第三章②

日本東京 首相官邸


武田首相は指揮通信センターに次々と入ってくる被害状況や現状報告を聞いていた。今では新しく任命された統合幕僚監部の幕僚達が指揮通信センターで各部隊に指示を送っていた。既に事態発生から8時間が経過して、今まで混乱していた陸上、海上、航空の各自衛隊は、隊員や装備の被害を掌握しつつ、新しい命令系統を作り上げた。そして自衛隊各部隊は基地内の奴らを掃討したあと、生き残った隊員たちを再編成しなおして次々と治安維持に出動していった。

しかし、自衛隊員の被害も甚大だった。人工衛星が落下した時、殆どが訓練で屋外に出ており、最初の被害は半数を超えていたのだ。ある基地では3時間後には全滅した部隊もあった。問題は、初期段階で状況が把握できず、襲ってくる同僚に対して、銃を向ける事が出来なかった事が被害を拡大させた。その上、奴らを殺すには頭か心臓を撃ち抜かないといけないことがわかるまで時間がかかり、対処するのが遅れたのもその原因の一つであった。

これは未知の細菌による感染であり、人間にだけに発症していた。そして、この細菌が新しい宿主に感染する為には噛み付かないといけなかったので、人間の脳を支配しその肉体を乗っ取る必要があった。そのためには脳を活動させる上で酸素とそれを運ぶ血液だけは必要不可欠であり、心臓と肺などの循環器系と呼吸器系は最小限に動かさなければならなかった。しかし、それ以外の臓器はあまり必要ないので、幾ら弾が当たっても多少動きを遅くする事は出来るが、完全に活動停止させる事は出来なかったのだ。

警察に至っては十分な武器がなかった為苦戦を強いられていた。辛うじて機能を回復した警察署も多々あったのだが、一般市民に対して心臓や頭に向けて拳銃を発砲する事に抵抗があり、ましてや、女子供まで襲ってくるので、その人達を撃つなんて事はとても普通の人間の感覚では不可能だった。そのため治安維持に出動しても全滅させられたチームが多かった。

指揮通信センターは幾つものコンソールボックスに各種の通信機器やコンピューターの端末が所せましと並らんでいた。そして部屋の正面には一度に何画面も同時に映し出せる巨大なディスプレイパネルが取り付けられていた。そこには自衛隊のヘリや偵察機から送られてくる各地の無残な光景がリアルタイムで表示されていた。

スタッフも慌しく動き回り各部隊の位置や通信のやり取りをモニターして最優先のものとそうでないものとを仕分けをしたり、新しく発足した統合幕僚監部からの命令を各部隊に通達したりしていた。

首相は、そのディスプレーを見ていると、とてもじっと座っていることが出来ず、先ほどからテーブルの周りを行ったり来たりしていた。聞かされる内容は恐ろしいもので、その中に出てくる数字はとても信じがたいものであった。もし、この場に誰もいなかったら、とうの昔に倒れこんでいた事だろう。しかし、日本の最高責任者としてこの状況を何とかしなくてはいけない立場にあり、出来るだけ気丈に振舞っていたのだった。

自衛隊は、多大な犠牲を払いながらも情報収集活動や重要施設の確保をする為、ヘリ、戦車、装甲車など使えるものを全て投入して最大限の努力をしていた。しかし、一般市民に対しての救援活動まではとても無理で、ヘリで孤立した人達を各基地に設置した避難所や救護所に移送する事ぐらいしか出来なかった。

火災も至る所で発生していたのだが、消防士の圧倒的不足と消防車も現場に行く事が不可能な為、その火災の殆どは燃えるに任せていた。運良く現場に到達できたチームも奴らに襲われて全滅するか、急いで退却するのが精一杯で、とても消火するどころではなかった。

首相は、この状況を見る限り、いかに自分達が無力かという事を実感し、どうしようもない失望感に苛まれていた。統合幕僚監部の幕僚達に「何としても、出来るだけ多くの国民の命を救うよう努力して欲しい」と頼んだが、その首相でさえ、今の日本には彼の注文に応じるだけの部隊も残ってはいないうえ、根本的な解決策もない今、どう考えたって無理な要求だという事も知っていた。

幕僚達も無理難題に抗議しようと思ったが、首相の真剣な顔つきと潤んだ瞳を見て「わかりました。全力を尽くします」とそういっただけで各部隊に指示を出した。

武田首相と安藤官房長官は並んでディスプレーを眺めた。

「ひどいありさまだな」武田はそう呟いた。

「そうですね」

「安藤君、家族と連絡は取れたかね?」武田は静かに言った。

「いいえ、まだです」安藤は間を置いて悲しそうに答えた。

「そうか。心配だな」

「首相はどうですか?」

「私も連絡は取れんよ」武田首相はそう言いながら考えた。自分と同じように家族の事を心配していた人達が事態発生当時、日本全国で数千万人いただろう。自分達でさえ日本において最高の組織、最高の通信システムをもってしても難しいのだ。一般の国民は家族の安否を確かめる為には、外に出て自分の目で確認しに行かない限り無理だったのだ。そして、その為に戸外へ出たところを奴らに襲われてしまった。もし自分が首相という立場でなかったら間違いなく彼等と同じ事をしていただろう。だとしたら今頃はもう噛み付かれて奴らの仲間になっているか、そうでなかったら奴らに怯えながらどこかに隠れているに違いない。“こんなことってあるか!”そう思うとはらわたが煮えくり返るような気分になった。


日本愛知県守山 マンションの一室


あたりが暗くなってきたので、藤岡はゆっくり立ち上がると恐る恐る蛍光灯の紐を引っ張った。果たして電気が点くかどうか不安だったからだ。蛍光灯が瞬きながら点灯すると藤岡はホッとした。発電所や変電所の設備は壊れてはいないのだろう。藤岡は停電していないだけでも幸運だと思った。この状況で真っ暗だったら、とても精神的に耐えることが出来ないような気がしたのだ。

「高橋、何か食べるか?」藤岡が聞いた。高橋は今日一日全く食べ物を口にしていないにもかかわらず、全く食欲が無かったので首を横に振った。美里にも聞いたが同じだった。

「ねえ先輩、どれ位やられたと思う?」高橋が思い切って尋ねてみた。本当は美里の前でこの話をするのは気がひけたが、どうしても聞いてみたかったのだった。

藤岡は、その質問に一瞬目をむいたが一度美里の方に目配せし、少し間を置いて考えながら話した。

「わからんな。あの時、外にいた人たちがみんなやられたとなると、時間も時間だし3000万近くやられたんじゃないかな。それから暫らくして倒れた人たちが起き上がって介護していた人や路上にいた人たちを襲いはじめたんだ。襲われたのが最初に倒れた人たちの半分だと仮定したら被害は4500万以上になってしまう」藤岡は話をしながら悲しい顔になった。自分で言いながら恐ろしい内容に恐怖を覚えたのだった。

「4500万人か。日本の人口の3分の1だね」高橋はため息とも思えるような声で唸った。 

美里はその会話を聞いて目を伏せて泣いてしまった。

「お母さんたち大丈夫かしら?」涙声で美里は言ったが、殆ど声になっていなかった。

「大丈夫さ。その内連絡取れるようになるよ」藤岡は彼女の肩を抱きながら言った。その言葉は当然ながら藤岡にはまったく自信はなかった。しかし、藤岡はそうでも言わないと自分自身もどうにかなりそうだった。

「どう考えても外には出られないよね」高橋は言った。

「ああ、少なくとも今はダメだ。もう暫らく様子を見よう。高橋もお袋さんたちのことが心配だと思うけど今外に出たら間違いなく奴らにやられるからな」

「そうだね。みんな外にいたからやられてしまったんだもんね」

高橋はさっき窓から見た恐ろしい光景を思い出した。

実際、この時点で6500万人の日本人が犠牲になっていた。

家やオフィスで無事だった人も家族の安否を確かめに行ったり、家族のもとへ戻ろうとしたりして、安全な室内から奴らが待ち受けている戸外へと出てしまったのだった。結局、奴らが起きだして人々を襲い始めた時、その傍には無事だった人が溢れんばかりにいて第二の犠牲者はうなぎ昇りに増えてしまった。そして、未だに目的地にたどり着けないでいる人たちがたくさんいる為、今もで物凄い勢いで増えつづけていた。特に都市部では殆ど壊滅状態であった。


日本愛知県 守山第10師団駐屯地


恵美子はクタクタだった。死ぬほど疲れていた。今は小休止で96式装輪装甲車の大きなコンバットタイヤにもたれて他の隊員達と一緒に、支給された生温いペットボトルのミネラルウォーターを飲んでいた。装甲車のタイヤやボディーは洗車されたものの、いたるところに血や肉片がこびりついていた。恵美子は既に十数回以上嘔吐し、体内の液体という液体は全て放出されたような感じだった。それでもまだ吐き気は収まらないでいた。それは他の隊員も同じだった。無意識のうちに体が要求しているのか、支給されたミネラルウォーターを飲めるのが驚きだった。恵美子は、こんなところでミネラルウォーターを飲んだり出来るなんて自分の正気が失われてしまったのではないかと思えた。しかし、再び襲い掛かってきた吐き気に、飲んだミネラルウォーターは地面に吸収された。それで自分はまだ正気だと認識することが出来たのだった。

彼女の隣では宮田一曹が頭を抱え込むようにうずくまっていた。恵美子には、180cmの巨漢の宮田が、まるで母親に叱られた後の子供のように映った。肉体の疲労はもとより、今まで仲間だった連中を撃ち殺さなければならなかった事、さらには戦闘中奴らに噛まれた隊員が再び起き上がって自分たちを襲わないように、とどめを刺さなければいけなかったという事が、彼の神経に罪悪感という重圧としてのしかかってきていたのだ。恵美子もその光景だけは見るに耐えられなかった。それだけは自分に出来るとは思えなかったのだ。今まで一緒に戦ってきた仲間の頭に銃弾を撃ち込むなんて…。

