第七章

日本 愛知県名古屋市 守山駐屯地


 若松は陸将補から陸将に昇級して第10師団長を任命された。彼にとって昇級したことや師団長になったことはどうでもいい事だった。そんなものの為に必死に働いているのではない。今は責任を果たすこと。やるべきことをやるだけだった。若松陸将は中部各県に点在する隷下部隊の状況掌握と指揮のため司令部に閉じこもりっきりだった。現在では残存部隊全てと連絡が取れるようになったので、ある一面ではホッとしたところがあった。しかし、それはあくまで仕事がしやすくなったというだけの事で彼のストレスを減らすと言うところまではいかない。それどころか、どの部隊からも支援要請のオンパレードで息つく暇がないくらいだった。だが、音信不通で盲目的に指揮をしていた時のことを思えば、今の状況で対応に追われているほうが余ほどマシだった。ただ、支援要請を受けたところで、それに対して応えてやることが出来ないのが悲しかった。それでも何とかやりくりして部下の安全確保と任務遂行を支援しようと懸命に努力していた。だが、恐らくそれは現場の注文からはかけ離れているのだろう。彼らの罵声が聞こえてくるような気がした。さらに第3師団に預けた第10戦車大隊第2中隊が全滅したと聞いたときは自己嫌悪に陥ったくらいだ。そんなくらいなら方面隊総監部に楯突いてでも戦車大隊を第3師団に預けるのを断るべきだった。いまさら遅いが…。しかし、第2中隊を指揮していた大槻三佐はよく知っている。彼は聡明で分析力もあり、決して部隊を全滅させるような指揮官ではない。余程のことがない限りありえなかった。第3師団の話では鯖江駐屯地へ物資を届けて今津駐屯地に戻る途中だったらしい。鯖江に確認したところ同じ答えが返ってきた。第3師団では現在調査中だということだが現状を考えると当てにはならなかった。今では隊員が行方不明になったところで捜索隊を派遣できる余裕はどこの部隊にもないのだ。諦めるしかなかった。しかし、若松陸将は何とか工面して明野第10飛行隊からヘリを1機出して偵察という名目で捜索に出させた。ただ、ヘリ一機でどうなるものでもないのだが相手が戦車なだけに見つかる可能性はある。少なくとも気休めにはなるだろう。若松陸将にとってこれは彼らへのせめてもの罪滅ぼしだった。しかし、そのことは立て続けに起こる問題のお陰で彼の頭の中の片隅に追いやられた。少なくとも今起こっている問題を一つ一つ解決することが最優先課題だ。

 さらに方面隊総監部からは“早急に勢力圏を拡大せよ”との命令がひっきりなしにくる。

いささか耳にたこができた。そんなことは言われなくてもわかっている。助けを求めている市民が目の前にいるのだ。それを目にしている隊員たちの方こそ、その思いが強かった。一刻も早く勢力圏を広げて、一人でも多くの人々を助けようと部下達全員が不眠不休で働いているのだ。若松陸将は一つため息を漏らすと壁にかかっている中部の詳細地図に近づいた。この数日の間に飛躍的に勢力圏が広がった。それは自衛隊各駐屯地を基点に赤く塗りつぶされている。これを全て赤一色にするのが目標だ。それまでは、休んでいる暇はないのだ。そこに若松と同じように休まず働き続けている男が近づいてきた。山本一佐だった。

「師団長、米軍の部隊がブラックホークでやって来ました」山本一佐が言った。

「そうか。連中、岐阜基地でヘリの整備を頼むと言ってきた。明日か明後日にはアパッチも来るらしい」

「そうですか。師団長、実はちょっと気になることがあるのです」

「なんだ?」

「横須賀に上陸したのは第3歩兵師団ですよね」

「その筈だが…」

「今度の連中、全員が特殊作戦装備しているんですよ」

「第3師団のエリート部隊なのかもしれない」

「まあ、その可能性はありますが…」

「もしかしたら…」若松陸将は気になることがあったのでそれと関連付けてみた。そして続けた。「もしかしたら、連中はデルタフォースかグリーンベレーかもしれない。装甲車の類を持ち込まないのも腑に落ちない。ここに来てヘリだけで十分活動できるとも思えない。実は方面隊総監部から、ここのところ日本の中部上空でAWACSの活動が活発になっているとの連絡を受けた。極東地域の監視であれば日本上空でなく日本海一帯で活動するはずだ。ということは日本国内に何かあるということだろう」

「問題はそのAWACSが何を調べているかですね。国防総省の大佐にAWACSの活動。それに連中が特殊部隊だとすると重要な何かを探しているのかもしれませんね」

「そうだとすれば、損害を覚悟してまでヘリにこだわる訳もわかる」

「問いただしてみましょうか?」

「やつらがそう簡単に口を割るとは思えん。上陸部隊の行動を円滑にするためだと言われればそれまでだ。もう少し様子を見てみよう。問題が発生したときがチャンスだ」

「分かりました。監視を徹底させます」

「頼む。それから山本一佐。第10戦車大隊のことは聞いたか?」

「ええ、大槻三佐が行方不明だと…」

「確か君は彼と親しかったな?」

「はい。90年の冬戦教以来の友人です。しかし、戦車隊がやられるとは思いませんでした。何かあったのではと思います」

「君もそう思うか。まあ、不可抗力があるからなんとも言えんが…」

「ユニット相手なら戦車は無敵のはずですから。それに、あの頭が切れる大槻三佐が燃料切れなどの単純なミスで最悪の状況に陥るとは思えません」

「私も同感だ。方面隊総監部には内緒で昨日からヘリを一機飛ばして捜索させている。彼は、今では第3師団管轄だがつい一週間前までは私の部下だ。それに、行方不明になったのは第10師団の担当地域。上に何か言われてもごまかせるさ。ただ、ヘリ一機だけでは心もとないが現状ではこれが精一杯だ。何かわかったら知らせるよ」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」山本一佐はそう言うと指令センターから外に出た。若松陸将には大槻三佐の事をただ友人だと言ったのだが、本当は親友と言ってもいいくらいの間柄だった。大槻三佐の奥さんは山本一佐の妻の妹だった。今はもう離婚してしまったのだが、その昔、山本が大槻に紹介したのがきっかけで結婚したのだった。しかし、仕事人間の大槻には結婚生活は無理だった。7年ほどで離婚してしまったのだ。それが2年ほど前の事だ。山本は自分が紹介したという責任感から二人には出来るだけの事をしてやろうと世話を焼いたこともあった。だが、夫婦間の事は他人が関与したところでどうなるものでもないということが骨身にしみただけだった。今はそっとしておいとやろうと思い、連絡も取っていなかった。山本はそれが悔いに残った。無事でいてくれと祈るしかなかった。

 ヘリから降り立った完全武装の米兵たちは自衛隊の宿舎を割り当てられ、ひとまず長距離飛行の疲れを取っていた。しかし、幹部たちは今後の作戦と状況掌握のためベッカム大佐のところにやってきた。

「私はNESTのスティーブ・フォーサイス中佐です。彼はデルタフォースのワトソン少佐です」フォーサイス中佐はそう言うとワトソン少佐を紹介した。

「国防総省のベッカムだ。ジェンキンス少佐のことはなんと言ったらいいか…」ベッカム大佐はそう言うとフォーサイス中佐に残念そうに言った。

「仕方がありません。こんな厳しい状況は想定外ですから」フォーサイス中佐が言った。

「ヘリは岐阜基地で待機させた。ここでは整備が難しいからね。アパッチ攻撃ヘリが2機来る事になっているが、あと1日くらい掛かりそうだ。ペンタゴンからの連絡では偵察衛星からの放射線測定によると核弾頭は輸送機の中にあることが確認されている」ベッカム大佐が言った。

「そうですか。ありがとうございます」フォーサイス中佐が言った。そして続けた。「少佐、アパッチが来るまで待つかね」フォーサイス中佐はワトソン少佐に尋ねた。

「その必要はないでしょう。アパッチはバックアップチームと一緒に待機させておいてください。私は2チームを連れて現場に行きます。必要に応じて要請します」ワトソン少佐は腕時計を見ながらそう言った。

「フォーサイス中佐。君たちはどうする?」ベッカム大佐はフォーサイス中佐に尋ねた。

「念の為、私たちも2チームに分けます。何かあるとまずいですからね」フォーサイス中佐が言った。ベッカム大佐はその言葉に頷いた。

「よし分かった。バックアップチームは岐阜基地で待機させてくれ。向こうには頼んである」ベッカム大佐が言った。


日本滋賀と福井の県境 

 

 3機編隊のUH-60ブラックホークは低空を山の稜線に沿うように上下左右と方向を変えながら高速で移動していた。フォーサイス中佐は高度150フィートから後ろに流れていく樹木を見ると、まるで地表に吸い込まれていくような気分になる思った。後部兵員室に座っているデルタフォースの隊員たちは急激な方向転換にふり落とされないようにする為必死にしがみ付いていた。

「ブラボー1からブラボー6へ。まもなく目標地点に到着」パイロットが言った。

「こちらブラボー6了解。ブラックウイドー1からの報告はオールクリアー。作戦開始」スピーカーからベッカム大佐の声が響いた。

「了解、ブラボー6。作戦開始します。ブラボー1以上」パイロットが応えた。パイロットは目標地点に到着すると眼下に散らばる輸送機の残骸を視認した。彼はヘリのスピードを落とすと輸送機の残骸の近くでホバリングした。そして他の遼機2機も同じよう空中で停止するのを確認した。

「全機目標上空に到着しました」パイロットは一緒に乗っていたデルタフォースのワトソン少佐に言った。

「了解。よし、降下だ!」ワトソン少佐が言った。デルタフォースの隊員たちはリベリングで地上に降下するために立ち上がった。しかし、その時ヘリの中に甲高い警報が鳴り出した。

「何だ!」ワトソン少佐が怒鳴った。その瞬間パイロットは緑の樹木の中から白い煙を上げながら近づいてくるのを目にした。

「ミサイル警報!全機回避せよ!」パイロットが叫んだ。パイロットは急にヘリを動かした為、ラベリングしようと立ち上がっていたデルタフォースの隊員たちはひっくり返った。

「何かにつかまれ!」パイロットはデルタフォースの隊員達に怒鳴った。パイロットは必死に操縦桿と格闘した。しかし、機がホバリングしていた上、ミサイルがあまりにも至近距離から発射された為、有効な回避運動は出来なかった。数秒後ミサイルはエンジンの排気口に飛び込み大爆発をした。


