第32話 心の悲鳴
その彼の前にシェラが立ちはだかった。
「お前は知らんかもしれないが、シェルノ神は既に滅んでいる。お前が何を思って復讐しようとしているか私には理解できない……理解したくないが、無駄なあがきだぞ」
「無駄な足掻き? そんな事はない。シェルノ神など一地方に信仰されている神の一柱にすぎない。俺は全ての神を消し去り魔王様とともに新たな世界を作り出す」
シェラの言葉に若干の動揺があったエドガーはすぐにそう言った。
「ふん。そして神の居なくなった世界で新たな神として魔王が君臨するということか? お前は魔王に利用されているだけだぞ?」
ふん、とエドガーは荒々しく息を吐く。
「魔王様は既存の神共とは違う。これから死にゆくお前には関係ない話だがなっ! ディアボロス!」
エドガーを魔族へと堕とした悪魔が彼の背後から邪悪な魔力を漂わせながら出現する。
六つの羽を持ち、禍々しい尻尾と角を持つ赤と黒の化け物は声を上げる。
「シェラ。フローナ。やるぞっ」
警戒心を高めたカミトは二人に声をかけ、腰を落とす。
「……けど忘れてないか、エドガー。俺は俺の大切な人を奴隷商に売り飛ばされ、更に今魔族に堕とされそうになっている恨みがあるんだぞ? お前のくだらない妄言より先にその決着をつけようか」
「貴様──」
「タイムディレイ!」
その瞬間、世界が遅延した。
以前よりも更に効果が強くなったタイムディレイは発動時間が伸び十秒間効果が持続する。そして二分の一だった時間の速度が更に遅くなり、今は三分の一程度になった。
エドガーの三秒はカミトの一秒だ。
エドガーには僅か一瞬に見えただろう。一瞬で間合いを詰めたカミトはディアボロスの守りを容易に突破し、エドガーの体に剣を突き刺した。
カミトの目の前でゆっくりと倒れていくエドガーを見つつ、更にディアボロスへ向かってカミトは剣を振る。
しかしカミトの攻撃はディアボロスに受け止められる。
例え時間の流れが三分の一になったとしても、敵がカミトの攻撃速度の三倍の速度で動けばカミトと張り合える。
更に不利なのはカミトのタイムディレイは時間制限があることだ。
これが切れればスキルを発動したカミトと対等に張り合う化け物とスキル無しで戦わなくてはいけない。
「くそっ」
しばらく剣を振ったが、ディアボロスの動きに阻まれ、カミトのタイムディレイの時間は終わりを告げてしまった。
直後、前線に出たカミトをサポートするように背後からシェラの援護魔法が飛んでくる。
そのスキにカミトはシェラ達のもとへ戻った。
「悪い。やりきれなかった」
「いや、エドガーを殺っただけで十分だ。後は私がやる」
シェラはタイムディレイを発動したカミトと同じくらいのスピードでディアボロスへ接近する。
そのスキにカミトはフローナを見た。
「フローナ。ユリエの体に刻まれた刻印を射抜いてくれ」
フローナはカミトの言葉にハッとして、弓を構える。
標的はユリエの左の手の甲に刻まれた刻印。
「異界の神シェルノへ願い奉る。破魔の矢風、神気の息吹をもって我に詛呪を射抜かせ給え!」
フローナの手に握られた弓と光の矢の光が増していく。
仄白いその光は神の後光と同一の神気を持つ。あらゆる魔術、能力を無効化する神気は神の恩恵が届かない地下深くの汚れた空気を浄化しつつ、ユリエに向かって飛来する。
「くっ」
フローナの狙いに目をつけたエドガーは血を流しながらも矢を素手で受け止めた。
「ぐあああああああああああああああっ!」
魔族の呪われた肉体に神の神気は猛毒となる。更にエドガーはカミトの一撃で瀕死だ。それを素手で受け止めようものなら彼は一瞬で蒸発してしまうだろう。
しかし、エドガーは消滅せず、全身から黒い煙を漂わせる。
シェラとディアボロスが戦う姿を前にエドガーは血反吐を吐いた。
「く、クックック。一瞬でここまでやるとは……流石だな」
「……お前が弱いだけだ」
「ふん。よく言うぜ。ゴブリンごときに殺されかけていたクソガキのくせによ」
カミトは床に倒れているエドガーのもとへ歩み寄り、彼の首に剣を向けた。
しかしエドガーは怯えることも無くカミトの瞳を真っ直ぐ見る。
「満足か? これがお前の狙いだったのか? 始めから俺達を殺すつもりだったんだろ? お前が人間のフリをした神であることは分かっているんだ。なんでそんな事をする? 何が目的だ」
どんどん顔色が悪くなっていくエドガーはカミトに向かって責める様に呟く。
「……何言ってんだ? 俺は人間だぞ」
