第6話 謎の少女

(いや、まだ……。世界は救えずともあの娘くらい──最後まで救ってみせる! せめて安全な場所に逃げるまでは!)

 カミトの瞳に闘志の火が灯る。


「タイムディレイ」


 ポツリとカミトが呟いた瞬間、世界の時間の流れそのものが、通常の時間の流れの二分の一の速度に変化した。

 時間の流れをそのもの遅延させる──強力すぎる故にカミトは本来獲得できたはずの様々な能力を取得する事ができなかった。


 時間の流れそのモノに干渉するなど、到底人にはできない行為だからだ──まさに神業。

 それが発動すると同時にカミトの視界の端には『タイムディレイ』の発動限界時間やスキルそのもののレベルが表示される。


 レベルは一、発動限界時間は五秒だ。これは遅延された世界での五秒なので、カミトの体感は引き伸ばされ五秒が十秒程になる。

 その十秒を使いカミトは立ち上がると、拳を振るっていた男達の拳の進行方向を捻じ曲げスラムの住人の一人に向ける。


 突然カミトの動きが加速したと勘違いしたスラムの男たちは、驚きのあまり振るった拳を止めることができず味方を殴りつけた。

 そして余った時間で再びカミトは少女が走り去っていった通路に立ちふさがった。

 次の瞬間、元の時間の流れに戻ったスラムの住人はカミトを強敵として認識したらしく、真顔で睨みつけていた。


「かかってこいよ」


 カミトはスラムの住人たちを煽るが、すでに彼の使える手駒は全て使い切られた後。もはや抵抗する手段はなく数秒後には数の暴力に屈する事は必然。


「お前らっ。こいつを取り囲めっ」


 スラムの住人達がカミトを取り囲む。

 カミトは彼らを見て、スッキリとした顔をしつつ、両手を上げる。

 そもそも時間の流れに干渉するスキルを持っていながら、何故カミトが世界を救う事を拒否したか──それは『タイムディレイ』が連発できるものではないからだ。

 実際、カミトの視界の端には次に『タイムディレイ』の発動までに掛かる時間が表示されていた。


「五分か……流石に無理だよな」


 この世界の住人はスラムの人間ですら、地球の成人男性の二倍程度の運動能力を有する。

 スキルも使えないカミトには勝ち目など存在しない。

 しかしカミトの両手をあげたポーズを煽りだと認識したスラムの住人達は更に怒りの感情を激化させた。


「奇妙な技を使いやがって! 殺せ!」


 男たちが近場に置いてあった木の棒や角材などを拾い上げ、カミトに殴りかかってくる。

 抵抗をしないカミトの頭部に角材がぶつかり彼は地面に倒れ込む。


「う……っぐ」

「ひゃっはっは。こいつ、たった一撃で倒れやがった」


 スラムの人間たちの下卑た笑いが頭に響き、カミトの意識が遠のいていく。朦朧とした意識の中、突如としてスラムの男たちの絶叫が響く。


「や、やめろ。うわああああああっ」

「く、来るなぁぁ!」

「ああああああああ!」


 やがて男たちの声はピタリとやみ、歩幅の小さな足音がカミトへ近づいてきた。


「──大丈夫ですか?」


 細い腕に抱き起こされる感覚を覚え、瞳を開くと深紅の瞳と目があう。

 逃したはずの少女、彼女が助けに戻ってきたらしい。

(ははっ。俺カッコ悪いな)

 そんな事を思いながらカミトは重くなっていく瞼を閉じた。

 瞳を開くと、眼前には青い空が広がっていた。


「夢……か?」

 そう思ったが、殴られた頭部に痛みは残っている。

「あの娘は?」


 周囲を見渡してみるが少女はいない。それどころか普段は大勢いるスラムの住人の姿が一人も見えない。


「まぁ……あの娘かなり強かったし、俺が心配する必要もないか。そもそも俺が助けに行った意味ないよなぁ……」


 カミトはポツリと呟くと建物の隙間から見える空を見上げる。この数週間でこの行為にも大分慣れてしまった。

 カミトは何も起きる事のない時間を特にすることもなくぼんやりとする。そんな事を十数分続けていると、カミトの右の視界に白髪の髪の毛が映り込んだ。

 しかしそれは僅か一瞬ですぐに路地の影へと消える。


「気のせいか?」


 そう言いつつ人の視線を感じる方向から視線を逸らすと、路地の影から白髪の髪の毛が顔を覗かせる。


(……気の所為だ。そもそもあの娘が俺を見てくる理由がない。幻覚に決まってる)

 じ────────っ。

(本当に気の所為か? やっぱり見てるような……)


 気の所為かと思ったが、やはり気になり横目で視線を感じる方向を見る。

 そこではカミトが助けようとした女の子がカミトに向かって謎の視線を向けていた。


 じ────────っ。


 一体いつから見ていたのか分からないが、視線で人が殺せるなら軽く百回は殺されていただろう。


 スラムにいる人間は他人に興味など抱かない。自分の事だけで必死だからだ──だが彼女だけはカミトを見る。じっと見つめる。見続ける。

 恐らく彼女は気が付かれていないと思っているのだろうが、視線というのは自分が思っている以上に相手は察するものだ。


(すこし話しかけてみるか。お礼も言ってないしな)


 カミトが立ち上がると、少女は素早く路地の影へ姿を消す。

 しかし今回はカミトも彼女を追って歩き、路地の影に潜む少女の近くへ向かった。


「なぁ? 君?」

「──っ!」


 カミトが声をかけると、少女はビクリと肩を揺らしゆっくりとカミトの方を向いた。

 まさかカミトが声をかけてくるとは思っていなかったのだろう。少女の顔は僅かに引きつっていた。


「だ、大丈夫か?」

「──です」

「ん? なんて言った?」

「──丈夫……です」


 恐らく大丈夫と言ったのだろう。声が小さく何を言っているか正確には分からなかったが、口の動きからそう判断するとカミトは少女を見つめた。


「この間はありがとう。助かった」

「──ない」

「ん?」

「問題ない」


 それだけ言うと少女はカミトへ背を向けた。

 話は終わりと言う意思表明だろう。それを見てカミトは彼女から一歩離れた。

 スラムにいる人間には人それぞれ理由がある。

 彼女は自分の事情を深く詮索されたくないのだろう。カミトはそう考えると彼女へ背を向け、もといた場所へ戻った。


 そして再び地面に腰を下ろし、ぼーっと建物の隙間から見える空を見上げる。すると再び路地の奥からじ──っとした視線が向けられる。

(やっぱり見てくる。……一体何なんだ?)

 カミトは顔を少女のいる方へ向ける。


 素早く少女はカミトの視線から逃げるように路地の向こうへ姿を消す。

 しかしカミトは少女の居場所をひたすら見続けた。少女がカミトを見つめるようにただひたすら少女が隠れた壁を見続けた。


 しばらくすると、路地の向こうから顔がひょっこり出てきて、カミトと少女の視線が重なる──と思った瞬間には少女は素早く路地の影に身を潜める。

 けれど、ある程度時が過ぎると再び路地の向こうから顔が覗いてくるのであった。

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