第三章①

日本東京 首相官邸


首相官邸は大混乱に陥っていた。衛星が落下した時、武田勇首相は首相官邸の二階にある執務室で、今度行われる筈だった補欠選挙の遊説スケジュールを調整する為、安藤悟官房長官と共に室内にこもっていたので運良く難を逃れていた。

武田首相は、ついさっき全国で大勢の国民が一斉に倒れた事を受け、原因の究明と救護活動を至急行うよう各部署に通達したばかりだった。しかし、今度は倒れた人々が救護活動していた人間を襲い始めたのだった。建物の外から恐ろしい悲鳴が立て続けに響いてきた。

「今度は一体何事だ?!」そう言うと武田首相は執務室から外を眺めた。ちょうどその時、外の様子を見に行っていた安藤官房長官が真っ青な顔で執務室に飛び込んできた。

「首相、大変です!倒れていた人達が起き上がってみんなを襲っています!」

「何だって?!」

「とにかくはっきりした事はわかりません。外で看護していた人たちは殆ど襲われてしまいました。SPが数名を射殺。既にこの建物は完全に封鎖してあります。それと医務室に運び込んでいた連中は閉じ込めました。今は無事だったSPが建物の出入り口と医務室を警備しています。とりあえずここにいれば安全です。ついさっきまでの話では習志野の第1空挺団から首相官邸を警護するために部隊が来る筈になっていましたが、こうなると本当に来るかどうかもわからないですね。自衛隊にも相当被害があるはずですから今頃どうなっているか…」

「小中防衛大臣は無事だったのか?」

「はい、彼は無事です。数分前、向こうから連絡がありました。今、自衛隊の各部隊と必死で連絡を取ろうとしていますが、今のところまだ状況はハッキリしていません」

「最悪だな。他の大臣との連絡はどうなっている?非常呼集をかけたのか?」

「はい、ついさっきまで何人かには連絡がついていたのですが、またこの騒ぎですから今は何とも言えません。それに依然として電話は完全に不通になっています。国会が閉幕中で殆どの議員が地元に帰っていましたから連絡を取るのは難しいと思います。今はここに残っているスタッフが全力で大臣、自衛隊の幕僚、それと警視庁など各省庁に非常回線で連絡を取るよう努力しています」

「とにかく、情報が欲しい。地下の指揮通信センターに行こう。スタッフを集めてくれ。小中防衛大臣もここに呼べそうか?」

「専用のヘリがありますからパイロットさえ無事なら来られると思います。とにかくスタッフと主要メンバーを掻き集めます」

二人は執務室から出て、建物の一番奥にあるエレベーターに向かった。そこから地下5階に降りていくと、非常時にはそこから日本全国の重要施設と連絡が取れるように設計された指揮通信センターがあった。それは元々あった危機管理センターを地下5階に移転して通信システムと情報処理システムを更にレベルアップしたものだ。もちろん今まで訓練以外では一度も使われた事はなかった。

「実際にここを使う事になるとは…」武田首相はそう言うとエレベーターのスイッチを押した。


日本愛知県守山 第10師団駐屯地


「一体、どうなっているのよ!?」森美幸三曹は顔面に恐怖の表情を浮かべながら叫んだ。

「そんな事、私にもわからないわ!とにかく彼らがこの中に入ってこられないようにしないと。美幸!早くその机を引っぱってきて!早くバリケードを作らなきゃ!」岩田恵美子三曹は彼らが部屋の中に入ってこられないよう必死にドアを押さえながら怒鳴った。外ではついさっきまで自衛隊員であり仲間だった者たちが彼女達を襲う為に中へ押し入ろうと壁やドアを叩いていた。

「わかってるわよ!」美幸は重い机を引っぱりながら怒鳴り返した。

彼女達はつい1時間程前、戸外にいた隊員たちが突如として倒れてしまった為、その救護活動をしていた。ところがその数十分後、倒れた者たちが突然起き上がり看護していた隊員たちに襲い掛かってきたのだった。彼女達はその襲撃を辛うじて交わすことが出来たのだが至る所で彼らに襲われ、命からがらこの部屋に逃げ込んだのだった。

美幸は引きずってきた机をドアに押し付けて開かないようにすると今度は部屋の奥にある本棚を運ぼうとした。机のお陰で彼らもすぐにはドアを開けることが出来なくなったので恵美子は美幸と一緒に本棚と格闘し始めた。

「皐月はどうなったのかしら?」美幸は本棚を押しながら心配そうに言った。二人と一緒に逃げていた酒井皐月三曹がここに来る途中、彼等に襲われてしまったのだ。彼女達も必死に助けようとしたのだが大勢に取り囲まれて、どうしようもなく見捨ててしまった。

「多分ダメだと思うわ。彼女、首を噛まれたもの…」恵美子は悲しそうに言った。

「何てことなの。私達どうなるのかしら」

「このままじゃ私達も皐月みたいになるわね。とにかく弾薬庫に行って武器を取ってこないと…」

「武器って?!あの人たちを撃つつもりなの?仲間なのよ!」美幸は本棚から手を離し両手を広げて怒鳴った。

「今は違うわ!さっきも見たでしょ?!皐月が襲われたのを!私たちの事も襲おうとしたじゃない!もう仲間じゃないわ!」

「それはそうだけど、私には出来ない!友達だっているんだから!」美幸は泣きそうになりながら言った。

「そんな事言っている場合じゃないでしょ?!私だって同じよ。できる事ならそんな事したくないわ!でもこのままじゃ私たちもやられちゃうのよ!それでもいいの?!」

「そんなの嫌!どうすればいいの?!」そう言って美幸は泣きだした。

「美幸、泣いている場合じゃないわ。とにかく今は早くこれを運びましょう」

美幸は頷いて涙を拭くと本棚を運ぶのを再開した。そして数分後、入り口のドアに簡単なバリケードを完成させた。それが終わると2人は、他に彼等が侵入するような所が無いか室内を見回した。この部屋には入り口が一つしかなく、窓も上部に数ヶ所あるだけで今の調子なら彼等が侵入する事は無理なようだった。部屋を確認し終わると彼女等は運び終わった本棚にもたれて座り込んだ。とにかくこれからどうするかを冷静に考える必要がある。

さらに恵美子は自分の部下の事が心配だった。中学生の頃に両親を事故で揃ってなくし、兄弟がいない恵美子にとって、高校卒業後すぐ入隊した自衛隊での部下や仲間が家族のようなものだったのだ。この事件が発生したとき、彼女達は守山駐屯地の通信大隊本部で各班長のブリーフィングがあったため部下達とは完全に別行動していた。恵美子の部下はその間、大隊の資材倉庫で無線機の修理をしている筈だった。今までの状況からすると、どうやら戸外にいた隊員達は全員やられてしまっているようだ。という事は部下達が大人しく彼女の命令通り無線機の修理をしていてくれれば最初の被害からは免れているに違いない。問題はその後の救護活動中にどうなったかだった。恐らく自分達と同じように倒れていた隊員達に襲われただろう。彼等から逃げ切ってくれているのを祈るしかなかった。とにかく、資材倉庫に行って部下達の安否を確認する必要がある。しかし、このまま出て行ったところで100メートルも行かないうちに彼らに捕まってしまうだろう。とても無事にたどり着けるとは思えなかった。

