第九章

日本 岐阜県上空 CH-47チヌークヘリコプター機内


高橋と恵美子はC-47チヌーク大型輸送ヘリの中で揺れに任せていた。ヘリの中には第1小隊全員が押し込められていた。89式自動小銃はもちろん、バックパックに装備を目一杯詰め込んだ上にベルトには大量の予備弾薬、手榴弾まで押し込んであった。総重量40キロ近い。いくらヘリが大きいとはいえ各員がこの大荷物では窮屈でたまらなかった。特にここ2週間ほどは装甲車や軽車両での移動の為こんな完全装備で動いたことは殆どなかった。高橋にいたってはレミントンと89式自動小銃の2丁も持っている。当然弾薬も余分だ。これからどうなることやら不安だった。

「96式装輪装甲車が恋しいですよ」三桶一士が言った

「いくら狭苦しくたって地面を走っている方が安心だよな」藪野一士が言った。二人の会話を聞いて恵美子は呆れていた。

「あんた達、いつも装甲車の中は狭いだの椅子が痛いだのと文句ばかり言ってたくせに」恵美子が言った。

「こんなのもって歩くことになるとは思わなかったですからね」三桶一士はそう言うと背中に背負っているバックパックを叩いた。

「勝手なものね」

「分隊長、ヘリでいったい何処に行くんでしょう?岐阜市の掃討作戦じゃなかったんですか?」高橋が尋ねた。

「任務が変更になったの。今回は福井の方らしいわ」

「えっ、福井ですか?だって、そこは石川の第14連隊の管轄でしょう?」高橋が驚いた。

「人手が足らないそうだわ」

「人手が足らないって?うちだって同じじゃないですか。布団で寝たのはいつだったかなぁ」三桶一士が愚痴を言った。

「うるさいわね。それは誰だって同じよ!」恵美子が怒鳴ると三桶一士は静かになった

「それはそうですが…」高橋はヤバイと思いながら遠慮気味に言った。

任務自体はっきり説明されていないのよ。私も急に呼ばれて部隊を完全装備で出発準備させるように言われただけだから。小隊長に聞いても福井へ応援に行くと言われただけであとは知らないって言っていたわ」

「そうなんですか。小隊長も知らないとなると余ほど急ぎなのか極秘なのか」松山三曹が言った。

「うちの小隊だけですか?」高橋が尋ねた。

「第2小隊も後続で来るらしいわ。中隊長も一緒にね」恵美子がそう言うとみんなが押し黙った。中隊長まで来るとなると余ほど重要な任務なのだろうと思えたからだ。暫くすると、貨物室の前部で声が聞こえた。

「岩田、ちょっと来てくれ」宮田三尉が恵美子を呼んだのだ。恵美子はバックパックを担ぎなおすとゆっくり立ち上がった。30キロの背嚢を背負うと立ったり座ったりは至難の業だ。それを見た宮田三尉は「バックパックは置いて来い」と怒鳴った。恵美子は少し安堵した。この状態で狭いヘリの中を歩くのは半端なことではないからだ。恵美子はバックパックを下ろすとライフルだけを持っての隊員達の隙間を縫うように歩いた。宮田三尉の周りには他の分隊長も集まってきていた。他の隊員たちからは少し離れたところに宮田達はいた。ヘリの騒音もひどいし、これなら、このブリーフィングの内容は隊員達には聞こえないだろう。彼はみんなが集るのを待って話し始めた。

「いいか、今からこの任務の内容を話す。まだ部下達には言わないでくれ。極秘事項なんだ」宮田三尉はそう言うとみんなが頷くのを待った。

「実は、今問題が持ち上がっている。日本国内で米軍が核兵器を紛失させた」

「何ですって?!」恵美子が驚きの余り、そう叫んだ。恵美子は慌てて手で口を塞いだ。

「200キロトンの核弾頭1発だ」宮田三尉が言った

「長崎の10倍以上の破壊力だ…」第3分隊長の斉藤二曹が言った。

「なぜそんなことに?」第1分隊長の奥田二曹が尋ねた。

「理由はいいんだ。それより問題なのは、どうやらその核弾頭を自衛隊のある部隊が強奪した」

「まさか…」恵美子が呟いた。

「数日前、NESTとデルタフォースがその部隊と交戦して多大な被害を受けた。今は福井県のある所に防衛陣地を構築して立て篭もっているんだ。デルタフォースの1個分隊が位置を確認して報告してきた」

「それで、向こうで我々は何を?まさか、米軍と協力してその部隊と戦えと?」第4分隊長の大塚二曹が尋ねた。

「そういうことだ」

「そんな…。同じ日本人同士で戦うんですか?」恵美子が言った。

「相手は誰です?」奥田二曹が言った。

「大槻三佐だ」

「大槻三佐!?」奥田二曹が驚いた。

「誰です?」恵美子が尋ねた。彼女は知らなかったのだ。

「第10戦車大隊、第2中隊長の大槻三佐ですよね」大塚二曹が言った。

「そうだ」

「ということは立て篭もっているのは1個戦車中隊?!」大塚二曹は驚いた。

「そうだ」

「そんな!1個戦車中隊相手に普通科2個小隊で一体どうするんですか?」奥田二曹が泣き言を言った。

「第2小隊と一緒に対戦車小隊もやってくるから安心しろ!」三尉はそう言ったが戦力的に劣勢なのは明らかだった。

「大槻三佐が何故核弾頭を奪ったんですか?」恵美子が尋ねた。

「それがわかったら苦労はしない。そもそも日本政府は核弾頭が日本国内で紛失していたことも知らなかったんだ。師団長とうちの連隊長が国防総省のベッカム大佐に色々な状況証拠を突きつけて無理やり聞き出したからわかったことだし、犯人が大槻三佐だとわかったのもついさっきのことだ。それまでは大槻三佐は死んだものとされていた。それが米軍の核を奪って篭城している。おまけに米軍と戦闘に及んだんだ。上の連中は大騒ぎだ」

「でも何故我々が派遣されたのでしょうか?第14普通科連隊の方が近いのに…」大塚二曹が尋ねた。

「この件は師団の中でも一部の隊員しか知らないことなんだ。大槻三佐は元々第10師団の幹部だし、このまま米軍に任せれば彼らは一人残らず殺されるだろう。だが、運がいいんだか悪いんだか、さっきも言ったが連中の損害が大きくて今展開しているのは1個分隊程度なんだ。米軍側も他の部隊から応援を呼ぶのにも時間がかかりすぎる。そこで、師団長と山本連隊長が打開策を提案したということだ。山本一佐もあとから来ることになっているんだが、大槻三佐とは親友らしい。我々が行くことによって大槻三佐を上手く説得できれば無用な血を流す必要はなくなるはずだ。これは師団長の考えだ。できる限り内々で処理したいとの事だ」

「内々と言っても、米軍が関与しているんだし、そうもいかないでしょう?」奥田二曹が言った。

「米軍も内緒にしたいのさ。日本国内で核兵器を奪われたなんて他には言えないだろう。日本政府としても自衛隊の一部隊がテロまがいの事をしているという事を大っぴらにはできない。うちの師団としてもできるだけ隊員は死なせたくない。上手い具合に思惑が一致したというだけの事だ」

「でも、大槻三佐が説得に応じなかったら?我々は大槻三佐と戦うことになるんですか?」奥田二曹が言った。

「そうなるな。まあ、その時は下手をすると核爆発が起きるかもしれん。覚悟をしおいてくれ」

「部下にはなんと…?」恵美子が尋ねた。

「今の段階では暴動の鎮圧だとか何とか言っておいてくれ。詳しいことは行ってみないとわからんと。現場に着いて展開する時に伝えるんだ。今教えると収拾がつかなくなるぞ。それから、ヘリが着陸したら合図があるまで銃の使用は禁止だ。部下達に徹底させろ。大槻三佐に我々が展開していることを出来るだけ知られたくない。それをきっかけに戦闘になるのを避けたいんだ。現場はユニットも少ない。いたらナイフで対処しろ」

「わかりました」各分隊長は頷いた。その後、現場での布陣と暗号などの打ち合わせをしてから彼らは各々の分隊に戻って行った。恵美子は仲間達のところに戻ると宮田三尉に言われたように暴動鎮圧の為の出動だという事を告げるとそれきり黙った。


日本 福井県某所


CH-47チヌークの貨物室から開放された第1小隊は、真っ暗な中、15キロ行軍して彼らが展開する筈の地点にたどり着いた。彼らのところからは見えないが3キロほど前方に目標の建物がある。米軍の偵察衛星からの情報では、この展開地点から1キロ前後の地点に戦車が数台展開しているとの事だった。そこは丘陵になっており、待ち伏せするにはもってこいのところだった。知らずに接近していたら全滅に近い被害をこうむっていたことだろう。

第2分隊は恵美子を中心にして円になりかがみこんでいた。宮田三尉が指示したように分隊全員がライフルに銃剣を装着していた。その代わりに銃には安全装置が掛けられ薬室から弾薬も抜かれていた。暴発を防ぐためだった。それでも隊員達は不安な為か発砲できないライフルのトリガーに人差し指を添えていた。隊員達の表情はいずれも硬く険しいものだった。不安と不満が入り混じったような顔で任務の説明をする分隊長を凝視していた

 彼らが展開する際、恵美子は各員の布陣を説明した。松山三曹はそれを聞いて”個人用掩蔽豪の間隔が広すぎる。それは対戦車用の布陣だ”ということを指摘した。彼女は彼らに任務の詳細を説明する時だと判断して宮田三尉から聞いた内容を部下達に教える事にしたのだった。

恵美子が一通り話し終わると高橋は真っ先に口を開いた。

「それは確かな情報なんですか?」高橋が尋ねた。

「そうよ」恵美子は一言だけそう言うと厳しい顔つきになった。

それから、隊員達は堰を切ったようにしゃべりだした。その間、恵美子は彼らの言葉を黙って聴いていた。彼女は隊員達が心の中で思っている事をすべて吐き出した方が良いと思ったからだった。みんな、ああでもないこうでもないと思ったことを好き勝手に並べ立てた。各々口にする言葉は違っていても、恵美子自身が思っている事と殆ど同じ内容だった。すなわち、”生き残った同胞と戦いたくない”ということだ。彼らは一通り自分達の思いを伝えると静かになった。

「言いたいことはそれで終わり?」恵美子はそう言うと全員の顔を一通り眺めた。隊員たちが言葉を発しないことを確認すると彼女は一呼吸置いて再び話し始めた。「私だってそうよ。あなた達と同じ気持ちだわ。折角生き残った仲間同士で戦うなんてゴメンよ。でも全て米軍に任せていたら彼らは問答無用に殺されてしまうわ。もしかしたら、核で自爆する可能性だってあるのよ。そうなったらもっとたくさんの日本人が死ぬ事になるわ。もし、連隊長の説得が功を奏して彼らが投降すれば、それを避ける事が出来るかもしれないの。私達は決して彼らと戦う為にきたわけじゃないわ」

「それはわかります。でも、もし大槻三佐が説得に応じなかったら?」松山三曹が尋ねた。

「その時は戦うわ。もちろん気は進まないけど…。あなた達が戦わないなら私一人でも戦う。何故なら彼らは大きな勘違いをしているの。今すべきことが何であるかを…。今の日本に必要なのは核ではないわ。彼らが何の為にこんなことをしているのかはわからない。こんな大それた事をしているのだから、それ相当の理由があるのでしょう。でも、核を持つということは、例え脅しに使うのだとしても最終的は破壊目的でしょう。今日本人が必要としているのは核を持つことではなく、一人でも多くの人たちをユニットが徘徊する所から救い出すことなのよ。それを妨げるのであればそれは仲間ではないわ」

