第3話 八部寮(やべりょう)の朝

「さあ、これでもう大丈夫だよ」


 寒さに凍え、飢えに貧していた自分を助けた存在がいた。

 忌者の命を救う理由はないはず。


「僕はもう長く生きれないからね。その分を誰かに次いで欲しかったんだよ」


 だからこれは施しではなく我儘だと少年は笑う。


 事実、少年の体躯は死臭が混じり始めた自分より弱く細かった。

 どちらが先に逝くかといえば、首を傾げるほどに。

 それなら回復の見込みのある方を施術するのが妥当だ。


「もちろんタダじゃないさ。代わりにやって欲しいことがあるんだ」


 ああ、それでも構わない。命を救われたのだから崇拝し恋慕に溺れるには十分な理由だ。


「とても大変なお願いなんだけど、やってくれるかな?」


 消え入りそうな笑い顔を前にして躊躇なく頭を垂れた。



 翌日、早朝。

 飯番の木江このえは眠気を引きずりながら布団から抜け出した。

 なんか変な夢を見た気がした。

 台所に辿り着いた木江が蛇口を捻り顔を洗う。

 八部寮の裏庭にある井戸から延ばした水道は程よく冷たくて、最後の眠気を切り払ってくれた。

 そこに一志嬉野いしきの雄志太ゆうしたの大声が響く。


「誰かいないのか。主人が帰ったぞ。

 八部の寮は出迎えも満足に出来ないのか!」


 木江は驚き水道に頭から浸かった。

 ずぶ濡れの木江が手拭いを掴んで慌てて表玄関に飛び出す。

 我が物顔で八部寮に乗り込んできた雄志太に食ってかかった。


「出たわね、亡霊」


 侵入者を威嚇する木江。


「口がなっていないぞ。俺には足がちゃんとある」


 雄志太は木江を見下し威圧する。

 二人がにらみ合っていると、十羽白がやってきた。


「ひとまず朝餉にしませんか?

