第8話 妖コンサートin横浜大さん橋〈三〉

 横浜港大さん橋国際客船ターミナル、通称大さん橋の送迎デッキは、24時間無料で開放されている。天然芝の緑地とウッドデッキで仕上げられたこの広場は、客船の送迎に留まらず市民や観光客の憩いの場としての役割も果たしており、夜間には夜景を目当てに訪れる人も少なくない。

 そして、怪異や妖たちもまた、大さん橋に集うことを好んでいた。

 元々は小さな漁村が存在するだけだったこの地は、今や国際港湾都市と称されるまでに発展している。幕末の開港と同時に文明の波が濁流のように押し寄せ、はるか海の彼方からやってきたいくつもの異文化が坩堝のように入り混じる、横浜の街。そんな場所にひそめく怪異や妖たちが新し物好きであるのは、むしろ当然のことだと言えるだろう。

 全長約430mの、木と草が敷き詰められた思いっ切り走り回れる構造物が海に向かって突き出す形で現れたとなれば、無邪気で遊び好きな妖たちが飛びつかない訳が無い。さすがに日中は自重しているものの、真夜中ともなれば人ならざるモノたちの遊び場のような様相を呈しているというのが、大さん橋の実態だった。

 午前2時を少し過ぎた頃。まりかとカナは、送迎デッキの入口に立っていた。

 まりかの服装は、伊豆大島のときとほぼ同じである。赤みがかった橙色の上衣とショートパンツに、紺色の手甲と脚絆、地下足袋。肩までのストレートヘアは、少しだけ後れ毛を出してひとつにまとめてから〈夕霧〉を挿している。

 今回はそれに加えて、漆黒のとんびコートを羽織っていた。右手にはフルートが収納されたハードケースを提げている。今回は妖たちの宴でフルートを演奏するだけなので、袂をたすき掛けにする戦闘態勢はとっていない。

 カナは、例によって腰布1枚の姿だった。まりかは、好きな格好で外出できて上機嫌な人魚を横目で見ながら、やれやれと小さく首を振る。

 そもそも、カナを宴に連れてくるつもりは無かったのだ。それが家を出る直前になって、急に自分も行きたいと言い出した。しかも、昼間のダウンコートは二度と着ないとの宣言付きで。

 いくら真夜中で人通りが無いとはいえ裸同然の格好で外に出すわけにはいかないと主張したものの、あまりにしつこく食い下がるため、やむを得ず折れ、誰にも見られぬよう祈りながら急ぎ足でここまで連れてきたというのが今回の経緯である。

「ふむ。ここは既に幽世かくりよじゃな」

 カナはそう言うや否や本来の人魚の姿に戻り、その場で直立して気持ち良さそうに伸びをした。二足歩行での生活に不自由しているようには見えなかったが、やはりこの姿の方がリラックスできるのだろう。

「では、行くかの」

 まるで招待されたのは自分だと言わんばかりの態度でそう言うと、その場でふわりと浮かび、下半身をゆったりと波打たせながら進み出した。そんなカナの言動にすっかり慣れてしまったまりかは、特に何も言うことはせず大人しく後に続く。

(そういえば、人魚の姿を見るのは伊豆大島のとき以来ね)

 だんだんと濃くなる幽世の甘じょっぱい匂いを吸込みながら、まりかは斜め前方をたゆたうカナの外見を改めて観察してみる。

 上半身は人間で、下半身は多分クジラ。多分というのは、本人にイルカなのかクジラなのかと訊ねたら、くだらない質問と一蹴されてしまった故の表現である。実際、イルカとクジラは同じクジラ目に属する生き物であるため、この場合は人間側が細かすぎるのだろう。そういうわけで、ここはクジラの下半身ということで納得することにしている。

 臍から上の人間部分は、せいぜい10歳のくらいの華奢な子供の姿。緩やかな曲線を描く青色の入れ墨が首から下の全身を覆い、小ぶりな耳をチェーンのピアス、ほっそりとした首を金色のチョーカーが飾り立てている。ちなみに、ピアスが珊瑚で、チョーカーに嵌められているのが翡翠であるというのは、出会った初日にカナ自らが教えてくれた情報である。

