第4話 修理を始める

 食事の後片付けに十羽白とわしろを残して、八部寮の面々は母屋から整備蔵に移動した。

 蔵の中で専用台車に横たわる大機甲装兼龍。

 何度見ても現実は変わらない。

 木江このえ雄志太ゆうしたに尋ねた。


「本当にここまで壊れた兼龍で試合に出るつもりなの?」

「当然だ。俺の機甲装はこれだけだからな。何が何でも仕立て直すぞ」


 固い意思で返された。


「直すにしても具体的にはどうするの?

 雄志太様も兼龍の鎧剥ぎを手伝ってくれるのかしら」


 少し意地悪く言う。

 八部寮の新しい主はあっけらかんとしていた。


「まずは吊るしに移そう。

 全身の点検をするなら、その方がやりやすい」

「そ、それができれば苦労しない、って……」


 言い返そうとして言葉尻が窄まる。

 会郷藩の次代藩主一志嬉野いしきの雄志太ゆうした是時これときは、この状態でも動かせる強大な術力を備えている。

 昨日御前試合での騒動は、その力が有ればこそ行ったのだ。

 小艾おもぐさが雄志太の隣に進み出る。


「今すぐ軽具足に着替えますかい?」

「いや、このままでいい」


 雄志太は両手で幾つかの印を素早く切り替える。


「我が腕に万力を権現せしえ賜え」


 文言を呟くと兼龍の巨躯がじわりと浮かび上がった。

 木江を含めた八部寮の全員が驚きに惚ける。

 本体だけでも目方ニ百五十貫(約1t)以上ある木造巨人を、方術念動だけで浮かしている。

 術者を見ると、言を繰り返し印を維持して方術に注力していた。

 兼龍がゆっくりとした速度で向きを変え、頭を上にする。そのままの速さで横に動き、整備蔵の吊るし縄に背を当てる。

 雄志太が力を抜くと、兼龍もわずかに下がった。

 吊るし縄に付けられた鈎と、機甲装の腰後ろと肩甲骨にある受け穴がきっちりと噛み合い、巨体を縦に留め置いた。わずかに足先が床に届く高さだ。


「さすがに重いな」


 印を解いた雄志太が首筋を押さえ腕を回す。

 混乱する木江が叫ぶ。


「そんなあっさりと言わないでよ!

