第33話 第二の命

「カミト……」


 ユリエは全身に感じる激痛をまるで感じていないようにふらりと立ち上がった。

 彼女の細い指が檻に伸びる。

 次の瞬間、彼女を捉えていた檻が凄まじい音とともに砕けた。

 人形のようにフラフラと歩くユリエの両手には二本の檻の柵が握られている。


「殺す」


 ユリエの感情のない瞳はエドガーだけを見ており、それ以外には何も映していない。

 直後、ユリエはその場から消えた。

 同時に遠くで戦っていたエドガーの右腕が吹き飛んだ。


「な、なんだと……?」


 エドガーは失った右腕を呆然と見つめた後、視線を僅かに下へ逸らす。

 そこには紅い瞳を輝かせる白髪の少女の姿をした化け物がいた。

 すぐにユリエはエドガーに檻の柵を叩きつける。

 左腕、右足、左足と順番に吹き飛ぶエドガーの肉体。近くで見ていたシェラですらユリエの動きは一切把握できなかった。

 勝手にエドガーの両手両足が吹き飛んだと言われれば信じてしまう程の速度。


「待ってくれ……まだ俺は死にたく……」


 だるまのようになったエドガーは必死に懇願する声を上げるが、ユリエには届かない。

 ユリエは躊躇無くエドガーの頭部へ檻の柵を振るが、それをシェラは無理やり止めた。


「ユリエ・ランドール。落ち着けっ。それ以上その力を使うとお前が壊れるぞっ」

「うがああああああっ……‼」


 獣のように威嚇する声を上げるユリエに理性は見られない。

 彼女は肉体に本来かかっているリミットを外し、限界を超える力を振るっているのだ。

 だからユリエの近くにいたシェラにはユリエが暴れる度に彼女の骨が軋みをあげているのが聞こえていた。


「落ち着けっ。カミトはお前がそんなことになるのを望んではいない。それ以上暴れるなっ」

「うがああああああああっ!」


 ユリエが声を上げるのと同時にシェラは浮遊感を感じ、そのまま壁に叩きつけられた。

「かはっ……!」


 シェラは小さく咳き込むと、唇から紅い液体を流す。

 しかしシェラはすぐに立ち上がった。足は子鹿のようにプルプルと震えているが、それでもシェラは根性だけでユリエと対峙する。


「カミトはお前を助ける為にここまで来たんだ……だから私は……お前を助ける」


 足を引きずりながらシェラはユリエに近づくが、すぐに膝を付いた。

 そんなシェラにユリエは静かに近づく。自分の行動の障害となる『敵』に引導を渡す為だ。


 ユリエが容赦なくシェラに檻の柵を振り下ろした瞬間──ユリエの手首を何者かが掴んだ。

 アーシャでもシェラでも、そしてエドガーでもない。

 それを見ていたシェラは呆然とユリエの背後にいた人物を見つめる。


「……カミト。なぜ……」


 死んだはずの少年が何故かユリエの手首を掴み、彼女を抱き寄せる。

「ユリエ。落ち着いてくれ。俺は生きてるから」

「うがああああああっ‼」


 カミトの腕の中で暴れるユリエ。

 しかしカミトは更に強くユリエを抱きしめると、彼女の頭を撫でた。

「大丈夫だ。もうお前が無理しなくていい。それ以上暴れないでくれ……」

 カミトの呟いた言葉がユリエに届いたのか、彼女は徐々に大人しくなっていく。

 そして数秒後。


「……カミ……ト?」

「そうだ。ユリエ。俺だ……助けにきた」


 ユリエはカミトの言葉に安心したのかコクリと頷くと、そのまま糸が切れた人形の様に気絶した。

 すぐにカミトは泣きじゃくるフローナの方を向く。


「フローナ。泣いてる所悪いが急いでユリエの紋章を解除してくれるか?」

「……はいっ」


 フローナは瞳からこぼれ落ちる涙を拭きながらカミトのいる方へ向かい、すぐにユリエの手に刻まれた魔王の刻印を消滅させた。


「ありがとう。フローナ」

「はいっ。お兄さんっ」


 フローナはそう言うとカミトへ抱きつき、号泣し始める。

 しかし、そんな二人を見てシェラだけは怪訝そうに眉をしかめていた。


「……カミト。事情を説明しろ。何故死んだはずのお前が生きている? 致命傷だったはずだ」

