ポストモーテムを開始します。

篠由

残ってるのは灰と髪だけです。

 むかし、ひとりのお姫さまがひとりの男に恋をしました。ですがお姫さまのお母さまはそれを許しませんでした。

 お姫さまのお母さまは魔女でした。自分の娘に近づく男に怒った魔女は、魔法で男を黒猫に変えてしまいました。

 お姫さまはとてもショックを受けましたが、魔女の娘であるお姫さまも魔法を使うことができました。お姫さまは黒猫に変えられてしまった恋人を、もとの姿に戻す魔法を探すことにしました。

 たくさんの本を読んで勉強し、いろいろな材料を集め、さまざまな方法を試しました。

 長い年月をかけて恋人をもとに戻す方法を探すお姫さまは、なにかに取り憑かれているかのようでした。それでも方法は見つからず、お姫さまの心はだんだん壊れていきました。

 ついには禁呪と呼ばれる、使うことを禁じられている魔法まで調べだし、そしてついに見つけたのです。恋人をもとの姿に戻す方法を。

 お姫さまはようやく見つけたその魔法を黒猫にかけました。もとの姿の恋人と再会することだけを願って。

 けれど禁じられた魔法を使った罰で、引きかえにお姫さまの躰は灰になって消えてしまいます。あとに残ったのは白い灰の山と、お姫さまの美しかった黒髪だけでした。


   ○


 悲劇のお姫さまの話はおとぎ話風に伝わっているけど、実はまだせいぜい五〇年ぐらい前の出来事がもとになっている。

 『ステラ』という名前の地方領主の娘が自分の家に仕える若い使用人と恋に落ちた。魔術を使うことができた母親は領主の後妻で、娘も令嬢とは言ってもかなり自由にのびのびと育てられた。

 だから別に構わないと思ったのだ。既に父の後継には歳の離れた異母兄あにがいて、淑女教育もまともに受けていない自分が使用人と恋仲になったところで、と。

 母親的には自分の魔力と容姿を受け継いだ娘にそれなりに利用価値を見出だしていたらしく、思惑は大外れだったわけだが。

 結果、件の出来事はこの領内では悲劇として伝わり、魔女姫ステラの名前は忌み名として敬遠されるようになった。……わけだけれども。


「いやー、だからって過去の自分の狂乱の様を客観視させられるって何なの。恥ずかしすぎるわー。こういうのって確か……何だっけ。そうだ。『黒歴史』?」


 平淡な声でぶつぶつと独り言を言う自分が気持ち悪い自覚はあるけど言いたくもなる。かつての自分の黒歴史を最初に客観的に聞かされたのは今から一〇年近く前のことだ。

 推定六歳の時、わたしは自分が『ステラ』だった過去を唐突に思い出した。なぜ推定かと言うと、まだ赤子だった頃に捨てられ孤児院で育ったから生まれた日が正確にわからないから。

 産みの親から与えられたものはひとつ。『ステラ』という以前と同じ名前だけ。なにを思ってこの悲劇の忌み名をつけたかは最早永遠の謎。嫌がらせ?そんなに産んだことを後悔してたんだろうか。

 孤児院の先生方も名前を変えることなく育ててくれたものだから、わたしは今二度目の『ステラ』になっている。

 そしてその事実を噛み締めて独り言をぶつぶつ言っている理由は、領主の屋敷から使いが来てわたしを使用人として迎えると言われたからだ。

 この場合の領主の屋敷というのは当然この地方を治める貴族の家。つまりかつての自分の家だ。

 この孤児院から奉公に上がる子どもが定期的にいるのは知っているけど、自分が選ばれるとは。まぁ、自分の家だと言っても今は他人、それにあれから五〇年以上経って当時を知る者もそうはいないだろうけど。

