第2話

「亮、かーえろっ!」

 放課後になって昇降口に着くと、ショートボブの小柄な女子が俺のことを待っていた。

 松木絢。俺の彼女だ。一年の時のクラスメイトで、二年に上がって間もなく付き合い始めた。初めて会った時からなんとなく気が合って、学年が上がってもたまに遊んだりしてるうちに付き合う流れになった。

 絢の部活がない時は一緒に帰るのがお決まりの流れになっている。俺達は靴を履き替え、生徒の大半が利用する最寄駅へ揃って歩きだした。



「それでね、数学の時間に木下先生が…………」

 絢が今日一日あった事をおかしそうに話している。元々俺はそれほど喋る方ではないので、大体は絢が一方的に喋って俺が相槌を打つ形になる。

 

絢の顔を見ているうちに今日の授業を思い出す。

 もしFPCIがなかったら、俺にはこいつの顔がどう見えるんだろう。今でも顔自体は認識出来ているし、鼻が小さめとかえくぼがあるとか、どういう顔なのか特徴を捉えて説明することは出来る。でも、それを見ても特に何も感じることがない。可愛いとか綺麗とか、そういう感想が浮かんでこない。というか、その感覚がどんなものなのかがまず分からない。綺麗な景色を見て感動するのとはまた違うものなんだろうか。



「ねえ、聞いてる?」

 物思いに耽っていて、絢の言葉を聞き逃していた。


「悪い悪い、なんだって?」

「もう、ちゃんと聞いてよね。あのさ、FPCIキャンセラーって知ってる?」


 いつの間にか数学の授業から話題が変わっていたらしい。

「知ってるけど、それが?」

 FPCIキャンセラー。シールみたいなもので、頭に貼り付けるとFPCIが機能しなくなる、つまり顔の良し悪しが認識出来るようになる道具っていう話だ。若者を中心に使用者が増えているらしい。


 でも、それの使用は容姿差別禁止法違反になる。麻薬の使用よりも罪が重く、製造、販売者はもっと重い罪に問われる。


「それがどうかしたのか?」

「うん、あのね…………」

 絢はそう言ったきり、俯いて黙り込む。

「誰にも言わないでね?」

「なんだよ?」

「言わないって約束して!」

「分かったよ、だからなんだって」

「使ってる子がいるんだ……私の友達で」

「……マジで?」


 いつになく思い詰めたような顔で絢は頷いた。

 さっきも言った通りキャンセラーの使用は犯罪。俺達の年齢なら刑務所はないけど、退学や、最悪少年院行きは十分あり得る。


 絢は至って真面目なタイプなので、そんなアウトローな友人がいるとは思っていなかった。ニュースで見聞きするだけの別世界の出来事。そう思っていたのに、こんな身近に使用者がいたとは。



「やっぱ、不良みたいな感じの人なの?その友達って」

「ううん、別に。ちょっと派手だけど悪さするとかはなかったから。だから私も打ち明けられた時びっくりしちゃって。彼氏に誘われたらしいんだけど」



 成る程、悪い感じの彼氏に言われてってパターンか。覚醒剤とかも男の影響で始めることがあるっていうもんな。違法なのは一緒だし、似たようなことはよくあるのかもしれない。


「それ、でね…………」

 目を伏せ、言い淀む絢。黙って続きを待つと、ややあってゆっくりと口を開き、躊躇いがちに言葉を紡いでいく。

「私もやってみたらって言われてて…………」

「マジか」

 これには俺も絶句した。

「それでどうしようか悩んでて……」

「断りづらいってことか?」


 絢は人が良くて押しに弱いところがある。仲の良い友人に強く勧められたら断りづらいだろう。

「それもそうなんだけど、その…………、私自身ちょっと興味あるっていうか…………」

 俺は今度こそ驚いた。真面目な絢がこんな事を言うとは。



「勿論悪い事だってわかってるんだけど、その友達に色々聞いて…………。なんかね、相手の見え方が全然違うんだって。見えてる物は一緒なのに、初めて相手の顔が見えたみたいな、欠けてたピースが嵌ったみたいな…………。本当の意味で彼氏を好きになれた気がするって言ってた」

 絢は顔をあげ、俺の目を覗き込んだ。



「そこまで言われると気になるでしょ?私、今でもちゃんと亮のこと好きなのに、なんだかそれが偽物って言われてるみたいで…………。」

「それでやってみたいと思ったのか」

「うん…………」


 驚きは残っているが、話の流れは理解出来た。

 しかし、どうするか。ここは断ってそういう物に手を出さないよう注意するのがまともな判断なんだろう。

 ただ、俺自身が丁度FPCIがない世界に興味を持っていたところだ。そして丁度舞い込んできた絢の話。せっかくの機会を逃すのは勿体ないようにも思えた。

 大丈夫……だよな?実物を見た事はないけど、シールを貼るだけなら麻薬と違って身体に悪影響もないし、一回試してすぐ捨ててしまえば誰にもバレないはず。



「わかった。一回やってみよう」

 俺がそう答えると、絢は見るからにホッとした表情を見せた。自分から言い出してはみたものの、内心不安だったんだろう。

「ありがとう、ごめんね。こんなことに付き合わせて」

「俺も興味はあったんだ。まさか絢から誘われるとは思ってなかったけど」

「そうなの?」

「ああ。FPCIがなかったら絢の顔を見てどんな風に感じるんだろうって」

「嬉しい……。じゃあ、その子に連絡してみるね!」

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