呪詛を呪詛で返された様です。

 思いの外冷静に見ていたら、当代領主の眼差しがこちらに向いた。


「あ……」

「怪我は」


 鋭くなった眼差しが手元を見ているのに気づいて、自分に問われているとわかった。強く掴まれていたほうの手首が赤く色を変えていたから。


「大丈夫、です」


 小さく肯き、続いて自分付の執事を見る。


「ノイ、なにをしてる」

「申し訳ございません」


 姿勢を正して頭を下げる執事の片頬が赤い。わたしが殴ったから。

 あ。もしかしてこの状況、上司に襲われて反撃した新入社員の図になってる?


「やだ、違います。旦那さま!」


 一連の出来事ですっかり乱れた身なりを少しでも整えるように、頬に鬱陶しくかかる髪を忙しなく耳にかけた。


「あぁ、わかってる」

「え?」

「これを雇用したのは俺だからな。どんな人間かはわかっているつもりだ。もちろん君のこともな、ステラ」

「あ……はい」


 言われて思い出す。自分を雇用することを決めたのもこの人だったと。

 ステラというありふれているはずの名前はこの領内では敬遠されている。魔女姫の忌み名として。それを承知で屋敷に迎え入れたのには、理由があるのかもしれない。


「さすがに、同じ歳ぐらいだと思っていたのに見た目が全然変わらないのには驚いたがな。だが見た目と仕事は関係ない」

「恐れ入ります」


 片頬を赤く腫らしたまま続ける執事に当代領主は呆れたように肩をすくめた。


「落ち着いたならもう一度ゆっくり話すんだな」


 そう言って返事も待たずにさっさと出て行ってしまう。遠ざかっていく気配が完全になくなってから、わたしは口を開いた。


「頬、冷やしましょう」

「いえ、自分でできますので」

「でも」

「今貴女に近づいたら、またなにをするかわかりませんよ」

「……」

「話はまた改めましょう。そうですね……明日の朝、いつもの場所で」

「わかり……わかったわ」


 それは実に五〇年以上振りの、逢瀬の約束だった。


   ○


 いつもの場所。それは使用人専用棟に程近い中庭の大きな木の下で、朝の早い時間には滅多に人が来ない。

 ふたりきりで会う時はいつもここだった。まだ魔女姫と呼ばれる前のステラと、その恋人ノイが。

 わたしが向かうと、既にそこに彼はいた。


「おはようステラ」

「おはようございます」

「私に対して敬語を使うのは止めませんか」


 こっちはあなたほど器用に切り替えられないんだけど。わたしは軽く息を吐き、言葉遣いを変える。


「昨日は殴ってごめんなさい。痛かったわよね」

「少し。でも驚きのほうが勝ったよ。殴られるのは予想外だった」

「それについても説明するわよ。……まずわたしは前の『ステラ』を終えてから一六年前まで、全てが空白期間というわけではないから」

「……どういうこと?」

「こことは異なる世界にいたの。成人した人間の躰で『ステラ』としての記憶を得て、そのまま社畜として天寿を全うした」

「『シャチク』?」

「どんな勤め先でも馬車馬のようにこき使われても働く人のことかな」


 わりとあの時代的には早死にだったと思うの。だから死因の大部分は過労じゃないかな。


「では苦労もありながら働きつつ、普通に生を終えたと」

「そう、あなたの予想外の行動についてはその頃の記憶が影響してる」


 だって前の『ステラ』の時間より、推定六歳から今に続くわたしより長い期間社畜をしてたわけだから。


「では誰かと家庭を持ったりもした?」


 どこか釈然としない様子で尋ねてくる顔を見て、自分も同じだったなと思い出す。人間の姿を取り戻した恋人が、誰かと所帯を持ったと考えた時。


「残念ながら性転換してたせいでそれは無理だったの」

「『セイテンカン』?」

「男性として生きてたの。中身が女子ステラでも、躰がおっさんじゃどうしようもないからね。……わたしは、それが罰だったんじゃないかと思ってる」


 どんな世界でも、形は違えど許されないことはある。禁忌と決められていることが。

 わたしはそれを犯して、大切な人を残して去った。その顛末がどれほど残酷か知りもせず。

 異なる世界で二〇歳の成人男性の躰で覚醒し、誰とも愛し愛されることなく生を終えた。気づけば六歳の幼女で、二度の終末の記憶があった。


「罰?」

「身勝手にあなたを生に縛った罰。わたしの願いは叶ったから今度はあなたに償わないとね。でも、できることが思いつかないの。呪いを解く方法を探してはみるけど、前の時とは違って魔力はほとんどないから。だからなにか望むことがあったら言って」


 命を捧げるべきかとも思うけど、不死者になってしまった彼にはむしろ一番不要のものだ。だからそれ以外の何でも叶えようと思った。


「一緒にいる」

「ん?」

「一緒に、僕の側にずっといてほしい。死ではなく、生を。僕のために使って」

「でも、わたしはすぐにあなたの歳を追い越して、老いていくし、置いていくのよ?それだとあなたは救われな、」

「聞けよ」

「……っ」


 昨日とは逆に隙を縫って切り込まれた。わたしが詰まっていると、穏やかな顔で口を開く。


「そしたらまた探しに行く。呪いが解けるまで、貴女も罰を受けるんだろ?」


 それもまた、命を捧げることになるのかもしれない。互いに辛い道だけども。


「そう、ね。あなたが望むのなら」

「貴女はこの先何度も僕に見つかって、縛られて、生きて、死んでいくんだよ」


 そう聞くと、どこが罰なのかわからなくなるのだけど。


「そう言えば、よくわたしが『ステラ』だってわかったわね。今回は見つかったけど、探すって言ったって生まれ変わったら姿は変わるんだからそう簡単にはいかないんじゃない?」


 少し照れたのを誤魔化すように平静を装って、頬にかかり落ちる横髪を掬い上げた。けれどこちらを見る男の表情は嬉しそうに綻ぶ。え、不気味。


「うん、でも難しくもないと思うんだ。目印もあるし」

「目印?」

「ステラは昔から動揺した気持ちを落ち着かせる時に、髪を耳にかける癖があるからね」


 今まさに横髪を救っていた指がぴたりと止まる。


「……、……」

「ちゃんと動揺してくれて嬉しいよ。ステラ、せいぜい苦しめ。僕から呪いのお返しだ」


 なぜかはわからないけど、とてつもなく負けた気分だ。これじゃ、同じ気持ちを返すしかないじゃない。


「ノイ。あのね……」


 あなたの呪いを享受します。 

 そして捧げ合おう、醜い執着心にまみれた、あいいの言葉。

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