誰かを呪った形跡があります。
偶然の出会いをした日から、わたしはそれとなく年輩の使用人に例の執事のことを尋ねてみた。同室の下女の言っていたことの裏付けが取れた程度の情報しかなかったけど。
旦那さま、当代の領主が今の任についたのは約二〇年前で、当時一五歳だったらしい。先代が病弱で早世したせいでやむなく。
執務のために周りを年嵩の側近が固めてたけど、まだ若かった領主は気安く話せる同世代の者も身近に欲しかった。そうしてどこからか見つけてきた少年が今の執事だとか。
確かにこの話が事実なら当代領主と執事は同じ年頃ということになるけど。いや、あれが三〇を越えてるようにはとても見えない。そりゃ、世の中には若く見える人はいるものだから絶対とは言えないけども。
ただ執事の実年齢よりわたしが気になるのは、かつての恋人との関係性だ。あまりに瓜二つだもの。
わたし……魔女姫ステラが最後に使った魔法は発動した、はずだ。不発に終わっていたら灰になったかつてのわたしが惨めすぎる。でも魔法の可否を確認する術はなかった。だって灰になって消えたから。
魔法が正しく発動してあの人がもとの姿に戻ったのなら、瓜二つのあの男は……血縁とか?年齢的には子どもではなく孫になるかしら。可能性としては。
……だとしたら、わたしの死後に所帯を持ったってことになるけど。
「ステラ、大丈夫?」
「……え?」
釈然としない気持ちになっていたら心配そうな先輩下女の顔が目の前にあった。顔を上げると同じように心配そうにこっちを見る顔が複数。
「急に眉間にしわ寄せて黙りこむから……具合でも悪いの?」
そうか、今はお昼の休憩時間で仕事仲間の何人かと食事中だった。考えすぎるあまり自分の世界に没頭していた。
心配そうな面々に大丈夫だと伝え、その場は終わった。同室の下女だけは尚も心配そうに今日はもう休んだらどうかと言ってくれたけど、問題ないと仕事に戻る。
彼女は同じ部屋で寝起きしてるから、わたしが夜あまり眠れずにいることを察して案じている。眠れない理由は今と同じだ。いろいろ……本当にいろいろなことを、考えすぎてしまうだけ。
寝不足で躰が重いのを自覚しながら仕事に戻ったわたしは、厨房の言い付けで荷物を運んでいた。この間と同じルートで。
今回は量が多いので何度かに分けて運んだ。この間は野菜、それも芋や人参などの根菜ばかりだったから落としてもお咎めなしだったけど、衝撃で一発アウトな食材だってある。慎重に越したことはない。
寝不足の鈍い頭でもそれぐらいは考えていたつもりだけど、集中力が切れたらさっきのように余所事を考えてしまう。だからだろう、庭で感じた気配に安易に目を向けてしまったのは。がさりと音をたてて茂みから飛び出してきたそれに、恐怖を抑えられなかったのは。
「───っい、やぁあああぁぁぁあぁっ!」
ここでお知らせがあります。
わたしは黒猫がダメ。茶色とかグレーはまだマシだけど、黒いのは本当に。
嫌いとかではなく。少なくともこうしてこの世の終わりみたいな悲鳴を上げるぐらいには、黒猫がダメ。
大事なことなので二回言いました。
「ステラ!?」
悲鳴を聞いた使用人が何ごとかと駆けつけて来たけど、現在進行形で悲鳴を上げ続けるわたしに応じる余裕はない。
背後から誰かの手が肩を掴んで、わたしをぐるりと反転させた。ふわりと覚えのある薫りがして、ひし、とその手の持ち主にしがみついたところで緊張の糸が切れる。
はくはくと浅い呼吸を繰り返し、大声を上げた喉が思い出したように咳き込む。それが収まった頃。
「ステラ、大丈夫ですか?」
頭上から声が降ってきた。顔を上げると、わたしを案じる目があってふっと呼吸が楽になる。五〇年前からわたしを虜にしてきた男がそこにいた。
「えぇ、平気よ……、っ」
不意に、戻ってきた理性がちがうと叫んだ。慌てて口元を手で抑える。
なにをとち狂ってるの。今のわたしは魔女姫ステラじゃないし、目の前の執事も恋人じゃないのよ。
幸いにも今のは聞き咎められることはなく、執事は自分の手からわたしを離し背を押した。背後にいた人物が慌てて駆け寄ってくる。
「ステラ!大丈夫なの?」
心配そうなその声は、さっき悲鳴を上げた直後にも聞こえたもの。誰よりも速く駆けつけてくれたのは同室の彼女。
今回のわたしは職場環境に恵まれている。
○
それからどうなったのか、気づけば使用人棟の自分の部屋で先輩の下女に世話を焼かれていた。
「すみません、大騒ぎしてご迷惑をかけて……」
「なに言ってるの。よっぽど怖いことがあったんでしょ、あなたにとって」
「それはそう、なんですけど」
宥めるように背中を撫でられる。
「ステラ、もしかして猫がダメ?」
「……はい」
わかってる。あんな小さな生き物に怯えるなんておかしな話だ。なにをされたわけでもないのにね。
「前にも一度あったものね。怖いものは人それぞれよ、仕方のないことだから」
「ごめんなさい」
