誰かと協力して何かを成すことは、非常に素晴らしい事だと賞賛されますが、本当でしょうか。


 適材適所や臨機応変という言葉が交錯するこの世の中において、何かを数人で集まって成しても、結局は誰か一人の手柄になってしまう事は往々にしてあるでしょう。


 私にはできない事をやれる人。

 私よりもできるのにやらない人。

 私よりもできないけれど、やろうとする人。


 高校に入ってからの話です。


 ○


 生来の面倒くさがりで、努力を嫌い、惰性で生きてきたことを未だ理解していなかったと思います。


 ですが、その片鱗は確かにあったのです。


 部活動をどうしようかと悩んでおりました。

 無論、続けるかどうかです。


 中学時代の友人は、三年間続けた部活動をもう三年間続けることは当たり前のように感じていたようです。流れで私も卓球部へ入部することになりました。


 そこから三年間は、中学時代以上に目も当てられぬ日々でした。


 面倒になれば理由を付けて休み、練習に来ても部室に籠り、大会でもやる気にならず


 だいたい高校になると実力の差がはっきりしてくるため、この相手は勝てる、この相手はどう転んでも勝てないなど、戦う前から結果が何となく見えてくるものです。


 私は中学時代、まあ、可不可の無い、どちらかと言えば中の上程度の実力で、当時負け無しの相手に潰されるような、そんな大会成績でした。


 ですがそれも過去の話で、高校生にもなると最底辺の実力として扱われるようになりました。


 当たり前でしょう。


 私だって、努力もせず、練習もまともにやらず、惰性で日々を送るような人間が勝てないことくらい、理解しています。


 寧ろ何故中学時代にそこそこ戦うことができたのか、それが不思議でなりません。


 やがて一つ上の世代が卒業し、我々が最上級生になった頃、一つ下の後輩の二人ほどが口を聞いてくれなくなりました。


 未だに理由が分かりませんが、恐らく私の人間性を見越して関わりたくないと思ったんだと思います。

 当時は悲しくて憤りを感じましたが、今落ち着いて考えればこれも真っ当な理由でしょう。


 今はもうお互いに関わる気も無いでしょうからどうでもいい話です。絶対許さない。


 そうして、特段結果も残さず、努力もせず、自分の行動を振り返らぬまま、三年間を駆けて行きました。


 ○


 勉強に関しては、中学時代よりも少しだけ励んだように記憶しています。本当に僅かに、ですが。


 というよりも、勉強せねば理解し得るところも理解出来なくなりそうな専門知識が多く、私は必死に食らいつきました。

 この時ばかりは努力という言葉を覚えていたようです。


 一般的な教科に加え、プログラミング基礎や通信系の教科が増えたことにより、元々苦手だった数学や化学は益々手付かずになりました。


 現代文と現代社会は元々得意でしたので、基本勉強はしないまま九十点台をしばしば取っていたように思います。

 プログラミングに関してもやりたい事ではあったので、努力せずとも課題は基本的に一発で通していました。


 ただ、高校には「追試」なるものがあり、確か三十点以下を叩き出すと受けさせられたと思います。

 努力すること以上に面倒な事が嫌いな性分でしたので、これを避けるために数学と化学だけは勉強を重ねました。

 一回ほど追試を受けた記憶がありますが、それ以外は受けていないはずです。


 そうして一握りの努力だけで勉学に勤しんできました。


 ○


 課題研究というものがありました。


 三年時に、一年を通して一つ、何かを作り上げるという課題でした。


 私はシューティングゲームを作りたいと言いました。


 同じことを言った二人と協力し、三人で制作を始めました。


 一人はゲーム用のイラストや素材を作成。

 もう一人はプログラミングコードを探してくる。


 肝心の私は、その二人の持ってきたものを組み込む役を担いました。


 好きなことには努力を厭わないんだなと、今思いました。


 ある時のことです。


 一人は気付いたのではないでしょうか。


 自分はいなくても、私がいれば成り立つと。


 コードを探してくる彼が、途中で参加がまちまちになり始めました。


 基本的に授業と放課の取り組みになるのですが、彼は放課後来なくなりました。


 一人で来なくなるだけならまだしも、もう一人を引き連れて来なくなりました。