「なあ、岩田三曹。君は自衛隊に入って何年だ?」突然宮田一曹が尋ねた。

「えっ?今年で9年目だと思います」

「入隊して後悔した事は無いか?」

「辛いと思った事はありましたが後悔した事はありません」

「俺も入隊して12年程たつが今まではそうだったよ。昔、レインジャー訓練の時、あまりに辛かったから逃げ出したいと思った事もあった。でも、後悔はしたことはない。ついさっきまではな。この手で部下の頭に銃弾を撃ち込む事になるなんて思っても見なかったよ」宮田一曹は辛そうに言った。その悲しげな口調に恵美子は言葉が出なかった。目の前に並ぶ毛布を掛けられた死体の列を眺めながら宮田は溜息をついた。そこに並ぶ死体の額には一様に銃弾の跡が生々しく残されていた。彼は一番端に横たわっている遺体を凝視した。そして暫らく間を置くと宮田は続けた。

「あの小川士長は俺の直属の部下だったんだ。気さくないいやつでな。いつも班のみんなを笑わせていたよ。一度あいつの家に遊びに行った事があるんだ。奥さんが美人でね。男の子が一人いるんだが、あいつとそっくりなんだ」宮田一曹は穏やかな顔をして思い出しながら話した。そして、急に顔色を変えた。「ちくしょう!何でこんな事になるんだ!」宮田一曹はそう唸ると抱えていたミニミ機関銃の銃床を地面に叩きつけた。

「宮田一曹…」恵美子はそれ以上何も言えなかった。

「すまん、岩田三曹。俺が愚痴っちゃいかんな。みんな同じ気持ちなんだから…」宮田一曹はそう言うと少し間を置いた。

「岩田三曹、家族は?」宮田が尋ねた。

「自分には家族はいません。早くに亡くなって。親戚が滋賀の方にいますが…。宮田一曹は?」

「女房と息子が1人いるよ」

「心配ですね」

「ああ、でもここにいる連中はみんな同じだからな。すぐにでも家族の所へ行きたいだろう」

「家族を心配して、ここから抜け出した隊員もいるんでしょうか?」

「多分な。だが、そいつらを咎める気にはならない。俺だって同じ気持ちだからな。でも、たった一人でここから出たとしてもやられるのが落ちさ。とにかく今は無事な事を祈るだけだ。俺達が助けに行くまで部屋の中に居てさえくれれば可能性はあるからな。それを信じるしかない」宮田はそう言うと再びうな垂れてしまった。

「そうですね」恵美子はそう言うと周りに蹲っている隊員達を見回した。ここにいる殆どの隊員には家族があるのだ。両親、妻、子供。特に子供を持っている隊員は居ても立ってもいられないに違いない。しかし、宮田一曹が言うように今は辛抱するしかないのだ。

恵美子はその辛い思いを頭の中から振り払うと腕時計を見るため左腕を上げようとした。まるで鉄アレーでもくっ付いているのではないかと思われるくらい重い。その上、指先も小刻みに震えていた。未だに大量に分泌されたアドレナリンに身体が反応しているのだろうか。彼女は何とか腕時計の文字盤を読み取ると18時27分をさしていた。この恐怖が始まってからまだ8時間しか経っていない。恵美子はもう何十時間も戦ったような気がしていた。

さっきまで一緒に戦っていた森美幸三曹も今では通信大隊本部に戻っており、今頃は他の基地の部隊や方面隊総監部などとの通信復旧作業にてんてこ舞いになっているに違いない。

恵美子は部下の安否を確かめる為、美幸とは別れて大野二尉に頼んで普通科と一緒に行動させてもらっていた。掃討作戦をしながら、あちこち捜したのだが今のところ見つけることは出来なかった。3分の2近くの隊員がやられているのだ。今では半分諦めていた。無事ならばいずれまた会うことができるだろう。それまでは祈るしかないのだ。この小休止の前に大野二尉に自分を正式に普通科連隊へ編入させてくれるように頼んだ。大野にしてみれば銃を撃ってくれる隊員が一人でも多く欲しいのでひとつ返事でOKしてくれた。いずれにしても普通科の隊員不足のため他の部隊から編入される事になるのは間違いないだろう。遅かれ早かれそうなるのだったら今だって変わりはないと恵美子は思っていた。どうせ志願するつもりだったのだ。

確かに通信大隊の仕事も大事であった。しかし、恵美子の今すべき事は、いち早く現場に出て生存者を救助する事が最優先の仕事のような気がしたのだった。

弾薬庫の陣取り合戦では装甲車が加勢してくれたお陰で一気に形勢が逆転して1時間足らずで確保を終えた。あらかた装甲車で轢き殺してしまったのだ。その光景は注視できるものではなかった。世の中に地獄というものがあるのならば、まさしくそれだろう。その状況を見た隊員達は立っていることすら出来なかった。おそらく数日は食事も喉を通らないだろう。その後、大野二尉たちは大量の武器弾薬を持ち出し、全車両を総動員して生き残った隊員を助け出しながら奴らを掃討したのだった。第10師団長は残念ながらやられていたが副師団長、第35普通科連隊長などが無事救出された。大野二尉は当然ながら最先任士官ではなくなっていたのだが、そのまま掃討作戦の指揮をとっていた。

隊員と武器が揃うと掃討は容易になり、トラック、装甲車などの車両を駆使して間もなく基地内の掃討は終わろうとしていた。今度は、民間人の救助、重要施設の確保、都市の治安維持、基地の防衛などの急務を組織的に行う為、生き残った隊員で部隊の再編成をしなおす作業に追われていた。その間、戦いづめだった隊員達はつかの間の休憩を取っていたのだった。

大野はブリーフィングが終わり司令部から戻ってくると恵美子と宮田の前で立ち止まった。

「俺は第1中隊を任される事になった。中隊といっても今は小隊に毛が生えただけのようなものだがな。いずれ順次各部隊から編入して増強される筈だ。それから、宮田と岩田は俺が貰う事にした。宮田と岩田は今から普通科第1中隊所属だ。宮田三尉、岩田を預けるから頼むぞ」大野の話を恵美子の隣で座っていた宮田はキョトンとした顔で聞いていた。

「自分が三尉ですか?」宮田はそう言うと不思議そうな顔をして立ち上がった。

「何だ、不足か?俺の部隊を一つ預ける。一緒に来てくれ、ブリーフィングをする。2時間後、外に出るぞ。民間人の救助作戦だ」大野はそう言うとサッサといってしまった。

宮田はミニミ機関銃を重そうに肩に担ぐと大野のあとについてフラフラと歩いて行った。急な昇進。かなり多くの幹部がやられたのだろう。大野が言ったように中隊とはいえ各部隊寄せ集めの40名ぐらいのものなのかもしれない。それで何とかなるのだろうか?日本全国がここと同じ様な状態になっているとの事だった。恵美子は急に不安になった。いくら武器が充実したとはいえ、その人数で果たして何処まで出来るのだろうか?自分が志願したのは間違いだったのかもしれない。今さら遅いが…。恵美子はそう思いながらペットボトルの残りを啜った。


日本愛知県守山 マンションの一室


夜になり爆発音は少なくなったが、相変わらず悲鳴や泣き声はあちこちで聞こえてきていた。窓越しに外を見てみると、町の中心部あたりには何箇所も赤いもやのような物が見えている。恐らく大きな火災が発生しているのであろう。マンションの前でも未だに何台も車が燃えており、たまに小さな爆発音があちこちで聞こえてくる。それ以外でも少し前からヘリの音やパンパンと曇った音が聞こえ始めていた。

高橋にはその破裂音がライフルの発射音だということがわかった。自衛隊が救助のため近くに来ているのだろうか。この近くには第10師団の師団司令部があり、もしかしたらそこの部隊が治安維持と救助活動に出動しているのかもしれないと思った。しかし、自衛隊の中でも恐らくかなりの被害者が出ている筈であり、どう考えても基地内を収拾するのにそんなに早く出来るとは思えなかった。ましてや自衛隊員としては、いくら襲ってくるとはいえ今まで一緒に訓練してきた同僚に対して、銃を向けて殺さなければならないという事はどんな気持ちだろうと思うと悲しくて涙が出そうだった。

自分にしてもそうだ。もし、お袋や妹が奴らの仲間になっていて、自分に対して襲ってきた時に、はたしてこのナイフで刺すことが出来るだろうか。そう考えながら、太ももに縛り付けてあるナイフのハンドルを触った。そんな事は考えたくもなかった。出来る筈がないのだ。ましてや、その場から逃げだす事さえ出来ないかもしれない。その事を考えると自分も早く家に帰ってお袋や妹の安否を確認しに行きたくてたまらなくなった。しかし、どう考えても今はそんな事が出来る状況ではない事はわかっていたし、そもそも自分自身でさえこれからの2、3日を生き残れるかどうかさえわからないのだ。

「救助隊が来るまでは、どんな事があっても室内にじっとしていてください」テレビでアナウンサーが言った。どのチャンネルも同じような内容をくり返しているだけで、どうすれば良いかなどの価値のある情報はいっこうに流れてこなかった。当然彼らもスタジオから外には出ることは出来ないだろうし、唯一の情報源である政府にしたって殆ど同じような状況に違いない。彼等にそれ以上望むのは無理なのもわかっていた。

少し前、首相の声明が発表された。

「現在、日本政府はこの前代未聞の事態に、総力を結集して原因究明と治安維持に当たっており、欧米各国と協力し出来るだけ早くこの状況から脱すべく努力しております。しかし、今しばらく時間がかかると思われますので、慌てずテレビやラジオからの情報に耳を傾けて安全な場所で留まっていてください」という内容だった。そして政府がこれまでに集めた情報や、被害状況などを公表し、緊急の場合や現状の場所では危険と思われたときには、各自治体に設置した避難所や救護所に行くよう告げた。また、テレビ画面ではその所在地をテロップで流しつづけた。高橋は、その画面を見ながら、奴らが徘徊するこの状況下で、その避難所にたどり着ける人が果たして何人いるのだろうかと疑問に思った。

政府発表の情報の中でたった一つだけとても重大な情報を教えてくれた。それは、もし奴らに襲われたら頭か心臓を刃物で刺せという事だった。しかし、普通の人にそんな事が出来るだろうか。恐らく無理だろう。“十分訓練した人間でもそんなに簡単にはいかないんだから…”そう思いながらテレビ画面を眺めつづけた。


