第三話 見付けた宝物


 俺とミキは、まず、海岸沿いにある男女別の更衣室で着替えてから、品岡亜紀の海の家へ向かった。

 夏は賑わっているが、冬には誰もいない無人の建物だ。

 海に潜る前にも一度この前を通ったのに、素通りしてしまった。なぜ気づかなかったのだろう。


 品岡亜紀……どんな奴だった?

 海の家の印象は強いが、品岡本人についてはあまり記憶にない。地味で目立たず瓶底のような眼鏡をかけている真面目な女の子で、目元は眼鏡に反射していつも良く見えなかった。ただ、同級生には見えないくらいに童顔だった気はする。

 品岡にはまだ、何も連絡していない。俺は、まずは、外側から海の家の建物の中を覗いてみた。

 冬場は誰もいないはずなのに、奥の方から灯りが漏れている。

 誰かいる!

 品岡の実家も別の場所にあるはずなので、ここには誰も住んでいないはずだ。

ミキと俺は、互いに目くばせし合い、建物の裏と表に回って様子を見た。

裏口担当になった俺は、小窓のブラインドの隙間から目を凝らすと……床に横たわる人影が。

 あれは、あの後ろ姿は、あの頭の形は乙矢だ!

 乙矢は、品岡亜紀の海の家に来るように呼び出されたのだろう。そこへ向かう前に、俺のうちに来て、あの言葉と、付箋紙メモを貼った物を置いて行ったのだ。

 付箋が細かく分かれていたり、一枚はダイビングスーツのポケットに入っていた辺り、もしも俺が気付かないならば気付かないでいいと言わんばかりの消極的なメモだった。控えめな乙矢らしいヒントに、悲しくなる。

 乙矢は、この海の家にやって来て、そのまま監禁されたのだ。

 誰に?


 その瞬間、がんッと後頭部を殴られた。

 倒れる瞬間、木の棒のようなものを持つミキが見えた。

 その時の冷たい眼を見て、俺は思い出した。品岡亜紀。あの女の瓶底メガネの下の冷たい眼と完全に一致した。

 乙矢の妹でも弟でもない。この女は品岡亜紀だ……。


 気が付くと、真っ暗な部屋にいた。

 隣には横たわったまま動かない乙矢がいた。頬は痩せこけて、体中が薄汚れており、衰弱しきっているようだ。

「乙矢!大丈夫か?」

 呼びかけても反応はないが、胸に耳を当てると心臓の鼓動は聞こえたので、ホッとした。

「気付いたの?」

 俺のポケットから取ったらしい、あの石のチェーンを指に巻き付けながら、品岡亜紀は立っていた。

 そうだ、ミキと話しながら、最初から違和感があった。

 俺が探していたのは乙矢だったが、この女が探していたのは初めから乙矢ではなく、乙矢の預けたもの、乙矢の残したものについてだった。

「この石、見付けたくせに、よくも黙っていたわね。おかげであたしは何度も冷たい海に潜る羽目になったじゃない。嫌な奴」

「冷たい海か。でも、俺が着ていた夏用のダイビングスーツと違って、あんたが着ていたのは冬用の防寒性能の高いドライスーツじゃないか。震える俺の前で、全然寒くなさそうに余裕しゃくしゃくで潜ってたよな。嫌な奴はどっちだよ」

「ふうん。気付いてたんだ」

「もちろん。冬用が一着しかないのなら、女性として生活しているあんたに、温かい方を譲るのは仕方ないと思った」

 乙矢は、俺が付箋紙を見て小名氏海岸に来ることを想定して、自分の部屋のわかりやすいところに、冬用のドライスーツを出しておいたんだ。そのポケットに、最後のメモ「オナシ」を入れておいた。

 それを品岡が邪魔してきたんだ。品岡は、留守中の乙矢の家に、自分の実家のふりをして侵入した。カギは乙矢から取り上げたものだろう。何食わぬ顔で乙矢の部屋に入り、俺に夏用のダイビングスーツを渡した。

 海の近くで育っただけあって、品岡のダイビングの腕前はたいしたものだったが、冬用のスーツは持っていなかったのか、乙矢のものを借りたんだ。

「まあいいわ。目的のものは見つかったから。この石、もらうわね。こんなのが数千万円の価値があるんですって。お二人とも、ご協力ありがとう、さようなら」

 棒読みで薄っぺらいお礼を述べながら、品岡亜紀は灯油を室内に撒き始めた。先程、ボートの上のストーブをつけるのに使った灯油の余りだ。

「悪く思わないでね。うちの親はこの海の家以外にもいくつか飲食店を経営していたんだけど、どれも経営がうまくいかなかったの。膨大な借金があってね。あたしが生きていくためには、この石が必要なのよ」

「だからってなぜこんな酷いことを。君と君の家族が生きるために、なぜ乙矢が命を奪われないといけないんだ。乙矢が君に何をしたって言うんだ」

「あたしがこの海の家の掃除に来ていた日、ちょうどその石を海から拾ってきた乙矢に海辺で行き会ったのよ。乙矢は無防備にも、その石に数千万円の価値があるって言ってたわ。だから同級生のよしみで、換金したらお金を貸してくれって頼んだのよ。でも乙矢は拒否したの。この石は友人の白石にあげるものだからって。あたしは納得できなくて、後日、この海の家に呼び出した。乙矢はあたしに断るために一人でのこのこやってきたの」

