第十章②

日本岐阜県 各務ヶ原


クリコフとリチャードは自衛隊員に案内されて岐阜基地の一室に案内された。そこにはスナイプス大佐が待っていた。名古屋空港に着いたばかりのスナイプス大佐は国防総省のベッカム大佐からリチャード達の緊急事態を聞いて岐阜基地に駆けつけていたのだった。

「君達無事だったか!」スナイプス大佐が言った。

「何とか」リチャードは固定した腕をさすりながら言った。

「もしもの事があったらどうしようかと思っていたよ」

「陸上自衛隊の隊員に救われました。残念ながらアメリカ陸軍の部隊は殆ど死にました」クリコフが寂しそうに言った。

「そうか…。しかし、それはヘリの事故だ。気にするな。君達のせいじゃない」スナイプス大佐が言った。

「しかし、私が実験をしたいなどと我侭を言わなければ彼等が死ぬ事は無かったのに…」リチャードが言った。

「リチャード。このプロジェクトは君の為にやっているのではないんだ。これはアメリカ合衆国政府のプロジェクトだ。君達はしなければならない事をしているだけだ。気に病むな。わかったな」

「わかりました」

「それで、ここで実験は出来そうか?」

「はい、大丈夫です。ここに必要な部品が書き込んであります。これが揃えばすぐ始められます」リチャードはそう言うと大事そうに持っていたカバンの中からメモを取り出すとスナイプス大佐に渡した。スナイプス大佐はそのメモを眺めた。

「よし、すぐ揃える。マイクロ波通信装置は既に梱包して基地で待機している。すぐ輸送させよう。それと、君達の指示通り20tのナノクリスタル粉末も作っている。3日以内にはここに到着する筈だ」

「そうですか。通信装置が到着次第設置に行きます」リチャードが言った。

「君には無理だ。その腕でどうやって作業をすると言うんだ?スナイプス大佐、私が行きます」クリコフが言った。

「いや、その作業は私の部下がやる。あとは任せてくれ」スナイプス大佐がいった。

「えっ?!しかし…」リチャードとクリコフは異を唱えようとした。

「二人とも。よく聞いてくれ。私は何も君達をお払い箱にしようとは思っていないのだ。君達には大事な仕事がある。ここでオブザーバーとして私の補佐をしてくれ。それと部下への設置訓練に当たってもらいたい。現場だけが仕事場じゃないんだよ」

「それは、わかっています。ですが…」

「君達は十分すぎるほど働いた。危険な任務は軍人の仕事だ。死んだロバートソン大尉の為にも君達には無事でいてもらわないといかんのだ。彼等はその為に命を落としたんだから。わかってもらえるかな」スナイプス大佐は目を潤ませながら諭すように言った。

「大佐、ロバートソン大尉をご存知なのですか?」クリコフが尋ねた。

「ああ、私の妹の亭主だ。義理の弟だよ。子供も1人いる」スナイプス大佐は悲しそうに言った。

「そうだったんですか。なんと言ったらいいのか」リチャードが言った。

「軍人の宿命だよ。妹はそう思わないだろうがね」

「わかりました。弟さんの為にもここで大佐に協力させていただきます」

「ありがとう。間もなくここに私の部下が来る筈だ。ブリーフィングの準備をしてくれ。私は大統領への報告と輸送の手配をする」スナイプス大佐はそう言うと部屋をあとにした。


日本岐阜県 各務ヶ原


「さすがに疲れたわね」恵美子は装甲車から降りると地面に座り込んでいる藪野一士にむかって言った。かれこれ26時間ぶっ続けにおこなわれた掃討作戦及び救助作戦だった。ましてや自分たちの小隊は前衛として他の部隊よりも6時間以上前から任務についていたし、米軍ヘリの乗員救出までもこなしていたのだ。

「もうダメです」藪野一士はしんどそうに答えた。

「何、弱音はいているのよ。元気出しなさい。まだ24時間あるんだからね」恵美子は元気をつけるように言ったつもりだったが、おそらく文句にしか聞こえないだろうなと思った。

「一段落したら順番に歩哨にたって頂戴。松山三曹、段取りをお願いね」

「わかりました。それじゃ、最初に藪野、三桶おまえ達から歩哨に立て」

「えー!俺達からですか」藪野一士と三桶一士は声を揃えて苦情を言った。

「文句をいうな。3時間で交代させてやるから我慢しろ」

「絶対ですよ」

「ああ、わかってる。そのあとは島添士長と尾上士長、最後は俺と高橋士長だ。三桶寝るなよ」

「わかってますよ」三桶一士はうんざりするように言った。

「それと松山三曹、明日の0400時に爆破だから0200時までに出発準備させてね」恵美子は言った。

「わかりました」

「高橋士長、夕方まで装甲車の上で監視をお願い」恵美子は、そう言うと時計を見て、あと3時間くらいで暗くなるなと思い、高橋にはそれから休んでもらおうと考えていた。

「わかりました」高橋は、そう答えると装甲車の上にのぼり、レミントンのスコープ越しに周りを見回した。

今日も大変な一日だったと高橋は思った。痛む右腕を見てみるとまた出血していた。縫ったところがまた裂けたかもしれない。しかし、高橋はあまりに疲れているため、もうどうでもいいと思った。恵美子には強がりを言ったが、クリコフ大尉とたった二人であのビルの屋上にいたときはもうダメかと思った。民間人の救助作戦の時も何度も危ない目にあった。

今回の掃討作戦では、第2小隊が2名やられてしまった。救助作業中にドアを開けた所、突然4人のユニットが飛び出してきて襲われたのだ。疲労からくる不注意かもしれないと高橋は思った。しかし、休んでいる時ではないのだ。遅くなればなるほど生存者が少なくなっていく。今日でも中隊全体で300人ほどしか救出できなかった。前回よりかなり少ない。どちらかといえば今回の方が生存の可能性が高そうだったのにだ。もう残された時間があまりないのだ。クリコフ大尉たちの実験が上手くいけば少なからず救助できる人たちは増えるだろうが、果たして間に合うかどうかは疑問だった。

しかし、もう暫らくの辛抱だと思った。こんな事はいつまでも続かない筈だ。そう思わないとやっていられない。高橋は、夕焼けの赤い光を浴びている本部の周りを見渡しながらそう思った。


「ねえ、さっきはごめんなさいね」美里は急に話し出した。

直子は、美里に突然話し掛けられたので驚いてイスから飛び上がりそうになった。

「美里さん、気がついたんですね」直子はそう言うと、また暴れださないだろうかと警戒しながら美里を見つめた。

「もう大丈夫よ、直子さん。もう、あんなバカな真似しないから」美里は優しい口調で言った

「よかった。いろいろ思い出したんですか?」直子はホッとしたように言った。そして

笑顔がどんどん広がっていくのが自分でもわかった。看病した甲斐があったのだ。

「ええ、まあ」

「よかった、高橋さんも喜ぶと思います」

「ねえ、悪いんだけど、おなかがすいたわ。何か食べる物もらえないかしら」

「そうですね。すっと点滴だけで何も食べてないですもんね」

「私、ずっと眠っていたの?どれくらい?」

「10日間くらいかしら。それじゃ食堂に行って何か貰ってきますね。ここにいてくださいよ」

「わかってるわ。何処へも行かないから安心して。お願いね」美里は笑顔で言った。

しかし、直子が病室から出るとその笑顔も無くなり、おもむろに起きあがると服を探し始めた。美里は今の直子という女の子も、高橋という人もまったく心当たりが無かった。ただ強烈に頭が痛く、めまいもしている。頭の中に靄がかかっているような感じだった。

とにかく美里は家に帰りたかった。この周りでは、何かは分らないがとても嫌な事が起こっているようだ。早く家に帰って、両親や弟、妹に会いたかった。家族の事が心配なのだ。みんな大丈夫だろうか?美里の頭の中にはその事しかなかった。

前に目を覚ました時は、ただ家族が心配で家に帰りたいだけなのに、みんなして私の邪魔をした。私はもう大丈夫なのだから誰にも止めてもらいたくなかった。

しかし、無理に行こうとすると、あの人たちは注射を打って私を動けないようにする。だから、今回は大人しくしてごまかしてやった。いい気味だ。これで今回は私を邪魔する事は出来ないだろう。彼女が食事を取りに行っているスキに逃げ出さないといけない。“何処なんだろう?私の服は…。”

美里はベッドの下に服を見つけた。彼女は急いで着替えて一緒に置いてあった靴を履きながら思った。“早い所ここから抜け出そう。みんなが来ないうちに…。”


「美里さん、こんな物しかなかったんですけど…」直子はそこまで言うとあまりの驚きで持っていた食事用トレーを下に落としてしまった。ベッドはもぬけの殻なのだ。“美里さんがいない?!”直子は一瞬部屋を間違えたのかと思った。しかし、一番奥の部屋なのに間違える訳が無かった。“それじゃ美里さんは何処に?!”

「美里さん!美里さん!」直子は大きな声で病室中に聞こえるように叫んだ。ベッドの下もさがした。直子は焦った。“どうしよう?!”

