マリアンヌのステージ
ひゐ(宵々屋)
01.忘れ物をした夕奈
「やだぁ! 忘れ物しちゃったかも!」
夕日に照らされた女学園の門で、悲鳴に近い声が上がった。
「どうしたの、
「スマホ! ないの! えぇん、多分教室だよ!」
ちょうど一つの女子高生グループが、学園から外へ出た時だった。その中の一人、焦げ茶色の髪を長く伸ばした高校二年生――夕奈がまるで漫画のように顔をくちゃっと歪めた。片手には大きく開けたスクールバッグを持っていて、一度派手に漁って探したのだろう、教科書や筆記具、ポーチがぐちゃぐちゃに入っていた。
「スマホを忘れるなんて」
女子の一人が、思わずといった様子で笑う。夕奈がそそっかしいのは、いまに始まったことではなかった。
「もう! 限定ドーナッツ、なくなっちゃうかもよっ!」
腰に手を当てて頬を膨らませたのは、黒のミディアムヘアの女子、
「ねえ! ドーナッツ、結構減ってるみたい、残り少ないって呟かれてる!」
今日はみんなでカフェに行く予定だったのだ。そこで数量限定で作られるドーナッツを食べつつ、勉強したり、お喋りしたりする予定だった。
女子グループが門の前で立ち止まる中、他の生徒は次々に帰っていく。遠くからは、運動部のものだろう声や、吹奏楽部の響きが聞こえていた。カラスが間近の空を横切れば、その一瞬だけ、夕日が陰った。
「ごめん! みんな先に行ってて! なくなっちゃったら、困るし!」
夕奈はぱん、と手を合わせると頭を下げた。
「どうする琴音?」
一人が琴音に尋ねる。琴音は髪の毛をいじりつつ悩んだ後に、ぱっと笑った。
「ああ言ってるし、先に行っちゃおうか!」
そうして、女子グループは夕奈を置いて歩き出す。
琴音は振り返り、夕奈へと手を振った。その動きに、スクールバッグにつけたアクリルキーホルダーがかちゃかちゃと音を立てていた。
「それじゃあ、先行ってるからね! まったく、もう……」
「ごめん! すぐ追いつく!」
夕奈は一人、校舎へと戻っていった。昇降口でローファーを脱ぎ捨て、ついでにバッグも投げ捨てる。上履きをはかずに靴下のまま階段を駆け上れば、つるりと滑って転びそうになるものの、なんとか三階まで上りきって今度は廊下を走り出す。生徒も先生もおらず、誰にも叱られることはなかったし、スカートを翻しても見られる心配はなかった。
「2‐E」まで戻ってきて、自分の机に手を入れると、確かにスマートフォンはそこにあった。もしかしたらないかも、という不安があったものの、無事に見つけられて、夕奈は安堵の溜息を吐く。
そうして、乱れた髪を整えつつ、一階に戻った。下駄箱の前には、脱ぎ捨てた靴と投げ捨てたバッグはそのままあって、バッグの方は、投げた時にだろう、中身が飛び散っていた。
あちゃあ、と思いながら、夕奈は中身をバッグに戻していく。急いでみんなを追いかけたいものの、とりあえずスマホはあったんだし、これ以上慌てるのはよくない、と、冷静になる。そうやって焦ってばっかりで、自分はいつも失敗しちゃうんだから、と。
そうしていると、不意に、優しい音楽が耳をくすぐった。
まるでオルゴールのような音で、調べは春の優しく甘い日を思わせる。何かと思い、夕奈が顔を上げれば。
「バレリーナだ! かわいい……この時計、こんな仕掛けがあったんだ……」
大きな柱。そこに設置された壁掛け時計。そのからくりが動き始めていた。文字盤の下の部分が扉のように開いて、舞台が現れたのである。舞台にいるのは可愛らしい白色のバレリーナ。音楽にあわせてくるくると回り、時に腕も動かす。よく磨かれているものの、ひどく古くも見えた時計だが、どうやら非常に精巧に作られているらしかった。
「でもなんか寂しそう」
思わずにこにこと眺めていたが、ふと夕奈は呟く。舞台には中央にバレリーナが一体。左右は妙に開いていて、物足りなさ、というよりも、夕奈が口にしたとおりの寂しさが感じられた。いまでこそ、観客として夕奈がいるものの、もし自分もいなかったのなら、このバレリーナはたった一人で踊っていたのだろう。可愛らしい音楽が、虚しく昇降口に響いている。眩しいほどの夕日は、この室内まで届かない。
あれ、と不意に夕奈は思う。
いま何時だっけ。五時? でもさっき皆に連絡を入れたときはまだ四十分くらいだったよね。
からくり時計の文字盤を見れば、針はぐるぐると回っていた。これでは時間がわからないが、少なくともきりのいい時間ではないはずだ。このからくりは、気まぐれに動くのだろうか。
「アナタモ踊リマショウ!」
そんな風に考えつつ、バレリーナを眺めていると、人形はぴたりと制止した。
はっとして夕奈が瞬きをした次の瞬間、バレリーナの姿は舞台になかった。
代わりに、肩を這う冷たい気配が。
「一緒ニ踊ッテクレル人、アト二人ホシイノ!」
背後から肩を掴んでいたのは、白い手。まるで陶器でできているかのような白さと冷たさだった。抱きつくかのように、腕は首に回る。
どうしてか、夕奈の手足は動かなくなっていた。声も出せない。それでも首を何とか動かせば、指先から、まるで石になっていくかのように、肌が白くなっていくのが見えた。
「アナタ、キット上手ニ踊レルワ!」
抱きつく何者かが、くすくすと笑っている。妖精のような声だったものの、笑う唇は、化物のように大きくつり上がっていた。
こきっ、こきっ、と音が響く。
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