 詳しいお話はそのあとで」

「いいだろう。八部寮の賄い、とっぷりとみてやる」


 高飛車な態度の雄志太に、木江が隠れて舌を出す。



 居間の上座に雄志太がしっかりと居座る。

 八部寮のまとめ役である十羽白に世話をさせ、微動だにしない。些事とはいえ指示さえした。

 雛路が居間にやってきた。珍しい動物を見るかのように目を輝かせて雄志太にへとにじり寄る。


「おぉ、これがお殿様かぁ」


 配膳する十羽白が窘める。


「失礼でしょ。おやめなさい」

「構わん、許す。

 だが俺の事は”一志嬉野様”もしくは”雄志太様”と呼べ」

「わかった。ゆーした様」


 よしと頷く雄志太と、それを真似る雛路。

 最期に枡乃と小艾がやってくる。


「さっそくおいでなすったか」

「若様に”いらっしゃい”ってのは、おかしいか。この場合は”お帰りなさい”?」


 木江は慌てる。


「どうしてみんなすんなり受け入れてるの!?」


 十羽白が最期の膳を置いて、木江を席に促す。


「まあまあ落ち着いて。とりあえず朝ご飯にしましょう」


 親友の暢気加減にがぁーうー!と頭を抱える木江。

 箸を取る雄志太。


「馳走になる」


 八部寮の面々も各々いただきますと合掌して食べ始める。

 食事の終わり頃を見て、雄志太が切り出す。


「まずは今後の予定を伝える」

「だから、我が物顔で言わないで!」


 大声を出す木江をお行儀が悪いよと十羽白が留めようとする。


「この八部寮はそういう場所なんだし」

「そういうってどういうこと?」


 察した雄志太が嗜虐的に笑う。


「お前には、そこから説明した方が良さそうだな。

 最初に確かめるが、大機甲装兼龍は誰の物だ?」

小北波羅こぼくはら様に従う八部寮に決まっているでしょ」

「間違えではないが、正確に言うと藩主一志嬉野家になる。

 言い伝えられる鬼討伐の後、大機甲装の製作者奏者たちはそれぞれに八領はちりょうを分け合った。その括りが武家七寮の大元だ。

 当初は寮など無かった。各奏者の持ち物だったんだ。

 一志嬉野家を筆頭にした大機甲装持ちの武家が始祖七寮の名で呼ばれるのは、筐体が複製され他の家が運用を始めてからになる。

 その上で、母上は鬼の陰気が強く騎甲装の制御中枢である芯鉄しんがねを扱えない。

 とどのつまり、兼龍は俺の物と言うことになる」


 枡乃が挙手する。


「ということは、やっぱりあの約定が有効になるんすか?」

「当然だ。

 他の寮と違い八部寮が徒弟の門戸を開いていないのは、そのためだからな」


 雄志太の返答に、嫌な予感がした木江は枡乃に問いかけた。


「約定ってなによ?」

「あたしら全員、若旦那の側室に入るんだ。

 八部寮がそのまま藩主様の奥って扱いでさ」

「なによそれーーー!!」


 木江は絶叫した。

 頬に飯粒を付けた雛路が首を傾ける。


「”そくしつ”ってなんだ?」


 十羽白が少し困り気味に答える。


「えっと、お嫁さん、で良いんでしょうか?」


 目配せされた当主は、構えを崩さす頷いた。


「構わん。俺は人族も狗族くぞく胡族こぞくも、どれも差別しない」


 木江が顔を赤くした。


「年齢の分別は付けなさいよ!」

「お前、俺をなんだと思っている……」


 雄志太が割と本気で睨み、木江を竦み上げさせた。



 八部寮。

 藩主代行であらせられる小北波羅様の大騎甲装を管理する場所、騎甲装の始祖であり歴史ある武家七寮の一つ。

 大層な冠を被った部署だ。

 それなのに配属されているのは若い娘ばかりである。

 このちぐはぐな扱いは、主である小北波羅が出自故に機甲装を操れないことが原因でもあった。

 他の騎甲寮では、奏者武芸者に憧れる若者たちが数多く弟子入りして、力仕事や雑事を支えている。

 だが、八部寮は女性である小北波羅の邸宅だ。男性を乱りに出入りさせるわけにはいかない。

 なので寮に住むのは女性だけに限られた。

 更に機甲装を扱える技術技量を持った者など多くはない。

 そんな数少ない少女たちだけで、他の寮と同じことをできるかと言えば、反言しか出ない。

 だが、それで問題なかった。

 そもそも藩主代行が機甲装を操れないからだ。

 八部寮の仕事といえば、機甲装兼龍を歩かせる程度に整備し、軽く運用するだけ。

 対外的な理由から行われる名ばかりの取組試合をする気楽な作業。


 木江はこの仕事を喜んでやっていた。

 なによりも、稼ぎと勉学する場が合一化している。

 いずれこの寮から出ても、騎甲装を整備できる技術を身につけておけば、他の働き口を探すのにも役に立つ。

 そして末端とはいえ藩主代行の付き人という立場にもいられた。

 寮の仲間たちとは大きな衝突もなく、仲良くやれている。

 身寄りを失くした小娘には、この上ない理想の職場だった。

 紹介してくれた先生には感謝しきれない。

 それが勤め始めてたったの半年で壊されたような気分だ。


 思い返せば、自分以外の面子はそれぞれに立場があった。

 枡乃ますのは石高こそ低いが武家の息女。昔から腕っ節には自信があり、刀を振るえばかなりの腕前と聞く。

 十羽白とわしろは親が文官として須木すきの城に上っている。算術と事務に長けた彼女をなくして八部寮は動けない。

 小艾おもぐさの祖父は大工の大棟梁で謗法に顔が利く。現状、兼龍の筐体は小艾一人で面倒見ていると言えた。

 年少の雛路ひなじも、会郷藩の霊峰に住む天狗たちを取りまとめる顔役の娘。

 それは、彼女らがいつかやって来る次代藩主に添う女性としての一面を持っているからだ。



「なんてこと……」


 愕然とする木江このえ

 自分には何の背景もない。

 両親が病死して孤児になっていた処を先生に拾い上げて貰い、読み書き算術と五方術の基礎を教えてもらった。

 その後、都合が良く八部寮が方術調律のできる人材を求めていたので、空いた席に滑り込んだ案配だ。

 雄志太が薄く笑う。


「自分の立場を理解したか?

