第4話 マリの正体がばれた?

 一休みすると、マリは、買い物に行くと言い出した。

一人で商店街に買い物に行かせるのは、心配だったので俺もついて行くことに

した。

「買い物くらい、一人で出来ますわ」

「行くの初めてだろ。お店とか知らないじゃん。教えてやるよ」

「ありがとうございます」

 そう言うと、マリは、俺の腕に自分の腕を絡ませた。

「ちょ、ちょっと……」

「イヤですか?」

「そうじゃないけど、誰かに見られるとさ……」

「私は、構いませんわ」

 そう言って、さらに腕を深く組んでくる。

二人で腕を組んで歩いていると、すれ違いざまにみんなが俺たちを見る。

何しろ、美人だし、背も高いし、きれいだし、スカートは短いし、シャツで胸が強調されているし、みんながみんな目を止める。正確には、俺たちではなく、

マリにだけど。

 近所の商店街は、昔ながらの小さな商店がたくさん軒を列ねている。

駅前の大きなショッピングセンターより、こっちの方が好きだった。

 そんな商店街のお店の人たちにとって、俺は、近所の有名人だ。

正確には、俺ではなく、じいちゃんだ。地元から、ノーベル賞を受賞すると

なれば、この町も一躍全国的に有名になるし、地域の誇りでもある。

俺は、その孫だから、自然と有名人になってしまうわけだ。

 歩いていると、あちこちのお店の人たちから声がかかる。

しかも、今日は、マリを連れてである。

「ひろし、今日は、魚が安いぞ」

 まずは、魚屋のおじさんから声がかかる。

「おいおい、その人誰だよ?」

 そりゃ、マリに気がつかないわけがない。さて、どう説明するか……

「初めまして、マリと言います。ひろしさんの妻です」

 俺が説明しようとするより先に、マリがそう言ってしまった。

「あっ、いや、そうじゃなくて、この人は、じいちゃんの助手で……」

 俺が言っても、魚屋のおじさんは、まるで聞こえていない。

「おい、母ちゃん、ちょっとこい」

「なによ」

「見ろよ、ひろしの嫁だってよ」

「なに、バカなこと言ってんだい。ひろしくんは、まだ、高校生じゃない」

「だって、今…… なぁ、アンタ、ホントにひろしの嫁さんかい?」

「ハイ、私の旦那様です」

 マリは、はっきり言った。

「えーっ! アンタ、いくつだい?」

「一応、二十二歳という設定です」

「こりゃ、驚いた。あの博士の孫が、こんな別嬪さんと結婚なんて」

「それで、もう、式は挙げたの?」

「えーと、まだですけど」

 結婚式なんて挙げられるわけがない。俺は、まだ、高校生だから。

しかし、魚屋の夫婦は、勝手に盛り上がってる。

「しかし、驚いたわ。こんな話聞いてなかったわよ」

「よし、今日は、お祝いだ。鯛を持ってけ」

「イヤイヤ、そんなのいいから。そっちのアジとか……」

「バカ言っちゃいけねぇよ。こちとら、博士には、絶対ノーベル賞を取って

もらいてぇんだよ。それに、お前のじいさんには、俺たちは世話になってる

しな。その孫が、嫁を連れてきたってのにアジなんて出せるか。めでたいん

だから、鯛に決まってるだろ。金はいらねぇ、心配すんな」

「そうよ、あたしたちには、それくらいしか出来ないんだから、もらって

ちょうだい」

「そうだ。後で、捌いて届けてやるから」

「ハイ、ありがとうございます」

 俺の話なんて、ちっとも聞いてない。それどころか、マリのことがバレて

しまった。

「あのさ、おじさん。マリのことは、ないしょにしておいてくれない。学校に

バレると、退学になるから」

「わかってる、わかってる。ないしょにしておくって。それじゃな、また、

後で」

 ホントにわかってるのか? あのおじさんはともかく、おばさんは、

口が軽くて有名なのだ。学校に知られるのも時間の問題かもしれない。

「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げるマリを見て、魚屋の夫婦は、感心しきりだ。

「イヤイヤ、こっちこそ、よろしく頼むよ」