あまりにも直子の声が大きかったので他の患者は飛び起きてキョロキョロと声の主を探した。

「すみません。ここにいた人知りませんか?」直子は起きている人みんなに聞いた。

暫らくすると一つ置いたベッドで寝ていた年配の女性が起き上がると直子の方に向いた。

「さっき、服を着て出て行ったよ。ついさっきだけどね」その女性はは直子にそう言った。

直子は急いで廊下に飛び出し美里が行ったと思われる方向に走っていった。

「美里さん!美里さん!」直子は病院中に聞こえるかと思うくらいの大声で叫んだ。階段まで行くと、その角にあったナースステーションから騒ぎを聞きつけて2人の看護婦が顔を覗かせた。

「直子さん、どうしました?」一人の顔見知りの看護婦が尋ねた。

「美里さんがいなくなったんです」直子は泣きそうな声で言った

「えっ、大変!みんなに言って探してもらうわ」

「お願いします」直子そう言うと、病院中のトイレから物置まで可能性のあるところは徹底的に探した。


“何処から出るのかしら?“そう思いながら美里は建物の裏口から外に出ると、あちこち歩き回り今度は病院の敷地から外に出るところを探した。しかし、病院の敷地の周りは有刺鉄線で張り巡らされており、どう見ても出られそうに無かった。ましてや正面の門は兵隊さんが居座っているのでそう簡単にはいかないだろう。しかし、出られる可能性のあるところはそこしか無い。美里はもしかしたらチャンスが有るかもしれないと思い正面玄関にむかう事にした。

彼女は暫らくの間、正面玄関前の木立の陰に身をかがめていた。しばらく眺めていると正面の道路にウインカーを出しているバスを見つけた。あれは多分この病院に入ってくるのだろう。もしそうなら門が開くのでチャンスを見て抜け出そう。暗いから兵隊さんにはわからない筈だと思った。


案の定、バスは病院に入ってきた。門が開くと、まるでそこに突如として大きな壁が出来たように歩哨の視線を遮った。美里は“今だ!”と思い、ダッシュしてバスと門の間をすり抜けていった。そして、道路に止まっている車の中で動きそうな奴に目をつけ、中に乗り込んだ。

彼女は、その車にイグニッションキーが付いたままになっている事にホッとした。美里は果たして動くのだろうかと不安に思ったが、思い切ってそれをまわした。エンジンは掛かった。うまい事にガソリンもまだ入っていた。ただミッションだったので、最近乗っていないから少し不安だったが、クラッチを踏み込みギアをローに入れると、アクセルを吹かしながらクラッチを徐々に繋いでいった。一瞬エンストしそうになったが何とか前に動かす事が出来た。こうなればもう大丈夫だ。美里は一目散に岐阜市内に向かって走っていった。

石川三曹は道路際に放置されている車のエンジンが突然掛かったのを見て驚いた。目を凝らし確認するとその車に女性が乗っているのが見えたので大声で怒鳴った。「おい、何をしている!何処へ行く気だ?!チョッと待て!」石川は急いで車に駆け寄った。しかし、車のドアに手が掛かったと思った瞬間、その車は走り去っていった。石川三曹は急いで同僚に本部へ連絡するように言った。


「まさか!」直子は恐ろしい予感が当たらないようにと祈った。“もしかして、外に?でも兵隊さんがいるからそんな訳が…”そう思いながら急いで建物から飛び出し、門のところにいる自衛隊員に近寄った。

「すみません。女の人が出て行きませんでしたか?」慌てて尋ねた。

「今そこにあった車に女性が乗って市内の方に走って行った。止めようとしたが間に合わなかった。今本部に連絡している所だ」石川三曹が言った。

“どうしよう、きっとそれだ。美里さんは外に出て行ってしまった。それしか考えられない。病院内にはいないのだから…”直子は焦った。高橋さんにしらせないと。直子は高橋が言っていた事を思い出した。“そうだ病院の隣に本部があるって言っていたわ”直子は突然、小隊本部に行く為に門を開けようとした。

「ダメだ。外出は禁止だ!」石川三曹は直子のする事を見て驚いて怒鳴った。

「お願いします。どうしても隣の本部に行かないといけないんです。高橋士長に会わないと…」直子は泣きそうで、声も出なかったが搾り出すように懇願した。

石川三曹はその必死な訴えと、小隊本部の高橋士長という言葉を聞いて悩んだ。高橋士長の事は知っている。いつもこの病院に来ているからだ。小隊本部はすぐ隣だから一応行ってみようかと思った。「しかたない」と呟くと警備室の同僚に向かって言った。「おい、隣の普通科の小隊本部へ行ってくるからあとは頼むぞ。本部から連絡があったらそう言っておいてくれ。それじゃ君、一緒に来て」そう言うと直子を連れて小隊本部がある隣の空き地に向かった。

「ありがとうございます」直子はそう言うと石川三曹について行った。


「人ずかい荒すぎだよな」三桶一士が言った。

「ああ、まったくだ。このままじゃ、こっちが死んじまう」藪野一士はそう言うと、病院の方角から誰かが近づいてくるのを見つけた。

「だれだ!」藪野一士は銃を構えて叫んだ。

「警務隊の石川三曹だ。病院から来た」近づきながらそう名乗り、三桶一士が当てる眩しいライトの光を手で遮った。

「警務隊?何の用でしょうか?」三桶一士は部隊章を確認すると銃を下ろし、そう尋ねた。

「高橋士長に、この人が急用らしいんだ。連れて行ってやってくれないか?」石川三曹は後ろにいた直子を前に引っ張り出しそう言った。

「高橋士長に?わかりました。一緒に来てください」三桶一士はそう言うと直子を連れて分隊のいる所にむかった。


恵美子は小隊本部の方からヘッドライトを照らしながら73式小型トラックが近づいてくるのを眺めていた。恐らく小隊長の巡回だろう。

「岩田二曹、どうだ?」宮田三尉が車から降りながら言った。

「はい、小隊長。歩哨に2人立てております。それと装甲車の上に高橋士長が警戒にあたっております」

「そうか、もう暗くなったから高橋はいいだろう。彼のレミントンには暗視装置は付いていないからな」

「はい、ここに来てからずっと警戒に当たっていますので休憩させます」

「そうしてやってくれ。彼は、今日も大活躍だったからな」宮田三尉はそう言うとご機嫌そうに笑った。

「そうですね。そうします」

「明日の前衛監視は第1分隊と君の分隊でやってくれないか」

「はい、わかりました。0200時には出発出来るように準備しております」

「ご苦労だが頼む」宮田三尉はそう言うと、あたりを見回り始めた。

恵美子は宮田に言われた通り高橋に休憩をとらせようと思い装甲車に向かって歩いて行った。

「高橋士長、ご苦労さま。もういいわよ。降りてらっしゃい」

「わかりました。助かりました、もうすぐで眠ってしまいそうでした」

「高橋士長、装甲車の中で少し休みなさい。さっき小隊長がまた誉めてたわよ」恵美子が笑顔で言った。

「大した事ないですよ。それより分隊長の方こそ休んでくださいね。ずっと働きずめじゃないですか。体壊しますよ」そう言いながら高橋は装甲車から降りて、持っていたレミントンを立て掛けた。

「ありがとう。でもまだ大丈夫よ」恵美子はそう言って振り返ると警戒線の方から三桶一士が来るのが見えた。

「三桶一士、持ち場を離れてどうしたの?」恵美子は三桶が誰かを連れて来ているのに気付き不思議に思い尋ねた。

「分隊長、高橋士長に女性が面会です。何か大変みたいですよ。泣いているんです」三桶一士は困惑しながら言った。

恵美子はその女性が直子だと気付くと、これはただ事ではないと思い高橋に向かって言った。「高橋士長、直子さんが来たわ。行ってあげなさい」

「はい」と言うと高橋は嫌な予感がしたので走って近寄った。恵美子もその後ろについていった。

「直子さんどうした?こんなところに来て。美里さんに何かあったの?」高橋は直子の様子が普通ではないので美里に何かあったのかもしれないと感じた。

「ごめんなさい」直子は泣きながら言った。

「泣いていちゃわからないよ。どうしたの?」

「美里さんがいなくなっちゃったんです」

高橋は、直子の言葉を聞いて、一瞬意味がわからなかった。“いなくなった?”

「どうして?美里さん気が付いたの?」

「美里さんが目を覚ましたとき普通だったんです。記憶も戻ったって。それでおなかがすいたって言うから私、食事をとりに行っていたら、そのすきに…」直子はそこまで言うと声が出なくなった。

「何処に行ったかわからないの?誰も見てないの?」

「門の兵隊さんに聞いたら車で市内に向かったって…」

その言葉を聞いて高橋は背筋に寒気を覚えた。“市内に一人で?何故そんな事に?そんなの絶対ダメだ。美里さんがやられる。”そう考えると高橋は足が震え出しそうになった。

「車で市内に?」高橋はそう呟きながら美里が行きそうな所を考えた。「実家だ!岐阜市茜部だった。急がないと。今日爆薬を仕掛けたあたりだ」高橋は言った。“早く助けに行かないと。先輩と約束したんだ。死なせるわけにはいかない“そう思った。高橋は振り返り恵美子の顔をじっと見た。

「恵美子!悪いけど行かせて貰うよ。どうしても行かないといけないんだ」

「ダメよ!危険だわ、一人で行くなんて。ましてや、明日の朝には爆破されるのよ!」

「わかっているよ。でも行かないといけないんだ。どんな事をしても彼女を守らないと!ゴメンな!」高橋はそう言うと恵美子が腕をつかんで止めようとするのを無視して自動小銃を肩に担いだ。それを見て直子が高橋の前に近づいた。

「私も行きます!」

「ダメだ!必ず連れて帰るから待っていてくれ。いいね」高橋は直子にそう言った。

「恵美子、直子さんを頼む」高橋はそう言うと恵美子の腕を振り切って走り去って行った。

「秀人!」恵美子が叫んだ。いくら銃を持っているとはいえ一人で行くなんてむちゃだ。このままでは彼女だけでなく高橋までやられてしまう。恵美子は高橋の走り去っていくうしろ姿を見て居ても立ってもいられなくなった。

「松山三曹、彼女をお願い。あとは頼むわね!」恵美子は松山三曹に向かってそう叫ぶと小隊長のところに走っていった。

「隊長、必ず帰ってきてくださいよ!」松山三曹は恵美子のうしろ姿にそう叫んだ。

恵美子は小隊長の車を目印に全速力で走った。そして、宮田三尉を見つけると駆け寄った。

「小隊長!」恵美子は息を切らしながら言った。

「どうした?そんなに慌てて」宮田三尉は驚いて尋ねた。いったい何があったのかと思った。

「高橋士長が今日爆薬を仕掛けた市内に向かってしまったんです。入院していた人が病院から抜け出して、車で市内に行ってしまったんです。高橋士長はそれを追いかけて…」

「何てことを…。むちゃだ!危険すぎる!」

「小隊長!自分も行かせてください!お願いします!」恵美子は頼んだ。

「バカもん!そんな事が許可できるか!」宮田三尉は怒鳴った

「お願いします!」恵美子は頭を深々と下げて言った。

「ダメだ!絶対ダメだ!」

恵美子は頭を下げながらどうしようかと思った。どう考えても許可が出るわけが無い。今は非常事態下だ。もし命令無視をしたら営倉どころでは済まないだろう。しかし、恵美子は気持ちを決めた。“好きな人も救えなくて、他の人が救えるもんか!”

