一章 4.同期

今回の四社合併について、水面下で行動したのは、富樫課長だった。

富樫課長は、秋山と同期入社になる。


同期入社と云っても、元々は、別々の会社だった。

秋山は、香川県に本社のある梅本薬品へ入社して、研修期間を物流課で倉庫の中を走り回っていた。

研修期間終了後も、秋山は、物流課に配属になり、そのまま二年間、倉庫を駆けずり回っていた。

入社三年目に、秋山は、経理課に異動したのだった。


富樫は、愛媛県に本社のある摺鉢堂へ入社して、研修期間終了後、すぐ、経理課に配属になった。


梅本薬品と摺鉢堂の二社が合併して、梅鉢薬品になった。

梅鉢薬品の本社は、栗林市に置いた。

合併後、秋山は経理課のままで、富樫は、愛媛本部の業務課に配属になり、引き続き経理を担当していた。


新社名について、会社から、特に説明は無かったと思う。

隣のフロアで総務部が、慌ただしく作業をしていたのを覚えている。

総務課長が、新社名の刷られた名刺と、会社の新社章のシールを配っていた。

名刺に社章が印刷されていなくても、特に困ることはないと思うのだが。


経理部で、名刺が必要なのは、取引銀行の担当者が新任になった時くらいだ。

しばらくして、新会社の社章シールは、不備があったということで、回収されたそうだ。

どこが、どう不備だったのかも分からない。

ただ、社章シールはほとんど使用されていなかったそうだ。

合併後、一ヶ月経った頃、新しい社章の刷られた名刺が配られた。


合併して一年後に、富樫は、本社経理課へ異動になった。

富樫の実家は愛媛県石鎚市。まだ、独身だったので、単身赴任だった。


富樫が、経理課の係長に昇進するときに、秋山は、経営企画部企画課に異動になった。

企画課へ移動した秋山は、変わらず、主任という平社員のままだった。


経営企画部には、企画課と人事課と電算課の三つの課がある。

企画課というのは、会社の意思決定に関わる重要事項を提案する部署だ。

確かに、秋山以外は、結構、忙しそうだった。


それでは、秋山は、何をしていたかというと、特に、これといって業務はなかった。

関係会社三社の会計帳簿の記帳と、その会社の決算整理だけだった。

決まった業務というのは、一ヶ月のうち二日で終わる。

その他は、何か、問題が起こった時に、現場に出向いて処理するくらいだった。

つまり、突発的な事象に対処するだけの要員だった。


しかし、そうそう突発的な事象が頻繁にある訳ではない。

就業時間中は、ほぼ、パソコンに向かっていた。

そのころ、まだ、パソコンは、社内に四台しかなかった。

その一台を占拠していた。

特に、決まった業務はなかったので、パソコンのソフトを弄っていた。

退社時刻になると、定刻に帰宅して会計の勉強をしていた。

自費で税務会計の専門学校へ通った。

ところが、二年前に、経理課へ、しかも、係長を飛び越して、経理課長として異動した。

殉職並みの、訳のわからない二階級特進の人事異動だった。

代わって、富樫係長が、特に、これと云って業務を持たない、経営企画課長になった。

これも、訳のわからない人事異動だった。


異動してから一週間経った。

古巣の経理課へ富樫課長がやって来た。

富樫課長が、秋山の席の前にあるパイプ椅子に腰かけて、秋山に愚痴を云うと、無駄話が始まった。

「何もする事が無いやん。暇やなあ。アッきゃんは、何やっとったんや?」

「そうやなあ」

秋山が、企画課へ異動した頃の事を話した。


富樫課長もパソコンを本格的に始めると云って秋山に相談した。

秋山が作成した固定資産管理システムをフロッピーにコピーして富樫課長に渡した。

秋山は、もっと効率化を考えていた。

しかし、経理課という実働部隊を管理するとなると、そんな余裕は無くなった。


後で分かったことだが、富樫課長は、かなり自由に行動できる経営企画部に異動して、今回の合併協議に出席していたのだった。

ただ、毎日、合併協議があった訳ではない。やはり、通常は、何もすることは無かった。


当初、イヨヤクから、合併協議に出席していたのは、関谷課長だったが、途中から沖田課長に代わった。

