第5話 逃亡の先に……

 シェラの「世界を救って欲しい」という願いを蹴り、スラム街まで逃げてきてどれほどの月日が経っただろう。


 一週間~二週間以上の時間をそこで生き、スラム街の生活になれ始めたある日。

 カミトはスラム街にまるでふさわしくない綺麗な身なりに身を包んだ少女を見つけた。


 少女の年齢はカミトより三歳程度下だろうか。

 左右の瞳の色は燃えるような深紅の瞳(ルビーアイ)。すっと通った鼻筋と西洋人形のように白い雪色の肌。

 腰まで流れた白く長い髪はツーサイドアップでまとめられており、彼女の白髪は暗いスラム街を照らすかのように美しい。

 身長はカミトより十五センチ近く下だがまだ成長の余地が残っているだろう。

 胸の膨らみはつつましやかで、体は全体的に細身で触れてしまえば折れてしまいそうだ。


 その美しさにカミトは目を奪われ、彼女を放心した様にただ見つめていた。

 しかし、ハッとしたカミトはすぐに少女の方へ走った。

(こんな所に綺麗な身なりで来れば襲われるぞ!)

 これは実体験だった。このスラムに来たばかりのカミトは魔物に襲われ服は破れていたが、綺麗な身なりをしていたのでスラムの住人に金目の物を持っていると勘違いをされ襲われた。


 彼女も同じ様に襲われる可能性が高い。加えてあの少女は女の子だ。綺麗な身なりをしていなくてもあの容姿であれば性的に襲われる可能性も否定できない。

 曲がり角を曲がった少女を追いかけ、カミトは曲がり角に身を乗り出す。

 しかし──。


「い、いない?」


 カミトの心にジリジリとした焦燥感が生まれる。一瞬の間に攫われたかもしれない。

 慌ててスラム街の中を駆け巡る。路地の突き当りを曲がった場所で白色の髪の毛がなびくのが見えた。


「いたっ」


 再び少女が曲がり角を曲がった途端、路地の奥から恐喝するような叫び声が聞こえた。


「持ってるものを出せっ! それから着ている服もな」

 下卑た笑い声が複数聞こえる中、カミトは声が聞こえた通路へ飛び出す。

「お前らっ!」


 カミトの張り上げた声を聞いたスラムの住人達はビクリと肩を揺らす。しかしカミトの姿を見てホッとため息をつく。

 恐らく見回りに来た衛兵が声をかけたのと勘違いしたのだろう。彼らはカミトへの興味を失いすぐに通路の突き当りに追い込んだ少女を見る。


「新入り。お前もこいつで遊ぶか?」


 カミトの近くにいた男の一人が少女を指差し言う。指差した先にいた少女は男たちに押し飛ばされたのか、地面に座り込み白く綺麗な服を泥で汚していた。

 一瞬、少女はカミトへ怯えた瞳を向けるが、次の瞬間には彼女の深紅の瞳はカミトの全身を舐めるように見つめていた。

 しかしカミトは彼女の視線に気がつかない。スラムの住人の問いに答えず彼らを睨みつけていた。


「こんな女の子に手を出すとか本来で言ってるのか?」


 カミトは敵意丸出しで言ったが、カミトが話しかけた男はニンマリ笑いカミトを押し飛ばした。


「まぁお前は最後だ。退いてろ。まずは俺からだ」


 カミトが話しかけていた男はどうやらこの場におけるリーダー的な存在らしい。少女を取り囲むスラムの住人達はリーダーの男だけが通れる様に人垣を割っていく。

 それを見たカミトの体は自然と動いていた。先手必勝と言わんばかりに問答無用でリーダーの男の顔面に拳を叩きつけた。

 男の口から血液と唾液の混じった液体が飛び、スラムの住人が息を飲む中カミトは少女を見た。


「早く逃げろっ! ここは俺が守るからっ」


 ちっぽけな勇気を振り絞ったカミトは少女が逃げる姿を見届けた後、スラムの住人達の前に立ちふさがる。

 カミトは臆病な部分がある反面、正義感がそこそこ強く悪は見過ごせない。シェラの頼みを蹴ったのは現実味の無い話に加えて『死の恐怖』が勝っただけなのだ。


「ここから先は通さない」


 カミトもこのスラムに身を潜ませている以上、彼らには逆らっては生きていけない。それでもカミトは目の前で傷つく人が生まれるのを見過ごせなかった。

 だが既にスラムの住人の標的は少女でなくカミトへ向けられていた。カミトがリーダーの男に手を出した瞬間から彼らにとって少女は大した価値は無くなっていたのだ。


「調子に乗るなよ! 新人がっ!」


 カミトの死角外からスラムの住人の一人がカミトへ拳を振る。拳はカミトの側頭部へ直撃し、勢い余ってカミトは壁に頭部を打ち付ける。


「ぐはっ……!」


 激痛が頭部から背骨を通り全身へと広がるのを理解しながらカミトはフラフラと立ち上がる。気がつくと右の視界が赤く染まっていた。

 ぶつけた場所から出血しているらしい。遅れてカミトをクラリとした目眩が襲う。

 それでもカミトのスラムの住人達を睨みつける瞳は揺るがない。

 そんなカミトに腹が立ったのだろう。スラムの住人たちはカミトを取り囲み、荒々しい滅茶苦茶な動きで拳を振るい始めた。


「こいつ、殺しちまおうぜ!」

「おうっ!」

「ついでにさっきの女のひっ捕まえて、こいつの前でメチャメチャにしてやろうぜ。どうやらこの男、あの女に興味があるみたいだしな」

「それいいな。だれか、手が空いてる奴、あの女を捕まえてこい」


 下卑た笑いと会話が交わされるのを聞きながらカミトはただ殴られ、受け身を取ることしか出来ない。


(くそっ。もっと力があれば)

 悔しいという感情が心に芽生えるが、世界を救うと言う行為を放棄した自分にはふさわしい罰だとも感じていた。

 そもそもカミトは臆病な自分を罰する為に……罰を受けるためにあえてスラムで生活していた。そんな彼が一人の少女を救い、彼女を救った事により殺される。


 泣きたくなるような激痛がある反面、カミトは自分の行った行為に満足していた。唯一心残りがあるとすれば、あの少女を最後まで助ける事が出来なかった事だろう。

 カミトはスラムの住人に殺される事を甘んじて受け入れようとした。


 しかし──。

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