第20話 幼馴染と雑談

会計を済ませて銭湯の前でモモ姉ちゃんを待つこと30分。

外は暗く、季節は秋に差し掛かっていることもあって、わりと肌寒い。


とはいえ、持っていた上着を着ていれば辛いということはないので問題ない。



それよりも驚いたのは、僕が彼女を待っている間、銭湯の中から数名の身なりの良さそうなおじさんと、若々しい女性たちがぞろぞろと出てきたことだ。


僕の他にお客さんはいなさそうだと思っていたし、実際閉館時間も過ぎていたはずなので、いま出てきたのは従業員の方々かとも思ったけど、こう言っては偏見が過ぎるかもしれないけど、服装があまりに銭湯の従業員には似つかわしくなかった。


おじさんたちはばっちりした高そうなスーツを身にまとっているし、女性たちはまるでキャバ嬢やホステスのような華美なドレスを身にまとっていた。


いや、キャバもクラブももちろん行ったことはないし、彩咲と出会ってからはそういう情報はほとんどシャットアウトされてたから、実際どんなものかなんてほとんど知らないんだけど。


それでもこの場に違和感を感じさせてくれるくらいには、異質な人たちがぞろぞろと出ていく光景。

その風景には、秋の肌寒さを忘れさせてくれるくらいの衝撃があった。


銭湯を出るときに確認した時刻はすでにてっぺんを二刻ほど過ぎていたことも、彼ら、彼女らの姿がその場に不釣り合いだと思わされる一因だったのかもしれない。




そんなこんなでもうしばらく待っていると、「おーい!」と元気のいい声が耳に響く。


「あ、モモ姉ちゃん。お疲れさま」


「うん、ありがとっ」


モモ姉ちゃんはさっきまで着ていた青い作務衣みたいなのじゃなく、私服に着替えていた。


私服、とはいっても、本来彼女の年頃の子が着ているであろう女性らしい服装というわけではなかった。


彼女の上下は、高校生が着るようなジャージに包まれていた。

腕のところには少しほつれが見受けられ、一見しただけで使い込まれたものであることが明白な、そんな姿。


誤解を恐れずに言ってしまうなら、貧相だという感想を抱かざるを得ない格好だった。


よく見ると、当時に比べて背丈は当然伸びていて、顔つきも今年20歳になる大人の女性相応の美しさを誇ってはいるものの、目元の隈や髪や肌、手の荒れ方が何かしら疲労を溜め込んでいることを如実に物語っている。


記憶も定かではないけど、モモ姉ちゃんが引き取られた先はそれなりに裕福なご家庭だと聞いていたと覚えている。

ながらく思い出すこともなかったモモ姉ちゃんだったけど、自分の頭の中では、お金持ちのご家庭で不自由なく幸せに暮らしていることになっていた。


だけど、目の前の彼女の姿は、僕のその想像とは違っていて、幾分やつれて見える。


さもありなん。

僕と離別した、施設を離れたときからすでに8年が経過している。

その間に何があったとしても、可笑しいことはなにもない。


かくいう自分も、そもそもこの町を訪れることになった理由が理由。

何かしらの事情持ちなのは、僕も彼女もかわらないのだろう。


とりあえずは、彼女が話してくれるまで余計な詮索はなしでいこう。



「ところで、もう2時すぎで辺りは真っ暗だし、流石にどこのお店も開いてなさそうなんだけど、どうしよっか?」


「どうしよっか、っていうのは?」


「あー、えっと、モモ姉ちゃんを待ってたのはいいんだけど、僕、携帯端末とかなんにも持ってなくて、検索とかできなかったんだ、ごめんね。だからこの辺りで今からゆっくりできるとこなんてあるのかわからなくってさ」


「あー、そうだね〜。ご飯屋さんもほとんど閉まっちゃってるし......。確かにゆっくりできるところないかも......。公園......とかはさすがに寒いもんね」


