第5話

「あ、伊藤君。昨日休んでたよね。これ、昨日配られた数学のプリント。来週の月曜までにやっておくように、だって」

 季節の変わり目に風邪をひいて休んだ翌日、そう言って話しかけてきたのは隣の席の樋口かなめ。

 良くも悪くも普通の女子だ。だから俺も普通に話すクラスメイトの一人って感じで、特に印象がない。


「おお、悪い」

 そのはずだったのだが、彼女の顔を見た瞬間、俺は固まってしまった。キャンセラーを付ける前も付けた後も、あまり意識して見る事がなかった、ろくに関わりもない、ただの同級生の顔。しかし俺はそこから目を離す事が出来なくなっていた。


 これはかなり…………、いや、滅茶苦茶可愛いんじゃないか……?

 二重瞼の大きな目。小さいながらも筋の通ったスッキリとした鼻。健康的ながらもどこか色気のある薄いピンクの唇。透き通るような肌にはニキビ一つない。

 キャンセラーを手にしてから美人とされていた昔の有名人の画像も色々と調べた。目の前の少女は、かつて偶像として崇拝された美女達にも決して見劣りしないように思う。


「どうしたの、伊藤君?私の顔に何か付いてる?」

 樋口が小首を傾げて下から俺の顔を覗き込んでくる。そんな仕草も可愛らしい顔とよく似合っていて、思わず胸がどきどきしてしまう。

「い、いや、別になんでもない」

 内心を悟られないかひやひやしながら、俺は何でもない風を装った。

「そう?ならいいけど」

 樋口もすぐに興味を失ったように、前に向き直って先生がやってくるのに備えた。



 それからしばらくの間、俺はどうにも落ち着かない時間を過ごした。

 授業中もふと気が付くと、樋口の方を盗み見てしまう。

 たまたま樋口もこっちを見ていて目が合った時は、心臓がドクンと飛び跳ねた。俺はさっと目を逸らし、なんでもない風を装うので必死だった。



 その日から、樋口と会話をする機会が増えた。正確に言うと、俺の方から積極的に話しかけることが増えたのだ。

 俺は、自分自身の心の動きにすっかり動揺していた。

 樋口は元々なんとも思っていなかったただのクラスメイトで、彼女自身は以前と何も変わらない。変わってしまったのは俺の中の、顔に対して抱く感情だけだ。

 まずいと思っているのに、心が惹きつけられるのを止められない。

 俺は顔というものの魔力、何故人類がそれを封じたのかをまざまざと実感していた。

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