日本愛知県 守山第10師団駐屯地


恵美子は96式装輪装甲車の後部兵員室の中でライフルを抱えながら他の隊員達と一緒に出発を待っていた。小隊長の宮田三尉を含め同乗者は全部で8人。恵美子の隣には弾薬庫で一緒に戦った松山浩治士長が座っている。彼がいるだけで少なからず心細さは緩和された。松山士長が分隊支援火器のミニミ機関銃担当。藪野一士がM79。滝沢士長、三桶一士、島添士長、坂下士長と恵美子がライフル。これが新しく編成された第1小隊第2班の全員だった。

彼等は色々な部署から掻き集められていた。松山、藪野、三桶は元々普通科なのだが、滝沢士長、恵美子は通信大隊、島添、坂下は音楽隊だった。中でも藪野幸弘一士と三桶信一一士は高校を卒業して自衛隊に入隊後一年たったばかりの新米隊員だ。恐らく18、9歳位だろうか。まだあどけなさが残っていた。おまけに二人とも体型がよく似た感じで暗い時にはどちらがどちらか分からないだろう。もともと同じ班だったらしく見分けやすくするためにケプラーヘルメットと腕に目印のリボンが付いていた。緑が藪野で黒が三桶だった。

滝沢義正士長は通信大隊で恵美子と同じ小隊に所属していた。彼は比較的に物静かな性格の隊員だ。何度か一緒に訓練したことはあったが、あまり親しくは無かった。駐屯地の掃討作戦の最後近くで助け出されたのだが、そのときはあまりのショックで口が聞けなかった位だった。しばらくして恵美子は恐る恐る小隊の安否を滝沢士長に尋ねた。そのとき聞いた内容は信じ難いもので恵美子はショックで涙がこぼれた。恵美子の所属していた小隊は滝沢を残して全滅したと言うのだ。彼は倒れた隊員の搬送用に軽装甲機動車を取りに行っていて難を免れたようで、現場に戻ったとき車の中から小隊全員が襲われたのを見たと言った。その後は車が動かなくなったので倉庫に隠れていたところを助け出されたようだった。恵美子が普通科に入ったと聞いた滝沢は、自分も普通科に志願すると言ってこの小隊に編入された。仲間の敵を討ちたいという事だった。

音楽隊の島添慎太郎士長と坂下政孝士長も同期らしく隣同士で座って小声で話していたが、その内容からすると恵美子とは違い、無理やり普通科に放り込まれたようで少し愚痴っていたみたいだった。しかし、お互い仕方がないということは納得しているようだった。二人とも22,3歳くらいだろうか。島添は少しひねた感じで、ヘルメットのチンストラップもしていない。タバコを咥えながら作業をしていた。一方の坂下はメガネを掛けた優等生っぽい隊員だ。これほど正反対な人間が並んでいるのを見ると、恵美子は少し滑稽に思えた。彼らはぎこちない仕草で89式自動小銃の作動確認をしていた。よく考えてみると第2班の隊員は松山士長以外、自分も含めて殆ど素人のようなものだ。それを思うと恵美子は少し不安になった。

恵美子の所属する第1小隊は全部で20人。恵美子達が乗っている装甲車の他に軽装甲機動車及び4台のトラックに同乗する第3班と、そしてもう1両の装甲車に第1班が分乗していた。同行するトラックには医療班と一緒に武器弾薬、食料などの補給物資が載っていた。正面ゲート付近では駐屯地に近づいてくる奴らに向けて絶え間なく射撃が続けられている。今ではその発砲音も殆ど気にならなくなっていた。いよいよ駐屯地から出て民間人の救助作戦が始まる。しかし、指示された事といえば“撃って撃って撃ちまくれ!”という事だけであった。それを暗示するかのように装甲車の車内には予備の武器弾薬が山積みなっている。“これが作戦?”恵美子は疑問に思った。まあ、自分たちのような下っ端にはそれだけ伝えてあれば十分なのだろう。上の幹部達さえちゃんと把握していてくれていればそれで何とかなるものだ。恵美子はそう納得していた。一緒に宮田三尉が同乗していてくれるのも気が楽であった。

宮田はこの第1小隊を任されていたが、指揮官不足のため恵美子達が所属する第2班の班長も兼任していた。通常ではあり得ない事だ。いずれにしても臨時の編成であり人数も少ないうえ大雑把に小隊を3つに分けただけの事だから仕方ないのかもしれない。

とにかく、今しなければならないのは駐屯地の外に出て街の状況を把握するのが第一であった。可能であれば民間人の救助をするというだけの事であり、そのためのトラックも同行するが付属のようなものだった。まずは奴らを掃討しないと救助など出来る筈が無いのだ。

また、感染者と生存者の見分け方についての指示もあった。“感染しているのか、そうでないかは見た目では判断できない。怯えていればおそらく生存者だろう。連中は感染していない人間を見つけると襲いかかってくるからだ。問題は近づいてくる人間だ。感染者は喋らない。近づいてきたら声を掛けて返事がなければ射殺しろ。声を掛ける余裕がなければ、ためらわず撃て“との事だった。危険な判断基準だ。必死に助けを求める者がこちらの問いかけに答えるとは思えなかった。必ず間違いが起こるだろう。だが、少なくとも感染者とそうでない者が一緒にいる事は無い。それだけは確かなことだ。しかし、隠れている人間を発見したら?恵美子は考えるだけで寒気がした。だが、自衛隊としてもこれ以上、隊員を死なせるわけにいかなかった。とにかく、我々には余裕がないのだ。何をするにしても…。

恵美子の隣にいる松山士長は黙々とミニミ機関銃に新しい弾帯を挿入している所だった。

「ねえ、松山士長。この人数で何とかなるものなのかしら?」恵美子は装甲車内を見回しながら小さな声で松山に言った。

「どうですかね。自分にはよくわかりませんが、なんか無理っぽい気がするんですけど。でも、相手が撃ってこないですからそれだけが救いですね」

「そうね。でも、噛まれて仲間にされるなんてゾッとするわ。おまけに他の人を襲うためにうろつき回るなんて。私はそんなの絶対嫌よ」

「自分だってそうですよ。岩田三曹、俺がやられたらすぐにここへ一発撃ち込んで下さいよ」松山士長はそう言うと眉間に指をさした。

「わかったわ。私もお願いね」

恵美子の言葉に松山は返事をする代わりに親指を立てた。しかし、2人とも果たしてそんな事ができるかどうかは自信がなかった。ただ、気休めになればよかったのだ。

「さあ、出発するぞ!全員射撃準備!」突然宮田が怒鳴った。

その言葉を聞いて装甲車に乗っていた隊員達の顔に緊張が走った。恵美子と松山は他の隊員達と同じように立ち上がると装甲車の上部ハッチから身を乗り出し、89式自動小銃の安全装置を外して射撃準備をした。

“いよいよだ”恵美子はそう思うと誰かに胃袋を鷲掴みされたような感覚に襲われた。

既に大野一尉が先行して別の3個小隊を引き連れて愛知県庁、名古屋市役所、県警本部などの施設確保の為出動していた。宮田の小隊はその後続部隊として、同行する救護班の護衛と先行部隊への支援が任務だった。宮田三尉が出発の合図をするとトラック4台の前後に装甲車を配置した隊列で駐屯地を出発した。

ゲートを出ると同時に装甲車のM-2が唸りだした。

「全員射撃開始!」宮田が大声で怒鳴った。

恵美子はその言葉を聞くと同時に89式自動小銃を構えた。だが、恵美子は撃つのをためらった。目の前には大勢の人が装甲車めがけて近づいてきている。しかし、その中には子供までいるのだった。“子供まで全部撃ち殺さないといけないのか?!”そう思うと彼女は、どうしても引き金を引くことが出来ないのだ。他の隊員の中にも恵美子と同じ様に撃てないでいる者がいた。

「何をしている!早く撃つんだ!」宮田三尉は射撃しながら怒鳴った。

「でも、子供が!」恵美子が訴えた。

「仕方ないんだ!彼等はもう人間じゃない!彼等を倒さない限り無事な人たちを助ける事が出来ないんだぞ。生き残っている子供達を奴らの仲間にしたいのか?!」

恵美子には真っ暗な中でも宮田の瞳が潤んでいるのが見て取れた。そして、宮田の言葉にハッと我に返った。“生存者を助けなければならない。今、こうしている間にも生き残っている人たちが襲われているのだ”恵美子は心を鬼にして引き金を引いた。恵美子の肩には何故かいつもより大きな衝撃を感じた。そして、彼女の頬には一筋の涙が伝っていた。

「お願い!来ないで!」恵美子はそう言いながら射撃を続けた。他の隊員も同じだった。

「来るな!向こうへ行け!」他の隊員達も口ぐちにそう叫びながらライフルを撃った。

宮田は全員が射撃をし始めたのを見て安堵した。作戦が始まる前、撃てない隊員が出ることは覚悟していた。自分自身でさえ“子供を撃てるのだろうか?”と疑問に思った。ただ、既に仲間を撃ち殺すというおぞましい行為をしてきているのだ。割り切るしかない。そう思っていた。しかし、その考えを全ての隊員に押し付ける事ができるだろうか?という不安が頭をよぎっていた。宮田には全く自信がなかったのだ。だが、隊員達は不本意ながらも早く状況に順応していた。ただ、その殆どの者の目には涙が浮かんでいた。宮田も同じだった。彼は他の隊員に見られないように前方に身体を向けると涙を拭った。


第1小隊は路上の障害物を避けながらゆっくりと進んでいた。道路は辛うじて隊列が通れるようになっている。このコースは先発の大野一尉の率いる主力部隊が既に通っており、装甲車で邪魔な車を押しのけて進路を作ったのだろうか。至る所に不自然な形で自動車が山になっていた。それを横目で見ながら恵美子達は射撃をしつづけていた。彼女の撃っているライフルもすでに2丁目の銃で、駐屯地を持って出たライフルはとうの昔に射撃のしすぎで銃身が過熱して作動不良を起こしてしまった。他の隊員も同じで撃てなくなれば新しい銃に替えては射撃し続けた。

途中、自衛隊の車両が近づいた事を知って生存者がビルの窓から助けを求めるのを多く見かけた。その度にマイクで“建物の外は危険です。そのまま室内にとどまってください。必ず救助に来ます。決して外に出ないように”とアナウンスを流した。いずれにしても今の自衛隊は彼等を助ける事が出来る状態ではなかった。小隊を止めるわけにもいかず涙をのんで無視していた。