 今のなに、どこからが現実?」

「どこもなにも、自分の目を信じろ」


 雄志太は昨日の取組で機甲装の内部から方術で操った。

 それでも壊れた筋や節を一時的に補強代替えしただけだ。

 まさか機甲装一領を丸々浮かす術力を持っていると思わなかった。


「もう、あなたが生身で試合に出なさいよ。

 わざわざ兼龍を直さなくても、戦えるでしょ」

「強力な念動力は即時性に欠ける。

 なにより方術での直接攻撃は禁則事項規だ。機甲装相手の取組で使えるものか。

 そして俺は昨日、膝丸寮の髭切に負けている。

 いくら方術で破損箇所を補助しても、万全を期した機甲装には勝てない。

 見ての通り筐体が保たんのだ。

 機甲装に勝てるのは機甲装だけ。

 いくら俺が有能な術士でも、鬼を討つ大鎧には敵わんさ」


 薄く苦笑いする雄志太。


「そら、次はお前たちの番だ。さっさと兼龍の容態を調べろ。

 明日の巴戦までには、是が非でも兼龍を動かせるようにしろよ」


 主の言葉に枡乃と小艾が動き出す。


「ごーずいずいにー」

「わっかりましたぁー」


 慣れた手付きで吊り縄の後ろ、壁に付けらた整備用足場を兼龍の周囲に展開する。

 工具箱を頭に乗せた雛路が木江の背を叩く。


「ぼさっとしていないで 手伝えよ」

「わ、わかってるわよ……!」


 木江は整備蔵据付けの援操板に座り、大機甲装兼龍の状況を監視し始めた。



 機甲装は大きく二つの物で構成されている。

 一つは"芯鉄"しんがね。方術を用いた機甲装の制御中枢。

 長さ一尺、幅三寸半、厚み半寸。内部に膨大な方術式を埋め込んだ金属製の板符。

 この芯鉄と奏者が同調することで、機甲装の神経系が出来上がる。

 もう一つは、物理的な巨体である木製の"筐体きょうたい"だ。これは人体の筋肉骨格構造を模し寸尺を倍加した物。

 骨は硬く軽く、肉は柔く重く。性質が異なる木材が使い分けられている。

 それら筋肉部分を奏者が芯鉄を通じた方術で収縮させ、機甲装の巨躯を動かすのである。


 兼龍の現状を言えば、最悪だった。

 援操板(モニター)の立体表示には、昨日と同じものが映っている。

 全身の骨格にひび割れが走り、肉と筋も切れかけ。

 特に顕著なのが左腕と右脛。

 釣り縄に移したことで左肩が完全に垂れ下がった。関節が外れて外布が腕を留めている状態だ。

 右脛は見事に泣き所で折れていた。つま先が真っ直ぐ前を向かず、少しずれている。

 実は首も折れていた。台車に頭部が置き去りにされている。人間なら臨終だが、機甲装の頭部は飾りなので動作に差し障りはない。

 一方で根本から割れ折れ欠けた右人差し指は、対処のしようがなかった。

 改めての重体具合いに、木江の頭が重く垂れ下がり持ち上がらない。

 これを一日で直すかと思うと気が遠くなる。


 元より機甲装の筐体は消耗品だ。

 筋肉に限らず、骨や関節も長く使えば取り替える。

 人間と違い代謝系がないので当然。傷み壊れれば交換するしかない。

 大抵の機甲装はそうして筐体を二代目、三代目と乗り換えている。

 唯一の例外が、八部寮の兼龍だった。

 お飾りの取組という運用方針のお陰で、なんと建造当初の部品が八割近く残っていた。

 そんな老朽化した筐体で手荒い雄志太の操舵を受ければ、自壊するのも納得の結果である。


 ともあれ兼龍の鎧を外そうとする枡乃が、木江に顔を向ける。


「手を付けると危ないところは、どっかあるかい?

 見たところ左肩が要注意な感じだけど」

「鎧を剥ぐだけなら大丈夫。関節が外れているだけだし」

 枡乃が天井から下がる移動滑車を兼龍に寄せながら言う。

「外袋が破けてないなら、腕だけ滑車で吊るして左腕を嵌めちまおう。腱が切れちまう前にさ」


 少女たちのやり取りを見ていた雄志太が声を掛ける。


「どうだ。明日までに直せそうか?」


 軽薄な物言いに木江が逆上する。


「出来るわけないでしょう!!

 八部寮うちには交換部品が一つも無いのよ。

 必要に応じて小艾の実家に一品発注なんだから。

 こんな重態、すぐには直せないわ」

「さかしまに語れば、備品が足りるなら良いのだな」

「これだけの損壊を直せる道具や部品が用意出来るのならね!」


 強く言い返す木江。

 対して雄志太は不敵な態度を崩さない。


「さて、そろそろか」


 言葉に誘われたかの様に、玄関から声がした。


「ごめんくださーい。一志嬉野様へお届け物でーす」

「はい。どちら様でしょう」


 十羽白が前掛けで両手を拭きながら対応に出て来る。


「お前たちは整備を続けていろ」


 木江はたちに言い残すと、新しい主人も足を向ける。


「おう、来たな。そいつらを奥の蔵へ運べ」


 すぐに雄志太が一人の女性を引き連れられて戻ってきた。

 特徴的な褐色肌に濡れ羽根な髪をした胡族こぞくだ。年頃は八部寮年長の枡乃より少し上ぐらいか。

 彼女の後ろには困惑気味の十羽白と荷車が四、五台。どれも荷物を満載にしていた。


「どんどん入れろ」

「それでは失礼いたしまーす」


 女性の方術操作であろう、引手も無しの荷車たちが八部寮の整備蔵へと入ってゆく。

 木江が慌てる。


「ちょっとちょっと!

 いきなり過ぎて訳がわからないわ。

 説明しなさいよ」

「そうだな。先に面通しを済ませよう。

 見ての通り、こいつは胡族の瀬世せぜという。

 兼龍修繕の指揮を任せるために俺が呼んだ」


 主の紹介を受けて、胡族の女性が丁寧に挨拶する。


「瀬世と申しまーす。よろしくお願いいたしますねー」


 会釈する瀬世に、どうもどうもと八部寮の面子が礼を返す。

 唯一木江だけが孤軍奮闘する。


「だから、みんなは順応し過ぎ!