日本愛知県名古屋市 守山駐屯地


 ベッカム大佐は、突然ヘリからの無線が“メイデー”と共に断ち切れたため、必死に回復させようと試みていた。

「ブラボー1どうした?!応答せよ!くりかえす!ブラボー1」ベッカム大佐がマイクに向かって怒鳴った。

「こちらブラボー6!ブラボー2応答せよ!」

「こちらブラボー6!ブラボー3応答せよ!」

「こちらブラボー6!ブラックウイドー1、何があった?!」ベッカム大佐は上空で待機しているAWACSにその答えを求めた。

「ブラボー6。こちらブラックウイドー1。機影が消えた。現在3機とも確認が取れません」AWACSのオペレーターが言った。

「機影が消えただと?!どういうことだ?!」

「現在調査中。偵察衛星からの反応では一瞬だが高熱源反応があった。ミサイル攻撃にあった可能性がある。繰り返すブラボー1はミサイル攻撃にあった可能性がある」

「ミサイル攻撃だと?!誰から?!」

「そこまでは分からない。アクティブレーダーの反応は無かった。可能性があるのは短距離赤外線追尾ミサイルだ。3機とも墜落した模様」

「くそっ!どうなっているんだ!」ベッカム大佐は机を叩いた。

「大佐!救助のヘリを送りましょう!」へストン大尉が進言した。

「バックアップチームの準備は?」ベッカム大佐が無線越しに岐阜基地で待機しているバックアップチームの隊長マルコム・ワイラー大尉に尋ねた。

「こちらブラボー4、こちらは出来ています。いつでもいけます」ワイラー大尉の声に動揺があった。

「ブラボー4 アパッチはどうなっている?」

「まだです」ワイラー大尉が言った。そのあとに今度は別の人物が無線に出た。

「ベッカム大佐。私はフォーサイス中佐の副官でリチャード・ドナヒュー少佐です。私もデルタのバックアップチームと一緒に行きます」

「今の段階では危険だぞ。恐らくまだ待ち伏せしているはずだからな」

「あのヘリには私の上官が乗っていたんです。任務も途中ですから…」

「そうか。わかった。気をつけろよ。安全策をとって現場から離れた場所に降下して徒歩で近づくんだ。アパッチが到着しだい支援させる。それまで無理はするな」

「了解」


日本福井県某所


 「大槻三佐。澤田三曹の待ち伏せ部隊が交戦したそうです。米軍のブラックホーク3機撃墜したとの事です。米軍は全滅した模様」無線機の前に座っていた前田三曹が言った。

「被害は?」大槻三佐が尋ねた。

「無しです」

「よし。澤田三曹を撤収させろ」

「了解」前田三曹はそう答えると無線機のマイクに向かって指示を伝えた。

「連中も次は準備万端にして来るでしょうからね。とにかくあそこに核があるだけに空爆の心配をしなくて済むから気が楽ですよ」大槻三佐の隣にいた大前一尉が言った。

「そうだ。そのお陰で撤収の時間が稼げる」大槻三佐が言った。

「大槻三佐。いっその事、墜落機のまわりにブービートラップを仕掛けたらどうですか?澤田三曹はレインジャー訓練を受けていますから十分できると思います」

「いや、やめておこう。恐らく相手は特殊部隊だ。そんなものにひっかかるとは思えん。仮にひっかかったとしても全滅させるのは無理だろう。今回は連中も最初からブービートラップがある事が前提で来る筈だ。それなら効果は同じ事になる。それに、その仕掛けが見つかれば自衛隊がやった事はバレバレだからな。今の段階ではやつらを疑心暗鬼にさせておいた方が得策だ」

「そうですね。澤田三曹には身元が分かるものは撤収時にすべて回収するように言ってあります。彼らがここへ到着するのは、米軍の追跡をかわす為、大きく迂回して戻る事になっていますから、恐らく15時間後くらいになると思います。我々の趣旨に賛同してくれた航空隊の伊東一尉のお陰でUH-1ヘリの準備は完了しましたが、起爆コードの解析はもう暫く掛かりそうです」

「どれ位掛かりそうだ?」

「石毛二尉はあと20時間欲しいと…」

「澤田三曹が上手く連中の追跡を交わせたとして猶予は24時間か。ギリギリだな」

「はい。長くて48時間だと思います。念のため12時間後を目安に防衛体制を整えます」

「うむ。工場の敷地から出て展開するのは夜になってからにしろ。偵察衛星に見つかる可能性が高いからな。まあ、いずれにしても赤外線でバレるかもしれんが…」大槻三佐が言った。大前一尉は地図を広げた。その地図には工場周辺の地形が記されていた。この辺りは民家もなく山に囲まれ、その合間を縫うように東西に走る細い県道が一本と、それに沿うように川が流れているだけだった。工場は県道沿いで山のふもとに位置しており、工場の後ろは切り立った山肌が露出していた。守るにはもってこいの地形になっている。

「1900時以降ならいいでしょう。第2小隊は工場から県道をはさんで正面に広がる150mほどの山の尾根沿いに展開します。第3小隊はこの道路と小川を見渡せる位置に。そして、既に第1小隊は工場敷地内に配置完了しています。もちろん、カモフラージュは完璧です。航空機からの通常偵察で発見される事はないと思います」大前一尉は指で示しながらそう言った。

「十分だ。それ以上のことは望まんさ。だが、これで米軍との直接対決は避けられそうになくなったぞ。全員にそう伝えてくれ」

「分かりました」大前一尉はそう言うと中隊本部として使われている部屋を出て、戦車を隠してある倉庫に向かった。そこには74式戦車が8両と装甲車や燃料や弾薬を満載したトラック数台が所狭しと並んでいる。既に第1小隊の4両は工場敷地内に目立たぬよう配置されていた。数日前、大槻三佐から相談されたときは驚いた。米軍の輸送機の捜索に向かった偵察小隊から“搭乗員2名と核弾頭を発見した”と連絡が入ったと言うのだ。もっと驚いたのは大槻三佐の計画だった。回収した核弾頭を使って米軍に対して核攻撃を行うと言うのだ。最初は気でも狂ったのかと思った。どこをどう考えたらそんな計画が思いつくのだろうと思った。しかし、良く聞いてみると納得できることがあったのだ。自分たちの家族を殺したのは、この忌まわしい病原体なのだが、元をただせば東西冷戦時代に打ち上げられた軍事衛星の原子炉のせいだった。アメリカは日本に原爆を投下して数十万人を殺すだけでは飽き足らず、核兵器の量産合戦を展開した。それどころか、アメリカやロシアは核を宇宙まで持ち出したのだ。それにより、何の罪もない日本人の半数を殺してしまった。大前にとっても他の隊員にとっても、日本人の50パーセントという数字など、どうでも良かった。大切な家族が殺された者にとっては100パーセントなのだ。大前にしても妻と娘が死んだ。父親や母親や妹までもだ。それなのにアメリカは30万人、当のロシアは200万人の犠牲者しか出していない。“こんな理不尽な事があるか?!”ほとんどの隊員はそう思っていた。本来、自衛隊員としてすべき事とは?生き残った生存者を助ける?当然そうだろう。だが、家族を失った者達には本来の任務は荷が重かった。今までどんなに辛かったことがあっても”国家のため、地域住民のため“とは言え強いてはそれが自分達の家族のために繋がるので我慢して来た。しかし、今ではその根本が無くなってしまったのだ。ただ単に辛いだけなのだ。そこに大槻三佐は新たな目的を掲げた。”家族のカタキを討つ”生きる希望を無くしていた隊員たちにとって核保有国への報復は魅力だった。大前は大槻三佐に相談されてから10分ほどで同意した。そして、大槻三佐と大前で中隊全員を説得した。結局、中隊の9割近くの隊員が残り、あとの隊員は離隊したのだった。しかし、大前にしても他の隊員にしても、今やっている事がほんとに正しい事だとは誰一人思っていなかった。だが、彼らには生きる目標が必要だった。家族を殺した者への憎しみと復讐が…。大前は倉庫に行くと各小隊長を集め、防衛戦のブリーフィングを始めた。


日本 愛知県名古屋市 守山駐屯地


 山本一佐と若松陸相は指令センターであちこちから新しく入ってきた情報を分析していた。特に国防総省のベッカム大佐の指揮下で動いている米軍の一連の奇妙な動きを警戒していた。その為ではないのだが、今後行なわれる岐阜市街地における大規模な掃討作戦の実行部隊ということで岐阜基地に派遣する事になっている大野一尉は信頼できるので一安心だった。彼には、もしかしたら米軍と一悶着あるかもしれないという事は伝えておいた。

いずれにしても、岐阜方面は厳しい作戦になる筈だった。若松陸将は出発の挨拶に来た大野一尉に対して出来るだけ必要物資などを融通すると約束した。

「岐阜基地からの連絡では、スタンバイしていた部隊が慌しく飛び出して行ったらしいですよ」山本一佐が言った。

「ただ単に後続で出したのか、もしくは先発部隊で何かあったのか」若松陸将が言った。

「後者のような気がしますね」

「何処に向かったのかわからないのか?」

「北西に向かったのは分かっているんですが…。かなりの低空飛行だったらしく山脈あたりでレーダーから消えたそうです」

「OH-1からの報告だ。さっき届いた」若松陸将が山本一佐にメモを渡した。

「福井県山中で低周波ビーコンと思われる信号を受信。軍用航空機の遭難信号と思われる。位置…」

「どう思う?」

「航空機の救難用ビーコン。“周波数からして日本のものではない”ですか。となると連中が探しているのはこのビーコンの発信源ですか?」

「それが何かまでの確認は取れていない。ヘリは燃料の問題で受信するのが精一杯だったそうだ。だが、これに間違いないだろう。米軍ヘリの飛行方向とも一致する。明日もう一度飛ばしてみるが、あまり長時間は無理だろうな…。いっその事、明日はこれに絞って偵察させるか」

「そうですね。大槻三佐の件とかかわっている可能性もありますから…」

「連中の目当てがこれだとしたら、一体何があるのだろう?」若松陸将は考えながら言った。

「乗っていた人物かもしくは積んでいた荷物か…。そのどちらかでしょうね」

「その両方かもな。しかし、何故隠しているのか?」

「我々には知られたくないもの。つまり危険なものですね」

「あれだけ慌てるところを見ると、核か化学物質の線だな。だが、連中は科学防護服の準備はしていない。核だとしたら放射線量が少なければ防護服の必要はない」

「核だとするとNESTですか?言われてみれば辻褄は合いますね」 

「もう少し証拠が欲しいな。とぼけられないような…」

「明日の偵察に期待しましょう」


日本岐阜県 各務ヶ原


 ヘリの上から見る景色は、以前とそんなに変わっていなかった。所々に煙が立ちのぼっている以外は高橋が自衛隊時代の訓練時にヘリから見下ろしたのと大した違いはなかった。ここから見る限りでは、ユニットが徘徊して生存者を襲っているとは全く思えない。

