第7話 家庭教師は、マリ。

 久しぶりに集中しすぎて、細かい作業もしたからなのか、目が疲れた。

今日は、マンガを読んでいるから、マリは、入ってこないだろう。

俺は、安心して風呂に入ることが出来た。

 風呂で温まって、体もほぐれて、気持ちがよかった。

風呂から上がると、マリが夕食の準備をしていた。

「マンガ、どうだった?」

 俺は、マリに話しかけた。

「おもしろかったです。それと、あのマンガに出てくる男の子は、ひろしさんに似てますね」

「そうか…… そうかなぁ……」

「今のひろしさんにそっくりですわ」

「なるほどね。他には、なんかある?」

「今は、女の子のが積極的なんですね。ひろしさんの好きな女の子なんですか?」

「えっ? いや、そんなんじゃないよ。書いてるうちに、そんなキャラクターに

なっただけ」

「ひろしさんの好きなタイプって、どんな女の子なんですか?」

 マリは、なにやらシチューのようなものを作りながら言った。

急にそんなことを聞かれても、なんて答えたらいいかわからない。

「俺は、マリが好きだよ」

「えっ?」

 マリが振り返った。

「だから、俺は、マリが好きなの」

「ひろしさん…… 本気にしますよ」

「していいよ。だって、マリは、俺の奥さんだろ」

 すると、マリは、なぜか泣いているように見えた。このときの俺には、

その意味がわからなかった。

「もうすぐ、クリームシチューが出来ますからね」

 マリは、後ろを向いたまま言った。でも、その声は、少し震えているよう

だった。

俺は、マンガを書いているときに思ったことがあった。そのことをマリに言ってみた。

「もし、ホントに、マンガ家になって、お金をもらえるようになったら、正式にマリと結婚するつもりだよ。

今じゃないよ、まだ、先の話だぜ」

 俺は、慌てて訂正した。今は、高校生の身分だから、結婚なんて無理なことはわかってる。でも、将来のことは、高校生でも言葉にしてもいいと思った。

マリは、黙って首を縦に振るだけで、なんとなく、いつものマリらしくないと

思った。

「その前に、大学に合格しないとな」

 俺は、話題を変えて、違う話を振ってみた。

「だからさ、もっと、マリに勉強を教えて欲しいんだよ」

 マリは、何度も首を縦に振るだけで、何も言わなかった。

なんか違和感を感じて、立ち上がって、マリに後ろに近づいた。

すると、マリは、手を止めたまま、泣いていたのだ。涙が、まな板にポタポタと落ちていく。

「お、おい、どうした? なんかヘンなこと言ったか…… 気にしたなら、謝るから」

 今度は、首を横に振って、涙目のまま振り向くとこう言った。

「うれしいんです。ひろしさんにそう言ってもらえて、ホントにうれしいん

です」

 いきなり、どうしたんだ? いつもと違うマリに、正直驚いた。

いつもなら、マリのが積極的なのに、今日に限って、その雰囲気はどうしたんだ?