「謝る必要はないの!わかってれば次は対処のしようがあるし。でもノイさまにはお礼を言ったほうがいいわよ」
「……はい」
気持ちはもうとっくに落ち着いているし、こういうことは早いほうがいい。顔を合わせるのは気が重いけど。
わたしは仕事に戻る先輩下女と分かれ、執事の姿を探す。ただ、下女程度のわたしが出入りしていい範囲にいるのかは疑問なのだけど。
「ノイさま?さっきまで旦那さまのお客さまのお相手で応接間におられるよ。ん?別に入っても構わないよ」
執事がどこにいるか知らないかと従僕に尋ねたところ、あっさり居場所は判明した。しかも下女が入っても問題ないらしい。
応接間に近づくと、扉が開いてワゴンを押したメイドが出てきた。お客さまに出したティーセットを片づけたところらしい。
片づけが終了したとなると、執事も移動してしまったかもしれないな。そう思ってノックをしたら返事があった。
開いた扉の横に立ち、深く頭を下げる。
「さきほどはお騒がせして申し訳ございません。ありがとうございました」
「構いません。少し話をしましょう。扉を閉めて中にお入りなさい」
「お忙しいのでは?」
「今は空いています。貴女もでしょう?」
「……はい」
さっとお礼だけ言って去って来ようと思ってたのに、呼び止められてしまった。今日はもうゆっくりしてなさいと先輩達に言われて時間があることもバレている。
「随分と取り乱していましたが……」
「あの、苦手なものがありまして、それについては
賊でも入り込んだかと警備の者達が慌てて見回りに行こうとしていたと同室の下女から聞いた。申し訳ない。
「知っています。黒猫でしょう?見ていましたから」
「はい、実はそうなんです。……、見ていた?」
「前に野菜を落としてた時にもね。ちょうど貴女を探していた時だったので、居合わせたのは偶然ではありません」
わたしは伏せがちにしていた目線を上げる。
「わたしを探して、って」
「旦那さまが貴女を施設から引き取ると決めた時から、名前が同じだけだというのに気にかかって仕方がなかった。だから見ておこうと。確かに姿は別人だった。……ですが、そんなに黒猫がお嫌いとは」
「……っ」
「だから確信してしまった。名前が同じだけではないと。ステラ、」
見つめられ、胸が、言葉が詰まる。名前を呼ばれ、鼓膜だけでなく脳髄が、背筋が、心臓が震える。
「嘘……」
「僕はそんなに嫌われてた?黒猫にあんなに怯えて悲鳴を上げるほど?」
「ちが、あれは……っ」
黒猫を見てこの世の終わりみたいな悲鳴を上げたのは、かつて恋人が黒猫になるという、この世の終わりかと思うほどの恐怖が蘇ったからだ。
「そうだね、貴女は僕のために命を落としたんだから。でも貴女だって僕の気持ちを知らないだろ?あの後、人間の姿を取り戻した僕が。……目の前に散らばる灰と黒髪をどんな気持ちで見つめたか」
「!!」
「貴女は僕を命を賭けて人間に戻したけど、別の呪いをかけたんだよ。あれから五〇年も経つのに、僕の姿はあの頃のままだ」
「え、」
新たな呪いと聞いて動揺する。そんなものをかけた覚えは……でも、姿が変わらないと聞いてなにかが引っかかった。
わたしはなにを願って魔法をかけた? もとの姿で再会させて。あの美しい姿のままでいて。
サッと頭から血の気が引く。わたしは何てことをしてしまったの。
「世界に逆らうように変化のない躰に気づいて、貴女の残した魔法の研究記録から呪いを解く方法を見つけて、どれだけ絶望したか」
かつん、と靴音が響いて執事が距離を詰めてくる。反射的に身を引こうとしたら、強い力で手首を掴まれた。
「っ、ちょ、」
「黒猫に変えられたのも僕にとっては呪いだったよ。でも奥さまからしてみればただの魔法、その証拠にもとに戻れたしね。でも禁呪は違う」
反対の手が伸びてきて頬を滑る。手首を掴む力とは真逆の優しさで。
「ね、ねぇ」
「解ける解けないは別にして、できるとしたらそれは呪いをかけた本人だけだ。貴女は灰になったのに?僕に死ねない肉体を残して先に逝ってしまったのにね」
「だから、」
「まさかこうしてまた話せる日が来るなんて思ってなかった。なのに貴女は僕を見ようとせず、名前さえ呼ぼうとしなかったね。それどころか黒猫にあんなに怯えて」
相手が身を屈め、更に距離が近づいた。するりと手首の圧迫感がなくなり、もっとと言うように両手で頬を包まれて。
何度か口を挟もうとして結局できずにいたわたしは、手首が自由になるのに気づいて拳を突き上げた。
「だから、聞けよ!」
ゴツンと地味に痛そうな音と同時に、自分に覆い被さっていた躰が離れる。
直後に応接間の扉が開いて威厳のある声が響く。
「騒がしいぞ、お前達!」
現れた姿も人の上に立つ者の威厳に満ちていた。当代領主に違いない。
そう確信できたのにはある理由があった。お
当たり前か。だってこの人は異母兄の孫だもの。
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