高橋、美里、直子の三人は、大野中隊長の計らいで中隊本部の隊員や設備などと一緒に、岐阜基地に向かうCH-47チヌーク大型ヘリコプターに乗せていってもらえる事になった。

 しかし、通常では全くありえない事であった。おそらく大野一尉は、いくつかの規則違反を犯してここまでしてくれたのだろう。高橋は大野一尉に感謝した。

大野一尉は美里を病院まで搬送する為に車を用意してくれていた。この辺りは事故車両も道路わきに撤去され、かなり道路も整備されていたが病院までは車で20分ほどかかった。

 運転手の佐伯一士が言うには、病院は自衛隊の勢力圏の外縁部にあり、未だに奴らも侵入してくるが、守備隊もいるし病院の敷地内は安全だということだった。また、病院と難民キャンプや基地には、定期的に自衛隊に守られたバスが運行されていて連絡は比較的楽であった。

 病院の入り口には土嚢を高く積み上げてあり、歩哨が数人いてM-2重機関銃2丁と数丁のミニミ機関銃で警護されていた。更に病院を取り囲む塀には有刺鉄線と高圧電線が張り巡らされており外部とは完全に隔離してあった。高橋はそれを見てこれなら大丈夫だと思った。

 病院内に入ると守山駐屯地と変わらず物凄い数の病人がいた。それでも美里は部屋の片隅ではあったが、かろうじて室内でベッドを割り当ててもらうこともできた。これも大野一尉の配慮であろう。

直子は、どうしても美里の看病がしたいということで、病院に泊り込んで医療スタッフの手伝いをしながら、美里だけでなく他の病人の面倒もみることにした。

「私は藤岡さん達に助けられたお陰で今こうやって生きている事が出来るのです。だから、これからは美里さんはもちろんの事、困っている人達を助けていきたい。それが亡くなった藤岡さんに対して自分に出来るせめてもの償いです」直子はそう言った。

高橋は彼女の話を聞いて、なぜ藤岡が一生懸命に山縣を助けようとしたのかがわかるような気がしてきた。ほんの少しだが。

「先輩の意思は受け継がれているよ」高橋は心の中にいる藤岡に向かって言った。

「それじゃ、直子さん。美里さんのことはよろしく頼むよ。俺は中隊長のところに挨拶してくるから。何かあったら基地の中隊本部へ連絡をくれないか」

「わかりました。美里さんのことは私に任せてください」

高橋は頷くと病院を出て基地の中隊本部へ向かった。

岐阜基地は大忙しだった。今までは隷下の1個小隊と航空自衛隊の陸戦隊とでこの基地を切り盛りしいていた。しかし、近い内に大規模な作戦がある為、第1中隊丸ごと、この基地に移動する事になったのだ。今は中隊本部の設営や隊員の宿舎の設営で、まるで蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

中隊の半分ぐらいは、ヘリで続々到着していた。ここまでトラックで守山駐屯地から来るのはとても無理だったからだ。とは言え装甲車や軽装甲機動車にみんなが乗れるわけでもなく、隊員だけが先に来て装備が到着する前に受け入れ準備をしていた。また、大型ヘリで装甲車と共に来る部隊もあった。

高橋は基地に着くと大野一尉をさがした。あっちこっちをさがしたあげく、やっと大野を見つける事が出来た。

「中隊長、ありがとうございました。お陰さまで無事病院に入る事が出来ました。本当にありがとうございます」高橋は深々と頭を下げた。

「いや、ちょっと窮屈かもしれないが、あれで精一杯だったんだ。許してくれ」

「とんでもありません。本当に感謝しております。ただ、あんなにしていただいて、中隊長が困った事になりませんか?」高橋が申しわけなさそうに言った。

「大丈夫さ。今はこの状態だからな。そんな固い事言う奴はいないさ」大野一尉は、まわりの避難民の仮設テントを指差してそう言った。

「何でもしますからそう言ってください。テント張り手伝いましょうか?」

「いや、いいよ。しばらく彼女に付いていてやりなさい。無理やり連れてきたんだからな」

「しかし、それでは…」高橋がそこまで言うと大野一尉は言葉をさえぎった。「それより、君が任務に出る時に配属される第1小隊の小隊長を紹介しておこう。宮田三尉ちょっと来てくれないか」

「はい、中隊長?」そう言いながら宮田三尉が近づいてきた。高橋は会ったことはあったが、当時は確か他の中隊だったのであまりよく知らなかった。

「宮田三尉、彼が高橋士長だ」大野一尉が宮田三尉に紹介した。

「君が高橋士長か、よろしく頼む。中隊長から話は聞いているよ。射撃が上手いんだって?前に会った事があるね」宮田三尉はそう言った。

高橋は敬礼した。

「今は射撃に関しては、素人みたいな奴ばっかりしかいないから君が来てくれると助かるよ。2日後に掃討作戦に出かけるから、その時俺のところに出頭してくれ、それまではいい。待機していてくれ」宮田三尉は笑顔で言った。そして、彼は高橋に各種の書類を渡し細かい場所と日時を伝えた。

「はい、わかりました」高橋はそう言って再び敬礼した。

「それでは、中隊長、お言葉に甘えさせていただきます」高橋はそう言って大野にも敬礼した。

「ああ、その時は頼む」

高橋は二人と別れると、書類に目を通し必要な兵器を取りに行った。高橋はすでに拳銃は貰っていた。通常9ミリ拳銃は指揮官や戦車の搭乗員などが携帯するのだったが今では護身用に全員が所持していたのだ。高橋は小隊長から貰った証明書を火器係りに渡し、何枚かの書類に必要事項を書き込んで一通りの装備を貰った。今では陸上自衛隊の各部隊にはアメリカ軍からM-16ライフルが多数供与されていた。しかし、自衛隊員には不評で、それらのライフルはキャンプを守る民兵に配られていた。自衛隊員は好んで89式自動小銃を使ったのだ。高橋に支給されたライフルも89式自動小銃だった。これは、自衛隊時代から慣れ親しんでおり何の問題もなく使いこなせた。M-16より若干重いが使い勝手はいい。

彼はそれを肩にかけると基地を出て病院に向かう事にした。

基地の近くには、至る所に難民キャンプのテントがあり、救助された人たちがそこで生活している。そのテントの間には何人かの民兵がライフルを持って警戒していた。彼等はユニットがキャンプ内に侵入したとき阻止し避難民を襲わないようにするためだった。

自衛隊は、勢力圏の外縁部で奴らの侵入を食い止めたり、また新しく勢力圏を伸ばしたりして生存者を救出するのに精一杯だった。そのため、民間から募集した民兵に避難民キャンプの警護を任せるしかなかったのだった。

このあたりは高橋の地元だった。

彼は、病院に帰る途中、母親と妹が救出されてこの避難民キャンプの中にいないかと避難民管理本部で尋ねてみたが、名簿にはそれらしい名前はなかった。やはり、ダメだったかのか。高橋はほとんど諦めていたが、もしかしたらという気持ちは心のどこかにあった。あれからすでに2週間以上経過しており、少なくとも生存していればこのキャンプにいるはずだった。そして、その僅かな望みが完全に否定されてしまった今、高橋はショックで涙が溢れた。このまま病院行きのバスに乗る気にならなかったのでしばらく歩き気持ちを落ちつかせる事にした。悲しい事ばかりだ。家族は行方不明、藤岡は死に、美里は意識不明。しかし、高橋はそれでもまだ以前大野が言ったように幸運な方なのだろう。

彼は懐かしい景色に足を止めた。このあたりはよく来たものだった。数百メートル先の小道を左に折れずっと奥に入っていくと木曽川が流れており、いつも高橋が行っていた秘密の場所があった。そこは、彼の自慢の場所で以前から藤岡と美里と三人で一緒に遊びに行こうと計画を立てていた所だった。しかし。なかなか都合が合わず結局実現しなかったのだった。

高橋は急にその場所へ行きたくなった。彼は知らない間に走っていた。何も考えず、ただ走った。そこに行けば今までの事がまるで夢でも見ていたように全て消えてしまい、楽しかった元の生活に戻れる。そんな世界に早くたどり着こうとでもしているかのようだった。

20分くらい走った所で微かに川の流れの音が聞こえてきた。

「もう少しだ」高橋はそう呟くとスピードを上げた。暫らくすると未舗装の道に木枝が垂れこんで少し薄暗くなっている先に砂浜が見えてきた。彼は走るスピードを上げ一気に通り抜けると明るく広々としたスペースに出た。

そこには木曽川が雄々しく流れ、野鳥が飛び交う綺麗な景色が広がっていた。

高橋は荒れた呼吸を戻すかのように深呼吸を数回して川原に座り込んだ。

「先輩、ここだよ俺が言っていた所は。綺麗だろ。三人で来たかったね」高橋はそう呟くと横になって目を閉じた


日本 滋賀と福井の県境


 辺りは静まり返っていた。木々が生い茂り360度見渡しても目に入ってくるのは同じ景色だ。コンパスがなければ方向を見失うに違いない。太陽の光も、その樹木が育むたくさんの枝や葉に遮られ薄暗かった。時間の感覚もおかしくなりそうだった。時折、人の気配に驚いて鳥が叫び声をあげた。そのたびにブービートラップや待ち伏せ攻撃を警戒しながらゆっくりと歩いていた兵士は動きを止めて周囲をうかがった。

彼らは再び対空ミサイルの攻撃を受けないように墜落した輸送機から15キロ離れたところに降下した。そして徒歩で輸送機まで接近するのだ。およそ4時間の行軍だった。カンボジアやベトナムのジャングルと違って湿気は少なく歩きやすい。ここまでは順調だった。目標まであと数キロのはずだ。より一層警戒を厳重にする必要がある。

NESTの副官リチャード・ドナヒュー少佐はデルタフォースの分隊長マルコム・ワイラー大尉とその部下たちと一緒にM-4ライフルを構えながらバックパックを背に山の中を歩いていた。ドナヒュー少佐は担ぎなれたこの装備がいつもより重いような感じがした。つい数時間前、NESTチームリーダーのフォーサイス中佐が死んでしまった。それだけではない。もうこの事件ではフォーサイス中佐も含め4人のNEST隊員が死んでしまった。特に先日死んだピーター・ジェンキンス少佐は友人であり、ウェストポイントの同期で更にグリーンベレーでも一緒に戦った仲だった。そして彼と二人して一緒にNESTに引き抜かれ今の任務についていた。15年以上、家族同然の付き合いをしていたのだ。ドナヒュー少佐は死んだ彼らのためにもこの任務を完遂しなければいけないと思った。それは、彼の横にいるワイラー大尉も同じ気持ちだろう。一度に30人以上の仲間が死んだのだ。ドナヒューの比ではないかもしれない。