「誤解しないでくれよ。今じゃないから。まず、大学に合格してからの話だからさ」

「わかってますわ。そのためにも、私は、必ずひろしさんを合格させて見せます」

「よろしく頼むよ」

 そう言って、マリの肩をポンと叩く。すると、涙を拭いて、やっと、元の

笑顔の可愛いマリに戻った。

「さぁ、クリームシチューの出来上がりですわ」

 そう言って、お皿にシチューをよそって、俺の前に置いた。

他にも、この日は、ガーリックトーストにフルーツサラダがあった。

「たくさん召し上がってください。遅くなりましたが、食べたらお勉強の時間

ですよ」

「わかってるって」

 俺は、マリの作った、うまいシチューを二回もおかわりした。

食後の後の勉強を二時間終えて、マリが風呂に入っている間に、書いた原稿を

自分で読み返した。

 確かに言われて見ると、ここに出てくる男子高校生は、俺にそっくりだ。

別に意識して自分に似せて書いたつもりはない。だけど、他人が読むと俺に

似ているらしい。

ストーリー的には、イマイチな気もするけど、自分的には、うまく書けたと

思った。

最初にしては、満足感があったのだ。もちろん、賞を取れる自信はない。

 俺は、何度も読み直していると、風呂から上がったマリがパジャマで部屋に

入ってきた。

「それじゃ、寝ようか」

 俺は、マリを誘って寝室に移動する。

もう、マリといっしょに寝ることもなれてきた。だけど、体に触れることは

出来ない。その勇気が、まだ、子供の俺にはないのだ。

まだまだ、オコチャマだなと思った。

「さっきは、驚かせてごめんな」

 俺は、突然、将来のことを言って、驚かせたと思ったのだ。

「いいえ。私は、ひろしさんの夢を応援します。そうしたら、私は、ひろしさんのお嫁さんになります」

「早く、そうなるといいな。結婚したら、新婚旅行は、どこに行きたい?」

「まだわかりませんわ」

「それもそうだな」

 そう言って、ベッドの中で、二人で笑った。

「私のような、アンドロイドが、泣いておかしいですか?」

「別に、おかしくないよ。てゆーか、マリは、もう、人間じゃないか」

「今日のひろしさんは、おかしいですわ。私を泣かせるような事ばかり言うんですね」

 そう言って、背中を向けてしまった。

もしかして、また、言っちゃいけないことを言ったのかと思って、思わずマリの肩を触ってしまった。すると、かすかに震えていた。

「すみません。私は、機械のクセに、ホントは泣き虫なんです」

「なに言ってんだよ。機械が泣くかよ。マリは、人間なんだって」

「ありがとうございます」

 マリは、背中越しにそう言うと、また、声を殺して泣き続けた。

マリを悲しませるようなことを、しちゃいけないことは、俺が一番よく知ってる。涙より、笑顔のが似合うし、マリの泣き顔なんてみたくない。

「こっち向いてよ」

 そう言って、パジャマの肩に手を置いた。

「見ないで下さい」

 それ以上のことは出来なかった。ゆっくり手を肩から離す。

この日は、朝まで、一度もマリは、こっちを向かないまま寝てしまった。

なんだか、マリに悪いことをしたかもしれない。

「なんか、ごめんな。おやすみ」

 そう言って、俺もマリに背中を向けて目を閉じた。

「ハイ、おやすみなさい」

 マリの返事は、か細い小さな声だった。


 翌日、目が覚めると、マリはすでに起きていた。学校は休みでも、いつもの

時間に起きて朝食を作ってくれる。

俺は、ベッドから起きると、いつもの制服ではなく、部屋着に着替えて一階に

降りた。

「おはよう」

「おはようございます」

 エプロン姿で振り返ったマリは、いつものマリだった。

朝から爽やかな笑顔を見ると、今日も一日がんばれる気がする。

「今朝は、ご飯ですよ」

 そう言って、テーブルのに並んだのは、和食のオンパレードだった。

ご飯に豆腐の味噌汁、焼き海苔、卵焼き、納豆、お新香、梅干だ。どれも俺の

好きなメニューだ。

「今日は、模擬試験をやってみようと思います。これまでに試験に出た問題を

実際にやって下さい」

「まだ、無理じゃないのかな?」

「いいんです。どこが出来ないのか、それを確認するための試験ですわ」

「なるほどね。マリは、学校の先生みたいなことを言うな」

「ハイ、私は、ひろしさんの家庭教師ですから」

