第14話 残り少なくなる~親子の時間

 国産ヴィンテージ車の中でビカイチの人気車種であるGT‐Rを有したスカイラインは、もともと日産自動車のクルマではなく、プリンス自動車の高級車だった。その時代の日本は自動車メーカーが現在の3倍くらいあり、高度経済成長が落ち着いてきた昭和40年前後にメーカーの統廃合が繰り返され、ダットサントラックが看板車種だった日産にはなかった高級ファミリーカーのスカイラインとその乗用車技術を得るべくプリンス自動車を吸収合併。商用トラックから派生したブルーバードよりも遥かに時代を先取ったスカイラインを作ったプリンスの技術力は後にブルーバードSSSで生かされ、より潤沢な開発資金を得た日産の中のプリンスチームは日本グランプリレースに勝てるスカイラインGTを開発。それは当時4気筒1500㏄用だったスカイラインのボンネットを伸ばして上級車グロリアの6気筒2000㏄G7型エンジンを詰め込み、しかもウェーバー製のツインチョークキャブレターで思いきりパワーアップされたエンジンで当時のポルシェに追いつくスピードを可能にしていた。そのエンジンを市販車用に仕立てたスカイラインをGT‐Bとして、グロリア用のおとなしい6気筒エンジンのまま乗せたスカイラインをGT‐Aとして発売。レースのイメージもあって大人気となったスカイラインGT(当時の若者たちは「スカG」と呼んだらしい)の歴史はそこから始まった。

 箱スカとして知られる次の「愛のスカイライン」シリーズで名車GT‐Rが誕生。レース専用のグランプリカーである日産R380用のGR8型エンジンは1気筒4バルブ×6気筒の24バルブを誇る高性能ツインカム、これにウェーバー製キャブで220馬力のところを市販車用にS20型に改良され160馬力に抑えて搭載。このエンジンはスカイライン史上で最も人気を博したケンとメリー(通称ケンメリ・CMイメージ)シリーズに受け継がれたが、当時の公害対策に適合できず生産中止。約4年ごとに繰り返されるフルモデルチェンジで7代目までGT‐Rの復活はなかった。

 ようやく1990年、R32型として土台からフルモデルチェンジされた8代目スカイラインは世界で戦えるレーシングマシンとしてGT‐Rを蘇らせた。ポルシェ・ターボにも対抗できるパワーとAWD(全輪駆動)システムで超高速ゾーンでも絶対的安定性を誇るスーパーマシンとなり、以降R33型、R34型に受け継がれた。GT‐Rを可能にしたその堅牢なボディー剛性は「R」ではない標準のスカイラインにも生かされて、古くから超高速のアウトバーンで鍛えられたメルセデス(ベンツ)やBMWなどのセダン型のスポーツ車に肩を並べる安定性で輸入車好きな自動車評論家をも唸らせた…。

 勤務多忙により肩こりがひどくなっていた史矢は、そんなGT-Rの600馬力バージョンも登場するプレステゲーム「グランツーリスモ」から遠ざかっていたが、その間に麻矢が上達しており、タイムアタックでも歯が立たなくなっていた。

 ゲームをしながら、会社での出来事や会議で熊田専務と説明したヴィンテージGT-Rことを麻矢に話しながら遊んだ夜のこと。

「オトさん、力みすぎ~、そんなに力入れても曲がれないよ」

「わかってんたせけど、ついつい、アタタ、肩いってぇ~」

「GT-Rが凄いクルマなのはわかったから、もっと最短距離のコース取りしないとタイムは削れないよ」

「AWDのGT-Rがスープラに負けるわけないのに。でもなあ、こうやって親子で遊べるのもあと何回かなって」

「もしも現役で東京藝大に受かったら、そんな感じになるねえ」

「おっ、現役で受かる気か、大和先輩でも一浪したのに。まあ、そのへんは中学の時から変わらんなあ、根拠のない自信というか」

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