第23話 幼馴染と事情説明

「ん? 彼女?」


「......『元』彼女、ね」


モモ姉ちゃんに彩咲と似た空気を感じたけど、おそらく気の所為。

それに「彼女」じゃなくて、「彼女」だ。


命掛けで彼氏を辞めてわざわざ逃げてきたのだ、その違いは僕にとって絶大な意味がある。


「モモ姉ちゃんも色々聞きたいことあるだろうに、無理に聞かないでおいてくれてありがとう。......さっき取り乱しちゃったのもさ、その『元』彼女のことと関係あるっていうか......。それも含めて、ちょっとだけ話、聞いてくれるかな?」


ニコニコと貼り付けた笑顔をしていたモモ姉ちゃんだったけど、僕が真剣に話し始めるつもりだとわかると、彼女も表情を正して、こくりと首を縦に振って聞く意思を示してくれた。


「それじゃあ、ちょっとだけ長くなるかもしれないけど、いいかな」


時刻はすでに真夜中。

そんな時間に家にお邪魔して、あまつさえ自分の話を聞いてもらおうなんて都合いい話かもしれないけど、モモ姉ちゃんは嫌な顔ひとつせず応えてくれる。


「うん、もちろん聞くよ。私は明日はお休みだから、ゆっくり話してくれていいからね」


ということらしい。



それから、もう少しで朝日が上るだろうという頃まで、身の上話をした。



モモ姉ちゃんが施設を出てからも自分には引き取り先が現れなかったこと。

中学に入って織女彩咲おりめささという女性とであったこと。

公立の学校だから、同級生たちは基本、小学校からそのまま持ち上がりだったけど、彼女は僕とモモ姉ちゃんが通っていた小学校とは別の学校から来ていたこと。

最初はただのクラスメイトでしかなくて、普通に善い人だった。というかそうだと思いこんでいたこと。


それが、ある時通り魔に襲われそうになっていた彩咲を助けに入ったこと。

そこで彩咲を助けられた代わりに僕は左目を切りつけられて失ったこと。


それから関係が変わった、具体的にはしばらくしてから告白されて付き合い出したこと。

しばらくして束縛がひどくなったこと。

お守りを始めとして、僕が持っていたものはほとんど処分されて、過去の思い出を彩咲で塗り替えるよう強要されたこと。

食べ物も飲み物も、まともなものはほとんど口にはできず、排泄物を食べさせられることも日常茶飯事だったこと。

人と関わることは求められるのに、ちょっとでも関わり方が気に入らなければ、悲鳴を上げてしまうような折檻をされてきたこと。


そして今回の脱走劇の理由。

彩咲以外の女性に告白されてしまったことが彩咲の不興を買い、永遠にペットになることを強要されそうになったところ、隙を突いて逃げてきたこと。


最後に、そうした経験から、どうやら自分が女性に接触されることに対して無意識下での恐怖を覚えていて、それがさっきの発狂の原因だった、ということ。


黒歴史と呼んで差し支えないそれを話した。

全部というわけにはいかなかったけど、今の状況を理解してもらうのに必要なだけの情報は出したつもりだ。


モモ姉ちゃんは話の途中、驚いたり顔色を悪くしたり、真面目な表情で相槌を打ったりしながら、僕の話を遮ることなく聞き続けてくれた。


さっきは一瞬、彩咲と似た空気を感じたような気がしたけど、当たり前に気のせいだった。

彩咲だったらこんなに話を聞き続けてくれることなんてありえなかった。


話のどこかで絶対に不機嫌になる要素があって、そこからはいつも通りの折檻が始まる。

真面目に、ときに目元に薄っすらと涙を浮かべながら、話を聞き続けてくれるモモ姉ちゃんに、これまで以上の親愛の情が湧く。



「............っていうのが、長くなっちゃったけど、今の僕の状況なんだ」



思いつく限りのことをとりとめなく話し尽くして、改めてモモ姉ちゃんの方に目を向けると......女性に対して言い方は悪いけど、彼女は鬼のような形相で頬に涙の筋を浮かべ、肩を小刻みに震わせていた。

よく見ると握り込まれた拳も、爪が痛いくらい手のひらに食い込んでいる。


端的に言えば、明らかな怒りを全身に表現していた。



それこそ怒ったときの彩咲を彷彿とさせる姿に、僕は小さく「ひっ」と悲鳴を上げてしまう。


「ごっ、ごめんなさい!」


怒りの理由がどこにあるのかわかっていなかったけど、僕は反射的に情けなく土下座の姿勢をとって謝罪の言葉をモモ姉さまに奏上していた。


これもまた、彩咲との生活で身に染み付いた所作と言えるかもしれない。

怖い顔をされたらとりあえず謝る。


これは実際は悪手なんだけど、やめられない。

理由がわかってないのに謝ったら、多くの場合「なんで彩咲が怒ってるのかわかってるの?」と聞かれて答えられなくて、さらなる怒りを買う、っていう悪手。

それでも、謝らなければいけないという強い強迫観念が体を勝手に動かしてしまう。


そんな『癖』とも言える挙動を、反射的にモモ姉に返してしまっていた。


彩咲の場合は、この後の最低な展開が想像できる分、ある意味気が楽なんだけど、モモ姉ちゃんはどんな行動に移るのか想像できない分、余計に恐怖を感じる。



そんな心配をしながら土下座の姿勢で頭を床にこすりつけだすと、すぐにモモ姉の方から「ちょっ!?」と素っ頓狂な声が聞こえてくる。

それにつられてもう一回「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っていると、床につけている手にそっと何かが優しく触れた。


床にこすりつけていた頭を僅かに上げて手元を見てみると、モモ姉が僕の手に彼女の手を重ねてくれていた。

同時に「ナナくん、頭を上げて」とさっきの形相からは想像もつかないような優しい声音が鼓膜を打つ。


指示された通りにゆっくりと頭を上げる。

再びモモ姉の姿を視界に捉えたとき、今度は彼女が床の方を見るように俯いて表情を隠していた。


「あ、あの......謝りたりなかったら、僕にできることなら何でもするから......。だから......」


「それ以上言わなくていいから! 大丈夫だから!」



僕が声を震わせながら許しを求める言葉を紡ごうとするも、モモ姉ちゃんの優しくも力強い叫びがそれを遮る。


その声は、お隣さんからクレームが来ないか不安になるくらいの大きな声だったけど、不思議と威圧感がなかった。

むしろ、さっきまでとはうってかわって、『お隣さんの心配』ができる程度には落ち着いている自分がいるくらい、優しい響きを内包していた。


数瞬の沈黙の末、僕に手に手を重ねて俯いたままのモモ姉が、涙の雫を床にこぼしながら小さくつぶやくように言葉を発し始めた。




「辛かったよね......。苦しかったよね............。痛かったよね..................。大丈夫、もう......もう大丈夫だからね。心配しなくていいからね............。ここにはナナくんにひどいことする人なんて、いないからねっ!」



心から共感してくれてるのが伝わってくる彼女の言葉。

気づいたときには、僕の光を映さない左目も見えている右目も、いつのまにかどちらの目からも、温かい水分が流れ出ていた。

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