この部屋にもいずれ彼等が自分達を襲う為に侵入してくるだろうし、食料も何もないこの部屋でいつまでもじっとしていられるとは思えなかった。とにかく身を守る武器が必要だった。陸上自衛隊、第10師団の駐屯地とはいえ、当然ながらライフルや拳銃などは武器庫、弾薬庫に厳重に保管されていた。その上、訓練でいつも銃を持ってはいたものの実弾を装填した事など年に何回かの実弾射撃訓練の時くらいしかなく、18歳で自衛隊に入ってからこの9年というもの恵美子自身今まで何発撃ったのだろうという程度だった。ましてや動く人間を標的にしたこともあるはずもなく、果たしてこれで役に立つのだろうかという不安もあった。“助けが来るまでここでじっと待っていようか”一瞬弱気な考えが浮かんだ。しかし、恵美子は頭を振りその考えを払いのけた。それではいけない。自分は自衛官なのだ。仲間を助けるだけではなく、それ以上にもっと大事な事があるではないか。この悪夢はここだけで起きているのではない筈だった。となれば自分達自衛官以外に誰が一般市民を助ける事ができるのだろうか。それが自衛官としての務めなのだ。そう思うと恵美子は自分のすべき事が浮かんできた。何とかして武器を手に入れるのだ。

先ほどから銃声が聞こえ始めていた。既に実弾を手に入れた隊員がいるのだろう。もしかしたら射撃訓練で実弾を持っていたのかもしれない。いずれにしてもこの基地に無事な隊員は他にも大勢いるはずだし、皆で協力してこの難局を乗り越えなければならない。手を拱いている訳にはいかないのだ。恵美子はこの建物へ逃げ込むときにトラックが近くに止まっていた事を思い出した。

「美幸、外にトラックがあったわよね。あれに乗って弾薬庫まで行くわよ」

「恵美子、本気なの?」

「もちろんよ」

「ここにいればそのうち誰かが助けに来てくれるわ。銃声も聞こえてきたし…」

「いいこと、美幸。このままじゃダメなの。今でも他の隊員が襲われているのよ。無事な人達を助けなきゃ。幸いここからなら弾薬庫までそんなに遠くないわ。トラックならすぐよ」

「そんなの無理よ!大体どうやってトラックまで行くのよ?!」

「何言っているの!あなたも自衛官でしょ?!いくら通信大隊だといってもちゃんと訓練は積んでいるんだし大丈夫よ。さあ、武器になりそうなものを捜しましょう」恵美子はそう言って室内を捜す為に立ち上がった。美幸は、恵美子の言う事ももっともだし、いくら自分が何を言ったとしても彼女が考えを変えるとは思えなかったので、仕方なく恵美子と一緒に武器になりそうなものを捜し始めた。


アメリカ合衆国ワシントンDC ホワイトハウス


ホワイトハウスは大騒ぎになっていた。大統領執務室では統合作戦本部長のウェズリー・シェーファー大将とそのスタッフが大統領と主だった閣僚達に状況を報告していた。

「今までに全米各地から来た状況報告からするとアラスカ州以外には全く被害はないようです。もちろんハワイも無事です。現在アラスカ州には戒厳令を敷いています。州知事は当時ノームに出かけており無事だったらしく、状況掌握と治安維持に奔走している所です。しかし、主だった州軍も殆ど壊滅している状態でこちらに正規軍の派遣を求めてきています」

「はっきりした事は全くわかっていないのか?」大統領が言った。

「はい、今までにこちらへ入ってきた情報ではアラスカ州の中部から南東部にかけて壊滅の模様です。現在ジュノー、アンカレッジ、フェアバンクスからの連絡は途絶えています。西部は難を逃れているとの事で、残存の州軍を南東部方面へ派遣して治安維持と救助活動を行っています。とにかく、戸外にいた住民は何らかの病原体に汚染された模様です。そして感染した者は生存者を次々と襲っているとの事です。アラスカ州南東部では恐らく住民の半数以上はやられていると思われます。感染する時間は一瞬だったらしく室内に居たものは難を逃れているようです。したがって、相当数の生存者がいると思われるのですが、路上に居る多数の感染者の為に救助作業はあまり捗っておりません」

「と言う事はアラスカでは30万人以上がやられているということか?!」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「全く信じられん。それで救助作業はどうやって行われているんだ」大統領が言った。

「感染者の排除です」

「排除とは?」ジャクソン大統領が尋ねた。

「残念ながら、救助作業を担当している各部隊は、武器による感染者の徹底的な排除を行っています」

「まさか、それは感染者を殺しているという事か?」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「その通りです。現在それしか方法がありません」

「アメリカ国民をアメリカ軍が殺すのか?そんなバカな!」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「それでは一人ずつ捕まえて病院に隔離しろとでも言うのですか?」

「しかし、病原体に感染しているというだけで何も殺さなくてもいいだろう?!それに、ワクチンか何かで治るかもしれないのに。もし、そうなったら問題になるぞ!」

「彼らは無事な人々を襲っているのですよ。他に方法があればお伺いしたいものです」

「ちょっと待て。今はもめている場合ではない。ウェズリー大将、生存者を救助するのにそれしか方法は無いのかね」

「はい、現段階では他に方法はありません」

「そうか、わかった。生存者を救うためにはそれも仕方がないだろう」

「大統領?!そんな事をアメリカ国民や議会が納得するわけが無い!わかっているのですか?!」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「国務長官、今は非常時だ!生存者の救出を最優先にする。そして、それを妨害する者はいかなるものであろうと全て排除する。これは大統領命令だ。今後この件についての議論は一切禁止する。いいな」ジャクソン大統領は厳しい口調で言った。

「大統領…」

「ウィル、私もこんな命令など出したくは無い。しかし、これ以上犠牲者を増やすわけにはいかないんだ。他に手立てがないい以上やむおえん。わかってくれ」ジャクソン大統領は辛そうに言った。

「わかりました」

「ウェズリー大将、それで原因はわかったのか?」ジャクソン大統領は尋ねた。

「どうやら落下したロシアの衛星がその病原体をばら撒いたようなのです。それを示すように衛星の落下コースの国々で起きています」

「何だって?!となるとロシアの仕業なのか?」ウィル・デンバー国防長官が言った。

「それなら、核兵器でロシアに報復をしましょう。大統領」ベン・グッドリー補佐官が言った。

「早まるな!それは原因がハッキリするまで待つんだ。大将、ロシアの仕業とは限らんのだろう?」ジャクソン大統領が言った。

「はい、ロシア南東部にも相当数の被害が出ている模様です。偵察衛星からではウラジオストック他、数箇所のロシア軍基地や各都市にも全く同様の被害が発生している事が確認されました。これらの事から判断するとロシアの仕業とは思えません。それに、このような症状の病原体は見たことも聞いた事もありません。細菌兵器とはとても考えられません。現在各国に被害状況を問い合わせていますが、被害を受けた所は殆ど壊滅状態のようです。日本、韓国、東南アジア各国の被害は甚大だと思います。現在被害を調査しています。さらに日本近海に展開中の第7艦隊の海上艦艇数隻、及び日本、韓国の駐留アメリカ軍の一部も現在音信不通です」

