一章 3.再会
栗林支店の前任者は、職員事務所に入るなり、大きな声で挨拶をした。
「こんにちはあ。石鎚山銀行です。お世話になります」
横山は、九年前に石鎚山銀行の眉山支店から、石鎚中央支店勤務になった。
以後、東予市支店、石鎚西支店と転勤して、この三月から隣県の栗林支店へ転勤になっていた。
横山は三月中旬に石鎚西支店で新任の担当者を伴い、得意先へ新任者の紹介と、自身の転勤報告を兼ねての挨拶回りに追われていた。
引継期間は一週間だった。引継が終わるとすぐに香川県の社宅アパートへ引っ越した。
今週は、栗林支店の前任者に伴われて新任の挨拶回りだった。
横山は前任者に伴われて大内病院の職員事務室に入った。
広い事務室の奥に、事務長の席があった。
事務長席の後ろに、女性が窓の方を向いて立っていた。
「あの人が事務長やで」
前任者がそっと耳打ちした。
事務長席の後ろで、事務長の正面に女性職員が立っている。
その隣で看護師は、その女性職員の方を向いて、何か話しをしていた。
その看護師が、横山の前任者に気付いて「奥様」と云って視線で事務長に来客を知らせた。
前任者から事前に綺麗な若い女性の事務長だと聞いていた。
ただ、職員は皆、事務長とは呼ばずに、奥様と呼んでいる。
女性の事務長が、横山の方に振り向いた。
事務長は、横山を見た瞬間、驚いたようだった。
横山は、事務長を見て、やはりそうか、と思った。
半信半疑だったが、同一人物だった。
顧客情報リストを見て、寺井冴子という名前を確認していた。
事務長は、すぐに表情を和らげた。
「横山さん。お久しぶりですね」
微笑を浮かべて、横山と挨拶を交わした。
「はい。ご無沙汰しています。今度、こちらの担当になりました」横山は、落ち着いた。
「おい、横山。奥様をご存じなんか?」
前任者が驚いている。
「ええ。以前、お世話になりました」横山は、寺井事務長の方を見て、「その節は、本当にありがとうございました」深々とお辞儀をした。
「もっと早く教えてくれよな」
前任者は、文句を云った。
「いや、人違いかもしれんしなあ」横山は、言い訳をした。
「事務長、寺井物産はどうされたんですか?」
実家の家業の関係で、寺井物産のことは、知っていた。
寺井物産は、昔、寺井事務長の経営していた水産加工販売会社だった。
横山は、実家の家業のことで、お世話になった。
実家との取引は数年前から、寺井物産に変わって花宮水産になっていた。
詳しい状況は分からなかった。寺井物産からも花宮水産からも詳しい説明は無かった。
冴子は答えた。
「閉めたのは、知ってるでしょ」
寺井物産を閉めたという事だ。
「はい。でも、どうして?」横山はさらに尋ねた。
「お養母さんをこちらの施設に入院させているのよ。私もこちらで、ご厄介になっているのよ」
事務長から受け取った名刺は、銀行の名刺フォルダーに保管されているものと同じだった。事務長、寺井冴子と印刷されている。
院長の名前は病院名のとおり大内というが、事務長は寺井姓のままだ。
なぜ、奥様と呼ばれているのか分からない。
最近では、仕事を続ける女性が旧姓のまま職場で勤務することも多くなった。
寺井事務長もそうなのだろうと思った。
「事務長。今後ともよろしくお願いいたします」
横山は、丁寧にお辞儀をした。
「わかったわ。今から出かけますから、今日はこれで失礼しますね」
と云って「吉田さん」
寺井事務長は、先程話をしていた女性事務員を呼んで、要件を伝えているようだった。
「吉田さん。今から外出します。これから、人と会うことになっているの。今日はもう戻りません。後をお願いします」
寺井事務長は、出かけるようだ。
横山と前任者は、職員事務室を出た。
その時、横山の携帯電話に着信があった。
「はい、横山です。えっ。今からかいなぁ?うん。分かった」
「今から人に会うことになったので、ちょっと、仕事、抜けます」横山は、前任者に悪びれた様子もなく云った。
「おいおい、支店長になんて言っといたらええんや?」
前任者は、困っている。
「ええっと急に嫁さんが出てきたって、言っといてください」横山は分かり易い嘘、いや、冗談を云った。
「嫁さんって?ああ、あの綺麗な奥さんね?」
前任者も冗談で返した。
「えへへ、まだ、引越しの後片付けができていないんです。届は、後で提出します」
引越しの片付けが出来ていないのは、事実だった。
今度の、転勤の際に、両親から、そろそろ家業を継がないかと云われた。
横山も、みかんなら小さい頃から手伝っていたので、なんとなく分かる。
みかん農家をするのも良いと思っている。
しかし、はまちの養殖となると、全く分からない。
赤潮が発生すると全滅する。
そんな時、寺井物産に実家を助けてもらった。
まあ、家業を引き継ぐかどうかは別にして、身を固めようかとは思っていた。
ただ、相手がいない。
横山は、山科景子さんの事を思い出していた。
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