しかし、無謀にも安全なビルから飛び出して装甲車に向かってくる人たちもたくさんいた。だが、その殆どは装甲車にたどり着く前に奴等に襲われてしまった。隊員達も出来るだけ助けようと援護射撃をするのだが結局はやられてしまうのだった。

三桶一士は、あと少しで装甲車にたどり着けそうな生存者に手を差し出していた。他の隊員もその生存者に近づいてくる奴らを排除する為、懸命に援護射撃をした。

「あと少しだ!がんばれ!」三桶一士が言った。

「待ってくれ!助けて!」生存者の男性が走りながら叫んだ。

三桶の手がその男性の手をもう少しで掴まえると思われた瞬間、その男性は躓き路上に倒れてしまった。三桶は思わずその男性を助けようと装甲車から飛び降りようとした。しかし、他の隊員に引き止められた。

「起き上がるんだ!」三桶一士がそう叫んだ瞬間、その男性は奴らに取り囲まれてしまった。

「小隊長、装甲車を止めてください!」三桶一士は振り向いて宮田三尉に向かって叫んだ。

「それはできん!諦めろ!」宮田三尉は言い放った。

「ちくしょう!」三桶一士はそう唸ると装甲車の鉄板を、握りしめた拳で思い切り叩いた。

「小隊長、止まる訳にはいかないんですか?!」藪野一士が涙声で言った。

「今は無理だ。今止まると任務に支障をきたす。現場では仲間が俺達の来るのを待っているんだ。次のチャンスを待つんだ」宮田三尉が苦しそうにいった。

「でも、見殺しにするなんて…」

「いいか、生き残っている人達にとって一番安全なところは今いる室内なのだ。もし我々が一人を助ける為に止まればそれを見た大勢の生存者が助けを求めて次々と部屋から飛び出してくるだろう。そうなったらもっと多くの犠牲者が出ることになるんだ。我慢してくれ」宮田三尉は悔しそうに言った。

「俺達は、生存者を見殺しにするために普通科へ放り込まれたのかよ!」島添士長が悔しそうに唸った。

恵美子もこの場に止まって生存者を助けたくて仕方がなかった。しかし、宮田の言う通り、今止まれば犠牲者が増える事は目に見えている。ましてや、今は県庁で仲間が命を掛けて作戦を実行しているのだ。遅れるわけにはいかない。一度止まってしまえば恐らくこの場から動く事はできなくなるだろう。この小隊自体も全滅してしまうかもしれない。そんな危険を冒すわけにはいかないのだ。

恵美子達は悔しさと刹那さに苛まれながら奴らを倒すべく射撃を開始した。しかし、彼らはこのあとも県庁に到着するまでの間に何度も何度も自分たちの無力さを見せ付けられる事になった。


市街地を抜けると比較的道幅の広い道路に出た。襲ってくる人数も徐々に減ってきたようだ。恵美子達の射撃も散発的になり周りの様子を見る余裕が出てきた。この辺りには名古屋城跡があり、都市の中心部ではあるが広大な公園が広がっているのだった。ここから目的地の愛知県庁舎まではあと数キロだった。庁舎に近づくにつれ爆発音が聞こえてくる。大野一尉の率いる先行部隊が手榴弾を使っているようだ。上空には陸自のヘリも偵察と援護のため飛んでおり、こうこうとサーチライトの明かりが降り注いでいた。

宮田三尉は、現場の本隊と後続の各車両との無線連絡で大忙しだった。大野一尉からの連絡では県庁の建物は確保し終わったらしい。大野一尉は宮田の小隊が到着次第、今度は2個小隊を連れて県警本部に移動するとのことだった。大野一尉は宮田に“小隊を建物南側の正面玄関に展開させトラックに生存者を乗せる事、そして、その援護。更に、残った第3小隊と共に手薄になった県庁を守れ”と言うと無線を切った。宮田は渋い顔をした。大野中隊長も簡単に言ってくれる。いったいこの人数でどうしろと言うんだ。しかし、そんな事を言っていても始まらない。とにかく最善を尽くすまでだ。宮田はしんがりを勤める第1班と第3班が同乗するトラック隊に段取りを伝えると同乗している隊員達の方に身体を向けた。

「そろそろ到着だ。各員、順次弾薬の補充をしろ!目一杯持って出るんだ。今度は装甲車から降りて戦うことになる。もう鉄の桶は守ってくれないぞ。全員気を引き締めろ!」

宮田三尉は怒鳴った。

その言葉に隊員達はベルトのマガジンポーチや戦闘服のポケットに無理やり予備弾薬を押し込んだ。

宮田三尉はミニミ機関銃で射撃を続けている松山士長に近寄ると肩を叩いて大声で言った。

「松山士長。現場についたら、お前はミニミで装甲車の上から援護しろ。装甲車のM-2じゃ近距離は援護できん。お前のミニミが頼りだ。たのんだぞ!」宮田三尉はそう言うと再び肩を叩いた。

「わかりました」松山士長はミニミの予備弾帯を引っ張り出しながら返事をした。

「他の者は装甲車が停車したら下車して外側に防衛線を張れ。第1班が右翼を固める。お前達は左翼だ。建物は中隊が制圧している。後ろは気にしなくていい。お前達はトラック隊に奴らを絶対近づけるな。いいな!」

「はい!」全員が揃って返事をした。

暫らくすると突然、装甲車が方向転換して急停車した。恵美子達は倒れないようにするのがやっとだった。

「よし。全員下車!各個展開して射撃開始!」宮田三尉が叫んだ。

装甲車の後部扉が開くと「おー!」と全員叫びながら飛び出していった。

恵美子は装甲車から降りると立て膝をついて射撃を開始した。

「散開しろ!防衛線を広げるんだ!」宮田三尉は射撃しながら大声で怒鳴った。

恵美子は、近くの奴らを掃討すると立ち上がり徐々に他の隊員との間隔を空けながら前進していった。

県庁は、南北に走る国道22号線から一歩東側に入っており、建物の敷地から東西に走る4車線の道路を隔てた南側にはかなり広い公園があった。そこは林のように木が生い茂っており、どれだけの奴らがその中にいるのか知る由も無かった。現在は、県庁の敷地境界を防衛線としているので、敷地内に侵入する奴らを撃退している。建物から敷地境界線まで30mほどあるので、恵美子たちはその中間の位置に展開していた。建物に接近してくる奴らは思ったより多くなかった。辺りは装甲車やヘリから照らし出されるサーチライトの光で明るく照らされており、射撃するのに問題はない。その上、先着の部隊が火炎放射器を使っているため、松明のように燃えながら歩いている奴らが大勢いた。数秒おきに一筋の炎の帯が辺りを舐めまわしていた。そのたびに歩く松明が増えていく。お陰でいい目標が出来て射撃は楽だった。しかし、次から次にやってくる奴らをいつまでもここで食い止めるのは至難の業だった。

そんな中、数台の装甲車が恵美子達の前を横切っていった。県警本部に向かう部隊だ。大野一尉が率いる2個小隊は、恵美子達の第1小隊が彼等の抜けた穴を埋めるべく展開するのを確認すると順番に出発して行った。守備部隊が減っていく為、恵美子達は小隊の守備範囲を広げていかなければならなかった。それに伴い彼等は忙しくなっていった。

恵美子達と一緒に来たトラックは、県庁南側の正面玄関に荷台の後部を向けて止まっており、同乗していた第3班の隊員達がライフルを片手に建物の中から生存者を次々に乗せていた。救出された人々の顔は恐怖と安堵が入り乱れたような複雑な表情になっている。ここには500人以上の人々が働いていた筈である。しかし、愛知県知事を含め400人近い人間がやられていた。既に自治体として全く機能していなかった。もちろん日本政府も同じ事であった。辛うじて僅かに生き残った官僚達によって運営されているに過ぎない。

いずれにせよ彼等には成す術が無く各地にある自衛隊に全てを任せるしかなかった。ただ、その自衛隊自体もまともに機能しているとは思えないのだが…。

恵美子が正面の林に向かって間髪なしに射撃していると宮田三尉が近づいてきた。

「岩田三曹。もうじき大型ヘリで施設科の連中がやって来る。奴らが建物に入れないようにするためバリケードを作るそうだ。ヘリが着陸できるようにもう少し防衛線を広げなくちゃならん。いいか。道路の向こうまで前進だ」宮田三尉はそう言いながら恵美子にわかるように目の前に走っている4車線道路を指で示した。丁度、目の前に広がる公園との境目だ。ということは現在位置から50mほど前進することになる。

「道路の向こうまでですね。わかりました」

「装甲車も一緒に前進させる。先着の第3小隊と連携しなければならないからな。装甲車が動き出したら進むんだ」

「小隊長、あそこまで進むと隊員達がかなりバラケますね」

「あぁ、救助作業はあらかた終わったからトラック隊に乗っていた第3班の隊員も半分こっちに回す。俺はそいつらと島添、坂下、滝沢と共に中央に入る。お前は三桶と藪野を連れて左翼を頼む。」

「自分がですか?そんな訓練受けていませんよ」恵美子は思わず射撃を止めて宮田を睨んだ。

「つべこべ言うな!みんな素人のようなもんだ。とにかくお前は度胸がいい。それに通信で班長やってたんだろう?頼んだぞ。弾薬はあとで運ばせる。何かあったら無線で知らせろ」宮田三尉はそう言うと小型無線機とヘッドセットを恵美子に押し付けて走り去った。

“なんて事だ!大体自分ひとりで精一杯なのに他の隊員への指示などできる訳がない。そもそも三桶一士も藪野一士も経験が浅いとはいえ普通科でやってきているのだ。通信大隊にいた自分とは訳が違う。いくら通信大隊で班長をやっていたからといって急に面倒を見ろといわれても…”恵美子がそう思っていたところに三桶と藪野が走ってやってきた。

「三曹、小隊長に言われてきました」二人はそう言うと周りを警戒しながら恵美子の横にしゃがんだ。

恵美子は言葉に詰まった。“どうすれば良いんだ?!”頭の中がパニックになっている。

恵美子がもし間違った命令を下せばこの二人は命を落とす事になる。自分にそんな重大な指示を出す事が出来るのだろうか?恵美子はとても不安だった。しかし、次の命令を待っている二人の目を見ているとこのままではいけないという事がひしひしと感じられた。