「なんて事だ。とにかく各国の被害状況と駐留軍、第7艦隊の被害を至急確認してくれ」

「各国駐米大使館を通じてそれぞれの国の被害状況をを確認するように指示しました。それと現在、第7艦隊については同行していた688級(ロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦)の“シカゴ”と“サンフランシスコ”に接触させて確認を取らせています。もちろん、両艦の艦長には状況を説明して最大限に注意するよう通達しました。水上艦艇の場合、恐らく艦内にいた兵は無事だと思いますが、上甲板にいた者が全員感染しているため部屋から出るに出られず閉じ込められた状態になっているものと思われます。遅かれ早かれ各艦とも事態を収拾すれば連絡は取れるようになるとは思います。既にSEALチームを乗せたヘリが艦隊に向かっています。もちろん代替指揮官も一緒です。駐留軍についてはハワイとグァムからAWACS(早期警戒管制機)とSR―71を飛ばして偵察しています」

「そうか。わかり次第、報告を頼む。ところで、CDC(アメリカ疾病対策センター)は何と言っている?」ジャクソン大統領がウィル・デンバー国務長官に尋ねた。

「地球上の病原体ではありえないと言っています。とにかく、原因究明にはサンプルが必要だそうです。既にCDCのスタッフが軍用機で現地へ向かいました」ウィル・デンバー国務長官が言った。

「なんて事だ。結局何もわからんということか。とにかく、原因究明を急がせてくれ。ウェズリー大将、合衆国全土に戒厳令を引く。全ての州軍、正規軍に治安出動命令を出して臨戦態勢をとらせるんだ。それとアラスカに早急に部隊を派遣してくれ。恐らく、日本と韓国にも駐留軍の援護のため部隊を送る事になるだろう。大将、頼んだぞ」

「わかりました。偵察衛星、偵察機を総動員して極東アメリカ軍基地及びアラスカ州の被害状況の掌握に努めます。すでにアラスカに派遣する部隊の準備をしています。恐らく一両日中に先遣隊が出発できると思います。その他の部隊も派兵準備をします」


日本愛知県 守山第10師団駐屯地


恵美子と美幸はガラクタ置き場の中から錆びたマチェット(ジャングル刀)と、同じく錆びた手斧を探し出してドアの覗き穴から外の様子をうかがっていた。

「どうやら、少なくなったみたいね」恵美子はマチェットを右手に持ったままドアの隙間から覗きながら言った。

「そうね。でもこんな錆びた武器で大丈夫なのかしら?」美幸は手にした斧を見ながら不安そうに言った。

「仕方ないわ。これでもないよりマシよ。とにかくトラックまで行ければいいんだから。いい事、美幸。部屋から出たら思いっきりトラックまで走るのよ。彼らが襲ってきたらそれを思いっきり振り下ろすのよ。目の前にいる人がいくら知り合いでも躊躇しちゃダメよ。今では別人になっているんだから。いいわね」

「わかったわ。大丈夫。私たちは自衛官なんですものね」美幸は自分に諭すように言った。

「そうよ。それじゃ行くわよ」恵美子はそう言うと美幸が頷くのを待ってからドアを開け一気に駆け出した。美幸もそれに続いた。外には十数人がうろうろしていたが彼女達が部屋から出たのに気付くと一斉に振り向き近づいてきた。トラックまでは直線距離で約40メートル位だった。トラックと彼女達との間には4人程おり、自分達に向かって歩いてきていた。恵美子は頼むから知り合いではないようにと祈りながら走った。彼女は最初の奴に近づくと顔を見ないように目をつむってマチェットを思いっきり振り下ろした。その瞬間、ガツンと鈍い音がしてそいつは倒れた。それは、あまりの衝撃だった為、手がしびれて恵美子はもう少しでマチェットから手を離すところだった。彼女は恐る恐る目を開けて見てみると、そいつは頭にマチェットを食い込ませたまま仰向けに倒れて死んでいた。その顔は醜く歪んでいたが恵美子の記憶にはない顔だった。“知らない人でよかった”一瞬そう頭をよぎった。しかし、次は知り合いかもしれないのだ。恵美子はその思いを今は捨て去る事にした。マチェットは錆びていている為、さすがに本来の威力は無かったが、それでも頭骸骨に10センチ程食い込んでおり、すぐに外す事は出来なかった。やむおえず、彼女はその死体の肩に足をかけてマチェットを思いっきり引き抜いた。

その時、美幸が傍に駆けより「恵美子大丈夫?!」と声を掛けた。

「大丈夫、さあ急ぐのよ!」恵美子は言うと再びトラックの方へ走り出した。美幸も手斧を振り回しながら走っていた。それを見て恵美子は“美幸の事を心配する事は無いな”と思った。やはり訓練の賜物なのだろう。恵美子達は残りの奴らを倒しながら走った。出来るだけ顔を見ないように。二人は何とかトラックにたどり着いた。彼女達は車に乗り込むとやつらが入ってこないようドアにロックを掛けた。運転席側に乗り込んだ恵美子はイグニッションキーが付いたたままになっているのを見てホッとした。キーを回すとエンジンが掛かったので彼女はすかさずギアをローに入れるとクラッチを繋いだ。

「上手くいったわね。さあ、行くわよ」恵美子はトラックをスタートさせると美幸に声を掛けた。美幸は血だらけの手斧を見つめて震えながら泣いていた。戦闘服にもべったりと血がついていた。それは恵美子も同じだった。

「美幸、どうかしたの?まさか、やられたんじゃないでしょうね?!」恵美子は驚いてそう言った。

「友達だったの。さっきの人…」美幸はそう言うとまるでおぞましい物のように手斧を捨てて血だらけの手で顔を覆った。

「仕方ないのよ。忘れなさい。いいわね」恵美子も涙ぐみながらも弾薬庫に向かってトラックを走らせた。恵美子自身さっき倒した人たちの中に顔見知りがいたような気がする。しかし、恵美子はそれを考えないようにした。今でもトラックではね飛ばしている人たちの顔は見ないようにしているのだ。もし、知り合いとわかったならばハンドルを切ってよけてしまうかもしれない。今はそんな事をしている場合ではないのだ。恵美子はこれからの事が不安だった。銃と弾薬を手に入れたとしても友達や知り合いに対して引き金を引けるのだろうか?しかし、引かねばなるまい。でないと自分達がやられてしまうのだから…。


アメリカ合衆国ワシントンDC ワシントン・ダラス空港


リチャード・ドーソンはワシントンダラス空港の待合室でイライラしながらソファーに座っていた。彼は本来なら数時間前に乗るはずだったユナイデッド航空アンカレッジ行き411便への搭乗手続きが再開されるのを待っていた。

“現在、当空港の管制システムにトラブルが発生したため、全てのフライトが出来なくなっております。大変申しわけありませんが、詳しい事がわかり次第お知らせいたしますので暫らくお待ちください”とアナウンスがあり搭乗手続きが中断されてから、もうかれこれ3時間以上もこの鬱陶しい待合室で缶詰状態になっていたのだった。

そもそも、このイライラはこの暑苦しい待合室に押し込められている事でも、3時間待たされていることでもなかった。彼にとってはタバコが吸えないことがイライラの原因なのだ。リチャード・ドーソンは普段から、かなりのヘビースモーカーで一日マールボロを3箱吸う事はざらだった。しかし、不思議な事に仕事中は何時間タバコを吸わなくても平気なのにも関わらず、何故かしら仕事が終わると途端にへビースモーカーに逆戻りしてしまうのが常だった。彼は仕事柄、研究会や政府の機関、民間企業など年間数十箇所に移動する必要があった。その都度、気楽にタバコが吸えるように少々遠くても出来る限りレンタカーを借りて移動していた。ところが、彼の移動先は全米に渡っており、とても車で移動する事が無理な場合もしばしばあった。その為、遠方の場合はやむなく列車や飛行機などいろいろな交通機関を使った。