「魚のことなら、何でも聞いてよね」

 恐縮する魚屋を後にして、今度は八百屋に向かう。ここは、安くて新鮮な

野菜が豊富だ。

「ハイ、いらっしゃいって、ひろし、なんだその子は?」

「初めまして、マリと言います。ひろしさんの妻です」

「つ、つ、妻ぁ……」

 八百屋のおじさんの声が裏返った。当然の反応だろう。

「ひろし、どういうことだ。ちゃんと説明しろ。博士は、このこと知ってる

のか?」

 詰め寄るおじさんのハゲた頭が眩しい。

「わかってるよ。でも、このことは、ないしょにしてくれよ。学校にばれたら

退学だからさ」

「偉い! さすが、次期ノーベル賞の孫だ。お前は、前からいつかやってくれると思ってたんだ」

 何を言ってるのか、さっぱりわからない。下町に生きる人たちは、どうして

こんなに盛り上がれるんだ。

「よし、今日は、好きなの持ってけ。そうだ、マツタケくれてやる」

「いいから、それより、そっちのキャベツとキュウリを……」

「バカヤロ、遠慮してんじゃねぇよ。俺の店があるのも、お前のじいさんの

おかげなんだぞ。いいから、持ってけ」

 そう言って、マツタケを三本も袋に入れて、マリに持たせる。

「あの、よろしいんですか?」

「いいって、いいって。それより、アンタ、美人だな」

「ありがとうございます」

 マリがお礼を言うと、ハゲた頭がいくらか赤くなってきた。

八百屋なのに、これじゃタコだよ。

「あの、これから、お世話になります。よろしくお願いします」

「こちらこそ。じゃんじゃんサービスするから」

 そう言って、ハゲた頭に巻いたねじり鉢巻を取りながら、ペコペコしている。

「ひろしさん、よかったですね」

「そうだけど、マリのことがバレただろ」

「いけませんでしたか?」

「そういうわけじゃないけど、マリのことは、余り人に言わない方がいいと

思うよ」

「すみませんでした。これから注意します」

 マリは、そう言って素直に謝る。別に事実だから謝ることはないけど、

他人に知られるのは俺としては、まずいのである。

「よぉ、ひろし、いい肉入ってるぜ。安くしておくから買ってけよ」

 今度は、肉屋のおじさんから呼び止められた。

「ひろしさん、今夜は、トンカツにしますか?」

 マリは、そう言って、店の中に入っていく。もちろん、腕を組んだままだ。

「ひろし、その人は、誰だ?」

「初めまして、マリと言います。ひろしさんの妻です。よろしくお願いします」

 おいおい、たった今、余り人に言うなって言ったばかりなのに、

もう言ってる。

「なんだって? 今、なんて言った」

「ハイ、ひろしさんの妻です」

 すると、肉屋のおじさんが、カウンターの奥から出てくると、俺とマリを

交互に見つめる。お腹が出ているかなり太り気味のおじさんなので、

近くに来られると迫力がある。

「お前、その年で、結婚したのか?」

「イヤ、そうじゃなくて……」

「ハイ、私は、ひろしさんと結婚しました」

 イヤ、まだ、してないし、今後もする予定もない。マリは、かなり

のぼせているようだ。

すると、肉屋のおじさんは、店の外に出ると大声で言った。

「おーい、みんな出てこい。博士の孫のひろしが、結婚したぞ」

 何を言いふらしてんだ、この人は…… しかも、そんなでかい声で。

すると、回りの商店から、ぞろぞろとお店の人たちが出てきた。

乾物屋のおじさん、お惣菜屋のおばちゃん、薬屋の白衣のおばさん、駄菓子屋のおばあちゃん。すし屋のおじさん、さっきの魚屋の夫婦に、八百屋のおじさん

までが集まってきた。

「見ろ見ろ、ひろしが嫁さんを連れてきたぞ」

「ホントかい?」

「あらまぁ、こりゃ、驚いた」

「すごい美人じゃないか」

「ひろし、でかした」

 もう、勝手にしろだ。ここまで大事になったら、俺の手には負えない。

俺の肩をバンバン叩く肉屋のおじさんの勢いに、思わず咳き込んでしまう。

「今日は、ご祝儀だ。ステーキを持ってけ。後で、届けてやる」

「よし、それじゃ、ウチは、寿司を握ってやる」