 そう言って、ニッコリ笑った。その笑顔の奥に厳しい目が見えたような気が

した。

その後は、食後の運動として、マリと近所を散歩することになった。

頭を切り替えるのと、体と脳を起こすためらしい。

 もうすぐ年末でクリスマスがやってくる。まさか、ことしのクリスマスを、

マリのような美人な女性と過ごすなんて、去年の今頃は夢にも思って

いなかった。じいちゃんが帰ってこないことを神様に祈った。

「ひろしさんは、ケーキはお好きですか?」

「好きだよ」

「それじゃ、楽しみにしてて下さいね」

「手作りするのか?」

「ハイ、張り切って、おいしいのを作りますわ」

 なぜか、マリは、テンションが高い。

「チキンも焼くので、たくさん食べて下さいね」

「楽しみにしてるよ」

 そう言いながらも、きっと、ものすごくでかいのを焼いてくれるんだろうと

想像すると、ちょっと顔が引きつってくる。だけど、絶対うまいので食べて

しまうだろうと思った。

「博士は、いつになったら、帰ってくるのですか?」

「さぁねぇ…… もう、いなくてもいいんじゃないか」

「あら、ひろしさん、そんなことを言っちゃいけませんよ」

「だって、連絡しても、全然返事が来ないんだぜ」

「きっと、忙しいんですよ」

「どうだかねぇ……」

 この際だから、じいちゃんなんて、帰ってこなくてもいいと思った。

「クリスマスが終わると、お正月ですね」

「一年なんて、早いもんだな」

 そう言いながら、マリと出会って、どれくらいたつのか考えた。

夏休みが終わってすぐだったから、三ヶ月くらいたつのか……

クリスマスどころか、年越しや正月まで、マリと過ごすと思うと、顔がニヤけてくる。俺は、顔を引き締めて話を続けた。

「マリは、お餅とか食べられるの?」

「ハイ、まだ、食べたことはありませんけどね」

 食べたことがないけど、知識だけはあるらしい。

だけど、餅を食っていいのか? そこは、あえて聞かないことにした。

「それじゃ、初詣とか行こうよ」

「ハイ、ぜひ、行きましょう」

「でも、晴れ着とかないんだよな」

「晴れ着は、私には似合いませんわ。いつもの格好で行きます」

 マリのいつもの格好は、かなり目立つので、ホントはやめて欲しい。

背が高くて、スタイルがよくて、胸があって、足が長くて、色が白くて、

美人なのだ。何を着ても似合うし、目立つので、どこに行っても人目を

引くのだ。

 そんなことを話しながら、町内をぐるっと一回りして帰宅した。

俺は、玄関のドアを開けようと鍵を回した。

「アレ? ドアが開いてる」

 不思議に思いながらドアノブを回してみた。確かに散歩に行くときに鍵は

かけたはずだ。

「まさか、泥棒とか、空き巣か?」

「ひろしさん、私に任せて下さい」

 マリは、最高の家庭教師だが、最強のボディーガードでもあるのだ。

マリが、勢いよくドアを開けた。そして、靴をすばやく脱いで、中に一歩踏み

入れる。

「どこに行ってたんじゃ」

 どっかで聞いたことがある声がする。まさか……

マリの後ろから顔を覗くと、そこには、じいちゃんがのん気に座ってお茶を

飲んでいた。

「じいちゃん」

「博士」

 俺とマリの声が重なる。

「何やってんだよ」

「何って、自分の家に帰ってきて、何が悪い」

「そうじゃなくて、帰ってくるなら、帰ってくるって、言ってくれよ」

「悪い、悪い。つい、面倒でな」

「その前に、いつ、日本に帰ってきたんだよ」

「今朝の飛行機で帰ったんじゃ。正月くらい、日本で過ごしたいからな」

 なにを言ってんだ、このクソじじいは…… 俺は、呆れて物も言えない。

「博士、お帰りなさいませ」

 マリは、深々と頭を下げる。

「ところで、ひろしと仲良くやってるか?」

「ハイ、仲良くさせていただいてます」

「そうか、それならよかった」

 マリは、ホントにうれしそうな顔で言った。

「ひろし、勉強の方は、進んでいるか?」

「まぁ、何とかね」

「何とかじゃいかん。必ず大学には、合格するんじゃ」

「ハイ、私がひろしさんを必ず合格させて見せますわ」

「マリだけが頼りじゃよ。しっかり頼むぞ」

「ハイ、お任せ下さい」

 張本人の俺を差し置いて、二人で何を言ってんだ。受験するのは俺だぞ。

「あのさ、じいちゃん。マンガ家になりたいからって、後を継がなくてごめん」

