惑 溺

 真美まみの実家は……商店街のなかにある。

 アーケードもないさびれた商店街の洋品雑貨店が大正時代から続いていただった。尾崎おざき洋品店の朽ちかけた木製看板を造ったのが、あやの祖父であったらしい。

 もともと同じ側のはしっこに、宮崎みやざきたたみ店があって、たまたま宮崎綾と尾崎真美は同い年、綾の両親が店ごと隣市へ引っ越す中二までの時代をともに過ごした。そんな仲だ。

 ……この商店街の裏道の旧街道と接する数十坪しかない狭い空き地が、真美と綾の二人が“ミニ公園”と名付けた市民公園跡地で、もともとは桜の木が周囲を取り囲み、噴水や遊具もあって、桜公園と呼ぶ人もいたほどなのだが、道路の二車線化と複合商業施設建設で公園そのものがなくなった。かろうじてブランコが一台とバス停で使用されてきた古いベンチがひとつあるだけの姿に変わり果てていた。

 いま、あやが住んでいるのは、たまたま中村航一が勤めている会社所有のマンションがミニ公園から徒歩15分ほどの距離にあって、航一と同棲している綾は社員専用とはいえ引っ越してきてから、真美と頻繁に会うのが日課のようになっていた。

 真美は真美で、ちょうどその頃、元カレのと別れたばかりで、懐かしい幼馴染みの綾との再会は、気分一新になったばかりでなく、勤めていた印刷会社のDD(デジタルデザイン)室での仕事のマンネリ化に悩んで転職か独立かといった方向を修正するきっかけともなったはずである。

 結局のところ、印刷会社を辞める決断ではなく、当面は続ける道を選んだのは、綾のアドバイスがあったためだ。

『……グラフィック・デザイナーとして独立するなら、いまのうちに、顧客をおかなくっちゃ』

 そう綾は言った。伯父おじが経営する小さな広告制作会社で短大在学中から庶務業務やマーケティング戦略の手伝いをしてきた彼女ならではのアドバイスは、真美の目を開かせてくれた。

 なにごとも、地に足をつける努力をしなければ……、そんなふうに真美は思い知らされた。けれども、恋愛はそんなビジネス論理では語れない。好き嫌い、見た目の印象インプレッションどんなときにどんな言動をするのか……それを好ましく思うのか、逆なのかなど、ひとによってまちまちだからで、真美の場合は、どちらかといえば、直情径行ちょくじょうけいこうタイプの男が好きだった。第三者の思惑とか相手の心理に引っ張り回されず、自分が思ったことを他人ひとにどう思われようともやり抜く、やろうとするタイプ……が、真美のオトコ観のようなものだった。

 おそらく、そんな真美の心理を知っていたあやが、そのことをざっくりと航一に伝え、職場の後輩にあたる翼を、真美の新しい相手に選んだにちがいないと、真美はおもっていた。

 ……ミニ公園に、なぜ、翼が頻繁に姿をみせるのかといえば、航一が住んでいる社有マンションの向かい側に三階建ての古いアパートがあり、そこが独身男性用に会社が一棟ごと借り上げているからである。

 この日、綾は、一人で尾崎洋品店を訪れた。土日と祝日がまとまった大型連休である。

 とはいえ、商店街の通りには客らしい人影はいなかった。

「ね、マミンが……別れるって、言ってたことだけど……」

 勝手知ったる洋品店にずかずかも上がりこんだあやは、まだ、寝ていた真美まみを叩き起こした。

「え? アヤン? あ? 何時?」

「七時回ったとこ」

「ええっ? まだ寝たいっ!」

「起きて、起きてってば!」

「え? アヤン、今日、約束してたぁ?」


 二人は互いに、アヤン、マミン……と呼び合っている。小さい頃からの愛称ごっこのようなものだ。


「さ、お弁当、作ってきたから、一緒に出かけるよ」

「中村さんも来るの?」

「ううん、カレは……法事で実家。あたしも行く予定だったけど、ドタキャンしちゃった」

「どこに行くの?」

「それは……あとの、お、た、の、し、み」

「・・・・・・・」


 まだ回らない頭のまま、渋々着替えにかかった真美に、

「リフォームすればいいね」

と、あやは一方的に喋り出した。

「ん……?」

「この店!」

「……って、もう、万年開業閉店中なのに?」

「うん……リフォームして、尾崎デザインとか、尾崎広告宣伝会社とかにすれば?」

「ええっ? 会社、まだ辞めるなって、言ってなかったっけ? いきなり、どうしたの?」

「直勘かな」

「アヤンって、いつも、それ」

「え? それ?」

「勘、カン、カン……って」

「うふふ」

 

 意味ありげに笑ったあやの次の一言が、真美まみの寝ぼけた感覚に鋭く突き刺さった。

「……あたし、にレラしてみたんだ!」

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