 最後の足掻きに母上へ申し立ててもいいんだぞ。

 どれだけ待とうが返答に変わりはないがな」


 木江は自覚なく後退りした。

 相手は次代の藩主、半鬼の子息。そして昨日の試合で見せた並外れた術力。

 位も実力も、自分とは段違いの人間だ。

 なによりも八部寮の主であり、人事権を握っている。

 縁故のない娘一人、簡単に首をはねることができる。

 古くから揶揄される通り背筋が凍った。

 小艾が食後の湯飲みを傾けながら補足する。


「たとえ今の藩主が男性でも、扱いが変わったかは微妙なところだね。

 なにせ八部寮に弟子入りしても、将来纏うべき機甲装が無い。兼龍は藩主の物と決まっているからね。

 それならいっその事徒弟を取らず、内々だけで片付けるほうが合理的というわけさ」

「そ、それなら他の寮みたいに筐体と芯鉄を新造すれば……」


 抗う木江を枡乃が止める。


「うんうん。他の機甲寮はそれでもいいけど、ここには始祖武家八領の筆頭、会郷藩の藩主様がいらっしゃるわけで。

 わざわざあたしらを集めてまで一つの領を維持をしている理由と矛盾しちまうよ」


 がっくりと膝を折って倒れ込む木江。


「くぅ……。これまで大変、お、お世話になりました……」


 絞り出すように別れを告げる。

 せめて涙は堪えよう。

 対して雄志太は心の底から呆れていた。


「何を言っているんだ、お前は」

「えっ!?

 私がここに相応しくないから、辞めさせられる流れじゃないの?」

「お前の態度は気にくわないが、その程度で貴重な人材を放逐するものか。

 さて、小芝居も終わったしアレを持ってこい」


 新しい主人が十羽白に合図する。

 一度台所に下がった十羽白が、何かを乗せた小皿を人数分持ってくる。

 皿の上には黒艶がある四角い物。僅かに透ける内側に黄色い粒が散りばめられいた。

 枡乃と小艾が、その正体に気づく。


「これ、大澤屋の箔入り羊羹じゃないか?」

「高さと同じぐらいの厚切りなんて、とんでもなく贅沢だな」


 高価高名な甘味を前に、八部寮の娘たちがどよめく。

 雄志太が柔らかな笑顔を浮かべた。


「先に予定を話したかったが、まあいい。

 以後、俺の大機甲装を任せるお前たちへの振る舞いだ。

 味わって食え」


 すでに雛路が頬袋を膨らませて咀嚼していた。


「あまー、うまー! これすっげえおいしいぞ」

「さすがあたしたちの俸給じゃ半年分の稼ぎは飛んでいく代物だ」

「若様が懐深い人でよかったよかった」


 枡乃たちも竹櫛で想いの形に切り分けて精一杯堪能する。


「ほら、木江の分もあるから」


 十羽白が友人に小皿を差し出す。

 おっかなびっくり受け取る。

 木江は八部寮の新党首が笑顔で促しすのを見た。

 ああ、人の上に立つ者の寛容さに感謝。

 蜜で照る羊羹を一口齧る。

 甘い。そして、美味い。

 噛む度に口の中でほぐれる黒身。その回数だけ至福の味が波打つ。

 いち早く食べ終えた雛路が恨めしそうにからの小皿を見る。


「ほら、私のをあげるわ。今度はゆっくり食べてね」

とおネエ。ありがとー。まぐもぐ、やっぱりうめー!」


 木江は心配になって友人に声を掛ける。自分の皿を半分にする覚悟を持って。


「雛路にあげちゃって大丈夫?

 私のを分けようか?」

「大丈夫よ、大丈夫。気にしないで」


 親友の態度が急に余所々々よそよそしくなった。

 コヤツ、摘みおったな。

 友情の感で十羽白が台所で何をしたのか読み取った木江。

 ここは黙っておくことにしよう。

 彼女は八部寮の台所を司る存在。この程度の余録は見逃すのが筋だろう。

 だが、そんな幸せも一時の風に過ぎなかった。

 雄志太が再度言う。


「本日の予定だが、兼龍を修繕する。

 最低でも試合ができる状態にまで復元させるぞ。

 巴戦は明日の午前からある。それまでに終わらせろ。

 お前たちには今日一日で半年分の仕事をしてもらうからな」


 獣の息子と名乗った若者は、鬼のような笑顔をしていた。


 ああ、そのための前払いはすでに木江の胃ノ腑にあり、とても拒否できるものではなかった。

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