第20話 知っている光景

「機密って何だよ? ここにスカイタワーがある理由も知ってるのか?」

「帰ったら神話でも読め」

「やだよ。そもそもこの世界の文字はまだほとんど読めないんだ。音声言語が一致しているからある程度覚えやすくはあるんだがな」


「はぁ……異世界から来たとされる神シェルノ様が、神々との最終戦争の最中、魔力も能力も存在しない世界の物体を召喚し他の神々に対抗したという話がある」

「……それは実話なのか? この何の変哲もない電波塔でどうやって対抗したんだ?」

「知らん。だが事実として異界の遺物はここにある……ところでカミト、この小部屋はなんだ?」


 シェラは突然扉の開きっぱなしになったエレベーターを指差した。

 カミトからすればおかしな物ではないのだが、何も知らなければ確かに鉄の小部屋にしか見えないのも分かる。


「これは何て言えばいいんだろうな? 階段の代わりっていうか……ここに入ってスイッチを押すと──え?」


 言葉に詰まったカミトが実際に行動で実践してみようと中に入った瞬間、扉が閉まった。

 異世界に転移したスカイタワーに電気は通っていない。加えてカミトはスイッチを押していない。勝手に扉が閉まる訳がないのだ。


「ちょ、待てっ……マズイ。シェラを置いてきちゃった……」


 シェラを置いてきたという焦燥と共にカミトが感じたのは体が上昇していく感覚。

 どうやらエレベーターが上に登っているらしい。

 エレベーターに乗ったカミトに止める手段はなく、上昇速度はどんどん加速していく。

(展望デッキに向かってる? だけどこのエレベーターは……展望デッキまで登れないぞ)


 そもそもこのスカイタワーは切断され展望デッキに繋がっていない。

 加えて商業施設に設置されたエレベーターが移動できるのは地下三階から地上十階まで。カミトが乗ったのは商業施設のエレベーターなので展望デッキへ移動できる訳がなかった。

 しかしエレベーターはどんどんと上昇していく。そしてエレベーターの上昇が止まり、重厚な鉄の扉が開いた。


 次の瞬間、カミトの心中に渦巻いていた疑問は爆発的に膨れ上がることになる。

 眩しい太陽の日差しがカミトの視界を眩ませる。だが目を閉じて数秒経つと目が慣れ、カミトの瞳には衝撃的な光景が映り込んだ。


「こ、ここは──展望デッキ⁉ なんで! 展望デッキは地面に落ちてただろ。しかも──」


 カミトの瞳にはビルの乱立した東京の町並みが映り込んでいた。


「元の世界に戻ったのか? 駄目だっ! それじゃあユリエを……」


 しかしガラスに映る自分の姿は元の世界の姿では無い。加えて晴れやかで見通しがいい空をしているにも関わらず、スカイラワー内には観光客は誰一人としていない。

 少なくとも自分の姿が以前と違う以上、依然ここは異世界だと言えるだろう。


「エレベーターは?」

 カミトは慌てて駆け寄ったエレベーターのスイッチを押してみる。だがいくら待ってもエレベーターは動かない。


「くそっ。展望デッキに閉じ込められたか……。とりあえず探索をしよう。シェラを置いてけぼりにするのはマズイ。早く帰る手段を見つけないと」


 カミトはエレベーターにから出ると、グルリと展望デッキを一周した。

 それによって分かったのは、この空間は元の世界でも先程までいた世界でもないということだった。

 展望デッキに設置された望遠鏡で東京の町を確認してみたが、街を歩く人は誰一人いない。それどころかスカイタワーの周囲を囲むように一定の距離以上は白い霧の壁で覆われている。