「すいません、小隊長」恵美子はそう言うと、くるっと踵を返して走り出した。

「おい、こら!任務放棄だぞ!くそっ!岩田、走っていく気か?!俺のジープに乗って行け!」宮田三尉はそう言いながら恵美子を止めるには撃ち殺さない限り無理だと悟った。

恵美子は宮田の言葉に耳を疑った。「小隊長?」そして立ち止まって振り返った。

「嶽三曹、岩田二曹に俺の車を貸してやれ」宮田三尉が言った。運転手係りの嶽三曹はその命令にビックリしたが、言われた通り恵美子に小隊長車のキーを渡した。

「ありがとうございます」恵美子はそのキーを受け取ると頭を下げた。

「いいか岩田、爆破までには必ず帰って来るんだぞ。約束だからな。くそったれ!これも持っていけ!少しは役に立つだろう」宮田三尉はそう言うと、手にもっていたショットガンを恵美子に放り投げた。恵美子はショットガンを受け取ると宮田の顔を見た。

「はい、必ずお返しに上がります」恵美子は目を潤ませながら笑顔でいった。

「当たり前だ。死ぬなよ」

「はい、わかりました」恵美子はそう言う宮田に最敬礼をしてから急いでジープに乗り込み高橋を追いかけた。

「無事に帰ってこいよ。岩田、高橋」宮田三尉は走り去って行くジープを見つめてそう呟いた。


高橋は走っていた。とりあえず動きそうな車を探しながらだった。しかし、まともな車は、なかなか無かった。「ちくしょう、こんな時に限って」そう呟きながら走った。暫らくすると後ろから車のヘッドライトが近づいてきた。その車は高橋の真横にくると突然スピードを落として窓を開けた。

「秀人、乗りなさい」恵美子が叫んだ。

「恵美子?何やっているんだ?!」高橋は恵美子の声を聞いて驚いた。

「私も行くわ」

「何言っているんだ!君には任務があるじゃないか」

「うるさいわね。あなただって一緒でしょ?つべこべ言わないで早く乗りなさい。走っていく気?」

「何でもいいから、君は帰れ!俺なんかに付き合っていちゃダメだ!懲罰になるぞ!」高橋は走るのをやめ運転席の窓枠に手をおき怒鳴った。

「いいから乗って!間に合わなくてもいいの?」

高橋は、このままではラチがあかないので、やむおえず車に乗り込んだ。そして、とにかく恵美子を説得しようと思った。最悪、彼女を車から放り出すつもりだった。

「なあ恵美子、頼むから帰ってくれ。君には関係ない事だ。巻き込むわけにはいかない。これは俺と美里さんの問題なんだ。先輩と約束したんだよ。美里さんを必ず守るって。とにかく、危ないんだ。死ぬかもしれないんだぞ!」

「だからよ!そうさせないために来たんじゃない!人の気も知らないで!バカ!」恵美子が怒鳴った。高橋はその気迫にたじろいだ。

「相変わらず頑固だな」高橋は諦めて言った。

「お互いさまでしょ。小隊長がこれくれたわ」恵美子はそう言いながら宮田がくれたショットガンを高橋に渡して車をスタートさせた。

「小隊長が許可したのか?」不思議に思いながら高橋はそう言うと、手渡された米国仕様のショットガンを眺めた。レミントンM1100 自動装填式、12ゲージ、エクステンションマガジンチューブ装着、7連発のショットガンだ。銃杷には予備の弾が7個付いたベルトも巻かれていた。弾はダブルオー(00番)のバックショット(鹿うち用)だった。一発に直径8ミリの鉛弾が9個入っている。これが当たれば奴らだってイチコロだろう。

「当たり前でしょ。小隊長車を盗んできたと思ったの?」恵美子は笑顔でそう言うと続けた。「ねえ、場所どこか知っているの?」

「大体は聞いた事がある。21号線をまっすぐ行って市内に入る道を右に。角にガストがあるはずだけど…」

「爆破まで6時間しかないわ。急ぎましょう」恵美子はそう言うと車のスピードを上げた。


宮田三尉は岩田二曹をやむなく送り出したあと本部テントで基地直通電話と数分間にらめっこをしていた。彼は後悔と自責の念に苛まれていたのだ。やはり岩田二曹を行かせるべきではなかった。拘束して営倉に放り込んででも止めるべきだった。このままでは高橋士長だけでなく分隊指揮官まで失う可能性があるのだ。宮田は意を決して受話器を取った。

「第1小隊の宮田三尉です。中隊長をお願いします」宮田は交換手に言った。暫らくすると大野中隊長が電話に出た。

「宮田三尉、どうした?何かあったのか?」大野が言った。

「実は高橋士長と岩田二曹が2人だけで岐阜市に向かいました。今日、爆薬を仕掛けた所です」

「何だって?!どうしてたった2人でそんなところに行ったんだ?」大野が慌てて尋ねた。宮田はかいつまんでさっき起こった出来事を話した。

「それで、君は岩田が出て行くのを許可したのか?!」

「はい、申しわけありません」

「何て事だ!」

「中隊長、お願いがあります」

「何だ!」大野の言葉には怒りがこもっていた。

「ヘリを1機貸して頂けませんでしょうか?」

「何だと?!君は部下に勝手な真似をさせておいて、今度はヘリまで貸せと言うのか?!」

「はい。中隊長がおっしゃる通り、自分は部下の管理も統率も出来ておりません。小隊長としては失格です。自分の不手際に関してはどんな懲罰も覚悟しております。営倉だろうが二等陸士に降格だろうが構いません。しかし、今は何としても大事な部下を助けたいのです。自分は今まで中隊長にお願いなどした事はありません。これが最初で最後です。お願いします」

「ダメだと言ったらどうする?」

「除隊願いを置いて自分ひとりで行きます」

「脅しているつもりか?」

「とんでもありません。自分の責任を果たそうとしているだけです」

「君の責任は第1小隊全体だ!」

「部下一人の命も守れなくて小隊全体など守れるとは思いません」宮田はキッパリと言い切った。暫らく電話の向こうで静寂が続いた。

「宮田三尉。30分でそっちにヘリを行かせる。小隊から志願者数名集めておけ」

「中隊長、ありがとうございます」

「宮田三尉。言っておくが君に脅されてヘリを出すわけじゃないぞ。そもそも、高橋士長を無理やり引っ張り込んで第1小隊に預けたのはこの俺だ。高橋にも悪い事をしたと思っているんだ。助けないでどうする。それに、腕のいい射撃手と優秀な指揮官を同時に失うわけにはいかんからな。下手をするともう一人、大事な指揮官をなくす事になる」

「中隊長…」

「いいか、宮田三尉。これは通常任務ではない。くどいようだが志願者だけで行くんだ。すぐ出発できるようにしておけ」

「はい、わかりました」宮田三尉はそう言うと受話器を置いた。彼は急いで本部テントから飛び出すと第2分隊のところに向かった。第2分隊の隊員達は装甲車のところで集まっていた。彼等は宮田三尉が近づくとバツが悪そうに全員が立ち上がった

「おい、松山三曹。岩田二曹と高橋士長を連れ戻しにいく。自分勝手なことをした奴等を迎えに行くんだ。君達に無理強いはしない。おまけに危険な任務だ。それでも志願する馬鹿なやつはいるか?」

「自分が行きます」松山三曹が一歩前に出て言った。

「自分もです」三桶一士と藪野一士も前に出た。更に島添、尾上も志願した。それを見て松山三曹は笑みを浮かべた。

「第2分隊全員志願します」松山三曹が大声で言った。

「第2分隊は大バカ野郎ばかりだな」宮田三尉が笑みを浮かべながら言った。

「はい、小隊長!」松山三曹はそう言うと敬礼した。

「よし、すぐ準備するんだ。もうじきヘリが来る。急げ!」宮田がそう言うと第2分隊の全員がてきぱきと準備を始めた。宮田三尉はマガジンポーチに予備弾倉を入れている松山三曹の所に近づくと話し掛けた。

「松山三曹。みんな集まって何の相談をしていたんだ?」宮田三尉が尋ねた。

「えっ?別に何も…」松山三曹は口篭もりながら言った。

「怒らないから本当の事を言ってみろ」

「本当ですか?実は自分達だけで2人を助けに行こうと…」

「装甲車を奪ってか?」

「いいえ、とんでもないです。自分達はまだそこまで考えていませんでしたが…。多分…」松山三曹は言った。

「どうせそんな事だろうと思ったよ」

「小隊長、二人を逮捕しに行くわけじゃないんですよね?」松山三曹が心配そうに尋ねた。

「もちろんだ。だからこれは極秘任務になっている。公にすると二人を逮捕しなくちゃいけないからな」

「それなら良かった。ところで、小隊長がヘリを頼んでくださったんですか?」松山三曹が尋ねた。

「考えている事はお前達と一緒さ」宮田は笑みを浮かべながらそう言った。暫らくするとUH-60ブラックホークがやってきた。全員が即席ヘリポートのところで出発準備を終了していた。ヘリが着陸すると中から大野一尉が現われた。

「準備は出来ているか?」

「中隊長?!中隊長も行かれるんですか?」宮田三尉が驚いて言った。

「俺が行かんでどうする?!」大野一尉はそう言うと出発準備していた隊員達の顔ぶれを見て続けた。「やっぱり第2分隊が参加か?」

「当然です」松山三曹が言った。

「全員が志願しました」宮田三尉が言った。

「そうだろうと思ったよ。とっとと乗れ!問題児共!」

「はい!」全員そう言ってヘリに乗り込んだ。


「何処なの?」恵美子がイラついて言った。

かれこれ15分ぐらいこの辺りを回っている。ユニットが増えつつあった。最初は避けていたが今ではそれも不可能だ。恵美子は奴らをはね飛ばしながら進んでいた。73式小型トラック、パジェロはそこそこ馬力が有るからいいものの、美里が乗っていたのは軽自動車だったらしいので心配であった。

高橋自身も美里の実家になど行ったことがあるわけではなく、何度か話に出たときに大体の位置を掴んでいただけだった。恐らくこれだけ奴らの数が多くては美里も家まで到着したとしても車から外には出ることは出来まい。仮に出たとすると既にやられているだろう。高橋はそう思うと焦った。