 軽いウェーブのかかった真っ白な髪が、カナの動きに合わせて海藻のようにゆるゆると背中で揺れている。

 その長い髪に見え隠れする細い背中を眺めながら、彼女は本当に何者なのだろうかと、まりかは改めて考えてみる。

 本人の主張をそのまま信じるならば、どうやら真の姿というものが他にあるらしい。ならば何故、今は幼子のような姿で過ごしているのか。

 最も肝心とも言えるその疑問を、まりかは未だカナにぶつけていない。出会ってたったの数日、しかも関係もそれほど良好とは言えない中、そのような踏み込んだ質問はすべきではないと考えているからだ。それに、カナの性格を考えると、そのうち自発的に語ってくれるだろうとも感じている。

 送迎デッキを中ほどまで進んだところで、宴の会場らしき明かりがぼんやりと見えてきた。鬼火でも使っているのか、炎に照らされたような色合いをしている。

 24時間開放されているとはいえ、深夜2時ともなれば訪れる人間は少ない。わざわざ術を用いて結界を張らなくても、大勢の怪異や妖たちが密集することにより、そこは自然と彼らの領域、すなわち幽世へと変化する。そうなると、怪異に鈍感な人間でも無意識に避けるようになるし、怪異に敏感な人間なら尚更近づかない。多少の霊力を持つ人間が今現在の大さん橋を遠くから眺めた場合、薄らぼんやりとした霧がかかっているように見えることだろう。

 まりかは足を速めてカナの隣に並ぶと、頭を寄せて囁いた。

「小さな妖たちが、気の置けない仲間同士で楽しんでるのよ。くれぐれも場を乱すようなことはしないでよね」

 小さくとも鋭い声できっちりと釘を刺す。

「ふん、まあ良い。今宵は無礼講ということで許してやろう」

 カナが偉そうに、そして上機嫌に答えた。

「本当に頼むわよ」

 念押ししつつも、どうやら今回は大きなトラブルを起こさずに済みそうだと、少し安心する。とはいえ、服を着ないで街に出るという公序良俗を侵す行為が良い結果を生み出しつつあることに対して、複雑な心境を覚えるのも事実である。

 ちなみに、これに関しては既に別の手を打ってある。カナの体質に対するまりかの推測が正しければ、昼間のダウンコートよりも遥かに良い結果が出るに違いない。

 そんなことを考えながら歩いていると、ふいに、明かりの中から小さな影が飛び出てくるのが見えた。そのままこちらに向かって走ってくる。まりかとカナは、同時に歩みを止めた。

「どうしたの、おじさん」

「おお、まりかよ」

 影の正体は、まりかを宴に招いた猩々しょうじょうだった。猩々が困惑した様子でまりかを見上げる。顔の半分が赤い髪に覆われてはいるが、ちょっとした仕草や声の調子などから感情を読み取るのは、さほど難しいことではない。

