第23話 迫る刻限
「時間がない」
朝食の場でシェラとフローナを前にカミトは深刻な面持ちをしてそう言った。
神域と呼ばれる空間に数時間いたせいで、一ヶ月間時間が吹き飛んだ。
カミトの体感時間は数時間にも満たない時間だったので、その失われた時間はかなりの痛手だった。
シェラが奴隷商人を脅して得た時間が三ヶ月であることを考えると、既に三分の一程度の時間を消費してしまった事になる。
「お前が神域で無駄に時間を潰すからだ。どうするんだ? ユリエ・ランドールを買うなら既に目標金額の三分の一は稼いでいないと間に合わないぞ?」
「そうだよな……そう言えば正確なユリエの販売金額は聞いてきたか? シェラ」
「あぁ。聞いてきた。七千万ソルだ。」
カミトの予想より一千万も高い。
(まじでどうしよう……)
心中には不安が渦巻くが、カミトは冷静を取り繕いつつカミトは紅茶を啜る。と、その時フローナがカミトの肩を軽く叩いた。
「お兄さん。その人は大切な人なんですか?」
「まぁな」
紅茶を飲むカミトの隣でフローナの表情が少しだけ曇った。
しかしそれは僅かな間で次の瞬間にはいつもの清純な笑顔を向けていた。
「それならいい場所を知ってます。……というか思い出しました」
「思い出した? 何を?」
「私とお兄さんが出会った遺跡の最下層に、あの遺跡をこの世界に留める要石があるんです。それを売れば……」
何故フローナがそれを知っているか。過去のフローナは一体何者だったのか。疑問が無いわけではない。
しかしカミトに打てる手段はほとんど無かった。
「分かった。それを回収しよう」
「駄目だっ。フローナ。要石と言ったな? それが何か知らないがあれは神話の時代の遺跡だぞ! 個人的な理由で消し去っていいものじゃない!」
要石。
トンネルやアーチなどの構造物において全体を支える要となっている石。
だが、この場合の要石とはフローラが言ったとおり、遺跡という存在を世界に留める為に必要不可欠な存在だろう。
つまりそれを取り除けば、スカイタワーはこの世界から消滅する。
王族であるシェラが怒るのは当然だろう。
「あれは元々この世界のモノじゃないだろ。消えても問題ないんじゃないか?」
「だが、あの遺跡は数千年この世界にあった。突然消えれば色々と問題が起きる」
そうシェラが言うと、フローナが静かに口を挟む。
「この世界にあっても問題があると思います。なんとなくですけど、遺跡の周辺の空気……神域に似た空気がありました」
フローナがそう言うとシェラは怪訝そうに眉を潜めた。
「仮にそうだとすると何か問題なのか?」
「……ごめんなさい。上手く言葉にできないんですけど、このままじゃ駄目だと思うんです」
「ふん。そんな確証もない言葉で納得出来る訳がないだろう」
シェラがプイと顔を背けるが、すぐにカミトがシェラへ語りかける。
「昨日話した通り、フローナはシェルノの巫女だ。彼女にしか分からない事があるかも知れない。信じてみないか?」
「お前は要石とやらが欲しいだけだろう! 適当なことを言うなっ! そんなに要石が欲しいのなら勝手に取ってくればいい。だが私は協力しないからなっ!」
それだけ言うとシェラは苛立たしげに立ち上がり、部屋へ戻っていってしまった。
フローナと二人っきりになったカミトは困ったように頬を掻く。
「どうする? 正直俺だけでお前を守れる気はしない。シェラの協力は必須だ」
「ごめんなさい。もう少し信憑性のある事を言えれば良かったんですけど……」
「大丈夫だ。要石の事だけでも思い出してくれて助かってるんだからさ」
「本当ですか? 私……役に立ててます?」
「あぁ。だからシェラの説得は俺に任せてくれ」
カミトは立ち上がるとフローナの頭に手を乗せシェラの部屋へ向かう。
シェラが要石を取り除かれて困る理由はただ一つ。要石を取り除く事で国家の遺産であるスカイタワーが消滅してしまう事だ。
つまり彼女を説得するにはスカイタワーの存在が消滅する以上のメリットの提示、もしくはスカイタワーが存在して困る理由を提示しなくてはいけない。
カミトの脳裏に過ぎった一つの手段は、スカイタワー消失の対価として魔王討伐に協力する、だったが、それはシェルノ神によって警告をされた為使えない。