「嘘をつくな。魔族になったから分かる。その抑える気もない莫大な神力。お前は神そのものだ。何故力があるのに弱者のフリをした? 一体何を考えているんだ?」
エドガーの言う事が理解できずカミトは顔をしかめる。
しかしエドガーは続ける。
「さっきお前が使った『タイムディレイ』だっけか? あれだって時間操作と言っても過言じゃない。神域の時間の流れは現世より遅いそうじゃねぇか。お前のその能力は神の力そのも──かはっ……!」
既に話せる状態ではないエドガーは血反吐を吐きつつ、それでも言葉を紡ぐ。
何かをカミトへ伝えようとしている、その執念にも似た勢いにカミトはトドメをさせず彼の言葉を聞き続けてしまい、絶好の気を逃した。
「だが、させねぇ……神は滅ぼす」
エドガーはポケットから赤黒い宝石を取り出すとそれを飲み込む。
次の瞬間シェラのいる方から困惑するような声が飛んできた。
「どういう事だ?」
声がしたシェラの方にはつい先程まで戦っていたディアボロスの姿はない。
「お兄さんっ! 前っ」
フローナの方から焦った声色の声が飛ぶ。
しかし、カミトが首をエドガーへ向けるよりも早く、カミトは強い衝撃を受けた。
「きゃああああっ!」
フローナの声がカミトの頭の上から聞こえる。
目を開けばフローナがカミトの目の前にいた。否、カミトがフローナのいる場所まで吹き飛んだのだ。
「お、お兄さん。大丈夫ですか?」
「あぁ。あんまり痛くなかった」
カミトは立ち上がり、エドガーの方を見る。
しかしカミトはエドガーの姿を確認することはできなかった。先程までエドガーが立っていた場所に居たのは羽が十二枚に増え、尻尾が二股に別れたディアボロスの姿に似た化け物。
「あいつ……まさか悪魔と同化したのか?」
信じられない光景にカミトは絶句する。
しかし、気がつくとエドガーはカミトとフローナの目の前にいた。
「は?」
真っ黒な魔力の塊を撒き散らしながらエドガーはフローナに迫り、二股に別れた尻尾を鋭く突き刺してきた。
フローナはかわすことも受け止めることも不可能と悟り息を止める。
次の瞬間衝撃がフローナの身体を遅い、生暖かい血がフローナの白い服を赤に染める。
しかしフローナの予想していた苦痛は一向に襲ってこない。
「かはっ……!」
フローナの目の前でカミトが小さく咳き込んだ。その唇から溢れ出したのは大量の鮮血だ。
たった一撃で瀕死の重傷を負ったカミトはその場で膝をつく。
一瞬の判断でフローナをかばったカミトはエドガーの二股に別れた尻尾で体を貫かれたのだ。
「お……お兄さん……」
倒れ込むカミトを支えてフローナが声を震わせる。カミトの腹部には回復薬でも再生不可能な大穴が空いていた。
砕け散った骨が、血まみれの破片となって床にこぼれる。
吹き出した鮮血がフローナの足元に血溜まりを作る。
「お、お兄さん……どうして……いや……あああああああああっ……!」
フローナの手の中から弓が落ちた。ピクリとも動かなくなったカミトを両手で抱きしめる。しかし、カミトの返事はない。
エドガーは抵抗しないフローナを眺めると、すぐにシェラの方を見た。
この場においてまだ戦闘の意思を持っているのは彼女だけだ。先にシェラを殺そうと判断したのだろう。
「き、貴様っ。よくも……」
カミトが死ぬところを目にしたシェナは顔に怒りを浮かべる。
次の瞬間シェラとエドガーの戦いが始まった。
シェラはエドガーの圧倒的な力を前に押され気味であるが、なんとか堪えていた。
しかしフローナはピクリとも動かないカミトを感情の消え失せた瞳で見つめ続ける。
「お兄さん……」
瞳からこぼれ落ちた雫がカミトに落ちる。
しかし涙で傷が癒えるといった都合の良い展開が起きる訳ではない。カミトの体から流れ出た血の池にフローナの涙が混じっただけに過ぎない。
「……カミト」
そう呟いたのはシェラでもフローナでも無かった。
この戦闘をひたすら傍観するしかできなかった少女、ユリエの漏らした言葉だった。
ユリエはカミトの体から流れ出る紅い液体を見て、徐々に心が凍りついていく感覚をもった。
何も感じず、人を殺しても動じない感情。
それはユリエがカミトと出会う前、父親によって操られていた時の心境に似ていた。
しかし今ユリエを操る魔剣はない。
ただ、認めたくない現実に直面し、心が壊れたのだ。
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