「ウチは、惣菜しかないけど、から揚げはおいしいから、たくさん揚げてやる」

 などなど、もはや、商店街をあげてのお祭り状態になってしまった。

こうなると、誰にも止められない。それどころか、さらに大きくなっていく。

「あの、このことは、くれぐれもないしょでお願いします。学校に知られると

まずいので、お願いします」

 俺は、大きな声で言うと、深くお辞儀をした。

「俺たちを信じろ。心配するな」

 そう言って胸を張る、肉屋のおじさんの顔が、少し笑っていた。

その横では、マリが、おじさんたちにちやほやされている。

マリは、困ったような、それでいて、うれしそうな顔をしている。

 帰ったら、じいちゃんにも口止めをしてもらうように言わなきゃいけない。

そんなこんなで、結局、買い物に行ったのに、何も買わずに帰宅することに

なった。歩きながら、マリが楽しそうに話した。

「皆さん、とてもいい人たちですね」

「そうなんだけど、これから一人で買い物に行ったときには、気をつけるん

だぜ」

「ハイ、大丈夫です。こう見えて、買い物上手なんですよ」

 マリは、自信たっぷりで言った。それを信じていいのか、若干不安でもある。

商店街を抜けて、交差点を渡れば、ウチである。

俺たちは、信号待ちをしていた。

 そんなとき、一匹の犬が道路に飛び出した。後から、飼い主らしい女性の声が響いた。どうやら、散歩していた犬が、急に走り出して、手にしていたロープ

から離れてしまったようだ。

道路に飛び出したものの、その犬は、走っている車に驚いて、足が止まって

しまった。

このままでは、車にひかれてしまう。しかも、向こうからクラクションを派手に鳴らしながら車が走ってきた。

 その時だった。マリが、組んでいた腕を離すと、道路に飛び出した。

「マリ! やめるんだ。止まれ」

 俺は、瞬間的にそう叫んでいた。なのに、マリは、目にも止まらない速さで

走り出すと地面に座ったままの犬を抱き上げた。ブレーキが間に合わなかった

車は、マリに突っ込む。

しかし、マリは、左手で犬を抱き上げ、右手で車を受け止めたのだ。

 大きなスリップ音をさせた車が、急に静かになった。

そして、犬を抱きしめたまま、歩道に座り込んでいる飼い主の元に

歩いていった。

「ハイ、ワンちゃんは、大丈夫ですよ」

「あ、ありがとうございます」

 ニッコリ笑って、犬を渡された飼い主の女性は、涙を流しながら、何度も頭を下げている。

マリは、平然とニコニコしていた。たまたまそこに居合わせた目撃者たちも、

車の運転手も、呆然としたまま、声も出ないで固まっていた。

「ひろしさん、よかったですね」

 そう言ったマリの手を取ると、俺は、人の輪から急いで走り去った。

マリは、俺に連れられたまま後を付いて来るように走った。

そして、人気のない児童公園に着くと、マリの前に向き直って言った。

「もう、二度と、人前で、あんなことするな」

「でも、あのままでは、犬が……」

「そうだ。犬は、車にひかれただろう。だけど、普通の人間ならそんなことは

しない。マリが人間だったら死んでいたんだぞ」

「……」

「自分は、アンドロイドだから、大丈夫だろうと思ったから、やったんだろ。

だけど、俺は、マリがアンドロイドなんて思ってないし、マリにも自分が

アンドロイドなんて思って欲しくない」

 俺は、かなり強い口調で言った。でも、それが、俺の本音なのだ。

「ハイ、申し訳ありませんでした」

 そう言って、マリは、頭を下げて謝った。

「マリは、いいことをしたんだ。謝らなくてもいいよ。だけどな、俺は、自分の奥さんにケガをして欲しくない。もし、死んだらどうするんだ。俺は、悲しいぞ」

「ハイ、旦那様を悲しませるなんて、妻として失格ですね」

「そうだな。だから、もう、心配かけないでくれ。それより、手は大丈夫か?」

「ハイ、全然、平気ですわ」

 そう言って、右手を見せた。確かに、かすり傷一つない。

さすが、アンドロイドだ。