ワイラー大尉は手を上げると小休止のため分隊の動きを止めた。彼は通信士を呼ぶとかがみこんだ。ドナヒュー少佐も辺りを警戒しながらかがんだ。しかし、一体誰がヘリを撃ち落したのだろう?同時に3機を撃墜したとなると、どこかのイカれた奴が腹立ち紛れにやった仕業ではない。それ相当の訓練を積んだ部隊がやったと考えるしかないだろう。そいつらの目的はやはり核兵器なのだろうか?まさか自衛隊が?それは考えにくい。自衛隊がアメリカ軍のヘリを攻撃する理由がどこにある。それに核兵器目当てならば既に輸送機から運び去っているはずだ。ペンタゴンの情報が正しければだが…。ドナヒューはさっぱりわからなかった。彼の隣ではワイラー大尉が通信士から斥候の報告を聞いていた。 

「ドナヒュー少佐、斥候から連絡がありました。前方500メートルに3機のヘリの残骸を発見したそうです」ワイラー大尉が言った。

「生存者は?」ドナヒュー少佐は尋ねた。 

「生存者は今のところ発見されていません」

「そうか」ドナヒュー少佐は微かな望みが打ち消されて消沈した。

「今のところ周囲に待ち伏せはないようです。ブービートラップの可能性はありますが…」

「ああ、そうだな」

「斥候は前進して輸送機に向かっています。ここから凡そ1キロメートルです」

「よし、急ごう」ドナヒュー少佐がそう言うとワイラー大尉は再び分隊を行軍させた。暫く歩くとあちこちにヘリの破片らしきものが転がっていた。破片は大小さまざまだ。進んでいくうちにその数が増えていった。ワイラー大尉は何かを拾い上げるとドナヒューに見せた。それは人の腕だった。ヘリに乗っていたデルタフォースの隊員かパイロットのものだろう。白人の腕だというだけで誰のものかは判別できなかった。ワイラー大尉はその腕を大事そうにバックパックの中に押し込んだ。

少し前から焦げ臭いにおいが漂ってきていた。ガソリンの臭いも混じっている。山に火災が起きていないだけマシだった。もし火災が起きていたなら任務の遂行が一層難しくなっていたことだろう。間もなく前方に煙とともにヘリの残骸が現れた。隊員たちは早足でその残骸に近づいた。残骸の横たわる場所に生えていた木はなぎ倒されており、墜落の衝撃がいかに激しかったか物語っている。近くの木々も所々焦げたりしていた。機体の残骸からは今もなお煙がくすぶっている。その中には見るも無残な死体も何体かまぎれていた。ワイラー大尉は部下に立て続けに命令すると更に残骸に近づいた。ドナヒュー少佐もそれに倣った。ワイラー大尉は持っていた腕を兵士の遺体の近くにそっと置いた。今は兵士の埋葬をしている場合ではないのだ。

「ひどいな」ドナヒュー少佐が言った。  

「完全に空中分解していますね」ワイラー大尉が残骸をひっくり返しながら言った。彼はエンジン部分を見つけるとM-4ライフルの銃床で叩いた。

「エンジンの排気口にミサイルが直撃したんですね。他のヘリも1キロメートル四方に墜落しています。部下が生存者の確認に向かっていますがやはり無理でしょう」

「くそっ」ドナヒュー少佐は毒づいた。

「仕方がありません。我々は先に進みましょう。斥候はまもなく輸送機に到着します。今のところ敵の気配はありません」

「分かった」ドナヒュー少佐がそう言うとワイラー大尉は部下たちを集めて再び前進を開始した。ワイラー大尉は守山駐屯地で待つベッカム大佐に撃墜されたヘリの発見と生存者無しという悲しい知らせを伝えた。ヘリの残骸から500メートルのところに輸送機はあった。胴体着陸の時なぎ倒した木々が機体の上に散乱していた。尾翼と主翼の一部は見当たらなかったが操縦室や貨物室はそのままになっていた。

「少佐、あれです」ワイラー大尉は指差しながら言った。

「原型は留めているようだな」ドナヒュー少佐はそう言った。これなら核弾頭は無事だろう。彼は少しほっとした。

「上手く不時着したようです。曹長、散開して輸送機の周辺を捜索、50メートル先に歩哨を立たせろ。ブービートラップに気をつけるんだ」ワイラー大尉は部下のエド・ステンセル曹長に指示した。

「分かりました」ステンセル曹長はそう言うと部下を何人か連れて輸送機の周りを調べた。ワイラー大尉とドナヒュー少佐は輸送機の中に入っていった。ワイラー大尉はチェックリストをユニフォームから引っ張り出すと搭載してある核弾頭の収納容器と照らし合わせた。彼は慌しく全ての収納容器のふたを開いて中身を確認すると残念そうに唸った。

「少佐。核弾頭が一発足りません」

「足りないだと!?」

「はい。Bー60は二発ありますが、W-50が一発しかありません」

「何てことだ!という事はヘリを攻撃した連中が奪ったということか!?」

「そう考えるしかありませんね」

「やはり核兵器目当てだったのか…。連中はこの輸送機も撃墜したのか?」

「それは考えられませんね。エンジンに被弾の痕跡はありません。どうやら操縦士は全員病原体にやられていたようです」ワイラー大尉はパイロットの死体を指差した。そして階段を上がると操縦室に入っていった。ドナヒュー少佐も続いた。

「しかし、生存者の中に操縦できる人間がいた。それで何とか体勢を立て直して辛うじて不時着したのでしょう。その後はユニットから身を守る為に操縦席に立て篭もっていたんではないでしょうか。ほら、レーションの容器が散乱している」ワイラー大尉はかがみこんでレーションの空き缶をひとつ手にとって言った。

「生存者がいたのか?」

「ええ、そこに武装した部隊がやってきた。銃痕の数からして分隊以上、小隊規模かもしれません」

「その連中が輸送機にあった核を見つけて奪っていったのか。という事は、生存者はそいつらに拉致されているということか?」

「死体がないところを見るとその可能性が高いですね」

「一体誰が?武装した民兵組織か?まさか自衛隊が…」

「それが一番理屈に合います。襲った部隊は相当訓練をつんでいるようです。身元が判明するようなものを全く残していません。何たって空薬きょうの一つも残っていないんですから。日本にある組織の中でそんな訓練をしているのは自衛隊しかありません」

「そうだな。とにかくそれを前提で考えるしかない。私は本部に連絡する。あとは頼むぞ」

「分かりました」ワイラー大尉はそう言うと操縦室から出て行った。ドナヒュー少佐は暫く操縦室を眺めるとおもむろに座席を力任せに叩いた。

「どうなっているんだ!?自衛隊が…。信じられん。連中は核兵器で一体何をするつもりだ?!」ドナヒュー少佐は誰もいない操縦室で強い口調で怒鳴った。彼はバックパックから衛星電話を引っ張り出すとベッカム大佐に状況を報告した。暫くするとワイラー大尉が貨物室から大声でドナヒュー少佐を呼んだ。ドナヒューは操縦室から出ると貨物室を覗き込んだ。

「少佐、200フィート前方に大型車両の痕跡を発見しました。恐らく装甲車ではないかと思います。部下2名が追跡をしています」

「わかった。なんとしても見つけなければ…。その前に残された核兵器を収容しよう。木を爆薬で吹き飛ばしてヘリの着陸地点の確保をしてくれないか」


日本愛知県名古屋市 守山駐屯地


 ベッカム大佐はドナヒュー少佐からの衛星電話を置くと苦虫を潰したような顔をした。それを見てヘストン大尉は不安な気分になった。

「少佐は何と?」

「核弾頭が一発足りない」

「何ですって?!」へストン大尉は驚いた。

「デルタを襲った奴らが持っていったのだろう。その相手は自衛隊の可能性大だな」

「まさか!?」へストン大尉は理解できなかった。

「連中はかなり訓練されているようだ。日本では他にそんな部隊はないしな」

「しかし、何の為に?この基地の様子を見る限り、そんな風には思えませんが…」

「恐らく、一部の部隊が本隊を離れて勝手にやっているんだろう。理由は分からんが…」

「どうします?」

「私はペンタゴンに連絡してみる。政治的な問題はそっちに任すしかない。とにかく俺たちは残りの一発を見つけ出すしかないさ」

「そうですね」

「とにかく、ひとつずつ問題を片付けるしかない。CH-47を手配してくれ。アパッチに護衛させて残っている3発の核を引き上げよう」


アメリカ合衆国 ワシントンDC ホワイトハウス


日本に派遣している国防総省のブラッド・ベッカム大佐からの報告を聞いてウェズリー大将は大統領にその内容を報告した。その事は彼自身信じられないような内容だった。一番考えられない事態に発展していた。

「まだ証拠はありませんが、どうやら自衛隊の一部隊が核を奪ったようです」ウェズリー大将が言った

「どういうことだ?」ジャクソン大統領は驚いた。

「ハッキリとは分かりません。ただ、かなり組織だった活動のようです。相当数の兵器と兵員を擁しているものと思われます。現在デルタフォースの1個分隊が追跡しています。しかし、そう簡単にはいかないでしょう」

「間違いないのか?」

「もちろん、他のテロ組織がやった可能性はあります。しかし、今の日本国内でそんな重武装組織が活動するとは思えません」ウェズリー大将が言った。

「確かにそれは言える。自衛隊がやったと考えるのが妥当だな」ジョン・ベルモント国防長官が言った。

「日本政府が関与しているのか?」ジャクソン大統領が言った。

「それはないでしょう。今回の事態を収拾するために米軍の派遣要請をしてきた日本政府が我々に黙ってそんな事をするとは思えません。ましてや、米軍に対して攻撃してくるなんてあり得ない事です」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「ちょっと待ってください。それは考えが甘くはないですか?」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「それでは、君は日本政府が関与していると言うのか?」ジャクソン大統領が尋ねた。

「あくまで可能性の話です。確かに普通に考えるなら関与していないと考える方が正しいかもしれない。しかし、連中も国力が完全に崩壊した今となっては、切り札として核を手に入れようとしたとしてもおかしくありません」