「この辺りの筈だけど」高橋は記憶を呼び起こしながら言った。高橋は必死だった。この辺りは今日掃討した筈なのに異様に多かった。もしかしたら、美里が来た為に奴らが集まってきたのだろうか。

すでに、二十数回の方向転換をしたとき、恵美子はかすかにクラクションの音が聞こえたような気がした。

「ねえ、クラクションの音がしない?」恵美子は自信なさそうに尋ねた。

高橋は助手席の窓を開けると耳をすまして聞き取ろうとした。

「あぁ、右の方だ」高橋はそう言うと指を差した。

恵美子も段々クラクションらしき音が大きくなるので、これは間違いないと確信した。音のする方向に車を進めると大きなビルがあり、それを曲がった途端甲高い音が響いてきた。“こいつらはクラクションの音に引き寄せられているのかもしれない”と恵美子は思った。

「このあたりよ」恵美子は言った。

高橋も間違いないと思った。彼は89式自動小銃の安全装置を外し、単発をセレクトした。

高橋は少し先に奴らが集まっている所を指差した。

「あそこだ」

車らしきものは見えるが奴らが集っているのでシルエットしかわからない。やつらを避けるためにハンドルを切り損ねて止まっていた車にぶつかったのだろう。

恵美子はスピードを上げその集団に向かって車を走らせた。かなりの人数をはね飛ばしながら車を進ませたが、集団から15メートルほどのところでこれ以上行く事はできなくなった。

高橋は窓を開け近い奴から順に射撃をし始めた。恵美子もそれにならった。

「気をつけろ!後ろを頼む」高橋はそう叫んだ。

自分たちの後ろからも集まってきているのだ。前を見ると奴らは美里の車を揺すっているだけのようだ。これならまだ美里は無事かもしれない。奴らは死んだ人間を相手にしないからだ。もし、死んでいたあんなに集まってはいない。恐らく気を失っているだけだろうと思い高橋は少しホッとした。

「くそっ、何でこんなに多いの?!今日やっつけたばっかりなのに!」恵美子は怒鳴った。

高橋はパジェロの近くはやっつけたのでドアを開けて射界を広くとる事にした。彼は車から外に出ると動きやすくなり射撃が楽になった。恵美子は「気をつけて!」と注意すると彼女自分も車から外に出て射撃を再開した。

高橋は前方と左側面、恵美子は後方と右側面を担当して射撃をしていた。しかし、一向にはかどらなかった。

「これじゃ、近づけない」高橋は悔しそうに言った。もうかなりの人数を倒しているのになかなか減っていかなかった。どんどん集まってきているのだろう。高橋はすでに3回もマガジンを交換していて、今使っているのが最後のマガジンだった。

恵美子も同じで後ろから近づいてくる奴らを次々と撃ち倒していた。高橋は最後のマガジンを撃ち付くし恵美子の方に回り込んだ。

「弾をくれ」高橋は恵美子に言った。

恵美子は頷きマガジンポーチから一つ取り出すと「これで最後よ」と言い放った。

高橋と恵美子は背中をピッタリ合わせてお互い射撃を続けた。

「ダメよ、後ろからもたくさん来たわ」

高橋は恵美子の言葉を聞いて周りの様子をうかがった。これではとても持ちこたえられそうに思えなかった。しかし、美里を見捨てて逃げる事は出来ない。先輩と約束したのだから。だが、関係のない恵美子を道連れにするわけにはいかなかった。高橋は決心した。

「恵美子、帰れ!今ならまだ間に合う!急ぐんだ!」高橋はそう言いながら恵美子を車の中に無理やり押し込んだ。

「嫌よ!あなたを置いていけないわ!」

高橋は強引に車のドアを閉めた。そして、恵美子が車から出ないように体重をドアにかけながら後方の奴らを撃ち倒して車が通れるようにスペースを作ってやった。

「いいから車を出すんだ!じゃないと君までやられる!」

恵美子は高橋の言葉を聞いているうちに、彼が何を考えているかを理解した。

「あなた死ぬ気ね!嫌よそんなの!絶対イヤ!」恵美子は叫んだ。彼女は必死で車のドアを開けようとしているのだが、高橋が恐ろしい力で抑え込んでいるので一向に開かなかった。高橋も一人で防戦するのが限界に近くなった。

「お願い、私も残るわ。だから出して!」恵美子は哀願した。

高橋は窓から顔を入れると恵美子の頬にキスをした。

「頼むよ、俺の分まで生きてくれ。好きだったよ、恵美子」高橋はそう言うとショットガンを車から引っ張り出した。

「これ貰うよ。さよなら」高橋は、恵美子の瞳を見つめながら笑顔でそう言うと、美里の車の方に走っていた。恵美子は一瞬呆然とした。

「秀人!」恵美子は手を伸ばしながら彼を呼んだ。涙が溢れてよく見えなくなっていた。

恵美子は高橋を追って外に出ようとした。しかし、ドアのすぐそこまで奴らが近づいて来ておりとても外に出ることは出来なかった。それどころか開いた窓からユニットが身を乗り出してきた。恵美子は肘でそいつの顔面を打ち付けると急いで窓を閉めた。

「ちくしょう!」恵美子はそう叫ぶとハンドルを殴りつけた。彼女には、なす術はなかったのだ。パジェロにもユニットが襲いかかってきた。よってたかって窓ガラスを割ろうとした。彼女は、やむおえずギアをバックに入れアクセルを思いっきり踏み込んだ。パジェロは真後ろにいた奴らを次々と跳ね飛ばしながら下がっていった。恵美子の目はまったく見えていなかった。溢れ出る涙で…。


高橋は近いづいてくるユニットを次々とライフルの銃床で殴り倒した。彼は、とにかく美里の車まで行こうと思った。さっきまでの射撃である程度の奴らを引き付けることが出来た。美里の車には、あと10人程いるだけなので、そこまで行けば何とかなると確信していた。後ろで恵美子の車が動き出したのを確認すると少しホッとした。恵美子まで死なせるわけにはいかなのだ。


高橋は美里の車に集っている奴を89式自動小銃で次々と倒して行った。10発ほどでライフルの弾が無くなったので、それを捨てて今度はショットガンに持ち替えた。高橋は初弾を薬室に入れると銃床を肩につけて一発撃ちこんだ。それで2、3人一度に倒す事が出来た。これで車にたかっていた奴らはあらかたやっつけたので、高橋は急いで車に駆け寄った。

美里の車はフロント部分が完全に破損しており再び動くとは思えなかった。高橋は、これで美里が死ななかったのは奇跡だと思った。彼は一度振り返って後方にショットガンを撃ち込もうとした。真後ろに一人いたのは驚いたが、引き金を引いた途端、そいつの頭が粉々に砕け散った。続けざまにもう2発撃つと車のドアを開けようとした。しかし、ドアにはカギが掛かっている為あけることが出来なかった。高橋は仕方が無いので銃床で窓を割りロックを外してドアを開けた。

車内では、美里がシートベルトをしたままハンドルにうつ伏せた形で気を失っていた。その重さでクラクションがなり続けていたのだった。彼女はシートベルトをしていたので助かったのだ。

高橋は再び後ろを振り返ると続けざまに数発発射した。そして銃をひっくり返すとマガジンチューブに予備弾薬7発を入れた。彼は再びショットガンを構えると近づいてくる奴らに向けて2発撃った。これで暫らくは大丈夫そうだった。高橋は急いでシートベルトを外すと美里を肩に担いで走り出した。

高橋は、このままではマズイと思い、どこかに隠れる所が無いか見渡した。すると15メートルほど先に倉庫のようなものがありドアも少し開いていたので、そこに逃げ込むことにした。

高橋は倉庫の前にいる奴らを連射してやっつけるとショットガンの弾が無くなった。

「くそっ、弾切れだ」そう言い放つとショットガンを投げ捨てた。そして、ベルトから9ミリ拳銃を取り出すと近くの奴を次々に頭を狙って撃ちこんだ。弾がなくなると新しいマガジンに替えてまた撃った。

高橋は何とか建物までたどり着くとドアを開けようとした。しかし、ドアは錆び付いており簡単には開きそうに無かった。高橋は美里を担いでいる上、拳銃を持ったままでは難しいと思ったので拳銃をベルトに押し込み右手を自由にした。そして、力任せにドアを開けると急いで中に入った。彼は振り返りざまにランドールサバイバルナイフを鞘から抜くと一緒に中へ入ってこようとした奴の胸に突き立てた。拳銃の残弾に不安があったからだった。彼はそいつの動きが止まったのを見計らって蹴りを入れ突き放すと身体全体を使って強引にドアを閉めた。中にも一人いたので同じくナイフで倒してから鞘に戻した。“先輩の形見のナイフは大活躍だよ”高橋は心の中で呟いた。彼は近くにあった角材でドアが開かないようにガッチリ固定した。

「ふぅ、これで暫らく大丈夫だ」高橋はそう呟いた。そして、倉庫の奥まで行くと美里を下におろし、高橋も彼女のそばに腰を下ろした。

外では、物凄い数の奴らがいるらしく、入り口だろうが壁だろうがお構いなしに、叩いき破って中に入ろうとしている。

ここは、さすがに以前たてこもっていたマンションに比べるとあまりにも貧弱でもろかった。これではどう考えても長時間持ちこたえられるとは思えなかった。どちらにしてもあと4時間ほどで、この辺りは木っ端微塵に破壊されるだろう。大した違いは無いと高橋は思った。ましてや拳銃1丁で予備マガジンも無いとなっては、とてもここから脱出する事は不可能だった。

高橋はため息を一つつくと腹をくくった。ただ、気がかりだったのは恵美子が無事逃げきる事が出来たのかどうかだった。“恵美子、無事でいてくれよ”と心の中で呟いた。

高橋は横になっている美里の具合を見た。頭から出血していたがそれほど多いとは思えなかった。そんなに大したケガではないのだろう。高橋は少し安心し彼女の額についている血液を拭い取ると今度はボサボサになっていた髪をなでて整えてやった。美里はまったく化粧をしていないのに倉庫の暗がりの中、天窓から射す月明かりに映えとてもきれいだった。色が白く頬はピンクになっていた。高橋は暫らくの間、美里の顔をじっと眺めた。


