第六章①

日本福井県某所


ロックウッド少佐は強烈な頭痛で現実に引き戻された。ゆっくり目を開けると薄暗い蛍光灯の輝きが目に入った。彼にしてみればそれでもなお眩しいくらいだった。部屋の中には戦闘服を着て自動小銃を持った東洋人の兵士数人と指揮官らしい男が立っていた。

「気がつきましたか?少佐?」指揮官らしい男が流暢な英語で言った。

「ここはどこですか?あなたは?」ロックウッド少佐は身体を起こしながら尋ねた。

「私は陸上自衛隊第3師団第10戦車大隊の大槻聡三佐です」大槻三佐はそう言うと敬礼した。

「私はアメリカ空軍第104輸送隊のロックウッド少佐です。陸上自衛隊という事は、ここは自衛隊駐屯地ですか?」ロックウッド少佐は尋ねた。

「そうです。厳密に言うと若干異なりますが…」大槻三佐が言った。

「一緒にいたはずのマクミラン少尉はどうなりました?」

「無事ですよ。少し怪我をしたくらいです」

「会わせて貰えますか?」

「今はちょっと無理です。もう少しお待ちください」

「そうですか。ところで何故あなた方が私たちを?私たちが無事だった事を本国に知らせてもらえたのでしょうか?」ロックウッド少佐は尋ねた。彼はまだ状況が理解できなかった。

「質問ばかりですね」

「申し訳ない。気が動転して…。まだお礼も言っていなかった。ありがとうございます。助かりました」ロックウッド少佐はバツが悪そうにそう言うと大槻三佐に右手を差し出した。

「どういたしまして」大槻三佐はそう言うと握手をした。そして、近くにあった椅子をベッドの脇に引き寄せると腰掛けた。

「ところでいったい何が起こったのですか?気を失っていた部下が突然襲い掛かってきたのです。普通では考えられません」ロックウッド少佐は悲しげに言った。

「詳細をお教えしましょう。あなた方はずっと山の中にいたので世の中で何が起こっていたのか分からないでしょうから…。私たちの部隊はこの非常事態が発生した時、滋賀県の演習場で訓練中でした。私たちは戦車の中にいたので無事でしたが外にいた隊員たちが突然倒れてしまったのです。われわれは全員倒れた隊員たちの救護活動をしました。その時、私の部下があなた方の救難信号を受信しました。しかし、暫くすると倒れていた隊員たちが突然襲い掛かってきたのです。それからは地獄です。あなた方もご存知のとおり我々自衛隊はたとえ訓練とはいえ持っているのは殆ど模擬弾で実弾の携行などほんのわずかです。もちろん戦車の砲弾は沢山ありましたがそんなもの役に立ちませんからね。結局持っていた弾薬はすぐに底が付き最後にはナイフや銃剣を使って仲間同士で殺し合いをしなくてはならなくなった。今思い出すだけでもゾッとします。恐らくあなた方も同じような目にあったでしょうからお分かりだと思います。数時間してやっと演習場内にいた部隊の統制が取れました。正直言ってその時はあなた方の救難信号の事は忘れていました。仮に覚えていたとしてもすぐに救助に行く事は出来なかったでしょう。演習場から50キロは離れていましたし、燃料、弾薬を補給する必要がありました。そこで取りあえず我々は生き残りの部隊を率いて今津駐屯地に戻りました。戻るときに見た街は恐ろしい状況でした。街の中には何千、何万という感染者が無事だった人たちを襲おうと徘徊しているのです。とてもこの世のものとは思えないくらいです」大槻三佐は悲しそうに言った。

「それは世界中で起こっている事なのですか?」ロックウッド少佐は心配そうに言った。

「そうです。日本、インド、東南アジア、朝鮮、ロシア。あなたの国もアラスカ州が被害にあっています」

「アメリカもですか!?アメリカの被害はアラスカ州だけなのですか?」ロックウッド少佐は驚いて尋ねた。

「そうです」大槻三佐が言った。その言葉にロックウッド少佐は少しホッとした。それを見て大槻三佐は続けた。「駐屯地に戻った私は、あなた方の救難信号の事を司令官に伝えましたが、生きているか死んでいるかわからない者よりも今は都市機能を復旧させ市民を救う事が優先だといわれました。確かにその通りだとは思いましたが、心の中に少し引っかかるものがありました。もし自分が山の中に取り残されていたらどんな気分だろうと…。しかし、命令なのでやむなく我々は重要施設の確保の任務に従事しました。ところが暫くしたある時、司令官から鯖江駐屯地に物資を輸送するように言われたのです。そこで私は1個戦車中隊を率いて鯖江に向かいました。その途中今度は救難ビーコンを受信したのです。私は先日救難信号を発信していた米軍機のビーコンだととっさに判断しました。私は迷いました。そのまま鯖江に行こうか、命令を無視して救助に行こうかと。結局、私は1個小隊を残し、残りは輸送隊と一緒に鯖江に向かわせました。そして私はその1個小隊を率いてあなた方の救助に向かったのです」

「そうですか。わざわざ命令違反をして助けてくれたのですね。ありがとうございます。という事は、ここは鯖江駐屯地なのですか?」

「いいえ。違います」大槻三佐はきっぱり言った。

「えっ?」ロックウッド少佐は驚いた。

「ここは福井県内の工場跡地です」

「何か問題でもあったのですか?」

「そうです。問題はあなた方の輸送機が積んでいた荷物です。我々はあなた方の荷物を見つけたのです」大槻三佐は笑みを浮かべながらそう言った。ロックウッド少佐は背筋が寒くなった。非常にマズイ状況に陥っている事がヒシヒシと感じられた。

「あなたは中身が何だか知っているのですか?」ロックウッド少佐は尋ねた。

「B―61―11核爆弾2発とW-50核弾頭2発。核弾頭の方は短距離弾道ミサイルのでしょう?恐らくパーシングⅠでは?」大槻三佐はそう言うと再び笑みを浮かべた。それを見たロックウッド少佐は眉間にしわを寄せた。

「でしたら、至急本国に連絡をしていただきたい。もしくは私に本国へ連絡させてもらいたい」ロックウッド少佐は厳しい口調で言った。

「それは出来ません。我々はあなた方を捕虜にしたのです」大槻三佐はそう言うと椅子から立ち上がった。

「捕虜だと?」

「そうです。あなた方は核兵器を日本国内に持ち込んだ。立派な違反行為です。核弾頭は我々が押収しました」

「そんな事が通用すると思っているのか?!」ロックウッド少佐は怒鳴った。

「通用しようが通用しまいがそんな事はどうでもいいのです。肝心なのは核弾頭が我々の手元にあるという事です」

「君たちはその核弾頭をどうするつもりだ?!」

「それはあなたが気にする必要はない。ただ、あなたにお尋ねしたい事があります」

「尋ねる事?」

「W-50核弾頭のアクセスコードと起爆コ-ドを教えていただきたい」

「私は知らない」ロックウッド少佐はきっぱりとはねつけた。

「そんな筈はない。核弾頭の移送にはその都度、責任者にコードが伝えられる筈です」

「君たちは核兵器を持っていないから分からないんだ。末端の部隊にアクセスコードや起爆コードを教えるほど管理がずさんじゃない。そのコードは作戦本部長レベルでないと分からないんだ」ロックウッド少佐は訴えた。

「そうですか。仕方がありませんね」大槻三佐はそう言うと近くにいた隊員の一人に小声で耳打ちした。その隊員は部屋から出て行くと暫くしてマクミラン少尉を連れて戻ってきた。マクミラン少尉には手錠がかけられていた。大槻三佐は今まで自分が座っていた椅子にマクミラン少尉を座らせた。

「マクミラン少尉!」ロックウッド少佐が言った。

「少佐!大丈夫ですか」マクミラン少尉が言った。

「何をする気だ?!」ロックウッド少佐は大槻三佐に尋ねた。大槻三佐はピストルベルトから9ミリ自動拳銃を引き抜くとマクミラン少尉の頭に突きつけた。

「これでも知らないと言い切りますか?」

「やめろ!本当に知らないんだ!」ロックウッド少佐はあわてて叫んだ。

「少佐?!」マクミラン少尉は驚いてそう言った。その顔は恐怖が浮かんでいた。

「頼む、やめてくれ!いくら脅されたって知らないものは言う事は出来ん!本当だ!」ロックウッド少佐は哀願した。

「仕方がありませんね」大槻三佐はそう言うと持っていた拳銃の撃鉄を起こした。

「やめろ!殺すなら俺を殺せ!」ロックウッド少佐は怒鳴った。大槻三佐はその声を完全に無視して引き金を引いた。部屋の中には大きな銃声が轟いた。

「マクミラン少尉!」ロックウッド少佐は叫んだ。彼はマクミラン少尉の様子を恐る恐る伺った。マクミラン少尉は目をつむってはいたがどうやら生きているようだった。コンクリートの床には拳銃弾の痕が付いている。大槻三佐は拳銃をピストルベルトに戻した。

「どうやら本当に知らないみたいですね。まあいいでしょう。うちにもコンピューターの専門家がいますから。バンカーバスターは最新型で無理ですが、ミサイルの核弾頭の起爆装置は旧式です。時間は掛かりますが解析できると思います。少佐。私はいくらなんでも捕虜は殺しませんよ」大槻三佐が言った。