この場所では恵美子が上官であり、彼等は彼女の指示を一言一句聞き漏らすまいと真剣なのだ。それは当然であった。命が掛かっているのだ。もし、自分が自信なく指示すれば彼等は当然不安になる。それが正しい指示であったとしても決して上手くいかないだろう。部隊運用とはそういうものなのだ。それは通信大隊の時でも同じことであった。“自信を持つんだ。とにかく精一杯やるしかない”自分にそう言い聞かした。

「二人ともよく聞いて。小隊は道路の向こうまで前進します。私が左、藪野一士が真中、三桶一士は右。装甲車が動き出したら同調して。決して先走らない事。第1班と私達の間に小隊長と第3班が展開します。あまり離れるとお互いカバーが出来ないわ。15メートル以上間隔をあけないように。いいわね」

「わかりました」

「藪野一士、M79の弾は何発持っているの?」

「あと6発です」藪野は肩から斜めに掛けてある弾薬ポーチの中を覗きながら答えた。

「少ないわね。それじゃ、M79は私が合図するまで発射しないで。取りあえずはライフルで応戦して頂戴」

「了解」藪野一士は頷いた。

「ライフルの弾薬はまだ持っている?」

「はい、ベルトのは手付かづです」藪野一士が言った。

「あなたは?」恵美子は三桶一士に向かって尋ねた。

「自分はマガジン6個です」三桶一士はマガジンポーチを手で確認するように押さえながら言った。

「そう。あとから弾薬の補給があるはずよ。とりあえずこれ持っていって」恵美子はそう言うと戦闘服のポケットから2つマガジンを取り出すと三桶に渡した。

「いいこと。セミでよく狙って撃つのよ」

「わかりました」

二人が頷くと後方から装甲車がエンジンの唸りをあげ動きだした。

「さあ、行くわよ」恵美子はそう言うと立ち上がり前進し始めた。三桶と藪野も間隔を徐々に広げながらゆっくりと前進した。

小隊は道路まで前進したは良いが、防衛線が広がってしまった為さすがに大変になってきた。火炎放射器は既に燃料を使い果たしていたため沈黙していた。恵美子達は集団でやってきた奴らに対してはM79や手榴弾で吹き飛ばし、それ以外は相変わらずライフルと機関銃で1体1体倒していった。辺りには何百という死体が転がっている。だが、彼らの前に現われる奴らは一向に途絶える気配はない。この場所に来てかれこれ2時間が経過しようとしており、恵美子達の疲労はピークに達しようとていた。

そんな時、大きなローターの音と共に3機のCH-47チヌーク大型ヘリコプターがやってきた。そのうちの1機が近づき県庁舎の正面の上空でホバリングしたかと思うとゆっくりと着地した。そして大急ぎで資材と施設科の人員を下ろすと再び飛び去った。残った2機も同じ動作をくり返した。施設科は急いでバリケードの構築を開始したが、宮田三尉からの無線連絡ではその仕事が終わるのに朝方まで掛かるとの事だった。それを聞いて恵美子はこの場所を守るのはいいが朝までもつのだろうかと不安になった。

恵美子達がそんな不安を頭の片隅に抱えながら必死に射撃を続ける中、宮田三尉の所に偵察ヘリから情報が入った。それによるとかなり大きな集団が県庁に向かってやって来ているとの事だった。恐らく、頻繁に爆発する溜弾の炸裂音や大型ヘリのローターの音で遠くにいた奴らが反応したのかもしれない。いずれにしても、あと30分もすればここに大挙してやってくるのだ。宮田の背筋に戦慄が走った。今でさえ限界なのだ。大野一尉が率いる主力部隊は県警本部を確保したあと、生き残りの警官に武器、弾薬を大量に供与して自衛させると、引き続き市役所の制圧に向かっていた。とても援護のためにこちらへ戻ってこられるとは思えなかった。

宮田三尉はその情報を大野中隊長に伝え指示を受けた。案の定、大野一尉からのメッセージは「機銃を搭載した攻撃ヘリをそっちに回す。我々は戻って援護する事は出来ない。こっちも手一杯なんだ。使える物は何でも使って構わん。とにかくそこを死守せよ」との事だった。

「了解」宮田三尉はそう答えるとマイクを無線機に戻した。

「死守せよ、か」宮田三尉はそう呟きながら一緒に無線を聞いていた第3小隊の小隊長、小笠原三尉と顔を見合わせて渋い顔をした。

「やっぱりそうきたか」小笠原三尉が言った。

「厳しいですね」

「仕方ない。こっちだけで何とかするしかないな」小笠原三尉が言った。

宮田はその言葉に頷くと地図を装甲車の床に広げて小笠原と共に知恵を絞った。とにかくあまり時間がない。施設科が乗ってきたヘリが弾薬と火炎放射器及びその燃料などの補給物資も一緒に運んできていた。これで多少は時間を稼ぐ事が出来るだろう。大野中隊長は攻撃ヘリを回してくれると言っていたが、ヘリが来たところで奴らをある程度減らす事が出来ても完全に殲滅する事は無理だ。いずれにしても最終的に残ったやつらを自分達が1体1体始末するしかないだろう。しかし、この人員ではやはり不安が残る。根本的な打開策が必要だった。

宮田は住宅地図を穴のあくほど眺めていた。市街地から県庁に来るには建物の西側を南北に走る国道22号線と正面の林からのルートがある。国道22号線は今後の救助作戦の為には必要不可欠であり破壊する訳にはいかない。となると、ここを通ってくる奴らは火炎放射器とライフル、機関銃で食い止めるしか方法はないだろう。しかし、この場所なら道幅も片側4車線もあるうえ直線になっており射界を遮る物もないので比較的簡単に思えた。更に攻撃ヘリが上空から援護すれば何とかなりそうだった。

脅威なのは南側正面に広がる林を抜けてやってくる奴らだ。林の中では生い茂った樹木が奴らを隠してしまい撃ち殺すには非常に効率が悪かった。ヘリも役に立たないだろう。今でさえかなり支障が出ているのだ。大群となると困難を極める事になる筈だ。かといって林を焼き払うわけにはいかなかった。林のはずれにはガソリンスタンドが隣接しているのだ。もし延焼すると大惨事になる可能性があるからだった。他の方法を考えるしかない。

宮田は地図を指でなぞって奴らの侵入を予想していた。その指先に小さな川がある事に気がついた。市街地と林との間には小さな川が東西に流れており、奴らがここに来る為には数箇所の橋を越える必要があるのだ。しかし、橋を落としただけでは国道に回り込まれるだけで根本的な解決策にはならないだろう。それに、いくら国道が阻止しやすいとはいえ大群で押し寄せられたらこの人員で持ちこたえるのは難しい。いずれにしても奴らを殲滅する必要がある。

彼の脳裏に良い考えが浮かんだ。恐らく、橋を渡るのに奴らは渋滞する筈である。そこで、橋の向こう側に爆薬を仕掛けて奴等がごった返した所で吹き飛ばすのだ。そうすれば一気に片をつける事ができるかもしれない。上手い具合に川と市街地は大きな道路で隔てられており、ビル群に被害が及ぶ可能性は少なかった。ただ問題は、少ない人員を裂いてまで危険を冒す必要があるかどうかだった。                      

二人の小隊長は危険を冒すほうを選んだ。宮田達は施設科の隊長と共にその迎撃作戦を練った。


恵美子は林の中に十数人の集団でやってくる奴らを見つけたので藪野にM79の攻撃地点を指示した。藪野がM79を構えて引き金を引くとポンという音と共に榴弾が山なりに飛んで爆発した。そして、恵美子達は爆発地点に向かってライフルを射撃した。彼女達は、もう十数回も同じ事をくり返していた。

「岩田三曹!」と言う言葉に後ろを振り返ると宮田三尉が近づいてきた。

「急ぎの仕事だ!これから施設科の連中とピクニックに行くぞ」

「施設科とですか?三尉も行かれるんですか?」

「ああそうだ。施設科が爆薬を仕掛けに行く。俺達はそれの援護だ。今大集団がこちらに接近中なんだ。時間がない。すぐに出かけるぞ。ここは第1班の佐野二曹に任せる。第2班の全員連れて装甲車に乗れ」

「わかりました」恵美子がそう言うと宮田はすぐに走り去った。

恵美子は藪野一士の所に近づくと彼に段取りを伝え、第2班の撤退の援護をするように言った。

「三桶一士、島添と坂下を連れて装甲車に戻りなさい!」恵美子は離れて射撃を続けていた三桶に大声でそう言った。恵美子は援護射撃をしながら3人が撤退するのを確認すると、今度は藪野の肩を叩いて指で戻れの合図した。藪野は頷くと射撃をしながら後ろ向きに下がって行った。その頃には第1班と第3班が恵美子達の穴を埋めるべく再展開し始めていた。恵美子は彼等が展開し終わるのを見届けると藪野のあとを追って装甲車に向かった。

恵美子が装甲車に戻ると、車中では宮田三尉が地図を指差しながら車長に説明していた。

「三尉、第2班撤収完了です。1、3班がカバーに入りました」恵美子は宮田三尉に報告した。

「ご苦労。岩田、よくやった。全員今のうちに武器のチェックと弾薬の補給をしろ」宮田三尉の言葉に隊員たちは各自、銃の確認と弾薬の補給をした。宮田は装甲車内を見回して全員が乗車したのを確認すると車長に合図して装甲車を発車させた。施設科は爆薬を仕掛けた軽油のドラム缶10本を荷台に載せたトラックで装甲車のあとに続いた。

「三尉、あの広いエリアを1班と3班だけで大丈夫ですか?」恵美子が宮田三尉に尋ねた。

「厳しいだろうな。だが、1班の佐野二曹は経験豊富だから何とかしてくれるだろう。それより、今はこっちの方が大事だ。大群が近づいている。こいつ等が来たらこの人員ではとても持ちこたえるのは無理だ。だからその前にやっつける」