「構わん、構わん。お前の人生じゃ、好きにしろ。第一、お前にわしの後を継いでもらおうなんて最初から思っとらん。わしの後継ぎなんて無理じゃよ」

 そう言って、豪快にじいちゃんは笑った。

なんだか悔しい。俺は、そんなに頭が悪いのか…… 確かによくはないけど。

だけど、無理って言われるとちょっと悔しい。こうなったら、絶対に大学は

合格してみせる。

「それじゃ、模擬試験をやってみましょうか」

「ホントにやるのかよ?」

「そうですよ。博士も帰ったことだし、採点してもらって、点数次第では、博士にも勉強を教えてもらいましょう」

「よかろう。今日までの成果をみてやろうじゃないか」

 マジか…… しかし、自分でも今の俺がどれくらいの位置にいるのか、

知りたかった。

早速、自分の部屋で模擬試験をやった。この日のために、マリが過去の問題集の中から、テストを作ってくれたのだ。

「では、始めて下さい。きっかり、一時間で仕上げて下さいね」

 そう言って、マリは、部屋を出て行った。

俺は、問題用紙を開いた。いきなり難関だ。難しすぎる。最初は、国語からだ。

問題をよく読むことと、マリは言った。俺は、何度も読んだ。

すると、なぜか、頭の中の引き出しが勝手に開いて、今までマリに教わったことが飛び出してきた。俺は、思いつくままペンを走らせた。

 国語が終わると、次は数学。二時間で二教科を回答した。

ものすごく疲れた。頭と目を集中して使いすぎてオーバーヒートだ。

「お疲れ様でした。では、採点してみますね」

 マリは、そう言って、答案用紙を持って、一階に降りた。

俺は、机に突っ伏したまま、しばらく動けなかった。

 しばらくすると、じいちゃんが俺を呼ぶので、仕方なく一階に降りる。

「結果じゃ。見てみろ」

 そう言われて、答案用紙を見た。65点と70点だった。

「最初にしては、上出来じゃな。マリに感謝しろよ」

「でも、これでは、合格できませんわ」

「そうじゃな。まだまだじゃな」

 そうか、まだ、ダメなのか。気合を入れ直さないといけない。

「それでは、どこが間違えたのかを、解説しますね」

 マリは、そう言って隣に座ると、俺にもわかるように説明してくれた。

じいちゃんは、お茶を飲みながら黙って聞いている。

「わかったら、同じ問題を、もう一度、やって下さい」

「また、やるのかよ?」

「そうです。百点を取るまでやってもらいます。しかも、今度は30分です」

 マジかよ…… 俺は、ガックリと肩を落としながら、二階に上がった。

机の上には、新しい答案用紙がある。

「それじゃ、始めて下さい」

 マリは、そう言うと、部屋を出て行った。今度は、一問も間違えられない。

プレッシャーとの戦いだ。間違えた問題とマリの解説を思い出しながらペンを

走らせた。30分ずつ二教科で一時間の試験タイムが終わった。

 もうダメだ。頭から湯気が出ている。頭の使いすぎだ。

俺は、フラフラになりながら、一階に降りて行った。

「ダメじゃな、92点と98点じゃ」

「でも、それくらい、合格点じゃないの?」

「いかん、いかん。これは、模擬試験なんだぞ。本番の試験とは、問題が違う

んじゃ。模擬試験で百点を取れなくて、本番の試験で合格できるわけがない

じゃろ」

「そうですわ。もう一度、やって下さい」

「ちょっと休ませてよ。頭がパンクしてんだから」

「いいえ、休んだら忘れます。集中力が続いている間に、やって下さい」

「マリは、厳しいなぁ……」

 そして、三度目で、やっと百点を取れた。

「お疲れ様でした」

 マリは、そう言って、温かいお茶を入れてくれた。

「ジャスミンティーです。疲れた頭と緊張した体には、いいんですよ」

 そう言われると、鼻に抜ける爽やかな匂いと、口に広がるほのかな香りで、

リラックスした気がする。

「おいしいなぁ~」

 思わず声が出てしまうほどだ。

「ありがとうございます。昼食の準備をするので、少し休んで下さい」

 マリは、そう言ってエプロンをつける。今日のランチが楽しみだ。

休憩している間に、地下室に篭もったじいちゃんに将来のことを話に行った。

「俺、大学に合格したら、真面目にデザインの勉強して、マンガを書くよ」

「いいんじゃないか」

「それでさ、マリだけどさ……」

「マリがどうした?」

「大学に行ったら、俺も十八になるだろ。そうしたら、マリと結婚……」