強化された皮膚と強い腕力のおかげで、車を止めても傷一つなかった。

「もう、人騒がせしないでくれよ。これから一人で買い物に行ったときも、気をつけるんだぜ」

「わかりました。気をつけます」

 マリの悲しそうな表情が、俺の心を締め付ける。マリには、まだまだ人間と

しての自覚が足りない。

「それじゃ、帰ろうか。今夜は、大騒ぎだぞ」

 俺は、そう言って、しょんぼりしているマリの手を繋いだ。

マリは、手を繋がれて微笑んでいた。マリの笑顔は、世界一だ。

マリには笑顔が似合う。悲しい顔をさせてはいけないと、俺は思った。


 帰宅すると、じいちゃんが出迎えた。

「お帰り。アレ、買い物に行ったんじゃなかったのか?」

 何も持っていない俺たちを見て、じいちゃんは不思議そうだった。

「ちょっと、話がある」

 俺は、マリを残して、じいちゃんを地下室に連れて行った。

そこで、数分前の出来事を話して聞かせた。

「やっぱり、マリの良心回路は、不完全だったようじゃな」

 じいちゃんは、腕組みしながら考え込みながら言った。

「だがな、わしは、マリの良心回路を完全にはあえてしなかった。その分は、

お前が補うんじゃ。

マリに、人としての生き方を教えてやるんじゃ。今日は、いいことをしたな」

 そう言って褒めてくれた。だけど、褒められている気はしなかった。

「人間は、良心を持っている。しかし、悪い心も持っている。それが、

人間なんじゃ。完全に良心回路しか持っていない人間はいない。持っていると

したら、それは機械じゃ」

 じいちゃんが真面目な口調で話を続けた。

「わしは、マリに人間になって欲しかった。だから、良心回路を不完全のままにしたんじゃ。わかるな、ひろし。

お前がマリを人間にしてやるんじゃ」

「わかった。やってみるよ」

「よし、任せたぞ」

 そう言って、地下室を出て行こうとしたじいちゃんに声をかけた。

「それと、マリのこと、商店街の人たちにバレちゃったから、後で、いろいろ

持って来るらしいよ」

「なんじゃと!」

「結婚祝いらしいよ。今夜は、ご馳走だぜ」

「バカもん、それを先に言わんか」

 そう言うと、慌てて一階に戻っていった。

「マリ、商店街の連中にひろしのこと言ったのか?」

「ハイ、いけませんでしたか?」

「こりゃ、えらいことになるぞ」

「あの、すみませんでした」

「別に謝らんでもいい。いづれバレることじゃからな。それはいいんだが、

あいつらのことだから今夜は、大変なことになるに決まっとる。お前も覚悟しておくように」

 マリは、心配そうな顔をして、俯いてしまった。

「ひろし、お前もお前じゃ。付いていながら、まったく……」

「ごめん」

「まぁ、よいわ。今夜は、大騒ぎになるぞ。おっと、こうしちゃおれん」

 じいちゃんは、そう言うと、地下室にとって返した。

「あの、ひろしさん。私は、いけないことをしたんでしょうか?」

「俺もよくわからないけど、たぶん、そういうことじゃないかな」

「私は、どうすればよろしいんでしょうか?」

「なるようになるから、成り行きに任せておこうよ。俺も何とかするから」

 そう言うしかなかった。他に考えが思い付かない。マリも俺も、なぜか、

そわそわして落ち着かない。

そこに、大きな音がして玄関が開かれると、さっきの商店街の人たちが勝手に上がりこんできた。

 そして、それぞれが手にした豪華な料理がテーブル一杯に並んだ。

鯛の丸焼き、刺身の舟盛り、寿司、から揚げ、トンカツ、コロッケなど惣菜の数々、ステーキにビールにお酒など飲み物多数。

「ひろし、博士はどうした?」

 俺が口篭っていると、じいちゃんが地下室からゆっくり上がってきた。

「博士、おめでとう」

「ホントに、おめでとうございます」

「ほらほら、お嫁さんとお婿さんは、こっちに座って」

「今日の主役は、あんたたちなんだから、何にもしなくていいんだからね」

 何が何だかわからないうちに、俺たちは、並んで座った。

目の前には、ものすごいうまそうな料理が並んでいる

