突撃! 恋愛マナー講師アカネちゃん

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突撃! 恋愛マナー講師アカネちゃん

 これは3年ほど前の話。

 僕がまだ、まともに社会というものを経験していなくて、大学生をしていた頃の話だ。


 僕には好きな人がいた。同じゼミの同級生で、名前をみさきと言った。みんなは気軽に「みさきちゃん」なんて呼んでいたけれど、僕にはそれが気恥ずかしくって、ずっと「高町さん」と呼んでいた。


 みさきちゃんは小柄で、真っ黒なロングヘアがきれいで、いつもころころと笑っていた。ちょっと子供っぽいところもあったけれど、そういう無邪気なところも含めて僕はすっかり大好きになってしまっていたんだ。


 3年前の僕は、そのみさきちゃんと鴨川沿いの土手を歩いている。月が綺麗な夜のことだった。


 定番のデートスポットで、普段ならカップルでいっぱいらしい。でも、最近はなぜか人気ひとけがすっかりないそうなのだ。


 就職の決まった僕は、明日には東京へたなければならなかった。本当ならもっと前に行くべきだったのだけれど、みさきちゃんのことが心残りでぎりぎりまでぐずぐずしていたのだ。


 でも、そのおかげでみさきちゃんをデートを誘い出すことに成功した。優柔不断というのも時には役立つものらしい。


「こ、今夜は月が綺麗ですね」

「うん? そうだね。こんなに月がくっきり見えるのはめずらしいかも」


 声を震わせながら必死で絞り出した言葉に、みさきちゃんの反応は淡白だった。


 あれ? ひょっとして意味が通じてない? これはかの文豪夏目漱石が言ったという「あなたを愛してます」なんだけど……。


 ――ピッピッピッピッピーーーーーッ!!


 ホイッスルの音が夜の静謐せいひつを鋭く引き裂いた。え、え、一体なに?


「はーい! こんばんわー! 毎度おなじみ恋愛マナー講師アカネちゃんですー。いまのなに? 『月が綺麗ですね』って、そんなんでわかる女子はいませーん! ざんねーん!」


 夜の闇を引き裂いて現れたのは上下をビシッとしたスーツで決めたひっつめ髪の女だった。ホイッスルをくわえながら器用にまくし立てている。


「そもそもですねー。夏目漱石が『I love you』を『月が綺麗ですね』って訳したというのはまるきり出典不明の都市伝説なんですねー。いまどきこんなセリフをイキって使うのは情弱極まりないとしか言いようがないんですよー」


 うっわー、こいつ腹立つな。つか、それって都市伝説だったの? 「告白の台詞」とかで検索したら結構上位に出てきたんだけど。


「はーい、ブッブッブッブーーーッ! ネットで軽く検索してヒットする情報なんてデマだらけなんですー。ちゃんとねー、一次情報までたどって真偽を確かめないとこうやってすぐだまされちゃうんですねー。それ以前にですねえ、自分の気持ちを伝えようっていうのに、コピペの言葉でどうするんですか? そういうマニュアル思考がですねえ、女子にはすぐ伝わっちゃって、あー、こいつイマイチ本気度低いなーってなっちゃうんですよー」


 うっ、いちいち言い方はかんさわるけれど、内容はもっともだ。僕はたしかに借り物の言葉で彼女に想いを伝えようとしていた。


「そーいうわけでー、一気に思いのたけをぶつけましょう! って言ってもまあ実際難しいわけで。ちょっと練習を挟んでみましょう」


 練習?


「まずはストレート編ですね。『あなたが好きです!』。はい、リピートアフターミー」

「あ、あなたが好きです……?」

「腹から声が出てませんねえ。はい、もう一回。『あなたが好きです!』」

「あなたが好きですっ!」

「ふむー、ちょっとはマシになりましたね。次行きましょう。『あなたを愛してます!』」

「あなたを愛してますッ!」

「おっ、だいぶ調子が出てきましたね。ではそろそろバリエーションを増やしましょう。『あなたがー、しゅきだから!』」

「あなたがー! しゅきだからッ!!」

「おおー、その調子その調子。続けていきましょう。『ぼくは死にましぇーん!!』」

「ぼくは……死にましぇーーーーーーーん!!!!」

「おおおお、今度は溜めが素晴らしいですねえ。ガンガンいきましょう。頭から繰り返しますね。『あなたが好きです!』」

「あなたが好きですッ!」

「あなたを愛してます!」

「あなたを愛してますッッ!!」

「あなたがー、しゅきだから!」

「あなたがーッ、しゅきだからッッッ!!!」

「ぼくは死にましぇーん!!」

「ぼくはッ……死にましぇーーーーーーーん!!!!」

「一万年と二「やめろッ!」

「えっ。なんで?」

「歌詞はな、JASRACに刺されるんだよ」

「えっ、大手のブログとかってたいてい包括契約してて投稿者が歌詞を多少引用しても大丈夫なはずなんだけど?」

「なろうはその契約をしてねえんだよッ! ネタを思いついたのに使えなかった作者の悔しさを思えッ!」

「うっわー、なろうって大手っぽかったけど、考えたら上場もしてないし、コンプラ面は案外ガタガタなのかなあ」


 ああ、もう、すっかり話が逸れてしまった。そんなことはどうでもいいんだ。思いっきり大声を出したら勇気が湧いてきた。


 今度こそ、自分の言葉でみさきちゃんに僕の想いを伝えるんだ。


「みさきちゃん! はじめて会ったときから君のことが好きでした! どうか、僕の恋人になってください!!」


 腰を90度に曲げて頭を下げ、手を差し出す。大昔のテレビ番組みたいでしまらないけど、これがいまの僕にできる精一杯だ。カッコつけた告白なんて、そもそも僕のガラじゃなかったんだと思う。


 頭を下げたまま、じっと待つ。


 返事はない。


 手のひらに、脇の下に冷や汗がにじみ出てくる。


 恐る恐る顔を上げてみると……あれ? 誰もいない??


 周囲をキョロキョロと見渡してみるが、みさきちゃんの姿はどこにもなかった。視線をうろちょろとさせていると、スマホの着信音が鳴った。メッセージアプリに何か届いたらしい。


『なんかお邪魔虫っぽいから、先に帰るね(ハート)』


 * * *


 これが僕の3年前の甘酸っぱい……というか、甘苦い恋の思い出だ。後からわかったことだが、あの謎のアカネちゃんとかいうやつが出てきたせいで、鴨川のデートスポットは閑散としていたらしい。


 えっ、結局失恋話なのかって? そうそう結論を急がないでくれ。


 あの後、僕はみさきちゃんの住むアパートの前まで行って、一晩中愛の言葉を叫んでいたんだ。近所迷惑とか、ストーカーと間違えられるとか、そんなことは一切考えられず、一晩中叫び続けたんだ。


 そしたら翌朝、寝ぼけ眼をこすりながら出てきたみさきちゃんが「何やってんのよ」と呆れながら部屋に迎え入れてくれた。熟睡していて、僕の叫びの大半は聞いていなかったそうだ。


 そしていま、こうして昔の思い出を書き連ねている僕の後ろで、みさきちゃんは今日もだらだらと昼寝を貪っている。

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