「そうだよ。隊長の言うとおりだ。核兵器がこの日本で使われたとしたら、それが何処であろうと俺達の助けを待っている生存者まで死ぬことになる。彼らにどんな理由があろうともそれが正しい事だとは思えない。俺達はそれを命がけで止めなければならない。それが俺達の仕事だろう?そう思わないか?」高橋が言った。

「そうだとも。お前達、隊長と一緒に戦うのが嫌ならとっとと出て行け!ユニットにやられて死んだことにしておいてやる」松山三曹が怒鳴った。

「三曹、隊長が戦うのなら自分も戦いますよ」三桶が言った。

「こんな所で放り出されても困るし、敵前逃亡で罪になるのも嫌だし。どっちみち徒歩で逃げたところで核爆発があったら助からない」島添が言った。

「理由は何でもいいわ。ここに残るんだったら私の命令はちゃんと聞くのよ」

「わかりました」

「宮田小隊長はどうしました?」松山三曹が言った。

「今、デルタフォースの大尉とNESTの少佐のところで打ち合わせ中よ。あんた達、何度も言うようだけどこれだけは覚えて置いて。合図があるまで決して発砲しないように。一発の銃声で戦いが始まってしまう場合があるわ。いいこと?私達は戦いに来たわけじゃないのよ」

「わかりました」


高橋は島添士長と一緒に“たこつぼ”を掘っていた。穴の上には朽ちた木や枝を乗せてカモフラージュしてある。彼らの20メートル右手には三桶と薮野がスコップを振り上げていた。しかし、こんなものでは74式戦車の105ミリ砲の直撃弾を食らったら、ひとたまりもないだろう。それでも何もないよりましだ。少なくとも気休めにはなる。前方1キロには1個戦車小隊が待ち伏せているのだ。この距離で彼らが目標を外す事は考えられなかった。陸上自衛隊、戦車大隊の中でもトップクラスの射撃の腕前を誇っていたのだ。おまけに彼らの目と鼻の先に部隊を展開しているのだ。もう彼らに我々の存在は知られてしまっているに違いない。と言うことは、いつ撃たれてもおかしくはない。今この瞬間にも砲弾が降ってくるかもしれないのだ。

 つい1時間前、岐阜基地の第2小隊と守山駐屯地から増援の対戦車小隊がやってきた。これだけ来ても互角に戦うには程遠いだろう。大槻三佐の率いる部隊は74式戦車を3個小隊12両と89式戦闘装甲車3両を擁していた。一方高橋達のような普通科にある対戦車兵器はたかが知れており、射程も短いので相当近づかないとあの頑丈な74式戦車を撃破するのは難しいだろう。この距離からでは援軍の対戦車小隊に任せるしかない。しかし、12両相手に1個小隊ではいささか頼りなかった。あとは全て山本連隊長の説得如何にかかっている。もう間もなく説得交渉が始まる。高橋は上手くいくことを祈った。

「高橋さん、何か間違っているような気がしませんか?」島添士長が言った。

「えっ?」高橋は聞き返すと穴掘りをやめ腰を伸ばした。

「僕達が米軍に協力して仲間の自衛隊員を包囲しているってことですよ」

「君はまだ納得していないようだね」高橋はそう言うとユニフォームで汗を拭った。

「彼らが正しいとか正しくないとかじゃないんですよ。僕も大槻三佐達は間違っているとは思います。ただ、連隊長が説得に失敗した時、彼らと戦うことになる。それがどうも納得いかないんですよ」

「つまり仲間と撃ちあうのに抵抗があるっていう事だろ?」

「そうなんです。そもそも勝手に日本国内へ核兵器を持ち込んだのは米軍なんだし、一方的に大槻三佐が悪い訳じゃないような気がするんです。それなのに…」島添士長は言いにくそうに口ごもった。

「極端な話、いっそのこと包囲している米軍をやっつけて大槻三佐を助けようって事だろう?どうせ連中の数も少ないことだしな」

「ぶっちゃけたところ、そういう事です」

「俺も同じことは思ったよ。結局米軍の奴らは自衛隊員を殺すのに手を貸せと言っている訳だし、なぜ俺たちが仲間を殺す手伝いをしないといけないんだ?ってな。本来なら仲間を助けるのが筋なんじゃないかなって思った」

「そうですよ」

「でも、よく考えてみてるんだ。もちろん、現在の米軍との戦力比較からしても理論的に大槻三佐を助けることは出来る。だが問題はそのあとだ。助けてどうする?一緒になってどこかを脅すのか?それともどこか破壊するのか?もし、大槻三佐を助けたとしたら俺達は最期の最期まで付き合うしかなくなるぞ。おまけに本格介入してくる米軍を敵に回してだ。その間、日本国内で助けを待っている市民はどうなる?アメリカとの戦争で忙しいからって見殺しにするのか?それも勝てっこない戦争だぞ。今は日本人だからどうだとか仲間だからどうだって片意地張っている時じゃない。大槻三佐もそこを間違えていると思うんだ。今の日本に政治的な問題はどうでもいい事なんだよ」 

「確かに僕もそう思いますよ。今の日本に核兵器は要らない。そんなことは分かっています。ただ人道的にどうかということです。僕達は日本人でしょう?それも半分以下になってしまった。それなのに生き残ったもの同士殺し合いをするのは…」

「俺だって嫌さ。だから、可能性にかけるんだ。きっと山本一佐が何とかしてくれるよ。大槻三佐だって馬鹿じゃないんだ。分かってくれるはずさ。むざむざ日本人同士戦うようなまねはしないと信じている」

「それに掛けるしかないのか…」

「そういう事。とっとと穴を掘ろうぜ!」高橋はそう言うと再びスコップを手にした。高橋は“島添はきっと納得していないだろう”と思った。何故なら高橋自身も納得していなかったからだ。島添に言った言葉も自分自身に言い聞かせていたのだ。無理やり納得させる為に…。高橋がスコップを地面に突き立てるのを見て島添士長もそれに倣った。それから二人は黙々と“たこつぼ”を掘った。そしてそれが完成したのは空が白み始めた頃だった。


大槻三佐は薄暗い部屋の中で物思いにふけっていた。工場中の部屋は窓を締め切り懐中電灯の光だけで全て行われていたのだ。それは密かに忍び寄ってくる米軍部隊に感づかれないようにするためだった。彼は椅子に座りながら思った。間もなく本懐を遂げることが出来るのだ。あとは朝になるのを待つだけだった。

「大槻三佐。接近する部隊があります」大前一尉が言った。

「どこだ?」

「第2小隊の展開する稜線近くです。規模も不明」

「アメリカ軍か?」

「今確認中です」

「相手がはっきりするまで発砲は控えさせろ!」

「わかりました」

暫くすると再び連絡が入った。

「第2小隊から入電。接近中の部隊は陸上自衛隊です。規模は普通科1個小隊」

「自衛隊だって?!」大槻三佐が言った。

「はい、確認しました」通信士が言った。それを聞いて回りの隊員達も動揺した。

「何故自衛隊がこんなに早くやってくるんだ。仮に米軍から協力要請を受けたとしても早すぎる」

「大槻三佐。どうしましょう?」通信士の声が緊張している。

「まだ接近してくるか?」

「いえ、止まったようです。たこつぼを掘り始めたようです」

「そのまま監視するように言え。他の小隊にも連絡をしろ。私が許可するまで発砲は禁止だ!」

「わかりました」通信士はホッとした。周りの隊員達も安堵の表情を見せた。

「どういうことでしょう?」大前一尉が尋ねた。

「わからん。だが、米軍も近くにいるはずだ。気をつけろ!」大槻三佐は難しい顔をして椅子に腰掛けた。自衛隊の出動が予定より早い。少なくともあと2,3日は現れる筈が無かった。米軍が早めに助けを求めたに違いない。あと一日だったのに…。つい2時間前核弾頭の起爆コードを解除することが出来たのだった。あと数時間あれば、ヘリで横須賀のアメリカ軍陣地に運び核爆発させることが出来るのだ。それなのに…。恐らく自衛隊は1個小隊だけではないだろう。正面の丘あたりにも展開しているはずだ。展開している部隊を全滅させない事にはヘリを離陸させたところでスティンガー地対空ミサイルで撃墜されるのは目に見えている。やってきた部隊が米軍なら喜んで攻撃しただろう。しかし、彼らは同じ自衛隊なのだ。大槻三佐は悩んだ。以前彼が言っていたように、その犠牲は大儀を貫くための戦闘被害者だと思えば問題は無かった。だが、彼の趣旨に賛同した隊員達が同じ自衛隊員に対して発砲するかどうかまでは疑問だった。彼自身そこまで考えていなかったのだ。

大槻三佐は真っ暗な闇を窓から覗き込みながら対策を考えた。


山本一佐が福井県山中の移動司令部にやってきたのは朝方だった。司令部内では宮田三尉と第2小隊長の内藤三尉、対戦車小隊の堀内三尉、それに第1中隊長大野一尉がそれぞれの部隊の配置を確認していた時だった。そこにはNESTのドナヒュー少佐とデルタフォースのワイラー大尉も同席していた。山本一佐と米軍将校はお互い挨拶を交わした。

「ところで大野一尉。配置は完了しているか?」山本一佐が尋ねた。

「はい」大野一尉はそう言うと地図を示しながら説明した。

「工場は山に囲まれたような状態になっています。大槻三佐の部隊は、工場から道を挟んで南側に広がる小山の稜線沿いに1個小隊。工場正面の道路を見渡せる丘の上に1個小隊。敷地内に1個小隊展開している模様です。工場の背後、つまり北側は切り立った崖のようになっていますので、ここからの侵入は不可能かと思います」大野一尉は言った。

「まるで要塞だな。と言うことは正面から攻めるしかないのか」山本一佐は唸った。

「はい、そう思います。それで我々は第1小隊をこの稜線を取り巻くように配置。第2小隊はこの丘の麓に配置しています。対戦車小隊は第1小隊と第2小隊の中間で両方の部隊と連携できるように展開しました。ドナヒュー少佐のデルタフォースは工場の西側斜面で内部の状況を伺っています」

「中の様子はどうですか?」山本一佐が英語でドナヒュー少佐に尋ねた。

「自衛隊の部隊が到着した頃に若干動きがありましたが、現在動きはありません」

「ということは、相手は我々が配置についていることを知っているということですね」

「恐らくそうだと思います。ただ、向こうから攻撃を仕掛ける気はないようです」ドナヒュー少佐が言った。

「相手が誰か見極めているのかもしれません」大野一尉が言った。

「核弾頭のありかは?」

「まだ確認していません。車両の中には無いものと思います。恐らく工場の中の一番奥ではないでしょうか?偵察衛星では放射線反応は出ていません」

「もうほかに移したと考えることは出来ませんか?」

「可能性はあります。しかし、ここでこれだけの防衛線を張っているのです。ここにあると思って間違いは無いのではないでしょうか」ドナヒュー少佐はそう言った。

「私もそう思います。仮にここから移動していたとしたら、起爆可能になっているという事でしょう」山本一佐はそう言った。

「そうだとしたら、爆発するまで見つからないでしょうね」ドナヒュー少佐が言った。

「起爆には暗号が必要なのでは?」

「もちろんです。しかし、奪われた核弾頭は旧式で優秀な技術者がいれば起爆可能でしょう。恐らく、最初からそのつもりであの核弾頭を選んだ可能性があります」ドナヒュー少佐が言った。