リチャードは、その中でも飛行機での移動は大嫌いだった。何故なら飛行機の中は全て禁煙になっているし、空港の中でもどこもかしこも禁煙になっており、喫煙所を見つけるのも至難の業だったからだ。今日もリチャードは空港に着いた途端あちこち駆けずり回りやっと見つけた喫煙所でたらふくタバコを吹かした。ところが、それから色々とごたごたがあり、あっちこっち駆けずり回って問題を解決したと思ったらこの待合室だ。彼はもう5時間以上もタバコを吸っていなかった。今となっては禁断症状が出て手足が震えてくるのではないのかと思えるくらいだった。

「全くいつまで待たせるんだ。どうせ、酔っ払ったパイロットが滑走路から脱輪でもやらかしたのが関の山だ。あんまり格好が悪いから管制塔のトラブルってことにしているのが落ちだろう。これだから潰れそうな航空会社の飛行機に乗るのは嫌なんだ」リチャードはそう呟きながらテーブルを指で弾いていた。隣に座っていた年配の婦人がそれを見てリチャードに話し掛けた。

「お若い方、あんまりイライラしちゃいけませんよ。物事なるようにしかならないものです」

「えっ、まあそうですね」リチャ―ドは突然話し掛けられてビックリした。

「あなたが焦った所で飛行機が飛ぶわけではないですから。あなたはお仕事でアラスカに行かれるのですか?」

「ええ、そうです。ちょっとした集まりがありましてね」

「そうですか。それは大変ですね。私は孫に会いに行くんですよ」婦人は嬉しそうにいった。

「それは楽しみですね。私とは大違いだ」

「ええ。この間、電話で孫が私の事をおばあちゃんって初めて呼んでくれたんですよ」

「それじゃ、かわいくてしょうがないですね」

「ええ、そうなんです。随分前から会うのが楽しみにしているんですよ。でも飛行機がいくら遅れたらからといって会えなくなる訳じゃないですからね」

「そうですね。私もそう思う事にします。少しは気持ちが落ちつきましたよ。ありがとうございます」

「いいえ、お役に立てて光栄ですわ」

リチャ―ド・ド―ソンは政府の研究所でマイクロ波による新しい通信手段の研究をしていた。数日前、彼らが実験中のマイクロ波通信機の性能テストで指向性マイクロ波が80メートルもある分厚い岩盤を通りぬけ反対側の受信機に無事送信された。今回はそのデータを持ってアラスカ州アンカレッジで開かれるマイクロ波研究会でこのデータを発表する事になっていたのだった。その研究会には全米のマイクロ波についてのエキスパートが集まる事になっていた。彼と一緒に研究しているワトキンス博士、プライス教授、それに多くの同僚達も一足先にアラスカに行っていたのだった。しかし、研究所の主任研究員だったリチャードだけは、突然ペンタゴン(アメリカ国防総省)に呼び出されて、彼が発表する筈だった内容について色々制約させられた。

そもそも、彼の所属するフィラデルフィア・マイクロ波研究所は政府に100パーセント出資してもらっている為、それに関して文句も言えず、やむなく発表する内容を書き直した。散々すったもんだした挙句、やっとのことで政府の役人から許可がおりたのが10時間前の事だった。それから慌ててペンタゴンを飛び出しワシントン・ダラス空港に駆け込んだのだが結局このありさまだった。

“本来なら今頃はアンカレッジの豪華ホテルでパーティーの真っ最中のはずなのに、何で俺はこんな厄介な所に押し込められていないといけないんだ”リチャードはついさっきまでそう思っていた。しかし、隣の老婦人との何気ないおしゃべりのお陰でイライラがほんの少しだがおさまったような気がした。

その時突然、ワシントン・ダラス空港の空港長のアナウンスが響きわたった。

「私はワシントン・ダラス空港、空港長ウイリアム・オースチンです。緊急連絡を致します。たった今、ダニエル・ジャクソン合衆国大統領からアメリカ全土に戒厳令が発令されました。このため今後合衆国政府からの指示があるまで全米の民間航空機の運行は一切中止になります。更に、現在飛行中の航空機は全て最寄りの空港に着陸する事になります。したがって、本日、当空港より離陸予定の航空機は全便欠航になりますのでご了承ください。これは、アラスカ州に原因不明の伝染病が発生した事による緊急措置だという事です。アラスカ州の被害は深刻であり、かなりの数の感染者がいる模様で、この状況がハッキリし、事態が終息に向かうまではアラスカ州への立ち入りは禁止になるという事です。念のため申しますが、これは他国からの戦争行為ではありませんし、その他の州では伝染病の発症は確認されておりませんのでご安心下さい。戒厳令は本日午後2時をもって施行されます。それ以降は一切外出禁止になりますのでご注意ください。ご自宅の近い方は至急戻られるようお勧めします。くり返します…」

「何てこった!アラスカに伝染病…。プライス教授やワトキンス博士は大丈夫だろうか?」リチャードはそう呟くと、今にも震えだしそうな手で上着のポケットからマールボロを取り出した。彼は一本タバコを引っ張り出すと口にくわえ火をつけた。だが、禁煙だという事に気付いて指先でタバコの火を消した。しかし、彼がタバコを吸ったとしても今の状況では誰も文句を言うとは思えなかった。あたりを見回すと今まであちこちでたあいもない会話をしていた人たちは既にいなくなり、待合室の大型テレビに人だかりが出来ていてみんなニュースを見ていた。室内にいる何人もが携帯電話に向かって大声を張り上げていたがどうやら全く繋がらないようだった。おそらく回線がパンクしているのだろう。

リチャードはアラスカにいる同僚の安否が心配だったが、その反面、自分自身が不可抗力だったとはいえアラスカにいなくてすんだ事を神に感謝した。リチャードは隣にいた老婦人の様子をうかがった。彼女は前かがみになり小さな声で何か呟いていた。

「アンジェリーナ、アンジェリーナ…」彼女はそう言いながらすすり泣いていた。それは恐らく孫の名前だろう。

「おばあさん、大丈夫ですよ。お孫さんはきっと無事ですから」リチャードはそう言いながら老婦人の肩を抱いた。

「そうですね。きっと大丈夫だわ」

「そうですとも。きっと会えますよ」

「ありがとう…」婦人は肩を震わせながらそう言った。

リチャードはそれ以上その老婦人にかける言葉を見つけることが出来なかった。彼は暫らくその婦人に寄り添っていたが彼女に一言声かけてその場を立ち去った。“いずれにしても、自分にしてやれる事は何もないのだから”リチャードはそう自分に言い聞かせた。それに、そのむせび泣く老婦人の姿が、彼には彼自身の事を心配してくれている人がいることを思い出させたのだった。

