2020年4月20日(月)-1への応援コメント
いいなあ。ちなみに、迷子が多発した下校
作者からの返信
迷子多発は困りますね(゚Д゚)
うちの小学校は朝は登校班、帰りの下校班は一年生と
二年生のみ存在する感じになっています。
あるのはありがたいけどわずらわしい場合もあり。
同じ市内でも学校によってはそういった班編制が
ないところもあり、本当にいろいろですよね。
編集済
2020年4月10日(金)-2への応援コメント
返事ありがとうございました。うちの地域はあの宣言地域でしたから、げっ?まさか?でした。
地方でしたしね。
娘さん聴覚過敏ですか?うちの子たちの場合、イヤーマフやサングラスでしのぐ場合もありますが学校だと目立ちますしね。
トイレの音はたしかに。けど、生活必需品ですもんね。
療育でもたくさん工夫して感覚遊びしていても、ロッカー閉じこもる子もいますしね。
ほんとうに本人たちきついなあ。親としては切ないですよね。
ちなみに福岡は5月は暑かったです(苦笑)
入院式用は上のこと同じを着せましたが1か月おくれで、暑いでした。
うちの子は呼吸器疾患ですぐ肺炎になる子がいるから、初期のコロナは受け取り方が、ちょっと違うかもしれないですね。
超初期は警戒しましたが緊急事態宣言は、もう開き直ってました。医師からいろんなこと聞いてたし、上で、それどころじゃない。
せっかく、3学期にようやくまともに学校いきだしたんですが、いきなり休校。デタラメに厳しい外出制限。
ひたすら子供達を外に出すなって学校からのメール。
あの緊急事態宣言がいちばんきつかったですね。
コロナは大人が怖がりすぎたら、子供達に悪影響と医師たちが言ってましたしね。
なによりも、コロナも初期なら叩けるから、はやく受診して?コロナ以外の肺炎がおおから。
ってよく嘆いてましたね。様々な医師が。
うちの子は通院しないといけなかったんで。
いまは薬でいろんな過敏を抑えてますが、薬は悩みますしね。
PTSDの上は四年たちようやく少し音になれてますが、パパがいるとアウトです。
療育と学校の狭間で習い事もみんな休みでしたしね。
療育が断ち切られたは、痛かったです。
新一年生5月が勝負、心療内科の医師から薬は5月すぎたらなくせる。
そう言われたのに、
ー5月スタートですけど⁈
でした。
あの時の新一年生ほんとうに、大変だとおもいました。
長々と失礼しました。
作者からの返信
うわわわ……確かにあの年の新一年生は
もれなく大変だったのは間違いありませんが、
茶々アルト様はその中でもかなりハードモードの
はじまりであっただろうと推察します。
大変でしたね。読んでいるだけでご苦労が
想像できますが、実態はそれ以上だろうと
思えるだけに、胸が痛かったです……( 。-_-。)
娘は過敏なのかわかりませんがとにかく繊細で、
特に診断等はありませんがHSC気質が少し
強いかなぁという感じがします。感受性が
高すぎるゆえにいろいろ苦労しているようで。
今現在も男子からのからかいに悩んでいて
学校行きたくない症候群がぶり返しておりますorz
悩みは尽きないものだなぁという感じです汗
2020年4月10日(金)-1への応援コメント
コメント失礼します。入学式あったんですね。よかったです。
うちは5月13日でした。両親はいけましたが、ひとクラスずつの入学の会でした。
4月は入学式の日程がまだわからず、県外の親戚の子は入学したのに、自分は一年生になれないと、泣いてました。
公園も遊具がヒモで封鎖されて、遊び場もない。外に出したら毎日、学校から、注意メールがくる。
自警団とやらの通報でしょうね。
あの緊急事態宣言って、かなりの地域差がやっぱり、あるんだなと、つくづく思いました。
入学式があって、よかったですね。校門も年子の上には入学式の看板。下には入学おめでとうの看板。
ひとつだけ、保護者が写真用に入学式って看板がありました。
けど体育館には入学の会と書いた垂れ幕。本人はニコニコですが、上の入学式とつい比べて切なくなりました。
でも、全国的に、入学式なら、よかった。
そう思いました。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
うわぁ、公園の遊具が紐で……それはかなり厳しい
地域にお住まいだったのですね。ここはそんなことはなく、
人気は少ないけど公園で遊んでいるひとはいた感じでした。
入学式、実はわたしはあっても行くのが怖い派で、
当日もかなり憂鬱で感染したらどうしようという
恐怖が勝っていました。保護者の考えもいろいろですが、
上の子を見ているあとだと、やはり切ないですよね。
どうしても比べちゃいますから……。
当時の新一年生の親御さんたち、いろんな
感情があったと思います。切ないですね……( 。-_-。)
2020年3月16日(月)-2への応援コメント
うちもコロナ禍で、自閉症スペクトラムのこどもが一年生でした。
ー地獄の2年間でしたね。
不登校は、なりませんでした。なるひまなく、私が壊れて、児童思春期病院で治療でした。
きちんと手元で愛情深くみてありますね。
作者からの返信
本当に大変な二年間でしたが、病院ともなると、さらにご苦労があったであろうと推察します。大変でしたね。
今年度もどうなるかハラハラですが、なるようにしかならないと腹をくくる思いです。
2020年1月8日(水)への応援コメント
作品を拝読した者です。私は新型コロナウイルスが流行る前、そう、あの船のニュースをろくに見られない状態でした。今、作者様の朝の描写や母親ならではの行動の表現に、こうやって小説を書けば良いんだな、と刺激を受けつつ、落ち込んでいたあの日々、世界で何が起こっていたのか、そちらのご家庭の物語とともに窺い知ることが出来る!と、物語の可能性を、貴方様の文章から感じられました。
作者からの返信
明鏡止水さん、コメントありがとうございます(*^_^*)
もう三年も経つなんて信じられない感じですけどね。本当に我が家の様子はgdgdでしたが、それも含め楽しんでいただければ本望です。今後もよろしくお願いいたします!