「それが、ちと困ったことになってのう」

 明かりの方を見ながら、ボリボリと頭を掻く。

 まりかは、すぐそこに迫った宴会場の明かりに目を向けた。言われてみれば、確かに何やらザワついている。

「何か問題でも起こったの?」

「それなんじゃがの」

 猩々が、再びまりかを見た。

「果たして、まりかを巻き込んで良いものかと、迷うとるんじゃて」

 まりかを妖同士の問題に関わらせることへの躊躇いと、まりかならば解決してくれるのではないかという期待。

 この相反する2つの感情の間で揺れ動く彼を目の当たりにして、まりかが大人しく引き下がるはずが無かった。

「ここまで来て、巻き込むも何もないじゃない。ひとまず、何が起こってるのか確認させてちょうだい」

 そう言って、返事も待たずにさっさと明かりに向かって歩き出す。猩々が慌てて後に続き、カナが勢いよく尾びれを波打たせ、一気にまりかとの距離を詰めた。

「まりか、お前さんはわざわざ面倒事に首を突っ込むというのか」

「当然よ。おじさんやおじさんの友達が困ってるのを、放っておけるわけがないじゃない」

 呆れた様子のカナの顔を見ることもせず、きっぱりと返事をする。

 カナは大袈裟にため息をついた。わざとらしく肩をすくめて、首を振る。

「つくづく、甘いやつじゃな。そんなことでは、いつか必ず足元を掬われるぞ」

「なんとでも仰ってもらって結構」

 まりかがツンとそっぽを向いた。

 忠告を全く聞き入れる気のないまりかに、カナはしかし、新たな楽しみを見つけたという笑みを口元に浮かべる。

「まあ、人間の小娘がどのように立ち回るか、とくと見物させてもらうとするかの」

 その言葉と共に、まりかとカナは妖たちの宴に足を踏み入れたのだった。




 宙に浮いた8つの鬼火がぐるりと囲む中、妖たちは2つの勢力に別れていた。

 向かって右側にいるのが、猩々を始めとする小さな妖たちである。「おじさん」とよく似た多数の猩々たちに混じって、山下公園前の海にいるような小さな人魚や、海河童の姿もちらほら見える。妖とまでは言えない普通の魚介類が少々怪異化した程度の存在も、宴の楽しげな雰囲気に引き寄せられたのだろう、ふわふわと妖たちの頭上を漂っている。

 対して左側にいるのは、2人のハーピーを筆頭とする鳥たちの集団だった。

 ハーピーはどちらも女性で、背中に大きな翼を生やした人間に近い形態をしている。両者共に深いスリットが入ったエメラルドグリーンのドレスを身につけ、鼻から下を黒いマスクで覆っている。膝から下は鋭い鉤爪の付いた猛禽類の足で、背の高い方のハーピーは黄色、低い方は白色である。どうやら、それぞれ違う種類の猛禽類が、同じように怪異化して人間に近い姿をとるようになった存在らしい。

 そして、ハーピーたちの背後には、数十羽の鳥たちが控えていた。カモメやシロカモメ、ウミネコなどのカモメ科の鳥たちが主であるが、海沿いに生息する猛禽類であるトンビやミサゴの姿も何羽か確認できる。

 普段はかすまびしく鳴き交わしてやまないはずの鳥たちは、今は不気味なほどの沈黙を保ったまま、相対する小さな妖たちを睨みつけるのみである。

 まりかがどうしたものかと考えていると、背の高い方のハーピーが静かに口を開いた。

「小さき者らよ、退きなさい」

 その声は上品で穏やかだが、どこか気怠げな印象を受ける。それは、鋭く光る三叉槍さんさそうを妖たちに向かって構えることもせず、眠そうな目で身体の横に着いているからかもしれない。

「そうよ、さっさと余所へ行きなさいよ!」

 それとは対照的に、もう片方のハーピーは妖たちに対して威勢良く立ち退きを迫っていた。その両手には金色の鉤爪が付いた黒のグローブが嵌められており、威嚇のためだろう、相手に見せつけるように鋭く開いている。

「えー」

「そんなア」

「せっかく来たのにぃ」

 しかし、彼女の必死の威嚇は、小さな妖たちには大して通じていないらしい。緊張感の無い空気の中、各々が勝手にぶつくさ文句を垂れているだけである。

 鳥たちの集団と違って、彼らにはリーダー的存在がいない。強いて言えば、この宴の発起人である「おじさん」がリーダーと呼べなくもないが、ごくごく平凡な猩々に過ぎない彼には誰かに何かを命令したり強制するようなことはできないし、そもそもそういう性格でもない。

 そんなわけで、烏合の衆である彼らがハーピーたちに対して集団としての意志を伝えるなど土台無理な話であり、意思統一のうえ速やかに大さん橋から立ち退くなどということも不可能なのである。

 しかし、ハーピーたちからしてみれば、自分たちが見くびられているとしか思えない。特に鉤爪のハーピーにとって、それは非常に我慢のならない事だった。

「いいわ」

 鉤爪のハーピーが、一歩前へ足を踏み出す。

「そういうことなら、どちらが上か、この際はっきりと理解させてあげましょう」

 これ見せよがしに鉤爪を掲げて、にいっと目元を歪める。その口元はマスクに覆われて全く見えないというのに、どうしてだか、壮絶な笑みを浮かべていることが分かってしまう。

 最前列にいた妖たちが、息を呑んでしいんと静まり返った。それは伝言ゲームのようにあっという間に全員に広まり、大さん橋は今度こそ、肌がピリつくような剣呑な空気に支配される。

 朝霧まりかが間に割って入ったのは、ちょうどその時だった。

「ちょっといいかしら」

 漆黒のとんびコートを翻して颯爽と現れたかと思うと、ごく自然に、かつ有無を言わせぬ圧力を放ちながら、ハーピーたちの前に立ちはだかる。

「初めまして。私の名前はまりか。今宵は妖たちの宴に招かれたのだけれど、この状況は一体どういったことなのかしら」

 間合いよりも少し遠い位置から、柔らかな笑みを浮かべ、穏やかな口調で問いかける。

 当然のことだが、まりかにはハーピーたちと争うつもりは全く無い。穏便に事態を収束できるのなら、その方が良いに決まっている。だからこそ、相手に侮られて事態が不利に運ぶことを未然に防ぐために、堂々とした立ち振る舞いをして見せている。