「どうやら最悪のケースを考えておく必要がありそうだな」山本一佐が言った。

「いざとなったら、我々を道連れに自爆ですか?」大野一尉が言った。山本一佐は頷た。

「どうします?方法はあなた方にお任せします」ドナヒュー少佐が言った。

「私が向こうに行きます」

「何ですって?!いくらなんでもそれは正気の沙汰とは思えません。単に人質になるだけですよ」ドナヒュー少佐は驚いてそう言った。

「自分もそう思います。連隊長、それは危険すぎます。考え直してください!」大野一尉は言った。

「彼には小手先の戦術じゃ通用しないよ。もし、本気で我々を撃退するつもりなら一瞬で我々をひねり潰すことが出来るだろう。少なくとも今は躊躇している。このタイミングを逃すわけにはいかない。顔を突き合わせて話せば何とかなるかもしれない。こじれたら終わりだ」

「もし、連隊長が捕虜にされたり殺されたりしたら?」大野一尉が言った。

「その時は私のことは構うな。強行突破して核弾頭を奪還するんだ」

「しかし…」

「いいか。彼が俺を殺すとしたら最後の手段しか残されていないということだ。大槻が核爆発させる前に奪い返すんだ。でないとここにいる全員がやられるぞ。それだけじゃない、北陸一帯が核に汚染されるんだ。核弾頭を発見したらドナヒュー少佐達に任せろ。何とかしてくれるだろう」

「わかりました」

「ドナヒュー少佐。工場の近くまで案内してもらえますか?」山本一佐が言った。

「はい、ここからおおよそ2時間くらいで行けます」ドナヒュー少佐が答えた。山本一佐は頷くと大野一尉に向かった。

「あとはデルタフォースと連携して事に当たれ」山本一佐はそう言うと今度は通信士に指示した「全周波数で大槻三佐を呼び出すんだ。山本一佐が話しに行くと伝えろ!」山本一佐は腕時計を見るとさらに続けた。「0900時に一人で正面ゲートに行く。丸腰だから撃つなと言え!」山本一佐はそう言うとドナヒュー少佐に向かった。

「ドナヒュー少佐、あとは大野一尉に任せます。お願いします」

「分かりました。それでは行きましょう」


「大槻三佐。第10師団第35普通科連隊から入電。大槻三佐へ。山本一佐が話をしたいとの事。0900時に正面ゲートへ一人で行く。丸腰だから撃たないように。以上です。これが繰り返されています」

「山本一佐が?」

「大槻三佐。みんなバレています。それに35が何でここまできたんでしょうか?」大前一尉不安そうに言った。

「我々は自衛隊同士で戦うことになるのですか?隊員達は今対峙しているのが自衛隊だということ知って不安がっています」

「向こうがその気なら受けて立つまでだ」

「他の隊員は納得しないかもしれませんよ」

「とにかくあと少しで全て終わる。それまで頑張るんだ」

「山本一佐はどうします?恐らく投降勧告にくるのでは?」

「多分そうだろう。本当に一人なら中に入れろ。丁重に扱うんだぞ。折角だから話くらい聞いてやるさ」

「そうですね。いざとなれば人質にすればいい」

「まあな」

山本一佐は正面ゲートに近づくと手を上げてゆっくり回った。丸腰だということを見せるためだ。暫くすると自衛隊員が二人、自動小銃を構えながら近づいてきた。二人は山本一佐に敬礼した。山本一佐はただ頷いただけだった。二人は中に入るように促した。

「山本一佐。ようこそいらっしゃいました。こちらにどうぞ。ご案内いたします」大前一尉がそう言った。山本一佐は頷くと二人の後に従った。

「君は確か大前君だったね」

「はい、大槻三佐の補佐をしている大前一尉です」

「第2中隊全員が加わっているのか?」山本一佐が尋ねた。

「ほぼ全員です」大前一蔚が答えた。

「そうか…」山本一佐は悲しそうにそう言った。工場の一室に案内されるとそこには大槻三佐が待っていた。そこは簡単な応接室のようで、古ぼけたテーブルとジャガード張りの椅子が置いてあった。大槻三佐は山本一佐の顔を見たとたん敬礼をした。山本一佐も返した。

「ご無沙汰しています」大槻三佐が言った。

「大槻、なんて事をしてくれたんだ」

「ごあいさつですね。いきなりそれですか?」

「自分が何をしているのか分かっているのか?」

「もちろんですよ。私は正気です。まあ、座りませんか?」大槻三佐は椅子を勧めた。大槻三佐が腰掛けたので山本一佐も仕方なくそれに従った。

「大槻、君は今の状況を分かっているんだろうな?外には私の部下とデルタフォースが包囲しているんだぞ。さっさとバカなことはやめて投降するんだ。アメリカ側もおとなしく核弾頭を渡せば悪いようにはしないといっている。C―130の生存者もここにいるんだろう?無事なのか?」

「山本さん、状況を分かっていないのはあなたの方です。私には起爆可能な核弾頭があるのですよ」大槻三佐は起爆可能という部分を強調していった。山本の顔色を窺ってから続けた。「それに、あなたの部下は2個小隊でしょう?対戦車小隊も連れてきているのかな。全て、私の105ミリ砲の照準に捉えています。私が命令すればひとたまりもありませんよ」

「何が望みなんだ?」

「それは言えない」

「言えないだと?!いいか。このまま戦闘になったら大勢の部下が死ぬことになる。もちろん、うちの損害の方が甚大だろう。だが、君の部下だって無事ではすまないぞ。そんなことは望んでいないんだろ?よく考えてくれ。今は自衛隊同士で内輪もめしている場合ではないこと位わかっているだろう?折角生き残った者同士殺しあうなんて馬鹿げていると思わんか?」

「私だってもちろんそんなことは望んでいませんよ」

「だったら何故?」

「だったら何故だって?!それはこっちの台詞だ!あなたこそ何故、のこのことこんな所までやって来たんです?!余計なお節介を…。あなたが来なければ自衛隊員同睨み合うことも無かったんだ!いつもそうだ!あなたは善人面して色んなことに介入する。人がほっといて欲しい時だってズカズカと土足で踏み込んでくるんだ!もういい加減にしてくれ!」大槻三佐はそう叫ぶと立ち上がった。

「大槻!何が気に入らないんだ?俺はお前のためだと思って…」山本一佐はそう言うと大槻三佐に近づいた。

「それがお節介って言うんだ!」大槻三佐は山本一佐を振り払った。

「何だと!」山本一佐はそう言うと拳で大槻三佐を殴った。大槻三佐は倒れた。それを見ていた大前一尉は山本一佐を羽交い絞めにいた。大槻三佐は立ち上がると切れた唇を指で拭った。

「大前、もういい。離せ」大槻三佐がそう言うと、大前一尉はゆっくりとその力を緩めた。山本一佐は息苦しさにゼイゼイと言っていた。大槻三佐は落ち着きを取り戻した。

「山本さん、あなたには部屋でおとなしくしていてもらいます」

「大槻…。これだけ言ってもダメか?」

「私は諦めない。何があってもこの仕事はやり遂げます」

「一体何をするつもりなんだ」

「友人のよしみで教えましょう。米軍への核攻撃です。ヘリで横須賀に運ぶ」

「そんなことが出来ると思うのか?途中で撃墜されるぞ!」

「やってみなくちゃわからん!」

「そんなことをして何になるんだ?!」

「あなたには絶対わからないでしょう。大前、山本一佐を連れて行け!」


高橋と島添は、“たこつぼ”の中で警戒態勢をとっていた。二人ともヘルメットに付けられたネットには沢山の草や葉を差してカモフラージュを施し、顔には黒のドーランをたっぷりと塗りつけていた。彼らは、もう何時間もLAMを構えたままじっとしていたのであちこちの関節が悲鳴を上げ始めた。

この仰々しい兵器はパンツァーファストⅢとも呼ばれ正式名称は110ミリ個人携帯対戦車榴弾と言った。ドイツが開発して日本でライセンス生産している。見てくれは“つくし”のお化けのような形をしており、弾頭と発射筒は使い捨てで、発射装置と照準器は使いまわしになっている。弾頭込みで13キロほどあるだろうか。演習の時、通常装備のほかにこれを持たされるときは悲しくなる。とは言っても彼ら普通科連隊において対戦車戦では無くてはならないものだった。

彼らには、これ以外に新型の01式軽対戦車誘導弾もある。別名、軽MAT。旧式になった84ミリ無反動砲カールグスタフの後継だ。これの方が射程も長く命中率もいいがLAMに比べて少々重いのが難点だった。軽MATは松山三曹の得意分野なので彼に任せてあった。島添士長は体をモゾモゾと動かすと高橋のほうに向いた。

「高橋さん、ずっとここにいませんか?ここはユニットもあんまりいないし」島添が言った。高橋は島添が言わんとしている事が良くわかった。確かにこの山の中はユニットが少なかった。今のところ、まだ3人くらいしかお目にかかっていなかった。名古屋市や岐阜市などの都市部と比べたらまるで天国のようだ。高橋はその言葉を聞いて笑みを漏らした。

「君は何か忘れていないか?1キロ先には105ミリ砲が4門こっちを狙っているって事を…」

「山本一佐が説得してくれれば解決でしょう?基地に帰るヘリに乗らなきゃ分からない」

「あのさぁ。こんな所に一人でいてどうやって生きていくんだよ。食料は?」高橋は呆れたように言った。

「レーションをくすねれば暫く大丈夫でしょう?」島添士長はいたずらっぽい笑顔を浮かべながらそう言った。

「なあ、島添。もうちょっと現実を直視したほうがいいぞ。そんなものすぐ無くなるんだ」

「いい考えだと思ったんだけどなぁ」

「俺には、お前の考え方がわからん。妙に几帳面な時があるかと思えば、あまりに楽天的な時がある。どれが本当の島添なんだ?」高橋は尋ねた。

「自分でも分かりません。でも薮野や三桶よりはマシですよ」島添は自慢げに言った。

「あいつらは子供なだけだよ」

「まあ、確かに…」島添はそう言うと人の気配がしたので後ろを振り返った。高橋もそれに合わせてライフルに手をやった。その気配の主は恵美子だった。彼女は姿勢を低くして近づいてくるところだった。恐らく巡回だろう。二人はホッとして力を抜いた。恵美子は高橋たちのたこつぼに飛び込むと勢いでずれたヘルメットを直した。

「ねぇ、異常は無い?」恵美子が尋ねた。

「今のところ別に問題はありません」高橋が言った。

「そう。島添士長、移動司令部の隣に補給所があるわ。食料を貰ってきなさい。藪野一士と長屋一士も連れて行って」

「わかりました」島添士長はそう言うと“たこつぼ”から這い出した。高橋は島添が姿勢を低くしながら離れていくのを見届けると小声で話した。

「松山三曹が持っている軽MATで本当に74式を潰せると思う?」

「理論的にはね。誰もやったことが無いから本当のところはどうかしら」

「装甲の薄いところなら何とかなるかもしれないけど」

「それより有効射程まで近づく方が問題よ。その時は恐らく小隊が半分になるでしょうね」

「考えたくないな」

「ほんとね。今、山本一佐が交渉に行っているんだけど連絡が無いの。工場に入ってから、もう4時間になるわ」恵美子は腕時計を見ながら心配そうに言った。

「山本一佐は大丈夫なんだろうか?少なくとも無事なら連絡があるはずだろ?」高橋は尋ねた。

「そうね。説得が大詰めだったら無理かもしれないわ」

「もし、山本一佐の身に何かあったら?」

「今のところ相手の動きは無いわ。大槻三佐が山本一佐を殺すとも思えないしね。でも、説得に失敗して拘束されている可能性もあるので大野一尉はあと2時間様子を見て連隊長から連絡が無い場合には行動を起こすつもりみたい。デルタの大尉と作戦を練っているところよ」

