溺 愛

 曇天である。

 夜にはパラパラと降っていたようで、舗装されていない土はまだ濡れている。

 助手席に座った真美まみは、窓をあけて風を頬に受けていた。勝手に元カレに連絡レラしたあやへのもやもやとした感情の火照ほてりをましたかった。

 乗っているのは航一の車で、実家に車で帰るつもりでいたのだろう、持ち帰る電化製品や本などが後部座席に置かれたままだった。どうやらあやは、航一には新幹線での帰省を促したらしい。

 それだけ真美まみとのドライブを優先したのだろうが、どこに向かうのかも告げようとしないあやの不審な行動には、さすがに真美も辟易へきえきしかけている……。

 まして、なぜ、元カレの連絡レラしたのか……その答えをまだ真美はもらっていないのだ。

「……事情をね、からくためよ」

 ぼそりと綾が言う。ぼそり。あえて低声こごえになるのは、走行の騒音にまぎれることをあやが望んでいたのか、聞き耳を立ててしっかりと聴いてね……とのサインなのか、真美まみにはわからない、伝わらない。

「あのね、マミン……ハクシの中学校時代の担任の先生……つばさクンのお母さんだってこと、知ってた? 知らなかったでしょ?」

「え? どういうこと?」

「あたし……あれから、いろいろ、翼クンのこと調べてみたの」

 平然とあやは言う。

「……だって、マミンたら、翼クンと別れるなんて言い出すしさ……告げ口したあたしのせいかも……って悩んで……」

「あ!」

「だ、か、ら、航一さんにも頼んでね、こっそり、“翼クン情報”を集めてもらったら……」

「え? そこまで?」

「だって……マミンには、マミンらしくいてほしいから」

「・・・・・・・?」

「……マミンは……あたしのだから……あ、言っちゃった」

 てへてへと舌を出しながら、ふっと笑って頬を赤らめたあやの横顔は、あたかも雲間くもまから心細げに光がしているかのように、そのあたりだけ輝いていた。真美まみの目にはそううつった。

 ふいに真美まみの脳裡に小一か小二の頃のある風景がぱっとよみがえってきた。おままごと。いつも、真美まみはパパ役で、『はあい、パパ、おかえりなさい』と、お皿の上にそえたつちお握りを差し出す綾は、ママ役がよく似合った。兄が三人いた真美まみは、いつも兄たちのお下がりの服を着せられ、どちらかといえば自分もボーイッシュなスタイルが好きだったはずである。

 なるほど、、『あたし、大きくなったら、マミンのお嫁さんになってあげる……』と、何度も何度も何度もあやはそれが口癖であるかのように言っていた……ことを、いま、真美まみは思い出した。もしかすれば、冗談ではなく、あやの心の深層に潜んでいる秘密だったのかもしれないと、真美まみには思えてきた。

 さらに、こんなところまで妄想は拡がってきた……あやが、中村航一を恋人にえらんだのは、惚れたはれたではなく、彼が住んでいる場所が決め手になったのでないだろうか……、そんなところまで真美まみの思念は流れていく……。

 自分のいる商店街の近くだから、航一との付き合いを決めたのではないのだろうか……と、真美まみの頭には、そんな妄想が広がっていった。


「……あたしね……死ぬまで言わないつもりだだたけど、いまでも、マミンのこと、大好きよ……あ、気持ち悪がらないで! あたしは航一さんと結婚する……それは変わらないから」

「・・・・・・!」

「これって、うまく、言えないけど、一種の、溺愛症候群のようなものかしらね。あ、ほら、伯父のところでコピーライティングの仕事も手伝ってたから、あたしの造語! 手に入らないからこそ、マミンのこと、ひそかに溺愛してきたんじゃないかなあって。でも、マミンと翼クン、きっと、うまく、いくと思うんだ。あたしの勘、当たるし」


 ドライブに誘ったのは、長い間秘めてきた感情をするためなのだろうか……。真美まみ一瞬せつなそんなふうに思った。けれど、不快な感情はつゆほどもいてはこなかった。

 いやむしろ、心地よい、草原の風のような爽やかさが真美の芯奥しんおうをずさりと揺さぶっていた。

 ギィッと響いたブレーキの音は、まぎれもなく真美まみの思念をめた合図であった。

 急に大きな声が真美の耳朶じだを襲った。

「さあ、着いたよ」

 山の上である。

 とはいえ山を切り砕いて造成した住宅地よようだった。

 高層ビルはひとつも視界にはなく、戸建ての家が建ち並んでいた。


「……ここ、翼クンの実家なの……彼とお母さん、もう六年会ってなくて、絶縁状態なんだってさ」


 まるで探偵さんのような口調で言ったあやのことばの意味が、真美まみにはまったく理解できず、何度もまばたきを繰り返した……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る