「大槻三佐。これは日本政府の意向なのか?」ロックウッド少佐は怒りに声を震わせながらそう言った。

「日本政府がそんなことをすると思いますか?戦後60年ずっとアメリカの言いなりになってきた政府が」大槻三佐は呆れたように言った。

「それじゃ、君たちは勝手に行動しているのか?!そんな事をしているとエライ事になるぞ!」ロックウッド少佐は怒鳴った。

「今の状況よりですか?何があったところでこれ以上酷い状況になるとは思えませんがね」

「君たちはあの核弾頭で何をしようと思っているのだ?まさかテロをしようと思っているのか?日本の国民が窮地に立っているというときに…」

「テロではありません。日本人の尊厳を守る為の戦いです」

「核で日本を守るだと?気でも狂ったか!核など破壊をもたらすだけだ!」ロックウッド少佐は怒鳴った。

「アメリカ軍の将校が言う言葉とは思えませんね。抑止力と言う名の下で1万発もの核弾頭を擁する世界最大の核保有国のくせに」

「だからこそ、その恐ろしさを知っているんだ」

「いいえ。あなた方は分かっていない。ヒロシマ、ナガサキ。一瞬にして20万の罪もない民間人が死んでいった。そして、その犠牲者の数は戦争を早く終わらせるために必要だった。その意味はわからないでもない。しかし、問題なのは、あなた方は核兵器の恐ろしさを、その数字でしか理解していないのだ。あなた方にとって、その犠牲者の数はただの数字の羅列でしかなのだ。だから、あなたたちアメリカ人はその犠牲者一人一人が如何に苦しんで死んでいったのか、そして、あとに残された家族の苦しみを全く分かっていない」大槻三佐はそう言うとロックウッド少佐を睨んだ。ロックウッド少佐は返答が出来なかった。大槻三佐は続けた。「私の母親は核爆発のあとヒロシマ市街を歩いたそうです。親戚の安否を確かめる為に…。その時見た光景は決して忘れないと言っていたそうです。その恐ろしい光景を…。全身の皮膚が焼けただれて助けを求める人。はらわたを引きずりながら逃げまどう人。川に浮かんだ何千という死体…。女、子供、みんな見るに耐えられない姿だった。恐ろしいと言う言葉ではとても表現しきれない状況だったそうです。そしてその母親も私を生んですぐ死んでしまいました。爆心地を歩いたため被爆したのです。その後遺症で癌が発病したのです」大槻三佐は悲しそうに言った。

「お気の毒に…。確かに我々はあなたが言われるとおり理解していないかもしれない。しかし、我々にどうしろと言うんですか?謝罪しろとでも?」

「いいえ。その必要はありません。あれは戦争だったのです」

「だったら何を…」

「今回の恐怖はロシアの軍事衛星に付着した病原体によるものだそうです。その衛星には原子炉が搭載されていました。科学者の話では原子炉の放射性物質が放つ放射線が病原体を突然変異させた可能性もあるそうです。米ソ冷戦の遺物のお陰でわが国の罪もない一般市民が6000万人以上犠牲になったのです。6000万人ですよ。恐らくもっと増える事になるでしょう。日本は完全に崩壊したのです。しかし、それは自業自得なのかもしれません。何故なら今まで日本政府、いや私たち日本人が世界で唯一の被爆国として核の恐ろしさを世界に伝えるという責任を果たしていなかったせいなのです。その役割を果たしてさえいれば原子炉を積んだ人工衛星を打ち上げる事も無かったでしょう。それどころか非核3原則があるにもかかわらず、あなた方アメリカ軍が核兵器を日本に持ち込んでいるのを見てみぬ振りをしていた。そのツケが回ってきたのです」大槻三佐は悲しそうに言った。そして続けた。「それにさっきあなたが尋ねました。アメリカの被害はアラスカ州だけかと。この日本にどれだけの被害があったかなど全く気にしてはいない。インド、東南アジアなどの事も全くです。アメリカ合衆国以外にどれだけ被害があっても知った事ではないのでしょう?」

「それは誤解だ!私はただ家族が心配で…」ロックウッド少佐は動揺した。

「本音が出ましたね。あなた方アメリカ人は他国にどれだけ被害があっても自分の国が安泰ならばそれでいいのです。ですから、私はあなた方にもリスクを背負ってもらおうと思いました」

「我々にリスクを?」

「そうです。遅かれ早かれアメリカ軍がこの日本に上陸してくるでしょう。救助活動とか何とかいう名目で。その駐屯地で核爆発があったらどう思うでしょう?まさか我々がアメリカ軍に核攻撃したとは思わないでしょう。ましてや同胞がいる自国内で核爆発させるなどと誰も考えないでしょう?それにもともと核など持っていない訳ですから」

「ロシアからの攻撃だと勘違いするとでも?わが軍の上層部は日本国内で核弾頭が紛失した事は分かっているのですよ」

「確かにその可能性は考慮に入れるでしょう。しかし、アメリカはこの病原体による被害はもしかしたらロシアが意図的にやったのではないかと疑心暗鬼になっている筈です。そんな時に核兵器がアメリカ軍に対して使われたら間違いなくロシアからの攻撃だと判断するのではありませんか?」

「あなたは全面核戦争を起こすつもりなのか?」

「全面核戦争が起きたらゲームオーバーです。両国の首脳がバカだったと諦めるしかないでしょう。それも自業自得です。上手くすれば核の被害に怯え戦争にならないかもしれない。そうなればこの世の中から本当に核兵器が無くなるかも知れないのです。私はあなた方に核兵器とは恐ろしいものであると認識してもらえばいいのです」

「その為に、日本人を助けに来たアメリカ人を犠牲にするつもりなのですか?助けを求めている同胞も死ぬのですよ!」

「あなた方は一度核の被害を経験する必要があります。そうでないと本当の恐ろしさは決して分からないでしょう。その為に死ぬ同胞とアメリカ人はただの戦闘犠牲者です。あなた方が得意にしている事じゃありませんか」

「あなたは狂っている。とても正気の沙汰とは思えない。いいですか?そもそも核兵器が行方不明になっているのだ。アメリカ政府がほっておくと思っているのですか?」

「NESTが来るでしょうね。救難ビーコンを頼りに。しかし、大部隊では来ることはないはずです。アメリカ政府も内々に処理したいでしょうから恐らく最初はヘリ数機による降下作戦になるでしょう。ですから、墜落した輸送機の近くに地対空ミサイルを配置しました。一瞬にして撃墜できるでしょう。いくら自衛隊だからといえそれくらいの能力はありますよ」

「そんな事をしたらそれこそ大部隊で攻めて来るぞ!作戦中はAWACSがこの地域を警戒する筈だ。わが軍のヘリに対して地対空ミサイルが発射されればすぐ分かる」

「そうでしょうね。しかし、我々はそういう事態なるまでには1週間は掛かると見ています。何故なら、大々的に回収作戦を実行するつもりなら既に部隊が到着しているはずです。位置も特定できているのですから。パイロットや乗員の安否を考えると不時着してから24時間以内に来るのが普通でしょう。しかし、いまだに来ないところを見るとあなた方の安否より核弾頭の紛失自体を隠したいと思っているのではないでしょうか?」

「大槻三佐、わが軍は人工衛星で核弾頭の放射線反応を追跡している。輸送機から放射線反応が消えたとしたらすぐバレるぞ!」

「それくらい私たちも分かっていますよ。しかし、1個だけ無くなったのなら気が付かないでしょう?その上、頂いた核弾頭はこの工場内の地下貯蔵庫にある。決して放射線がもれる事は無いのです」

「考慮済みということか…。君の部下も同じ考えなのか?」ロックウッド少佐は近くにいた兵士に目配せした。大槻三佐は一人の部下に合図を送った。その隊員は一歩前に出た。

「自分は第2戦車中隊、中隊長補佐の大前貴士一尉です。自分は中隊長の行為を支持します」大前一尉はきっぱりと言い切った。

「何故だ?下手をすると自衛隊員同士で戦う事になるぞ!同胞同士で殺し合いをするつもりなのか?」

「少佐。今さら我々を仲間割れさせようとしても無駄ですよ。彼らにはもう守るべき家族がいないのです。私も同じです。みんな死んでしまったんですよ。なぜこうなったかも知っています。そして自分達がこれから何をすべきかということもわかっている。少佐、既に部下全員の同意は取ってあるのです。同意を取れなかった隊員は既にこの中隊から離隊しています。そして、彼らは私たちを売る事は無いでしょう。それから少佐。我々は仲間同士で殺し合う事は無い。さっきも言ったでしょう?1週間以内に実行しますから」

「大槻三佐、考え直せ!今ならまだ間に合う。悪いようにはしない」

「少佐。我々はもう死んだ事になっているのです。もうあとには引けないのです」

「大槻三佐…」

「ロックウッド少佐。1週間だけ大人しくしていてください。そうしたら解放します。決して危害は加えません」大槻三佐はそう言うと部下と共に部屋を出て行った。

「大槻三佐!」ロックウッド少佐が叫んだ。しかし、大槻三佐はその言葉を全く聞こうとせず無言のままドアの鍵をかけた。


日本東京 首相官邸


武田首相は、この一週間、ほとんど寝ていなかった。というより眠れなかった。おかげで頭痛と胃の痛みはますますひどくなるばかりだ。ひどくなるのは自分の体だけではない。先ほど受けた木野陸将のブリーフィングの内容もそうだった。

「現在の勢力圏は日本全体の15パーセントです。しかし、それは郊外において広がったに過ぎず都市部では未だに捗っておりません。あまりにもユニットが多すぎるのです。その点、郊外はユニットの数が少なく、掃討するのが楽なためです」木野はユニットという名前を使ったが、これはCDC(アメリカ疾病対策センター)が奴らに付けた名前で(未知細菌感染仮定死者Unknown Virus Infection Assumption Dead の頭文字で UVIAD。正確にはユヴィッドと発音するがユニットと言われる)最近は公式の場ではそのように呼んでいた。

「それで、確認された生存者の数は?」

「今の所、300万人ほどです」

「300万人か」武田首相はそう呟くとまた胃がキリキリと痛み出した。たった300万人。生存者全体の何割なのだろう。まだ何千万人という生存者が救助されるのを待っているはずなのに。と武田は思った。しかし、ここ一週間でもっとも伸び率が大きかったのが救いだった。

「今日、午後1時、厚木基地に、アメリカより供与された武器弾薬、装甲車などの物資を載せた第一陣の輸送機が到着しました。これからは使用可能な飛行場に分散して毎日30機程到着の予定です。それと同じく明後日、横浜、横須賀に入港予定のアメリカ機甲師団の兵士も旅客機で到着し始めました。これをヘリによるピストン輸送で入港予定の基地まで運んでおります」木野はいった。

各飛行場は、航空自衛隊と陸上自衛隊とで、昼夜を徹して飛行機が離発着陸できるように壊れた飛行機を片付け滑走路と管制塔の整備を行った。そして、最初にそれが完了した厚木基地でようやく航空機による物資輸送ができるようになったのだ。あと一両日中に全国で10箇所の飛行場が使用可能になるはずだった。それは唯一武田が聞いた良い情報だった。これで部隊や生存者や必要物資を大量に移動させる事ができる。