「とにかく家に戻ろう。妻が心配しているだろうから…」リチャードはそう言うと急いで待合室から飛び出しカウンターに預けた荷物もそのままで空港をあとにした。


日本東京 首相官邸


武田首相は数人のスタッフと共に指揮通信センターで各省庁からの情報を集めていた。だが、各部門とも大半の職員がやられていて情報らしいものは殆どないに等しかった。連絡が取れたとしても殆どの人がパニックを起こしており助けを求めるだけであとは支離滅裂だったのだ。しかし、断片的に入って来る内容はとても信じがたく、武田首相は、このままでは日本が崩壊してしまうのではないかと危惧した。

「安藤君、治安維持と救助活動に自衛隊を出動させなねばならん。小中防衛大臣は何と言っている?」

「彼の話では陸上、海上、航空とも約半数近くの部隊と連絡が取れていないそうです。連絡が取れた部隊にしても今現在はパニック状態で隊内の事態収拾で追われています。とても治安維持や救助活動どころじゃないでしょう。統合幕僚監部の将官も殆どやられているようで組織しなおすのにしばらく時間がかかるとのことです。」

「他の閣僚はどうだ?」

「小中防衛大臣以外で今現在連絡が取れているのは伊藤外務大臣、渡邊財務大臣、川瀬法務大臣の3人だけです。あとの閣僚は恐らくやられているものと思われます」

「たった3人?なんて事だ。とにかく緊急閣僚会議を開きたい。国家安全保障会議もだ。大至急メンバーをここに集めてくれ」

「そんなむちゃな。殆ど生き残っていないんですよ。仮に生きていたとしてもここに来ることができる状況ではないでしょう。それなのにどうやって閣僚会議を開くって言うんですか?現在、各省庁と連絡を取っているんですが、幹部が殆どやられていてまったく埒があきません」

「それはわかっている。とにかく急いで対策を立てないといけないんだ。生きている、死んでいるという事は別にして、連絡の取れない部署は、わかる奴なら誰でも良いから代理を立てさせてくれ。無理は承知だ」

「はい、わかりました」そう言うと安藤は部屋を飛び出した。

「なんて事だ。政府は全く機能していないという事か」武田首相はそう言うとため息をついた。その時、警備についていたSPの一人が近づいてきた。

「首相、陸上自衛隊、第1空挺団の隊員が来ていますが」

「ここにか?!すぐ通せ!」

「はい、わかりました」SPはそう言うと指揮通信センターの入り口の方へ向かった。暫らくすると戦闘服を着た自衛隊員と一緒に戻ってきた。その自衛隊員は武田首相に敬礼すると自己紹介をした。

「自分は習志野の第1空挺団、普通科群の野村一尉です」

「よく来られたな?無事だったのか?」

「はい、我々は緊急展開部隊なので室内に待機していたため、最初の被害からは逃れる事が出来ました。その後、自分の班はすぐに出動命令が出たので隊内の救護活動をせずに駐屯地を出発したのです。今思えばそのお陰でやられずにすんだようなものです。現在、部下が本隊と無線で連絡を取ろうとしているのですが全く応答がありません」

「そうか、君達も本隊と連絡は取れていないのか。ここまでは何で来たのかね。ヘリか?」

「はい、ヘリ2機で16名の部下と一緒にきました。現在、部下達は首相官邸の敷地内の掃討作戦を実行しております。これはすぐ終了すると思われます。部下が数名襲われたため、自分の独断で襲撃してくる者は射殺しておりますが…」

「やむおえまい。隊員と無事な人間の安全確保を第1にしてくれ」

「わかりました。しかし、首相、あれは一体どうなっているのですか?」

「私にもわからんよ。とにかく、日本中がこんな調子なのは間違いない。君達の他に基地を出発した部隊はあるのか?」

「はい、都庁とNHKにそれぞれ一班ずつがヘリで向かったはずです。しかし、今はどうなっているかは不明です」

「そうか。それだけか。君達の部隊では最初の被害はどれくらいだったのかね?」

「自分は、すぐ出発したので良くわかりませんが、かなりの数の隊員がやられていたようです。恐らく当初の被害は全隊員の半分以上だと思います。ヘリに向かう時に倒れた隊員が辺り一面にいましたから。当時、無事だった隊員は殆ど全員が救護活動に従事していました。もし、その倒れた隊員が救護していた隊員を襲い始めたとしたら…」

「相当な被害になっているということか」

「はい、そう思われます」野村一尉は悲しそうに言った。

「わかった。君達はこのまま首相官邸の警護をしてくれないか?この指揮通信センターを臨時の司令部にする。君の部下の通信担当者をここに詰めさせてくれないか?ここ方が通信設備も整っているからやりやすいだろう。それから君達には他の閣僚や自衛隊の幹部との連絡がつき次第、ヘリで救助に行ってもらうことになるかもしれん」

「わかりました。それも踏まえて準備しておきます」野村一尉は敬礼すると部屋から出て行った。武田首相は、そのうしろ姿を見ながら“自衛隊が救護活動と治安維持に出動出きるようになるまでには相当な時間がかかりそうだな”と思った。

首相はアメリカ合衆国大統領と電話で会談した。この事態は世界規模で起きており特にインド、中国、ロシア、韓国、台湾、東南アジア各国、そして日本に被害が集中している事を知り唖然とした。

「何はともあれ、武田首相が無事でなによりです。わが国はアラスカ州が被害に遭いましたが他の州では殆ど被害がありませんでした。そちらは、どのような状況ですか」ジャクソン大統領が言った。

「殆ど日本全国で被害が発生しています。現在自衛隊に治安維持出動をさせようとしていますが、各駐屯地との連絡が途絶え状況がつかみきれておりません。今迄でわかっている事を総合すると非常に厳しい状態だと思われます。自衛隊にも相当数の被害があるようですから。現在状況掌握に全力をあげていますが、恐らく現状の自衛隊だけではわが国の治安維持と救助活動するのは不可能と思われます。大統領。そちらも被害に遭われ大変でしょうが日本に部隊を送っていただけませんか?」

「わかりました。いずれにしても、駐留アメリカ軍の援護の必要がありますからこちらもそのつもりでいました。しかし、当面わが国に於いてもアラスカ州に甚大な被害が予想されますので、至急送るにしても2個師団がせいぜいだと思われます。ですが、医療品、食料、武器弾薬はそちらの受け入れ準備が出来次第早急に送ります。詳細はまた決めさせていただきます」

「ありがとうございます。それではよろしくお願いします。何か新しいことがわかり次第こちらから連絡させていただきます」

「わかりました。こちらも同様に情報をお知らせしましょう」

「よろしくお願いします」武田はそう言うと受話器を置いた。

首相は合衆国大統領との電話会談後すぐさま非常事態宣言をし、全国に戒厳令を発令した。また、新たに連絡がとれた閣僚や自衛隊の幹部を指揮通信センターに集める為に野村一尉の部隊をヘリで派遣した。そして数時間後、緊急閣僚会議を開いていた。閣僚会議とは言ってもほとんど壊滅状態で生き残っていたのは三分の一程しかなく、急遽代理をたてが課長程度の者しか出席出来ない部署もあるというありさまだった。

首相は集まったスタッフの顔ぶれを見ていかに被害が大きいかを実感した。しかし、彼は各省庁のスタッフに対してすぐさま原因の究明と被害の規模、犠牲者の数を大至急調査するよう指示し、警察、自衛隊に各部隊内の事態収拾が出来次第、治安維持と救助活動に出動させるよう求めた。特に医療機関とメディアは最優先に確保するように言った。本来であれば非常事態の場合には取り決めがあり優先順位は決まっていたのでそこまで指示する必要は無かったのだが、この状況下ではどう考えても簡単にいくとは思えなかったのだ。