「に、人間!?」

 まりかの出現に、鉤爪のハーピーがたじろいだ。さぞ高圧的な態度で突っかかってくるものと考えていたまりかは、肩透かしを喰らったような気分になる。

「まりかダー」

「まりかだヨ」

「これで安心ね」

「ヨカッタナー」

 まりかの背後で、小さな妖たちが安堵と期待に満ちた表情で囁き交わす。これこそが、彼らがいかに、まりかを慕っているかを示すものだった。

「ど、どうしよう、ネモフィラ」

 鉤爪のハーピーが三叉槍を持ったハーピーに縋るような視線を向ける。それまでの威勢の良さが嘘のように、マスク越しでも明らかなくらいの動揺を浮かべている。想定外の事態への対応には慣れていないのかもしれないと、まりかは少々可哀想に感じた。

「困ったわねえ」

 ネモフィラと呼ばれたハーピーが片手を頬に当てたが、言うほど困っているようには見えない。図太いのか呑気なのか、或いは両方なのかもしれない。

 ネモフィラが眠そうな目をまりかに向けた。

「こんばんは、人間のお嬢さん。私はネモフィラ。こっちはユウナよ」

 そう言って、もう1人のハーピーを手で示す。ユウナと呼ばれたハーピーは無言のまま、強ばった顔でまりかを睨みつけている。

「私とユウナはね、この場所にステージを作りに来たの」

「ステージ?」

「そう、ステージよ。ビアンカ様のためにね」

 ネモフィラは、おもむろに上空を見上げた。

「でも、もう遅いわね」

「えっと、話が全然見えないんだけど」

 まりかはネモフィラの言葉の意味を問いただそうとしたが、それは間もなく判明することとなる。

「ちょっと! 全然ステージが出来上がってないじゃないのよ!」

 頭上から甲高い声が降り注ぐと同時に、その場に一陣の風が巻き起こった。

 直後、大さん橋の送迎デッキにひとりのセイレーンが舞い降りる。

「申し訳ありません! ビアンカ様!」

「申し訳ありません」

 ユウナとネモフィラが謝罪の言葉を口にする。ユウナからは必死の様子が見て取れるが、ネモフィラは終始平静である。

「あの者が、我らを妨害してきたのです」

「はあ?」

 ネモフィラが、すっとぼけた顔でまりかを指さした。ビアンカと呼ばれたセイレーンが振り向き、まりかの姿を認める。

 ビアンカと呼ばれたセイレーンは、人間よりも鳥に近い形態をしていた。その腕は完全に翼状で、先端には鋭い鉤爪が付いている。胸から下は全て羽毛で覆われ、鷹や鷲を思わせる獰猛な足がウッドデッキの床に鋭い鉤爪を食い込ませていた。また、胸から上は人間の女性の姿をしており、ざっくりと編み込まれた鮮やかな赤毛とゴテゴテにピアスを付けた耳が、見る者に強烈な印象を焼き付ける。剥き出しになった乳房の先端は、星型のアクセサリーがジャラジャラと吊り下げられたニップレスで覆われていた。

「あらあ、どんな薄汚い鼠が邪魔しに来たのかと思えば。なんとまあ、とっても可愛らしい人間の小娘じゃないの」

 ビアンカは、己の肉体を誇示するかのように大きく翼を広げると、青く鋭い猛禽類の眼でまりかを睥睨した。ビアンカの体長は、ネモフィラよりもふた周りは大きい。ネモフィラはもちろん、ユウナよりも更に身長の低いまりかからすると威圧感を受けてもおかしくは無いのだが、まりかは平然とビアンカの視線を受け止めている。

