言霊

ネッシー

魔法

 私たちは科学の世界に生きている。

 便利な道具を使い、1人でなんでも出来るようになった。

 地図もいらない、紙もペンも全部小さな画面でやり取りを行う。

 車の操作方法も自動運転に、お金の払い方も電子マネーに、その他を含め全て変わったのだ。


 それなのに人の本質は大きく変わらない。

 人は孤独を恐れ、人は老いや死、病を恐れる。

 これは私たちが人間を認識してからずっとある概念だ。


 そしてこの概念の誕生は言葉の誕生とも結びついているだろう。


 しかし言葉というものは進歩をしない。

 悪い言葉と良い言葉。その2つのみしか存在しないのだ。


 ――チリンチリン。

 私は逢魔時のカフェでコーヒーを啜っていた。そして、本来埋まるはずだった空いた席を無言で眺めていた。


 コーヒーは美味しい。チョコレート菓子を添えれば、全てのものは恐るるに足らない。

 これは変化あるものであろう。


 ――チリンチリン。

 来ない人を待つのはもう懲り懲りしてしまう。

 私が今最も怖いのは孤独であろう。

 だからこうしてずっとある人を待っている。


 きっとあの人しか私と一緒に居てくれる人はいないから。


 ――チリンチリン。

 こんな古めかしい街に居続ける理由。こんな古めかしい店に身を置き続ける理由は今はない。

 しかし私とってとても必要なことなのだ。


 私は今はきっと過去の世界に居たいのであろう。

 しかし私は特別変なのでは無い。今生きている人で過去に生きている人は多いだろう。

 同窓会や旧友と会うのはきっとそういうことであろう。

 ただそれを知覚していないだけで。


 ――チリンチリン。

 退屈だ。昔話をしよう。

 私は言葉選びの才能が幼少の頃から無かった。そのため多くの人を傷つけてきた。

 そしてそんな私の傍に居てくれる存在はただ1人しか居なかった。


 家族からは変人と線を引かれ、学校では壁を作られ、私はよく静かな図書室で本を読んでいた。

 現実には悪い言葉が沢山あったのだ。


 本は色んな人の思想を見ることが出来て、世界の結論はただ1つであることを教えてくれる。


 しかしその日はクラスのレクリエーションで肝試しを行った。小学6年生のときだ。

 自然教室という名の泊まり行事で、私はとても嫌がっていたのだが、強制的に連れてこられた。

 クラスの誰だって私来て喜ぶ子なんて居ないのに阿呆らしい。


 私は酷くビビりな男の子とペアになり、その子は校長先生の怖い話に動揺して、結局1人で行くことになった。


 肝試しと言っても舗装された道をただ歩くだけの肝なんていらないようなものであり、私はスタスタと前へ進んだ。

 お化け役をしていた子供に少し申し訳ない気持ちになりながらも、無表情で前へ進んで行った。


 ――しくしく。

 泣き声が聞こえた。

 小さな小さな声で、その時は道に迷ってしまったのかなと軽い気持ちでいた。

 私はその声を辿り、その子に道を教えてあげようと考えた。


 もじりと1人の子どもが肩をヒクヒクと動かしていて、きっとこの子どもであろうと確信した。

 知れない子どもだったけど、背丈が一緒だから私の学校の子どもであろう。


「道に迷ったの?」

 人と関わるような子どもでは無かったので勇気を出した。

 するとその子どもはヒクヒクと動かしていた肩を止めて、こちらを振り返った。


「ううん。」

 小さな私は拳を強く握る。

「ならどうしてあなたはこんな所で1人泣いているの?」

「1人だからさ。」

 私は不思議そうにきっとその子どもを眺めていたのだろう。


 すると泣いていた子どもがいつの間にやら笑顔を浮かべていた。

「ふふ、君は優しいだね。」


 これが私の初めての他者から貰った良い言葉だった。


 ――チリンチリン。

 小さな私は優しいという言葉はあまりに自分に合ってなくて酷く驚いた。


「何を言っているの?」