 今、修理の指揮をするって言ったのよ。

 っていうことは、八部寮の入るってことで、しつの人なわけで……」


 瀬世の立場を想像して言い淀む。

 横目で雄志太を見ると揺るぐことなく立っている。

 胡族の女性はにこやかな笑顔で主人に寄り添う。

 つまりは、そういうことだ。

 小艾がやんわりと木江を窘める。


「藩主であらせられる小北波羅こぼくはら様がご子息とお認めになったから、若様はここにいるんだし。

 誰を引き入れようと、咎められないわな」


 結局は雄志太の胸先一つと言うことだ。


「それにしたって、この大荷物はなんなのよ」

「荷については先程お前が言っていたではないか。

 これで修繕が捗るな」


 木江が驚く。


「まさか、これ全部が?」

「そう、兼龍の修繕資材。今日の為に準備していたものだ」


 主人の言葉を受けて、瀬世が柏手を打つ。


「さっそく始めましょう。

 はい。十羽白ちゃんには搬納はんのうした品物の一覧表をあげる。

 枡乃ちゃんはそのまま兼龍の鎧剥ぎを続けて。お手伝いに雛路ちゃんが付いてあげてねー。

 木江ちゃんは兼龍の状態を詳しく書き出して」


 小艾が挙手。


「アタシは何すればいいんですか?」

「とっておきを用意したわ。

 前々から小艾ちゃんがやりたがっていたことよ」


 瀬世が指差すのは荷車の一台。近づいて小艾を手招きする。

 覆いかぶさっていた風呂敷を捲ると、変わった形に切り取られた大きな木材があった。

 一瞬で何かを理解した小艾が目を輝かせる。


「これは新しい拳の素材!」

「その通り。一志嬉野様の手首から型取った石膏像もあるわ」

「ってことは、アタシが兼龍の右手を彫っていいの!?」


 興奮気味な小艾の確認に、ゆったりと瀬世が首肯する。


「小艾、女人生十四年、大勝利っ!!」


 両腕を天に突き上げた勝利宣言。

 技師の浮かれ具合いに、さすがの雄志太も呆れ気味に釘を刺す。


「本来なら仏師相当の熟練職人に依頼する繊細な部分だ。

 文字通り俺の右手を預ける。失敗は許さんぞ」

「任せてくださいよ若様。明日の取組で恥はかかせません」


 小艾はさっそくと腕をまくり、瀬世から受け取った手首形を食い入るように見る。両手で撫で回し形を探る。



 機甲装は人体構造を模しているが、いくつかの部位は簡略化されている。

 まず内臓。木造巨人は呼吸をしないので肺腑心臓がない。

 飲食を必要としないから胃袋や腸といった消化器もない。

 それ故に咀嚼する顎もなければ、鼻耳じびまなこは乗り込む奏者にあれば事足りる。

 脳味噌もないため、機甲装の頭蓋は飾り物である。

 足首も省略されている部分だ。

 脛半ばから一本の丸太になっていて、五指のないつま先が方向を標すだけ。


 逆に掌は得物を持つために少々特殊で緻密な再現をしている。

 指を一本一節ごとに作り込むのではなく、手首から先が一つの部品になっている。それも専用の柔らかい木材からの彫り出しで賄っていた。

 まず奏者の手形を元に材木から鋸とミノで掘り出す。それも大きさを等倍にして彫るので、高い技量を必要とする。

 次に硬化剤と軟化剤への漬け込みを交互に行い、微細に凝縮させながら"皮"を成形させる。

 途中指先に別素材の爪を貼り付ける工程を挟み、何度か漬け込みを続けて完成だ。

 機甲装の手を奏者のそれを元に作られる理由だが、実は失伝している。

 一説には始祖である武家八領が、各々の奏者に合わせて造られた名残りと言われている。

 実際、手繰る時その方が感覚的に扱い容易いし、手首完成の目安としても解りやすい。


 兼龍の人差し指が折れたことが致命的とは、指だけを直すのが難しいからだ。

 折れた指を接着しただけでは、五指と手の平の柔軟さを保てず耐えられずに、すぐに剥離してしまう。


 この製造過程と材料の希少性から、機甲装の"両手"作製は一発勝負。筐体技師にはとても名誉ある大仕事だ。

 幼少から機甲装に間近で接してきた小艾は、いつかはやってやるぞと目標に掲げていた。

 今回、好機到来とあって奮起せずにはいられない。


 若干気味悪気きみわるげに小躍りする小艾は、懐から巻き尺を取り出し手首型の子細な採寸を始めた。

 一方で、騒ぐのは木江の役割りになっていた。


「造るのは右手だけなの!?

 左はどうするのよ?」

「無論、そのまま使うが。問題あるか?」


 冷淡な雄志太に、木江が捲し立てる。


「ありまくりよ!