「ビアンカさん、で良いかしら」

 まりかが、少し首を傾げてビアンカに呼びかけた。ビアンカの片眉がヒクリと震えたが、まりかはそれには構わず、簡単な自己紹介を済ませてからここに来た目的を話す。

「そこのネモフィラさんから、ここにステージを作るつもりと聞いたのだけど、良かったら詳しい話を聞かせてもらえないかしら」

 必要以上にへりくだることはせずに、なるべく穏当に事が運ぶように、相手を刺激し過ぎない話し方を心がける。

 ビアンカはしばらくの間、黙ったままじっとまりかを睨みつけていたが、やがて、ゆっくりと翼を収めた。

「フン、まあ良いわ。口の利き方がなってないけど、そんなに知りたいのなら教えてあげる」

 ビアンカはスッと姿勢を正すと、おごそかな表情で口を開いた。

「あたしはこれからね、あの子たちのためにリサイタルを開くの」

 バサリと片翼を広げて、後方に控える鳥たちを誇らしげに示す。ユウナが、目を輝かせて自分の主を見つめている。

「たっぷりと妖力を込めたあたしの歌はね、聴く者の身の内に潜むわずかな妖力や霊力をも引き出し、増幅させ、高めることができるのよ」

 まりかは、ハーピーたちの後方で静かにこちらを睨みつける鳥たちを見た。確かに、どの個体にも普通の鳥より高い霊力が備わっている。

 鳥に限らず、霊力の高い動物はそれほど多く存在するわけではない。ましてや、そこから更に進んで怪異化に至る動物など、滅多にお目にかかれるものではないのだ。

 まりかは、早々にビアンカの意図を察した。

「要するに、あの鳥たちは貴女の歌によって怪異化させられようとしているわけね」

「ご明察と言いたいところだけど、あたしの説明をわざわざ先回りしてくれるのは感心できないわね」

 ビアンカがその肉厚な唇を歪めた。ネモフィラが眠たげな目を少しだけ見開く。まりかの態度に、今更ながら驚きを感じているらしい。

 ビアンカはコホンと咳払いをした。とにかく今は、説明を続けることを優先させるつもりなのだろう。

「とにかくよ。あと数十回もリサイタルを開けば、この子たちは見事な怪異として成長を遂げるでしょう。すなわち、そこのネモフィラやユウナのような、強力なハーピーを増やすことができるということ。あたしはね、これを世界中の鳥たちに施してあげるつもりなの」

 豊かな乳房を揺らして大きく胸を張ると、高らかに宣言する。

「そう、名付けて『鳥人計画』よ!」

「……」

「さすがです、ビアンカ様!」

「素晴らしいですわ」

 完全に自分と自分の立てた計画に酔いしれてるビアンカと、そんなビアンカに心酔するユウナ。ネモフィラはどことなく他人事である。そしてまりかは、そんな彼女たちを生暖かく見守っていた。

(なんだか、どこかで読んだような話ね)

 計画名はとある推理小説のタイトルと同じだが、その内容については某有名漫画家のとある作品のストーリーを思い出させる。正直なところ、とても現実的な計画とは思えなかったが、その考えをあえて口にする必要は全く無いだろう。