小中防衛大臣は陸上、海上、航空の各自衛隊の被害が余りに大きい事にショックを受けていた。これでは首相からの要望にとても応える事が出来そうに無いのだ。統合幕僚監部の幕僚達は言うに及ばず、各基地、各方面体の幕僚、各師団司令部、もちろん自衛隊員たちの中でも大勢が犠牲になっており大混乱をきたしていた。その想像を絶する恐ろしい現実は首相官邸の中ではわからなかった。


日本愛知県 守山第10師団駐屯地


恵美子達の乗ったトラックが弾薬庫に近づくにつれライフルの射撃音と爆発音が大きくなってきた。どうやら他にも彼女達と同じように武器弾薬を取りに来た隊員がいるようだった。

弾薬庫は、周りをスチール製のフェンスで囲まれており、建物へ向かうにはメインゲートが唯一の入り口だった。恵美子は、まずメインゲートを目指してトラックを走らせた。

弾薬庫の正面に当たる西側口の前は、大型トラックが数台止められるよう広いスペースが確保されており、建物の両サイドは反対にある東側口へトラックが行けるよう舗装道路が完備されていた。その大きな敷地を取り囲むように設置されたフェンスの上部には有刺鉄線が三重に巻かれており、とうてい人間が侵入する事は不可能だと思われていた。しかし、そんな障害など物ともせず、奴らがよじ登っている。だが、守備隊によって射殺されたと思われる人間が折り重なるように有刺鉄線にぶら下がっていた。

メインゲートは既に突破されているようで、大勢の人間が我先にという勢いで犇き合っている。そして、ゲートから侵入した奴らは弾薬庫の西側口に向かって押し寄せていた。とても、そこから中へ入る事は出来そうになかった。仮に、ゲートから中へ入る事が出来たとしても、まともに守備隊の火線に入ってしまい、自分達も撃たれてしまう事だろう。弾薬庫正面の西側口には、メインゲートに向けられていると思われる幾つかのライフルの発射炎らしきものが見て取れた。その上爆発もあちこちで起きている。手榴弾かグレネードランチャーから発射される40ミリ榴弾が炸裂しているのだろう。

恵美子は、メインゲートを迂回して奴らがたむろしているフェンスへトラックごと突っ込む事にした。守備隊はトラックが近づいているのは既にわかっているだろうし、運転しているのが奴らではないことは理解してくれている筈だ。そう祈るしかなかった。それでも撃たれる可能性はあるが、今となってはそれに賭けるしかない。

恵美子は、出来るだけ奴らの数が少ない場所を見つけると、大きくハンドルを切り真正面にフェンスを捉えるよう運転した。そして、人だかりに突っ込む前に思いっきりアクセルを踏み込んだ。いくら73式大型トラックとはいえ、これだけの人数の中に突っ込むのだ。おまけにフェンスを突き破る必要がある。かなりの勢いがないと無理であろう。ましてや、あの集団の中に止まってしまったら絶体絶命だった。

恵美子がアクセルを踏み込むとトラックはスピードを上げていった。そして、衝撃と共に人だかりの中に突っ込むと何人かを踏み潰しながら進んでいった。ひっくり返りそうになりながらもトラックは何とか集団とフェンスを突き抜けて弾薬庫の入り口までたどり着いた。そこではライフルを構えた隊員がビックリした表情で彼女達を見ていた。恵美子達は手を上げ攻撃の意思がないことを明らかにすると、相手がライフルの銃口を下ろすまでそのままじっとしていた。その隊員は恵美子達を確認すると急いでトラックから降りるように促した。

正面入り口付近では20人くらいの隊員がミニミ機関銃と89式自動小銃、さらにはM79グレネードランチャーを間髪無しに射撃し続けており、辺りには物凄い炸裂音が鳴り響いていた。恵美子達は急いでトラックから降りて建物入り口に向かった。その時、建物の中から数人の隊員が武器を抱えて飛び出して来た。彼らは射撃しながら彼女達の方へ近づいて来ると、いきなり恵美子と美幸に89式自動小銃と弾薬箱を手渡した。その隊員のうち一人は恵美子がよく知っている普通科連隊の大野二尉だった。彼とは演習で何度か一緒だった事がある。

「岩田三曹、無事だったか!えらく派出な登場だな!とにかく、おまえ達はここから奴らが近づかないようにしてくれ!トラックでぶっ壊したフェンスから大勢入ってきているからな!」大野二尉が近づいてくる奴らを指差しながら怒鳴るように喋った。かなりの大声だったが、あちこちで轟いている銃声のため聞き取りにくい。さらに手榴弾の爆発音がたて続けに鳴り響いていた。

「わかりました!」恵美子達は頻繁に鳴り響く爆発音に少し首を縮めながらそう叫ぶと、さっき渡された89式自動小銃を構えて訓練通り射撃を開始した。彼らの顔を見ないように…。しかし、恵美子がいくら弾を撃ち込んでも奴らは倒れる事はなかった。“確かに当たっている筈なのに実弾じゃないのかしら”恵美子はそう思い射撃をやめて銃の確認をした。

「岩田三曹!頭か心臓を狙うんだ。それ以外に当たっても倒せん!奴らはもう人間じゃないんだ。顔見知りだからといって躊躇するな!やられるぞ、わかったな!」

「はい、わかりました」恵美子は大声でそう答えるとライフルのセレクタースイッチを単発に切り替え、彼等の頭に狙いを定めて正確に射撃をした。

大野は、恵美子達が射撃を再開したのを確認すると、今度は後ろを振り返り他の隊員達へ、たて続けに指示した。

「おい、松山士長!こっちにM79をもってこい!手榴弾もだ!それと建物の東側を誰かに見に行かせてくれ!」大野二尉がそう怒鳴ると松山士長は頷いて誰かに東側を見に行かせた。そして、近くに置いてあった木箱の中からM79グレネードランチャーと弾薬ケースを幾つか持ってやって来た。松山士長はまだ23、4歳くらいだが頼りになりそうだった。見てくれは歴戦の勇士のようにも見える。

「小隊長、何処をやりましょう?!」松山士長はグレネードランチャーに40ミリ溜弾を込めながら言った。

「壊れたフェンスの所だ!建物を壊すなよ!」大野二尉は指を差して怒鳴った。

「任せてください」松山士長は狙いを定めると引き金を引いた。ポンと乾いた音がすると溜弾が山なりに飛んで大野二尉が言った通りのところに落ちて爆発した。その瞬間に10人程が吹き飛び、そのうち数人がバラバラになった。

「よし、よくやった。暫らくここを頼む。あの警戒線から絶対中に入れるな!」

「了解」松山士長はそう言うと更に1発発射した。

「その調子だ。頼むぞ!」大野は松山士長に声を掛けて建物の中に戻っていった。

恵美子は溜弾で吹き飛ばされた奴らが再び起き上がってこちらに向かってくるのを見て、あまりの事に驚き射撃をやめた。腕がない者やはらわたを飛びださせた者が歩いてくるのだ。中には片足が吹き飛ばされて無くなっているにもかかわらず這いずりながら向かってくる者もいた。