 機甲装の手は左右揃えて造らないと、たださえ難しい制御系の均衡が崩れるでしょ」

「そんな事、言われるまでもない。

 明日、右手が完成したら取組までに調律を終らせろ。

 それがお前の仕事だ」


 言い渡された内容に木江は絶句した。金魚のようにぱくぱくと口を開閉する。

 兼龍の右手元を小艾が抱えて作業台まで移動する。重たいそれを多少左右に揺れながら運ぶ。


「よっこらせっと。

 アタシのケツも最初から火が付いてる状態さ。

 皮造りを考えれば、手首の掘り出しは夕方までに終わってないといけない。

 そこから右手の漬け込みを一晩でやって、出来上がるのは明日の夜明け前だな」


 小艾は作業予定をと指折り数える。

 呆然としてる木江に瀬世が取りなす。


「今から両手を新調するのは無理よね。

 材料があっても掘れる技術を持っているのは小艾ちゃんだけだから、人手が足りないわ。もちろん時間もね。

 なにも木江ちゃんだけに無理を言ってるわけじゃないのよ。

 今回は全ての工程が押し詰められているのだから」


 兼龍の装いを紐解いていた枡乃も話に加わる。


「右手を取り換えるなら肘までバラすだろ。

 折れている脛も一緒に交換するから、右半身だけでもかなりの時間が掛かるぞ。

 小艾が右手掘りに掛かり切りだと、あたしと雛路で筐体いじりをやることになるんだし」


 八部寮の娘達は寮内の仕事を分担している。が、少人数の宿命で完全な分業制にはなっていない。

 一例を上げると、家事は十羽白が仕切っている。しかし他の娘達が食事の用意をしたり、洗濯したりもする。

 同様のことが、兼龍の整備にも言える。

 ある程度の整備作業は、小艾でなくとも行える。

 八部寮は兼龍の維持こそが仕事なのだから当然といえた。

 実を言うと、木江は兼龍を操れる。芯鉄と帯刀たてわきの儀(ユーザー登録)を交わしている。

 制御方術の調律が仕事なので最低限の権限は持っていた。

 実際に乗り込んで歩けば、即時に転倒し自重に潰され大怪我をしてしまう公算が高いが。


 自失状態から復帰した木江だが、今度は眉間に深い皺を刻む。


「枡乃たちに補修剤の注射や湿布貼りは出来ても、筐体の組み直しは主任技師の小艾待ちだわ。

 そこの調整はどうするのよ?」


 雄志太へ追求する。

 逆に言えば、本格的な作業は専任の人間にしか行えない。

 木江も算術は得意な方だが、八部寮の出納帳すいとうちょうに筆を入れられるのは十羽白だけだ。

 まして筐体の組み立てなどの大仕事は小艾にしか出来ない。

 不動の主が答えた。


「言ったはずだ。兼龍の修繕工程は瀬世が管理する。

 こいつなら大概の作業は代行できる」

「困ったことがあったらなんでも相談してね。お姉さん、がんばっちゃうからー」


 緩い様子からとても出来る女には見えない。

 雄志太が整備蔵の中を睥睨する。


「さあ、お喋りはしまいだ。

 時間がないんだぞ。口よりも手を動かせ」

「何はともあれ、木江ちゃんの検診が終わらないと修繕がはじまらないのー。

 お手伝いするわね」


 瀬世は整備蔵付き援操板のひとつ、木江の横に座り光枠いろは鍵盤(レーザーキーボード)を展開させる。


「補修箇所が多い上半身はお任せするわ。下はこちらで診るから」


 長細く整った褐色の指が鍵盤の上で踊る。


「折れちゃている右脛だけど、交換よりも接着とかすがいを打ちましょう。その方が時間の節約になるわ。

 枡乃ちゃんたちでも出来る方法なら、優先的に選びましょう」


 援操版に立体表示されている兼龍の右脚を指で突き部位指定、接着した場合の詳しい強度計算を始める。

 速い。隣に座る胡族の女性は、一瞬で損傷度合いを見極め、的確な判断を下した。

 瀬世の印象が先程から何度も反転する。木江は焦った。


「でも、それじゃ右脚が変に重くなっちゃう」

「だいじょうぶ。これくらい一志嬉野様なら余裕で扱えるわ。ですよねー」

「これみよがしに言わなくてもいい。

 調整の度合いは任せるぞ」


 白け顔の雄志太が整備蔵から出て行こうとする。

 木江が呼び止める。


「ちょっと、どこに行くのよ?」

「明日、取組を行なうには兼龍を直すだけでは足りん部分がある」


 主の言葉に荷車の棚卸しをしていた十羽白が顔を上げる。


「組合に出向かれるのなら、わたしがお供します」