さらに木野陸将は続けた。「今では、全ての基地を掌握し、ユニット掃討用として各部隊に装甲車を配備しており、偵察ヘリと連携しながら徐々に勢力圏を伸ばすよう努力しております」木野はそう言ったものの、これからが問題だと感じていた。各部隊に装甲車を配備はしたが絶対数が少なく、アメリカ軍からの供与があるものの、車両を各部隊に割り当てるには時間がかかりそうだった。その上、確保した地域を完全に隔離する事は不可能で、ユニットに侵入され襲われたりしており、かなりの隊員を見張りにさく必要があった。そのため隊員不足がより深刻化し始めており、今では、予備役自衛官、警官の生き残りはもとより、民間人から志願兵を募集して対処しているありさまだった。

武田首相は、今やっと救助活動をするスタート位置に立ったような気がした。しかし、すでに発生から一週間がたち、体の弱い人や乳幼児の中には、すでに餓死していく人たちもいるはずだし、室内に閉じこもっているのに耐え切れず外に出てしまい、奴らにやられてしまう人たちが増えているという報告を聞くと、もう殆ど時間がないという切羽詰った気持ちを押さえる事は出来なかった。

彼は木野陸将に「わかった」と言うと、近くで話を聞いていた安藤官房長官に話し掛けた。

「どう思うかね」

「かなりきついと思いますね。あと1週間が勝負でしょう。それくらいになると元気な人でも餓死しかねませんからね。それに自殺者もかなりの数がいるとの事ですから」安藤官房長官はそういった。

「そうだな、米軍が来るのを入れたとしても、今の調子で行くと、あと一週間では、よくて30パーセント位にしかならないからな。となると、よく見積もっても生存者は1500万人がいいところか」そう言いながらショックを受けた。

「そうですね。いい所それくらいでしょう」安藤も暗くなった。

「厚生労働省からは何も言ってこないか?」

「今のところ何も」

「最後の頼みはそこしかないからな。もう一度確認してくれないか」武田首相がそう言うと安藤はその場を離れた。

あと一週間か。武田はさっきの安藤との会話を振り返ってみた。 

安藤官房長官が言う通り、あと一週間で何とかしなければ、今生き残っている人たちも次々に死んでしまうだろう。悲観して自殺していく人たちも多いという。

しかし、日本ではすでに疾病対策の専門家自体ほとんどいなくなっている。そんな中でワクチンを開発する可能性なんてあるのだろうか?いや無理だ。あとはCDC(アメリカ疾病対策センター)に全てを委ねることしか出来ないだろう。そう思いながら最後の綱に希望を託すように武田は目を閉じた。

夜になって、安藤官房長官が指揮通信センターに戻ってきた。新しく任命された相原達也厚生労働大臣も一緒だった。部屋に入ってくると、いきなり安藤官房長官が話し出した。

「首相、新しい事がわかりました」と声を弾ませながら言った。

「どうした。ワクチンでも開発できたのか?」武田は聞いた。

「いいえ。それはまだです。ただ、弱点を発見したんです」相原厚生労働大臣が言った。

武田は、それを聞いて、一瞬やっとツキがまわって来たかと思った。そして、早く聞かせろとでもいうように体を前のめりにさせながら言った。

「なんだ、何が弱点なんだ?」

「紫外線です」相原厚生労働大臣が自信ありげ言った。それを聞いて武田はがっかりした。そんな事は前から知っている事だし、今更それがどうしたというんだ。

「そんな事は前から解かっていることだろう。それがそんなに大事な事なのかね」武田は腹立たしげに言った。

「違うのです。第一段階のユニットは長時間の紫外線を浴びると死んでしまうのです」相原厚生労働大臣はそう言うと研究所から来たFAXの束を広げて武田の前に並べた。

「それも前から解かっていることだろう」

「そうですが、照射時間の問題なのです」相原厚生労働大臣はそう言いながらFAXのアンダーラインのところを指差してまた続けた。「30時間以上の照射で奴らが死んでしまうことがわかりました。実験室で照射実験をした結果、通常レベルの紫外線を30時間当てると組織が崩壊して死んでしまいます。今は太陽光に含まれる紫外線を嫌って室内に隠れていますが、第一段階で感染した者たちは殆どが最初の2日間は戸外にいました。という事は最低でも20時間は紫外線にあたっているという事です。それに、夕方や朝はお構いなしに外に出てきていますから、早い者ではこの1日から2日で死ぬ事になるでしょう」相原厚生労働大臣はそこまで言うと、ちょっと言葉のトーンを落として続けた。「しかし、残念ながら第二段階のユニットは全く変化は見られませんでした」そう残念そうに言った。

武田はそれを聞いて少なくとも連中が減れば勢力圏を拡大するのが楽になるのは間違いないと思った。

「それで、紫外線を使った武器は開発できるのかね」

「いいえ。それは無理です。仮に出来たとしても生存者にも影響を与えるでしょう」相原はそう言ったあと、ちょっと間を置いて思い出したように付け加えた。「それから、弱点ではないのですが、第二段階以降のユニットは、高周波に反応するのです。引き寄せられるというか、集まるというか。今のところまだ実験段階です」そう言って報告を終わった。

「高周波?あの犬笛みたいなものか。とにかくそれを各部署に報告してくれ。それとアメリカにもな。安藤君、統合幕僚監部の幕僚たちにも伝え効率のいい作戦を立てるよう言ってくれたまえ」

「はい、わかりました。首相これで少しは状況がよくなりましたね」安藤官房長官は嬉しそうに言った。

「あぁ、少しはな。しかし、半分いなくなるだけだろう?」武田首相はそう言うと相原厚生労働大臣が持って来た書類に目を通し初めた。それを見て安藤官房長官と相原厚生労働大臣は各部署に報告する為に席を離れた。

武田首相は、これでどれくらいの人が助かる事になるだろう?と思った。少なくとも、ついさっきまでよりは、遥かに多くなるに違いない。もちろん、それはそれで良い事だ。しかし、まだ半分の奴らがうろついているのに、のんきな事は言ってはいられない。なんといっても兵士が一人ずつ倒して、勢力圏を一歩ずつ増やしていかないといけないのだから。あまりにも気の遠くなるような話だった。


日本東京 厚木飛行場


ノースアメリカン航空のロゴのついたボーイング747旅客機のタラップを降りて厚木飛行場に立った日本派遣軍司令官キャリー・マクガイヤ中将は辺りを見回してため息をついた。飛行場の片隅には壊れた飛行機や車両の残骸があちこちに山積みされていた。

「前に来た時と偉い違いだな」キャリー・マクガイヤ中将は葉巻に火をつけながらそう言った。彼は数年前、この基地を表敬訪問したときに比べるとあまりにも違っている事に驚いた。そのときは車両や航空機、備品までもが整然と並び、ごみひとつ落ちていなかった。それを見て基地指令官を褒めたくらいだった。この状況を見る限り全く同じ基地とは思えなかった。まるで最前線の即席基地と見間違えるくらいだ。出迎えに来ていた副指令官のボブ・ホフマン准将が近づいてきた。

「司令官、こちらにヘリが用意してあります。立川基地に日本派遣軍司令部を設営しましました」ボブ・ホフマン准将が言った。

「そうか。ところで生き残った駐留軍の様子はどうだった?」

「かなり疲弊していました。すでに業務は我々が交代を完了しております。中将が乗って来られた飛行機でアメリカ本土に帰る事になっています。ただ、あの調子だと国に帰ってもセラピストから離れる事は出来ないでしょう。精神的にかなり衰弱していましたから。それから司令官、各基地も自衛隊から我々に返還されつつあります」

「自衛隊が今まで守ってくれていたのか。彼らもよく返してくれる気になったな」

「彼らは今、それどころではないのです。自分達の国の存続が掛かっていますから。基地を我々に引き渡した途端とっとと出て行ってしまいました。ただ、各基地に保護している避難民の安全確保を頼んでいきましたが」

「まあ、仕方がないだろうな。我々も救援活動の名目で来ている以上最優先にせんといかんだろう」

「そうですね。それから、先遣隊の第3歩兵師団、第302機械化歩兵連隊が既に横須賀から出発しました。基地の近郊は自衛隊によって既に制圧されていましたが、我々はそこから静岡方面に進出しています。とにかく、都市部の被害が大きすぎてそこを迂回するしかないのです」

「日本政府は何といっている?」

「それは我々に任せると。一人でも多くの日本人を助けて欲しいと言ってきただけです。いずれにしても、都市部に進出したとしても掃討するのに時間がかかりすぎます。ユニットが多すぎるからです。それよりも、外縁部から難民キャンプを設営しながらエリアを広げて行った方が効率もいいでしょう」

「そうしよう。他の部隊も準備が出来次第出発させてくれ。それから、アメリカ兵の安全確保は最優先にするのだ。こんな所で大事な兵隊を死なせるわけにはいかないからな。その為には生存者の犠牲もやむおえまい。必要であれば155ミリ榴弾砲だろうがミサイルだろが我々が持って来たものならどんな兵器を使っても構わん。安全確保のためには遠慮するな。ただし、工場などの工業施設は破壊するな。合衆国政府が接収して使うらしいからな。それと危険な所は迂回させるのだ。後ろに残した所で奴等が銃を撃ってくることはないだろう」

「わかりました。全部隊に通達します」

「早いうちに私は首相官邸に行かないといけないな」

「その旨先方に連絡しておきます」

「うむ、よろしく」キャリー・マクガイヤ司令官はそう言うと葉巻の火を消して立川基地に向かうヘリに乗り込んだ。

キャリー・マクガイヤ中将は自分がさっき副指令官に言った“アメリカ兵の安全確保”について自分自身疑問に思っていた。恐らく聞いた副指令官も同じ事を思っただろう。確かにアメリカ兵を死なせる訳にはいかないのはわかる。彼自身、部隊運用上その事はいつも最優先に考えていた。しかし、生存者が居るのがわかっているにもかかわらず重火器、それも爆弾や155ミリ砲弾を撃ち込んでまですべきなのだろうか?実際、アラスカ派遣部隊でもそういう作戦を取る部隊も一部はあった。しかし、それはやむおえない場合に限られた事で、今回のように最優先で使用する事とはまったく異なっているのだ。もちろん、時間的問題もある。少数を犠牲に多数を救うという理論もある。だが、どうしても腑に落ちないのだ。

