第13話 最悪の日

 そんな生活が続き貯金などは一切貯まらないまま約一ヶ月程経った。

 生活の質は向上することはなかったが、一方でユリエという存在がカミトの心の中でどんどんと大きな存在になっていた。

 それも仕方がないだろう。


 自分を慕ってくれる女の子と文字通り一ヶ月も寝食を共にしたのだ。彼女に何の感情も抱かない方が失礼に当たる。

 しかしその日はいつもと違った。


「ユリエー。どこ行ったー?」


 その日、普段はカミトから離れる事のないユリエが部屋にいなかったのだ。

 連絡もないのにユリエが消えるなどありえない。

 そんな事はこの一ヶ月間、一度もなかった。


「うーん。どうするか……やっぱり心配だな」

 カミトはウロウロと落ち着きのない足で部屋を歩き回る。それは日暮れまで続いたが、ついぞユリエが部屋に戻ってくる事は無かった。

「やっぱりおかしい……」


 カミトは真っ直ぐ宿の一階へ降りると、宿の主人へ声をかけた。

「おじさん。今日ユリエ……白髪の女の子ここを通ったか?」

「ん? あぁ。通ったぞ。朝前だったかな。普段はお前さんと一緒に宿を出ていくのに一人で出ていったから印象だったぞ」


「嘘だろ? 一体何をしに出ていったんだ?」

「そういえば……お前さん宛ての手紙も受け取っていたな。騎士の制服を着た奴が渡してきたぞ。まぁ次の恋に励めや兄ちゃん」


 完全にカミトが振られたという扱いをしてくる宿屋の主人。

 しかしカミトはそれよりも手紙が気になっていた。そして手紙を渡したという騎士とやらの正体に心当たりがあった。

 一ヶ月前、カミトがこの世界に来た時に出会った騎士の一人、親友を失いカミトを恨んでいた奴が一人いる。


(エドガーだ。あいつ……俺に復讐をするつもりなんだ。くそっ)

 カミトは焦って手紙を破りそうになりながらも手紙の封を破く。

 手紙の中には二枚の紙が入っていたが、


「なっ……」

 手紙の内容に目を通す前に付属された一枚の書類を見て、カミトは力なく地面に崩れ落ちた。


(やられたやられたやられた……畜生っ!)

 胸の奥底から湧き上がる怒り、憎しみ、苦しみ。その全てを発露させるように床に拳を勢いよく叩きつける。

 拳から血が流れるがカミトは構わなかった。


「おいおい。兄ちゃんどうし……あちゃー。これはやられたな」


 宿屋の主人はカミトの手から離れた一枚の書類を見て絶句していた。

 カミトが見た書類。それはとあるモノの買い取り書だった。──ユリエ・ランドールの買い取り証明書だ。


 書類には丁寧に奴隷商の印鑑が押されている。書類の最後にはユリエ・ランドールの買い取り値が記載されているが、それは法外な値段をしていた。

 カミトが臓器を全て売り飛ばしても足りない額だ。


「かなり高額だな。まぁあれだけ綺麗な娘ならこの値段になるもの当然か? それにしても高すぎる気がするが……」


 宿屋の主人がそう言うのを聞きながら、カミトは話を切り上げ静かに部屋に向かう。

「おい。お前さんこれからどうするんだ」

「決まってるだろ。エドガーを殺す。そしてユリエを買い戻す。奴隷っていうのは主人の判断で奴隷から開放出来るんだよな?」

「待て待て! 騎士に勝てる訳がないだろう。それに国を守護する騎士を殺すのは重大な犯罪だぞ!」


 宿屋の主人は慌ててカミトに飛びつくと、抵抗できないようにカミトの両脇に腕を通し、拘束する。


「関係あるか! あいつは俺が守るんだ。何をしてもユリエを取り戻す! そしてエドガーを……」

「駄目だって言ってるだろ! 諦めろ。それに騎士を殺して騎士の受け取った金を奪ったとしても買い取り値より店売りの値段はもっと高い。こんな宿に泊まるお前には買い戻せない。あの少女の事は忘れるんだ」

「ざけんな! お前にユリエの何が分かるんだ! あいつは……あいつは俺を守るって言ったんだぞ。こんな俺を……」


 それっきり暴れる事をやめたカミトを見て、宿屋の主人はカミトから離れ、何か慰めの言葉を言っていたが、カミトの耳には一切入っていなかった。

(宿屋の主人が止めてくれたおかげで多少冷静になれた)