「いらん。対外の取り纏めは俺がやる。

 お前らは普請に集中していろ」


 雄志太は言い残すと、足早に出ていった。

 嵐の様な主の言動に木江は不満を覚えずにはいられない。

 内心を隠そうせず不貞腐れた表情の木江に瀬世が話しかける。


「そんなにむくれていちゃ、可愛いお顔がだいなしよー」

「別にふくれてません」


 今度は小艾が瀬世に話し掛ける。


「ちょっとどころじゃなく気になっているのですが。

 今晩の閨のお相手って、決まっているのでしょうか?」


 親友の唐突な振りに木江が吹き出す。


「な、なにを言い出すのよ!」

「だってアタシら晴れて次代藩主の側室になったんだしー。

 世継ぎの順番とか正妻繰り上がりとか色々気になるじゃん。

 事と次第によっちゃ、アタシら未来のお局様よ」


 茶化す小艾に小さく笑った瀬世が答える。


「将来的な話は解らないけど、今晩は一志嬉野様よりも兼竜と一晩明かすことになるわね」


 援操板で計算しながら胡族の女性が言う。


「明日のために今まで準備してきたのだから、色気を出すなら全てが終わった後よ。

 一志嬉野様の性格なら、今晩は修繕を優先しろと怒るぐらいだわ」


 八部寮の面子を見渡して瀬世が言う。


「もっとも、みんなのご実家に挨拶をして八部寮に残るか続けるのか、今後を話し合うのが先でしょう。

 大丈夫。無理強いに床へと引き込まれはしないわ。

 一志嬉野様は筋を通す人よ」


 木江が渋面になる。


「御前試合での乱入は、筋が通っているとは言わないわ」

「そこは目を瞑って欲しいわ。

 どうしても今期の場所で対戦したかったのだから、大目に見て協力してね」


 可愛らしく片目を瞑る瀬世。

 天井釣り滑車を兼龍の近くへと動かす枡乃が、会話に加わってくる。


「そこまでする若様の目的を聞いてもいいかい?

 今場所を優勝したいだけだと、動機が軽くなりませんかね」

「うーん。急がなきゃいけない理由があるのは解るでそうけど。

 御本人の口から言ってもらうのが、この場合の筋になるかな。

 割りとびっくりな内容だから、楽しみにしていいわ」


 十羽白がおそるおそる尋ねる。


「小北波羅様への叛意はないんですよね」

「そんなだいそれた事はじゃないわ。

 もっと個人的な願いよ」


 最後まで瀬世の言葉や優しかった。これ以上裏に暗い意図があるとは思いたくない。

 しかし納得が行くかとは別の話だ。

 難しい顔の木江の手は遅い。

 先に瀬世が計算作業を終わらせた。


「はい。修繕した場合の負荷予測。

 この数字以下なら上半身の加重に耐えられるはずよ」


 表示枠から小窓一つを指先で横滑りさせる。

 送らてきた数値を目標に、木江は修理方法を検討する。

 瀬世は席を立つと、兼龍の筐体に取り付いている枡乃と雛路に近づく。


「わたしも鎧を剥ぐのを手伝うわ」


 兼龍の左腕を天井釣りの滑車に掛ける枡乃が疑問を口に出す。


「姐さんの細腕で、機甲装の装備が持てるんですか?」

「これでも方術は一通りできるんだから。

 身体強化も問題ないわよ。

 さすがに一志嬉野様には敵わないけど」

「若旦那程の使い手は、早々いないっすよ」

「いきなりあんな力業を見せられたら、ふつう引きますよねー」


 枡乃と瀬世が笑い合う。

 のんきな二人を尻目に、木江は計算をしながら口を尖らせた。


「喋ってないで手を動かして」

「はいはい、りょうかいだ。

 今、左肩を填めるぞー。っとぅ」


 枡乃の掛け声で、操援板の警告表示が一つ消えた。

 少しだけ木江の顔に笑顔が戻る。


「あとは細かい傷を直すだけで、左半身は良さそうね」


 瀬世が組み立て式の足場に登り、兼龍の右側に取り付く。


「素は空を飛び、羽根のごとく浮かぶ」


 軽重の文言を唱え、片手で鎧を掴み軽く浮かせる。

 もう一方の手を内側に潜り込ませて、結び目を手探りで見つけ解く。

 その流れで鎧を手際よく解体してゆく。

 あっという間に兼龍の骨格があらわになる。

 木江が感嘆した。


「すごい。強引に事を進めるだけの力はあるのね」

「まだまだこれからよー。じゃんじゃん直していくから」

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