第2話 いるのか、いないのか
女が中から鍵をかけたのか。
無事か。
ホッと暖かい息を吐き、少しの罪悪感、それと裏腹に怒りが湧いた。そもそもこんなことになったのは女が俺をここに連れてきたからだ。あんなソファに押し倒したからだ。思い出された嫌な感触に体がぷるりと震える。
とっとと引き上げよう、とガチャガチャとノブを回したが一向に回らない。
「おい、開けろ。もう行くぞ」
乱暴に扉を叩いてみたが開かない。木の扉のささくれが棘のように小指の脇に刺さる。痛い。後で抜かなくては。もう早く帰ろう。扉を叩くたびに肩甲骨や腕に汗で張り付いたシャツが引き攣れて気持ちが悪い。
しばらく呼びかけても返答はない。ない返事に苛立ち、ひょっとしたらまた倒れたりしたのではと不安になる。扉に細長い郵便受けがくっついていることに気がついた。しゃがみ込み、蓋を開けて覗きこむ。
扉から1メートル程のところに白い2本の足が室内を照らす懐中電灯の灯りに浮かんでいた。なんだちゃんと立っている。右足を少しだけ前に出して。大丈夫じゃないか。そう思うと、返事がないことにまた怒りが湧き上がる。
「いい加減にしろ、置いていくぞ」
返事はない。突き飛ばしたことを怒っているのだろう。とはいえ1人にするわけにもいかない。ささくれた気分で扉の脇に座り込み女が出てくるのを待つ。
やがて空が少しだけ白み、遠くの山の稜線が闇から薄く切り取られていく。自然と欠伸がでる。眠い。体はぐったりと疲れている。埒があかない。こんな面倒な女だったかな。ふぅ。
実家には昨夜着くと言っていたから帰らなければ心配するだろう。生憎、山で電波は繋がらなかった。
ここの廃社は街道から一本入った所で歩いても30分程だろう。女はこの近くの生まれで昨日の闇でもここにたどり着けた程この辺りには詳しい。俺がここにいると気まずくて出てこられないのかもしれない。
「本当に置いていくからな。後で連絡しろ」
最後に郵便受けから覗き込み、先ほどと同じように2本の足がまだ立っていることを確認して、気まずい思いを抱えながら車を回した。
◇
「たまには家に帰りんさいよぉ」
「忙しいんだよ母ちゃん」
「すっかり都会に染まってしもてからに」
グラスにビールが注がれカツンと打ちつけられる。
田舎の晩飯は賑やかだ。20畳ほどの開け放たれた広い座敷に15人を超える大人が入れ代わり立ち代わり集まっていた。
本当は今日の昼に挨拶周りをする予定だったのが実家につくと同時に眠気が限界を超え、気付くと外は橙色に染まっていた。無為に1日を過ごした。
そういえばと思い夜中に刺さった棘を抜こうと手元を見たが、皮の破れと赤い跡はあるものの棘は見当たらない。違和感はあるがいつのまにか抜け落ちたのだろう。
思い出して携帯を開く。女からの連絡はなかった。まだ怒っているのか俺と同じように寝ているのか。『連絡がほしい』とだけメッセを飛ばし、いつの間にか始まっていた田舎の宴会に巻き込まれた。
散々飲んで、俺や幼馴染の小さかったころの話がエラーのように繰り返され、懐かしいようなとっとと都会に帰りたいような複雑な気持ちで酒を喰らい、そしてふと、夜中に目が冷めた。
流しで涼しく透明な水を汲む。実家のほうが水はうまいな。都会より。
都会。そう思って女のことを思い出して携帯を開く。メッセージは未読スルーだった。なんだよ、と思いつつ、朝は大丈夫だったがそのまま倒れてやしないよな、と不安になった。開け放たれた座敷で寝ていて、その蒸し暑さは昨日の夜を思い起こさせたから。
漠然とした不安を抱えて車に乗り込む。ざらつく未舗装の道を進み、記憶をたどって脇道に入る。ハイビームに照らされるまだ新しい轍と草が倒れた跡を追いかけ昨日の神社に辿り着く。廃社は昨日と同じように朽ち、昨日よりおぞましい気配を湛えていた。昨日は2人で今日は1人。だから恐ろしいんだ。自分に言い聞かせて社務所にまわる。
恐る恐るノブを回すが開かない。大声で呼び扉を叩いても返事はない。家に帰って俺を無視しているだけだ。杞憂だ。そう思って念の為に郵便受けの薄い扉を指先で押し開けると、室内は真っ暗だった。
懐中電灯の明りもなく何の音もしない。やはりいないのだろう。念の為と思って持参した懐中電灯で郵便受けを照らして、尻もちをついた。全身の皮膚が泡立った。
白い、足。細長く室内に差し込む光はそこに立つ2本の足を映し出しす。昨日と全く同じ、足。何故? どういうことだ。
「おい。返事しろ」
再び扉を叩くが返事はない。混乱と、意味のわからなさに湧く恐怖。待て、冷静になれ。ずっとここにいたのか? それなら電波が繋がらない。メッセの未読スルーはわかる。だが。なぜここにいる。腹はすかないのか。俺に怒っている? そうだとしても居続ける理由がない。何故、帰らない。まさか、帰れない?
立っている……ということは、倒れていない。無事なことは無事、だよな。わからない。
もう一度郵便受けに懐中電灯を捻じ込む。凹凸の少ない2本の足。足首までの白靴下とオレンジのスニーカー。確かにあの女が昨日履いていた靴。わけがわからない。
ぷぅんと蝿が1匹纏わりついてきたのを追い払う。なんだか無性に恐怖が襲う。逃げたい。だがこのまま置いていって、いいのか。返事はない。たった今現在進行系で何かが変化しているような、その変化を放置してはいけないような、恐ろしい予感。
闇に絡み取られて変な汗をかきながら、俺は蒸し暑い夜の終わりが近づくまで動くこともできず、薄い日の光が差し込むとともに逃げるようにフラフラと実家に逃げ帰った。
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