「それでどうするというんだ?」

「そこまでは分かりません。たとえば、日本国内のユニットを完全に殲滅したあとで米軍に対して早期撤退を要求するとか、援助物資や経済援助を要求するとか、使い方は色々です。今までイラクや北朝鮮などのテロリスト国家がやってきた事と同じ事をするんですよ」

「まさか。日本政府にそんな度胸はないですよ」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「私はクーデターの可能性のほうが心配です。日本政府自体、自衛隊をすべて掌握しているとは思えない。一部の部隊が日本政府に対して政権の奪取を考える可能性はある」ジョン・ベルモント国防長官が言った。

「考え方としては悪くないですね。今まで日本政府は憲法第9条に振り回され自衛隊を蔑ろにしてきた。PKOや国連軍参加に於いて集団的自衛権の行使や武器使用の権限などの事で、よく分かってもいない連中が否定的な意見を言っていた。中には自衛隊自体を違憲とする輩までいたのです。自衛隊内部にそれを面白くないと思っていた隊員たちが居る事は否めません。彼らが核を手に入れたことによって政権を転覆させようと思ったとしてもおかしくありませんよ」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「政権ね。今の日本政権を欲しがる奴がいるんでしょうか?」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「政権が欲しくないのであれば報復ということでは?」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「日本政府に対してかね?今の政府を潰すなら戦車1両あれば足りるだろう」ジャクソン大統領が言った。

「ちょっと待ってください。今は核がどのように使われるのかはなくて、奪われた核をどうするかです」ウェズリー大将が言った。

「確かにそうだ。わが軍の兵士をこれ以上危険にさらす必要はない。いっその事、核の場所を特定出来次第、気化爆弾を使って空爆するという事ではどうでしょうか?」ジョン・ベルモント国防長官が言った。

「そんな事をしたら核物質が飛び散りますよ」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「気化爆弾を使ったらその高温で核爆発が起きる可能性があります。爆発しなくともそれに匹敵するくらい放射性物質が拡散するでしょう」ウェズリー大将が言った。

「そもそも連中が勝手に奪い去ったんだ。自業自得だろう。それにどうせ大した被害はないんじゃないか?もうあらかた死んでいるんだから…」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「そんな話ではない。核爆発が起きれば国際問題になる」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「日本政府に自分のケツを拭かせたら?」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「と言うと?」ジャクソン大統領が尋ねた。

「自衛隊に処理させるんですよ。元をただせば自衛隊の一部隊がやった事。それを自分達で解決させるのが本当ではないですか?」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「それは反対だ。この問題は我々の主導で解決すべきものだ。そもそも日本政府に我々が核兵器を持ち込んだと言えというんですか?」ジョン・ベルモント国防長官が言った。

「日本に押し付けるかどうかは別として、これだけ大事になったら日本政府に本当の事を言うしかないような気がしますが…」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「そうですね。これは小競り合いではすまないでしょう。大規模な戦闘になるのは間違いないと思われます。我々は日本政府に対して事情を説明して自衛隊の部隊と戦わざるおえない事を伝えるべきかと。いずれにしても、その返事しだいで日本政府が関与しているかどうかがハッキリする」ウェズリー大将が言った。

「日本政府に伝えたら自衛隊で何とかすると言いかねませんよ。それこそ問題だ。日本政府が鎮圧する為に部隊を送ったとしても、その鎮圧部隊が同胞への攻撃に躊躇する可能性があります。生き残った同胞同士殺し合いをするとは思えない。下手をすると反乱部隊に同調する場合があるのでは?そうなったら一層厄介になりますよ」ジョン・ベルモント国防長官が言った。

「その通り。一歩間違えれば同胞を殺せと言ってきた我々を敵とみなす可能性があります」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「まさか。我々は援助のために軍を送っているのですよ」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「今の日本人にまともな感覚があるわけがない。よく考えてみてください。1億2千万人いた同胞が一瞬にして半分になったのです。ましてや彼らにはその生き残りの数パーセントしか助ける事ができないでしょう。そういった状況の中で生き残っている同胞の命を奪う事ができると思いますか?その上同じ自衛隊員なのです」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「日本政府と自衛隊員の間には意識の違いがあるということだな」ジャクソン大統領が言った。

「そうですね。日本政府の安請け合いを間に受けると馬鹿を見る可能性があります」ジョン・ベルモント国防長官が言った。

「結論からすると、日本国内で大規模な戦闘が起きそうになった場合、核の事を日本政府に伝えた方がいいが、そのタイミングが重要という事か」ジャクソン大統領が言った。

「そうです」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「それに、他国の部隊が奪った可能性だって捨て切れません。慎重に事を運んだほうがいいと思われます」ジョン・ベルモント国防長官が言った。

「分かった。とにかく日本政府にはデルタフォースが大規模な戦闘を交える直前まで内密にしておこう。その時には私がホットラインで直接武田首相と話を付ける。ウェズリー大将、部隊とは緊密に連絡を取ってくれたまえ」

「わかりました」ウェズリー大将が言った。


日本 愛知県名古屋市 守山駐屯地


指令センターにいた山本一佐は上手く事が進んでいくことに満足していた。とはいっても決して順調ではない。予定からはかなり遅れているのだ。だが、そんな予定などを基準で考えたら隊員は一人残らず死んでしまうだろう。人間は機械ではない。食べて眠る必要がある。”人の動きを数字に置き換えただけのような、机上で立てた予定など知ったことか!こっちは精一杯やっているんだ”山本一佐はそう思っていた。少なくとも今のところ問題なく進んでいることで満足なのだ。そこに血相を変えた若松陸将が入ってきた。

「山本一佐。ちょっと来てくれ!」

「偵察ヘリから何か情報でも?」山本一佐はその様子を見て尋ねた。何か有力な情報が入ったのだ。山本一佐は若松陸将の歩調に合わせるように急ぎ足で歩いた。

「ああ、ビンゴだ。偵察ヘリが撮影した。これを見ろ!」若松陸将はそう言うと写真が入っているらしい封筒を手渡した。山本一佐はその中から一枚引き抜くと目を凝らして眺めた。そこには異様な状態で横たわるC―130輸送機があった。若松陸将の自室に入ると机にその写真を置いてさらに詳しく見た。

「C―130か。ひどい状態ですね」山本一佐がそう言うと若松陸将は待ちきれないように山本から封筒を取り上げると数枚の写真からお目当てのものを引っ張り出した。

「山本一佐。もう一枚、これを見たら驚くぞ」若松はそう言うとその写真を机の上に広げた。

「これは…。C―130の破片じゃないですね」

「専門家の話じゃ、ブラックホークの残骸らしい」

「と言うことは、最初に行った部隊ですか?何故墜落を?」

「地対空ミサイルにやられたようだ」

「誰にですか?」山本一佐は驚いて尋ねた。

「俺達の仲間だろうな」

「自衛隊員?!」

「そうとしか考えられない。他にどんな部隊があるというんだ?」

「それはそうですが…」

「岐阜基地からの情報では、昨日飛立った4機の内、後発の1機は戻ったが、先発した3機のヘリは帰らなかった。そして、今日CH-47大型ヘリが何処からかやってきて給油をして飛び去ったそうだ。その中には何らかの貨物が搭載されていたとの事だ。それがこの墜落したC―130の荷物だったとしたら…」

「辻褄が合いますね」山本一佐は納得した。

「ハッキリさせよう。つらい話になるかもしれないが…。とりあえずベッカム大佐のところに行くぞ!」若松陸将はそう言うと写真入の封筒を持って部屋を飛び出した。そして、ベッカム大佐がいる事務所へ一目散に向かった。二人がベッカム大佐の部屋のドアをたたくとすぐ返事が返ってきた。

「どうぞ」

二人は中に入っていった。そして、ベッカム大佐の前で立ち止まると若松陸将は話始めた。

「ベッカム大佐、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが」

「若松陸将、山本一佐。お揃いで何でしょう?」ベッカム大佐は立ち上がった。

「ちょっと見ていただきたいものがあるのです」若松陸将はそう言うと封筒の中から写真を取出した。それには先ほど山本に見せた2枚の写真が含まれていた。

「あなた方はこの日本国内で一体何をなさっているのですか?」若松陸将はベッカム大佐の机にその写真を広げた。ベッカム大佐は無言でその写真を眺めた。

「この写真を見る限りただの救助活動ではなさそうですね。どう考えてもこの国内で戦闘行為が行われているのは明白です。ベッカム大佐、本当のところを教えてもらえませんか?一体誰と戦っているのですか?」若松陸将はそう言うとブラックホークの残骸の写真を指で示した。

「この事は日本政府には?」ベッカム大佐はそう言うとそろそろ年貢の納め時だと思った。

「まだです。ハッキリしてからと思いまして。現状は私までです」若松陸将が言った。

「そうですか。分かりました」

「大佐!?」へストン大尉が驚いて言った。

「こうなったら仕方がない。いつまでも隠しておくことはできんだろう?」

「若松陸将、最初からお話しましょう」ベッカム大佐は二人に椅子を勧めると観念したように最初からの経緯を話した。若松陸将と山本一佐はその話を聞いている間、一言も口を挟むことなく最期まで無言で聞き入った。ベッカム大佐は二人が無言であるのは話の内容に驚いているのか、分かりきっていたからなのかは判別できなかった。若松陸将はベッカム大佐が話し終わるのを待って口を開いた。

「つまり、私の部下があなたの部下を襲い、核弾頭を奪ったということですか?」

「実際に誰がという事を言及することはできませんが、今のところそう考えるしかありません。若松陸将、それらしい人物に心当りはありませんか?相当数の兵力です。現場から数台の装甲車のものと思われる大型車両の跡も発見されております」

「若松陸将、まさか…」山本一佐は一人の名前が頭をよぎった。

「大槻三佐か?」若松陸将も同じだった。

「オオツキ?」ベッカム大佐は若松の言った言葉を復唱した。

「実は一週間ほど前、私の部下だった大槻三佐が行方不明になったのです。報告上では死亡という事になっていますが、未だに確認は取れていません」

「一人だけですか?行方不明なのは?」

「彼の部隊は全滅だと聞いています。その部隊がそっくり大槻三佐と行動をともにしていたら大変なことになる」

「部隊の規模は?」

「1個戦車中隊です」

「何ですって?!」ベッカム大佐は驚いた。まさかそれ程の大部隊が勝手な行動を起こしているとは思っても見なかったのだ。

「大至急、ドナヒュー少佐に連絡してくれ、相手は1個戦車中隊だ。見つけても攻撃は控えろと」

「わかりました」

「ベッカム大佐。何故もっと早く核弾頭の事を教えてくださらなかったのですか?そうすれば、このような最悪の状況にならなくてすんだかもしれないのに…」若松陸将は残念そうに言った。