「僕はね、君のことを知っているよ。図書室によくいる。」


 私は突然気味悪く感じた。私を知覚している人がいたことは私にとって異様だったからだ。


 今考えてみれば、私がきっと誰のことと関心を持たなかったからだろう。

 良くも悪くも私は存在感はあった。


「道に迷っていると思って声をかけたの。道に迷っていないなら私は行くね。」

「待ってよ。僕はね、今クラスに酷い虐めにあっていてね。この目の色を見れば分かると思うのだけど。」


 彼の瞳は金色に光っていた。


「気持ち悪いとペアの相手が突き落としたんだ。君は気味が悪くないかい?」


「世界にはたくさんの瞳の色が存在しているわ。あなたの瞳はその1つでしょう。」

 すると次はくっしゃとした顔で笑い顔を作った。

「はは、やっぱり君は優しいね。」


 私は彼を連れて元ある道に戻り、2人で終着地点へ行った。


 幼い私は言葉はゲームで言う最強の攻撃スキルだと思っていた。

 対して力を使わなくても、時に人に人生を狂わせる程の言葉を簡単に浴びさせることが出来る。

 あんなもの発達しなかったら私は傷つかずに済んだだろう。


 しかしここで言葉は人を救う薬にもなるのだと彼が教えてくれた。


 ――チリンチリン。

「待ったかい?」

「十分待ったわ!」

「ごめんね。ここの食事代奢るから許して。」

「まあいいわよ。来てくれたし。」


 私より先に待ち人が来たらしい。

 彼女も人を待っていた。

 待ち合わせしていたのだから、来るのは当然か。


 お察しの通り私が待っているのはあの『優しい』と言ってくれた少年だ。

 彼とは中学生までなんやかんやで仲良くやっていたが、高校から遠くの存在になってしまったのだ。

 そして大学で上京。

 このカフェはよく中学の頃に彼と一緒にいた場所だ。


 段々と阿呆らしくなってくる。

 私はPCを開き、カチャカチャと音を立て、その店が終わるまで居続ける。

 このカフェの店員にはこんな客の私を居ずわらせてくれることは感謝である。


 彼女は皺を深く刻んでいた。


 ――チリンチリン。

 私が今の時代で唯一使える魔法は言葉であると思う。


 科学は人間を犠牲にしないで、動物や自然を犠牲にするからそこ深く愛されている。

 もう魔法なんてとうの昔に排除されてしまっている。


 しかし言葉は科学なんて出来る前からあるから、こればかりは魔法が絡んでいてもしょうがない。

 よって言葉は古代からある魔法やそれらなのである。



 良い魔法を残せるように良い言葉を探してきたつもりだ。

 しかし現代社会は悪い言葉の方が愛されている。


 言葉選びが上手な彼は優秀な魔法使いだ。


 ――チリンチリン。

 この店に通い続けてはや2年。

 これは賭けのつもりではじめたが、いよいよ終わりが見えかけていた。

 いつもは2時間くらいしか居なかったが、 今日は開店時間から閉店時間まで。


 大学生の間はこのような悲しいお遊びをしようと決めていた。

 しかしもう就職先は決まっていて、職業は想像力を扱う仕事である。

 私はこの街から離れる。


 しかし噂で彼は地元に戻り事業を継ぐらしい。

 なんとも見事なすれ違い。


 今日は東京に行く前の前の日。

 準備をしなければならない。

 今日で全てが終わる。

 結局、私は孤独な人であったということだ。


 ――チリンチリン。

 あの少年は変わっていた。

 最初は純真な子どもであったのだろう。

 しかし言葉選びの得意な彼だ。

 彼はどんどん前へ歩いていった。


 人に好かれるようになった。

 私はひねくれていった。器も小さかった。


 高校生では私は彼を無視した。そして彼も私を次第に無視するようになった。


 日は沈んだ。

 もう待てない。

 私も前へ進まなければならない。

 過去でなく未来に生きなければならない。


 ――チリンチリン。

「ラストオーダーです。何かお頼みになりますか?」