 私は一人でパソコンと見つめ合う時間が増えました。


 流石に怒った私は彼に言いました。


 その時だけは、彼も来ました。


 でもまた来なくなりました。


 もう一人は、来たり来なかったりを繰り返しつつも、まあ来た方です。


 こうして、後半は二人での作業が多くなりました。


 やがて発表の日が近付いてきました。


 発表は下級生へのものでした。


 十ほどの班がありましたが、正直なところ、私たちの班が最も歓声が上がったように思います。


 贔屓目にではなく、本当にそうだったはずです。


 喋りで面白おかしくすることも、問い掛けるように何かを発表することも苦手でしたので、ただ淡々と、ここはこう、これはこう、と発表したのみでしたが、本質に興味を持たれたようでした。


 時々に湧き上がる歓声は、他の班よりも多く、その時は言いようのない優越感がありました。


 面白おかしく喋って笑いを起こす班もありましたが、中身に対して特段褒められるようなものでもなく、ただ嘲笑、同調のようなものが他の班には見え隠れしていました。


 発表は終わり、課題とも別れたある日のことです。


 私はまた、気付きました。




 一見して特に何もしていない彼は、私たち二人と一緒になって評価されている。

 つまり、仲間内でどう思われようと、「協力して何かを成した」という事実で括ってしまえば、教師からすればどうでもいいということに。




 私は知っています。

 一人は途中で何も参加しなくなったことを。


 私は知っています。

 あまつさえ私を差し置いて、彼ら二人は遊びに行ったことを。


 私は知っています。

 ことプログラミングにおいては、九割九分、私が書き上げたことを。


 彼らは理解しているのでしょうか。

 作品のプログラムを見た時に、全容を理解できるのは、私ただ一人だけであることを。


 諦念

 蔑視


 それすらも、彼には勿体ない。


 ○


 言い訳をさせてもらうと、もう一人に対してはさほどそういった負の感情は持っていません。


 彼は私にできない事をやる役目がありました。


 彼は彼のできること、彼にしかできないことをやって見せ、私に提供し続けてきました。


 彼のお陰で発表時の歓声があると言っても過言ではないでしょう。


 ですから、私が彼の努力を理解しないことに憤りや悲しみを抱いたとしても、それは甘んじて受け入れますし、申し訳ないとも思います。


 努力を理解しないわけではありません

 私ができない事をできる事に関心もしています


 私が解せないのは、自分のやれる事をやって終わりという姿勢、ただそれのみでした。


 課題に関わる素材を提供して終わりではなく、もっと根本、継続的に作らねばならないプログラミングに対して、もっと理解してもらいたかったのです。


 ですが、もう過ぎた話です。


 彼には感謝しています。


 それらの事実を差し引いてもまだ、お釣りが来るほどのものを、あの時私は提供してもらったのですから。


 ○


 三年時の最中、私は就職を考える時期になりました。


 私は努力が嫌いです。


 ですが、就職に関しては努力が不可欠です。


 面倒なことはもっと嫌いです。


 面倒なことになる前に、努力しなければなりません。


 私は担任と相談しました。


 私は東京に憧れておりました。


 東京に就職できるなら、どこでも良かったのです。


 担任は私にある会社を紹介してきました。


 誰も希望していなかった会社でした。


 ですが、古くから付き合いのある会社でした。


 私はいいように扱われたようでしたが、他を比較して吟味することも面倒でしたので、勧められるままその会社を選びました。


 面接は東京の本社で行われました。


 面接は問題なく終わりました。


 二日後、学校へ結果が届きました。


 内定が決まりました。


 また、中学時代と同じように、ある思いが芽生えました。




 努力も、頑張りもしていない。

 やりたい事だけをやって、やりたいようにやるだけで、面倒なことは避けられると。




 私は努力よりも面倒なことよりも、田舎臭い地元が、何よりも、心底嫌いでした。

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