“今回の日本派兵は、あくまで救援活動であり、是が非でもアメリカ兵の死者は出さないように”それが彼に与えられたアメリカ軍最高司令官、合衆国大統領からの至上命令だった。アメリカ人の命よりも日本人の命の方が軽んじられているとしか思えなかった。アメリカ兵が死ぬくらいなら日本人を助ける必要は無いと言っているようなものだ。それなら何の為に遥々何千キロも海を越えて来ているのだろう?日本政府から頼まれたから仕方なくという事か。

「首相になんて言えばいいんだ?」マクガイヤ中将は小さな声で呟いた。

「司令官、何かおっしゃいましたか?」ボブ・ホフマン准将が言った。

「いや、独り言だ」マクガイヤ中将はそう言うとレイバンのサングラスをはずして低空で飛ぶヘリの窓から外の惨状を見た。彼自身この日本に駐留していたことがあった。その時、多くの日本人に良くしてもらった。その恩返しのつもりでこの任務を引き受けたのだ。しかし、本当に恩返しになるのだろうか?生存者達は救助に来た米軍から攻撃を受けるなんて思ってもいないだろう。そう考えると逆に恨まれはしないかと危惧した。とにかく、米兵の安全はもちろんだが出来るだけ日本人の犠牲者を出さないように任務を遂行しようと心に誓った。今この瞬間もユニットに怯えながら隠れている生存者のことを思うと悲しくなった。

“まるで地獄だ”マクガイヤはそう思った。


日本愛知県名古屋市 守山駐屯地


 恵美子は疲れと寝不足で装甲車に積み込む物資を落としそうになった。

「三曹、大丈夫ですか?」松山士長が心配そうに言った。

「重いからちょっとふらついただけよ」恵美子は強がりを言った。

「少し休んだらどうですか?」

「そんなことしている暇はないでしょう?」

「そうですね」松山士長はそう言うと荷物を積み込む作業に戻った。恵美子もそれに倣った。あと3時間で出動だった。急いで準備をしなければいけなかったのだ。既に足がふらふらだ。かれこれ30時間は眠っていないだろうか。すぐに出発だとすると、今度いつ眠ることができるのか予想がたたなかった。それは恵美子の所属する部隊だけのことではない。この駐屯地にいる全ての隊員が同じ状態だった。山本連隊長でさえ米軍からパラシュート投下された物資搬入の手伝いをしているくらいだ。愚痴などいえる状況ではないのだ。そこに宮田小隊長がやってきた。彼こそいつ眠ったのだろうと思うくらい働いている。倒れないのが不思議なくらいだ。宮田三尉は恵美子たちに近づくと手招きした。

「岩田三曹、ちょっと話がある、来てくれないか?」宮田三尉が言った。

「はい、分かりました」恵美子は答えた。

「ちょっと行ってくるわ」恵美子は松山士長に言った。

「はい、あとはやっておきますよ」

「ありがとう。お願いね」恵美子はそう言うと宮田三尉の後を追いかけた。宮田三尉は宿舎の中に入っていった。宿舎の入り口近くにある宮田三尉の部屋はまるで押入れのような感じだ。今では部屋という部屋は民間人の救護用にあてがわれ彼らが使える部屋はこんな程度の部屋しか回ってこないのだ。宮田三尉はさっさと椅子に座ると恵美子が座るのを待っていた。中は殺風景で机と椅子2脚に簡易ベッドがあるだけだ。恵美子は部屋の中に入ると気をつけの姿勢をした。

「小隊長」恵美子が言った。

「岩田、まあ座れ」宮田三尉が言った。

「ありがとうございます」恵美子はそう言うと近くにある椅子に腰掛けた。

「さっき大野中隊長と話していたんだが、実はお前に第2班を任せようと思うんだ」宮田三尉が言った。恵美子は驚いて暫く声が出なかった。

「ちょっと待ってください。自分には無理です。普通科の経験が少ないんですよ。自分より適任者が大勢いるのではないでしょうか」恵美子はしどろもどろになりながら言った。

「例えば?」

「第1班の奥田三曹か、うちの班の松山士長でもいいんじゃないでょうか?」

「今、第1班の指揮を執っている佐野は今度小隊長付曹長にする事にした。奥田三曹はそのまま第1班の班長にするつもりだ。松山はよく出来るがまだ若すぎる。ましてや格上のお前がいるのに班長には出来んだろう?」

「でしたら、自分を他の班に替えてください」

「バカ者!ここは幼稚園のお遊びごっこじゃないんだぞ!これは業務命令だ!」宮田三尉は厳しい口調で言った。恵美子は暫く考えたが、どうやってもその“業務命令”とやから逃れることは無理だという事を認識した。

「分かりました」恵美子はやむ終えずそう答えた。

「なあ、岩田。戸惑っているのはよくわかる。自信もないだろう。だが、今は仕方がないんだ。俺だっていつまでも第2班ばかりに関わっている訳にはいかない。それはわかるだろう?とにかくやってみろ。俺はお前が十分指揮できると確信しているんだがな。中隊長も同じ考えだ」宮田三尉は説得するように言った。

「努力します」

「それからお前は二曹に昇級、松山は三曹に昇級だ。松山に補佐をしてもらうといい。あいつは一通り火器の扱いができるし要領もいい。まあ、昇級したからってどうなるものでもないんだがな。給料が出るわけでもないし、ただ単に責任が増えるだけだが…。俺だって一緒だ。諦めろ。戻っていいぞ」

「はい」恵美子はそう言うと部屋から出て行った。装甲車に戻る足取りが重かった。これから自分にのしかかる重責が既に影響してしまっている。人の命を預かるのは嫌だった。自分の命令のせいで部下が死んだらどんな気持ちだろう。とても耐えられそうになかった。

そもそも、今の班の隊員が自分についてきてくれるのだろうか?自分は女なのだ。恐らく誰もが面白くないに違いない。それに、通信大隊で長年やってきた人間を普通科の隊員が信頼してくれるものなのだろうか?今までは宮田三尉の命令のままに任務をこなしていただけだ。それが急に班を指揮しろと言われて、そう簡単にできるとは思えなかった。自信がないのだ。恵美子が装甲車に近づくと松山士長は彼女の様子が変なのに気が付いた。

「三曹どうしました?小隊長に何か怒られたんですか?」松山士長は心配そうに尋ねた。

「小隊長が私に第2班の班長をやれって…」

「凄いじゃないですか」松山士長は驚いてそう言った。恵美子は恐る恐る松山の顔を覗き込んだ。どうやら本当に感心しているようだった。少なくとも彼だけは自分について来てくそうだった。

「あなたは私の補佐という事で三曹、私は二曹に昇級したわ」

「自分が三曹ですか?」

「でも給料は出ないそうよ」

「やっぱりね。そんなことだと思いましたよ。まあ、仕方がないでしょうけど。でも、三曹、いや二曹でしたね。女性指揮官なんてかっこいいじゃないですか。多分、普通科では初めてですよ。班長、頑張ってください」

「でも私には自信が無いわ」

「大丈夫ですよ。自分が手伝いますから」

「ええ、お願いね」

「任せてください。二曹はでんと構えていてくれればいいですよ」

「ありがとう」恵美子はそう言うと二人は仕事の続きを再開した。


第1小隊第2班の隊員たちは装甲車の近くでたむろしていた。彼らは口々で岩田二曹がこの第2班の班長に任命された事を噂していた。松山三曹は、みんながまるで陰口のようにこそこそと話しているのを聞くと無性に腹が立った。その殆どは岩田二曹が班長になることに否定的な意見だった。”女の指揮官の下で?”とか”俺たち大丈夫か?”などの会話が小声で話されていた。少なくとも、元々松山三曹の後輩である藪野と三桶に関しては噂をしないように釘を刺したお陰でそこそこ抑えることはできた。しかし、他の部署から普通科に編入された隊員達の口を黙らせることはできなかった。そこに来て自分の所属する班の新しい班長が女であると知った今、不満というより不安の方大きいのではないだろうか。それはただ単に指揮官が女だというだけではない。彼女はつい一週間前まで通信大隊にいたのだ。普通科の指揮など執ったことがないということが最も大きな理由だった。平時ならまだ良かったのだろう。しかし、今は非常時なのだ。それなのに自分の命を預ける指揮官が現場の経験が少ない上、女となっては無理もないかもしれない。

松山自身、岩田二曹を知る前だったら恐らく彼らと同じことを口走っていたかもしれない。しかし、彼はこの事件の初日から彼女が見せた勇気と的確な判断力。まさに男勝りな行動を目の当たりにして彼女なら命を預けても安心だと思ったのだった。もちろん不安がないわけではない。経験不足は致命的だ。だが、誰にでも初心者の時期はある。あの宮田三尉や大野一尉だって最初は素人だったのだ。それを乗り越えれば優秀な指揮官になれるだろう。松山はできる限り彼女に協力しようと心に誓った。そうする事によって自分達の命を守ることができるだろう。あとは、岩田二曹の根性だけだ。音を上げることがなければ他の隊員達もいずれ納得するはずだ。松山はそう信じていた。

彼は、宮田三尉と岩田二曹が自分たちの方へやってくるのを見つけた。恐らく小隊長直々に班の全員に岩田二曹への指揮官の任命を伝えるためだ。小隊長の後ろに続く岩田二曹の顔は少々引きつっていた。松山三曹は班の全員に聞こえるように大声で言った。

「気をつけ!」松山三曹がそう言うと全員がその場で直立不動の姿勢になった。

「休め!」宮田三尉はそう言った。

「みんなに伝えることがある。今日からこの岩田が三曹から二曹に昇級して、この第2班の指揮を執ることになった。そして、松山士長が三曹に昇級した。彼は岩田二曹の補佐だ。全員協力して任務遂行の為に尽力してやってくれ」宮田三尉が言った。