「……一体どうなってるんだ。……クソッ。なんにも分からない」


 カミトは誰もいない東京の町並みを呆然と見つめる。

 しばらくそうして何もせずぼんやりとしていると、展望デッキ全面に張られた強化ガラスに自分の姿以外の生物が映っている事に気が付いた。

 カミトは自然と腰に差した剣に手を伸ばす。


 次の瞬間、カミトへ向かって三メートルを超える巨大なトラが飛びかかってきた。

 白い毛並みに赤い瞳。恐ろしい姿とは裏腹に見惚れる程の美しい毛並みをしたトラは凄まじい速度でカミトに牙を向ける。


「やばっ!」


 間一髪、その場から飛び退いたカミトの目の前でトラの前足がスカイタワー全体を大きく揺らす一撃を放った。

 衝撃に巻き込まれカミトは吹き飛び、支柱に全身を強打する。


「かはっ……‼」


 痛みに耐えながらもカミトは立ち上がり、トラへ剣を向けた。

 しかしカミトの愛剣である《紅炉の星剣》は白き光沢を完全に失っていた。カミトが握っているのはただの剣。魔力を込めれば熱を放つ剣は冷たく、光を反射するだけ。


「どうなってる。もしかしてこの空間だと魔力が使えないのか? もしかして能力も……」

(そんな事言ってる場合じゃねぇ!)


 嫌な予感がしたカミトが再度回避行動を取った瞬間、彼が先程まで背を預けていた支柱が粉々に砕けた。

 しかし攻撃を行ったはずのトラは先程の位置から全く動いていない。


「お前は魔力が使えるのかよ! ふざけんな。理不尽じゃねーかっ!」


 理不尽な状況にカミトには叫ぶが、彼にはトラの攻撃を回避するしか打てる手段がない。

 だがそれも限界がくるのは時間の問題だった。なにしろ既にカミトはトラの攻撃による余波でボロボロになっているのだ。


「くそっ。どうすれば」


 剣は使えず、移動速度、力は圧倒的に劣っている。更に向こうは魔力を使えるらしい。勝ち目は絶望的だった。

 勝機を探しカミトはスカイタワー内を見渡す。そしてこの場における唯一の勝機を見つけ出した。

 トラの立つ場所は強化ガラスすら粉々に砕け、床には数メートルにわたる巨大な亀裂ができていた。


 カミトはそれだけ確認するとトラに背を向けて一目散に逃げる。

 すぐに背後から息の荒い唸り声が近づいてくる。走る速度は当然トラの方が早いためギリギリだったのだが、なんとか間に合った。


「今だ!」

 展望デッキをグルリとまわったカミトは、突然踵を返し迫りくるトラを睨む。

「タイムディレイ!」


 スキルを発動したのと同時にカミトは迫りくるトラの爪から大きく飛び退いた。

 トラから見ればカミトは突然加速した様に見えただろう。そのおかげで奇跡的にトラの攻撃はカミトに当たらず、亀裂の入った地面に更に強い衝撃が加わった。同時に大きな亀裂が生まれ床が崩壊する。

 そのままトラは崩壊した床の穴に飲まれ、数百メートルの高みから落下していった。


「……予想通りスキルは使えたな」


 カミトは警戒した表情を崩さず、落下していくトラの姿を見つめ続けた。──と、その時ホッとため息をつくカミトの背後で称賛の拍手が鳴り始めた。


「誰だ!」


 振り向けばそこに透き通るような金色の髪をした一人の美少女が立っていた。

 神が直接作り出したかのように整った綺麗な顔。ワンピースの裾から覗く足はしなやかで、つま先までスラリとのびている。

 彼女は靴を履いていないにも関わらず、足裏は一切汚れていなく、足音の一つすら立っていない。


 まるで幽霊の様に異質な雰囲気を漂わす少女は静かにカミトに近づく。

 よく見れば彼女の蒼い瞳には魔法陣のようなモノが刻まれており、全身からは青く透き通った煙のようなモノが纏わりついていた。

 そして彼女を見た瞬間からカミトには一つの確信があった。


「お前が……俺をここにつれてきたのか? あの魔物もお前の仕業か?」

「そうだ。我の仕業だ。それにしても随分と遅刻をしたものだ。お主がここに来るまで長らく待った」

「はぁ? どういう事だよ」


 カミトがこの世界に来て一ヶ月と少し、彼女がカミトをこの世界に呼んだのならば、一ヶ月近くここで待っていたということになる。


「一ヶ月近くここで待ってたって事か? もしかしてお前が俺をこの世界に呼んだ犯人なのか? 一体どういうつもりで……」

「……お前をこの世界に呼んだ理由はあった。だが今はそんな理由存在しない」

(理由がない? そんな滅茶苦茶なっ)

