第33話 脱走者と借金返済プラン

「い、いってらっしゃーい」


「ふふっ、いってきまぁす」



アパートの部屋を出たところ、つまり2階の欄干から手をふる僕に、こちらを振り向いてニコニコと手を振り返しながら歩きだす真霜さん。


自分の部屋じゃないのに、家主に対して「いってらっしゃい」なんて声をかけていることに僅かな違和感を感じつつ、それでもちょっとした安心感のようなものも胸に抱いて送り出した。



昨日一日、真霜さんの身の上話、というか、彼女が施設を離れて僕と会わなかった間の話をいろいろ聞かせてもらった。


当時、施設から星迎家に引き取られる対象として、僕かモモ姉、もとい真霜さんが候補に上がっていたこと。

真霜さんは僕を人質に取られるような形で、多額の献金と交換に、半ば無理やり引き取られていたこと。

星迎家に引き取られた後はほとんど飼い殺しのような生活を続けさせられていたこと。

星迎の家のために、政略結婚と子どもを成すための道具として育てられてきたこと。


家が営む会社が倒産して、借金を抱え、僕が立ち寄ったあの銭湯で働くことになったこと。

20歳を迎えたら、そこで身体を売る契約をしていること。


そして、真霜さんはそのときが来たら自分で命を絶とうと考えていたこと......。



彼女の重すぎる話に何度も驚かされ、なんと声をかけて良いものかわからず、僕の方はあんまり口を挟めなかった。


あと、正直、あの施設には幻滅した。


僕らを育ててくれて、帰る場所を提供してくれたあの施設。

これまではそれなりに感謝していたのに、真霜さんをそんな目に合わせていたなんて、と。


彩咲の元から逃げだすとき、施設に相談することも考えていたけど、見つかる可能性を考慮して、結局候補から除外したんだよね。

あの判断はとてつもなく正解だったらしい。


彩咲の家、織女おりめ家も、施設にはかなりお金を出しててくれたみたいだから、あそこに相談に行けば間違いなく僕は彩咲のもとに売り飛ばされて、今頃はペット生活を謳歌させられていたことだろう。


命拾いとはまさにこのことだし、あそこには二度と関わらないようにしようと思った。




ただ、施設側もお金の問題は深刻だろうから、ある意味では仕方ない部分があったのかもしれない。


だから、真霜さんの話を聞いて、一番幻滅したのは......自分に対して。


これまで、いや、彩咲の束縛が苛烈になるまでは、僕はできるだけヒトの力になりたいと思って振る舞ってきた。


困っていそうな人がいたらできるだけ助力する。

自分にかかる労力は極力意識しない。


そうすることで、自分が生きていく上でいろいろと助けてくれた周囲からもらった感謝を返していこう、と考えて生きてきた。


......彩咲に拘束されてからは、そういうことを考える余裕もなく、ただ為されるがままに、生きるだけの生活だったけど............。



そうやって自己満足に浸って生きてきたのに、肝心の家族、一番大事にしたいはずだった真霜さんは、僕のせい・・・・でそんな苛烈な人生を歩むことになっていたなんて。

しかも僕はそのことに微塵も気づかないで、のうのうと生きてきたなんて。

彩咲から加えられる異常な生活に、自分の境遇だけを呪ってばかりでいたなんて。


そんな自分勝手な考えだけで過ごしてきた自分に、一番幻滅した。




だけど真霜さんはそんな僕を優しく包んでくれた。


僕が真霜さんの状況に気づいていなかったことだとか、これまでのうのうと生きてきたこと、こんな状況になるまで助けてあげられなかったことを真霜さんに謝罪したとき、彼女は「そんなこと気にしないで」と柔らかく微笑んで僕を抱きしめてくれた。