「これは、最高司令官、つまりアメリカ大統領からの命令なのです」ベッカム大佐は申し訳なさそうに言った。

「あなたに知られたことを大統領に知らせなければなりません。少し席を外して頂けませんか?」

「ベッカム大佐、私に提案があるのですが。大統領にお伝え願えませんか?」

「提案ですか?わかりました。お伺いしましょう」


日本東京 首相官邸


武田首相は官邸の執務室でイスに座り、悲痛な面持ちで各部門から提出された報告書に目を通していた。しかし、彼をこれほどまで打ちのめしているのはこれらの報告書の内容ではなかった。もちろん、その中には目を覆いたくなるような内容の物もかなり含まれていた。だが、それらの事はこの事件が発生してから何度となく目にしており、すでに免疫が出来てしまっているのかもしれなかった。

彼が今このような重い気持ちになっているのは、生存者のほぼ半数の命を自らの手で絶ってしまったという罪の意識からだった。そして自分の下した決断が本当に正しかったのかどうかを自分自身に何度も問いかけていた。

この決断により、一部の都市では、その中心に高周波発生装置を設置して、ユニットが集められ、郊外の救助作業を容易にするために完全に見捨てられる形になった。そして、その都市の中心部で生存していた人々が救出される事は決して無いだろう。

武田としては苦汁の決断だった。

また、生き残り議員や一部のメディア――メディアといってもまったく機能していなかったが――では武田首相の下した判断を批判する者も少なくなかった。

しかし、その作戦により、大幅に勢力圏を拡大する事が出来た上に、現在確認できた生存者の数は2000万人を越す事が出来たという事も事実であり、武田としてはその事だけがせめてもの救いだった。

安藤官房長官は米軍の侵攻状況を首相に報告するため執務室にやって来た時、武田首相があまりにも苦しそうな顔をしていたので、最初はどこか身体の具合でも悪いのかと思ったくらいだった。しかし、武田首相が書類から顔を上げ安藤の方を向いたとき、額のしわが無くなり少し穏やかな顔を見せた事で安心した。

「首相、米軍の侵攻状況がでました。現在、ほとんどの米軍部隊が陸上自衛隊の各本隊と接触に成功し港から各拠点に物資を輸送するルートを確保したと連絡がありました。これにより、航空機だけでなく車両による物資輸送がスムーズに行われる事になる筈です」

「米軍は、高周波による作戦をちゃんと理解しているのかね」

「はい、それはすでに決定した時点でその旨を通知しましたので、各米軍部隊は都市部の中心を避けたルートで移動したようです。昨日までの時点で米海軍から30機の大型ヘリの供与が完了しており、辺境地域の部隊に人員や各物資の輸送が容易になりつつありあます。さらに今週中にもう20機程の供与が予定されています。細かい所はまた木野陸将から報告があると思います」そう言って安藤は書類を武田に手渡した。

「ありがとう」武田はそう言うと、書類を机の上に置き窓に近寄って外を眺めた。

「首相、お休みになられましたか」安藤は首相の顔色が悪いのでそう尋ねた。

「いや、あまり眠れないな」武田はそう言いながら、この二週間で何時間ベッドに入ったのだろうと思った。

「そうですか、私も同じですから人の事はあまり言えませんが、少しお休みになられないと体が持ちませんよ」

「ああ、そうだな。そう言えば安藤君、議員連中は相変わらずかね」

「彼らは人のやる事に文句を言うだけですからね。気楽なもんですよ」

「安藤君。ここだけの話だが、できる事なら誰かに代わってもらいたいと思うことがあるよ。特に今回のような時はね」武田はそう言って安藤の方に振り向き辛そうな笑顔をみせた。

「首相、私は、あなたの判断は正しかったと信じています。これからもずっと」安藤はそうきっぱり答えた。


日本岐阜県 各務ヶ原


高橋は、突然耳に響いた心地よい鳥のさえずりに目を開いた。この場所に来てからすでに2時間ほどたっただろうか。川の流れる音やそこに吹く風の音が流れるこの不変的な自然の中でこの2週間ほどの間に起きた出来事や色々な事を回想しているうちに、これから自分が本当にしなくてはいけないことがわかったような気がした。今は悲しみに浸っている時ではないという事が…。

高橋は、この場所に別れを告げる時が来たことを悟った。彼は立ち上がると“しばらくはここに近づかない”と誓った。彼はおもむろに川に背を向けさっき来た道を走って戻って行った。

高橋は、病院に戻り美里の病室に入ろうとした時、美里やその他の病人達に対して献身的な看病をしている直子を見て自分自身が恥ずかしくなった。

彼女はすでに変わっていた。あのマンションで助けた時の怯えて泣いていた彼女ではなかった。直子は、親しい友人を亡くしたばかりだというのに、今では医療スタッフと共に患者に食事を与えたり優しい言葉をかけたり体を拭いてやったりと額に汗を流しながら懸命に働いていた。

あの時、藤岡や美里にしてもそうだった。彼らはあんな極限状態であったにも関わらず山縣や直子に対して暖かい手を差しのべて優しい言葉をかけていた。藤岡に至っては自分の命を掛けてまで山縣を助けようとした。

その反面自分はどうだっただろう?藤岡が死んでから、いやその前からでも人のために尽くした事があっただろうか?自分自身のことや自分のエゴの為だけにやっていただけなのではないのか?特に藤岡が死んでからは、その悲しみの中に身を置くことによって他の事からただ逃げていただけだ。

直子は、入り口で立っている高橋を見つけると近づいて声を掛けた。「高橋さん、戻ってたんですか。美里さんは相変わらずです。さっき脳波とCTスキャンで検査をしましたが、結果が出るのは2日後らしいです」直子はそう言うと再び美里の方に近づいていった。

「ありがとう。検査に付いててくれたんだね」高橋もそう言いながら美里のベッドに近づいた。

「ええ、それくらいの事しか出来ないですからね」

「君は強いね」

直子は、高橋の言った意味がわからなかったので首をかしげながら答えた。「そんな事無いです。高橋さん達のほうがよっぽど強いじゃないですか」

「そうじゃないんだ。決して強いわけじゃないんだよ」高橋はそう言って少し間を置くと言葉を続けた。「直子さんにお願いがあるんだ。俺は、明日から基地のほうで働こうと思うんだ。色々準備とかあるらしいからね。だから、俺は美里さんにずっと付いていてあげることが出来ないから君に頼みたいんだ」

「私はもちろん構いませんよ。その為にいるんですから。でも美里さんが寂しがるかもしれませんね」

「美里さんならわかってくれると思うよ。出来る限りはここに戻ってくるし」

「そうですね、美里さんなら早く行きなさいって言うでしょうね」

高橋はその言葉を聞いてその通りだと思った。美里ならきっと説教交じりでそう言うに決まっている。高橋は美里の眠っているベッドの横に座り、さっき自分が決心した事を美里に告げた。「俺、みんなのためにがんばるよ」


翌朝、高橋は小隊長の宮田三尉の所に行くと何か手伝わせてくれるように頼んだ。

「何かやらせてもらったほうが、気がまぎれていいんです。それに彼女には付き添いがいますし」

「うーむ。それはありがたいが中隊長と決めた事だしな」宮田三尉は困ったように言った。彼は、大野中隊長から高橋を任された時“自分が無理やり連れてきたのだから、できるだけ拘束しないように配慮してもらえないだろうか”と頼まれたのだった。ましてや、宮田にしても腕のいい狙撃手が欲しかっただけなので、一つ返事でOKしたのだった。

「お願いします。何でもいいんです」高橋は言った。

「そうかわかった。それじゃ、ライフルの調整をしておいてくれないか」宮田三尉は悩んだすえそう言った。

「ありがとうございます。ところでライフルの調整とはどういう事ですか?」高橋は不思議に思い尋ねた。

「ああ、君に任せる狙撃銃だ。とは言ってもアメリカさんから供与してもらった民間の狩猟用ライフルだからちょっとキャシャかもしれんがね」

「小隊長、自分は正式な狙撃の訓練は受けていません。基礎だけならやりましたが…」狙撃と聞いて高橋は驚いた。それは専門家の仕事だ。ライフル射撃がいくら優秀だからといっておいそれと出来る事ではなかった。

「ああ、それで十分だ。うちの小隊には扱えそうな奴がいないから頼むよ。弾はたくさんあるから好きなだけ練習してくれ」

「わかりました。ご期待に添えるよう全力を尽くします」

「よろしく頼む」宮田三尉はそう言ったあと、内線で岩田二曹を呼んで、その間に何枚かの書類を作成した。

高橋は、“岩田二曹”と聞いてちょっとビックリした。宮田三尉はその様子を見て「中隊長に聞いたんだが、君は岩田恵美子二曹を個人的に知っているらしいね」と意味ありげに言った。

「はい、現役の時に」高橋はすこし言葉を濁しながら言った。

「そうか、まあいいだろう」宮田三尉は書類に書き込みながら言った。

暫らくしてドアをノックする音が聞こえた。

「どうぞ」宮田三尉が言うとドアが開き恵美子が部屋に入って敬礼した。

「すまんな。岩田二曹、高橋士長にこの書類のライフルを渡して、射撃場に連れて行ってくれないか」宮田三尉はさっき書き込んだばかりの書類を恵美子に渡しながら言った。

恵美子は、高橋が部屋の中にいるので少し驚いたが、顔には余り出さないようにした。

「はい、わかりました」恵美子は敬礼をしてそう答えると、宮田から書類を受け取って部屋を出て行った。高橋は恵美子が部屋を出て行くのを目で追った。

「小隊長、ありがとうございました」高橋は立ち上がるとそう言った。

「高橋士長、よろしく頼む。期待しているからな」

「はい、わかりました」高橋はそう言って敬礼すると恵美子を追うように部屋を出て行った。

高橋は先行する恵美子に追いつくと暫らく沈黙したままで並んで歩いた。

「あなたは、てっきり病院にいると思っていたわ」突然、恵美子が話し出した。

「ああ、最初はそのつもりだったけど気が変わったんだ」

「そう、看病しなくていいの?」

「付き添いがいるからね」

恵美子は、少し時間をおいてストレートに尋ねた。「病院に入院している人、あなたの彼女なの?」

高橋は、突然恵美子が発したその質問にビックリした。

「いや、違うよ。先輩の彼女なんだ。昔、君に藤岡先輩の事は話したと思うけど、先輩が5日前に死んじゃったんだよ」高橋は悲しそうにそう言うと今までの経緯を簡単に説明した。