「いいえ。長居してしまい申し訳ありません。ここにいれるのも今日までなので、何だか名残惜しくなってしまいました。」

「あらそうだったのですか。何だか悲しいわ。あなたは小さな頃から使ってくれていたのだから。」

「そうですね。私も悲しくて。でももう夜も深けました。もう帰らないと。」

「そうね。また何時でもいらしてくださいね。」

「はい。」


 私は席を立ち上がり、レジへ向かった。

「3452円です。」

 長居したらこうなることは分かっているけど、大きな出費だ。

 財布の中から小銭が落ちてしまった。


 ――チリンチリン。

「あら大変!」

「大丈夫ですよ。」


 膝を床につけてお金を拾っていると、白く細い手が視界に移った。


「手伝いますよ。」


 この声はよく知っている。

 彼は私に良い言葉をくれた。その声だ。


 心臓の音が聞こえる。不自然と大きくバクバクと聞こえる。


「どうぞ。」

「ありがとうございます。」


 私はさっきまで待っていたその人の顔が見えず、長い髪で自分の顔を隠す。


 さっさとレジを済ませてしまおうとするも、こういう時にさっさと済ませる人は居ないだろう。


「懐かしいな。」

 その人は穏やかな声で告げる。


「久しぶりだな詩葉。」


 ――チリン。

「3452円ぴったり頂きます。レシートをどうぞ。」


 何だか私がここで1人彼を待っていた日々が走馬灯のように見える。


「はい。ありがとうございます。」


 紙を頂く。


「ねえ店員さん、もう少し店開いている?」

「ええ、今日はラストオーダーの時間ですし、お客様は懐かしいお顔なのでいいですよ。」

「ありがとう。」


 彼と店員さんの会話がどこか遠くに聞こえる。


「ねえ、詩葉ちょっとだけ時間ある?まだ大丈夫って言っているし少し話さない?奢るからさ。」

「うん。」


彼との会話は7年ぶりだ。


◇ ◇ ◇ ◇


「コーヒーとチョコレートクッキーを2つ。」


彼は店員さんに伝えた。

もうお腹たらふく食べたが、何も言わないでおこう。

というか言うコミュニケーション能力はない。


私は言葉と魔法と定義づけてから、特に無口になった。

今では常識内の言葉を使える。

しかし感情や意図を持たな行ければならないとダメになる。

避ける言葉ばかり使い、結局周りから距離を取られる。


「ここで詩葉と話すのは中学生ぶりだな。」

「そうだね。」


「俺久しぶりにここに戻ってさ。この辺りを散策していたら、このカフェに詩葉が居て懐かしくなってつい声をかけてしまったよ。」

「大学は上京していたものね。」


偶然なのだろうか。うたがってしまいたくなる。

その気持ちがきっと顔に出ていたのだろう。


「いやずっと詩葉と話したかったんだ。」

「え?」


「だって詩葉は高校生の頃、誰とも話して居なかっただろう?俺の事まで無視するようになってさ。だからもうあの頃の詩葉とは別人になっちゃったんだって高校生の俺は勝手に思ってしまったんだ。

でもそれは間違っていた。無理やりにでも声をかければ良かったと後悔していた。

実は詩葉がここに居るのも知っていたんだ。

同じ中高の頃の友人がいてね。この店に詩葉がいるよって教えてくれたんだ。」


知っていたんだ。というか友人は誰だろう。


「どうして今になって声をかけたの?」

「そいつから詩葉は就職でここから離れると聞いて。ここに詩葉が居てくれることが自分にとってどれほど大きな存在か理解出来たんだ。」


いつになく彼はそのままの言葉をぶつけてくる。

偽りのないそのままの言葉を。


「どうぞ。」

と店員さんがコーヒーとチョコレートを持ってきてくれた。

「ありがとうございます。」


「私もね、謝りたかったの。高校時代に無視するようになってしまったことを。いつも楽しそうなのに、私の前をすれ違うときは何だか気まずそうにしていたから。会釈くらいすれば良かったなって。」


