4:猫ニンマリ

イライラしていると、玄関で「じいたーん!」という元気でかわいい声がした。

軽い足音が廊下に響き「じいたん! ナミだよ!」と幼稚園児の女の子が部屋に入ってくる。じじいの子どもの子どもの子ども、つまりやしゃごだ。名前はナミ。


「わあ、じいたんのお部屋、くさーい!」

「ご、ごめんよ」

「お漏らししたんでしょ。めっ」

「ごめんねぇ」


へラッと笑うと、ナミも笑って、それから走ってどこかへ行き、また走って戻ってきた。


「ねえねえ、マルちゃんがいないよ。どこに行っちゃったのかなあ?」


ナミは狼狽え、寂しそうだ。


「マルちゃん?」

「じいたんの猫だよ。じいたんはすぐ忘れるね」

「ハハハ」


オレは初めて、自分が人間達からマルちゃんという名前で呼ばれていることを知った。

女が入ってきて、ナミの頭を撫でる。


「マルちゃんはお散歩に行ってるのかもね。さっき煮干しを一匹あげたけど、マルちゃんには足りないだろうからすぐ帰ってくると思うわ。お腹空いたーって言って」

「マルちゃん、食いしん坊だもんね」

「そうそう。いつまで経っても食欲だけは落ちないのよねぇ」


二人はフフフと笑い合う。


「さあナミちゃん、おじいちゃんとマルちゃんのご飯を作るからお手伝いして」

「わかったー!」


煮干しをくれたのはこの人間だったのか!

じじいの記憶とオレの記憶がリンクする。


オレは昔、今にも死にそうな薄汚れた茶虎の子猫だった。

じじいに拾われ、うまいものをもらい、たくましく成長した。

じじいがもう少し動けた頃は、オレのご飯を用意するのはじじいの役割だった。

いつもはキャットフードだけれど、時々茹でた鶏のささみやマグロが出た。


年を重ね、そのうち体が思うように動かなくなってきた。

じじいも一人でできたことが、できなくなっていく。

今は孫達がご飯を作る。

じじいとマルちゃん、一人と一匹のために。

毎日、何年も。


「おぉい」


オレは掠れた声で二人を呼び止めた。


「じいたん、なあに?」

「どうしたの?」

「あの、あのな……」


喉から必死に声を絞り出す。


「今まで、ご飯、ありがとうな」


オレは言ってやった。

せっかく人間に変身したのだ。死んだ後の話ばかりして気に入らないけど、ここまで長生きできたのだから、礼のひとつくらいは言ってやろうじゃないか。

どうだ、とばかりにニンマリ笑うと、ナミはオレ以上に白い歯を出して笑い、女は手で口元を押さえた。


「やだ、おじいちゃんがそんなこと言うなんて」


礼が嫌だったのか? ご飯の礼だけじゃ足りないのかもしれない。


「長い間、ありがとう。色々、面倒をかけて、ごめん」


そう言うと、女がエプロンの裾で目許を拭った。

「そんな、別れの挨拶みたいなこと言わないでよ。もっと長生きしてね。私のほうこそ……色々ごめんなさい」


男が部屋に入ってきて「どうかしたのか?」と尋ねた。

女が説明すると、男も気落ちしたように目を伏せた。


「そうか……。俺達、不謹慎な話ばかりしてたな」

「今日の晩ご飯、兄さんも一緒に食べない?」

「ああ。娘達も呼ぶか」


三人が台所へ向かった後、空中にキラッと天使が現れた。

くるくる回って両手を大きく広げる。


「猫さん、よくできましたー! さあ、もう時間ですよ」

「お迎えか?」


問いに返事はなく、オレの意識は遠のいていった──。

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