恵美子は帰りの車の中でずっと泣いていた。高橋を助けに行った筈なのに結局何も出来なかったのだ。自分は何故一緒に行かなかったのだろう?臆病風にふかれて自分一人で逃げ帰ってしまった。自分は無理やりにでも高橋を連れ帰らなければいけなかったんじゃないだろうか?しかし、そんな事が出来たとは到底思えなかった。彼女は何度となく自問自答していた。

そして、恵美子は高橋の最後の言葉を思い出した。“俺の分まで生きてくれ、好きだったよ、恵美子”何度も何度も頭の中でくり返された。

“さよなら”と言いながら見せた高橋の笑顔を思い出した。右の頬には高橋の唇の感触がまだ残っている。恵美子は知らず知らずの内に頬に手を当てていた。彼女の目からは滝のように涙が溢れ出て止めることは出来なかった。

暫らくすると、突然無線機が鳴り出した。

「岩田二曹。岩田二曹。こちら大野一尉だ。岩田二曹送れ」

恵美子は驚いた。大野中隊長の声だ。

「こちら大野一尉だ。岩田二曹、聞こえるか。送れ」大野の声が響いた。恵美子は涙を拭うと無線機のマイクを手にとった。

「こちら岩田二曹です。感度良好」

「岩田、無事だったか!今どこだ?」

「間もなく21号線に出ます」

「高橋は一緒か?」

「いいえ、自分ひとりです。高橋士長はたった一人でユニットの中に飛び込んでいきました」恵美子は悲しそうに言った。

「そうか。お前と高橋士長を救助するためにヘリでそっちに向かっている。第2分隊の隊員も一緒だ。高橋と別れたのはどれくらい前だ?」

「高橋士長とはついさっき別れたばかりです!今ならまだ間に合うかもしれません!」恵美子は興奮気味にそう言った。

「21号線との交差点で待て。停車したら発煙筒を焚くんだ。あと2、3分でそのあたりに到着する」

「了解しました!」恵美子はそう言うとマイクを戻した。彼女の顔に笑顔が戻った。“もしかしたら高橋を助ける事ができるかもしれない。あのままどこかに隠れていてくれれば少なくとも可能性はある”恵美子は21号線に出ると車から降りて発煙筒を焚いた。暫らくするとヘリのローター音が聞こえてきた。恵美子の焚いた発煙筒の真っ赤な炎と煙はヘリからも確認出来た。

「中隊長、発煙筒です」松山三曹はそう言うと指を差した。

「あれだな。機長、よろしくお願いします」大野中隊長が言った。ヘリの機長は昼間の佐藤一尉だ。

「了解」佐藤一尉はヘリを旋回させると発煙筒に向かって降下させた。

ヘリが着陸すると恵美子は急いで駆け寄った。ヘリの中から宮田三尉が身体を乗り出した。

「小隊長?!」恵美子が驚いて言った。

「岩田二曹、早く乗れ!高橋と別れた場所はどこだ?!」宮田三尉はそう言いながら恵美子を機内に引っぱり上げた。

「ここから北西5キロくらいの所です。もしかしたら、まだ間に合うかもしれません!」恵美子はヘリに乗り込みながら言った。恵美子が乗り込んだ途端ヘリは飛び立った。

「北西5キロだな」佐藤一尉がくり返した。

「はい、そうです」

「岩田二曹、高橋と別れた時の詳しい状況を聞かせてくれ」ヘリの奥から大野一尉の声が聞こえてきた。恵美子は大野一尉に状況を説明した。


 高橋はドンドンという音が苦になり入り口に目をやった。ユニット達が室内に入り込もうとあちこち叩き壊そうとしている。彼はその様子を怪訝そうに眺めていた。

その時突然美里がピクリと動いて「うぅ」と唸った。

高橋は慌てて美里の体を揺すった。

「美里さん、大丈夫?」

「うん」と微かに聞こえたような気がした。しかし、彼女は目を開けることは無かった。

高橋は気のせいかと思い、拳銃をベルトから取り出した。

「美里さん、木曽川に三人で遊びに行きたかったね」高橋は呟いた。そして、拳銃のマガジンを外して残りの弾の数を調べた。

「美里さん、藤岡先輩死んじゃったんだよ。知ってた?」美里にむかって話し掛けた。高橋はその言葉が美里に聞こえていようが聞こえていまいがどうでも良かった。ただ、今伝えないと、もうその機会は無いという事を実感していた。そして、拳銃の残りの弾が、あと2発残っているのを確認するとコクリと頷いてマガジンを元に戻した。

正面の壁はすでに穴が所々にあいており、ドアに至っては10センチほど中の方に反り返っている。そして、その隙間から奴らの顔がいくつも見て取れた。高橋は“中に侵入されるのも時間の問題だな”と思った

「俺達、どうも帰れそうにないよ」高橋はそう言って美里を抱き寄せた。

「美里さん、ごめんね。こんな事になっちゃって」高橋は美里を抱き寄せたまま髪をなでた。

その時、大きな音を立ててまた壁に2つほど穴が増えた。

「先輩ごめん。約束果たせそうにないや。美里さん。先輩、怒ると思う?」

「大丈夫よ、秀人君。あの人優しいから」美里が小さな声で呟いた。

高橋は驚いて美里の目を見つめた。「美里さん、記憶戻ったの?」

「うん。私の方こそごめんね」そう言うと美里は目を開いて高橋を見つめ返した。その目には涙が浮かんでいた。彼女は3週間ほど前に楽しく笑いあっていた、あの頃の美里に戻っていたのだ。そして美里は高橋の体に手を回した。

再び正面で大きな音がして人が通れるくらいの穴があいた。

「美里さん」高橋はそう言うと、拳銃の撃鉄を起こした。カチッという音に美里は一瞬視線を拳銃に移したが、すぐ高橋に戻し大きく頷いた。

「秀人君、お願いね」美里はそう言って目を閉じた。

「わかったよ。俺もすぐ行くって先輩に伝えて」高橋は左手で美里の目を押さえた。そして、美里が頷くのを待った。

美里が頷くと高橋は彼女のこめかみに銃口を当てた。その時、高橋は美里が彼を強く抱きしめるのを感じた。

高橋が震える手で拳銃の引き金をゆっくり引いていった。


その時突然、建物の外からヘリのローター音が聞こえてきた。高橋は慌てて引き金にかけていた指を離した。

「美里さん、ヘリの音だ!ここで待っていて!」高橋はそう言って拳銃を美里のこめかみから離すと立ちあがった。美里は「待って!」と言って手を伸ばした。高橋はそれを無視して拳銃をベルトに押し込むと今度はランドール・サバイバルナイフM14を引き抜いて入り口の扉に近づいた。彼は大きな穴から入ってこようとするユニットにそのナイフをつき立てた。高橋は次から次に入ってこようとするユニットを必死に押し戻しながら穴の隙間から外を覗いた。そこから辛うじて見えた光景はUH-60ブラックホークが上空でホバリングしながらゆっくりと降下してきたところだった。ヘリのスライドドアからは自衛隊員がミニミ機関銃や89式自動小銃を間髪いれずに射撃をしていた。

「美里さん、救助のヘリだ!仲間が助けに来てくれたんだ!」高橋はそう言いながらホッとした。その時ヘリからマイクの声が聞こえてきた。

「高橋士長、無事か?無事なら合図をしてくれ!」宮田三尉の声だった。一瞬、ヘリからの射撃がやんだ。合図を待っているのだ。高橋は拳銃をベルトから引き抜くと外に向けて1発撃った。そして再びベルトに戻した。ヘリの中では銃声がしたことで歓声が上がった。

「銃声だ!まだ生きているぞ!どこからだ?!」宮田三尉が言った。

「あの倉庫からです!」三桶一士が指を指しながら言った。

「高橋士長、扉から離れろ!入口の奴等を掃討する!」宮田三尉がマイクに向かって言った。今度は三桶一士に向かって怒鳴った。「できるだけ倉庫の中に被害が及ばないようにやれ!」

「わかりました」三桶一士はそう言うとミニミ機関銃を連射した。高橋は宮田の声を聞いて急いで後ろに下がった。その瞬間目の前に壁に幾つかの小さな穴があいた。暫らくすると再び宮田一尉の声が聞こえてきた。

「入り口の奴等はやっつけた。ヘリが降下したら出てくるんだ!」宮田三尉が言った。

「美里さん、早くこっちに来て!ヘリが迎えに来たんだ。急いで!」高橋はそう言って美里を促した。美里はゆっくり近づいた。しかし、彼女は高橋に寄り添ってはいたがその顔には笑顔が無かった。彼は美里のその表情には気付かなかった。高橋はヘリが低空まで降りてきたので重い扉をゆっくり開いた。ところが彼が外に出た瞬間、美里は高橋のベルトに押し込んである拳銃を引き抜くと彼を突き飛ばしてその扉を閉めてしまった。高橋は突き飛ばされた時、いったい何が起こったのかわからなかった。彼は腰のベルトに押し込んであった拳銃が無い事に気付くと振り向いて、閉まった扉を開けようとした。

美里は扉が開かないように棒で固定した。

「美里さん!何やっているの?!拳銃で何をするつもりなんだよ!早く扉を開けるんだ!」高橋は扉を叩きながら言った。

「秀人君、ごめんなさい。命がけで助けに来てくれたのに…。でも、私は行かないわ。義明が待っているんですもの」美里はそう言うと高橋から奪い取った拳銃の安全装置を外した。

「何言っているんだよ!美里さん、死ぬ気なのか?!ちょっと待ってよ!俺は先輩に頼まれたんだ。美里さんを守ってくれって。先輩は美里さんが死んだって決して喜ばないよ!そう思うだろ?!お願いだから出てきてよ!」高橋は哀願した。

