

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