「そ、そうだね。まだ秋って言ってもこの時間だとさすがに......」


「んー、そうだなぁ〜」


モモ姉は小首をかしげて、口元に人差し指をあてながら、口を小さくにゅっと突き出すようにして少し考え込むと、『あっ』と呟いて続けた。


「それじゃあ、私の家とかどうかな?」


口元に当てていた人差し指を立てたまま、親指とでL字型を作るようにして、いい笑顔で提案してくれる。




......あざとい。その仕草のどれもがいちいちあざとい。

大げさなボディランゲージにコロコロと変わる表情。


身にまとっているのがみすぼらしいジャージなのにもかかわらず、モモ姉は真夜中の空の下、魅力で輝いているようにも見えた。


一瞬、そんな彼女に見惚れてしまい、言葉を継げなくなっていると、モモ姉はまた、少し不安そうな表情で小首をかしげてお尻の辺りで手を組みながら上半身をこちらに前傾させて「どうかな?」なんて、蠱惑的なお誘いを仕掛けてくる。


............やっぱりあざとい。



「え......っと。でも、こんな時間に男の僕なんかを上げて、その......なんていうか、いろいろ大丈夫なの......?」


「んー、大丈夫じゃない?それともナナくんは私と2人っきりになったら我慢できなくて襲っちゃったりするのかな?」



今日一番のキラキラしたいたずら顔で僕に挑発を仕掛けてくるモモ姉に、ここしばらく溜め込んできた毒気を抜かれる。


「食べていいなら、食べちゃうかもよ?」


そんなつもりはないけど、売られたケンカを買うように、にっこり笑いながら生意気な返事をする。


「え〜? じゃあウチはやめとこうかなぁ〜」


モモ姉ちゃんの方も、僕が冗談で言ってるのが伝わってるようで、ニンマリして冗談っぽく返してくれる。


「あはは、ごめんごめん。久しぶりなのに調子に乗っちゃった。絶対変なことしないから、もしよかったらモモ姉ちゃんの家におじゃまさせてもらってもいいかな?」


僕がそういうと、モモ姉はジトッと僕の表情を覗き込む。

何か粗相をしてしまっただろうか。それともさっきの返事がやっぱり気に食わなかったのだろうか。


「え、えっと......。だめ、かな?」


「むぅ......。なんだかナナくん、チャラくなった。女の子慣れしてる感じがする......」



あぁ、なるほど。

弟分にからかいがうまく効かなくてご機嫌斜めになっちゃったってわけか。



「ふっふっふっ、それはどうかな〜? ってか僕より、モモ姉のあざとさの方がよっぽどだからね?」


「えーっ、私があざとい!? ......むむむむむっ! ......まぁいいや。それじゃ私の家に行こっか」


あざとい呼ばわりされたのがお気に召さなかったのか、またあざとくしかめっ面を見せてから、ぱっと明るい表情に切り替える。



「うん、申し訳ないけど、おじゃまさせていただきます!」



彩咲の傍にいた頃は、女性に話しかけたりしたら、その場では止められなくても、帰ってからものすごいお仕置きが待っていたから、こんなふうにリラックスして女の人と話すなんてこともなかった。

というか、男子と話してるだけでも緊張感を持っていないといけなかったから。


彩咲と話すのも、いろいろ気を遣っていないといけなかったから、人とこんなに気楽なやり取りをすること自体が数年ぶりの出来事で、なんだか背中に微弱な電流が流れてるみたいな、なんとも言えないむず痒さを感じる。


彩咲に調教されたせいで女性不信になったりしてなくてよかった。


彼女の呪縛から解き放たれていると思える今この時、偶然にも『今の僕の状態を知らない』、『彩咲の味方ではないと思える』かつての知り合いと出会えたことは本当に奇跡だと思う。

普段は信じてなかったけど、これを期に信じちゃう、神さま。



「それじゃ、行こっか♫」


モモ姉は機嫌よさそうにそういうと、両手を広げて......。


むぎゅっ。


彩咲よりもやや小さめな胸を押し付けるように、僕の腕にぎゅっと抱きついてきた。









「わあぁあああああぁぁぁ!?!?!?!?」


僕はパニックに陥って、突然組まれた腕をとっさに振り払って、この時間にふさわしくない大声で、真っ暗な空にこだまさせてしまった。

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