「それじゃ、ひろしくんとマリさんの結婚を祝って、乾杯」

「乾杯!」

 なぜか、おじさんたちは、勝手に盛り上がっている。

「食べて、食べて。おいしいから、どんどん食べなさい」

「博士も、一杯やってよ」

 ビールを注がれて、じいちゃんも気分がよくなってきた。

「それで、ひろしくんは、どこでマリさんと知り合ったの?」

 そんなこといきなり聞かれても、答えられる訳がない。

マリも、さっきから、どうしたらいいのかわからず困っている。

 しかし、そんなことはまるで関係なく、商店街のおじさんたちは、派手に

盛り上がっている。もう、俺たちのことは、忘れているらしい。

てゆーか、どうでもいいみたいだ。俺たちは、ただ笑っているだけだ。

 それからは、賑やかを通り越して騒がしいだけだった。

テーブル一杯に並んだ料理も、見る見るうちに減っていく。

俺たちは、食べる気力も失って、ただ呆然としているだけだった。

 マリは、おじさんたちにいろいろ聞かれて笑ったりしている。

そんな賑わいが、一時間ほど続いた。俺には、何時間にも感じたけど、

あっという間の出来事に思えた。

「ホントに、マリさんは、美人だよなぁ」

「ひろしくんが羨ましいよ」

「また、ウチの店にも来てくれよな」

「じゃんじゃんサービスするから」

 俺とマリを酒の肴にして、盛り上がりたいだけなのかもしれない。

だんだんそんな気がしてきた。たぶん、そうなのだろう。

「そういや、あの後、そこの信号のところで、犬を助けた若い女がいたらしいぞ」

「警察が来て、大騒ぎだったぜ」

「でも、誰が助けたのか、わかんなかったらしい」

「誰だったんだろうな。見てた人はたくさんいたのにな」

 俺は、ドキッとした。交差点で犬を助けて、車を片手で止めたのは、マリだ。

俺は、急いでマリを連れて逃げたけど、あの後、警察が来て、大騒ぎだった

のか。見られていないかと、冷や冷やものだ。背中にヘンな汗が流れた。

見ると、マリは、ずっと下を向いている。

 そして、ひとしきり盛り上がると、町会長のおじさんが言った。

「おい、そろそろお開きにするぞ」

「盛り上がるのは、これからだろう」

「バカヤロ。今日は、大事な夜だぞ。俺たちは、邪魔なんだよ」

「そう言うことか。そりゃ、気が付かなかった」

「それじゃ、お邪魔虫は、そろそろ消えますか」

 そう言うと、商店街の一団は、家から帰って行った。

まるで、嵐のようだ。そして、一気に静かになった。

「今のは、なんだったんだ……」

 俺が、呟くように言った。テーブルの上に並んだ料理もほとんど跡形も

なくなっていた。

「マリ、なんか、食べたか?」

「いえ、余り……」

「そうだよな」

 そう言うのがやっとだった。箸もまったく進んでない。

「わかったじゃろ。お前たちがしでかしたことが」

 なるほど、こう言うことだったのか。確かに大騒ぎだ。

初めて、俺たちのしでかしたことが実感できた。

「ごめんなさい。私のせいです」

 マリが、頭を下げる。もちろん、俺もだ。

「じいちゃん、ごめん」

「心配すんな。今日のことは、明日になれば、忘れてるじゃろ」

 そう言って、じいちゃんは、残った刺身を食べた。

「どういうことだよ」

「あいつらの飲み物にちょっと細工してやった」

 そう言うと、指で摘んだ小瓶をヒラヒラさせた。

これは、絶対、怪しい薬に違いない。なんなのか、すごく気になった。

でも、聞いてはいけない気がして、あえて聞かなかった。

「明日になれば、すっかり忘れてるから心配するな。マリのことは、わしの助手とでも言っておけ」

 そう言って、最後の寿司を口に入れた。

「お前たちも、食ったらどうじゃ。まだ、残ってるぞ」

 そう言われても、ほとんど残骸と化したものを食べる気にはならない。

「私は、いただきます」

 マリは、そう言って、箸を伸ばす。崩れたコロッケや形が崩れたから揚げなどを食べる。それを見て箸をつけることにした。確かに、うまいには違いないが