そんな事を考えている内にシェラの部屋の前にたどり着いていた。カミトはドアに拳を近づけると一瞬手を止め、逡巡した後にドアをノックした。
「シェラ。いるか?」
「……なんだ?」
部屋の中かがくぐもった声が聞こえる。
「さっきの話の続きだ。もう少しちゃんと話したい」
「私には話すことはない」
「俺にはあるんだ。頼む出てきてくれ」
「……」
カミトの言葉の返事の代わりとして部屋のドアが僅かに開く。カミトはドアの隙間に手を突っ込むと、無理やりドアを開いた。
「なっ……。何だ?」
驚いた顔をしていたシェラは一呼吸置き、ドアから離れるとベッドに腰を下ろす。
続けてカミトも部屋の中へ入る。
「昨日、話忘れたんだけど、シェルノに魔王討伐はするなと言われたんだよ」
「どういう事だ? なぜシェルノ神が魔王討伐を止めるのだ」
「今の俺では勝ち目がない。時が来れば自ずと、魔王を倒す機会が訪れる……って言ってたんだよ」
カミトがそう言うとシェラはつまらなそうにそっぽを向く。
「ふん。そうか……それで? その話と先程の要石の話、どんな関係があるんだ?」
「昨日考えたんだけど、ユリエを助け出したらこの街を出ようと思ってな。もちろんフローナも連れていくつもりだ」
シェルノが言っていた言葉を信じるのであれば、カミトはこの世界の実状を正確に把握しなくてはいけないらしい。
世界の実状を知るには旅をするしか無い。本を読んでも知れる知識には限度がある。本当は危険な旅に彼女たちを連れて行くなんて事はしたくない。
だがシェルノ神はカミトがここで燻っていると滅びは数日後に訪れると言っていた。
ここで燻るというのが何を指しているかは分からないが、取りあえず動く事にしたのだ。
そうなるとカミトにできるのは街の外に出るしかないだろう。そのためには滅びの訪れる数日以内にユリエを奴隷商から買い取り街を出る必要がある。
しかしシェナはカミトが街の外に出るという発言を別の意味に取った。
「……罪を犯す気か? 犯罪行為でユリエ・ランドールを取り返しても彼女は喜ばないんじゃないのか? 一回冷静に──」
「いや、犯罪行為をするつもりはない。正当な手段で彼女を救う。ただ、俺がこの街で『燻る』と滅びは数日後に訪れるって言われたんだよ。俺は早急にこの街から離れないといけない。でもユリエを助けるまではここから離れるつもりはない」
「なっ……。そういう事は早く言え。滅びとは……『燻る』とはなんだ? お前がこの街にいると駄目なのか?」
シェナの表情に焦りが交じるのをカミトは見て、首を静かに横へ振った。
「分からない。俺は、俺がこの街に滞在し続ける事が『燻る』だと判断した。だから要石を取ることに協力してくれないか? 数日以内に街を出たいんだ」
カミトはそう言うと、一呼吸おいて再び口を開く。
「……それから俺と一緒に旅をして欲しい。今の俺じゃあいつらを守る力が足りない」
カミトを街から排除するには、殺すか追い出すかの二択しか無い。その一つはカミトのアイデンティティでもある『この世界の住人ではない』という理由によって潰える。
カミトを殺せば魔王を討伐できる者はいなくなり、魔王による破壊と滅びが訪れる。
シェルノ神が予言した滅びから回避するにはカミトを街から追い出すしか無い。だが、彼は今ユリエが買い戻せないなら街から出ていかないと宣言した。
彼を街から追い出すにはユリエを買い戻すだけのお金が必要となる。
そして数日以内に七千万ソルを手に入れる手段は限られている──それがスカイタワーの要石だ。
要するにこの街の滅びを防ぎたいのであれば、スカイタワーの要石を回収するのを手伝え、というのがカミトの言っていた事なのだ。
ほぼ脅迫行為に近い言葉だった。
だからこそカミトはシェラの首を縦に振らせる自信があった。シェラは言動だけ聞けば乱暴だが優しい娘だ。街の崩壊と神話の時代の遺跡。どちらを優先させるかなんて聞かずとも分かる。
「……はぁ。分かった。街を滅ぼされると困るからな。手伝おう。要石とやらを回収して売り、ユリエ・ランドールを回収したら街を出るぞ」
「あぁ、ありがとう。それじゃあこれからもよろしく」
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