第21話 記憶喪失
ただ違うのは威圧と神々しさのある話し方はすっかり消え去り、別人のようになっていることだ。──実際先程の少女と今話している少女は別人なのだが……。
カミトの事を碧く透き通るような瞳が怯えた様子で見つめていた。
そんな少女を安心させるようにカミトは努めて優しく声をかける。
「起きたのか? 体に変なところは無いか?」
「えっと……どちら様、ですか? ここはどこですか?」
「あー。君は何処まで覚えているんだ?」
神に体を貸していた事まで覚えているのなら話は早いのだが……と、思っていが、実際に少女が口にしたのはカミトの想像を超える言葉だった。
「ご、ごめんなさい。何も……」
「何も覚えてないのか?」
「えっと……少しなら」
「少しって何を覚えているんだ?」
「名前と自分の能力とちょっとした知識だけです。ごめんなさい」
記憶喪失。
自身の人生に関わる一部であっても、その記憶が「抜け落ちた」ように思い出すことができない症状。
それが先程の神の影響か否かはカミトには分からない。
「俺は君の……友達かな。それからとある人にお前を守れと言われている」
カミトは彼女に君の騎士と自己紹介しようとした。
しかしエドガーの騎士らしからぬ行動が脳裏をよぎり、つい友達と言ってしまった。
だが、それが功を為したのだろう。少女の瞳に映っていたカミトへの恐怖の感情が和らいたように見えた。
「私を……守るんですか? お兄さんが?」
「そうだ……っていうかお兄さんってなんだよ」
「お兄さんって呼んじゃ駄目です?」
少女は少しションボリとした面持ちでカミトを見つめる。
「別にいいけど……。取り敢えず俺がお前を守るから安心してくれ」
「でも、お兄さん。私よりも守りたいと思っている人がいるのではないでしょうか?」
「えっ……」
図星だった。
まさかそんな事を言われるとも思っていなかったカミトは顔を引きつらせる。
「な、なんで分かったんだ?」
「なんででしょう? でも分かっちゃいました」
「そ、そうか……。まぁそっちの件は気にしないでくれ。ところで君、名前は?」
「フローナ。フローナ・シェルノティナです」
「じゃあフローナって呼んでもいいか?」
「はいっ」
フローナはカミトへ向かってやさしく微笑む。そのあまりにもの純粋な笑みは太陽のように眩しく、カミトは自分が溶けるのでは、と錯覚してしまった。
ちょうどそのタイミングでエレベーターの扉が音を立てて開く。
「そう言えばフローナはもう歩けるのか? もうすぐ他の人に会う事になるけど……」
「ごめんなさい。まだ歩けそうにないです」
「分かった。それじゃあこのまま行こう」
カミトがエレベーターに乗った途端、勝手にドアが閉まり下へ下降を始めた。
フローナはその微細な振動と浮遊感に恐怖を抱いたのだろう。カミトの首に腕をまわし抱きつく。
「大丈夫か?」
「はい。ごめんなさい。あ、でも苦しい……ですよね」
「大丈夫だ。フローナは安心して捕まっておけ」
「ありがとうございます」
フッと嬉しそうにフローナは微笑みを浮かべる。
次の瞬間エレベーターの扉が開き、重厚な扉の隙間から不機嫌そうな顔が顔を覗かせた。
「一体何をしていた……というかその女は一体誰だ! カミトっ!」
ずっとエレベーターの前で待っていたのだろう。
シェラは不機嫌そうに頬を膨らませながらカミトの肩を掴む。
「ちょ、やめろ。落ち着けシェラ。色々あったんだよ。事情は話すから落ち着けっ」
「落ち着いていられるかっ! 一ヶ月も何をしていた! 連絡もしないあげく、女を抱いて出てくるとは何事だ!」
感情のままに叫ぶシェラ。
しかし、彼女の言葉にカミトは引っかかりを覚えていた。
「一ヶ月? 何言ってんだよ。精々数時間だろ?」
「馬鹿を言うな! お前は一ヶ月間姿を消していた。毎日ここまで来るのも大変だったんだぞ! どういう事か事情を説明しろっ!」
シェラの怒涛な勢いにカミトが困惑していると、フローナがこっそりカミトへ耳打ちをする。
「お兄さん。あの空間は時空間の流れがズレているんです」
「そうなのか? なんで知ってるんだ?」
「分かりません。でも知ってました。ちゃんと説明できずにごめんなさい」
「いや、助かるよ」
神が宿っていた影響で神の知識の一部が流れ込んだのかもしれない、カミトはフローナの記憶にそんな解釈を添え、今なお怒るシェラを見つめた。
「シェラ……帰りながら説明をするから一回落ち着いてくれ」
「本当だろうな? その女についても嘘をつかずに話すのだろうな?」
「あぁ。隠し事は無しだ。安心してくれ」
「ふんっ」
カミトの言葉にシェラは不機嫌そうに頬を膨らませるとプイと顔を背け無言で歩き始めた。
そんな態度の良いとは言えないシェラをフォローするためカミトはフローナに申し訳なさそうな顔を向ける。
「ごめんな、フローナ。あいつ口悪いけど、悪いやつじゃないんだ」
「はい。分かってます。シェラさん毎日ここに来ていると言ってました。きっとお兄さんの事が心配だったんだと思います」
「……かもな。──そう言えば一つ言い忘れていた事が……」
「なんですか?」
「多分今から不快な思いするぞ」
「へ?」
行きと同じ様に下水道の管理通路へ降り立ったカミトは、鼻を摘みたくとも摘めない状況に顔を曇らせた。彼の鼻腔には下水の嫌な匂いが貯まる。
しかし取り繕った笑顔をフローナへ向けた。
「まぁこういう事だ。悪いな。臭いが我慢出来なかったら鼻を塞いでくれ」
「私は大丈夫です。……お兄さんはつらそうですね」
「ま、まぁな。あんまり気分の良い臭いじゃないからな」
と、カミトが言った途端、フローナはカミトの鼻に手を伸ばし、彼の鼻を摘み笑顔を向ける。
「すまん。助かる」
可愛らしい少女に鼻を摘まれている状況でカミトはドキドキとしつつ、先行して進むシェラに追いつこうと歩く速度を早めた。
すぐにシェラに追いつき、同時に彼女はカミトを睨む。
「それで? 一ヶ月も姿を消していた理由はなんだ?」
「……神に会ってた」
「嘘は無しと言っていなかったか? そもそもそんな事信じられる訳が無いだろう? 実際に会ったと言うならどの神に会ったんだ? 実際に会ったなら答えられるだろう?」
「さぁ? 滅びゆく神の一柱だからって教えてもらえなかった。向こうにも都合があるらしい」
「……それじゃあその女は一体何だ?」
シェラはカミトが横抱きにしているフローナへビシッと指を指す。
「神に仕える巫女らしい。件の神はフローナに宿っていた。ちなみに彼女は記憶喪失だ」
怪訝そうな顔をするシェラは小さくため息をつくと、カミトに近づく。
「な、なんだよ?」
「神降ろしという事だろう? 少し確認させてくれ。お前が嘘をついているか、すぐ分かる」
そう言うとシェラは手を伸ばしフローナに触れ、目を閉じる。
しばらくするとシェラは目を丸くして顔をあげた。
「この神気……本物だ。お前……本当に神に会ったのか?」
「だからそう言ってるだろ。ついでに言うとその神にこの娘を守るようにもお願いされたんだよ。だからもっと丁重に扱え」
「……その話は後でもっと詳しく話せよ?」
それだけ言うとシェラはプイとそっぽを向いた。
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