第22話 幼馴染と落ち着く部屋

モモ姉ちゃんに促されて部屋に入ると、その中はごくごくシンプルだった。

玄関にも特段なんの装飾もなく、入った瞬間キッチンがある。


おそらく奥に見えるドアの向こうが居間だろう。


彼女の指示に従って、居室の手前にあるドアをくぐって洗面所に入り、手洗いうがいをする。

シャワールームと洗濯機が見え、その中にはいくつかの衣類が突っ込まれていた。


「ふふっ、恥ずかしいからあんまりみないでねっ?」


「うん、気をつけるね」


言われた通り、あまり女性の部屋をじろじろと見てしまわないように配慮しながら、案内されるままついていく。


「はい、ここに座ってて。今飲み物でも入れるね。お茶でいーい?」


「あ、うん、ありがと。おかまいなく」


指示されるまま奥の部屋、居室に移動して座布団に腰掛けた。


間取りは1Kで、玄関から部屋の中に至るまでものがとても少なく、良く言えば整頓されている、悪く言えば質素な生活が垣間見える。


彩咲のもとにいたときは、ごちゃごちゃとしてベッドと鎖で繋がれるための部屋か、コンクリート打ちっぱなしの拷問部屋かのどちらか極端なものしかなかった。

だから、このムダに華美すぎず、かと言って無味乾燥な部屋じゃない、生活臭の溢れるこの部屋が自分を安心させてくれる。


初めて来た部屋なのに、なんとも言えない居心地の良さに浸っていると、モモ姉ちゃんがコップを2つ持って戻ってくる。


「はい、どうぞ」


そう言って目の前の丸テーブルに置かれたコップは薄茶色の液体で満たされていた。

彼女の言う通りお茶だろう。


じろじろと中身を眺めていると、モモ姉は『ふふっ』と口元を抑えながら上品に小さく笑う。


「そんなにじっと見ても、ただのお茶だよ?」


クスクスと笑いながら楽しそうにするモモ姉に苦笑いを浮かべる僕。


モモ姉ちゃんを疑うわけじゃないけど、今までの生活が、この液体に掛けられた仕掛けを疑わせてくる。

疑心暗鬼になって飲み物に手を付けられない僕を不思議そうに見ながら、モモ姉は自分のコップに口をつけて、コクリと一口含む。


その様子を見て、僕も思い切って口をつける。




「......美味しい」


「あ、そぅ? ありがとっ。家で沸かした麦茶だよっ」


「美味しい。ほんとに......美味しいよ」




......こうして部屋の中で、気持ちを荒立てずにゆっくり過ごして、コップ・・・で飲み物を飲ませてもらえるなんて、本当にいつぶりだろうか。

過去の記憶はもう遥か彼方。


彩咲のもとでは、ご飯も飲み物も犬猫用の皿に盛られて出されたものだから、人間用の食器を遣わせてもらえているってだけで感動モノだ。


冷蔵庫から出したばかりの冷たいお茶なのに、心の中がじんわりと暖かくなっていくのを感じる。

無意識に目元がじんわりと水分を含んでいくけど、変に気を遣わせないよう、それを気合で我慢する。


コップの半分ほどを胃の中に流し込んでから、さて、と向かいに腰掛けているモモ姉ちゃんに向き直る。



「えっと、今日は話しかけてくれてありがと。僕は全然気づけなかったけど、モモ姉ちゃんが気づいてくれたおかげでこうして再開できて、めちゃくちゃ嬉しいよ」


「私も、またナナくんに会えて、ほんとにほんとーに嬉しい! 銭湯で寝てる姿を見かけたとき、最初はなんだか見たことあるな〜ってくらいだったんだけど、近くでよく見てみたら当時の面影があってねっ。それで声を掛けてみたらやっぱりナナくんで、びっくりしちゃった!」


「僕もびっくりした。っていうか、最初声かけられたときは何事かと思ってびくびくしちゃったよ。なんか言うかどうか迷うみたいに焦らしてきたし」


「えー、だって私たちが最後に会ったのってもう7年(?)も前なんだよ? あの頃はまだナナくんは小学校4年生だったかな? それが今では......えっと、高校3年生、かな? こんなにおっきくなってたから別人かもって思ったのよ」


「あぁ、そりゃそうだよね。あの頃とはいろいろ変わったし、無理ないよね......」



続けるべき言葉を失って、沈黙が場を支配してしまう。

何から話したものかわからず、手近な話題でも探そうかと部屋を軽く見渡すと、写真立てが目に入る。


「あっ、あの写真って......」


「あ、見つけちゃった? えへへ、ちょっと恥ずかしいな。でも懐かしいでしょ?」


僕らの目線の先にあるのは、モモ姉ちゃんが施設をでるってなったときに撮った写真。

記憶が確かなら、当時在籍してたみんなで撮った写真もあったと思うんだけど、そこに飾られていたのは僕とモモ姉が2人だけで並んで、ぎこちなく微笑んでいる写真だった。


「うん、そうだね。ほんとに懐かしいな。っていうか、みんなで撮ったやつじゃなく、アレなんだ?」


「もぅ、そういうことは思っても口に出すものじゃないでしょぉ〜? ......まぁいいけど。そうだよ、あのころ一番仲良かったし、それに......」


続く言葉はモモ姉ちゃんの口の中で潰されて、僕の耳に届くことはなかった。


「え?」


「ううん、なんでもないよ」


誤魔化すように微笑むモモ姉ちゃんに、それ以上追求するのを止めて別の話題に移る。


「そういえば、懐かしいと言えば、さっき鍵につけてたお守りって......」


「あ、覚えててくれてたんだっ。うん、そうだよ。あのとき2人で買ったお守り。家内安全のやつだよっ」


モモ姉が部屋の鍵につけていた赤いお守り。

あれは僕らが施設にいた頃、普段は決して無駄遣いできない立場だった僕が、初詣で買ったものだった。


別に高いものじゃなかったはずだ。

施設があった地域の氏神様で普通に売ってた何の変哲もないお守り。


たった数百円だったはずだけど、当時のめったにお金を使わない僕にとっては、なんだか勇気のいる買い物だった記憶がある。


「やっぱり。まだ持ってたんだ」


「当たり前だよ。ナナくんにもらった大事なものなんだもん。ずっと大事にしてるよ?」


「ははっ、ありがと。僕の方はもう手元にはないから......」


「そっかぁ......。返納しちゃった? それとも失くしちゃったのかな?」


上目遣い気味に悲しそうな目でこちらを見つめながら尋ねてくる。



だから、あざといんだって。


「いや、そういうわけじゃなくて......」


そう、僕もあのお守りは大事にしていた。

中学2年のころまでは。


あぁ、そうだ。

ちょうど話の切り口として悪くないじゃないか。


あのお守りは......。


「ちょっと、元カノに捨てられちゃってさ......」







「......ん? 彼女?」


モモ姉ちゃんの貼り付けたような笑顔に、なぜか彩咲に感じてきたものと同じ気配と、周囲の温度が少し下がるのを感じた気がした。

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