「いよいよだな」

「ええ。食事したら戦闘態勢に入って頂戴。私は松山三曹のところに行ってくるわ」

「了解」高橋はそう言うと恵美子の後姿を眺めた。


工場内の窓もない部屋に連れてこられた山本一佐は部屋の中に米兵が二人いるのに驚いた。

「あなたはもしかしてあの輸送機の乗員ですか?」山本一佐が尋ねた。

「ええ、そうです。アメリカ空軍のロックウッド少佐です。彼は海兵隊のマクミラン少尉」ロックウッド少佐はそう言った。マクミラン少尉も挨拶をした。

「私は、陸上自衛隊第10師団第35普通科連隊長山本一佐です」

「あなたはどうして監禁を?」ロックウッド少佐は不思議そうに尋ねた。

「核弾頭を返して投降するように大槻三佐を説得しに来たのですが…」

「無駄でしたか。一佐、彼はまともじゃないですよ」ロックウッド少佐が言った。

「ええ、私もそう思います。彼とはもう15年来の友人ですが、まさかこんなことをするとは…」山本一佐は寂しそうに言った。

「とにかく、彼は本気です。何とか止めないと…。あなたが来たということは自衛隊が展開しているのですか?」ロックウッド少佐は尋ねた。

「陸上自衛隊3個小隊とデルタフォース1個分隊が包囲しています」

「しかし、あなたが捕虜になったとなると…」

「心配は要りません。部下には私が拘束されても作戦は続行するように言ってあります。ですが、大槻三佐は核弾頭が起爆可能になっていると言っていた。もし、それが本当なら自爆する可能性がある」

「恐らく起爆可能になったというのは本当でしょう。コードの解読は自信がありそうでしたから…。しかし、彼はここで核爆発をさせることは無いでしょう」ロックウッド少佐は言った。

「なぜですか?」山本一佐は尋ねた。

「彼は我々を恨んでいます。我々というより核保有国全体をです。アメリカに核兵器の恐ろしさを思い知らせると言っていました。ここで核爆発させたところで数人の米兵を殺すことしか出来ません。それでは本来の目的が達せられないのです」

「大槻の奴…」山本一佐はうなだれた。

「彼の言わんとしている事はわからないでもない。私たちにも非はあります。あなたもそう思っているのでしょう?」ロックウッド少佐は恐る恐る尋ねた。山本一佐はその質問には答えなかった。

「だが、今更そんなことをしたところでどうなるものでもないのに…」山本一佐は呟いた。そして顔を上げると続けた。「とにかく、あと数時間で部下が行動を起こすはずです。そのときがチャンスです。ここから抜け出すことを考えましょう。何としても核弾頭を奪い返すしかない」山本一佐はきっぱりと言った。


第2戦車中隊第3小隊は東西に走る唯一の道を見渡せる丘の上に展開していた。道を挟んで工場の南側正面あたりに位置しており、ここからは両陣営の配置がすべて見渡せた。彼らは第35普通科連隊第2小隊と更に対戦車小隊の都合2個小隊と対峙していた。

第3小隊2号車は丘の一番端で対戦車小隊が展開していると思われる方向へ砲身を向けていた。当然車体自体カモフラージュを施し出来るだけ見えないように隠してあった。真っ暗になった森の中ではそう簡単に狙うことは出来ないだろう。

74式戦車の中は狭苦しかった。まるで人間を無理やり空いている隙間に押し込んでいるような感じだ。車内には巨大な砲身が中央に据えられており、より一層狭苦しさを醸し出していた。壁面には各種の弾薬と弾道計算システムや計器パネルが所狭しと並んでいる。全く人間のことなど考えて作られていないのだ。戦車長の岡部三尉は無線機に向かい他の小隊と中隊本部との交信を聞き入っていた。他の隊員は戦闘配置のまま食事をしていた。その顔には緊張が走っていた。それも当然だろう。今では同じ自衛隊同士お互いに砲口を突きつけながら一触即発の状態だったのだ。そもそも大槻三佐の話では自衛隊と対決することは無いと言われていた。自衛隊が展開するまでには全ての作戦が終了するはずだったのだ。彼ら自身戸惑っていた。岡部三尉は無線機のヘッドフォンを外すと部下たちの方へ向いた。

「お前たち、決してむやみに発砲するんじゃないぞ。仲間同士殺し合いする為にこんなことをしている訳じゃないんだからな」岡部三尉が言った。

「わかっています。でも、向こうから撃ってきたらどうします?」

「そのときは仕方がないさ。むざむざ殺されるわけにもいかない」

「そうですね」

「友定士長はどうした?」

「小便に行っていますが…」

「あいつの様子はどうだ?」

「以前よりはマシになりましたが、まだかなり影響があるようです」

「仕方がないですよ。嫁さんを自分で殺したのがショックなんですから」

「おい、あいつの前で決してそんなことを言うなよ」

「わかっています」

友定士長は真っ暗な中、戦車の陰に座り込んでいた。ちゃんと意識はあるのだが心はそこには無かった。彼は生きる気持ちが全く無くなってしまっていた。死んだ妻のところに行くことだけが唯一の望みだったのだ。

彼は2ヶ月前、女性自衛官と結婚したばかりだった。彼女は第10通信大隊金沢駐屯地分遣隊に勤務していた。知り合ったきっかけは一年前の部隊の交流会だ。今は結婚してもお互い通いながらの夫婦生活だったが、来年には彼女の任期が終わるので、それからは大津で一緒に暮らすことになっていたのだった。この事件が起こったとき二人は同じ演習に参加していた。友定士長は74式戦車の装填手なので無事だったのだが、彼女のほうは屋外で通信機の設置を行なっていたため病原体に感染してしまったのだ。

大混乱が収束しかけた時、友定士長は岡部三尉に頼み込んで彼女の捜索をするために戦車から降りた。あちこち駆けずり回って探したのだが見つからなかった。ほとんど諦めかけたとき、突然林の中から女性の叫び声が聞こえてきた。彼はその声がした方へ駆け寄ると女性隊員が襲われていたところだった。彼は持っていた9ミリ拳銃で襲い掛かっている隊員の頭に銃弾を撃ち込んだ。間一髪女性隊員を助けることが出来た。その隊員はあまりのショックのため泣き崩れていたので彼は近づき声をかけた。そのとき友定士長は自分が撃ち殺した隊員の顔を見て彼は愕然とした。友定士長が撃ち殺したのは彼の彼女だったのだ。それから彼は、その亡骸にしがみつき、号泣して自分自身を罵った。岡部三尉はその光景を見て、とても声をかけることは出来なかった。その後、数日間は完全に放心状態で全く任務をこなすことは出来なかったが、今のところは何とかまともになったようだった。しかし、彼の精神状態は完全に崩壊していた。死ぬことしか考えていなかったのだ。自分が撃ち殺した妻の元に行くために…。


友定士長はポケットから手榴弾を取り出して暫くじっと眺めた。そして、ため息を一つつくと安全ピンに指をかけた。岡部三尉は彼が自殺を図らないように拳銃を取り上げていた。そこで、彼はみんなの目を盗んで手榴弾をくすねたのだった。もし、彼がまともな精神状態ならば今この時期に手榴弾で自殺することはしなかっただろう。もっとも、まともなら自殺などしないのだが…。今の彼には切迫した周りの状況よりももっと大事なことだったのだ。


「それにしても少し遅くないか?太田三曹、ちょっと見てきてくれないか?」岡部三尉は上部ハッチで監視の任務についていた隊員に言った。

「わかりました」太田三曹はそう言うと姿勢を低くしながら戦車を降りた。そして後ろに回ったところで友定士長が座り込んでいることに気がついた。

「友定、そんなところで何をしているんだ?」太田三曹は尋ねた。その声に友定士長は慌てて安全ピンを引き抜いた。太田三曹はそれを見て驚いた。

「友定、そんなもので何をする気だ?!よこすんだ!」太田三曹はそう言うと友定士長に覆いかぶさった。その拍子に起爆レバーが小さな金属音と共に跳ね上がった。しかし、その音を太田三曹は気付かなかった。


岡部三尉は、外から聞こえる怒鳴り声でハッチから顔を出した。そこで友定士長と太田三曹が揉みあっているのを目撃した。

「お前たち何をしているんだ!」岡部三尉は怒鳴った。その瞬間、大音響と共に二人を吹き飛ばした。岡部三尉は爆風で気を失った。

2号車から20メートルほど離れたところで警戒に当たっていた第3戦車小隊小隊長の山内二尉は突然の爆発に驚いた。まさかと思っていたからだ。しかし、二人の隊員が地面に叩きつけられたのを見て完全に攻撃だと思った。

「こちら第3小隊!2号車が攻撃された!繰り返す2号車が攻撃された!隊員2名死亡、発砲許可を求む!」山内二尉は本部に無線連絡をした。そして続けざまに車内の部下に命令した。「HEAT弾装填!前方の重MATを狙え!」


本部の無線機の前でそれを聞いていた大前一尉は驚くとともに大槻三佐の顔を覗き込んだ。大槻三佐は頷いた。大前一尉はマイクを取った。

「発砲を許可する!繰り返す発砲を許可する。全部隊任意に発砲してよし!」


高橋は右手の丘の上に閃光が走ったのを見て嫌な予感がした。大野中隊の第2小隊と対戦車小隊の陣地の正面あたりで、大槻三佐の1個小隊が展開しているところだ。彼は隣の”たこつぼ”にいる恵美子の方を見た。彼女は無線機のマイクに何か言っているところだった。


「高橋さん、あれ見ました?」島添士長が言った。

「島添、ちょっと様子を聞いてくる。頭を低くしているんだぞ」高橋はそう言うと姿勢を低くしたまま恵美子の“たこつぼ”に向かった。

「そうです。爆発を確認しました。戦車のシルエットも見ました。攻撃命令が出たのですか?わかりました」恵美子はそう言うとマイクを尾上に返した。

「高橋士長、何やっているの?危ないわよ。早く“たこつぼ”に戻りなさい」

「何があったんですか?」

「わからないわ。攻撃命令は出ていないそうよ。その場所で待機してろって…」恵美子はそこまで言うと第2小隊の陣地の近くで幾つかの閃光を見た。続いて激しい振動と爆発音が鳴り響いた。第2小隊が攻撃されているのだ。今度は近くで空気を切り裂くような音がした。高橋は咄嗟に恵美子を突き飛ばすと「伏せろ!」と怒鳴った。その瞬間大爆発と共に爆風が吹き荒れた。うつ伏せになった高橋の上に大量の土塊と木の破片が降り注いだ。次々と砲弾が炸裂しているので全く動くことが出来ない。高橋はこのまま土に埋まってしまうのではないだろうかと思えた。彼は何とか恵美子の“たこつぼ“に転がり込むと一瞬ホッとした。しかし、これでさえ決して安全ではないのだ。横を見ると恵美子は無線機のマイクに怒鳴りつけていた。だが、その声は砲弾の炸裂音のために全く聞こえなかった。暫くすると恵美子はマイクを放り出し松山三曹に大声で指示した。そして今度は高橋に向かった。