「何てこと、また歩き出したわ」恵美子は吐き気を覚えた。隣では美幸が既に吐いていた。

「三曹、頭が無事だと奴らを止める事が出来ないんです。おまけに、奴らに噛まれると仲間にされてしまう」松山士長は次弾を込めながら言った。

「まさか!?」恵美子は目を丸くした。

「ほんとです。それで大勢やられましたから」

「厄介ね。美幸、大丈夫?!」恵美子は吐き気を押さえながら大声で言った。

「何とかね。でも、なかなか当たらないわ!」美幸は新しいマガジンに取り替えながら言った。

「訓練通りやればいいのよ」

「そうね、わかったわ」

「三曹、手榴弾です。近い奴は自分のM79では無理ですからこれを使ってください」松山士長が数個の手榴弾を恵美子に手渡しながら言った。恵美子はそれを受け取るとじっくり見た。“自衛隊に入って何年だか経つけど訓練ではいつも模擬弾で本物は1度しか触ったことがないわ。何てことかしら”そんな思いが一瞬頭をよぎった。しかし、恵美子はそんな考えを振り払うと訓練通り手榴弾の安全ピンを抜き、奴らに向けて放り投げた。

「みんな伏せて!」恵美子はそう言って腹ばいになった。みんなそれに倣った。暫らくすると大きな爆発音と共に衝撃が襲った。そして、破片やら肉片やらが頭の上から降り注いできた。恵美子はすぐさまライフルを構えると倒れた奴らが立ち上がるところを正確に頭を狙って射撃した。恵美子達はそれを何度かくり返した。


アメリカ合衆国ワシントンDC ホワイトハウス


大統領執務室でジャクソン大統領とベン・グッドリー国家安全保障問題担当補佐官が派兵問題で話し合っていた。

「大統領。また、大盤振る舞いですね。日本に2個師団も送るなんて約束して大丈夫ですか?派兵する前にアラスカが完全に制圧できていればいいですが、状況的に言って難しいんじゃないでしょうか。そうなると議会がうるさいですよ」ベン・グドリー補佐官が言った。

「やむおえんだろう。駐留アメリカ軍の事もあるしな。いずれにしても知らん顔はできないだろう」

「それはそうですが…。1個旅団位でお茶を濁しておいた方が無難じゃないでしょうか?それくらい送れば在日米軍基地ぐらい何とか収拾できると思います。それに、韓国にも部隊を送らなければならなくなるでしょうから、その場合同規模でないと何かと都合が悪いでしょう。費用の面からして議会を納得させるのは至難の業だと思います。ただでさえ、アラスカでの被害は莫大な金額になるはずですから。それに、何といっても今回の派兵はアメリカにとって国益になるとは思えません。韓国は北朝鮮との問題があるので仕方がないとして、日本に至っては資源も利権も何もないですから経済も生産力も壊滅した今となっては何の魅力もないでしょう」

「確かにそうだな。今となっては日本の国力は石器時代に逆戻りしたようなものだ」

「その通りです。現段階では国家として成り立ってもいないでしょう」

「だが、アメリカ合衆国が同盟国から助けを求められた時に蔑ろにしていたとなってはNATO諸国やその他の同盟国から顰蹙を買う可能性があるからな。太っ腹のところを見せておかないといかんだろう。それに、君は日本には資源も何もないと言ったがそれは違うぞ。韓国にしても同じだが、確かに両国とも人的被害は壊滅状態だ。しかし、工業施設や各種データに関してはそれほど破壊されてはいないだろう。我々が部隊を送る事によってそれらを全て接収する事も可能だ。最終的にはそれぞれの国が復興すれば返す事になるだろうが、それまでは我々アメリカ合衆国が使用する事ができる。そう思わんか?」

「そんな事を両国が了承するでしょうか?」

「そのために恩を売るんだよ」

「確かに、今の彼らが払える代価はそんな事くらいしかないですが…」

「いずれにしても、国連が災害派遣の要請をしてくる筈だ。その前にこちらの方から先に既成事実を作っておいた方がいいだろう」

「それはそうですが…。しかし、日本と韓国の犠牲者の数はわが国のアラスカに比べると雲泥の差ですよ。日本だけでも恐らく少なく見積もっても4000万人からの感染者がいるでしょう。その制圧に本格的に介入するとなると半端なことではありません。これで派兵したアメリカ兵に大勢の死者でも出たら次の大統領選挙は厳しくなると思いますよ。兵士の家族が黙っちゃいないですから」

「議会の方は駐留アメリカ軍の救援の一環だとか何とか言って説き伏せるとして、問題はそこだな。既にアラスカでアメリカ人がたくさん死んでいるし、今でも増えつづけているんだ。派兵先でアメリカ兵の死者は出さんようにしないとな。統合作戦本部長と相談するとしよう」

「わかりました。呼んで来ます」補佐官はそう言うと大統領執務室から出て行った。

「しかし、そんなに上手くいくとは思えんが…。難題山ずみだな」ジャクソン大統領は独り言を言った。


日本愛知県 守山第10師団駐屯地


「いかん、東側が破られそうだ!」大野二尉が射撃をしながらやって来た。彼は恵美子達の真後ろに座ると新しいマガジンをライフルに装填した。

「どこから入ってきたんですか?!」恵美子が言った。

「奴ら、フェンスに引っかかっている死体の山を乗り越えて入ってきやがった!松山士長、応援に行ってくれ!」大野二尉がそう言うと松山士長は頷いて走っていった。

「三曹、君達だけで大丈夫か?!」

「はい、大丈夫です。二尉、私たちが乗ってきたトラックを使ったらどうですか?!あれにミニミを乗せて外から攻撃すれば奴らを分散する事が出来ると思います」恵美子が使い終わったマガジンをライフルから外しながら言った。

「いいアイデアだ」大野二尉はそう言うと近くでミニミ機関銃を撃っていた隊員に向かって怒鳴った。

「宮田一曹、予備の弾帯を持ってこっちに来てくれ!」

ミニミ機関銃を撃っていた隊員が射撃しながらやって来た。

宮田一曹は巨漢で、いかにも陸上自衛隊員だという感じのタイプだ。この風体では町で会ってもけんかを売る気にはならないだろう。ただでさえ重いミニミ機関銃を射撃の反動も物ともせず立ったまま撃ちまくっていた。

「宮田一曹、その機関銃をあのトラックに載せて東側に回ってくれないか?破られそうなんだ!もう一人いないか?運転手が要る」

「今はチョッと無理ですね。何処も一杯一杯です」宮田一曹は射撃しながら言った。

「くそっ、誰か引っ張ってくる」大野二尉はそう言うと立ち上がった。

「ニ尉、自分が運転します!」恵美子は咄嗟にそう言った。

その声を聞いて大野は立ち止まった。

「危険だぞ!」

「何処でも一緒ですよ。そこを破られたら終わりなんでしょう?!捜している暇はないはずです」

「よし、わかった。気をつけてな!2人とも頼むぞ!」

「わかりました!」恵美子はそう言うと心配そうにしている美幸をチラッと見た。

「ここは俺がカバーする。彼女の事は心配するな」

「お願いします」恵美子はそう言うと宮田一曹と共にトラックに乗り込んだ。宮田は荷台に乗りミニミ機関銃のニ脚を出して屋根に据えつけた。そして、自分自身がトラックから振り落とされないようにカラビナでベルトとトラックとを固定した。