 品岡亜紀は、空になった灯油入れを転がしながら、語気を強めた。

「でも、当然持ってきたと思った石を持っていなかった。まさか、拾った石にチェーンをつけて加工して、また元あった冬の海の中に隠すなんてね。探すのにとんだ手間がかかったわ。ねえ、この石は、もとは海中にあったのよ。誰のものでもないわ。あたしがもらったっていいじゃない。さあ、話は済んだわ。用済みのお二方にはご退場いただきましょう、さようなら」

 品岡が、ライターを手に持って灯油に落とそうとしたその瞬間、俺は立ち上がって、彼女に体当たりをした。

「なんで?どうやって?」

 俺は、靴下の中に隠していたナイフで、縛られていた縄を切ったのだ。自由になった両手で、品岡の腕をねじり上げる。

「やるわね。靴下にナイフを隠していたのはわかったけど、また性懲りもなくあのおもちゃのナイフかと思ってスルーしちゃったわ」

 品岡は小柄だったが、スポーツが得意で体を鍛えているようで、俺の腕から力ずくで逃れた。しばらく揉み合いになったが、品岡に棒で殴られた頭が痛み、よろけた瞬間に、品岡に蹴り飛ばされてしまった。

 アッと思う間もなく、品岡は、再び、ライターの火を灯油に投げ入れた。


「動くな!」

その刹那、警察官がやってきて、品岡亜紀は包囲され、あっという間に逮捕された。以前、俺がおもちゃのナイフで注意を受けたあの警察官たちだった。

「大丈夫かい。間に合ってよかった」

 火は燃え広がる前に消火された。


 ボートの上でストーブに当たりながら、あの時俺は、海の家に行く前に、警察官からの電話を受けていた。

 俺がおもちゃのナイフを所持していた時、俺とミキは警察官に名前を聞かれて答えていた。警察署に戻ってから念のため照会したら、風間美樹は10歳の少年だったそうだ。

 怪しんだ警察官が、風間家に連絡を取って、俺にも電話連絡をくれた。

 そう、乙矢の弟は10歳だ。時々、女言葉を無邪気に使って遊ぶ、いたずらざかりの10歳だ。

 俺と一緒に行動していたミキは、乙矢の妹でなければ弟でもなかった。

 じゃあ一体誰なんだ?

 俺は警察官に、品岡亜紀の海の家に来て欲しいと頼んだ後、危険を承知で、ミキと行動を共にし続けた。理由は一つ。乙矢の行方を知っているかもしれないからだ。

 だから、品岡亜紀になるべく喋らせて時間稼ぎをしていた。


 俺は、救急車で運ばれていく乙矢を見送った。

 乙矢はこの一週間、まともな食事がもらえず衰弱はしているが、水は飲んでいたようで、救急隊の呼びかけにわずかに目が開いたそうだ。

 俺も品岡に後頭部を殴られた時に出血していたが、大した怪我ではなかった。



 後日、回復した乙矢に会いに病院へ行くと、乙矢は泣いていた。

「こんなことに巻き込んですまない。でも、おまえなら助けてくれると思った。ありがとうな」

「ああ。俺なら全然大丈夫だ。乙矢も無事でよかった」

「あの石はどうした?」

「俺の家宝にするよ。綺麗なメノウだ。」

 あの石はとてもきれいな虹色の石だ。でも数千万円の価値があると言うのは嘘だ。嘘と言うか、小学生の頃から続く、俺たちのごっこ遊びの延長だ。本当の価値は数千円と言ったところだろう。

 数千円を数千万円と言ってふざける、あの小学校時代の冗談だ。

 そうやって、お宝探しごっこを俺たちは大人になっても続けていたのだ。

 まさかそれを真に受けて、このような恐ろしい監禁事件を起こされるとは思いもよらなかった。品岡亜紀は逮捕されて、罪を償うことになるだろう。


「すぐに気付いてやれなくてごめんな。乙矢は初めから俺にメッセージをくれていたのに」

 俺は、乙矢に謝った。

 『深いところに潜るよー』その言葉を並べ替えると、

“フカイトコロニモグルヨー”→“ヨーグルトニカイモコロフ”

『ヨーグルト二回も転ぶ』になる。

 小学生の頃、品岡の海の家を手伝いながら、ヨーグルトを運んでいた乙矢が二回も転んでぶちまけて怒られていたのは、懐かしい思い出だ。

 最初からこのメッセージに気付いていたら、俺は真っ先に、あの海の家に向かっただろうし、監禁されていた乙矢をもっと早く助け出すことが出来たのに。

「元気になったら、また二人で海に潜ろう」

「うん、もちろんだよ」

 そう言って、俺と乙矢は、固く手を結び合った。友情こそが一番の宝物だと思った。


 了

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深いところに潜るよーそして彼は消えたー 花彩水奈子 @kasasuna

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