「そうだったの。あなたも大変だったのね。私も今回は辛い目にあったわ。でもみんながそうだから生きているだけ幸せなのかもね」恵美子は辛そうに言った。

恵美子は、高橋が自衛隊を辞めてしまった時、彼女に何の相談も無かった事がショックで、ついつい高橋にひどい事を言ってしまった。そして、そのまま音信不通になってしまった事を後悔していた。しかし、彼女も気が強く、自分からはどう考えても謝る事が出来なかった。結局、彼女は暫らく落ち込んで一人でいたのだが、つい最近、同じ隊だった人に交際を申し込まれて付き合っていたものの、彼も今回この病原体にやられてしまったのだった。

二人は、武器庫に行くと小隊長から貰った書類を係員に渡し、ライフルの入ったジュラルミンケースと弾薬ケース受け取った。そして、射撃場に行き、ロングレンジ射撃エリアにあるテーブルにジュラルミンケース置くとロックを外してケースを開いた。その中には緩衝材に包まれたボルトアクションライフルが収められていた。そのライフルにはユナーテルの10倍固定スコープが取り付けてあった。更に銃身はバーミントの肉厚バレルに換装してあり衝撃吸収の効果アップと連続射撃にも耐え得るようになっていた。高橋はライフルをケースから取り出すとボルトを開いてじっくり眺めた。ずっしりとした重みのあるライフルのフレームにはレミントン モデル700 30―06スプリングフィールドと刻み込まれていた。

「これは凄いな。民間用とはいえかなりチューンアップしてある。30―06弾薬を使用するバーミントのレミントンM700は始めて見たよ。特注品かな?何処から持ってきたんだろう?」高橋は不思議そうに言った。

「そうだわね。米軍から供与されたらしいけど不思議な話ね。それだったら普通M40の筈だし。よく似ているけど見た目はどう見ても狩猟用ライフルね」

「ああ、元々M40やM24狙撃銃はこのレミントンM700をベースにして軍用にしたものなんだ。だから、見てくれは殆ど同じなんだよ。使われている材質のせいで少し違ったように見えるけどね」 

「そうなんだ。相変わらずよく知っているわね。でもあなたなら大丈夫でしょ。ライフルではあなたがいる小隊はいつも一番だったもの」

「狙撃は別さ、ロングレンジの射撃は色々な条件で変わってくるからね。でも出来るだけやってみるよ」

「お願いよ。バックはあなたに任せるからね」恵美子はそう言うと高橋の肩を叩いた。

「それはそうと、今回の掃討作戦はかなり大規模らしいけど何か知っているの?」高橋は、大野と宮田が以前言っていた事が気になって恵美子に尋ねてみた。

「よくは知らないわ。今は、高周波でユニットを都市の中心に集めて、その外側から勢力圏を徐々に広げて救助活動をしているんだけど、今回はユニットを市街地に閉じ込める為に中心からある程度の距離のところに緩衝地帯を作るらしいの。空自との連携作戦だって言っていたわ。緩衝地帯はユニットが隠れたり出来ないように爆薬や空爆で建物を全部吹き飛ばすんだって。私達はその緩衝地帯になっている地区を大部隊で一気に掃討してそこの生存者を救助するっていう話よ」

「かなり大掛かりのようだね」高橋は、かなりむつかしそうな仕事だと思った。恵美子の言っているような事が、そう簡単に出来るとは思えなかったし、生存者が残っていたらそれでも爆弾を落とすのだろうかと不安になった。しかし、命令ならやるしかないだろう。軍隊とはそういうものなのだから。

「そうね、こんな大規模な事は初めてじゃないかしら。それじゃ私行くわ。がんばってね」恵美子はそう言うと帰っていった。

高橋は、恵美子が昔と全く変わっていないので少し嬉しかった。もうあれから3年以上も経っているとは思えなかった。明るく優しくて気が強い。まるで美里のようだと思った。今までそんな事を考えてもみなかったが…。

高橋は考え事を中断して射撃の練習に神経を集中する事にした。自分の任務は隊員達を後方から支援する事で、その結果如何では、隊員が死ぬことになるかもしれないのだ。決して失敗は許されない。事の重大さに高橋は身震いした。

彼は、一緒に持って来た弾薬ケースを開けると見慣れない箱が幾つか入っていたので、その一つを手にとってじっくり眺めた。それは、自衛隊でいつも使っていた軍用弾薬ではなく、紙の箱に二十発ずつ入っている民間のもので、180グレイン ホローポイント、30―06マッチ弾薬が入っていた。これは64式自動小銃などに通常使う30口径(7.62ミリ)NATO弾と比べると、口径は同じだが薬莢の長さにはかなりの違いがあり威力と弾速は数段上だった。更に、この弾は競技用のタイプで、それぞれの弾薬に違いが無いように、一箱一箱同じロット番号の火薬が薬莢に装填してある代物だった。

高橋は、その弾薬の先端がカットされ露出した鉛部分が窪んでいるのを見て頷きながら思った。確かに奴らを撃つなら軍用のフルメタルジャケット弾より、命中した時の衝撃で弾頭が潰れ、広範囲の臓器を損傷させることが出来るホローポイントのほうが有効だろう。それで民間の狩猟用ライフルが供与されたのかもしれない。

彼は、レミントンM700の右側に突き出したボルトを引くと弾薬箱から弾を数発鷲掴みにして取り出した。そして、レミントンの弾倉に5発装填するとボルトを戻し薬室に弾薬を送り込んだ。

高橋は、現役時代に狙撃の講義でうけた30―06 180グレイン弾頭での距離による下落率と風の影響を記憶の片隅から思い出しながら、ユナーテルの10倍スコープを覗いた。そして、200メートル先の標的に向かって狙いを定めると1発撃ってみた。それはかなりの衝撃で、銃床が肩に食い込んだ。

高橋は、銃を下ろし双眼鏡に持ち替えて着弾を確認した。弾は右に5センチ、下20センチほどずれていた。

「ちくしょう。これではダメだ」高橋はそう言うと再びレミントンを掴んで銃床を肩に押し当てた。そして、スコープの照準合わせと銃の癖を掴む為に何度も何度も射撃をくり返した。


アメリカ合衆国ペンシルベニア州 フィラデルフィア・マイクロ波研究所


クリコフとリチャードはスナイプス大佐を研究所に呼び出し、今までの研究と開発のデータを見せていた。不眠不休でやっていた研究が実を結んだ。研究所内での実験は成功裡に終わり、今度は広範囲にわたってその成果が現れるかを見る必要があった。そのために、現在、都市にユニットを封じ込めながら掃討作戦を実施中の日本で実験をしたい旨をスナイプス大佐に申し込んでいた。

「このデータを見てください。この周波数の電磁波を浴びるとユニットは死んでしまいます」リチャードはそう言うと、スナイプス大佐にデータ表示させたパソコンのディスプレーをペンで示した。

「これはマイクロ波というより限りなく赤外線に近いミリ波と呼ばれる高周波数帯の電磁波です」クリコフが言った。

「この周波数の電磁波をユニットに当てると脳が共振して死んでしまいます。厳密に言えば脳というより脳に取付いている細菌の細胞核が電磁波との共振の為、その振動に耐え切れず崩壊するのです」

「理由はわかった。それで、これをどうやってユニットに当てるんだ?」スナイプス大佐が言った。

「リチャードが開発していたマイクロ波通信機を改良して広範囲に放射するのです。更にナノクリスタルの粉末を上空からばら撒いて特定周波数の電磁波を拡散させます」クリコフが言った。

「ナノクリスタル?酸化ケイ素か」

「そうです。大佐もよくご存知の通り、この物質はある特定の温度で焼き固めれば特定周波数に共振するサイズの結晶を作る事が出来ます。これを大量に航空機でばら撒くのです。理論的には20tのナノクリスタルで50平方キロの範囲に電磁波を拡散させる事ができるはずです。これなら一つの小規模都市をカバーする事が可能です」

「なるほど。それでその通信機はもう出来ているのか?」

「間もなく、実用化タイプが完成します。問題はこれが本当に広範囲で効果があるかどうか実験する必要があるのです」リチャードは言った。

「研究所では出来ないのか?危険すぎるぞ」

「研究所内では既にプロトタイプにより実験済みです。先ほどから言っている通り、問題は広範囲のユニットをこれで撃退する事ができるのかどうかです。それにナノクリスタルの拡散効果も見てみないといけません。理論的には成功すると思われます。しかし、アラスカでは既に沈静化に向かっており、散発的な掃討作戦に切り替わったとの事ですから、この装置の出番は無いと思われます。今となると組織的にユニットを集める作戦を実行しているのは日本くらいです。韓国や東南アジア各国、インドでは完全に崩壊状態でまだそこまでのレベルに達してはいないでしょう」リチャードが言った。

「確かにそうだ。だが、日本に行って実験をするのはどうだろう。大体、日本政府が承知するかが問題だ」スナイプス大佐が言った

「ですから、大佐にお願いしているのです。日本政府と交渉して欲しいのです」リチャードが言った。

「うむ、リチャード。本当に現地で実験したいのか?日本の被害はアラスカの比じゃないぞ。未だに数千万という感染者がうろついているんだ。もし何かあったらどうする?君は民間人なんだ。我々はそこまでは君の安全は保障できない」

「それはわかっています」リチャードが言った。

「大佐、もしリチャードが民間人だからダメなのならば私が行きます。私は軍人ですから」クリコフが言った。

「クリコフ大尉、それはそれで問題なのだよ。君はロシアの軍人であってアメリカの軍人ではないのだ。君に万が一の事があったら国際問題に発展する可能性だってある」

「それは大丈夫です。本国の連中は私が死んだって意に介しませんよ。それより、私はどうしてもこのシステムを完成させる必要があるのです」

「クリコフ大尉、何故そんなに一生懸命なんだ。もちろんそれ自体悪い事ではない。だが、あまりにも熱心すぎる。自分の命を顧みないという事は危険な事だぞ」スナイプス大佐が言った。

「僕もたまにそう思う事があるよ。もしかして家族がこの病原体にやられたのか?その敵討ちと思っているのか?」リチャードが尋ねた。

「妻の為だ」

「奥さん?そう言えば、研究所のスタッフと雑談をしている時も君は家族の事を何も話そうとしなかったね」リチャードが思い出すように言った。

「失敗すると妻が殺されるんだ」

「何だって?!殺される?ロシアの政府にか?」リチャードは耳を疑った。

「KGBだ。これは内密にして下さい。本国に知られると妻の身が危ないのです」

「もちろんだ。オフレコにしておくよ。よかったら話してくれないか?内容次第では私達が力になれるかもしれない」スナイプス大佐が言った。

クリコフは自分が人工衛星の管制官だった事。故障した人工衛星をどうやって制御したかという事。そしてこの事態が発生したあとスタッフ全員が監禁されている事。そして妻のイリ―ナの事を二人に話した。