「よし準備完了だ。三曹、出してくれ。全速だ!」宮田一曹はそう言うとトラックの屋根を叩き合図した。恵美子はその合図でギアをバックに入れ方向転換すると思いっきりアクセルを踏んだ。

「一曹、落ちないで下さいよ!」

「俺の事は心配しなくていい。奴らを思いっきりはね飛ばせ!」

「わかりました!」恵美子はどんどんスピードを上げると宮田の言う通りに奴らをはね飛ばしながら弾薬庫の東側に向かってトラックを走らせた。荷台では宮田がミニミを射撃しながら必死でトラックにしがみ付いていた。トラックが建物の東側に到着するとその入り口付近では大勢の奴らが寄ってたかって弾薬庫のドアを開けようとしている所だった。

「岩田三曹、トラックを絶対止めるな!囲まれたら終わりだ!」

「了解!」恵美子はそう言うと入り口に向かってトラックを走らせた。宮田は荷台から相変わらず必死に射撃を続けていた。入り口付近でたむろしていた奴らのなかにはトラックが近づいたのに気付き建物に入ろうとするのをやめた者達もいた。そして今度はトラックに向かって彼らは歩き出した。“よし、上手くいった”恵美子は心の中でそう思った。

恵美子は東側入り口に近づいたり離れたりと円を描くようにトラックを運転していた。この東側口の前も西側と同様、広いスペースが確保されており、運転には支障がない。だが、目の前に立ちはだかる奴らを跳ね飛ばしながらの運転だった。奴らを跳ねるたびにトラックに衝撃が走る。恵美子は運転しているというよりハンドルにしがみ付いていると言ったほうが正解だろう。トラックを止めないようにするのが精一杯だった。

宮田はトラックが建物に近づくたびに自分達に近寄ってくる奴らと弾薬庫のドアを開けようとしている奴らの両方相手にしないといけないので大忙しだった。暫らくすると入り口付近の奴らも以前に比べ数が減ってきたため建物内からの攻撃もかなり優位になり始めたようだった。扉を少し開けてそこから射撃を始めた隊員もいた。それを見て宮田は「作戦成功だ!」と叫んだ。

ちょうどその時、トラックが大きな音と共に振動した。タイヤがバーストしたのだった。恵美子は突然ハンドルが暴れだしたので慌ててトラックを安定させようと全身を使って押さえ込んだ。しかし、円を描いて運転をしていた上、スピードも出ていた為、とても制御する事など出来るはずがなかった。トラックはタイヤのバーストと共にあらぬ方向へと走って行った。恵美子はブレーキを思いっきり踏んだが間に合わず建物の横に建っていた鉄骨の支柱に激突してしまった。

恵美子は一瞬何が起こったかわからずにいた。幸いハンドルにしがみ付いていた為、フロントガラスから飛び出す事だけは免れた。宮田もカラビナでトラックに身体を固定していたお陰で放り出される事はなかった。しかし、宮田は思いっきりトラックの荷台に身体をぶつけて気を失ってしまった。恵美子は朦朧としている意識をハッキリさせる為に頭を振った。そして、このままでは奴等に取り囲まれると思いトラックを動かす為にイグニッションキーを回してエンジンを掛けようとした。しかし、何度やってもエンジンは掛からなかった。

「宮田一曹、エンジンが掛かりません!」恵美子はそう叫んだが宮田から返事はなかった。恵美子は心配になり宮田の安否を確認する為に窓から身体をのりだして後ろを覗いた。荷台では宮田がぐったりしていた。

「宮田一曹!」恵美子はそう叫ぶと彼の様子を見るためトラックから降りようとした。しかし、既にトラックのドアの所まで奴らが迫ってきていた。とてもドアをあけることが出来なかった。それどころか彼女自身、奴らに捕まりそうになっていたのだ。

恵美子は急いで反対側の窓から這い出し窓枠に足を掛けて屋根に上がった。その瞬間、恵美子は足首をつかまれ思いっきり引っぱられた。ビックリして見てみると、恐ろしい顔をした男が彼女の足を噛み付こうと顔を近づけてくる所だった。彼女は慌てて身体を捻ると、もう一方の足で噛み付こうとしている奴の顔を思いっきり蹴りつけた。間一髪だった。辛うじてそいつをトラックから蹴り落とすと彼女は飛び込むように荷台に転がり込んだ。

「宮田一曹、大丈夫ですか?!」恵美子はそう言って宮田の体を揺すった。宮田は気が付いたようで一度唸り声をあげた。彼はぶつけた所を押さえながら自分で立ち上がろうとした。その時、後ろの方でギシッと音がした。恵美子は振り返り音のする方を見た。それは男がトラックの荷台によじ登ってこようとしている所だった。恵美子は慌てて宮田の首からぶら下がっているミニミ機関銃をひったくるとそいつに向けて引き金を引いた。その瞬間、荷台に上がろうとしていた男の頭が粉々に砕け散った。それはまるでスローモーションを見ているようだった。弾が当たるごとに頭が小さな肉片に分解していく。その肉片も飛び散りながら更に細かい肉片になっていった。5.56ミリの小さな弾丸でも至近距離から何発も当たると凄い破壊力なのだ。首から上が完全に消失した男はそのまま後ろに倒れこんだ。その光景を見て恵美子は驚いて座り込んでしまった。気持ち悪いというより恐怖が先に立った。その射撃音で意識がハッキリしたのか宮田は座り込んでいる恵美子からミニミを奪い取るとトラックの周りに集まっているやつらに向かって連射し始めた。彼はまださっきの衝突の影響で頭の中はくもの巣が張っているようにボンヤリするし、身体もフラフラするがそんな事を言っている場合ではなかった。

「岩田、急げ!おまえも撃つんだ!物凄い数だ、やられるぞ!」宮田一曹は叫んだ。恵美子はその声に我に返った。彼女は首を振ると脳裏に焼きついた先ほどの光景を振り払った。そして、急いで立ち上がると89式自動小銃を構えて射撃し始めた。

トラックの周囲にはかなりの人数が取り囲んでおり、いくら機関銃があるとはいえ、とても手におえる数ではなかった。しかし、弾薬庫の入り口付近には未だに相当数の奴らがひしめいており、守備隊は入り口を守るのが精一杯で自分達を援護しに来てくれる余裕があるはずもなく、この連中は何とか自分達で始末をするしかない。2人はトラックにあがろうとしている奴らを順番に倒したが、いくら撃っても次から次にのぼって来るのでキリがなかった。

「宮田一曹、多すぎます!」恵美子はマガジンを取り替えながら叫んだ。

「泣言を言うな!とにかくがんばれ!」宮田一曹はそう叫んだ。しかし、彼は今の切迫した状況を見る限りでは“いずれ弾がなくなったら終わりだな”と思った。それも、もうじきだった。恵美子の予備マガジンは1個しかないし宮田のミニミもあと100発も残っていない。5分も持てばいいほうだった。

“ここまでか”2人が覚悟し始めた時、突然大きなエンジン音と共に重機関銃の射撃音が聞こえてきた。それと同時にトラックの近くにいた奴らが次々と吹き飛んでいった。2人ともライフルの射撃をしながら大きな音のする方向を見ると数台の96式装輪装甲車がブロ―ニングM-2重機関銃を射撃しながらやってくるのが見えた。いつもはズングリムックリで不恰好だと思っていた装甲車が、まるで白馬の騎士のように思える。2人はお互い目を合わせてこれで助かったと思った。

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