「援軍は来ないんですか?」恵美子は手榴弾と予備弾倉を空になったマガジンポーチに収めながら言った。

「あぁ、無理だ。辛うじて攻撃ヘリを回して貰うのがやっとだった。中隊長は今市役所の制圧で手一杯だし、連隊本部もそれどころじゃないらしい。他の中隊も病院やテレビ局の確保で大騒動だそうだ。大変なのはここだけじゃないからな」宮田三尉は苦笑いをすると全員に聞こえるように続けた。

「とにかく、施設科が爆薬つきのドラム缶を10箇所に下ろす。俺達は奴らを施設科の隊員に近づけないようにするんだ。これに失敗すると俺達だけじゃなく守備隊が全滅する可能性があるからな。頼んだぞ!」

「わかりました!」

暫らくすると装甲車のスピードが落ち車長から「まもなくです」と合図が来た。

「よし、そろそろだ。施設科の作業ができるように奴らを蹴散らせ!全員射撃開始」

全員が射撃を始めた。その間にトラックは川沿いに止まり施設科の隊員が橋の袂にドラム缶を下ろしていた。恵美子達は奴らが施設科の隊員に近づかないように必死で射撃を続けた。県庁に比べて格段に数が多かった。その上、どんどん増えているのだ。しかし、時間との勝負であり、大急ぎで10箇所に爆薬を設置しなければならない為、隊員たちは死に物狂いでその作業をくり返した。最後の設置場所は、あまりにも障害物が多く、いつどこから襲われるかわからないような所で作業をしなければならなかった。回りには公衆トイレ、巨大な看板、あちこちに放置されている事故車両、足の長い雑草、挙句の果てには公園の木々が橋のすぐ脇まで迫ってきていた。この状況では装甲車の上からではとても援護する事は不可能だった。

「やむおえん。装甲車から降りるぞ!松山士長はそのままで援護しろ!」宮田三尉はそう言って真っ先に装甲車から飛び出した。他の隊員もそれに倣った。全員トラックの周りに展開して防御した。宮田は障害物の後ろに回りこみ、そこに隠れていた奴らを次々に撃ち殺した。

しかし、作業が終わりに近づいた頃、トラックの下から這い出した奴に施設科の一人が襲われてしまった。トラックに乗り込もうとしたところを襲われたのだ。意表を突かれた隊員たちは慌てた。近くにいた坂下士長が施設科の隊員の上に覆いかぶさっている奴の頭をライフルの銃床で殴り隊員から引き剥がすと、その顔面に銃弾を撃ち込んだ。すぐさま坂下はしゃがみこんで隊員の様子をうかがった。

「大丈夫か?!」坂下士長は言った。よく見ると、彼は右足の大腿部を噛まれたあとで大量の出血をしていた。坂下は持っていたハンカチで出血している部分を押さえた。

「誰か手を貸してくれ!」坂下士長は叫んだ。しかし、トラックの下に隠れていたのはそいつだけではなかった。もう一人いたのだ。倒れた施設科の隊員の傍らに屈んでいる坂下に対してそいつはトラックの下から這い出して襲い掛かってきた。それを見ていた恵美子は「坂下危ない!」と叫ぶとライフルを向けて射撃した。その瞬間、そいつの頭がガクンと後ろにのけぞった。だが、それは一瞬遅く坂下は首の後ろを噛まれてしまっていた。

「くそっ!遅かったか?!」恵美子はそう吐き捨てると、撃たれてひっくり返っている奴に近づき、フルオートで銃弾を数発撃ちこみ頭を粉々に撃ち砕いた。その間に島添は坂下の所に駆け寄ると横に座り込んで噛まれた所を見た。大量の出血だった。

「なんてこった!坂下、大丈夫か?」島添士長は坂下を揺すったが既に意識はなかった。

「とにかく、装甲車に運ぶんだ!島添、早くしろ!」宮田三尉はそう言うと射撃をしながら坂下の方へ駆け寄った。

「急げ!みんなやられるぞ!」宮田三尉はそう言うと島添と一緒に坂下を装甲車へ引きずって行った。既にやられた施設科の隊員もトラックに乗せられていた。その間、恵美子達は宮田と島添を援護した。全員装甲車に戻ると大急ぎで県庁に向かった。県庁への帰り道、装甲車の中は悲しい雰囲気が漂っていた。島添士長は涙を目に浮かべながら握り拳を膝の上で作って震えていた。音楽隊からずっと一緒だった坂下がやられてしまったのだ。どんなに辛いだろう。それを思うと恵美子も悲しくなった。“また仲間がやられた。折角生き残ったというのに何故なんだ?”そんな思いが隊員達の頭に渦巻いていた。

「島添、この仇は絶対取ってやろうな」宮田三尉が悲しげに言った。

「もちろんです。全部撃ち殺してやる!」島添士長が声を震わせながら言った。

「いいかみんな。まだまだこれからだ。坂下たちの恨みを晴らすぞ!」宮田三尉が言った。

「はい!」全員が声を揃えて答えた。


数分後、恵美子達の装甲車は県庁に戻った。県庁の守備隊も大変な状態だった。防衛ラインも建物から十数メートルの所まで後退しており、建物の壁を背に射撃を行っていた。恵美子達の第2班があと数分遅れていたら、それさえも突破されていたことだろう。恵美子達は装甲車から降りると大急ぎで援護射撃を加えた。宮田三尉は、小隊全員に指示を与え何とか敷地境界線まで防衛ラインを押し戻すと、島添士長の肩に手を置いた。

「坂下は俺がやろうか?」

「三尉、自分にやらせてください」

「わかった。それじゃ頼む」宮田三尉はそう言うと9ミリ拳銃を島添に渡した。

島添はその拳銃を受け取ると装甲車の陰に横たわっている坂下の方へ向かっていった。宮田はその後ろ姿を目で追うとコクリと頷いた。そして第1班と第3班の被害確認のために佐野二曹の所へ向かった。後ろでは拳銃の発射音が聞こえた。


宮田の小隊では坂下以外に第1班から2人の犠牲が出ていた。施設科からはさっきの隊員が1人。第3小隊からは5人の被害が出ていた。“なんてこった!このままではもっと多くの隊員がやられることになる。まだ初日だというのに…。いつまで続くんだ?!”宮田は悲しくなった。

恵美子は装甲車の横で藪野一士と三桶一士と一緒に射撃を続けていた。恵美子達が来た時には第1班と第3班は施設科の隊員と共に奴らを相手に白兵戦を繰り広げていたのだ。危ない所だった。しかし、それはやむおえないことだった。第3小隊からは2個班が22号線からやってくる奴らを阻止する為に出て行ってしまっていたので、残っていた守備隊は僅か20人足らずしかいなかった。広範囲の陣地を守るにはやはり人員が少なすぎたのだった。

既に大集団の一部が到着し始めているのか、今では初めて第1小隊が来た時よりもたくさんの奴らが集まってきていた。しかし、恵美子達は辺りの奴らを掃討すると、もう一度公園との境目まで防衛線を広げるために攻勢を掛けた。

宮田三尉は偵察ヘリからの情報に耳をそばだてて聞いていた。その隣には施設科の隊長が爆薬のリモコンスイッチを持って待機している。彼も部下をなくして目には怒りがあふれていた。ヘリからの情報では22号線は既に阻止作戦が展開されている。攻撃ヘリも援護しており比較的順調のようだ。爆薬を仕掛けたところには続々と奴らが集まってきておりかなりの大集団になっているとの事だった。宮田は全部集まるのを待つつもりだった。それも時間の問題だろう。宮田は施設科の隊長の目を見て爆破準備の手を上げた。

恵美子は突然の爆発に驚いた。まるで地震のような振動と共に幾つもの巨大な赤い炎が現れた。

「第1小隊、前進。装甲車に続け」装甲車のマイクが宮田三尉の声を広げた。

それを合図に装甲車がエンジンの唸り声をあげゆっくりと前進し始めた。恵美子達はそのあとに続いて射撃しながら前進した。

辺りは白み始めていた。夜が明けるのだ。恵美子は段々少なくなってきた奴らを掃討しながら周りをみる余裕も出てきた。長かった1日が終わるのだ。そして、また新しい1日が始まる。“今日は生き延びられるのだろうか?”だが恵美子には自信がなかった。目の前であまりにも大勢の人たちが死んでいったのだ。友達も仲間も。そして今日も多くの人が命を落としていくのだろう。はたして日本人の内、いったい何人の人たちが生き残っているのだろう?そして我々はその人たちを助ける事が出来るのだろうか?しかし、出来るだけやってみよう。精一杯。それが、生き残った私達が出来るただ一つの事なのだ。恵美子は昇ってくる朝日を見ながらそう思った。

そこに松山士長が近づいてきた。彼はミニミを肩に担ぐと朝日を手でかざしながら眺めた。

「朝ですね。自分はもう太陽を見られないと思いましたよ」松山士長はそう言った。

「そうね。私もよ」

「明日も見られますかね?」

「どうかしら?日ごろの心がけ次第でしょ」

「だったら大丈夫ですね」

「あら、自信たっぷりね」

「そう思わないとやってられないですよ」

松山のその言葉に恵美子はニヤリとした。

うしろの県庁舎の方から数両の装甲車のエンジン音がした。大野一尉が戻ってきたのだ。

「第1小隊、建物に戻れ!撤収する」装甲車のマイクから宮田三尉の声が聞こえた。

「やっと帰れるわ」

「休ませて貰えるんでしょうか?」

「あまり期待しない方がいいわよ。仕事は山ほどあるんだし。とにかく生きているだけマシなんだから」

「そうですよね」

「さあ、行きましょう」恵美子はそう言うと松山と共に装甲車の後ろに続いて戻っていった。


アメリカ合衆国 ワシントンDC ホワイトハウス


 ホワイトハウス、大統領執務室ではジャクソン大統領とベン・グッドリー国家安全保障問題担当補佐官、ウェズリー・シェーファー統合作戦本部長のスタッフ数人で今後の派兵問題と極東米軍の状況掌握についてのブリーフィングが続いていた。

「極東もしくはインド洋上で飛行していた航空機の行方不明は現在分かっているだけで、76機。その内、民間が52機残り24機がわが軍もしくは日本を含めた同盟国の軍用機です。飛行中にパイロットが意識不明に陥ったと考えられますので恐らくその殆どは墜落したと思われます。わが軍のAWACS2機も含まれます。詳細を今調べています」ウェズリー・シェーファー大将が言った。

