02.傷心の琴音

「まだ見つからないの?」


 声が聞こえる。自分の机を見下ろしていた琴音は、思わずちらりと視線を投げる。

 見つめたのは、夕奈の席。今日も彼女は欠席で、誰もいない。


「やっぱり事件だよ」

「こわぁい……何なの?」


 今日は、朝からよく晴れていた。昼間になったいまでも、青空には雲一つない。その晴天の明るさに、教室はむしろ少し暗くなっているようにも思えた。


「でも家出かもしれないじゃん」

「連絡、とれないんでしょう?」


 みんながあれこれと噂している。


 今日で、夕奈が失踪して二週間が経った。

 二週間前の夕方、スマートフォンを取りに戻った彼女の姿を見て以来、琴音は夕奈に会っていなかった。

 いくらメッセージアプリで連絡を飛ばしても「既読」すらつかない。どのSNSもあの日以来更新はない。


 それでも午後の授業は始まる。一つの空席は確かにあるにもかかわらず、黒板には英文が綴られていく。


 あの時、あたしが待とうって言っていたら。ふと、琴音は思う。


 琴音にとって、夕奈は親友であるはずだった。この女学園に入学して一年生の時、同じクラスだった。意気投合して友達になり、二年生に上がる際、クラス替えがあったものの、また同じクラスでひどく喜びあったものである。学園内だけではなく、休みの日には一緒に出掛けることも多かった。


 本当に事件か。それとも家出か。

 夕奈が行方不明になり、先生や警察、他の大人に色々聞かれたが、琴音もよくわかってはいなかった。ただ家出する気配はなかったと答え、それ以外はわからないと言うしかなかった。


 しかし、気にかかることが一つあった。

 最近の夕奈は、少し変に思えたのだ。何か隠し事をしているような。

 もし家出だったのなら、その隠し事と関係があるのだろうか。けれども、そうでないのなら。


 ――最近、夕奈と遊んでないの? と、夕奈失踪前に友達に言われたことがある。もしかして琴音、夕奈とケンカしたの? なんか冷たい感じがする、と。


 それは、夕奈が隠し事をしていると思ったからだった。親友なのに、自分に話してくれないなんて、と、琴音が勝手にへそを曲げたからである。


 もしかして、あたしが意地悪しちゃったから、怒ってこんなことしてるのかな。

 それとも、本当に事件?


 もやもやと不安が渦巻く。そしてやはり思うのだ、あの時待っていたら、と。


 いくら考えたところで、時間は巻き戻らない。進むのみ。気付けば午後の授業は終わっていて、チャイムが響いていた。ホームルームすらも終わって皆が席を立ち始める。


「琴音ちゃん、帰ろう!」


 そう声をかけられるまで、琴音は我に返れなかった。少し悩んだ末に、ゆっくりと帰宅の準備を始めつつ、


「ごめん、一人にしてほしいの、ちょっといろいろ……考えてて」

「でも、先生がなるべくみんな一緒に帰ってって、その、夕奈のことがよくわからないし」


 声をかけてきた友人は、ややためらったものの、そう口にする。琴音は笑みを作った。


「うん……でも……」


 どうしても、夕奈の席を見てしまう。今日も誰も座らなかった席。


「……そっとしておこう」


 と、別の友人が、声をかけてきた友人の肩を叩く。


「でも大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫……じゃ、明日ね、琴音!」


 二人は教室を去っていく。その際に「保健室に寄ってこ」と話をしていたが、琴音には聞こえなかった。


 ついに教室には琴音一人になった。朝から晴れていた空は、夕方でもよく晴れたままで、真っ赤に燃え上がっていた。校庭にいる運動部員達の影が長く伸びている。ホイッスルの音が、橙色に溶けていく。


 それでもこの教室は静かだった。

 ふと、琴音はスケジュール帳を取り出した。開けば、写真一枚が現れる。


 自分と夕奈が映っている写真。眩しいほどに発色するペンで「大学受験なんて怖くない!」と書いてある。また別の色のペンで「落ちてもそれでよくない?」なんて書いてあるが、これは夕奈によるものだった。彼女らしいと思う。これは、学校で進路の話が出始めた頃に撮った写真だ。


「夕奈……どこいっちゃったの……」


 写真の中にいる、笑顔の親友を見ていると、何かが詰まったかのように胸が苦しくなった。


「一緒の大学行こうって、約束したのに……」


 ぽたり、と写真に雫が落ちる。

 はっとして、琴音は雫を制服の袖で拭った。大事な写真なのだ。


 ――だって、もう二度と、一緒に写真が撮れないかもしれないから。

 そう思ってしまうと、またぽろぽろと、涙が零れてしまうのだった。


「――琴音さん」


 ところが、唐突に声をかけれて、驚きに涙は引っ込んだ。こんな風に泣いて、まるで子供みたいじゃないかと、慌てて目元を拭って声のした方を見る。


 教室の戸口に、人影一つ。夕日に照らされ、白衣はまるで紅茶のような色になっていた。


「……まりあ先生?」

杏野あんの先生よ、先生なんだから!」


 そこに立っていたのは、養護教諭の杏野あんのまりあだった。彼女は小首を傾げると、微笑む。


「ねえ、甘いカフェラテがあるの、一緒にどうかな?」

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