「バカもん。大学に合格しとらんのに、結婚なんて十年早いわ。そう言う

ことは、ちゃんと就職してから言え」

 そう言われると、返す言葉がない。俺は、まだ、高校生だし、大学にも

合格していない。

「それはそれとして、マリを抱いてやったのか?」

「そんなこと、できるわけないだろ」

「まだまだ子供じゃな。それじゃ、結婚なんて無理じゃ」

「だから、そう言うことは、俺が大人になってから……」

「まぁ、よい。お前もいろいろ思うことはあるだろうが、まずは、大学に合格

することじゃ」

 そう言って、じいちゃんは、また、何やら怪しげな研究を始めた。

「ちなみに、今度は、いつまでここにいるんだよ?」

「正月が明けたら、今度は、イギリスじゃ」

「イギリス!」

「女王陛下から、招待状がきてるからな。行ってやらにゃな……」

 大統領の次は、女王様かよ。じいちゃんの交友関係は、広すぎて謎だらけだ。

「ひろしさん、博士、昼食が出来ましたよ」

 マリが、地下室に俺たちを呼びにきた。二人で一階に上がると、早くもおいしそうな匂いが鼻をくすぐる。

「今日のランチは、オムライスとコンソメスープにマカロニサラダですよ」

 目の前には、今までウチでは見たことがないメニューが並んでいた。

「やっぱり、マリの作る料理は、うまいな。ひろしのメシとは桁違いじゃ」

「なんだよ、俺の飯は、まずいのかよ」

「犬のエサよりは、ましじゃな」

 相変わらず、クソじじいの減らず口は変わってない。なんか、悔しい。

「どうぞ、召し上がれ」

 マリもエプロンを取って、俺の向かいに座った。

オムライスには、お約束のケチャップで、ハートマークが書いてある。

それをスプーンで崩すのは、もったいない気がした。

 しかし、じいちゃんは、早くもそのハートマークをスプーンで削って食べて

いた。

このじじいは、雰囲気とか、マリの気持ちとか、何も考えてない。

 俺は、そっと、ハートのケチャップをスプーンで慎重に掬いながら食べる。

「ひろしさん、ハートのケチャップは、何度でも書きますよ」

 マリは、俺の食べ方をみて、何をしているのかわかったらしい。

「イヤ、別に、そんなつもりじゃないんだ」

 俺は、真っ赤になって、もったいないけどハートのケチャップにスプーンを

ザックリと入れてオムレツごと、チキンライスを大口で頬張った。

ケチャップみたいに真っ赤になりながら、オムライスを食べている俺を、

マリは、うれしそうに見ていた。


 翌日は、朝からマリは、忙しそうにしていた。今日は、クリスマス・イブ

なのだ。きっと、クリスマスケーキを作っているのだろう。後ろ姿だけでも、

楽しそうなのがわかる。

「おはよう」

「おはようございます。今夜は、ご馳走を作りますからね」

 マリは、振り返ってそう言った。朝からマリの笑顔は、眩しすぎる。

「じいちゃんは?」

「博士は、まだ、地下室にいると思います」

 それを聞いて、地下室に行ってみた。

「じいちゃん、何してんだよ?」

「ひろし、いいもの作ってやるからな」

 また、変な物を作るらしい。期待しない方がいいようだ。

「朝飯だけど」

「今行く」

 そう言って、俺の手を引いて、一階に上がっていく。

一階に行くと、すでに朝食が準備されていた。今日の朝食は、洋食だった。

「朝ご飯ですよ。今日は、フレンチトーストです」

 テーブルには、うまそうな匂いを漂わせた、フレンチトースト。

コーンスープ、フルーツの盛り合わせ、そして、今朝のコーヒーは、モカとの

こと。

「いただきます」

「ハイ、召し上がれ」

 早速、フレンチトーストを一口食べる。口の中に甘いバターの味と、シナモンの風味が広がる。

たまらないおいしさだった。コーンスープは、濃厚でとうもろこしがたっぷり

入っている。

季節のフルーツは、イチゴとリンゴにミカンのフルーツポンチだ。

「マリは、すっかり料理上手になったの」

 じいちゃんも口を動かしながら言った。

「ありがとうございます」

「ひろしの嫁としては、合格じゃな」

「あら、まだまだですわ」

 そう言いながらもマリは、うれしそうな表情だった。

「ひろしさん、今日も模擬試験をやりますからね」

「今日もかよ」

「ハイ、今日もです。がんばって、百点を取ってくださいね」

 そんなことを笑顔で言われても説得力はない。だけど、その顔を見ると、

やる気が出る。