「改めて自己紹介させていただきます。今日から、この第2班を指揮することになりました岩田恵美子二曹です。精一杯頑張りますので、協力のほどよろしくお願いします」恵美子はそう言うと敬礼した。それに合わせて第2班の隊員達も敬礼を返した。

「よし、出動だ。岩田いいな」

「はい、大丈夫です」宮田三尉は恵美子がそう言うとその場を離れていった。恵美子はそれを見届けると隊員達のほうを見た。いよいよだ。指揮官としての最初の任務。決して失敗するわけにはいかない。目の前に整列している隊員達の命を預かることになったのだ。それを思うと恵美子は身震いした。彼女は一番右端に並んでいる松山三曹の顔を伺った。その顔には微かながら笑みが浮かんでいた。恵美子は思った。”頑張るしかない。自信を持つんだ!”恵美子は自分自身に気合を入れた。

「第2班出発。全員装甲車に搭乗!」恵美子は大声で言った。松山三曹は早速部下の尻をたたいた。

「よし、みんなグズグズするな!急げ!」松山三曹はそう言うと恵美子のほうを見て笑みを浮かべた。

「なかなか、いいですよ。班長」松山三曹が言った。

「ありがとう」恵美子はそう言うと隊員達の最後に装甲車に乗り込んだ。


アメリカ合衆国ワシントンDC ホワイトハウス


「アラスカのジュノーに上陸した第1海兵師団と第25歩兵師団は既にジュノーの市街地を制圧してアンカレッジ方面に向かって東進中です。ノームに上陸していた第35歩兵師団、第1機甲師団は被害のなかった西部方面全域の治安維持をしつつ中東部に進出しています。これらの部隊はフェアバンクスの制圧も完了しました。これにより恐らく一両日中にアンカレッジ市内の掃討作戦が東西から挟み撃ちをする形で行われる事になると思われます。早ければ今週中にはアラスカ州全土を制圧する事が可能となります」

ウェズリー統合作戦本部長がホワイトハウスの執務室で大統領と閣僚達にアラスカ州災害派遣の治安維持と救助作戦の経過報告をしていた。

「そうか。それで被害はどれくらいになりそうなのだ」大統領が尋ねた。

「はい。まだ生存者の確認作業が終了していませんので詳しい事はわかりませんが、恐らく35万人位の死者が出ることになると思われます」ウェズリー大将は言った。それを聞いて大統領は渋い顔をした。思っていたより被害が大きかったのだ。

「そうか、そんなに被害があるとはな。カナダは大丈夫なのか?」

「自国の軍隊で何とかなるようです。念のためカナダから要請があり次第、すぐ展開できるように国境沿いにはある程度の部隊を配置しておきました。これは、カナダ国境から感染者が侵入するのを食い止める意味もあります」

「問題は、日本と韓国の派遣部隊ですね。特に日本は余りにもユニットの数が多く、かなり時間がかかりそうですから」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「日本派遣軍司令官マクガイヤ中将からの報告では、現在、関東方面では東京都心部を避けるようにして部隊を進めています。沖縄はほぼ確保が終了したと報告がありましたが、九州、関西、東北方面は一進一退の感が否めません。やはり日本ではどの部隊もユニットの多さに苦労しているようです。追加の支援部隊の予定もありますが、わが軍も手一杯で派遣まで数週間は掛かると思われます」ウェズリー大将が言った。

「いずれにしても、当面は今派遣している部隊で何とかせねばなるまい。救援活動で派遣しておいて、一ヶ所であまり時間をかけていては何しに行ったのかわからんからな」ジャクソン大統領が言った。

「そうですね。早いうちに勢力圏を広げておかないと、日本政府も言うに及ばず、他の国からもわが軍の能力を疑われかねないですからね。ある程度格好をつけるためには厄介な所は放置するしか仕方がないでしょう」ジョン・ベルモント国防長官が言った。

「日本の被害はどれくらいになるのだろうか?」ジャクソン大統領が言った。

「試算の段階では現在4000万人のユニットが存在すると思われます」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「4000万人か。わが国の被害の100倍だな。アラスカでさえ30万からのユニットを掃討するのに2週間近く掛かるんだ。それも日本にいる部隊の2倍近い兵力でだ。根本的な打開策はないものだろうか?」ジャクソン大統領が言った。

「日本からも同様の報告がありましたが、第二段階ユニットは高周波に反応するという事がCDCからの連絡で明らかになりました。現在我々はこれを踏まえ有効な対応手段を検討中です」ウェズリー大将が言った。

「高周波?」ジャクソン大統領が尋ねた。

「そうです。それに関しては、私の部下のマイケル・スナイプス大佐が説明します。彼は陸軍技術研究部所属で、現在、彼を中心に高周波におけるユニットの制圧手段を検討しています。大佐、頼む」ウェズリー大将はスナイプス大佐を紹介した。

「はい、わかりました。正確には第二段階のユニットは100MHz以上の周波数を発するものに反応します。現在はテレビ局、ラジオ局などの放送設備があるところに呼び寄せられるように集まっています。しかし、高周波の中でもマイクロ波、特にミリ波と呼ばれる波長の100GHzから300GHzの間の周波数が彼らは嫌なようで避けるようにしています。理由はわかりませんが…。私は、これがユニットを倒す手段になるのではないかと考えています」スナイプス大佐がいった。

「マイクロ波ね。電子レンジに使われているやつだろう?そんな物で倒せるとは思えんがな」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「ちょっと待て。ユニットに関してはまだ不明な点が多すぎる。どんな事でも調べてみる必要はあるぞ。その専門家を集めて研究させたらどうだ?」ジャクソン大統領が言った。

「はい。私もそう思いましたので専門家について調べてみました。しかし、残念ながらこの惨劇があったアラスカで全米のマイクロ波の専門家が集まって研究会を開いていたのです。殆どの技術者や研究者がやられしまっているようです」

「なんて事だ。不運は重なるものだな。誰も生き残っていないのか?」

「今はFBIに協力してもらって生き残りの研究者や技術者を探している所です」

「とにかく、今ユニットの弱点といえば第一段階の紫外線と第二段階のマイクロ波くらいだからな。いずれにしても電磁波がユニットに対する何らかの手段になるだろう。少なくとも専門家の意見が必要だ。FBIに何としても探し出してもらわんとな」

「はい、大統領閣下。まだ確認は取れていませんが、先ほどFBIから貰った連絡では有能な技術者の一人がアラスカの研究会に出席するのが遅れて難を逃れているらしいのです。名前はリチャード・ドーソン。政府が関与しているフィラデルフィア・マイクロ波研究所の主任研究員です。今FBIが自宅と研究所に捜査官を派遣しているとの事です」

「政府の施設にそんなものがあるのか?知らなかった」ジャクソン大統領が尋ねた。

「その施設では新型のマイクロ波通信システムの研究をさせています」ジョン・ベルモント国防長官が言った。

「偶然にも、研究発表の内容が国防総省の機密事案に抵触していた為、彼はペンタゴンに呼び出されていたので難を逃れたようです」スナイプ大佐が言った。

「彼はついていたな。その研究所の他の研究員はどうだ?」

「主だったものは殆どアラスカに行っていたようです」

「そうか。しかし、彼一人で何とかなるものだろうか?」

「わかりません。とにかく彼に会ってみないと」

「そうだな。その事は君に一任する。必要であればプロジェクトを組んで政府が全面的に支援する。その件に関する全てを逐一直接私に報告するように」ジャクソン大統領が言った。

「はい、わかりました」スナイプス大佐は敬礼した。


アメリカ合衆国ペンシルベニア州 フィラデルフィア


 リチャード・ドーソンは研究所から自宅に戻って妻のキャサリンと一緒に食事を取っていた。キャサリンは無口にフォークを口へ運ぶリチャードを見ていると全くの別人になってしまったのではないのかと思えた。いつもなら楽しいジョークを交えてキャサリンを楽しませていたのだった。それがどうだろう。今では殆ど笑顔さえ見せる事がなくなってしまっていた。その上、今まで家に帰ってこない事も一週間に2日や3日はあったし、帰宅時間も夜中近い事も度々だったが、今では毎日、定時になると帰ってきていた。キャサリンにとって本来なら嬉しい筈だが逆に心配で仕方がなかったのだった。

 リチャード自身、これからどうしていいのか全くわからなかった。同僚が一度にやられて研究自体滞ってしまっていた。と言うより仕事が手につかないといったほうがいいだろう。しかし、家にじっとしているわけにもいかず何をするわけではないが研究所に毎日顔を出す事だけはしていた。だが、彼にはそれ自体も辛い事だった。自分ひとり生き残ったという負い目からか、研究所の他のスタッフから注がれる視線が何故か冷たく感じられたのだった。

「あなた。ポテトはもういいの?」

「ああ、ありがとう。もう、おなか一杯だ」

「ほとんど食べていないじゃない。デザートは?」

「キャサリン、ごめんよ。本当にもう食べられないんだ」

「あなた、大丈夫?何か悩み事があるなら私にもいって頂戴ね。今のあなたを見ていると私心配でしょうがないの」キャサリンはそう言ってフォークをテーブルに置くとリチャードの顔をじっと見つめた。

「キャサリン。心配かけてすまない。ただ、もう少し時間が欲しいんだ。プライス教授やワトキンス博士、それに一緒に働いていた仲間が毎晩目の前に現れるんだ。“なぜ、自分だけ助かってるんだ”って」リチャードはそう言うと頭を抱えた。

「リチャード、考えすぎよ。それもこれも、あなたのせいじゃないんですもの。確かにあの方達には申し訳ないけど、私はあなたが助かってくれて本当によかったと思っているわ。あの時、あなたが空港から帰ってくるまで私は気が狂いそうだったのよ。もし、あなたがアラスカに行っていたら…。そう思うと怖くて…。あなたがいなくなったら私も生きていないわ」キャサリンはそう言うと泣き出した。