 今後もこの街に住むのなら強引な手段を取ってはいけない。仮にユリエを救い出しても街を追われるような事をすれば、魔物の蔓延る外壁の外の生活に未来はない。


 そして立場の守られた騎士がユリエを売った以上、事情を説明しても返却は望めない。騎士の侮辱に繋がり、カミトの方が抹殺されるだろう。

 守るモノがあるカミトには取れる選択肢は限られていた。もし宿屋の主人が止めなければカミトは怒りに任せ、エドガーを殺していただろう。


「……すまん。おっちゃん」

「冷静になったか。それで? どうするんだ?」

「金を稼ぐ。そして正当な手段でユリエを買い戻す」

「正気か? この値段、一般人が人生を何度やり直しても稼げないぞ?」

「だからこそチャンスはある。高額だからこそ買い手は付きづらい」

(もし買い手がつけばそいつを殺すだけだ)


 カミトは本気の瞳をしていた。

 この世界において居場所など無かったカミトにユリエは唯一居場所を与えてくれた。

 その恩は図りしれず、心の救いにもなっていた。

 ユリエを取り戻す為なら何でもする。その決意はカミトの心の奥底にあった感情の一つを消し去っていた。


「しかし、こんなも一流冒険者にでもならないと……まさか兄ちゃん」

 宿屋の主人が背後で何かを言っていたが、カミトはそれを無視し部屋に戻ると荷物をまとめた。

 そして宿を飛び出したカミトはとある場所へ向かう。

 それはこの街でもトップクラスに高額な宿。シェラ=アレクシア・フォン・メルシアの住んでいた宿だ。


 彼女はカミトが異世界から来たという事情を知っている上に、カミトに『世界を救って欲しい』と言っていた。恐らく彼女もカミトの旅に同行するつもりだったのだろう。


 つまり彼女にはレベルの低いカミトを援護し、カミトの成長を手助けするだけの実力がある。頼るなら彼女しかいないという判断だ。

 加えて彼女の最終的な目的はカミトが強くならないと達成されない。


「シェラ=アレクシア・フォン・メルシアを出せ」

 宿にたどり着いたカミトは即座に宿の受付をしていた女主人へ脅すようにそう言った。

 実際カミトの表情に余裕は無いので脅しているように見えるかもしれない。

「は、はい?」

「早くしろ。ここに泊まっていたはずだ。いないならどこに行ったか教えろ」

「わ、分かりました」


 女主人はカミトの腰に差してある剣をチラリと見た後、慌てて背後にある箱を開いた。

 そこには部屋の番号と紐のようなものがぶら下がっていた。その内の一つ二〇三号室と書かれた紐を何度か引っ張った。


「あ、あの……すぐに来ると思うので少々お待ち下さい」

 宿の女主人がそう言って数分経った。

 たった数分も待てないほど神経を張り詰めていたカミトの前に薄桃色の髪をした女性が少々髪に水を滴らせながら出てきた。


「緊急ベルを鳴らして一体何のよ──お前は」

 お風呂に入っていた最中だったのだろう。途中で呼び出され苛立ちを隠せていないシェラはカミトを見て目を丸くした。

 しかし、それも一瞬で次の瞬間にはカミトを軽蔑した瞳で睨みつけていた。


「弱虫男が一体何のようだ? お前は私の頼みを蹴った。特に話す事もないはずだが?」

「その弱虫野郎は死んだ。ここにいるのはお前が知っている弱虫男じゃない」


 シェラはカミトの発言に眉をしかめる。

「どういう事だ?」

「気が変わった。早急に金がいる。だから冒険者になることにした。お前も手伝え、俺が強くなる事はお前にとっても都合が良いはずだ」

「ふん。金か……。賭け事で擦ったか? その程度で気が変わるとはお前の死の恐怖とやらも大した事がないな」


 そうシェラが言った瞬間、カミトはシェラの胸ぐらを本気で掴んでいた。

 彼女の着ていた風呂上がりのローブは大きくめくれ上がり、彼女の白い柔肌が顕になる。

 それを見ていた宿屋の女主人が制止の声をかけるが、カミトには些細な問題だった。


「ふざけるなっ! ユリエはその程度じゃない! 金? 金ならいくらでもくれてやるよ! ユリエさえ取り戻せるならな! 今の言葉を取り消せ。じゃないと──」

「お前……」


 カミトの鬼気迫る表情を見て、シェラは考えを改めたらしく僅かに後ずさり、バスローブを整えると頭を下げた。


「すまない。お前もこの一ヶ月色々あったのだな。スラムに住んでいたという情報は知っていたからついな……。先程の言葉は取り消す。悪かった」


 冷静に頭を下げるシェラを見てカミトもすぐに冷静になった。

「悪い……ともかく冒険者になりたい。何が必要だ?」

「落ち着け……事情は聞かせろ。それから……髪を乾かしていいか?」

 シェラは濡れそぼった髪を纏めながらそう言った。

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