「なんて事だ。君の奥さんの事をロシアの大統領は知っているのか?」リチャードが尋ねた。

「大統領が知っているかだって?大統領がそんな些細な事知るわけないさ。おそらくKGBの段階でもみ消されているだろう。どうせ連中のことだから、大統領には俺が国家のために志願したとでも言っているんじゃないかな」

「それじゃ、上手くいったって本当に会わせてくれる保証はないのか?」リチャードは言った。

「ああ、だが失敗すれば間違いなく殺される保証はあるさ。ただ、もしあのままなら一生あの地下室に幽閉され、二度と妻には会えなかっただろう。だが、君達のお陰で自由になる可能性が少しは出てきたんだ。でも、その代わりに妻に命が危険にさらされる事になった。しかし、君達に感謝はすれども恨んじゃいない。可能性があるなら俺は一生懸命やるしかない。これは一つの大きな掛けだ。一生に一度のね。あとは運に任せるしかないだろうな」

「ちくしょう!汚い奴らめ。大佐。やはり何とか実験を成功させる必要がありますよ」リチャ―ドが語を荒げて言った。

「ああ、そうだな。大統領に相談してみるか。もちろん、クリコフ大尉の事は内密にする。だが、私に任せてくれ。何とかしてみる。大尉、気を落とすな。きっと上手くいくさ」スナイプス大佐が言った。

「もちろん望みは捨てませんよ」


アメリカ合衆国ワシントンDC ホワイトハウス


ホワイトハウスの大統領執務室でスナイプス大佐はジャクソン大統領をはじめ、ウェズリー・シェーファー統合作戦本部長、ベン・グッドリー大統領補佐官、ジョン・ベルモント国防長官、ウィル・デンバー国務長官らを前に研究の結果報告と日本における実験実施の要請をしていた。

「そうか、ついに出来たか」ジャクソン大統領が言った。

「はい、研究所内での実験は全て終了しました。実用化タイプも間もなく完成です。あとは現場での実験を残すだけです」スナイプス大佐が言った。

「それで日本で実験を行いたいという事なんだな?」大統領が尋ねた。

「そうです。現在日本ではユニットを都市中心部に集めて救助活動をしていると聞きました。この実験にはうってつけです」

「わざわざユニットを集める必要が無いですからね」ベン・グットリー補佐官が言った。

「日本にそれを承諾させる必要があるということか。問題は果たして我々の実験を日本国内で実施させてくれるかだな」ジャクソン大統領が言った。

「日本ですか。今現在問題を抱えていますからね」ウィル・デンバー国務長官が言った。ジャクソン大統領は暫く考えてスナイプス大佐に今起きている問題を話すことにした。

「スナイプス大佐。今から話すことは最高機密だ。いいかね?」

「はい」スナイプス大佐が言った。

「実は現在日本国内で核弾頭が行方不明になっているんだ」

「核が行方不明?!」スナイプス大佐は驚いた。

「今日本国内でデルタフォースが奪回作戦を展開中だ。それが解決しない限り実験は不可能だろう。危険なのだ。日本国内で核爆発の可能性がある」

「それは日本政府も知っているのですか?」

「いや、日本政府は知らない。自衛隊のある部隊と連携する話は進んでいるが、日本政府には伝えていない。いろいろ事情があってな。それが解決すれば話を進める事は出来る」

「日本政府に許可だけ得てはいただけませんか?実験はその作戦が終了してからでかまいませんから」スナイプス大佐がそう言った。

「そうだな。核弾頭の奪回作戦が失敗すれば絶対許可は出んだろう。今の内に承諾を得ておくのが得策かもしれない。どう思う?」ジャクソン大統領がウィル・デンバー国務長官に尋ねた。

「最終的には日本は承諾すると思います。いまだにユニットが多すぎるため救助活動にかなり支障をきたしていますから」

「ただ、失敗するといい笑いものになる。その辺りは大丈夫なんだろうね」ベン・グットリー補佐官がスナイプス大佐に尋ねた。

「はい、研究所内での実験では全く問題ありませんでした。今回、広範囲のユニットに対してどれだけ効果があるかを確認したいだけなのです」

「この実験にあたりマイクロ波を使う事によって生存者の人的被害は出るのかね?」ジャクソン大統領が言った。

「それは大丈夫です。ただ、設置場所から数十メートル以内における被害はある程度覚悟しておいた方が懸命だと思います」

「それくらいは許容範囲でしょうね」ジョン・ベルモント国防長官が言った。

「ユニットをある程度やっつける事が出来れば格好はつくでしょう。中心部のユニットだけでも退治する事ができれば感謝されるのではないでしょうか。実験が大成功を収めて広範囲のユニットまでやっつける事ができれば、それこそ各国から評価されるでしょうね。それに元々日本でも都市の中心部は見捨てているのですから、少々の犠牲があったところであまり文句は言わないでしょう」ベン・グットリー補佐官が言った。

「それはそうだ。やってみる価値はあるな。しかし、日本の状況からすると自衛隊に実験の協力してもらうのは不可能だと思うんだが、我々の部隊だけで実施する事は出来るのか?」ジャクソン大統領がウェズリー・シェーファー統合作戦本部長に聞いた。

「この実験の規模であれば、必要な人員は日本派遣軍から裂く事は出来ると思います。ただ、実施する場所によっては、ある程度は自衛隊に協力してもらわないといけないでしょう」

「わかった。武田首相に掛け合ってみよう」ジャクソン大統領はそう言った。


日本東京 首相官邸


首相官邸の地下5階にある指揮通信センターの会議室で武田首相は半円形の巨大なテーブルの中央にあるイスに腰掛け腕組みをしてじっと目を閉じていた。会議室の中ではあちこちで怒号が聞こえていた。まるで喧嘩しているようだ。現在、閣僚会議の真っ最中で統合幕僚監部の幕僚も含め政府の閣僚が集まっていた。そもそもの発端はアメリカのジャクソン大統領からの電話から始まっていたのだ。

その電話の内容はアメリカが開発したユニット撃退用のマイクロ波通信装置を日本国内で実験させて欲しいと言う事だった。意見は真っ二つに分かれていた。日本を実験台にするのは反対だという意見。もう一つは至急実験をすべきだという意見。その二つの意見が真っ向から対立してこの会議室の中で戦っていた。しかし、武田首相の気持ちは決まっていた。というより、我々に残された選択肢はそれしかないのだ。今さら、面子にこだわって何のメリットがあるというのだ。アメリカの実験台だろうが何だろうがユニットを撃退できる可能性があるのであれば何を迷う事があるのだろうか。反対している閣僚にしてもその事は十分承知している筈だった。それは最後の悪あがきでしかないのだ。

「日本を実験台にするなんてアメリカのエゴ以外の何ものでもない。彼等はこの装置を開発する事で国家間のイニシアティブを取りたいだけだ。実験で生存者に被害が出ても知った事ではないだろう」

「この装置の電磁波は人体に影響が無いといってきたんでしょう?だったら問題ないんじゃないですか?」

「それなら、何故日本で実験するのですか?米国もアラスカで被害を被っているんだ。そこでやればいい。アメリカ人の被害が出るのを恐れているとしか思えん」

「それは、アメリカではユニットを殆ど掃討してしまっているからじゃないですか。実験の趣旨は広範囲でのユニットの撃退の筈ですよ。わが国が現在行っている作戦と方向性が一致しただけの事でしょう」

「だからと言ってわが国の国民の生命を実験台にしても良いという事にはならないでしょう」

「しかし、実験が成功すればより多くの国民を助ける事が出来るかもしれないじゃないか。このままでは本当に1億人近い死者が出ることになる」

「大体、この時期に実験が成功した所でわが国の生存者が餓死するまでに実用化できる筈が無い。退治するだけの事であれば生存者がいる段階で危険を冒す必要があるのか」

「生存者がみんな死ぬまで手をこまねいて待っているというおつもりか?!」

「誰もそんな事は言っていないだろう!」

武田首相はそろそろ会議に終止符を打つ時期だと判断した。彼は目を開けるとゆっくり立ち上がって全員を見渡した。会議室のメンバーは武田首相の行動を見て議論を中止した。

「議論はここまでにしよう。そろそろ結論を出そうじゃないか。全員の意見は聞いた。賛成、反対それぞれの意見はよくわかる。だが、結局一つの所に収まるのではないだろうか。すべては日本国民の為だ。そうじゃないかね」武田首相はそう言った。その言葉を聞いて会議室のメンバーは全員頷いた。暫らく間を置いて武田首相は続けた。

「我々はこの事態が発生してから、この数日間というもの、それこそ死に物狂いで対処してきた。とても無理だと思われる事、あるいは非人道的な事も実行してきた。その結果、数万人いや数百万人という生存者を死に追いやってきたのだ。もちろん自ら手を下したわけではない。しかし、それは私がこの手で殺したのも同じ事なのだ。私はその負い目を死ぬまで背負っていくつもりだ。だが、それはより多くの生存者を助ける為にやむおえない苦汁の選択だった。その事に関して私は決して後悔しない。いくら批判されようが正しい事だと信じてやってきた。それはみんなも同じだと思う。その根本は生き残った日本人の為だ。より多くの生存者を救い、その人たちを守る為だ。そして、我々の最終目標は再びこの日本国内で日本人が安全にそして快適に過ごせるようにしていかなければならないのだ。そのためには面子は捨てよう。実験台だろうがいいじゃないか。それで、この日本に子供達の笑顔が戻るのなら。そして安寧の地がつくれるなら。私はジャクソン大統領の要請を受けるつもりだ。わかって欲しい。思いだして欲しい。ユニットが徘徊する中で生活をしている子供達の顔を。私は子供達の恐怖で引きつった顔などもう見たくないのだ」武田首相は涙を浮かべながらそう言うとイスに座った。そして安藤官房長官に採決をするように言った。

「それでは決を取ります。実験に賛成の方は挙手をお願いします」安藤官房長官はそう言うと会議室の全員を見渡した。一斉に半数の手が上がった。そして、一人また一人と手を上げていった。最終的にはほぼ全員の手が上がった。

「首相、賛成多数です」安藤官房長官が言った。

「皆さん、どうもありがとう。私はジャクソン大統領に実験の了承する事を知らせてくる」武田首相はそう言うと席を立った。


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