「キャサリン、すまない。僕だけじゃないんだね。辛い思いをしているのは」リチャードはそう言うとキャサリンの肩を抱いて頬にキスをした。

暫らくすると玄関のチャイムが鳴った。

「誰か来たわ」キャサリンは涙を拭いながら言った。

「誰だろう?こんな時間に。僕が出るよ」リチャードはそう言うとイスをたった。玄関まで行くと彼はチェーンが掛かっているのを確認してからドアを少し開けて外を覗いた。外にはスーツを着た体格の大きな黒人と白人が立っていた。

「どなたですか?」リチャードは恐る恐る尋ねた。

「FBIです。リチャード・ドーソンさんですね」そう言うと黒人の男が身分証明書を開いて見せた。それには顔写真とFBIと書かれた文字がくっきりと印刷されていた。

「はい、そうですが。私に何か?」

「あなたに重要なお話があります。申しわけありませんが、ドアを開けていただけませんか?」

「すいません。どうぞ」リチャードはそう言うとチェーンを外しドアを開けた。

「ありがとうございます。私はジェームズ・ウッズ捜査官。彼はロバート・コネリー捜査官です」黒人の捜査官がそう言うともう一人の白人捜査官も身分証明書を提示した。

「FBIの方が私に何の話ですか?」

「今アラスカで起きていることはご存知ですね」

「ええ、知っています」

「どなたなの?」キャサリンが心配になってそう言いながら近づいてきた。

「FBIの捜査官だ。僕に話があるんだって。彼女は妻のキャサリンです。彼女も一緒に聞いてもいいですか?」

「ええ。構いませんよ」

「それじゃ中のほうへ」リチャードは彼らを部屋に招き入れるとソファーを勧めた。

「ありがとうございます。さっそくですが、あなたにペンタゴンに来て欲しいのです」

「ペンタゴン?私の研究に何か関係があるのですか?先日お伺いしたばかりですが。それとアラスカの疫病の事と何か繋がりが?」

「まだハッキリした訳ではありません。国家安全保障に関する問題ですので詳しくは申せませんが、この事態を収拾する為にあなたの協力が必要なのです」

「私の協力が?ただの無線技師ですよ」

「とにかく至急私達と一緒においで願いたい。合衆国大統領からの要請なのです」

「大統領から?」リチャードは驚いてそう言うとキャサリンを見た。

「危険はないんでしょうね」キャサリンは心配そうに尋ねた

「もちろんです。ご主人の安全は政府が保障します」

「あなた、行きなさいよ。もし上手くいけば、あなたの悪夢から開放されるかもしれないわ。このままじゃ、ずっとその悪夢から逃れられないもの」

「そうだね。もしかしたら仲間の敵討ちができるかもしれない」


ペンタゴンに到着するとリチャードはある一室に通された。そこには軍服姿の男性数人と白衣を着た研究者が待っていた。

「私は、マイケル・スナイプス大佐です。軍人ですが技術畑ですからこの制服もあまり気にしないで下さい。彼らは私の部下です。よく来てくれました」スナイプス大佐は一通りの紹介をした。

「私はリチャード・ドーソンです」

「よく知っています。失礼ながら、あなたの事は調べさせてもらいました。マイクロ波研究所の主任研究員ですよね」

「はい、そうです。しかし、私の研究がなにか役に立つのですか?」

「とにかく、このデータを見てください。この周波数帯だけ第二段階ユニットが嫌がるようなのです」

「第二段階ユニット?噛まれて感染した人の事ですね。これはマイクロ波というよりミリ波ですね。これ以上だと赤外線になる」リチャードはデータを見ながらいった。

「しかし、赤外線は気にならないようです。あなたは電磁波が人体に与える影響についての論文をかかれましたよね」

「はい、よくご存知で」

「以前に読ませてもらいましたよ。なかなか興味深い内容でした」

「ありがとうございます。あんな物が役に立つのでしょうか?」

「ユニットとはいえ病原体に感染しているというだけで元は人間なのです。そのあたりも踏まえて一緒に考えていただきたいのです。実は、第一段階のユニットは紫外線には弱かったのです」

「そうですか。紫外線とはいえ電磁波の一種ですから。恐らく、そのあたりがヒントになるでしょうね。いずれにしても、ある一部の周波数帯だけが弱点だと言えます」

「これを突き止めればやっつける事ができるかもしれません」スナイプス大佐が言った。

「やっつけるとは殺すと言う事ですか?彼らは病原体に感染しているだけなのでしょう?」リチャードは驚いて尋ねた。

「仕方がないのです。感染してしまうと完全に生体組織が変化してしまうのです。見た目には分りませんが…。仮に何らかのワクチンが出来てウイルスを消滅させたとしても感染者が元の状態に戻る事はないでしょう」

「と言う事は感染したら死んでしまうという事ですか?」

「厳密にいうとそうではありませんが、結論からするとそう言えます」

「なんて事だ!あんまりだ!でも殺すなんて…」

「やむおえないのです。無事な人たちを助けるにはそれしか方法がないのです。わが国だけではなく、世界各国で救助を待っている人たちがいるのですが、感染者がそれを妨害しているのです。その上、さらに感染者を増やしつづけている」

「生存者を助けるにはしょうがないという事なのですね」

「そうです。わかっていただけますか?」

「わかりました。と言うよりそう思うしかないですね。でも、私だけでは少し荷が重いですね。他にも協力者が必要です」

「我々も現在専門家を捜していますが…」

「アメリカにはいないでしょう。ほとんどやられましたから」リチャードは悲しそうに言った。

「ヨーロッパ各国にも要請しています」

「優秀な技術者が日本とロシアにいますよ。ロシア人の一人に会ったことがあります。モスクワの展示会で。確か、クリコフとか言ったかな?」

「日本は壊滅状態です。ほとんど生き残っていないでしょう。仮に生き残っていたとしても現状では探し出すのは不可能です。あとはロシア人ですか。あそこもかなり深刻な被害にあっていますからね。そのクリコフというロシア人に関しては大統領に相談してみましょう」

「とにかく、スタッフが必要です。何としても集めてください。完成した頃には手遅れだったなんて嫌ですからね」

「わかりました。やってみましょう」


ロシア共和国サンクト・ペテルブルグ


 クリコフは暗く冷たい地下室の一室でうなだれていた。部屋の中にはベッドとトイレがあるだけで恐ろしく殺風景だった。

「一体何故なんだ?ついてない」クリコフは呟いた。

クリコフは人工衛星の制御に成功した夜、その喜びを分かち合うためキーシン中佐やヤコブ、セルゲイも含めスタッフ達数人で飲み明かした。その時はまさかこんな事になるとは思わなかった。上手くすれば勲章が貰えるのではないかと思っていたくらいだった。数日後、衛星が無事大気圏に突入し消滅したのを確認すると管制室のスタッフ達は拍手喝采で締めくくった。そのあとクリコフは当直があけたので自宅に戻っていた。その日の深夜、妻のイリ―ナと一緒に眠っていた時、突然、FSBと憲兵が部屋に押し入ってきて問答無用にクリコフを連行していったのだった。その時にFSBや憲兵に理由を聞いても全く説明もされず、訳がわからないまま、この地下室に放り込まれたのだった。

断片的に聞いた事柄を繋ぎ合わせると、管制室のスタッフは全員拘束されているとの事だった。ヤコブやセルゲイもこの地下室のどこかに監禁されているのだろうか?キーシン中佐はどうなったんだろう?自分だけではない事がせめてもの救いだった。自分ひとりだけならば殺した所でうやむやにされてしまうだろうが、スタッフ全員となると銃殺するにも問題になるだろう。50人近くいるのだ。それに、衛星を上手く制御したのに殺す事などできるわけは無いと思っていた。いや、そう自分自身に言い聞かせていた。今まで一度も尋問や取調べも受けてはいない。この調子なら一生この部屋に幽閉されてもおかしくない。奴等ならやりかねないだろう。“イリ―ナに会いたい!”心の中でそう叫んだ。

その時突然地下室の重い扉が開いた。クリコフはふと見上げるとFSBの職員らしい男と銃を持った憲兵数人が入ってきた。クリコフはビクッとした。“とうとう俺は銃殺にされるのか?”一瞬脳裏をよぎった。

「クリコフ大尉。外に出ろ」

「銃殺ですか?」

「残念だがそうじゃない。お前は釈放される」

「本当ですか?他のみんなは?」クリコフはそう言うと笑顔が漏れた。

「他のみんな?他の者はこのままだ」

「なぜ私達が監禁されるのですか?私達が何かしたんでしょうか?」

「とにかく外に出るんだ」FSBの職員はそう言うとクリコフを地下室から連れ出した。そして、もう少し明るくテーブルとイスのある部屋に案内した。

「この部屋で少し待て。だが、勝手に外に出ようとするな。射殺されるからな」その男はそう言うと部屋から出て行った。どうなっているんだろう?なぜ、自分だけ釈放になるのだろうか?頭の中に疑問が渦巻いていた。暫らくすると違うFSBの職員が入ってきた。さっきの男よりもどう見ても階級は上のようだった。

「お前はクリコフ・ウラジミーロフ大尉だな」

「そうです」クリコフは返事をした。その男は持っていた書類をめくるとクリコフを覗き込んだ。

「お前はスペッツナズにも所属していたのか?わが軍もどうかしているな。何でこんな青白い技術屋のお前なんかがスペッツナズに入れたんだ?どうせすぐに放り出されたんだろう。そんなことはまあいい。私は、エフゲニ―・シュワルツコフ。FSBだ。お前にはアメリカに行ってもらう」

「アメリカにですか?私一人でですか?」

「そうだ。お前には一通りの事を話しておこう。いずれにしてもアメリカに行けばわかる事だからな。お前達が管理していた人工衛星USR1002は大気圏に突入して燃え尽きた。それは知っているな」

「もちろんです。私達が軌道修正してそうしたんですから」

「しかし、その人工衛星には宇宙空間にいた未知の病原体が付着していたのだ」

「みちのびょうげんたいがふちゃく?」クリコフはあまりに突拍子な言葉に単語をくり返した。

「そうだ。その結果、世界各国、わが国も含めて数億人がその病原体に感染してしまったのだ」シュワルツコフの話を聞いて、クリコフは言葉が出なかった。シュワルツコフは続けた。「その病原体に感染すると次々に無事だった人を襲い感染者を増やしていくと言う恐ろしい病原体だ。わが国も数百万人が感染しており、今もその感染者を制圧できずにいるのだ」