「り、理由がないなら戻れるのか? 元の世界に!」

「否、無理だ。お前の存在は元の世界から完璧に消失し、こちらの世界の住人として既に魂が定着している。そもそも戻れる手段があっても戻る気はないのだろう?」

「あぁ。戻る気はない……少なくとも今はな」


 カミトがそう言うと少女は満足そうにニヤリと口角をあげた。


「お前をこの世界に呼んだ理由は消えたが、今回お前を〝この場所〟に呼んだ理由はある」

「なんだよ……変な理由だと許さないぞ?」

「……ふむ。簡潔に言うとこの体を預けようと思ってな」

「ん? 何言ってんの?」


 この少女は頭がおかしいのだろうか? カミトがそう思っていると少女は眉を寄せ、小さくため息をつき、カミトを見つめる。


「察しが悪いな。我は今この少女の体に憑依しているだけだ。だからお前にこの少女を守って欲しい」

「察せるかよ! 何だその滅茶苦茶な話はっ。そもそもお前誰だよ! 名を名乗れ」

「我の名など知らずともいい。滅びゆく神の一柱だ。ここにあるのはただの残留思念。それに私の名はすぐに知ることになる。語る必要はない」


 どうやら名前を名乗る気など微塵もないらしい。カミトが不満そうな顔をしていると、彼女は僅かに微笑んだ。


「これから現世に最大の干渉を行う我はあまりハッキリとしたことを言えないのだ。……だが、この者は我の分身、否、我の巫女だ。きっとお前の旅の手助けになるだろう」


 妙に確信を持った言い方をする少女はカミトの元へ歩み寄る。


「手助けってなんだよ? 魔王討伐か?」

「ふん。魔王……か。まぁよい。今は魔王を倒そうとするな。無駄死にはする必要はない。時が来れば自ずと、かの者を倒す機械は訪れようぞ。今は白髪の少女を救うことだけ考えろ」

「……それは神としてのお告げか?」

「そうだ。物事には最適なタイミングがある。それを見誤ればお主にとって不都合な運命しか訪れないであろう……さて、もう時間だ」


 少女はそう言うとカミトの首に手をまわし、頬にキスをする。


「なっ──」

「これから苦難の道を歩むお前へのプレゼントだ。大切に使え……と言ってもすぐに使うことになる」


 訳の分からない事を言うのと同時に少女の全身から光が溢れ出す。

 まるで神である彼女の存在が光の粒として少女の体から溶け出しているように。


「お、おい」

「最後にもう一つだけお前にアドバイスを与えてやろう。何故この世界に呼び出されたか、そしてこの世界の実状を正確に理解しろ。あの街で燻っていれば滅びは数日後には訪れる」


「……異能の力ってスキルの事か? 滅びって……」

「我が巫女を頼れ、それから白髪の少女も……お前の力になる」

「はぁ? どういう事だ?」


 カミトが問うと少女はフッと微笑み、糸の切れた人形のようにふらりと力を抜いた。

 残ったのはこの世の光景とは思えない綺麗な光の粒が舞う景色と残された金髪の少女だけだった。


「帰るか……」


 確信は無かったが、カミトはエレベーターが起動すると知っていた。

 実際、少女を横抱きにしてエレベーターのボタンを押すと、機械の駆動音が聞こえてきた。


「シェラは大丈夫なのか? ……心配だ」

 独り言を呟くカミトはエレベーターが到着するまでの間、先程の話を思い起こしていた。

(スキルの正体? スキルの正体ってなんだ? 魔法でも能力でもない……魔力や能力を発動できない空間でも関係なく使用できる異能)


「駄目だ……何も分から──」

「誰……ですか?」

 つい先程まで神を名乗っていた少女の声がすぐ近くから聞こえてくる。

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