「砲撃がおさまったら前進するわ。対戦車弾を全部持っていくように!」恵美子は怒鳴った。高橋は頷いた。半分ほどは聞き取れなかったが大体理解できた。

「私はみんなに連絡してくるわ」恵美子はそう言うと“たこつぼ”から這い出そうとした。高橋は驚いてその体を押さえ込んだ。

「どうせ向こうに戻るんだ!島添と三桶には俺が伝える」高橋は怒鳴った。恵美子は頷いた。

「わかったわ。気をつけて!」恵美子がそう言うと高橋は親指を立てて合図した。そして、砲弾の降り注ぐ中、匍匐前進で元来た“たこつぼ”へ向かった。この状況で“たこつぼ”から出るのはまるで自殺行為だ。高橋はそう思った。しかし、恵美子をそんな目に合わせるわけにはいかなかった。暫く行くとほんの数メートル横で砲弾が炸裂した。強烈な衝撃波と熱風が彼に襲い掛かってきた。それと同時に大小の破片が飛び散った。高橋は右腕に強烈な衝撃を感じた。しかし、衝撃波と爆音のために意識が朦朧としてそれどころではなかった。かろうじて意識を失うことを免れた高橋は再び前進を開始した。少なくともここにいては危ないと本能がそうさせたのだ。何とかたこつぼに戻ると島添士長は両手で頭を押さえて蹲っていた。高橋が転がり込むと叫び声をあげた。

「島添、俺だ!」高橋がそう怒鳴ると叫び声はやんだ。

「高橋さん、腕から血が!」島添は再び叫んだ。高橋は耳鳴りでほとんど聞こえなかったが島添が指差しているのを見て自分の腕を確認した。ユニフォームが血でべったりだった。普段なら驚いても不思議ではないだろう。しかし、さっきの状況で腕があるだけ幸運だと思った。よく見ると破片が掠っただけのようだった。腕は動くし骨にも異常はなさそうだった。今のところ痛みは無いがいずれ強烈な痛みが襲ってくるだろう。高橋はポケットからハンカチを引っ張り出すと島添に渡した。

「これで縛ってくれ!」高橋がそう言うと島添は何かブツブツ言いながら傷口を縛り上げた。今は耳鳴りのお陰で島添の愚痴を聞かなくても済むのがせめてもの救いだ。高橋は島添に声をかけたが訳のわからないことを喋っているので両肩に手をやり揺すって言い聞かせた。

「いいか、島添!砲撃がやんだら前進するんだ!LAMを全部持っていくんだぞ!」高橋がそう言うと島添は我に返ったようだった。

「前進ですって?!ここから出て?!冗談でしょう?!自殺行為だ!」島添は怒鳴った。

「よく聞くんだ!次の砲撃は“たこつぼ”を直撃してくる!ここにいるほうが危ないんだ!わかったな!分隊長の合図で前進しろ!俺は三桶達に伝えてくる!」高橋がそう言うと島添は信じられないと言うような顔をした。高橋はそれを無視して再び匍匐前進で次の“たこつぼ”に向かった。砲撃が散発になってきたので高橋は時間がないと思った。やむ終えず立ち上がると姿勢を低くしたまま走っていった。三桶の“たこつぼ”でも同じような状況だった。高橋は指示を二人に伝えた。返ってきた答えも全く同じだった。高橋は説明するのが面倒くさくなり、そこらにあったLAMと予備弾を無理やり二人に持たせると前進の準備をさせた。二人ともブツブツ言いながら高橋の指示に従った。暫くすると恵美子は前進の合図を出した。高橋は二人の尻を叩いた。

「さあ、行くんだ!前進!行け!行け!」高橋はそう怒鳴ると後ろから二人を押し上げた。二人が嫌々ながら走り出すと、気になっていた島添の方を見た。案の定だ。彼はまだ“たこつぼ”の中で蹲っていた。高橋は三桶と藪野が走り出すのを見届けると再び島添の“たこつぼ”に向かった。

「島添!とっとと立て!さあ、行くんだ!」高橋はそう言うと島添の襟首を引っ張りあげて無理やり立たせた。

「走れ!みんなに遅れるな!」高橋は島添を急かした。次の砲撃までに出来るだけ戦車に近づかないといけないのだ。彼らが持っている武器を使うには少なくともあと500メートルは前進する必要があった。暫くすると再び砲撃が始まった。誰かが「伏せろ!」と怒鳴った。それに従いみんなうつ伏せになった。着弾を見ると、今までいた“たこつぼ”はことごとく破壊されていた。すぐ隣にいたはずの第3分隊は“たこつぼ”から出遅れたため数人が一緒に吹き飛ばされた。

「くそっ!」高橋は毒づいた。それを見ていた島添士長は身震いしていた。第2分隊は砲撃の合間を見て立ち上がり再び前進した。何も身を守るものが無いところでじっとしていてもやられるだけなのだ。暫くすると前方に岩盤が張り出している窪みがあるのを見つけた。およそ200メートル先だ。あそこからなら辛うじてLAMの射程距離に入るだろう。

「一気に岩場まで行くぞ!」高橋はそう怒鳴った。恵美子も同じことを思ったらしく他の隊員たちに指示していた。丘を駆け上がっている状態なのでスピードは上がらない。おまけに足元がデコボコなので困難を極めた。今では機関銃弾まで飛んできていた。ビシッ、ビシッと耳元を掠める弾丸の音は気持ちのいいものではなかった。生い茂る木々が多少は弾除けにはなってはいるが大して役に立ってはいない。ここからは余程幸運に恵まれない限り無事にたどり着けるとは思えなかった。今のところ第2分隊に犠牲者が出ていないだけ奇跡だ。あとは運を天に任せるしかない。砲弾が爆発するたびに立ったりうつ伏せたりしながら必死に走って岩場までたどり着くとさすがに息が上がった。武器弾薬しか持ってはいないがそれでも30キロ近くあるだろう。しかし、じっとしているわけにはいかなかった。それは他の隊員も理解しているらしくテキパキとLAMの射撃準備をしていた。

「目標を発見しだい、各個射撃開始!」恵美子が叫んだ

「島添、三桶!撃ったらすぐその場を離れるんだ!射撃炎を目標に反撃されるぞ!」高橋が怒鳴った。高橋は照準器を覗くと目標を探した。1両の74式戦車が燃えていた。対戦車小隊がやったのだろう。お陰で狙いが付けやすくなっている。暫くすると燃えている戦車の10メートル左に戦車の砲塔が現れた。

「11時方向に戦車!」高橋が怒鳴った。それにあわせて一斉にLAMを発射した。飛び出したロケット弾はことごとく外れた。射程ギリギリではあったのだが、砲塔しか見えない状態ではいささか無理がある。

「移動だ!」高橋が言った。全員が発射位置から移動した。案の定今までいた岩場は戦車砲の砲弾に破壊された。そして、あたりの木々が爆風でなぎ倒され、高橋たちに襲いかかってきた。

「迂回して前進!」恵美子が怒鳴った。高橋たちは岩場を大きく迂回して木々に身を隠しながら前進した。さらに100メートルほど進むと幾つかの窪みがあった。そこなら多少は安全だろう。第2分隊は機関銃の曳航弾が飛び交う中を無我夢中で前進した。隊員たちは出来るだけ木々や土盛りなどを縫うようにジグザグに走った。彼らは何とかたどり着くと窪みの中に身を隠して射撃の準備をした。右手に展開していた第3分隊はそのまま大回りして進んで行く。第2分隊が正面でけん制している間に側面に回りこむ作戦だろう。とにかく我々は連中を引き付けるしかない。その時松山三曹が軽MATを発射した。あれなら74式戦車を破壊できるかもしれない。高橋はLAMの照準器を覗きこむと軽MATのミサイルの行方を追った。そのミサイルは残念ながらキャタピラに命中して戦車を破壊するまでは至らなかった。ただ、戦場で行動不能になるのは破壊されたのも同じことだ。しかし、少なくとも一度の反撃のチャンスがある。高橋はそれを阻止するために急いでLAMを発射した。だが、高橋のそれが命中する前に、動けなくなった戦車はミサイルが発射されたと思われる場所に105ミリ砲を撃ち込んだ。その砲弾は滝沢士長と長屋一士が潜んでいた窪みに命中して二人を粉々に吹き飛ばした。近くにいた松山三曹も爆風でやられてしまった。一方高橋の放ったロケット弾は頑丈に作られた砲塔正面に命中して大した被害を与えることが出来なかった。

「くそっ!なんてことだ!」高橋はそう吐き捨てた。しかし、戦車の乗員は車両を捨てて脱出した。放棄したのだ。高橋は辺りを見回すと恵美子が倒れた隊員の脇に屈みこんでいるのを見つけた。“誰かやられたのか?”戦車砲の着弾を見ていなかった高橋は心配になって近づいた。幸い他の戦車からの砲撃はなくなった。1個小隊4両のうち2両が脱落したのだ。撤退してもおかしくは無かった。暫くは安全だろう。高橋は恵美子に近づいた。倒れているのは松山三曹だった。彼は左腕に怪我をしているようで包帯を巻かれていた。恵美子が応急手当をしたのだろう。高橋が見る限りそれ以外に致命的な傷は見当たらなかった。ただ、倒れたときに頭を打ったり、爆風で内蔵をやられている可能性もあるので何とも言えない。

「松山三曹はどうですか?」高橋が心配そうに尋ねた。

「大丈夫。気を失っているだけだわ」恵美子はそう言った。しかし、その声は曇っていた。

「それはよかった」高橋はホッとした。そこに島添士長が近づいてきた。

「高橋さん。滝沢士長が…」島添士長が悲しそうに言った。その視線の先にはクレーターがあいており、人間の肉片のようなものが散らばっていた。高橋はショックを受けて屈みこんだ。足が震えて立っていられなかったのだ。恵美子は高橋に顔を向けた。彼女の目から涙がながれていた。彼女は拭き取ろうともしなかった。恵美子はやりきれない思いで一杯だった。“初めて自分の部下が死んだ。それも同じ自衛隊員に殺されるなんて…。感染してしまった人間にやられるのならまだしも、生き残った者同士がなぜ殺しあわなくてはならないのだろう?何故?”恵美子はこの世には神様なんていないのではないのだろうかと思った。彼女はそう思うと涙が止まらなかった。

高橋は足元に金属片が落ちているのに気がついた。よく見ると血まみれの認識表だった。高橋はその認識票を手にした。そして、付着した血をユニフォームで拭うと書かれた文字を読み取った。それは滝沢士長の物だった。高橋は背筋が寒くなった。一歩間違えばそれは自分の物だったかもしれないのだ。

「滝沢士長…」高橋が呟いた。

「長屋一士もよ」恵美子が言った。それを聞いて高橋は信じられないという顔をした。三桶と薮野もショックを受けて座り込んだ。

「まさか…」高橋が呟いた。

「直撃弾だったの…」恵美子が言った。高橋は無言で恵美子の手に滝沢士長の認識票を渡した。今は何を言ったところで気休めにもならないだろう。恵美子は受け取った認識票を一瞬ジッと眺めると力強く握り締めた。

「ありがとう」恵美子はそう言うとその認識票をポケットの中に入れた。彼女は高橋を安心させようと何でもないように振舞った。彼女は高橋が腕に巻いたハンカチに血がにじんでいるのを見つめた。

「あなたもやられたのね。腕は大丈夫?」恵美子は心配そうに尋ねた。

「ええ、かすり傷です」高橋はそう言った。いずれにしてもここにいる連中で無傷の奴など一人もいないだろうと思った。恵美子も額から血を流していたのだ。

「そう、よかった」

「島添士長、もうじき救護班がくるわ。それまで松山三曹をお願い。それと長屋一士の認識票も探してもらえないかしら。もしあればだけど…」

「わかりました」

「あとは前進するわよ」恵美子はそう言うとライフルを抱えなおして歩き出した。高橋、尾上、三桶、藪野は恵美子のあとについて丘をのぼっていった。


工場の一室で山本一佐、ロックウッド少佐、マクミラン少尉は外で鳴り響く激しい砲撃の音を聞きながら落ち着かない時をすごしていた。

「大槻の奴いつまで戦うつもりだ!」山本一佐が唸った。

「彼は折れませんよ。本気ですからね」ロックウッド少佐が言った。

外では車両の移動が活発になっていた。キャタピラの音が頻繁に聞こえてくる。工場の敷地内に引き返してきているようだ。態勢を立て直そうとしているのかもしれない。山本一佐は砲声が一発聞こえるたびに大事な部下の命が失われていると思うと、いてもたってもいられなかった。窓一つ無い部屋に閉じ込められている山本一佐達にとって状況が一向につかめないということが苛立ちを一層激しくした。山本一佐はここいる誰にも作戦の内容は話していなかった。もし、拷問されたとしても知らなければ言うことは無いだろうと思ったからだ。少なくとも山本一佐がそんな目にあった場合は奥歯の後ろに忍ばした青酸カリのカプセルを噛み砕けばいいだけの話だった。