「それで管制室の全員を拘束したんですね。キーシン中佐や同僚も無事なんですか?」

「お前は人の事を心配している場合だと思っているのかね?コゾレフ少将やキーシン中佐はその日のうちにシベリアに送られたよ。今頃死んでいるかもな。お前達はまだ運がいい方だ」

「そんな!その病原体の事は私達のせいじゃないのに…」

「誰のせいかなどは問題じゃない。誰かが責任をとる必要があっただけの事だ。それに関して誰が死のうが生きようが我々にはどうでもいいことなのだ」

「でも、キーシン中佐を殺すなんて…」

「我々は別にキーシンじゃなくてもよかったんだよ。君でもよかったし、君の同僚達でもよかったんだ。ただ、責任を押し付けるのに彼等が手頃だったというだけだ。何なら代わるかね」シュワルツコフは不気味な笑みを浮かべながらそう言った。クリコフはただうなだれて首を振った。彼等に何を言っても無駄なのだ。人間性の欠片も持ってはいないということを実感した。

「そんな事はどうでもいい。とにかく今はこの厄介な病原体を何とかする必要がある。だが、その病原体にも弱点があるらしい。それがマイクロ波だそうだ。詳しい事はわからんが、とにかくアメリカがそれを見つけたのだ。だが、アメリカのマイクロ波の専門家がこの病原体にやられてしまってスタッフが不足しているらしい。そこで、お前の名前が上がったのだ。どうやら、お前はその部門では有名らしいからな。本来ならお前など死んだ事にするのだが、わが国も非常事態なのだ。早急に収拾せねばならん。だから、お前にアメリカへ行ってもらう。そして、その研究を成功させ、わが国を救うのだ。わかっているだろうが、余分な話はアメリカではしないことだ。女房がかわいければな」

「女房?!イリ―ナをどうするのですか?!」

「何もせんよ。お前が無事任務を達成すればな。ただ、失敗したり情報を漏らしたりしたら二度と会えないと思え」

「そんな!妻は何の関係もないのですよ!」

「そんな事はわかっている。お前はまだ理解していないな。我々が一々そんな事を気にすると思うのかね?」

「いいえ」

「理解してもらえればそれでいい。すぐ発ってもらう。ヘリの準備は出来ている。くれぐれも向こうで余計な事は言うなよ」

「わかっています。アメリカに行く前にイリ―ナには、妻には会えませんか?」

「お前は何か勘違いしていないか。これは極秘任務なのだ。そんな戯言を言っている場合ではない」

「わかりました。任務を達成したら会わせて貰えますか?」

「もちろんだ。我々はそれほど非情ではないぞ」

「必ず達成して見せます」

「それでいい」

クリコフはヘリの中で“必ず達成する”と言う言葉をくり返した。そうする事によってイリ―ナとまた幸せな生活が送れる筈だ。それに、うまくすれば管制室のみんなを助ける事ができるかもしれないのだ。でも、もし失敗したら。イリ―ナは…。クリコフはその事は考えない事にした。


日本愛知県守山 マンションの一室


「先輩、後ろ!」高橋は叫んだ。彼はM-16の銃口を振り向けると藤岡がかがむのを確認してから引き金を引いた。

「高橋すまん」藤岡はそう言いながら体を起こしてドアの前に行った。

「美里、開けてくれ!」藤岡は大声を張り上げるとまた奴らに向けて射撃をした。

ロックが外れる音がすると藤岡はドアを開けた。そして、まだ射撃を続けている高橋に向かって叫んだ。「よし、いいぞ!」藤岡が部屋に入ると高橋もそれに続いた。

「先輩、奴らが減って油断したでしょ」高橋が指摘した。

「ちょっとな。後ろを警戒するのを怠ったみたいだ」

「少なくなったからといって安心するとヤバイからね」

「あぁ、今度から気をつけるよ」藤岡はそう言って舌を出した。

「今日は私の出番がなかったようね」美里が言った。

「大人しくしていてくれて嬉しいよ」藤岡が笑いながら言った。

「まあ、ひどい」美里はそう言うと頬を膨らました。

今回は、すでに4回目の食料調達であった。藤岡は射撃も上手くなり、殆ど1発か2発で頭に銃弾を撃ち込む事が出来るようになった。おまけに、少しずつやつらが減っているので食料の調達が楽にはなったのだが、それでもまだかなり脅威であり、余程気をつけないと危険であった。

高橋はMP-5サブマシンガンの9ミリ弾が、あとマガジン1個分しか残っていないので、今回からM-16を使っていた。そろそろ、ライフル用の5.56ミリ弾も限界に達する頃だ。あと残りは全部で90発ほどだろうか。いつまでこのままいけるか不安になってきた。早く救助に来てもらわないと弾薬がなくなってしまう。そうなると、いくら奴らが少なくなっているとはいえ、食料を取りに行く事は出来なくなってしまうだろう。あとはみんな揃って餓死するしかない。

美里は真っ暗なのにもかかわらず、二人に水をグラスに入れて持ってきてくれた。水道が来ているだけでも助かっているなと高橋は思った。水がなかったらとっくに死んでしまっていただろう。

既に発生から12日目に入ろうとしていた。

新入りの二人は食料調達の間、何をするわけでもなく、ただ座っているだけだった。それでも田中直子の方は食事時には美里を手伝ってキッチンの方へいったりしていた。しかし、山縣の方は全く何もしていなかった。

もっとも、高橋は山縣に食料の調達を手伝ってもらおうとは思わなかったし、ましてや、銃を撃たせる気もなかった。どちらかと言えば、ここでじっとしていてくれた方が良いくらいだと思っていた。それは、藤岡も同じらしく意見は一致していた。結局は足手まといなのだ。もし一緒に外に出たら、自分達の方が危なくなりそうだと思った。

美里は、今ではかなり元気になっている。家族の事はある程度ふんぎりがついたのだろう。それは高橋も同じだった。今となっては自力で帰る事は無理なのも理解していたし、ここで生き抜くことのほうが重要になってきていた。

美里に至っては驚くほど強くなっていた。高橋は、いざとなった時は女性の方が強いのかもしれないと思った。

前回の調達の時、高橋達が部屋に戻る際、突然、他の部屋から出てきた奴らに囲まれて危ない事があった。その時、いきなり美里が玄関から飛び出してきて拳銃を構え発射したのだ。そして一人の奴を見事にやっつけてしまった。二人は驚き最初は何があったのか理解に苦しんだ。恐らく藤岡達の声が聞こえてピンチになった事に気がつき居ても立ってもいられなくなったのであろう。 

その時の美里はまるで一人前の女兵士だった。しかし、彼女は部屋に戻った時には震えて立っていることが出来ず「怖かった」と言いながら泣いて座り込んでいた。それを見て、二人はやっと普段の美里だと確認する事が出来たくらいだった。あとから二人は美里に注意はしたが、命の恩人だという事には変わりなく感謝もした。


3日前に銃声とメッセ―ジを轟かせながら装甲車が前の道路をゆっくりと走り抜けていった事があった。その時「生存者は窓から手を振ってください。そして、もうしばらくそのままで我慢していてください。必ず救出にきます」とマイクで呼びかけながら通っていった。

藤岡は、その通りに窓を開けて手を振ったのだが、その装甲車は止まるけはいもなく通過して行こうとした。高橋はそれが87式偵察装甲車である事は確認できたのだが、車体に記されていた部隊名まではわからなかった。 

彼は、その装甲車を見ながら昔自分が所属していた第35普通科連隊のみんなは大丈夫なのだろうか?と気に病んだ。知り合いがたくさん居るのに…と。

「この装甲車は、何しにきたんだろう?」藤岡は質問した。

「またあとから助けに来てくれるのかしら」美里も聞いた。

「多分生存者がいるかどうか確認に来たんじゃないかな」

「確認だけか?」

「多分ね」高橋にもわからなかった。ここで止まって自分達を乗せていってくれても良さそうなのにと高橋も思ったが、恐らくこの装甲車一台ではどうする事も出来ないのだろう。一人乗せると、それを見て大勢が次々に部屋から飛び出てきてやられてしまうのが落ちだ。ましてや、生存者が邪魔して装甲車が動けなくなる可能性だってある。多分、あとからもっと大部隊で来てくれるのだろう。そう思わないとやっていられない気がした。

その時、今まで部屋の隅でじっとしていた山縣が窓に近づき、走り去っていく装甲車に向かって窓から声を張り上げ「ここだ。たすけてくれ!」と叫んだ。

彼は装甲車が角を曲がって見えなくなった途端、なにやら叫びながら玄関から一人で飛び出そうとした。高橋と藤岡は間一髪でドアから飛びだすのをくい止めた。

「行かせてくれ。こんな所で死にたくない!」山縣はそう叫びながら手足をバタバタさせた。藤岡と高橋は押さえつけるのがやっとだった。

「バカやろう。このまま出て行ったらそれこそ死ぬぞ!」藤岡が張り手を食らわした。

「何故行ってしまうんだ」山縣は泣きながらそう言って大人しくなった。

「いいか、山縣。あの装甲車も一台ではどうしようもないんだ。さっき先輩がここに居る事を伝えたから、その内、救助部隊が助けにきてくれる筈だ。それまでじっとしてるんだ。わかったな」そう高橋が言うと山縣は涙を流しながら部屋の隅に行って座り込んだ。

「もう少しで出て行くところだった。危なかったな」と藤岡が高橋に向かってホッとしたように言った。

「まったくだ。ヒヤヒヤものだったね」そう言って高橋は汗を拭った。

「あんなに力があるとはな」

「火事場の馬鹿力なんじゃないの」そう言って二人は目を合わせて笑った。

直子はキッチンの所からしばらく山縣の姿を見ていたが、ふいに何か思ったように山縣から目をそむけた。

高橋は、その様子を見とめると、山縣が自分だけ助かろうと逃げ出したのを見て、直子が愛想を尽かしたのだろうと思った。

美里も同じことを思ったらしく直子の肩にそっと手をやり奥の部屋に連れて行った。

高橋は、その様子を横目で見ながら窓とカーテンを閉めようとした。ところがその時、外でおきている奇妙な事に気が付いた。

装甲車が走り去ったあと、奴らは建物からいつものようにゾロゾロと道路に出てきた。しかし、その中のうち何人かが突然倒れてしまったのだった。高橋は最初、気のせいかと思いしばらく見ていた。ところが、一度にではないが少しずつ時間を置いて倒れていくのだった。