 当主も代替わりしているはずだ。母は当主の後妻だったけど、現当主は当時の前妻の子どもの孫。

 一〇〇パー母親似だったわたしは異母兄とはまったく似ていなかったし、今は姿すら変わって別人。バレはしないだろう。

 だからわたしさえ気にしなければそう問題もない。

 ……そう開き直っていた時期も確かにありました。


「これで全部ですか?」

「はい、ありがとうございます」

「いいえ……ステラ、ですね?」

「はい、一昨日からお世話になっております」


 うっかり厨房近くの庭で持っていた籠を落とし、中に入っていた野菜をぶちまけたのを、通りかかった人物が一緒に拾ってくれた。


「聞いています。私はノイ、旦那さま付の執事をしています」

「ステラです。お勤め始めから早々にご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」


 伸ばした黒髪を項でひとつにまとめきっちりと執事服を着こなした年若い執事に、わたしは深く頭を下げる。同じ使用人でも下女として奉公に上がったわたしとは立場が違う。

 という理由だけでなく、直視するのに戸惑う顔と名前だったのもあるけど。髪はまとめてなかったし、着ていたのは見習いの制服だった。でも姿と名前だけではなくて。


「ひとりで運ぶには少し多かったのでは?」


 再び籠に収まった野菜を見て尋ねてくるその声も、記憶の中にあるかつての……魔女姫ステラの恋人と同じもの。

 つられて視線を足元に置いた籠に落とす振りをして、相手から目をそらす。


「持ち上げることは問題なかったのですが……お庭に猫がいて、その……驚いて」


 これは本当。確かに少し重かったけど、運べないほどじゃなかったと思う。庭に面した通路で毛玉が足元を通り過ぎなければ。


「あぁ、旦那さまの飼われている猫ですね。行動範囲が広いのでいろんな場所に現れますよ」

「わかりました」

「あまり懐きませんが、凶暴でもありません」


 だからそのうち慣れるでしょう、と淡々と続く。

 ゆっくりと顔を上げると、髪が頬にかかり落ちた。こちらも髪色はまたしても黒。指先で掬って耳にかけ、口を開く。


「そうですか。教えていただいてありがとうございます」


 同じように淡々と。感情をひとつも悟らせることのないように。


   ○


 勤め始めて三日目が終業し、割り当てられた部屋に戻る。

 住み込みの使用人は専用の棟に居住スペースを割り当てられている。わたしはまだ一番下っ端の下女なので、スペースも一番小さい。

 ちなみに今の部屋はふたり部屋で同室は下女の先輩だ。とても気さくないい人。話上手な聞き上手なので、話せないことの多いわたしの少ない言葉の中から会話の糸口を見つけてくれる。


「お疲れステラ、今日はどうだった?」


 まだ不慣れなことの多いわたしを気遣って、毎日ざっくりとそう尋ねてくれる。昨日も一昨日も大した仕事をしていないから、その分これと言った失敗もなかった。

 今日だって別に仕事内容は普通だ。勤め始めたばかりの半人前に重大な仕事は回ってこないし。でも今日は。


「厨房に運ぶ途中だった野菜を、入れてた籠ごとひっくり返してしまいました」

「転んだの!?怪我は……」

「いえ、よろけただけです。猫に驚いて」

「あぁ、旦那さまの」

「散らばった野菜を拾うのを、通りかかった執事さんに手伝わせてしまいました」

「執事さん?」

「旦那さま付の……」

「ノイさまっ?」

「は、はい」


 執事の名前を叫ばれ、ちょっとのけ反る。そんなに驚かなくても。


「そうなの、ノイさまがわたしたちの仕事の範囲にいらっしゃることは滅多にないのに」

「やっぱりそうですよね……そんな方にあんな場面を見られるなんて」


 なにか用があってわざわざ来ていたんだろうに、余計な手間を取らせてしまった。


「そんなに落ち込まなくても。立場が遥かに上の方だからあまり話したことはないけど、怖い方じゃないわよ」

「あの方、旦那さまの側にお仕えしてらっしゃるんですよね?それにしては随分お若く見えますが」

「それ本人に言ってはダメよ?童顔なのを気にしてらっしゃるって聞いたことあるわ」

「本来直接お話する機会なんてありませんよ……」

「それもそうね。えっと、確か旦那さまが領主になられてほどなく雇用されたと言ってたかしら。旦那さまは若くして先代さまの後を継がれたから、側仕えに歳の近い者が欲しいと仰られたって」

「そう、なんですか」


 あれは童顔というレベル?せいぜい見えて二〇歳手前だと思うんだけど。

 気になることが増えたけど、あまり突っ込みすぎて不審に思われても困るからこの辺りで止めておく。

 会話が途切れたところで先輩下女はおやすみと言ってベッドに潜り込んだ。わたしも横になるけど、眠りはなかなか訪れない。

 あの執事がどういう経緯でこの屋敷にいるのかも当然気になるけど、一番気になるのは彼そのもの。どうしてあの頃と同じ名前、同じ顔で今のわたしの前に立ち、そして。


『ステラ、ですね?』


 確かめるように、それでいて断定するように。自分の名前を呼んだ、あの頃と同じ声。あの瞬間、鼓膜だけじゃなく脳髄も背筋も心臓も震えた気がした。

 わたしは両の手のひらを、暗がりに慣れてきた目でじっと見る。

 今年で一六歳になる。最初の生であの人と出会ったのと同じ歳に、なる。

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