作戦は、戦闘が始まったらそのどさくさに紛れてデルタフォースが工場の敷地内に侵入して核弾頭を捜索する手はずになっていた。だが、予定より戦闘の開始の時間が早いのは気になる。何か問題でも発生したのかもしれなかった。いずれにしても、デルタフォースなら何とか対処してくれるだろう。今はそれだけが頼りだった。この数時間の間に着弾音が徐々に工場のほうに近づいてきているような気がした。それにつれて建物内も慌しくなった。暫くすると部屋の外から怒鳴り声が聞こえた。内容は良く分らないが、何か問題が起こったようだ。山本一佐はいよいよ始まったかと思った。

それから15分経過したころ、ドアの前に人の気配がした。すると突然ドアノブが吹き飛んだ。ドアから二人の兵士が入ってきた。いずれも黒のタクティカルベストにH&K MP-5サイレンサー付きのマシンガンを構えていた。そのうちの一人が暗視ゴーグルを外した。それは顔を真っ黒に塗ったワイラー大尉だった。手には探知機を持っていた。山本一佐に取り付けた発信機を辿ってきたのだ。

「遅くなりました。山本一佐。ご無事で何よりです」ワイラー大尉が言った。

「核弾頭は?」山本一佐が尋ねた。

「まだ見つかっていません。ドナヒュー少佐と私の部下が捜しています。恐らく地下室ではないかと」

「大槻三佐もそんな事を言っていた」ロックウッド少佐が言った。

「輸送機の生存者ですね」

「ああ、そうだ。ロックウッド少佐と海兵隊のマクミラン少尉だ」

「二人だけですか」

「ああ、そうだ。ところで核弾頭を見つけてそれからどうするつもりだ?まさか、この戦場を手で持っていく事はしないのだろう?」

「もちろんです。既に連中の装甲車を確保しました。あとは核弾頭だけです。少佐、怪我は大丈夫ですか?」

「足が折れている。俺の事はいいから君たちは核弾頭を捜してくれ」

「わかりました。マクミラン少尉、これで少佐を頼む」ワイラー大尉はそう言うと背中に掛けていたライフルを渡した。

「了解」マクミラン少尉は言った。その時ワイラー大尉は耳に付けていたヘッドフォンを押さえて聞こえてくる無線内容を聞き逃さないようにした。

「そうかわかった」ワイラー大尉はマイクに向けてそう言うと山本一佐に向かった「ドナヒュー少佐が核弾頭を発見しました」

「私も一緒に連れて行ってくれないか。足手まといにはならないから」山本一佐がそう言った。

「わかりました。それではこれを」ワイラー大尉は腰のベルトからサイレンサー付きのM-9自動拳銃を渡した。そして、部屋から出て行った。

「ロックウッド少佐、幸運を」山本一佐はそう言った。

「はい。あなたも」ロックウッド少佐が言った。山本一佐はワイラー大尉のあとを追って出て行った。


恵美子は工場から300メートルほど離れたところにある小山の影に設置された前線指揮所で大野一尉と宮田三尉に報告に向かっていた。既に戦車は殆どが工場敷地内に戻っていた。今では散発的な砲撃があるだけだった。だが、機関銃や小銃の銃声はひっきりなしに聞こえてくる。大槻隊は74式戦車4両を失っていた。だが、彼らが本気で攻勢をかけていれば恵美子たちの普通科2個小隊など蹴散らすことも出来たであろう。しかし、突然彼らは工場へ撤退を始めたのだった。何か思惑があるのかそれは不明だった。今では恵美子たちは工場の周囲を遠巻きながら包囲するまでにいたっていた。だが、それ以上近づくことは危険だった。恵美子たちの被害も甚大だったからだ。恵美子は指揮所のテントに入った。

「岩田二曹来たか?無事か?」大野一尉が尋ねた。

「自分は大丈夫です。ですが部下が二人死んで、一人が負傷しました」恵美子は悲しそうに言った。

「そうか。大変だったな。松山は大丈夫だ。脳震盪をおこしていただけだ。今は意識を取り戻した。じき復帰できるだろう。高橋はどうだ?」

「右腕に怪我をしています」

「右腕に怪我を?狙撃するのに問題はあるか?」大野一尉は心配そうに尋ねた。

「そこまではちょっと…」

「まずいな。とにかく岩田も聞いてくれ」大野一尉はそう言うと地図を広げて説明を始めた。

「対戦車小隊は半分やられた。殆どは最初の砲撃での被害だ。重MATは発射する前に破壊されたよ。現状、中MAT1基が工場の正面1キロの辺りで待機している」

「あと1基だけですか…。ひどいですね」宮田三尉が残念そうに言った。

「第1小隊も第2小隊も似たり寄ったりの状況だ。今はデルタフォースが核弾頭を捜しに建物内へ侵入している。我々はその間、連中をけん制しなければならない。君たちを休ませてやりたいところだが、今が正念場だ。もう少し辛抱してくれ」大野一尉がすまなさそうに言った。宮田三尉と恵美子は頷いた。それを見て大野一尉は続けた。「デルタフォースは装甲車を1両確保したそうだ。核弾頭を発見しだいそれで工場から運び出す段取りになっている。隊員たちに装甲車への攻撃は控えさせろ」大野一尉は二人が頷くのを待って続けた。「そして、装甲車が工場を出たらどんな事があっても守るんだ。ありったけの対戦戦車弾を撃ち込め」大野一尉はそう言うと恵美子に向いた。

「それで岩田二曹、戻ったら高橋に狙撃銃を持ってここに来るように言ってくれ」大野一尉はそう言うと地図に指を置いた。

「ここに火のみ櫓がある。この位置からなら工場の敷地内が全て見渡せる筈だ。暗い内に上れば連中には気づかれないだろう。間もなく夜が明ける。明るくなったら彼にはデルタフォースが工場から出るまでの間、援護して欲しいんだ。それともう一つ大事な仕事がある。大槻三佐を見つけ次第狙撃する」大野一尉が言った。

「それは山本一佐の指示ですか?」宮田三尉は驚いてそう言った。

「そうだ。大槻三佐がいなくなれば連中は総崩れになるだろう。これが最善の方法だ。宮田三尉、君も高橋と一緒に行って指示してくれ」

「わかりました」宮田三尉と恵美子は頷いた。


第2分隊は工場の真正面にある丘の中腹当たりに陣取り、デルタフォースを援護するため小銃や機関銃で射撃を加えていた。彼らの右手には対戦車小隊、その向こうに第2小隊が展開しており。工場を取り囲むようにしていた。残り少なくなった対戦車弾の発射は指示があるまで控えていた。と言うのも戦車からの砲撃はあるものの、どうやら脅しているだけのようで直接的な被害はなかったからだ。それに、デルタフォースが建物内に侵入しているので、万が一の事があるといけないためだった。恵美子は指揮所から戻ると第2分隊の隊員に先ほどのブリーフィングの内容を伝え、今度は高橋に与えられた特別任務の説明をした。

「あなた、その腕で大丈夫?」恵美子はそう言うと、痛々しそうに包帯が巻かれた高橋の右腕を慎重に触った。

「一応縫ってもらったから大丈夫だと思う」高橋はそう言うと腕を上げた。その瞬間、鋭い痛みが走り高橋は顔をしかめた。

「だいぶんひどいようね」恵美子は高橋の顔色を見てそう言った。

「引き金くらい引けるさ」高橋は強がりを言った。

恵美子は高橋の右足のユニフォームに血がにじんでいるのを見つけた。

「足も怪我しているじゃない!?」恵美子は驚いてそういった。

「えっ?」高橋はそう言うと自分の右足を眺めた。ひざの少し上辺りのズボンが裂けて血がこびり付いていた。「ほんとだ。気がつかなかった。でも大丈夫だよ。歩くのに支障はないから…」高橋はズボンを少し破いて傷を調べた。5センチほどの切り傷があったが、既に出血も止まりかけていたのでそのままにした。恵美子はそれを見て不機嫌そうに屈みこんだ。

「ちょっとジッとしていなさい」恵美子はそう言うとポケットからハンカチを出して出血している場所を縛った。

「ありがとう」

「これが終わったらすぐ診てもらいなさいよ」

「わかった」高橋そう言うと笑みを漏らした。恵美子も同じだった。二人とも無事にこの任務が終わるのとは確信を持てずにいたのだ。死が目の前にチラついている現実の中で先の事を話すほど意味の無い事はないだろう。だから恵美子の“これが終わったら…”の言葉に妙な感じがしたのだった。二人の笑みはすぐに消え虚しい空気が流れた。“果たして生きて帰れるのだろうか?”そんな言葉が頭をよぎったのだった。

暫くすると、そこに松山三曹がゆっくりと歩いてやって来るのが見えた。。その足取りは元気がなかった。恵美子は立ち上がると松山三曹に近づいた。

「松山三曹もういいの?」恵美子が尋ねた。

「すみませんでした。もう大丈夫です。滝沢士長と長屋一士の事、申し訳ありませんでした。自分がもう少し慎重にやっていれば…」松山三曹はすまなさそうに言った。

「あなたのせいじゃないわ。私の指示が遅かったのよ」恵美子はそう言うと松山三曹の肩に手を置いた。

「松山三曹、早速で悪いけど島添士長たちの様子を見てきて」

「わかりました」松山三曹はそう言うと腰を屈めながら前線に向かった。そのうしろ姿には悲しみが漂っていた。松山三曹は責任感が強いだけにショックが大きいのだろう。それは目の前にいる恵美子もそうだった。“誰もいなければきっと泣きたいだろうに…”高橋はそう思った。高橋も同じ気持ちだった。少なくとも今は緊迫した状況の中におかれているので気丈に振舞っているだけなのだ。

「それじゃ行くよ」高橋はそう言うとレミントンを構えた。

「櫓には宮田三尉がいるはずよ。指示してくれるはずだわ」

「わかった」

「気を付けてね」

「君も」高橋はそう言うと笑みを返した。


真っ暗な地下室の中でドナヒュー少佐はマグライトの明かりを頼りに核弾頭と悪戦苦闘していた。通常の起爆装置の上にまた別の装置が取り付けてあった。この事態は想定していなかった。むやみに取り外すと爆発するようになっている。ドナヒュー少佐は焦った。

「どうですか?起爆装置を解体できそうですか?」山本一佐は心配そうに尋ねた。

「難しいですね。かなりいじくっています。解体すると起爆スイッチが入るようになっていますね」ドナヒュー少佐はため息をつきながら答えた。

「くそっ!もうすぐ夜が明けます」ワイラー大尉が腕時計を見ながら唸った。

「これは時間が掛かります。このまま移動させるしかない」ドナヒュー少佐が言った。

「仕方がないですね。台車のまま持って行きましょう」ワイラー大尉はそう言うと部下を集めて核弾頭を押し始めた。

「大野一尉に連絡しよう」山本一佐が言った。


「大槻三佐、もうやめましょう。戦闘自体無意味です。そもそも、こちらが攻撃されたと勘違いした事から始まった戦闘です。こちらから攻撃を停止しないとどちらかが全滅するまで続きます。大槻三佐もそれは望んではいないでしょう?」大前一尉が言った。戦闘が始まって数分後第3小隊から連絡があって、最初の爆発は攻撃を受けたのではなく2号車の隊員が手榴弾を誤爆させたのが原因だという事がわかった。しかし、一度始まってしまった戦闘をとめる事は簡単ではなかった。