「そうかもしれないわ。でも、私もう決めたの。秀人君、もう行って!」


ヘリの中では高橋が倉庫の入口から離れないのを見てみんなが慌てた。

「高橋は何をやっているんだ?!急がないとやられるぞ!」大野一尉が怒鳴った。

「よく分かりません!建物の扉が閉まっています。まだ中に人がいるようです!」三桶一士がミニミを撃ちながらそう言った。

「いかん。このままではマズイそ!ユニットがまた集まってきている!」宮田三尉が言った。恵美子はその光景を見てじっとしていられなくなった。

「高橋士長!早くヘリに乗りなさい!」恵美子はスライドドアから大声で怒鳴った。しかし、ローターの音と銃声で高橋にその声が聞こえる訳も無かった。

「自分が行って連れてきます!」恵美子はそう叫ぶとヘリから飛び降りようとした。

「ちょっと待て!ヘリをもっと降下させる。岩田、あいつを無理やりにでも引っ張って来い!藪野も一緒に行け!」大野一尉が怒鳴った。

「わかりました!」恵美子はそう言うとライフルに新しいマガジンを押し込んだ。


「美里さん!扉を開けるんだ!よく聞いて、美里さん。俺、美里さんの事が好きなんだよ!愛しているんだ!ずっと前から!だから、美里さんが死んだら俺は一体どうしたらいいんだよ!お願いだから出てきてよ」高橋は言った。彼は美里がドアを開けるとは思えなかったので、ドアから少し離れたところにあるユニットが開けた穴から中には入ろうとした。しかし、そこには沢山の死体が折り重なっており、それをどかさない事には入れそうに無かった。高橋はもう動かなくなったユニットの死骸を一体一体引き剥がした。

「秀人君の気持ちは知っていたわ。でも、ごめんなさい。私はダメなのよ。義明のいない生活なんて考えられない。ほんとにごめんなさい」美里はそう言うと藤岡との婚約指輪を見つめながら拳銃をこめかみに押し当てた。


「美里さん!どうしてだよ?!折角生き残ったというのに…」高橋はそう言いながら必死にユニットの死体を放り投げた。

「秀人君、さようなら」美里はそう言うと目をつむり拳銃の引き金を引いた。

「美里さん!そんな事言わないでよ!」高橋がそう言ったとき扉の内側からバンという音が響いた。高橋はその音を聞いて一瞬、身体が硬直した。そして、膝が震え立っていられなくなった。

「美里さん。何てことを…」高橋はそう言うと遂に座り込んでしまった。

そこに恵美子と藪野一士が射撃をしながらやってきた。

「高橋士長、何をやっているの?!彼女はどうしたのよ?!今の銃声は何?!」恵美子が怒鳴った。

「美里さんが…」高橋は両手で作った拳を額に押し当てながらそう言った。

「今の銃声がそうなの?!高橋士長、とにかくヘリに行きなさい!」恵美子が言った。しかし、高橋はそこから動こうとしなかった。やむなく、恵美子は高橋を引きずっていく事にした。

「藪野一士、そっちの腕を持って!ヘリに引っぱっていくわよ!」

「了解!」藪野一士は恵美子と反対側のわきの下に腕を入れると力任せにヘリの方へ引っ張っていった。途中で高橋は嫌々ながら走り出した。3人がヘリに飛び込むように乗り込むとブラックホークは空高く舞い上がった。ヘリの貨物室では3人が倒れこんでいた。恵美子と藪野は辛うじて間に合った事にホッとしていた。他の隊員達も同じだった。しかし、高橋はうつ伏せになったまま動こうとはしなかった。その様子を見て大野一尉が近づいた。

「高橋は大丈夫か?」大野一尉が言った。

「はい、大丈夫だと思います。しかし、彼女の方は…」恵美子は残念そうに言った。その隣では高橋がうな垂れていた。

「そうか…。暫らくそっとしておいてやれ」

「はい、わかりました。それはともかく、大野中隊長、ありがとうございました。お陰で助かりました」恵美子が言った。

「それは、宮田三尉に言うんだな。彼がこんなに頑固な奴だとは思わなかったよ。ヘリを出さないと除隊願いを出すって脅しやがった」大野一尉は宮田に目配せしながらそう言った。恵美子はその言葉に驚いて宮田三尉を見つめた。宮田は笑みを漏らした。

「小隊長、ありがとうございます」恵美子が言った。

「部下に慕われる指揮官を失うわけにはいかないよ。第2分隊は装甲車を奪ってでもお前達を助けに行こうとしてたんだからな」宮田三尉が言った。

「あっ、小隊長!それは言わない約束ですよ!」松山三曹が慌てた。

「本当か?それは反乱だぞ」大野一尉が笑みを浮かべながら松山三曹に尋ねた。

「とんでもないです。奪おうなんて…。ちょっと借りようかと…」松山三曹がしどろもどろで答えた。それを尾上士長が小突いた。「マズいって…」彼は小声で呟いた。

「松山三曹、ありがとう。みんな本当にありがとう」恵美子が隊員達の顔を眺めながらそう言った。その言葉に第2分隊の隊員達は笑顔で答えた。しかし、その笑顔もすぐに消えてしまった。恵美子の隣でうな垂れて涙を流している高橋の様子を見て、とても笑ってはいられなかったのだ。ヘリに乗っている全員が倉庫の中で何が起こったのかは理解していた。今の高橋がどれほど辛い思いをしているかは容易に察しがついた。誰もが彼に声をかける事が出来なかったのだ。小隊が展開する野営地に到着するまで静寂が続いた。


野営地につくと宮田三尉と第2分隊の隊員達はヘリから降りた。しかし、高橋だけは自力で降りる気は起きなかった。それを見かねて恵美子が高橋をヘリから降ろそうと再びヘリに乗り込んだ。

「さあ、高橋士長。降りましょう」恵美子は高橋に寄り添いながらそう言った。高橋が一向に動こうとしないので恵美子は仕方なく引きずるようにヘリから降ろした。高橋は近くに停めてあった装甲車の傍らに座り込むと再びうな垂れた。

「高橋士長、第2分隊のテントに行きましょう。そこで休むといいわ」

「いいから俺の事はほっておいてくれ!」高橋はつっけんどんに言い放った。その言葉に恵美子は悲しい顔をした。

その一部始終を見ていた大野一尉はこのままではいけないと感じた。彼はヘリから降りると高橋のところに近づいた。

「おい、高橋!いい加減にしろ!」大野一尉はそう言うと高橋の襟首を掴んで立ち上がらせた。そして、右手の拳で高橋の顔面を力一杯殴りつけた。高橋はその拍子に2メートルほど吹き飛んだ。それを見ていた全員が大野の行動にビックリしてその場に立ち尽くした。誰しもこんな大野一尉を見た事が無かったからだった。殴られてひっくり返った高橋は一瞬何が起こったのかわからなかった。彼は驚いて大野の顔を見つめた。

「いいか、高橋。お前が辛いのはわかる。大事な友達を目の前で失ったばかりだからな。だがな、ここにいる連中はみんなそうだ。そんな思いを心の中に閉じ込めて戦っているんだ。それなのに貴様の態度はどうだ?!世界中の不幸を全部背負っているつもりか?!岩田が、たった一人でお前を助けに行ったのは何故かよく考えてみろ!決してそんな軟弱なお前を助けに行ったわけじゃないぞ!とにかく、次の任務をこなせないと思うのなら除隊願いを書いて隊から出て行け!そんな軟弱な隊員はこっちから願い下げだ!俺はもう止めん!」大野一尉はそう言い放つと踵を返すようにヘリに向かった。そして、再び高橋の方に振り返った。「高橋、ここにいる第2分隊は全員、危険を覚悟の上で、命がけでお前と岩田を助けるために志願した。それは宮田三尉も同じだ。お前は、その気持ちに応えなければならないんじゃないか?しかし、それが出来ないというのであれば辞めるべきだ。よく考えて決めるんだ。いいな」大野一尉は諭すように言うとヘリに乗り込んだ。ヘリが飛び立つと倒れこんでいる高橋のところに恵美子が近づいた。

「高橋士長、大丈夫?」恵美子が心配そうに尋ねた。

「ああ、大丈夫だ。恵美子、すまなかった」

「いいのよ。とにかくテントに行きましょう」恵美子は高橋が立ち上がるのを助けながらそう言った。高橋は立ち上がると近くで立ち尽くしていた第2分隊の隊員達に向かった。

「みんな、どうもありがとう。迷惑をかけました」高橋はそう言って頭を下げた。分隊のみんなはそれぞれの形でそれに答えた。高橋は宮田三尉に近寄ると敬礼した。

「小隊長、ご迷惑おかけして申しわけありませんでした。どんな懲罰も覚悟しております」高橋が言った。

「その事はあとだ。とにかく、お前は暫らく休め」宮田三尉が言った。

「はい、わかりました」高橋はそう言うとフラフラしながら第2分隊のテントに向かった。続いて恵美子が宮田に近づいて敬礼した。

「小隊長、自分も申しわけありませんでした」

「岩田二曹、すぐに任務がある。支障は無いか?」

「はい、大丈夫です」

「よし、それでは準備をしたまえ、0200時に出動だ」

「はい、わかりました」恵美子はそう言うと再び敬礼した。


大野一尉はヘリの後部座席に座り涙ぐんでいた。不本意ながらでも高橋を殴ってしまった。彼の気持ちを思えばあまりに酷だったかもしれない。そっとしておいてやるべきだったのかもしれない。しかし、この状況下で彼を立ち直らせるにはああするしかなかった。あのままでは次の任務で命を落とす事になるだろう。その時は彼だけでなく第2分隊の隊員達の命まで危険にさらす事になるのだ。それだけは何としても避けなければならない。

そもそも、嫌だと言う高橋を無理やり自衛隊に引き戻したのは自分だ。そうしなければ、もしかしたら美里という女性が死ぬ事は無かったかもしれない。それを思うと高橋には申し訳ないという気持ちで一杯だった。

「大野中隊長、辛いな。だが、あれでよかったと思うよ。彼がどういう答えをだすかはわからんが…」佐藤一尉が言った。

「そうでしょうか?私は酷いことをしたんじゃないかと思いますよ」大野一尉は目に浮かぶ涙を隠れるように拭った。

「彼のためだ。ほっておくとあの調子では自殺でもしかねんだろう。そうでなくてもあれくらい活をいれてやらなければこれからの任務で生き延びられないんじゃないかな。荒療治だが一番効くとおもうよ」

「だと良いんですが…」

「あまり気にしない事だ。と言っても無理だろうが…。少なくとも君が良かれと思ってやったのならばそれでいいんじゃないのかな。とにかく、そんな事を一々気にしていたら身体が幾つあっても足りなくなるぞ」