「AWACSはどこで消息を絶ったのかね」ジャクソン大統領が尋ねた。

「インド洋で1機、日本海で1機です。更に新たな問題が分かりました」ウェズリー大将が言った。

「またか、問題は増える一方だな。この数時間で一つとして解決した問題がないというのに…。それで新たな問題とは?」ジャクソン大統領がうんざりしたように言った。

「実は、核弾頭を搭載した輸送機が日本近海で行方不明なのです」ウェズリー大将が言った。

「何だって?!また、こんな時になんで核弾頭を搭載した輸送機が飛んでいるんだ?!」ジャクソン大統領が驚いた。

「ギリシャNATO軍基地から太平洋艦隊への核弾頭を輸送中でした。これは大統領も認識しておられるはずですが…」ウェズリー大将が言った。

「確かに移送の件は知っている。だが、何故今なんだ?!ただでさえ警戒態勢だったのだろう?そんな時に移動させるなんて正気の沙汰じゃない」ジャクソン大統領は呆れたように言った。

「わたしもそう進言したはずですが、大統領閣下が最優先で行うようにと命令されました」ウェズリー大将が言った。

「何てことだ!それはもういい。核弾頭の行方はわかったのか?」ジャクソン大統領が言った。

「どうやら日本中部に墜落した模様です」ウェズリー大将が言った。

「また厄介なところに落ちましたね。日本に運んでいるのがバレバレじゃないですか」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「具体的な場所は分かっているのか?パイロットの安否は?」

「パイロット及び乗員はあの状況では助からないでしょう。恐らく飛行中にパイロットが気を失ったはずですから。場所に関しては救難用ビーコンの発信で特定できます。日本中部の山中です。衛星写真を見る限りでは人里からも離れています。既にNESTの先遣隊を日本に派遣しました。もちろん日本政府にはNESTという事は伏せてあります。名目は自衛隊とアメリカ軍との連絡将校とその護衛ということで送り込みました。あと数時間で日本中部、名古屋市にある陸上自衛隊守山駐屯地に着くはずです。ただ問題はあります。残念ながら日本駐留アメリカ軍も崩壊していますから支援も出来ませんので非常に限られた条件の上での作業になると思われます。今回送り込んだ方法もC―130でハンヴィー(HMMWV)とNEST要員3名と国防総省の将校2名を空中投下するくらいですから」

「自衛隊駐屯地にか?」ジャクソン大統領が驚いて尋ねた。

「そうです」

「連中もビックリするでしょうね」ベン・グッドリーが言った。

「そこから、ハンヴィーだけで活動するのか?」

「今のところそれしか方法がありません。もう少し状況が安定すればヘリを使うことも出来るでしょうが現状ではそれが精一杯です」ウェズリー大将が言った。

「しかし、あんまり悠長なことは言ってはいられませんよ。自衛隊が先に見つけたら大事になる。今まで連中は我々が核兵器を持ち込んでいることはわかっていて知らん顔しているだけだが、さすがに現物を日本国内で手にしたら黙っちゃいないでしょう」ベン・グッドリーが言った。

「しかし、今の状況では自衛隊も崩壊状態でビーコンを頼りに輸送機を探し出すことは出来ないでしょうし、仮に墜落を目にしたところで救助しに行こうとは思わないでしょう」

「奴さんたちはそれどころじゃないということか…」

「はい。それに仮に民間人が発見したところで積荷が核弾頭だとは思わないでしょう。とにかく支援状況が整い次第デルタフォースを送り込みます」

「ああ、逐一報告してくれ。連絡将校を派遣した事については武田首相に私から伝えておこう。話がこじれるとまずいからな。もうこれ以上厄介ごとはごめんだ」ジャクソン大統領が言った。


日本愛知県名古屋市 守山駐屯地


 突然のターボプロップエンジンの音に守山駐屯地にいた隊員たちは空を見上げた。その瞬間、真っ暗な空を超低空で飛行するC―130輸送機が通り過ぎた。それを見て隊員達は大騒ぎになった。暫くするとスピーカーから声が聞こえてきた。

「営内の全隊員に伝える。副師団長からの緊急連絡。大至急運動場の障害物を撤去せよ。米軍のハンヴィーと連絡将校がハーキュリーズから降下する。運動場とその周囲のライトはすべて点灯すること…」

 その声に手の空いていた隊員たちは大急ぎで運動に集まり障害物の撤去を始めた。隊員たちは口々に文句を言っていた。それは当然だった。“実働部隊が来るのならともかく連絡将校だかなんだか知らないが好き勝手なことをやらかす。そもそも、運動場には難を逃れた民間人用に設置した救護テントが張ってあるのだ。それをどけて装備を降下させるなんて何を考えているのだ”しかし、隊員たちは大急ぎで作業を進めた。

「米軍も勝手なもんだ。確かにこっちは助けてもらわないといけない状況ではある。しかし、何もこの夜中に装備を空中投下するとはな」第10師団副師団長 若松俊樹陸将補は窓から外を眺めながら言った。師団長が不運にも亡くなったので今では彼が指揮を執っていたのだ。彼は無精ひげも生えてみすぼらしい格好だった。座る暇さえないのだ。休憩したのは何時間前なのだろう。いや何十時間前かもしれない。今はそれどころではないのだ。彼は、いかつい顔に似合わず部下思いの指揮官で有名だった。数十時間前、8000人以上いた部下がほんの数時間で半数以上死んでしまった事を受け入れるのには時間がかかりそうだった。その上、師団長が死んだことで、生き残った部下への責任と第10師団が持つ国家や地域に対する責任が全て自分の肩にのしかかってきたのだ。そのプレッシャーは計り知れないものがある。彼は、これ以上部下を一人たりとも死なせる訳にはいかないと心に誓った。その為にはどんなことでもするつもりだった。そして、陸上自衛隊としてすべきことを精一杯やろうと思った。しかし、今の状況ではそれが簡単ではないことは十分承知していた。若松の後ろにいる第35普通科連隊長 山本正貴一佐も同じ考えだった。彼も若松副師団長と似たり寄ったりの格好だった。

「全くです。今は彼らの相手をしている場合ではないですからね。おそらく、米軍の上陸の為にああしろこうしろと煩く言うんでしょうね。しかし、不思議なのはこの段階で何故ここに来るのでしょうか?タイミング的にちょっと早すぎると思うのですが…」山本一佐は不思議そうに尋ねた。

「さあな、私にも分からんよ。理屈からしてもおかしい。そもそもここのあたりには米軍の施設などないんだからな。彼らにしても在日米軍の救援の方を優先するはずだ。わが国に対して救助活動をするにしてもそのあとになるのが当然だろう。それなのにこんなにも早く何もない名古屋に出張って来るなんていささか話がおかしすぎる。連中が何か企んでいるとしか思えん」若松陸将補が言った。

「自分もそう思います。中央から直接連絡があったところから見ると国家レベルの話です。とにかく今は様子を見るしかありませんね」山本一佐が言った。

「そうだな」若松陸将補がそう言った時、再びC―130のエンジン音が聞こえてきた。

「さて、行ってお出迎えでもするか」若松陸将補が言った。

「直々にですか?」

「このクソ忙しいときに来るんだ。嫌味の一つでも言わんと気がすまん」若松陸将補はそう言うと運動場に向かった。


 C―130輸送機は駐屯地上空に差し掛かると高度を落とした。前方にはライトで照らし出された運動場が現れた。機体を水平に保つと貨物室の後部扉を開き、投下パレットを放り出した。その瞬間パレットからパラシュートが開き装備の落下速度を落とした。投下パレットは地面からあと数メートルになると逆噴射をして着地の振動を和らげた。

 その光景を見て隊員たちから感嘆のため息が漏れた。

「さすがだな。この狭い運動場のど真ん中にピッタリ下ろしやがった」若松陸将補も感心した。落下したパレットに自衛隊員が集まり米兵がハンヴィーを荷解きするのを手伝った。ハンヴィーの屋根の上にはブローニングM-2重機関銃が装備されていた。 

「連絡将校が来るだけというわりには準備万全ですね」山本一佐が言った。

「全くだ」若松陸将補はそう言った。暫くすると米軍将校らしい男が二人若松たちの方へ近づいてきた。若松陸将補の前まで来ると敬礼をした。

「私はアメリカ国防総省から来ましたアメリカ陸軍ブラット・ベッカム大佐です。彼は補佐のウイリアム・ヘストン大尉です」ベッカム大佐はそう言うとヘストン大尉を紹介した。ヘストン大尉は若松陸将補と山本一佐に敬礼した。二人は敬礼を返した。

「私は第10師団副師団長 若松俊樹陸将補です。現在私がここの指揮を執っています。彼が第35普通科連隊、連隊長山本正貴一佐です」若松陸将補が言った。

「今日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。あなた方が大変なのは理解しております。しかし、緊急でしたもので…」ベッカム大佐はそう言った。

「緊急ということはよくわかります。夜の夜中にこの騒ぎですからね。まあ、こんな事は今日本で起こっていることからすればまるでミミズがクシャミしたくらいのものです。しかし、何故ここに?」若松陸将補が言った。

「必要物資の補給と救護支援についての打ち合わせです。お節介かと思われますが、今の状況からして自衛隊各部隊における武器弾薬、および食料品などの必要物資の共用もしくは移動は難しいでしょう。そこで、空港が使えるようになるまでアメリカから必要な物資を輸送機で運んできて空中投下する案が浮上しました。お聞きになっているとは思いますが、既に日本政府からアメリカ軍に対して救助活動の支援の要請がありました。もちろんアメリカ軍の派遣も含めてです。しかし、わが国でもアラスカが被害にあい甚大な犠牲者が出ております。もちろん、日本と比べれば比較になりませんが…。とにかくその為に少なくとも実働部隊が到着するまでには1週間は掛かるでしょう。その上、派遣出来る部隊も2個師団がせいぜいです。そうなると、我々は兵站その他の関係で在日米軍の基地を基盤に動かざる終えません。当然、ここ中部には米軍基地はないため上陸したアメリカ軍が到着するまでには相当時間が掛かるはずです。酷なようですが、それまではあなた方だけでこの難局を切り抜くしかないのです。しかしながら、自衛隊基地や空港、港湾に補給、医療などの支援部隊は早期に展開することは可能です。それを円滑に行う為に我々は来たのです」ベッカム大佐が言った。