 まりかは気を取り直すと、控え目な咳払いをしてビアンカの注意を向けさせた。

「なあに、まだ居たの?」

 ビアンカが不快そうに顔をしかめる。

「あたしの話を聞いたのなら分かったでしょう? さっさと場所を空けなさいよ!」

 どうやら、自分の話さえすればそれで満足という性格らしい。

「そうよ! さっきからビアンカ様に対して不遜な態度ばかりとって! ビアンカ様のおっしゃる通りにしなさいよ!」

 ユウナが、ここぞとばかりに罵声を浴びせてくる。

 まりかは、ニコリとビアンカに笑いかけた。

「ビアンカさん、貴女のお考えはとてもよく分かりました」

「あらあ、それはとても良かった」

「よろしければ、私たちも貴女のリサイタルに同席させていただきたいのですが」

「はあ? 駄目に決まってるでしょ?」

 ビアンカが、ピシャリとまりかの要望を却下する。

「あんた、あたしの話聞いてなかったの? あたしのカワイイ鳥ちゃんたち以外の有象無象に聴かせる歌なんて、どこにも無いのよ!」

 要するに、鳥以外の動物や怪異の力を高めることはしたくないのだろう。それはもっともな考えである。

「私たちが先にこの場所を占拠していたわけですが、それについてはどのようにお考えなのですか?」

 まりかは、どうせ無駄だろうと考えつつも、ごく基本的なことについてビアンカに確認した。

「あのねえ、あたしはセイレーンよ? そっちの雑魚共とは格が違うんだから、あたしに従うのが当然でしょ?」

 けんもほろろとはこの事だろう。話し合いによる平和的解決は望むべくもない。となれば、次なる手段を速やかに提案するだけである。

 まりかは深呼吸すると、臆することなくビアンカの青い目をじっと覗き込んだ。

「ビアンカさん。私はね、この妖たちに招かれた客人であり、そして、彼らの庇護者でもあります。このまま何もせず、引き下がるわけにはいきません」

 そう言って妖しい笑みをその顔に浮かべると、芝居掛かった仕草で片腕をビアンカに向かって差し伸べた。

「ここはひとつ、勝負をしませんか? 貴女の得意な歌を使って」

「なんですって?」

 ビアンカにとって、まりかの提案はあまりにも思いがけないものだったらしい。開いた口が塞がらないという言い回しそのものの顔をしている。

「それはつまり、あんたも歌うということ?」

 ビアンカが、おそるおそるといった様子で質問をする。

「私は歌ではなく、フルートという名の横笛で曲を奏でるつもりです。それでもよろしいでしょうか」

 その場に沈黙が降りた。

 5秒、10秒と、時間が経過していく。

(いくらなんでも無謀だったかしら)

 歌唱に対してフルートで勝負を挑むなど、非常識極まりなかったのではないか。長すぎる沈黙に焦りを感じ始めた時だった。

「アハ! アッハハハハハハ!」

 なんの前触れもなく、ビアンカが耳をつんざくような哄笑を上げた。まりかは思わず肩をすくめる。

「ねえ聞いた? ネモフィラ、ユウナ」

 ビアンカは目に涙を浮かべて息も絶え絶えになりながら、さも可笑しそうに従者たちに話しかけた。

「人間の小娘が、セイレーンに、音楽勝負を持ちかけるだなんて! とんだ身の程知らずと思わなくて?」

「全くもってその通りです!」

「とんだ蛮勇ねえ」

 ユウナは嘲笑あざわらい、ネモフィラは目を皿のように丸くしている。ビアンカはもちろん、ハーピーたちも、てんで勝負になるとは考えてはいないのだ。

 ビアンカは笑いを収めると、獲物に狙いを定める目つきでまりかを見下ろした。

「いいでしょう。この勝負、引き受けてあげる。ただし!」

 再び、肉厚の美しい唇をニタリと歪める。

「あたしが勝ったら、あんたはあたしの下僕になること。いいわね?」

「っ!」

 ビアンカの言葉に、刹那、まりかの意思がぐらついた。何らかの交換条件を提示されるであろうことはある程度予測していたものの、まさかここまで無茶苦茶な要求をされるとは考えていなかったのだ。

 とはいえ、これを断った上で更なる交渉に挑むとなると、伊豆大島の時と同じことになる。それも、今回はセイレーンと2人のハーピーを、独りで相手取らなければならない。そんなことをすれば、例えまりかが勝ったとしても宴どころではなくなるだろう。そして、このまま自分だけが尻尾を巻いて逃げるという選択肢は、最初から存在しない。

 だとすると、答えは既に決まっている。

「いいわよ」

 まりかは、その目に一片の迷いも見せることなく、ビアンカに対して朗らかに答えた。

「その代わり、あなたの方こそ、二度と場所を横取りすることはしないと約束して」

 そして、こちらからも抜かりなく条件を提示する。

「フン、可愛げの無い小娘ですこと」

 ビアンカが面白くなさそうな顔で言ったが、すぐに気を取り直してせせら笑いを投げかける。

「いいわよ、約束するわよ。もっとも、どうせ私が勝つんだから、全然意味ないと思うけど」

「さあ、それはやってみないと分からないんじゃなくて?」

「可愛くない。本当に可愛くない。ああ、下僕にした暁には、どうやって苛めてあげようかしら」

 まりかとビアンカが、無言で睨み合う。その口元には笑みを浮かべているが、2人の間には一触即発の張り詰めた空気が漂っていた。

「こりゃあ、大変なことになってしもうたわ」

 事の推移を見守っていた妖たちがざわめく中、「おじさん」が呆然と呟く。

 カナは、何も言わなかった。ただただじっと、セイレーンの前に立つまりかを見つめている。僅かに鬼火に照らされたその幼い顔は陰影が濃く、表情を窺い知ることは出来なかった。

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