第49話 リネットの思惑

「あの坊や。どこまでもつかな」


 自分の天幕に戻ったバーサはそこで待っていた人物にそう言うと、やわらかな毛皮をきつめた革張かわばりの長椅子いすにドカッと腰を下ろした。

 そして今しがた華隊はなたいの女たちに指示したことをバーサが話して聞かせると、その人物はまゆを潜めて嘆息たんそくする。


「回りくどい真似まねを……」


 そう言ったのはリネットだった。

 リネットはつい先ほどこの丘へとたどり着いたばかりであり、わずかに疲れた表情を浮かべてバーサに視線を送る。

 そんなリネットを見てバーサは大仰に肩をすくめてみせる。


「そう言うな。リネット。ワタシは見たいんだよ。情夫を寝取られて悔しがるブリジットの顔をな」

「それならおまえ自身がボルドにまたがればいい」

「それも面白いが、それではダメだ。ワタシが見たいのは心までボルドに裏切られたブリジットの顔だ。種馬ボルドを女けの色情狂いにしてやったらブリジットはどんな顔をするか、今から楽しみで仕方がないんだよ。本当なら先代ブリジットの息の根はワタシの手で止めたかったのだが、頭のおかしくなったババアを殺したところでワタシの気が晴れるとは思えなかったしな。ならばその娘を痛めつけて殺し、ブリジットの血脈を根絶やしにしてやるほうがよほど愉快だ」


 薄笑いを浮かべてそう言うバーサをリネットはそれ以上、いさめなかった。

 今のバーサを突き動かしているのは復讐ふくしゅう心であるとリネットは知っているからだ。

 リネットは4年前のことを思い返す。

 リネットが単身で国境を越えて王国内の分家領地を訪れ、初めて出会った時、バーサはまだ16歳だった。


 分家の女王である先代クローディアの実妹ベアトリスの死をその娘であるバーサに伝えたのはリネットだ。

 なぜならリネットはベアトリスの最後を見届け、その辞世の言葉をバーサに伝える役を引き受けたからだ。

 母の死を告げられたバーサは涙を流さなかった。

 ただ、母が何のために死んだのか、それだけをリネットに問うた。

 そんな彼女にリネットはベアトリスの遺志を伝え、それ以来、バーサはその遺志を継いでここまで動いできたのだ。

 だが、母を失った彼女が垣間かいま見せる復讐心ふくしゅうしんは時折、バーサ自身を焼き尽くしてしまうのではないかとリネットは懸念けねんする。


復讐ふくしゅうは存分にげるがいい。バーサ。それは誰にも止める権利はない。だが……」

「案ずるな。リネット。確かにこの胸には復讐鬼ふくしゅうきが巣食っている。だが、それに飲まれて大局を見失うことはない。我が身の内には復讐鬼ふくしゅうきのみならず母上の夢も満ちているのだからな」


 母の夢。

 ベアトリスが画策かくさくしたダニア本家の乗っ取りと分家への統合。

 今はそれを娘のバーサが成しげようとしている。

 リネットはその計画の一翼を担うべく、こうしてバーサと行動を共にしていた。


「リネット。おまえと出会ってからもう4年だな。こうしてワタシとおまえが行動を共にしているのは母上の存在あってこそだ。母の理念に共感してくれたことは決して忘れぬ」

「ベアトリスの考えは結果としてダニアの新たな未来を作ることになる。アタシ自身がそう感じたから、今こうしてここにいる」

「己を捨ててダニアのために尽くした女の言葉は重いな」


 バーサの言葉にリネットはこれまでの自分の生き様を思い返す。

 戦士としては体格が小さいがために、最前線で刃をぶつけ合う戦いよりも、夜のやみに乗じて相手を背後から刺す任務に適していた。

 用心深い性格と状況判断の的確さ、そしてすばやく無駄むだのない身のこなしを誇るリネットだからこその適職といえたが、それは名誉とは無縁の日々だった。

 だが、そうして血にまみれた日々を過ごして来たリネットは、ダニアの中で誰よりも外の世界の現実を知っていた。


 まだ先代ブリジットが健在であり、リネットがベアトリスを知るよりも以前。

 若い世代の女たちが戦場での勝利に雄たけびを上げ、互いの戦果を嬉々として競い合う中、リネットは深い憂慮ゆうりょを胸に抱えていた。

 このままではダニアはダメになる。

 そう考えたリネットが最初に胸の内を吐露とろしたのはもちろん自分たちの長である先代のブリジットだった。

 自分の憂慮ゆうりょを聞き、先代はそれを理解し、自らの考えを語った。


「先代ブリジット自身も現状の危うさは理解していた。だが、それに対して彼女は明確な未来図を持っていなかった」

「それに失望したというわけか」

「失望というほどではない。アタシ自身も確たる先行きを思い描けなかったのだからな。だが、漠然とした危機感はぬぐえなかった。そのことに対して明確な答えをくれたのは皮肉にもおまえたちの長である当代のクローディアだったな。当時はレジーナという名だったが」


 先代クローディアの娘、レジーナ。

 今、彼女が分家の女王・当代のクローディアとして君臨している。

 まだブリジットより2つも若い彼女は現在、若干16歳だが、才覚あふれる手腕とそのカリスマ性で見事に分家をまとめていた。


「当時まだ12歳のレジーナは、現在の自分たちの行いによって数代先の子孫たちの生き様が大きく変わるとアタシに言った」


 そうした考えのもとで動くことで今その胸に渦巻うずまいている憂慮ゆうりょが消えるのではないか。

 まだ成人前の小娘でしかないと思っていた相手のその言葉を聞いたことが、リネットの人生の転機となったのだ。

 リネットは若干12歳のレジーナに、女王のうつわを見た。

 ダニアの未来をたくすなら彼女しかいないと思えたのだ。

 リネットにレジーナを引き合せたのはバーサだった。


 そうした全ての原点となったのは、あの日。

 ベアトリスの命が尽きた日に、リネットはその今際いまわきわに立ち会った。

 その出来事がリネットの運命を変えたのだ。

 リネットの脳裏にその出来事が追憶ついおくとなってよみがえる。

 

 それは4年前のことだった。

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