「それ、後でいいか? 先にエドガーを始末するから」


 カミトはユリエを地面に寝かせると、地面に転がり痛みに悶絶し続けるエドガーを見る。


「哀れだな。そんな状態になってもまだ死ねないのか。魔族っていうのも不憫だな」

「はっ。うるせぇよ。お前だって腹に大穴が空いていたくせに死んでないだろうが」

「何を言ってるんだ? 俺は一回死んだぞ」

「「「は?」」」


 三者三様な驚きの声が飛んでくるがカミトは続ける。


「以前シェルノ神に会った時にプレゼントと言われてキスをされたんだよ」

「それがどうした? 彼女自慢なら聞かないぜ?」

「そうじゃない。シェルノ神は俺にキスをしたあと光の粒となって消えたんだ。あの時の俺には分からなかったけど、俺はその時にとんでもない物を貰ってた事になる」


 カミトは何を貰ったか明言しなかったが、それでもエドガーはすぐに察したらしい。

 苦痛に歪む顔に驚愕の色が混じった。


「ま、まさか……。お前、神の命を受け取ったのか……それならお前の体から溢れ出す莫大な神力にも納得ができる」

「正解だ。俺も死んだ後に気がついた」


 話は終わりだとカミトは剣を引き抜く。

 そして地面に横たわる彼の顔の前に剣を向ける。


「ま、待ってください!」

 カミトが剣を振り下ろそうとした瞬間、フローナが叫ぶ。

「どうした?」

「その人にトドメを刺すの辞めて貰えませんか」

「フローナ?」


 この娘は一体何を言っているんだろうと言う疑問が皆の脳裏を過る。

「そこの巫女……慈悲のつもりか?」

「いえ、その人はトドメを刺さなくてももう死んでしまいます。お兄さんがトドメを刺さなくても……」

「……余計なことを言うんじゃねぇよ。こっちが必死に隠してるのによ……。カミト……早く俺を殺せ。これは恨みと恨みのぶつかりあい。神と魔王の戦争だ。勝者のお前には俺に復讐をする権利がある」


 そう言いながらもエドガーの体は光の粒となり、徐々に輪郭がぼやけていく。

 世界からの人が消失する際はきっと皆こうなるのだろう。

 シェルノ神もエドガーもそして地球から消失した際のカミトも全身を光の粒へと変え、そして世界から消失した。


 エドガーの寿命はあと数分程度。

 トドメを刺し復讐を果たすのであれば今しかない。

 しかしカミトは剣を降ろさなかった。


「俺はお前にトドメは刺さない。これが俺の復讐だ」

「けっ。甘い奴だな……」


 そう言いつつエドガーは分厚い壁に阻まれ太陽の拝むことができない天井を見上げる。

 きっと彼に伸ばす腕が残っていたのであれば、太陽に向かって伸びていただろう。

 ふと、エドガーの顔がハッと何かに気がついたような顔になった。


「そうか……神話の神々の戦争は……まだ」

「ん?」


 エドガーは天井からカミトへと視線を映すと口を動かす。


「もし……あいつを守りたいならお前は魔──」


 エドガーが言葉を言い切る前に彼の全身を複数の光の魔法陣が取り囲む。

 しかしこの場にエドガーへの攻撃の意思を持った者はいなかった。

 つまりこの場に第三者がいることになる。


「誰だっ」


 カミトは慌てて部屋の隅々に視線を向けるが、誰一人として怪しい人物は存在しない。

 次の瞬間、光の魔法陣から光の槍が出現し、エドガーを貫いた。

 同時に彼は光の粒となり、この世界から消滅した。

 エドガーを直接殺した人物はどうやら最後にエドガーが言おうとした言葉をカミトへ聞かせたくなかったらしい。

 カミトは、完全な光の粒となり消滅したエドガーのいた場所を見ながら彼が最後に伝えようとした言葉を思い出す。


『もし、あいつを守りたいならお前は魔……』

 この言葉に続く言葉は一体なにか、そしてエドガーの言う『あいつ』とは一体だれなのか。

 そして何故カミトを敵視していたエドガーがアドバイスのような言葉をかけようとしたのか。

 カミトには分からなかった。

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