「先輩、奴らが死んでいるみたいだ」

「そんなまさか。なんでだ?」

「理由はわからないよ。でもほら」高橋は倒れている奴を指で差した。

藤岡はその光景を見て不思議に思った。

「このままいなくなればいいのに」藤岡は独り言のように言った。

高橋はその言葉を聞いて頷いた。

「やっぱり、奴らは太陽がダメなんだよ」高橋は勝手にそう決めつけて言った。

「そうかもしれんな」


それから3日たった今では、装甲車が近くを通るたびに室内に隠れていた奴らが外に出て来ては次々と倒れて行き、ついには以前の半分ぐらいになってしまった。高橋と藤岡は交代で観察したが何がどう違うのかさっぱりわからなかった。いずれにしても、少なくなる事はいい事で、このままみんないなくなればいいのにと思ったのだが、到底そんな事にはなりそうになかった。


日本東京 首相官邸


武田首相は指揮通信センターで統合幕僚監部の幕僚達と議論をしていた。

それは最終的なユニットの殲滅作戦についてだった。

彼らが言うには、今現在、第一段階のユニットは殆ど自滅しているが、それでも半分の3000万位にしかならない。結局、残りは一体ずつ始末するしか手がない。それではとても数週間では決着はつかない。そこで第二段階のユニットが高周波に引き寄せられるという事がわかった今、特定地域ごと、どこかに高周波発生装置を置き、そこに第二段階のユニットを集めてアメリカ、ロシアから支援してもらい中性子爆弾を投下し、一気にやっつけてしまおうというものだった。そうすれば恐らく残るのは、その半分の1500万くらいになるはずなので掃討するのに時間はそれほどかからないだろう。

しかし、武田は自国に対し核兵器を使うという事は考えたくないし、ましてや、日本は唯一の原爆被爆国であり、核兵器に対してのコンプレックスが強く、国民が納得する筈はなかった。ただ、国民と言われるほど残っていればだが…。

「いずれにしても、余り悠長な事をやっていても国民が餓死してしまいます。そんなくらいなら多少の犠牲を覚悟で作戦を立てたほうが生存者を多く救出できると思います」木野陸将が言った。

「それで救出できたとしても、今度は放射線障害で死ぬ事になるぞ」安藤官房長官が言った。

「それでは、何もせず見殺しにした方が良いと?」木野陸将が言った。

「そうは言っていない!危険すぎると言っているのだ!高周波発生装置を使うのはともかく、核兵器の使用は問題外だ」安藤が言った。

「中性子爆弾は破壊力が少なく放射性降下物質も最小限に押さえる事が出来ます。ですから、広島や長崎のように大量の放射線患者が出る事はないと考えています。それに先ほど説明いたしましたのは救助活動とユニット殲滅を同時に行った場合の作戦であり、我々は、それ以外に中性子爆弾を使用するつもりはありません。ですから高周波発生装置の設置と中性子爆弾の使用は別物と考えていただきたい。しかし、このままでは時間が足りないのです。少なくとも救助活動を効果的に行えるよう対策を講ずるべきです」木野陸将が言った。

「まあ、待て」武田はそう言うと二人を制した。そして、木野陸将に顔を向け手続けた。

「それは、統合幕僚監部としての意見かね」武田はそう言って他の幕僚達を見渡した。

「はい」みんなが返事をした。しかし、皆が不本意であるということはその顔を見れば一目瞭然だった。誰しも出来るだけ犠牲者は出したくないのだ。

「他に手はないのかね」首相が言った。

「今現在は、第一段階のユニットを殲滅する為に、装甲車を走らせ、おとりに使い、出来るだけ屋外におびき出す作戦を取っています。これは概ね成功です。しかし、まだユニットが多いのです。勢力圏は今だ20%です。このままでは到底あと一週間で30%代に乗せる事は出来ません。しかし、今の作戦と平行して、第二段階のユニットをどこかに集めればその分早く掃討する事ができるのです」木野は言った。

「集めるのは何処なんだね」

「基本的に、大都市の中心部です。少なくとも生存の可能性が少ないのは都市部で、生存率が高いのは郊外だというのは確かです。ですから、より効率を求めて生存率の高い方を主に考えた方がいいと思われます。また、すでに生存者は郊外の方に避難誘導しておりますので、それを変更するのはどうかと思われます」

「それで都市の中心部にユニットを集めたあと、その中心部の救助作業はできるのかね」

「それは不可能です。都市の人口によりますが恐らく中心には数万から数十万というユニットが集まる筈です。そうなると近寄る事すら出来ないでしょう。更に高周波発生装置から出る強力な電磁波で設置場所から数十メートル以内は人間の生存は危ういと思われます」

「都市部を犠牲にするのか。まるで時代と逆行だな」首相は唸った。

「数字的にも、第二段階のユニットは都市部のほうが圧倒的に多いと判断されます。中心に集める事が出来れば、少なくとも都市部の外縁部だけでも生存者を救い出す事が可能になります。中性子爆弾はともかく高周波の作戦をさせていただきたいと思います」木野陸将は言った。

「わかった。少なくとも高周波でどこかに集めた方が救助活動ははかどるんだな」武田はそう聞くと、木野陸将は「はい」と答えた。武田は少し考えて言った。「データと作戦要綱を揃えて大至急提出したまえ。高周波発生装置は準備してもよろしい。ただし、設置場所は閣議で決める。そのための書類と合わせて明日の朝10時までに提出してくれ」そう武田は言うと後ろを向いた。彼は目が潤んでいる事を見せたくなかったのだった。木野陸将は「大至急そろえます」と答えてその場から立ち去った。

「少数を犠牲に多数を救う、か。理にかなっているとはいえ厳しい選択だな」武田は安藤に言った。

「彼らも本当はそんな事はしたくないんですよ。しかし、状況が状況なだけに仕方ない気がします。恐らく彼らの家族にも都市部で生活していた者がいるはずですからね」安藤はそう言うと目を伏せた。

「そうだな。安藤君、明日の10時に緊急閣僚会議を招集してくれ。それと学識者もな。いればだが」武田はそう言うとイスに身を預けた。もう嫌だという感じだった。

「はいわかりました」安藤官房長官はそう言うと部屋をあとにした。

武田はこの選択で本当によかったんだろうかと思った。しかし、それを批評して答えが出るのは何年も先のことだと思った。


アメリカ合衆国ペンシルベニア州 フィラデルフィア国際空港


フィラデルフィア国際空港に着いたクリコフは乗ってきたアエロフロート・イリュ―シン62からタラップをゆっくり降りていた。飛行機の近くには3台の黒いバンが止まっていた。タラップの降りた所とバンの周りには数人の男達がマシンガンを携えて待ち構えていた。彼等は一様に黒いスーツを着てサングラスをかけていた。クリコフはその光景が無気味に思えた。クリコフは一人のサングラスの男に案内されて一台のバンに乗り込んだ。その車の中には軍服を着たアメリカの軍人と民間人らしい男が乗っていた。その民間人には一度どこか出会ったような気がした。

「クリコフ大尉ですね。私はスナイプス大佐。こちらがリチャード・ドーソンさんです。長旅ご苦労さまです」スナイプス大佐はそう言うと握手を求めた。クリコフはビックリした。“これが軍人?ロシアの軍人とは全く違う。偽者じゃないのか?”クリコフは疑った。

「久しぶりです。私の事を覚えていますか?2010年のモスクワ展示会で一度お会いしました」リチャードも握手を求めた。クリコフは二人の握手に応じると目の前にいる民間人の事を思い出そうとした。2010年、モスクワの展示会…。韓国人の実業家以外で誰かと知り合ったか…?突然クリコフは思い出した。あのヘビースモーカーのにやけたアメリカ人か。いつ見てもタバコを吸っていた。

「あの時のマールボロのアメリカ人」

「そうです。あなたに怒られたことがあります。タバコの吸い過ぎだってね」

「相変わらず、タバコを吸っているのですか?」

「ええ、少なくとも一日3箱は」

「そうですか。あなたが私を呼び寄せてくれたのですか?」

「あなたの名前を挙げたのは私です。あなたのお国と交渉してくれたのはこの大佐です」リチャードはそう言うと大佐を示した。

「すみません。ご無理言いました。しかし、わかってください。わが国のマイクロ波のエキスパートは、殆どこの疫病でやられてしまったのです。どうしてもあなたの力が必要だったのです。もし、うまくいけばあなたの国でも役に立つ筈ですから」スナイプス大佐が言った。

「 “もし”ではいけないのです。どうしても成功させる必要があります」クリコフははっきり言った。その口調にスナイプス大佐は少し驚いた。

「もちろん。私達はそのつもりです。そのための設備は整えてあります。ヨーロッパからも数人の研究者を呼んであります」スナイプス大佐が言った。

「私の勤める研究所でみんなが待っています。いい連中ですよ」

「私はアメリカへ遊びにきたわけではありません。他に誰がいようが私には関係ありません。最善を尽くすのみです。話を先に進めましょう。今、データは持っていますか?」

「ええ、ここに」リチャードはそう言うとカバンから書類取り出しクリコフに渡した。リチャードは驚いた。確か前に会った時はこんな風じゃなかった。確かに、今ではお互い国家の非常事態を背負っているのだから仕方がないとは思うのだが…。恐らく、身内がこの病原体にやられたのだろうか。リチャード自身つい数日前までは悲壮感が漂っていたのだ。彼はそう思う事にした。

クリコフは書類を受け取ると全てを頭に叩き込むように真剣に読んだ。本来のクリコフなら、このアメリカ人と意気投合できるはずだった。しかし、今のクリコフは違っていた。“俺はアメリカ人のようにのんきにやっている場合ではないのだ。何が何でも成功させる。妻のイリ―ナと再び会う為に…。”


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る