「その間に、私は、ケーキを作って、チキンを焼いておきますね」

 どうやら今夜は、ホントにご馳走のようだ。

「ところで、ひろしは、クリスマスプレゼントは、何がいい?」

「ハァ? 別にいらないよ。もう、子供じゃないし、そんな年じゃないから」

「それもそうじゃな。それじゃ、お前はなしで、マリにだけやるか」

「えーっ! そりゃないよ。だったら、俺にもなんかくれよ」

「まったく、お前は、子供なのか、大人なのか、どっちなんじゃ」

 そんなやり取りをマリは、笑ってみている。こんな朝の景色なんて初めてだ。

こんなことが、これからも毎日続くのかと思うと、起きるのも苦じゃない気が

した。

 朝食を食べて一休みしてから、昼まで模擬試験をやった。

一人で勉強部屋に篭もって、頭を抱えながらペンを動かす。

「くっそぉ…… 全然、わかんないよ」

 俺は、独り言のように口にする。そのころ、マリは、一階で今夜の準備を

している。

じいちゃんは、相変わらず地下室でなにかやっている。俺一人だけが、

苦しい気持ちがしてきた。そんな時、頭の中で誰かが言った。

『わからないときは、わかるまで、問題を読んで下さい』

マリの声だった。俺は、集中して、何度も問題を読み返す。

すると、グチャグチャだった問題が、少しずつほぐれてきた。

それが、今度は答えに変化していく。そうなると、後はペンが勝手に動き出す。

「これは、前にマリが教えてくれたところだ」

 一度思い出すと、一気にほつれた糸がほぐれていった。

「この問題は、マリに教えてもらった応用だな」

 解答用紙に書くペンが軽く感じた。なぜか、勝手にペンが動いていく。

「ハイ、それまで」

 マリの声がすぐそばに聞こえて手が止まった。こんなに近くにマリがいたことにも気がつかなかった。

「終わったぁ……」

「お疲れ様でした。では、次の教科です。始めて下さい」

 そう言って、休憩する間もなく、次の問題に取り掛かる。俺の集中力は、

どこまで持つんだ。しかし、時間は、あっという間に終わった。

一時間のはずなのに、十分くらいにしか感じない。

それほど集中していたのだろうか。俺は、フラフラになりながら一階に

降りると、ココアが用意されていた。

 甘いココアが、疲れて緊張していた体を、揉みほぐすようだ。

「ハイ、採点結果が出ました。七十点と八十点です」

「あぁ~、やっぱりダメかぁ……」

「ガッカリしている時間はありませんよ。もう一度、百点を取るまでがんばって下さい」

「ハイハイ、わかりましたよ」

 俺は、解答用紙を持って部屋に戻ると、二度目の模擬試験に取り掛かった。

「今日は、二回で百点を取ってやる」

 そう呟いて、同じ問題集を始めた。しかし、やっぱり百点は取れず、三度目でやっと百点を取れた。

とっくに昼も過ぎている。頭も使ったので疲れたけど、お腹も空いた。

「お疲れ様でした。百点取れましたね」

 マリは、飛びっきりの笑顔で言った。しかし、今の俺は、疲れすぎて

テーブルに顔を伏せている。

「今、お昼ご飯を作りますね。少し待っていて下さい。それまで、これで我慢

して下さいね」

 そう言うと、俺の右の頬に軽く唇を当てる。俺は、ビックリして、

飛び起きた。その様子を見て、マリは、クスッと笑った。俺は単純すぎる。

これだけで、すぐに元気になるとは……


 昼も過ぎたころ、じいちゃんが地下室から出てきた。

「マリ、腹が減ったんじゃが、何か食うものあるか?」

「ハイ、丁度、お昼ご飯ができました」

 そう言うと、俺たちの前に、食事が並んだ。

今日のランチは、生姜焼き定食だった。豚肉は、疲れた体と頭にいいらしい。

ご飯にネギと豆腐の味噌汁が体に沁みる。日本人に生まれてよかった。

 俺は、ご飯をおかわりして、お腹一杯になった。

じいちゃんも夢中で箸を動かしていた。こんなに食欲があるじいちゃんは、

見たことがない。

「なぁ、じいちゃん。何を作ってんだよ?」

「いいもんじゃ。クリスマスには、間に合わないが、そのウチ完成させる」

 じいちゃんがいいもんというからには、きっと、いい物なんだろう。

それが何かはわからないけど、とりあえず、そう言うことにしておく。

 昼食が済むと、マリが言い出した。

「夕飯まで、ちょっと時間があるので、お買い物に行ってきます」

 そう言って、着替えて一階に降りてきた。