今の俺には、味もわからなかった。


 後片付けをマリと二人でやってから、交代で風呂に入ることにした。

マリは、相変わらず、背中を流しに来るが、俺は、頑なに断った。

 マリが風呂に入っているときに、じいちゃんが言った。

「いい加減、夫婦なんじゃから、風呂くらいいっしょに入ったらどうだ」

「そんなことできるわけないだろ」

「わしのことなら、気にせんでいい」

「じいちゃんが気にしなくても、俺が気にするんだよ」

「まったく、そんなことだから、いつまでたっても彼女が出来んのだ。

やっぱり、マリを作って正解だったな」

 それを言われると、何も返す言葉がない。

「そうそう、明日、アメリカに行くからな。見送りはいいぞ。お前が学校に

行ってる間に行くから」

「だって、明日は、金曜日じゃん。行くの土曜日じゃなかったのかよ」

「お前たちにしてやれることは、もうないからな。一日早く行くことにしたん

じゃ」

「どういうことだよ?」

 俺は、不思議に思って聞いてみた。

「交差点のことじゃよ。お前は、正しい判断をした。マリも反省した。もう、

言うことはない」

「だけどさ……」

「自信を持て。お前は、夫なんだぞ。マリをちゃんと支えてやらんでどうする。

ちゃんとした人間の女にしてやるのがお前の役目だろう。わしがいなくても、

お前ならできる。もちろん、マリもだ」

 そこに、マリが風呂から上がってきたので話は終わった。

「マリ、わしは、明日、アメリカに行くから、後のことは頼むぞ」

「ハイ、わかりました」

「ひろしと仲良くな。今日のように、勢いで動いてはいかんぞ」

「ハイ」

「何かあったら、連絡しなさい」

 そう言って、じいちゃんは、また、地下室に戻っていった。

俺たちは、差し向かいに座って、お茶を啜りながら、しばらく沈黙が続いた。

 今日は、嵐のような一日だった。思い出すと、頭が混乱してくる。

マリも同じような気持ちだったのだろう。いつものマリとは違って見えた。

「ひろしさん。私、今日のことは、すごく反省しました。だから、これからも

私が悪いことをしたら怒ってくださいね」

「マリなら、もう大丈夫だよ。俺は、信じてるから」

「ひろしさん……」

 マリは、そう言って、静かに涙を流した。マリの涙なんて見たくない。

俺は、黙ってテーブルにあったティッシュを渡した。

マリは、黙って、それで目元を拭った。

「だけどさ、明日から二人きりだぜ。じいちゃんが帰ってくるまで、がんばろうな」

「ハイ、私、がんばります」

「そんなにがんばらなくてもいいんだけどさ」

 そう言うと、マリは、少し笑ってくれた。

「それじゃ、今日は、疲れたから寝ようか」

 この一言を言うのが、どれだけ勇気がいったか。俺は、自分で自分を褒めた。

俺たちは、一階の電気を消して、二階の寝室に入った。

電気をつけると、買ったばかりの新品のダブルベッドかあった。

「今夜から、これで寝るのか……」

 俺は、なんとなく独り言のようにいった。

「広いから、ゆっくり寝られそうだな」

 俺は、背中を向け合って、パジャマに着替えた。

そして、俺は、壁際に寝ることにしてベッドに潜り込んだ。

マリは、静かに隣に入ってくる。俺たちは、向かい合って顔を見る。

「何だか、恥ずかしいですね」

「寝るだけなんだから、大丈夫だろ」

「そうだけど、ひろしさんと寝るのは、なんとなく……」

「別に何もしないから、安心して寝ろよ。今日は、疲れただろ」

 そう言うと、マリは、俺の胸に顔を埋めてきた。

ここで優しく抱き寄せればいいんだが、俺には、その勇気がまだない。

こんな事で夫婦なんて言えるのだろうか。そんなことをいろいろ考えていると

マリは、小さな寝息を立てて、静かに寝てしまった。

「マリでも、疲れるんだよな」

 俺は、独り言を言うと、マリの肩を優しく撫でた。

今の俺に出来ることは、その程度だった。

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