関谷課長が、入院することになったためだ。


合併協議は、極秘の会議だった。

四社の実務担当者は、合併に際して支障のある案件を処理するために参加していた。

四社の合併発表後、合併準備部会ができた。

合併発表後は、四社の実務者で業務の統一と仕組みの周知、習熟を目的とした合併準備部会が発足した。


合併準備部会は、営業部会、業務部会、物流部会等、各部門での統一準備を実施していた。

秋山は、この合併準備部会に参加するようになって、三社の経理担当者と顔を合わせた。

ただ、イヨヤクの関谷経理課長とは、会っていない。

イヨヤクからは、関谷課長の代わりに財務課の沖田課長が、合併協議に引き続いて、打ち合わせに出席している。

つまり、新顔は、秋山ひとりだ。

高知の龍河堂からは、岬経理課長、徳島の眉山薬業からは、倉本経理課長が、合併準備部会に出席している。


富樫課長は、香川支社で、物流センターの業務課長に就任する事になっている。

龍河堂の岬課長は、本社物流センターの業務課長に就任が決定している。

だから、富樫課長と岬課長は、物流部会にも参加していた。

物流部会では、合併協議の際には議題になかった自動倉庫導入という案件が持ち上がっているらしい。

そこで、秋山が、合併準備部会に出席している。


岬課長は、龍河堂の決算整理が終わり次第、本社勤務が決まっていた。

ただ、自動倉庫導入の実質的な責任者は、沖田課長になっていた。

徳島の倉本課長は、決算終了後、退職する予定になっている。

予定というのは、まだ、決定していない。

現在、慰留しているところだそうだ。

秋山は、香川支社の債権管理課長に決定している。


つまり、合併準備部会の経理部会出席者全員が、経理部門から外れる事に、決定しているのだ。

関谷課長は、退院後、自宅療養している。本社経理部の経理課長に復帰することになっていた。


「分りました。どこの会社ですか?」もう秋山はどうにでもなれ、という気持ちだった。

「とにかく、打合せをすることになってるから、午後一時にハヤブサの支店へ行ってくれ」

吉本部長は、安堵したようだ。

「部長は?」秋山は、吉本部長が、出席しないとかと疑問に思った。

「俺は、裏でサポートする」

吉本部長が、億劫そうに云った。

「サポートですか?」秋山は、また、吉本部長は、表に出ないのかと思った。

しかし、会議自体が、裏で開かれるのだから、裏の裏は、表だな。

「そうだね」

秋山が、そう云うと吉本部長は、あっさりと答えた。

この四月の合併にしても、ハヤブサの主導によるものだった。

梅鉢薬品、眉山薬業と龍河堂はハヤブサ製薬の傘下に属していたが、イヨヤクは、特にどこのメーカの傘下にも属していなかった。

イヨヤクに対して、ハヤブサの影響力はない。

今回、イヨヤクが、四社合併に踏み切った理由について、秋山はよく分らなかった。

医薬品卸業界も企業再編が進んでいる。

合併理由についてよく聞く噂は、粗利率の急激な低下だ。

秋山の勤める、梅鉢薬品は、まだ粗利率も二桁前半くらい確保できているので、あまり危機感はなかった。しかし、いずれ他の三社と同様に、粗利率が一桁に低下することは避けられない。

ハヤブサは、一県一卸との取引を原則としている。

この業界も価格競争が激しく、原価すれすれで販売することも稀ではなかった。

その場合、メーカの傘下に属していると、ある程度メーカから、補償される仕組になっている。

しかし、どこからも補填のないイヨヤクは中央の広域卸との合併を模索していたようだ。

どうして、ハヤブサがイヨヤクの情報を入手したのかは、富樫課長にも、分らなかった。


そして、また、徳島県の木島薬品との合併。

木島薬品もハヤブサとの取引はあるが、主力メーカではなく、傘下に属していない。

ただし、取引メーカの中では、一番、企業規模の大きい製薬会社だった。

確かに、影響力は、あったと思う。

この業界で地方の医薬品卸売業者は、メーカの意向に従わなければ、生き残れない。

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