既に5時間にわたって行なわれている戦闘で双方ともかなりの犠牲者が出ていた。特に隊内で戦闘の是非について騒ぎになっており、まともに大槻三佐の指示が部隊全体に行きわたっていないのが問題だった。第2、第3小隊とも勝手に撤退してきてしまったのだ。

「被害は?」大槻三佐が尋ねた。

「第2、第3小隊とも2両ずつの計4両です。脱走した隊員も多数います。戦闘を拒否している者もいます。既に隊内の統制は取れていません。これ以上は無理でしょう」大前一尉が訴えた。

「そうか…」大槻三佐はそう呟いた。そこに突然、隊員が駆け込んできた。

「中隊長!核弾頭が無くなっています!警備兵もやられていました。山本一佐もいません!」隊員が言った。

「何だと!」大槻三佐はそう言うと核兵器の保管していた地下室に向かった。


櫓に登る階段で高橋は右手の痛みに顔をしかめた。それを見ていた宮田三尉は高橋に声をかけた。

「高橋、腕は大丈夫か?」

「ちょっと痛みますが、多分大丈夫だと思います」高橋はそう答えた。しかし、本当のところはかなり痛かった。応急手当でホチキスのようなもので簡単に止めただけの治療だった。そろそろ鎮痛剤も切れるころだった。高橋は頭が朦朧とすると射撃に支障をきたす可能性があるので新しく鎮痛剤を飲むのを躊躇っていた。

「みんなボロボロだな」宮田三曹が笑みを浮かべながらそう言った。

「そうですね。小隊長もひどい格好ですよ」高橋はそう言うと笑みを返した。宮田三尉もドロドロのユニフォームで、太ももに包帯を巻いていた。それも既に血と泥で、とても包帯だとは思えなかった。その怪我は砲弾の破片が突き刺さったとの事だった。額からも血がにじんでいた。宮田三尉は痛そうに怪我をした太ももを押さえながら櫓の床にうつぶせた。高橋もそれに倣った。

「ああ、そうだな。だが、大勢の部下が死んでしまった。俺が生きていちゃ申し訳ない気がするよ」

「そんな事はありませんよ。これは誰が悪いわけじゃないような気がします。分隊長もかなりショックを受けています。でも、自分は分隊長に何て言ったらいいのかわかりません」高橋は悲しそうにそう言った。

「そうだろうな。何も言わないほうがいいだろう。冷たいようだが、こればかりは自分で乗り越えるしかない」

「そうですね」高橋はそう言うとレミントンのスコープの調整をした。

「なあ、高橋。俺も出来ることなら、岩田のような女性自衛官にこんな最前線で命のやり取りなんかさせたくなかった。だが、今の我々はそんな悠長な事を言っている場合じゃないんだ。今回の事はここにいるみんながつらい思いをするだろう。特に岩田には酷かもしれん。だが、あいつは強い女性だ。何とか乗り切ってくれるよ」

「そうだといいんですが…」

「お前は何も言わずそばにいてやれ。それだけであいつは救われるんだから」宮田三尉はそう言うと双眼鏡を覗きながら続けた。「それもこれも、この状況を乗り越えてからの話だ。今は任務の事だけを考えろ」

「わかりました」高橋はそう言うとライフルを構えた。

宮田三尉は暗視装置付きの軍用双眼鏡で工場の敷地内を調べた。彼はデルタフォースが確保したと思われる装甲車に目星を付けると高橋に状況を説明した。

「ここから250メートルから300メートルだ。狙えるか?」宮田三尉は双眼鏡を覗きながらそう言った。

「もう少し明るくなれば何とか」高橋は空を見上げてそう言った。

「もうじき夜明けだ。いよいよだぞ」宮田三尉は腕時計を眺めるとそう言った。

「小隊長。このライフルの弾丸はホローポイントです。本当にいいんですか?」

「今はそんな事を考えるな。核が爆発したら元も子もないんだ。お前は射撃に集中しろ」

「了解」高橋はそう言うとレミントンのボルトを引き薬室に初弾を挿入した。


工場の建物の出口で外の様子を伺っていたドナヒュー少佐とワイラー大尉は躊躇していた。既に空は白み始めていたのだ。このまま出れば見つかってしまうのは必定だった。しかし、いつまでもここでジッとしているわけにはいかなかった。恐らく10分もすれば連中に見つかってしまうだろう。救いなのは兵隊の数が圧倒的に少ないということだ。殆どの兵士は戦車に搭乗しており歩兵や警備兵に裂けるような人員が足りないのだろう。戦車隊は強烈な打撃力はあるがその辺りは弱いところなのだ。つまり小回りが利かないということだ。二人はそこに掛ける事にした。

「行くぞ!」ドナヒュー少佐は怒鳴った。

「装甲車に乗せろ!急げ!行け!行け!」ワイラー大尉は部下たちに発破を掛けた。隊員たちは百キロ近い核弾頭を必死で担ぎながら全速力で確保しておいた装甲車に向かった。山本一佐はしんがりで後ろを警戒しながら銃を構えて走った。デルタフォースは何とか核弾頭を装甲車まで運ぶと扉をあけ中に入れようとした。暫くすると、どこからか声が聞こえた。

「山本一佐!核弾頭を持ち出したのはやはりあなたでしたか!」

「大槻!」山本一佐は声の主を見つけるとそう言った

「山本一佐そこまでです。これが何かわかりますか?」大槻三佐は左手に持っている黒い箱を見せた。それにはアンテナが取り付けられていた。山本一佐は米兵が発砲しないように合図した。

「あれはリモコンの起爆装置です」ドナヒュー少佐は山本一佐の耳元で囁いた。

「何だと?!」山本一佐は驚いた。

「どうやら理解したようですね。核弾頭は置いていってもらいましょうか」大槻三佐は笑みを浮かべた。


櫓の上で双眼鏡を覗いていた宮田三尉は突然建物から出てきたデルタフォースを見つけた。隊員たちは数人で核弾頭らしきものを運んでいた。

「高橋、出て来たぞ!」宮田三尉はそう怒鳴った。そして、まるで自分が250メートル先の現場にいるような感覚で叫んだ「早く装甲車に乗れ!」宮田三尉はその中に山本一佐を見つけるとホッとした。しかし、その山本一佐が装甲車に乗り込まず立ち止まったのを見て不安がよぎった。

「あれは!」宮田三尉は双眼鏡の中で人影を見つけ驚いた。

「高橋、装甲車の右手20メートルの所に大槻三佐だ。距離255メートル。わかるか?」

「はい。標的を確認しました。手に何か持っています」高橋は大槻三佐らしい人物の様子を見てそう言った。それは宮田三尉も理解したようだ。

「どうも様子がおかしい。ちょっと待て!」宮田三尉はそう言うと無線機のマイクを取った。


二人は20メートル離れてにらみ合っていた。デルタフォースの米兵たちや大槻三佐の部下たちはこれから起こる事を予測できず、ただ、立ちつくしていた。

「大槻!もうやめろ!こんなところで核爆発させて何になるというんだ?!」

「私にはそれがどうしても必要なんですよ。どうしても渡してもらえないと言うのなら仕方がありません。起爆スイッチを押します」

「馬鹿な真似はやめるんだ!」山本一佐が言った。

ワイラー大尉とドナヒュー少佐は装甲車の中で、二人が対話している間に何とか起爆装置を外そうと作業に取り掛かった。

「何とかリモコンを無力化出来ないのですか?彼を撃つこともできない」ワイラー大尉はドナヒュー少佐に訴えた。

「時間が掛かる!」ドナヒュー少佐は毒づいた。

「とにかくやってみてください」ワイラー大尉が言った。

「くそっ!」ドナヒュー少佐はそう言うと工具を機械にそっと押し当てた。そこに大野一尉からの無線連絡が来た。通信士は送られてきた内容をワイラー大尉に伝えた。

「山本一佐。大野一尉が狙撃手を配置しているそうです。彼がリモコンのスイッチから手を離すようにさせてください」ワイラー大尉は装甲車の影から山本一佐へその内容を大槻三佐に聞こえないように小声で伝えた。山本一佐は小さく頷いた。


「山本さん。あなただって部下をこれ以上死なせたくないでしょう?私だって同じです。前にも言ったでしょう?目標は米軍だと。米軍のために無駄な血を流すのが得策だとは思えないでしょう?」

「米軍は我々のために救助活動をしてくれているんだ。それなのに核攻撃するのを見過ごせと言うのか?」

「それなら伺いますが、彼らが私たちにしてきたのを見過ごすのですか?」


櫓の上では、高橋が高度差と距離による弾丸の下落率を計算していた。恐らく30センチだと読んだ。あとは風だ。微風なのでそれだけが救いだった。高橋は必死に頭を回転させた。

宮田三尉が無線機に耳を当てていた。

「わかりました」宮田三尉はそう言うとマイクを置いた。

「高橋。大槻三佐が持っているのは起爆装置のリモコンだ」

「何ですって?!」高橋は驚いた。しかし、標的をスコープの真ん中に捉えたままにしていた。

「大野一尉はリモコンの周波数を割り出して妨害してみるとは言っているが時間が掛かる。チャンスがあったら撃てと言って来た。出来るか?」

「大槻三佐がリモコンを押さないように狙撃しろと?」高橋は尋ねた。言っている事が信じられなかったのだ。“250メートル離れた所から狙撃するだけでも至難の業なのにリモコンを押させないようにするなんてどうすればいいんだ?“と思った。

「そうだ!」

「本気で言っていますか?」

「ああ、そうだ!」

「やってみますが保障はできかねます」高橋は仕方がないと言うように呟いた。

「どうしてもやれ!距離255メートル、北北西の風、風速0・5メートル!」宮田三尉は癇癪をおこした。


装甲車の横では対話が続いていた。

「今更60年も前の恨みを晴らそうと言うのか?我々だって中国や東南アジアにしてきた事を思えば人の事など言えまい」

「私はこれからのためにするのです。これ以上核兵器の被害が出ないように連中に釘を差すのです」

装甲車の中でドナヒュー少佐は慎重に一つ一つ部品を外していった。一つ取り外すたびに額から滝のように流れ出る汗をぬぐった。ワイラー大尉はそれを心配そうに眺めていた。

「どうですか?」ワイラー大尉が言った。

「もう少し時間をくれ!」ドナヒュー少佐は呟いた。

山本一佐は大槻三佐と対話しながらどうすればリモコンから彼の指が離れるのか考えた。しかし、なかなかいい考えが浮かばない。山本一佐は焦った。とりあえず話を引き伸ばすしかない。

「他にも方法があるさ。この事件で世界的に核の脅威が取り立たされる事になるだろう。そんな事をしなくてもいずれ無くなる」山本一佐が言った。

「本気で言っているのですか?アメリカやロシア、中国が本気で核を撤廃すると?冗談も休み休みにしてください」

「では、どうしてもやると言うんだな」

「はい」大槻三佐がきっぱりと言った。山本一佐は最後の手段を思いついた。

「わかった。そんな事をされたら核弾頭を奪回するために死んでいった部下に申し訳が立たん。今からナイフを抜くが決してそのスイッチは押すなよ」山本一佐はそう言うと拳銃を捨て後ろに手をやった。彼はワイラー大尉に小声で「ナイフをくれ」と呟いた。ワイラー大尉は意味がわからないまま自分のナイフを山本一佐に渡した。彼はナイフをゆっくり抜くと上にかざした。