2年間空いていた席は埋まっている。

それだけ嬉しい。


「詩葉は十分話せるようになったんだな。やっぱり変わっていったんだな。」

「そうだね。あなたも体格が大きくなったし、喋り方も変わったわ。」


目の色は変わっていないけれども。


「今なら慣れたから平気だけど、高校生の頃はそれが辛かったんだよな。やっぱり詩葉と喋れなくなったのは変化のせいだから、凄く嫌になったんだ。

元々地元で生きていくことは決めていたのに、大学はそのことから逃げて東京に行って情けないな。」

「はは、何だか申し訳ない気持ちになるね。」


私は彼の瞳から見れば変わっていったのらしい。

今でも私は変化は嫌いだ。

本当はずっとここで待っていたのに、それを邪魔する。

変わっていたのはあなたの方なのにおかしな話だ。


「でも店員さんと話してさ、レジの時も注文を受け取る時も、はっきりと『ありがとうございます。』って言うところとか変わってない。

詩葉は沢山の言葉に傷ついてきたから、口数が少なくなっているところも変わってなかった。」


顔を上げると彼の瞳が目にはいる。

「俺東京でさ、黒色のカラコンしていたんだよ。高校までで、俺の瞳について偏見しなかったの詩葉くらいしかいなかったから。全然浮かなかったよ。

なんならちょっとモテたくらいで、結構人気者だっただぜ。」


「そうなんだ。」

これは自慢だろうか。私は毎日バイトとここばかり通っていたのに。

やはり言葉遣いのスペシャリストなだけある。


「1回人に瞳を見せたときがあったんだ。その時さその人が『その瞳は特別だよ。とても綺麗だわ。』って言ってくれたんだけど、全然嬉しくなかった。

それどころか嫌悪感すら覚えたんだ。相手は好意で言ってくれているのに、酷い言葉をぶつけてしまったんだ。」

「なんて言ったの?」


彼が酷い言葉を言うなんて想像つかない。


「『偽物。』って。その時に気づいたんだ。詩葉の言葉を拝借すると、詩葉は俺の瞳はどれとも変わらないと言った。それが俺にとっての良い言葉で、ポーション的なやつだったんだって。俺がかけた『優しい。』と同じだよ。」


「ふふ、変わっているわね。普通なら綺麗の方が嬉しいでしょう?」


その人がどういう人か想像に固くない。

しかし今は話せることだけで嬉しいのだろう。

最初は少し億劫を感じていたのに不思議だ。


「君は普通を美しいと感じているだろう。」

「そうかもね。」


「俺ばかり話しているな。何か話を聞かせてよ。中学生の頃みたいにさ。」

「私はあなたほど簡単に言葉が浮かばないの。でもこうやって会えて嬉しいとは思っているよ。やっぱりね。」


確かに中学生の私はおしゃべりなところはあったような気がする。

どうして忘れてしまっていたのだろうか。


「詩葉は地元を離れるんだろう。」

「ええ。明後日にはもうこの街を出るわ。」

「今度は反対になるのか。」

「そうなるわね。」

「詩葉はきっと逢いに来てくれない気がするから、連絡交換したい。」


今まで来ない口が何を言っているのだろうか。


「いいけど。」


連絡先も交換していなかったのか。

そんな風に感じてしまう。


しかしたったのこの出逢いで、とても距離が戻ったように感じる。


「私行くね。明日は忙しくて。」

「…そうか。おくるよ。」


彼は私の前を歩き、会計を済ませた。

店を出てトコトコと歩いていく。


「詩葉はもう戻ってこないの?」

「流れのままにするつもりだけどうして?」

「毒気の抜けた詩葉が可愛くてさ。そばにいて欲しいと思うだよ。」

「あなたは小さな頃そんなこと言う子どもじゃなかったわ。やっぱり人は変わるのね。」

「詩葉は違う?」

「うん。私はそんなに変わってないし、変わったとしてもそんな歯が浮くようなことを言うようにはなっていないわ。」

「違うよ。詩葉はそばにいたいって思ってくれてないの?」


私と彼には不一致がある。

私は彼のことを待っていて、それを彼は知らないこと。


「なんだか今の言葉は小学生の頃みたい。」

「俺はさなんだかんだで変わってない。言葉とか男らしくしたけど、やっぱり心は繊細なままなんだ。」

「うん。」

「詩葉はどうして俺の名前を呼んでくれないんだ?俺は詩葉の前で嘘をつきたくない。」

「幸樹でしょう?覚えているよ。」

「俺さ隠していたんだけど、ずっと臆病でさ言葉で自分を守っていたんだよ。ずっと弱いと思っていた詩葉は蓋を開けみれば、俺なんかよりズット強くて羨ましいかった。

だからそういう劣等感で詩葉がいるの分かっているのに、カフェに行けなかったんだ。」

劣等感。

それは私があなたに抱いていた感情だ。


「それは違うよ。私も暴露話だけど、ずっとあのカフェで幸樹を待っていたの。弱いから直接何か行動を起こせずにいたんだよ。

結局話しかけてくれていたのは幸樹だったしね。」


これは本音。いつもなら絶対に言わないけど、何だか酔っ払ったみたいに気分がいい。


「俺さ、詩葉のことずっと好きだよ。嫉妬していた時期もあるけど、やっぱり詩葉ほど話が合う人は居ないよ。」

「私もきっと同じだよ。」


そうか。私が抱いていた感情は私だけが抱いていた簡単にでは無い。

幸樹も同じように思っていてくれたのだ。

それがわかって気分がいいのか。


「でも私は行くよ。」

「うん。それはわかっているよ。でも行って欲しくないな。勝手だけどさ。」

「大丈夫だよ。きっと幸樹となら上手く行くよ。」

「どうして?」

「だって幸樹は言葉選びのプロでしょう?魔法だって使えたじゃない。」

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