幽かに漂ってくるいい匂いと優しく包まれる感触、それと、彼女のことを助けられなかったのに自分は今まさに彼女に一方的に助けられているっていう事実に、また泣けてきて。




そうして僕は真霜さんの借金返済を手伝って、なんとしても絶対に彼女が20歳になるまでに返しきって、彼女が身体を売らなくても済むようにしようと決意したんだ。


真霜さんとその家族が抱えた借金の残高は、真霜さんが高校3年生の当時で2500万円、それから真霜さんと両親ともども働きに出て、2年間。

真霜さんは、銭湯の裏のメインの仕事はしてないけど、裏の清掃とかはしていて、それなりに良い給与がもらえているらしい。

両親はなにをしてるのか知らないらしいけど、3人とも、毎月15万円も返済にあてているらしい。


どんな仕事をしてたらそんな額を毎月支払えるのか疑問でしかないけど、真霜さん同様、普通の業務内容じゃないだろうことは想像に難くない。


とまぁ、なんにしても、倒産からこれまでのおよそ2年間で一部返済して、残りの借金はおよそ1400万強ということらしい。

3人で払ったとは言え、2年間で1000万以上も返済したというのは、驚異的だと思う。


それにこの調子なら5年先には完済できるはず。

だけど、真霜さんは契約のせいで、借金が残っている限り、20歳の誕生日である今年の12月、2ヶ月後には身売りを始めないといけないらしい。


だからなんとしてでも、この2ヶ月以内に1500万ほどの資金を調達しないといけない。


単純計算で1ヶ月で750万円。

まぁ現実的に考えれば、普通に働いても絶対ムリな金額だろう。



だけど僕には1つだけ考えがあった。

もちろん、この街でなんらかの仕事を見つけて働かせてもらうというのは前提として。




真霜さんが働く銭湯があるみたいに、この町にはそういうシノギがあるということらしい。

だとしたら、他の裏の取引なんかも斡旋してる可能性は十分にあるんじゃないだろうか。


短期間で大金を得られるとしたら、そこに賭けるしかない。


かといって、「裏の仕事」でも、1500万を2ヶ月で調達できるかと聞かれると......相場がわからないけど......難しいかもしれない。


だから............狙い目は人身売買じゃないだろうか。


もし僕の内臓とか売れたら、1500万くらいならなんとか手に入れられるんじゃないだろうか。


普通なら完全に違法だけど......。

昨晩真霜さんからこの街のことを少しだけ聞かせてもらった。


常夜町とこよまち。それがこの街の名前。

なんでも「愛の神様」の信仰を中心に、その神様を祀る大きな神社が強大な権力を有していて、街の外とは隔絶された場所らしく、ほとんど治外法権を得ているんだとか。


聞くところによると、この町にはいくつかの変わった条例もあるらしく、「愛の成就のため」なら多少の荒ごとは許容されたりするらしい。

僕が彩咲に受けた犯罪真っ黒な仕打ちなんかも、「愛ゆえに」ということであれば公的に許されるし、実際そういうカップルがそれなりにいるらしい。


万が一、彩咲がこの町のことを知って、ここで監禁されたりでもしたら、なにが起きても僕は助からないだろうことは容易に想像できる。


............なんて恐ろしい町なんだろう..................。





ともかく、そんな場所だから、あの裏銭湯みたいなこともできるし、それを斡旋してる組織なら、人身売買にも手を出しているんじゃないか、と考えついたわけだ。


ごく僅かな可能性でしかないけど、その可能性を試してみたい。

可能なら心臓でもなんでも売って、真霜さんの未来だけは救いたい。


ただ、真霜さんは僕がこんなこと考えてるなんて知ったら絶対反対すると思う。

......告白もしてくれたくらいだし。


できるだけ僕の生命は繋ぐ形での取り引きじゃないと、自分で言うのもなんだけど、結局真霜さんは未来に希望を持てなくて自ら命を絶つって可能性もある。


その点、腎臓とか高値で取り引きされるって聞いたことあるし、片方無くなっても生命維持にはそれほど影響はないという話も耳にしたことがある。


そのあたりでなんとかできたらラッキーだ。

眼球とかは......残念ながら僕はすでに片方が使い物にならないから、できればもう片方も失うのは極力避けたい。


いずれにしても、皮算用はこのあたりまでにしよう。

この可能性にチャレンジするには、まずは組織の人と接触しないとね。



真霜さんが仕事にでかけて、すでに1時間くらい経ったし、彼女はもう業務にあたってる最中だろう。


話を聞く限り、この街で力を持ってるのは、愛の神様を祀っている神社らしい。

とりあえずは真霜さんにバレないように計画を進めるためにも、彼女が帰って来ないうちに、そこに行ってみよう。



残された時間は少ない。


僕は「よし」っと短く覚悟を決めて、数少ない荷物を手にとって部屋を後にした。

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