「だったら、俺も行こうか」

「ハイ、ありがとうございます」

 マリは、うれしそうに言うと、鏡を見ながら唇にリップクリームをつけた。

やっぱり、女性は、外出するときは、少しは化粧をするんだなと思った。

その仕草からして、マリをアンドロイドには、到底見えない。

 俺は、マリと二人で家を出た。

「何を買うの?」

「今夜は、クリスマスだから、ちょっとおもちゃなんかで盛り上げようと思い

ます」

 そう言われると楽しそうだ。今までのクリスマスは、じいちゃんと二人で

過ごすか、一人で過ごしていた。

クリスマスプレゼントももらった記憶もない。

要するに、クリスマスらしいクリスマスは、やったことがないのだ。

マリだって、初めてのクリスマスなのに、いったい何をしようというのか。

 すると、マリは、商店街を抜けて、駅前のショッピングセンターに歩いて

いった。

「どこに行くんだ?」

「楽しいお買い物ですわ」

 マリは、そう言うだけで、何も教えてくれない。

俺たちは、駅ビルの中に入ると、そのままグッズショップに入った。

ビルの中は、すでにクリスマス一色で、アチコチにクリスマスツリーが飾って

あって流れる音楽も、クリスマスの歌ばかりだ。

「これですわ」

 マリが足を止める。目の前にあったのは、きれいにデコレーションされて

いる、クリスマスツリーだった。

「これ?」

「ハイ、これです」

「こんなの、どこに飾るの?」

「玄関になら飾れますよ」

「だけどさ……」

「こういうのお嫌いですか?」

「嫌いじゃないけど……」

「それなら、これを飾りましょう。今夜は、クリスマスなんですよ」

 いったい、どこでこんなことを知ったんだろう? マリは、情報通だ。

結局、中くらいのサイズのクリスマスツリーを買った。

 次に向かったのは、おもちゃ売り場だった。そこでは、ツリーに飾る星やら

サンタやらキラキラした物を買い込んだ。楽しそうに買い物して、はしゃいで

いるマリを見ているとこっちも楽しくなってきた。

「これも飾ったらいいんじゃない」

「いいですわね」

「じいちゃんにサンタになってもらうか」

「それなら、サンタさんの衣装も必要ですわ」

「でも、じいちゃんが、こんなの着るかな?」

「着ていただきますわ」

 俺たちは、じいちゃんのサンタの姿を想像して、おかしくなって笑った。

「やっぱり、クリスマスって、楽しいんだな」

「ハイ、そうですわ。楽しいイベントなんですよ」

「何で、マリは、知ってるの?」

「本を読んだり、テレビを見たり、ネットで調べました」

 俺がテストをしている間に、マリもいろいろ勉強してたんだ。

「今まで、クリスマスなんて、やったことなかったから、初めてだし、俺はよくわかんないよ」

「大丈夫ですわ。きっと、楽しいクリスマスになります」

 マリがそう言うなら間違いない。マリは、可愛いと同時に、頼もしくて頼りになる。今の俺は、完全にマリに負けているけど、そのウチ、マリよりも強く、

賢くなってやる。

今はまだ、マリに支えられているけど、いつの日か、俺がマリを支えるように、

頼りがいがある大人の男になってやろうと思った。

 たくさん買い込んで帰宅すると、じいちゃんは、のん気にリビングでテレビを見ていた。

「何を買ってきたんじゃ?」

「いいもんだよ。後で、じいちゃんにも手伝ってもらうから」

 そう言って、早速、クリスマスツリーを組み立てる。

マリは、出来上がったツリーに、いろいろと飾り付けていく。

それを見ていたじいちゃんがいきなり立ち上がると、地下室から何か持って

きた。

「これをつければ、もっと派手になるぞ。この際だから、電飾をつけてみろ」

 じいちゃんも、今日ばかりは、ノリノリだ。三人で、あーでもないこーでも

ないと言いながらツリーに飾り付けていく。出来上がったのは、それはそれは、立派なツリーだった。

スイッチを入れると、ツリー全体がピカピカ光って、ものすごくきれいだった。

「素敵ですわ」

「うん、我ながら見事な出来じゃな」

 マリとじいちゃんが感心している。

「さぁ、それじゃ、クリスマスパーティーですわ」

 俺にとって、初めてと言える、記念に残るクリスマスパーティーが始まった。

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