「なるほど。それはありがたい話です。早速、司令部にその為の関係者を集めましょう。宿舎と事務所も用意させます」若松陸将補が言った。彼は近くにいた司令部付き士官に合図をした。

「ありがとうございます。それでは急いで機材の設置をします」ベッカム大佐が言った。

「わかりました。それでは何人かに手伝わせましょう。ご要望があったらおっしゃって下さい」

「ありがとうございます。早速ですが、ヘリを貸していただきたいのですが?」

「ヘリ?どうするのですか?」若松陸将補は驚いて尋ねた。

「状況掌握のために偵察をしたいのですが…」

「それはわかりますが…。残念ながら全て出払っています。ここにはヘリ自体あまり配備されていないのです。運用中に同乗して頂くことは出来ますが…」

「それではちょっと…。近くでヘリがあるところは?」

「そうですね。名古屋空港なら民間のヘリがありますが…」

「わかりました。部下に調達させます。名古屋空港ですね」

「ちょっと待ってください。どうやって空港に行くのですか?まさか、あのハンヴィーで?」若松陸将補は驚いて尋ねた。

「今のところそれしかないでしょう」

「それは無謀すぎる!自殺行為だ!まだ名古屋の航空自衛隊と連絡が付いていません。この調子だと全滅しているかもしれないのです。そんな所にあなた方だけで行ってどうにかなるものではないでしょう。もう少し時間をいただければ部下たちが装甲車で戻って来ます。それからなら名古屋空港まであなた方を送り届けることは出来ると思います」山本一佐が言った。

「ありがとうございます。しかし、我々も一刻も早く状況を掌握する必要があるのです。それにこの状況下であなた方にご迷惑をおかけするわけにもいかないですから。それは上層部からもキツく言われています」

「しかし、それでは…」山本一佐が言った。

「お構いなく。大丈夫です。彼らは優秀ですから」ベッカム大佐はハンヴィーの近くで荷解きをしている米兵たちを指差しながら言った。

「しかし…」山本一佐がそこまで言うと若松陸将補が話をとめた。

「わかりました」若松陸将補が言った。

「副師団長?」山本一佐は若松陸将補がすんなり納得したことに驚いた。

「しかし、大佐。もしものことがあったらいつでも言ってください」若松陸将補が言った。

「そうさせていただきます」ベッカム大佐はそう言うと敬礼をしてその場を離れていった。若松達も敬礼を返した。

「副師団長、彼らは無茶です。状況を甘く見ています。彼らは間違いなくやられますよ。あんなことを認めていいんですか?連中が死んだら厄介なことになると思いますが…」山本一佐は心配そうに尋ねた。

「山本一佐。連中の好きにさせればいいじゃないか。あれで奴らが死んだって私はなんとも思わんよ。あいつらの事より私は部下と生存者の方が大事だ。上から何を言われようが知った事じゃないさ。そうじゃないかね?」

「まあ、確かに…」

「それに、山本一佐。あの大佐が言った事を真に受けているんじゃないだろうね。私にはどう考えても彼らが唯の連絡将校としてで来たとはおもえんがな」

「ええ、自分もそう思います。真っ先にヘリですからね。普通なら現状であそこまで拘る必要はないでしょう。何か他に目的があるような気がします」

「とにかく、誰か付けて目を離さないようにしてくれないか」

「わかりました」山本一佐はそう言うと、連隊本部に戻り若松陸将補の命令を部下に指示した。山本は窓に近づくと出発準備をしている米軍のハンヴィーを眺めた。彼はひとつ溜息をつくと帽子を脱ぎ捨て短髪の頭を手でこすった。そして、その手を顔までもってくると気合を入れるように頬を両手で叩いた。師団司令部の幕僚も殆ど死んでしまったため、山本は若松副師団長の補佐もしていた。すべきことが山積みだった。今では師団司令部と連隊本部は統合され運用されていた。おかげで司令部内はひっちゃかめっちゃかの状態だ。第35普通科連隊は、もともとこの司令部のスタッフである本部管理中隊以外に普通科4個中隊、重迫撃砲中隊、対戦車中隊を擁していたが、その殆どが壊滅状態だった。それはどこの連隊も同じなのだが…。現在は普通科中隊を3個に編成しなおし、何とか組織だった運用が出来るようにした。しかし、どの部隊も中隊と言うには程遠い状態だった。それより問題なのは士気だ。どの隊員も家族が死ぬか行方不明で精神的にまいっているのだ。それは山本一佐とて同じだった。駐屯地を掃討後すぐに隊員たちの官舎へ部隊を送り生存者の救助を行ったのだが、その少なさに愕然とした。家族を失った隊員達は泣きわめき、心的外傷で動けなくなる者が続出し、自殺者まで出る始末だった。山本もその例に漏れず、妻と息子を無くした事を知り一時は自殺まで考えた。しかし、辛うじて踏みとどまり今こうして任務を遂行している。しかし、山本の細長い目は赤く充血して晴れ上がっていた。今でも目から涙が溢れそうになるのだ。山本は隊員達の気持ちを思い、隊員の住所録からその家族の救助を最優先で行うことを若松陸将補に要請した。若松もそれを了承してくれたので、現在対戦車中隊と数機のヘリをその任に当てていたのだ。これで少なからず隊員の士気が上がってくれれば儲けものだと思った。ただ、実際悲報を受け取ることになる場合が多かったのだが…。山本は米軍のベッカム大佐がどんな理由でこの駐屯地にやってきたのか知らないが、少なからず隊員達の為になるのであれば何でもいいと思った。しかし、逆に隊員達を危険にさらすような事があれば、ただではおかないと思った。自分の命に替えて…。


ブラット・ベッカム大佐とウイリアム・ヘストン大尉が荷解きされたハンヴィーに戻るとそこにいた隊員の一人ピーター・ジェンキンス少佐が振りかえった。、

「大佐、どうでした?」ジェンキンス少佐が言った。

「思っていたより状況は厳しいな。ヘリくらい簡単に手に入ると思っていたが…。名古屋空港に行かないと無いそうだ」ベッカム大佐が言った。

「そんなくらいなら最初から名古屋空港へ降りるべきでしたね」ジェンキンス少佐が言った。

「まあ、そうもいかないからな。補給の連絡将校ということで来ているんだ。それじゃ、他意があることが丸分かりになってしまう。こうなると、やっぱりこれで行くしかないが…」ベッカム大佐はそう言うとハンヴィーを叩いた。

「そのようですね」ジェンキンス少佐が言った。

「大丈夫かね、少佐?向こうは全滅の可能性があるらしいが…」ベッカム大佐が言った。

「任せてください。これでも元グリーンベレーですよ。と言ってもいささか自信はないですが…。でもやるしかないでしょう?」ジェンキンス少佐はそう言うと残りの隊員に目配せした。隊員たちも頷いていた。

「そうだな」

「放射線探知機、衛星通信システム、救難ビーコン受信機、GPSシステム異常無しです」ハンヴィーの中から顔を出したスティックマイヤ少尉が言った。

「とにかく、私たちは名古屋空港まで行ってヘリを調達します。無事に調達する事が出来たらそのまま予定通り捜索に行きますが、もし我々が失敗したらデルタが来るまで待ってください。大佐、あとはよろしくお願いします」ジェンキンス少佐が言った。

「少佐。死ぬなよ」ベッカム大佐が言った。

「もちろんです。それじゃ、大尉。大佐を頼むぞ」ジェンキンス少佐がヘストン大尉に言った。

「わかりました。少佐、お気をつけて」ヘストン大尉はそう言うと敬礼した。ジェンキンス少佐も敬礼を返した。三人はハンヴィーに乗り込むとエンジンをかけた。助手席に乗ったジェンキンス少佐は運転席のスティックマイヤー少尉と後部銃座のネルソン軍曹に向かった。

「さて行くか。少尉、軍曹」

「いつでもいいですよ」スティックマイヤー少尉が言った。

「GPSシステム設定完了。50口径準備よし!ぶっ飛ばしましょう!」ネルソン軍曹はそう言うとM-2重機関銃のチャージングハンドルを引くと薬室に初弾を送り込んだ。

「よし、行こう!」ジェンキンス少佐はそう言うとM-16ライフルにマガジンを装填した。ハンヴィーは砂煙を上げてベッカム大佐の前から走り去って行った。その姿をベッカム大佐は最後まで見送った。

「ジェンキンス少佐は大丈夫でしょうか?」ヘストン大尉が言った。

「厳しいだろう。上手くいく可能性が少ないのに部下を送り出すのは最悪の気分だ」ベッカム大佐は眉間にしわを寄せながらそう言った。そして、かぶっていた帽子を取ると短く刈り上げたブロンドの髪をなでつけた。

土台無理な作戦なのだ。アメリカ陸軍情報部で長年勤務しているベッカム大佐は、何かにつけ問題が発生した場合、国防総省の肩書きを使って現地に赴いていた。そして、そのたびに山のような難題にぶつかる。いろいろな制限下で作戦を実行するには危険が伴うのは当然だった。しかし、危険なのと無謀なのは全く違うのだ。今回の作戦は無謀としか言いようが無かった。感染者が溢れかえっている中にハンヴィー一台でどうにかなる訳がないのだ。自分達は軍人だ。アメリカ合衆国の国民を救うためなら喜んで命を掛けよう。しかし、今回の作戦はそうではない。政府の面目を保つためなのだ。それで兵士が死ぬなんて事は馬鹿らしかった。そもそも核兵器を日本なんかに持ち込もうとするから問題が発生するのだ。そして政府の失敗のツケを若い兵士達の命で払うことになる。ベッカム大佐は理不尽で仕方がなかった。NESTのジェンキンス少佐とは以前一緒に働いた事があった。それ故、その思いが一層強かった。ジェンキンス少佐は35歳でベッカムと比べると10歳も若い。そしてネルソン軍曹はヘストン大尉と同じ30歳、スティックマイヤ少尉に至ってはまだ25歳だった。ベッカムは3人が無事に戻るよう祈った。

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