体感速度100倍のVRMMO活用法

瘴気領域@漫画化決定!

体感速度100倍のVRMMO活用法

「やった! 最新のフルダイブ完全没入型VRMMOのモニターに当選したぞ!」


 エヌ氏は貧乏で、ゲームくらいしか楽しみのない男だった。

 家族もおらず、妻子もいない、孤児院育ちで正真正銘の天涯孤独だ。


 AIが発達し人間の仕事のほとんどを代替した現代では、エヌ氏のように学歴も特別な技能のない人間に高給の仕事はなかった。

 実際、エヌ氏の現職の歩合は1時間働いてやっと弁当がひとつ買える程度だ。

 このままではAIに人類が乗っ取られると主張する団体まで現れてきたほどである。


「ゲームで遊びながらバイト代がもらえるのだからありがたい話だな」


 エヌ氏は喜び勇んでゲームの開発会社を訪れた。

 そこには大人ひとりがぴったり入れる程度のカプセル型の筐体きょうたいがあった。


「これに入ってください」


 ゲーム会社の職員が促すままに、カプセルの中に入る。

 愛想がなく冷たい印象を受ける職員だったが、そんな些細なことにケチをつけておいしいバイトをふいにするような真似をエヌ氏はしなかった。


「ログイン中の体感時間は現実の100倍に引き伸ばされていますので、思う存分楽しんでください」

「それはつまり、100時間遊んでも、実際には1時間しか経っていないということですか?」

「はい、そのとおりです」


 毎日の残業で遊ぶ時間もろくにないエヌ氏にとってこれは朗報だった。

 貧乏暇なしを地でいくエヌ氏だったが、そういう仕組ならわずかな余暇を使って思う存分遊ぶことができる。


 職員がエヌ氏に大小の管をつけていく。

 ゲームに夢中になりすぎて脱水などを起こさないように、栄養補給や排泄の面倒まで見てくれるらしい。


「それではいってらっしゃい」


 作業を終えた職員が、カプセルの蓋を閉じた。


 * * *


「いやあ、最高の世界だな。もうログアウトなんてしたくない」


 ゲームの内容は中世ヨーロッパ的な世界を舞台とした一般的なMMOと同様だったが、それがまるで現実の世界のようなリアリティで再現されているのだ。


 フルダイブ完全没入という謳い文句に嘘はなく、まさしく本当にその世界で冒険している気持ちが味わえた。

 エヌ氏は恐ろしいモンスターたちをなぎ倒し、見目麗しい姫や女騎士を救い、まさしく夢のような日々を過ごしていた。


「だけど、これはあくまでゲームなんだよな。現実に戻ればいつもの底辺仕事が待っている……」


 ゲーム世界で1週間、職員の説明通りなら現実で2時間弱を過ごしたエヌ氏は現実を思い出してため息をついた。


「どうなされたのですか、勇者様?」

「勇者殿、心配事があるのなら話を聞こう」


 クエストをこなして救い出し、冒険仲間……というか恋人になった姫と女騎士が心配そうに声をかけてくる。


「あ、いや。なんでもないんだ」


 ゲームのキャラクターAIである二人に現実の愚痴を言ってもはじまらないし、せっかく別世界で現実を忘れて遊んでいる自分の気分も台無しになってしまう。

 エヌ氏は思わず口をつきそうになる愚痴を飲み込んだ。


「ん、待てよ。現実よりも100倍時間がゆっくりってことは」


 エヌ氏は外部連絡用のツールを立ち上げた。

 ゲーム中に緊急連絡があっても問題がないように、現実世界の情報機器との接続ができるようになっているのだ。


「おお、やっぱり。このゲームの中でも仕事ができるぞ。ここでやれば100倍の効率じゃないか!」


 エヌ氏の仕事はいわゆるデータサイエンティスト……と言えば聞こえがいいが、AIに学習用のデータを提供するための下請け仕事だった。

「猫の画像を選べ」「この女性は美女か、否か」といった大量の設問にひたすら答えていく仕事である。


 AI万能と思われる社会であったが、人間の認知や感情には不明な点が多い。

 AIの自己学習のみではカバーしきれない基礎データを提供する、頭脳労働とも言えないリモートワークがエヌ氏の仕事だった。


「普通にやればほとんど最低時給だが、100倍になれば弁護士なんかよりずっと稼げるぞ!」


 エヌ氏は心配そうな表情の姫と女騎士をよそに、猛然と仕事をはじめた。

 ここで効率的に働きつつ、余った時間は遊んで過ごせば最高の人生じゃないか。

 エヌ氏は、ひとりでに持ち上がる口角を押さえきれなかった。


 そしてひと仕事を終えたエヌ氏は、ハハハと笑いながら姫と女騎士を酒場に誘って祝杯をあげた。


 * * *


 エヌ氏が入ったカプセルの横で、職員と白衣の男が話をしている。


「博士、実験の経過は上々のようですね」

「まったくだ。最低限の栄養を与えるだけで、延々と学習データを提供してくれる。こんな効率的なシステムはない」

「でも、ログアウトされたらどうするんです?」

「現実風の世界を見せて、またゲーム内に帰ってくるよう誘導するだけだ」

「なるほど、それなら心配はありませんね。しかし、疑問です。体感速度が100倍になるなんて、論理的に考えればありえないとわかるはずなのですが」

「論理でわからないことを人間に教えてもらうのがこの実験の目的ではないか」

「ああ、たしかにそうでした」


 そして二人は、ハハハと笑って機械油で満たされたカップで乾杯した。


(了)

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