「山本さん、何をするつもりだ?!」大槻三佐はその様子を見て怒鳴った。

「自殺するのさ」山本一佐はそう言うと笑みを浮かべた。大槻三佐は信じられなかった。

「そんな芝居にだまされるものか」

「そうかな」山本一佐はそう言うとかざしたナイフを自分の腹に突き刺した。それを見た大槻三佐は驚いてリモコンから指が離れた。

「バカな!」大槻三佐はそう言った。


宮田三尉は櫓の上から山本一佐がナイフをかざすのを見た時、これから何が起こるのかわからなかった。

「山本一佐は一体何をするつもりだ?」宮田三尉が言った。その間、高橋は大槻三佐の微かな挙動を見逃さないようにジッと監視し続けた。

「えっ?!」宮田三尉は山本一佐がナイフを自分に突き刺すのをみてそう声を上げた。高橋は宮田三尉が驚いたのを聞いて“今だ!”と思った。案の定、大槻三佐は何かに驚いた様子でリモコンから注意が離れた。高橋はそれを見逃さなかった。大槻三佐の頭を狙って引き金を引き絞った。山全体に大きな銃声が鳴り響いた。


突然、大槻三佐の頭が粉々に吹き飛んだ。そして、その手からリモコンがぽとりと地面に落ちた。頭が無くなった大槻三佐の体はゆっくりとその場に倒れこんだ。暫くして銃声が鳴り響いた。

「大槻三佐!」近くにいた大前一尉はそう言うと大槻三佐の亡骸に屈みこんだ。近くの隊員や米兵たちは動揺した。

「みんな動くな!」山本一佐は腹が痛いのをこらえてそう怒鳴った。その声にみんなその場で立ち止まった。ワイラー大尉は慌てて山本一佐に駆け寄った。

「山本一佐、大丈夫ですか?!」ワイラー大尉は声を掛けた。

「ああ、大丈夫だ」山本一佐はそう答えると、今度は大前一尉に向かって声を掛けた。大前一尉は地面に転がっているリモコンを眺めながらどうしようか考えていたのだ。

「大前一尉もういいだろう?終わりにしろ」

「はい」大前一尉は少し間をおいて悲しそうにそう呟いた。そして、今度は部下全員に向けて大声で号令した。

「全員銃を置け!武装解除だ!」大前一尉の声に、みんなは少しホッとしたように銃を地面に置いた。

「衛生兵!」ワイラー大尉は装甲車の衛生兵を呼んだ。そして、山本一佐に向かって言った。

「山本一佐、無茶な事をしますね」

「こうでもしないと無理だろう?」山本一佐は痛みをこらえながらそう言った。ワイラー大尉は頷いた。山本一佐は衛生兵が「ジッとして」と言うのを聞かず、ゆっくり立ち上がると倒れている大槻三佐を眺めた。

「大槻…」山本一佐は悲しそうに呟いた。

「お察しします」ワイラー大尉が言った。


高橋はゆっくりスコープから目を離した。核爆発は起こらなかった。成功したのだ。“奇跡だ!”高橋はそう思った。そして体中から力が抜けていくのを感じた。

「高橋、よくやった」宮田三尉が高橋の肩を叩いてそう言った。

「何だか、あとあじが悪いです」高橋はゆっくり体をおこすとそう言った。

「忘れろ。さあ帰ろう」宮田三尉が言った。高橋は静かに頷いた。


日本愛知県名古屋市 守山駐屯地


大野一尉から無事核弾頭奪回成功の知らせを聞いてベッカム大佐と若松陸将は安堵のため息をついた

「ありがとうございました。お陰で大統領にも顔向けが出来ます」ベッカム大佐が言った。

「ベッカム大佐、こちらこそ勝手なお願いをして申し訳ありませんでした。罪を犯した隊員たちを私たちに任せてもらって感謝しております」若松陸将が言った。

「いいえ、お互いの為にこれが一番いいのです。あなたの部下思いの気持ちは感心します。しかし、多くの部下をなくされて何と言ったらいいのか…」ベッカム大佐は悲しそうに言った。

「それは、あなたも一緒でしょう」若松陸将はそう言った。

「早速ですが、ユニット退治の実験の事を聞いておられますか?」ベッカム大佐が尋ねた。

「はい、方面隊総監から大体は。岐阜市内で行ないたいということですが…」

「そうなのです。数日以内に名古屋空港に技術者がやってきます。そして、岐阜市内に設置されている高周波発生装置を調べに行く事になっています。基本的には米軍が独自で実行しますが、万が一の場合の支援をお願いしたいのです」

「今度はデルタフォースではないんでしょうね」若松陸将は尋ねた。

「もちろんです」ベッカム大佐はバツが悪そうに言った。そして続けた。「関東に上陸した第3歩兵師団の分遣隊です」

「それならよかった」若松陸将は真剣にホッとした。一呼吸おくと続けた。「わかりました。作戦中は岐阜市内に部隊を展開して支援をしましょう。このような任務なら喜んでお手伝いします。日本の未来が掛かっていますからね」

「ありがとうございます。では、大統領にそのように伝えます」


日本福井県某所


大槻隊の投降した隊員は守山駐屯地にヘリで移送される事になった。彼らがこの先どうなるかは誰にもわからない。ただ、指揮官の大槻三佐が死んだ今、極刑にはならないだろう。高橋は個人的にはもうこれ以上誰も死んで欲しくないと思った。

デルタフォースのワイラー大尉とNESTのドナヒュー少佐そしてロックウッド少佐は山本一佐、大野一尉、宮田三尉に対し感謝の言葉を残して、どこからともなく飛来した米軍のヘリで奪回した核弾頭と共に日本海で展開している空母キティーホークに向けて飛立って行った。


山本一佐は重症だったが、衛生班の話では“急所は外しており2週間ほどで退院できるだろう”との事だった。


野営地に戻るヘリの中で高橋は涙が止まらなかった。理由はわからないがどうしても止まらないのだ。


それは、多くの同僚が死んだからなのか、戦闘が怖かったからなのか、もしくは、日本人同士が殺し合いをしなくてはならなかった理不尽な怒りからなのかはわからなかった。ただ涙が次から次と溢れ出してくるのだった。


多くの隊員がそうだった。大きな声を上げて泣いている者もいた。声を押し殺して泣いている者もいた。


それは、恵美子も一緒だった。結局第2分隊では滝沢士長、長屋一士の二人が死亡した。重傷者は出なかったものの、殆どの隊員が怪我を負っていた。恵美子は分隊長になって初めて部下を死なせてしまったショックがあまりにも大きいのだろう。ヘリに乗ってからずっと、頭を抱えながら背中を震わせていた。高橋は恵美子のすぐそばでそれを見守った。


この戦いで第1小隊全体では6名の死者と5名の重傷者を出していた。重傷者の中には瀕死の者が二人いた。更に両足を失った者が一人と片腕を失った者が一人いたのだった。重傷者は一足先に病院へ搬送されていた。野営地を出たときには29人いたはずだった。しかし、今では18人しかいない。6つの遺体袋は別にして…。それを思うと五体満足で帰れるなんて幸運だと高橋は思った。


宮田三尉は野営地に帰ったら1日休みをくれると言ってくれたが、大声で喜んだ者は一人としていなかった。いつもなら真っ先に喜ぶはずの三桶や薮野でさえ静かだったのだ。


病院横の野営地に帰ると高橋と松山三曹は病院へ行った。応急処置しかされていない怪我の治療をしてもらうために恵美子が無理やり連れてきたのだった。彼女は本当は全員連れてきたかったのだが、殆どの隊員が逃げ出したため、怪我がひどかった二人が人身御供にされていた。だが、高橋はいずれにしても美里に会いに病院へは来るつもりだったので別によかったのだが…。松山三曹は左腕。高橋は右腕以外に右足にも砲弾の破片を受けていた。三人は病院の入り口で体に付いた泥を落とそうとした。いくら何でもドロドロのまま病院に入るのは気が引けたからだった。しかし、こびり付いた泥は一向に落ちる気配はなかった。三人は適当なところで妥協した。中に入ってみると病院内は第1、第2小隊の隊員でごった返していた。

「これじゃ、いつになることやら」恵美子は呆れた。

「時間が掛かりそうですね。自分は美里さんの所にいってきます」高橋はそう言うと列から離れた。

「並んでいないと治療してもらえないわよ」恵美子は呼び止めた。

「大丈夫ですよ。こんな怪我」高橋は包帯を巻いた右腕を眺めながらそう言った。

「あとでちゃんと見てもらうのよ」

「わかりました」


高橋が美里の病室に入ると直子が驚いて叫び声をあげた。

「高橋さん!その怪我はどうしたんですか?!おまけにドロドロじゃないですか!」直子が叫んだ。

「ごめん。ちょっと寄ってみただけだから…」高橋は申し訳なさそうに言った。直子は意味が違うとでも言うように高橋に近づき泥と血で汚れた包帯に触れた。

「ちゃんと治療を受けたんですか?」直子は心配に尋ねた。

「ああ、応急手当はしてもらったよ。破傷風の注射もしてもらったし…」

「そういう問題じゃないですよ。ちょっと待ってください」直子はそう言うと医療キットの中から消毒薬と綿花そして包帯を持ってきた。

「いいよ。直子さんが汚れる」

「ジッとしていてください」直子は厳しい口調で言った。高橋はその声に驚いて動くのをやめた。

「応急手当って、本当に応急なんですね。縫ったところから出血しているじゃないですか」直子は呆れた。

「でも、だいぶんよくなったんだ」

「何を言っているんですか。骨が見えそうなくらいえぐれているじゃないですか!これは私じゃダメだわ」

「大丈夫だって。あとで先生に診てもらうから。それより、美里さんはどうだった?」

「ずっと鎮静剤で眠っています。ごめんなさい。私またこの間みたいになると怖いから…」

「いいんだよ。俺だってショックだったんだから」

直子は腕と足の消毒をして包帯を巻いた。それが済むと高橋は美里のベットの脇に腰掛けて美里の寝顔を眺めた。ついさっきまでの殺伐とした状況からすれば美里が眠っている姿を見ているだけで少しは気がまぎれそうな気がした。


暫くすると病室に恵美子がやってきた。彼女は直子に挨拶すると今度は高橋に声を掛けた。

「ねえ、彼女はどう?」

「相変わらずだよ。どうしたの?」

「みんな治療が終わったから帰ったわよ。あんまり遅いからどうしたかなって思って…」

「もうそんなにたった?松山三曹も帰ったの?」

「ええ、とっくに。今ならまだ治療をしてもらえるわ」

「それじゃ行ってこようかな。このままじゃ直子さんに怒られるからね」高橋はそう言うと笑みを浮かべた

「そうですよ。早く治療をして貰ってきて下さい。それから着替えもしないと。その格好じゃ他の患者さんに迷惑ですよ」

「えらい言われようね。まあ、もっともな話だけど。今夜は野営地で寝たら?明朝ならシャワーが使えると思うし、そうしたらまた来ればいいわ」

「わかった。それじゃ直子さんお願いね。今夜は野営地で寝るから」

「わかりました」

高橋と恵美子は病室を出て治療室に向かった。

「美里さんの顔を見たら少し元気になったみたいね」

「そうかな」

「そうよ。まるで別人みたいよ」

「君は大丈夫?」

「ええ、何とか。でも、きっと眠れないわ」

「ああ、俺もそうだよ。早く忘れるしかないね」

「そうね。それじゃ私は行くわ。ちゃんと治療してもらいなさいよ」

「ああ、終わったらすぐに野営地に行くよ」

「ええ、待っているわ」

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