溶けて崩れ落ちるまで(短編Ver)

Tempp @ぷかぷか

第1話 あの熱い夏の夜

 今年は土日のつながりが良く、会社で5日間盆休みが取れた。高校の同窓会の葉書が届いたから、随分久しぶりに田舎に帰ることにした。

 俺の田舎はいわゆる農村だ。隣家に行くにも車が必須。娯楽は何もない。

 だから東京に出て5年も経つと自然と足が遠のく。

 

 金曜に仕事を終えて軽く飯を食い、車を滑らせた。助手席には女が乗っている。梅雨の前にSNSで知り合った女でこれまで3度会った。

 妙に印象に残らない女。本名は知らない。少し暗い空気を纏うその女の気怠げな様子はじとじととした梅雨によく合う。お互いのことは何も話さず手持ち無沙汰に飯を食い、夜を過ごした。そんな薄い付き合いが気楽でちょうどよかった。


 最後に会った時帰省の話になった。女の郷里は俺の田舎の少し手前で、車で帰ると言えば途中まで乗せてほしいと続く。女も随分長く帰っていないらしい。


 夜景を後ろに1時間も高速に乗ればすっかり山に囲まれ星灯りと高速の照明灯を除いて全てが闇に落ちた。思えばここから長い闇が始まっていた。

 俺も女も言葉数が多い方ではない。既に話題も尽き、パーソナリティのどこか遠い声を聞きながら車体の僅かな振動が体に気怠く伝わるのを感じていた。あと1時間ほどで女の郷里だ。そう思っているとふいに隣から声が聞こえた。


「あのさ、高速降りたとこに廃墟があるんだ。探検しない?」

「廃墟? 構わないけど」

「ありがと。行ってみたかったんだ」


 女の示す廃墟は小高い丘を登ったところにある神社だそうだ。街道から脇道に入り真っ暗な道をハイビームで切り裂きながら進む。やがて道は高い草に埋もれ、どこに進めば良いかわからなくなった。

 仕方なく女の指示に従い道なき道を木々の合間を潜り抜けゆるゆると進む。本当にそんな場所があるのかと不安に思う頃、漸く『ここだよ』という女の声が聞こえた。


 ざざりと車を止めてドアを開けて冷房の効いた車内から出ると、突然田舎の夜が現れた。

 ずんと体にまとわりつく湿度と熱気に忘れていた汗がシャツを濡らし、濃い草の香りに頭はくらくらと揺らす。耳にはブォーと唸る牛蛙の音とリィリィと掠れる虫の声。五感に訴えるどこか原初的な暑さに思わず喉が鳴る。

 そういえば田舎というのはこうだったな。

 都会のキラキラしいけれどどこか薄い空気との差。その違和感に、俺の生活の場所はすっかり都会に移ったんだなと感じた。


 車に備え付けの懐中電灯を片手に草を踏み歩くと、ぼろぼろになった神社が現れる。石碑に神社の名前が刻まれているのだろうが、蔦に巻かれて1番上の『伊』の字が辛うじて読めるくらいだ。とうの昔に訪れるものも無いのだろう。屋根の一部は崩れ、木の壁は所々大きく穴が空き、社の内側が見えていた。内側は既に半ば藪と化し、古く壊れた畳を突き破って竹が生えている。欄干も落ち、外回廊にも穴が空く。


「随分古そうで、危なそうだ」

「そうだね、中は危険かも」


 それでもせっかく来たのだから、と女は賽銭箱の裏の階段をそろりと上り、正面の戸を開け放つ。不意にその奥から乾いた土のような匂いと獣臭い匂いが漂って思わず顔を顰めた。

 女が懐中電灯で照らしても奥には何も見えず、ただただ闇が横たわっていた。

 

「危ないから行こうぜ?」

「もうちょっとだけ」


 仕方なく女の後をついて社を一周する。思ったほど広くない。おかしいな。さっきはまるで地の底に繋がるような深くて広い闇を感じたのに。

 探検の終着点には社務所があった。モルタルがポロポロと剥がれ落ちていたが建物の形として残っている。女は何の気なしにノブを回すとカチリという音とともにギギィと扉はその奥に開かれた。カビ臭い。振り回される懐中電灯にパイプ椅子と事務机、応接セットが照らされる。机にに懐中電灯を置く。


「ねぇ」

「悪趣味だぞ」


 そうは言いつつも女と闇の中で唇を軽く合わせる。そうすると夏特有の茹だるような蒸し暑さとともにその湿った腔内から少しばかりの腐りかけた果物のような香りが漂う。少し怯んだ俺を女はソファに押し倒す。思っていた張りや弾力はなく湿った土の中にずぶずぶと押し込められるような気持ち悪い感触があり、それに慄き飛びあがろうとして見上げた女の顔は、机に置かれた懐中電灯にちょうど照らされ、やけに美しく且つ恐ろしく映った。


「一緒に死んで?」


 その声とともにソファの内側がぞわぞわと蠢き出し、体はその隙間に埋もれるようにずぶりと土の中に沈んだ。意味がわからず頭の中で原因を探る。放置された廃屋。ソファは蟲の巣になっている? まさか。恐怖。思わず女を突き飛ばし、荒い息で逃げ起きた。


「冗談やめろよ」


 けれども女は答えなかった。空気の止まった室内に煩いほどの牛蛙と蟲の声だけが響き渡る。


「おい?」


 床に倒れた女に触れると妙に湿った感触がして、その後鉄錆のような匂いが漂う。急いで懐中電灯で照らすと女の頭部の黒い床がてらりと濡れている。


 ひぃぁ


 喉から変な音が出て、思わず社務所から飛び出した。

 あれは、血?

 俺が女を突き飛ばした。どこかに頭を打ちつけた?

 手が震えた。

 俺が殺したのか?

 でも1番恐ろしかったのは、濡れた床の上で照らされた青白い唇が動いてにやりと笑ったことだ。その顔の歪みが何より恐ろしかった。

 けれどそこで少し冷静になる。顔が動いたということは生きている。ほっとした。そうすると急に不安が湧き起こる。助けないと。介抱しないと。そう思って社務所を振り返ると、カチリという音がした。ノブを回してももう開かなかった。

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