第3話
そして翌日の土曜日、俺は絢の家にやって来ていた。
絢の友達も呼んで、キャンセラーを渡してもらうことになっている。外で受け渡すのは危険なので、その友達と俺、共通の知人である絢の家が選ばれたという訳だ。彼女の両親も旅行に行っているのでタイミングもよかった。
「あっ、亮!ちょっと待っててね」
インターホンを鳴らすと、すぐに絢の声がした。
まもなく絢が玄関を開けて現れた。ショートパンツにシャツ一枚とラフな格好をしている。
そして、その絢の後ろに小柄な女の子がいた。これが絢の友人だろう。
「あっ……、この子がその友達のあゆ。私の中学の時の友達ね」
絢に紹介され、その子は軽く頭を下げた。俺も釣られて頭を下げる。
ギャルとまではいかないが、髪を茶色に染めていて、絢の友達にしては少し派手な印象がある。見た目も彼氏の影響を受けているんだろうか。
そして紹介されたきり口を開かない。俺も人のことは言えないが、格好の割に無口な性質らしい。
「さ、上がって上がって」
絢はあゆの背を押して階上へ俺を誘う。昨日のような思い悩んだ様子は窺えず、いつも通りに振る舞っている。
俺は腰を下ろして、テーブル越しにあゆと向かい合っていた。
共通の知り合いである絢がすぐ席を外したので、お互い無言になっていて気まずい。と、そこへ絢がコップとポットを載せたお盆を手に部屋へ入ってきた。
「はい、烏龍茶。お菓子もあればよかったんだけど、今丁度切らしててさ」
礼を言って俺はコップを受け取った。
貰った烏龍茶をちびちびと飲むだけで、俺達の会話は弾まない。しかし、それは初対面の気まずさばかりが原因ではないだろう。
このままでは誰も核心に触れなさそうなので、仕方なく俺が口火を切る。
「えーっと、例のアレなんだけど……」
「あ、あーっ、アレね…………。そうだよね、その為に集まったんだもんね…………」
本題を切り出され目を泳がせる絢。どうやら今までは敢えて普段通りに振る舞おうと無理をしていたらしい。
「えっと、あゆ。持ってきてくれた?」
「うん、あるよ」
あゆが鞄をごそごそと漁り出す。ややあって、シールの束を取り出した。
あれがキャンセラーなのか。本当に何の変哲もない、肩凝りなんかに使う物と変わらない見た目だ。
「ありがとう、お金はいくらくらい?」
「あーいいよいいよ、気にしなくて。余ってるやつだしそんなしないから。私が勧めたんだし」
「ううん、悪いよ」
「そう…………、じゃあこれくらいで」
彼女の提示した額は違法物という割には高くない。とは言え高校生にとっては小さくない額なので、数ヶ月は節約生活を強いられそうだけど。
話し合って俺と絢で半分ずつ支払うことにした。
「まあ使い方は簡単なんだけど、じょーとーそっこー?っていう、頭のこの辺に貼るだけ。小さいから平気だと思うけど、他の人に見えないように髪で隠して…………」
あゆが使い方をレクチャーしてくれる。と言っても本人が言うように本当にシンプルで、湿布を貼るのと要領は変わらない。余りに手軽で、これが退学不可避の違法行為とはとても思えないくらいだ。
それだけに心の準備をする間もなく、あとは実践だけということになる。
「……じゃあ、やるか」
「う、うん…………」
俺達は見つめ合い、深呼吸をした。
大丈夫だ、大したことじゃない。単にシールを頭に貼るだけ。なんてことはない。
俺は自分に言い聞かせ、キャンセラーを貼った。
痛みはない。ただ、なんとなく頭の横側が少し重くなるような、不思議な感覚がした。
目に見えて何かが変わったわけではない。
でも、急に目の前の霧が晴れたように視界がクリアになった、そんな感じがする。
俺は絢の顔をまじまじと見つめた。
そこにいるのはいつもの絢だ。
小さい鼻も、奥二重の瞼も、少し丸みを帯びた輪郭も前と見え方が変わったわけじゃない。
ただ、同じ顔でも、それを見て起こる感情が以前とは全く違った。
胸に湧き上がるこの感覚が快いのか、それとも不快なのかも分からない。今まで知らない感情が一気に流れ込んで、心がそれに戸惑っているようだった。
絢もまた、驚いたような、困惑したような表情を浮かべている。
お互いに何十秒も見つめ合った後、
「亮の顔、初めて見た気がする」
絢がポツリと呟いた。
「同じなのに、全然違って見える……」
俺と同じように、湧き上がる感情に圧倒されているのだろう。思うように言葉が出てこない様子だった。
結局、この日はその後すぐに解散になった。他に用もなかったし、俺も絢も整理する時間が必要だった。
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