「そうですね」大野一尉はそう言うと窓から外を眺めた。“高橋、立ち直ってくれ”大野一尉は心の中でそう呟いた。


恵美子達が第2分隊のテントに到着すると、そこには直子が待っていた。直子は戻ってきた人たちの中に美里がいないことに気付いた。更に高橋の悲しそうな様子を見て美里が死んだ事を確信した。再び涙があふれだした。

高橋は直子の顔を見て立ち止まった。しかし、とても話をする気にはなれなかった。美里の話をすることによって再び自分を見失ってしまうのが怖かったのだ。恵美子はそれを察して高橋の肩に手をやった。

「直子さんには私が話をするわ。あなたは休みなさい」恵美子が言った。高橋は頷くとテントに入って行った。恵美子はそれを見届けると直子に近づいた。

「美里さんはダメだったんですか?」直子は目を潤ませながら言った。

「ごめんなさい。どうしようもなかったの」

「私のせいだわ。私がちゃんと付いていれば…」直子はそう言うと泣き崩れてしまった。

「あなたのせいじゃないわ。仕方がなかったのよ」恵美子は直子の肩に手を当てそう言った。

「松山三曹、申し訳ないけど彼女を病院まで送ってもらえないかしら?」

「はい、わかりました。高橋士長は大丈夫でしょうか?」

「どうかしら。難しいかもしれないわね」

「そうでしょうね。でも、自分は立ち直ってくれると信じています」松山三曹はそう言うと直子を優しく立ちあがらせてその場を離れて行った。恵美子は暫らく、その二人のうしろ姿を眺めていた。そして、他の隊員達に号令をかけた。

「第2分隊!0200時に出発するわよ!大変でしょうけど準備をお願いね」

「はい、わかりました」隊員達は大急ぎで次の任務の準備を始めた。それを見ながら恵美子は心の中でみんなに感謝した。本当なら自分の部隊を放置して勝手な事をした指揮官など軽蔑する筈だ。それなのに彼等は自分と高橋の身勝手に反発するどころか、わざわざ志願して助けに来てくれたのだ。そのお陰で休む事も出来なくなってしまったというのに今はまた次の任務の準備を一生懸命している。その様子を見て、いい部下をもって幸せだと恵美子は思った。

唯一つ問題なのは高橋のことだ。恵美子は高橋のことが不安だった。彼は立ちなおる事ができるのだろうか?相当なショックを受けているに違いない。このまま任務に出て大丈夫だろうか?一歩間違えれば命を落としてしまう可能性もある。その場合、他の隊員にも危険が及ぶだろう。恵美子は高橋と話し合う必要があると思った。恵美子はテントの中で休んでいる高橋の様子を見に行った。テントの中で高橋は地面に座り込んでいた。

「高橋士長、少し話があるんだけど」

「はい、何でしょう?」高橋はそう返事をしたが目は虚ろだった。

「報告書に書かないといけないの。辛いでしょうけど、あそこで一体何があったのか教えてもらえないかしら?」恵美子が尋ねた。その言葉に高橋は再びうな垂れてしまった。彼は、あの最悪の場面を思い浮かべると内臓を引きちぎられるような思いがした。高橋の目には再び涙が溢れてきた。テントの中は暫らく静寂が続いた。恵美子は高橋が話せるようになるまで、いつまでも待つつもりだった。数分後、彼は顔を上げるとユニフォームの袖で涙を拭った。そして、静かに恵美子と別れてからの事を話した。恵美子は優しく頷きながら話を聞いた。

「そうだったの。彼女は記憶が戻ったのね」

「ああ、最後には全て思い出した。先輩が死んだ事も…。だからあんな事を…。あれほど美里さんの記憶が戻るのを心待ちにしていたのに…。そんなくらいなら記憶喪失のままの方がよかった。記憶さえ戻らなければこんな事にはならなかったんだ。ちくしょう!拳銃に弾を残しておくんじゃなかった!」高橋はそう言うと地面を拳骨で殴った。土の付いた拳から薄っすらと血がにじんだ。

「自分を責めちゃいけないわ。あなたは彼女を守ろうと精一杯やったんですもの」

「でも、結局は助けられなかった!いくら一生懸命やったって、美里さんが死んだんじゃ全く意味が無いんだよ!こんなに辛い思いをするくらいなら、いっその事あのまま俺も死ねばよかった!」

「何を言っているのよ!そんな事を言っちゃダメよ!」

「俺は一体これからどうすればいいんだ?!みんな死んでしまった。先輩もお袋も妹も、それに美里さんまで…。俺は今まで一体何をやっていたんだ?!俺は美里さんを守ろうと思ってやっていたつもりだったのに…。結局あの人を守る事が出来なかった。こんな筈じゃなかったのに…」高橋はそう言うと両手で頭を押さえた。

「あなたはそうやってずっと自分を責め続けるつもりなの?それで死んだ人達が喜ぶかしら?藤岡さんも美里さんも決してあなたを責めたりしないと思うわ。彼女は望んで藤岡さんの所に行ったのよ。それをあなたがどうしようっていうの?どう出来たっていうのよ?!。藤岡さんだって美里さんが自殺した事で、あなたがそんなに苦痛を感じていると知ったらどう思うかな?多分2人ともあなたにこう言うと思うわ。“自分達の分まで生きてくれ”って。あの時あなたが私に言ったように…」恵美子はそう言うと涙ぐんだ。高橋は目を閉じたままじっとしていた。

「高橋士長、私にはこれ以上のことは言えないわ。あとはあなたの問題なんだから。とにかく、さっき大野中隊長が言った事をよく考えなさい。決めるのはあなたよ。どう結論を出したとしても誰も何も言わないわ。このまま隊に残るのであれば0200時に装甲車まで来て頂戴。そうでなければ私達が任務から戻る前に荷物をまとめて出て行って」恵美子はそう言うと立ち上がった。そして、テントの入り口まで行くと振り返った。「私はあなたが自衛隊に残ってくれると信じているわ。分隊のみんなもね」恵美子はそう言うと出て行った。テントには高橋一人取り残された。彼はそれから一睡もせずそのままじっとしていた。“自分はどうすべきか”と考えながら…。


「尾上士長、エリアA3に残存のビル群があるわ。本部に伝えて頂戴」

「A3ですね。わかりました」尾上士長は装甲車の無線機にむかって中隊本部を呼び出しその内容を知らせた。

恵美子は、装甲車の上から双眼鏡を覗き航空自衛隊のF2支援戦闘機2機が、つい数時間前、自分達が死闘を繰り広げていた場所を爆撃するのを見ていた。周りでは第2分隊の隊員達が必死に戦っていた。それを見て恵美子は再び心の中で感謝した。恵美子の隣では高橋士長がレミントンを放っていた。見る限りは普段と全く変わらないようだった。しかし、恵美子は彼の心中を思うと辛かった。

高橋は出発ギリギリに装甲車の所に現われた。恵美子が諦めて出発の号令を掛けようとした所に彼はフラフラと現われたのだ。とにかく、恵美子はホッとした。少なくとも彼が生き抜くことに決めてくれた事が嬉しかったのだ。

高橋は装甲車の上で無心に射撃を続けていた。弾が無くなると新しい弾薬を装填して再び撃った。まるで機械のように撃った。頭の中を空にして何も考えないでひたすら撃つのだ。そうする事で悲しみを忘れる事ができる。だから撃って撃って撃ちまくるのだ。しかし、どうしても涙が流れてくる。彼はユニフォームでそれを拭うと再び撃った。

「隊長、本部から撤収命令がきました。各個現在位置を離れ本部に戻れとのことです」尾上士長が言った。

「そう、わかったわ」恵美子はそう言うと、装甲車の周りに散開して警戒線を守っていた隊員たちを呼び戻し野営地に帰って行った。

恵美子は野営地に帰ると高橋には何も告げず直子の様子を見に病院へ行った。彼女はそこで病室の患者たちの看病をしながらあちこち動き回って忙しそうにしている直子を見た。

直子は、恵美子が病室へ入ってくるのを見つけると手を止めて頭を下げた。

「直子さん、ちょっといいかしら」恵美子は言った。

「はい、いいですよ」

恵美子は、直子を連れて廊下に出た。

「元気そうね。安心したわ」

「ええ、動いていると忘れられそうな気がして」

「そう。あなたはこのまま病院で働くの?」

「そのつもりです。困っている人がたくさんいますから」

「そうね」恵美子はそう言うと窓を開けた。

「美里さんは何故自殺なんかしたんでしょうか?折角、高橋さんや岩田さん達が助けに行ったのに」直子が尋ねた。

「高橋士長が言うには当時、彼女の記憶が戻っていたようだわ」

「えっ、そうなんですか?!美里さんは記憶が戻っていたんですか。もしかして、急に記憶が戻って藤岡さんが死んでしまっていた事が受け入れられなかったのかしら?」直子は悲しそうに言った。

「どうかしら。それは美里さんにしかわからないでしょうね。でも、それほど藤岡さんの事を愛していたという事じゃないかしら」恵美子は外を眺めながら独り言のように言った。

「いくら愛していたからと言ってもそんな事、私にできるかしら?多分そんな勇気はないわ」直子が言った。

「死ぬ事が勇気と言うならそうね。おいそれと出来ることではないわ。でも、生きることも勇気が必要よ」

「そうですね。辛い事が多いですものね。それを乗り越えるのにも勇気が必要なのかもしれませんね。それを思うと高橋さんがかわいそうだわ。あんなに一生懸命助けようとしていたのに目の前で美里さんが死んでしまうなんて…。死ぬより辛い事かもしれませんね」

「私もそう思うわ。あとは彼がそれを乗り越えられるかどうかでしょうね。いずれにしても時間が必要だと思うわ」

「時間か。でも、美里さんが自殺してしまった事を忘れる事は出来ないんでしょうね」

「一生忘れる事は出来ないでしょうね。それをずっと背負って生きていくしかないんじゃないかしら」

「それも辛いですね」

「彼にとって美里さんは何だったのかしら?彼女の事を愛していたのかしら?」恵美子は独り言のようにそう呟いた。

「私には本当の所はわかりません。でも、高橋さんにとって、とても大切な人だったのは間違いないと思います」直子は確信を持って言った。

「そうね」恵美子はそう言った。


恵美子が第1小隊の野営地に戻ると松山三曹が近づいてきた。

「分隊長、小隊長が戻り次第本部テントに来るようにと」松山三曹が言った。恵美子は宮田三尉と松山三曹にだけは病院へ直子の様子を見にい行く事を伝えてあった。

「そう、わかったわ。他のみんなはどうしているの?」

「島添と尾上は歩哨に立っています。あとはテントの中で寝ています。何をしても起きそうにありませんよ。高橋士長は装甲車の上でレミントンのメンテナンスをしています。どうやら眠れないみたいですね」

「そうかも知れないわね。あなたは寝なくても大丈夫なの?」

「自分はあなたの補佐ですから。分隊長がいない時には自分が連中の監視をしないといけませんからね。あいつらはほっておくと何をしでかすかわかりませんから」松山三曹は笑みを浮かべながらそう言った。

「そうね。ありがとう」

「ところで直子さんはどうでした?夕べは病院に着くまでずっと泣いていましたから心配です」

「あの子は会うたびに泣いているからね。でも、彼女は大丈夫そう。辛そうだったけど一生懸命患者さんの面倒を見ていたわ。泣き虫のわりには結構芯は強いのかもしれないわね」

「そうですか。それならよかった。高橋士長も、どうにか立ち直っているようだし一安心ですね」

「なんとかね。あとは代わるわ。あなたも休みなさい」恵美子は苦しい笑みを浮かべながらそう言った。

「わかりました」松山三曹はそう言うと敬礼した。


恵美子は本部テントの前に来ると立ち止まった。

「岩田二曹入ります」恵美子はそう言うとテントの中に入った。

「岩田、戻ったか。まあ、そこに座れ」宮田三尉はそう言うと恵美子にイスを勧めた。

「ありがとうございます。小隊長、何か御用でしょうか?」

「ああ、やっと基地に戻る事になった。撤収だ。1800時までに準備をしておいてくれ。基地に戻ったら第1小隊は1日の休暇がもらえるそうだ」

「わかりました。みんな喜ぶと思います」

「だが、お前と俺は無しだ。昨夜の件で大野中隊長から連絡があった。俺達は半年間の休暇差し止めだそうだ」

「休暇差し止め?そんな懲罰があったんでしょうか?」

「さあな。いずれにしても、休暇など取れるとは思えんからな。結局、お咎め無しと言う事だ。大野中隊長に感謝するんだぞ。それから、高橋士長は昇級取り消しだ。彼は三曹に昇級が決まっていたからな」

「そうだったんですか」

「ああ、だが仕方がないだろう。禁錮刑を食らっても文句は言えないからな。それで済めば軽いものだ。それで高橋士長だが、このまま実戦に耐えられそうか?今日の様子を見てどう思った?」

「精神的にかなり参っているようですが、自分が見る限りは大丈夫だと思います。恐らく本人もまだ、どうしたらいいのかわからないのかもしれません。もう少し落ち着いてからでないと…」

「そうだろうな。大野中隊長も心配していたからな」

「基地に戻ったら高橋士長と話してみます」

「そうしてくれるか。辛い仕事だが頼むよ。お前の方が高橋も本音を言ってくれるかもしれない」

「わかりました」恵美子はそう言うと敬礼してテントから出た。彼女はそう言ったものの荷が重かった。と言うより辛かった。今の高橋にどんな言葉をかけたとしても何の慰めにもならないだろう。その上に仕事がこなせるのかなどとどう聞けばいいのだろうか?問題はそれだけではなかった。恵美子は自分の気持ちを知ってしまったのだ。今でも高橋の事を愛しているのだということを…。


第1小隊は5日ぶりに岐阜基地に戻った。各車両が所定の位置に停まると隊員達はフラフラと降り立った。みんな疲れきっていた。恵美子は第2分隊を集合させると全員に任務終了を告げた。

「さあ、みんな。24時間の休暇よ。今度はいつ休めるかわからないわ。ゆっくり休養しなさい。明日のこの時間には集合するように。それでは解散!」

「やったー」三桶一士が言った。

「とにかく俺は寝るぞ」藪野一士が言った。そしてある者は宿舎に、またある者は食堂や休憩室へと思い思いの所に散らばって行った。恵美子は装甲車の後部兵員室で荷物の整理をしている松山三曹に近づいた。

「松山三曹、あなたはどうするの?」

「自分はちょっと病院へ行ってきます」松山三曹が言った。

「具合でも悪いの?」

「いいえ、そういう訳では…」松山三曹は口篭もりながら言った。恵美子はその態度でピンときた。

「もしかしたら…?そういう事ね。直子さんでしょ?」恵美子は悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう言った。

「違いますよ。いや、違うっていうか…」松山三曹はしどろもどろになった。

「直子さんによろしく言っておいてね」

「あっ、はい。わかりました」松山三曹はホッとしたように答えた。恵美子はその答えに頷いて笑みを返した。そして今度はレミントンのメンテナンスをしていた高橋に近づいた。

「高橋士長。あなたも病院へ戻るんでしょ?」

「いいえ。自分はここで休みます。もう病院へは戻るつもりはありません」

「そうなの?」恵美子は驚いてそう言った。

「あそこには美里さんの思い出があるので…」高橋は寂しそうにそう言った。

「ねえ、高橋士長。コーヒーでも飲みましょうか?」

「はい」高橋はそう言うとレミントンをジュラルミンケースにしまった。恵美子は高橋の仕事が終わるのを見届けると食堂の方へ促した。2人は無言のまま、食堂に向かって歩いていった。そして、食堂に入ると恵美子は以前と同じようにコーヒーを二つ紙コップに入れるとイスに腰掛けた。高橋もそれに倣った。恵美子はコーヒーを一口啜ると口を開いた。

「ざっくばらんに言うわ。あなたもそうして頂戴」恵美子が言った。

「わかったよ」高橋が頷いた。

「今日は嬉しかったわ。よく残ってくれたわね。一時は来ないかと思って心配したけど。仕事、このまま続けられそうなの?」恵美子は精一杯の勇気を出して尋ねた。

「自分でもよくわからないんだ。どうしたらいいのか。でも、このままふさぎこんでいても何の解決にもならないのはわかっている。悲しんでいたって美里さんが帰ってくるわけじゃないし…。少なくとも君や分隊のみんなは自分を必要としてくれているんだ。それに応えなくてはいけないような気がする。できるかどうかは自信ないけど…」

「誰だって自信があってやっているわけじゃないわ。みんな迷いながらやっているのよ。私もそうだもの。それにあなたを必要としているのは第2分隊だけじゃないわ。大野中隊長や宮田小隊長も同じよ。大野一尉はあなたの事を相当気にしているようだわ。しょっちゅう宮田三尉の所に連絡があるらしいもの」

「中隊長が?俺はてっきり愛想を尽かされたとばかり思っていた」

「そんなわけ無いじゃない。大野一尉は美里さんが亡くなったのも、あなたを無理やり自衛隊に引き戻したのが原因じゃないかって気に病んでいるようだし。責任を感じているようだわ。だから今回も昇級取り消しという軽い懲罰で済んだのよ。感謝しなさい」

「そうだったのか…」高橋はそう言うと目を伏せた。

「どうやらあなたは大野一尉を誤解していたようね。あなたを殴ったのも、隊から出ていけと言ったのもあなたの命を救うためなのよ。決して本気で言ったわけじゃないわ。大野一尉とは、あなたの方が付き合いが長いのにわからなかったの?」

「俺は何も見えていなかった。どうやら中隊長に大きな借りがまた一つ増えたようだ」

「そうね。これで辞める理由がなくなったわね」

「ああ、辞めないさ。それに今辞めたら自分がどうにかなってしまいそうで怖いんだ。時間が空くとどうしても美里さんの事で頭が一杯になる。美里さんは何故死んだんだ?美里さんを助ける方法はなかったのか?自分は何か間違った事をしていたんじゃないのだろうか?そんな思いが頭の中に渦巻くんだよ。でも、いくら考えたって結局答えは出ない。ただ悲しくなるだけなんだ。でも、必死に働いていると、その時だけは忘れる事が出来そうで…。実際には難しいけどね」高橋はそう言うと悲しげな笑みを浮かべた。

「あなた、美里さんの事を愛していたのね」恵美子がそう言うと、高橋は一瞬たじろいた。そして、暫くして口を開いた。

「ああ、自分でもわからなかった。ただの憧れだとばかり思っていた。あの時までは…。失いそうになった時、初めてわかった。そして美里さんが死んだとき確信した。俺は美里さんの事を愛していたんだと…」高橋はそう言うと美里から貰ったタイメックスの腕時計をなぞった。

「そうだったの。私はそうじゃないかと思っていたわ。あなたと再会した時から…」

「君には何て言ったらいいか…」高橋は申しわけなさそうに言った。

「いいのよ。でも、一つだけ覚えておいて。私はあなたを愛しているわ。今でも…。そしてこれからもずっと。だから、あなたの力になりたいのよ。どんな事でもいいわ。私にできる事があったら言って」恵美子はそう言うと、そっと高橋の手に右手を重ねた。

「ありがとう。でも、その気持ちを受け入れる事は出来ないんだ。君に甘えるわけにはいかないんだよ。すでに恩返しできないほど君には助けてもらっているんだ。そんな自分勝手なことは出来ない」

「違うのよ。私は受け入れて欲しいって言っているんじゃないの。ただ、あなたは一人ぼっちじゃないって事だけは覚えておいて欲しいのよ」

「ありがとう。でも、俺みたいないい加減で自分勝手な男に何で?」

「そんなの知らないわ。人を愛するのに理屈なんか無いのよ。それはあなたにもわかるでしょう?」

「ああ」

「とにかく、私は待つわ。あなたのキズが癒えるまで。どれだけ時間が掛かろうとも…。いずれにしても、この状況では愛だの恋だのと言ってはいられないわ。全てが終わるまでは…。それから考えても遅くはないんじゃないかしら。だから、それまであなた死なないでね。私も死なないように努力するから」

「わかった。俺も努力するよ」

「約束よ」

「ああ、約束だ。みんなの分まで生き延びよう」2人はそう言うとお互い手と手を握り締めた。


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