第20話
「イトナさんは昔どんな子供だったんですか?」
「子供の頃は剣術に明け暮れていた。生まれた時から周りの大人にそうしろと言われてきた。好きなことや趣味なんて呼べるものは一つもなかった。いつしか言われたことを全て受け入れて、望まれるままに生きてきた。今思えばつまらない人生を歩んできたとな」
「そうだったんですか。だったらこれから見つけることが楽しみになりますね。大丈夫です、絶対に見つかりますよ。わたしでもできたんですから」
「ティーちゃんにそう言われたらこれからが楽しく思えてくるな」
帰りの馬車の中で互いに微笑み合うティアマトとイトナ。短時間の間でとても仲良くなっている。呼び方変わってるし。性別が同じだから話が合いやすいのか?
それにしても、二人で盛り上がっていて話に入る隙がない。完全に仲間外れなのだが、我……。
「皆さん、そろそろコール町に着きますよー」
馬車を操縦する糸目が言う。
町に戻ったらメリーに伝えなければな。オリンのことについて。
コール町から少し離れた所で馬車を降りる。糸目曰く、町の人が自分を見たらまたパニックを起こすからだそうだ。
「それではまた会いましょう」と爽やかな顔で馬車を引き去っていった。
半壊した町を修復するべく人々は慌ただしく動いていた。所々に昨夜の襲撃の後が痛々しく残っている。
とりあえず、我らはメリーの家に向かう。
「あれは!」
イトナが目の前の光景に驚き身を乗り出す。
「なんで……」
ティアマトも目を見開く。
目の前には家の前で大勢の騎士団がメリーを取り囲む光景があった。
「お前ら何の様だ!メリーを離せ!」
騎士団たちの視線が一気に我に集中する。
「リュウちゃん?」
「おいおい、アレって……」
「まさか、竜王の復活体ってあいつか……?」
「いや……それより何で団長もいるんだ?」
騎士団は我らを目の当たりにしてざわつき出す。
「イトナ団長!生きていたのですね!いやー本当に良かった!
「ハルバラ、これは一体……」
「竜王の激闘から逃れた団員たちから事情は全て聞きました。コール町に行けば竜王の足がかかりを掴めると思いまして来たところ、あの老婆が復活体と関わっていたことが明らかになりました。なので一度王都に連行するところです。邪竜に味方した罪人として」
「誤解だ!よく聞くんだハルバラ、竜王は我々の敵ではない!」
「団長こそ何を言っているのですか!竜王との戦でローシーやマガルドにルーダ、スレイさんが命を落とすことになったのですよ!我々の敵でなかったらなんだと言うのですか!」
「違う!それは――」
「このままでは!仲間がまた処刑によって命を失うのです!処刑を免れるためには、復活体を女王の前に差し出さなければならないのです!」
そう言い放って男は不意に手を挙げる。そして下す動作をする。
男は何も発しない。どのような意図での行動なのか汲み取れない。
「竜王様!」
突然ティアマトが我の背中を強く押し出す。
パンッ!耳奥に響く重厚な発砲音が鳴り、鳥が慌ただしく飛び立つ音がした。
「ティアマト……?」
その状況を認識するのに一瞬、思考が止まった。何の前触れの無いソレを偽りだと錯覚してしまう。
けれど、地面を徐々に染め上げる赤い液体がソレを明らかにする。
——ソレは、何の前触れも無い死の影だった。
「ティアマト!」
倒れ込んだティアマトを抱え上げる。背中から流れる生々しい血の感触が手に伝わる。
「イトナ!回復魔術を!」
イトナは動揺し我の言葉に反応しない。
「イトナ!」
我に返ったイトナは急いで回復魔術を展開する。しかしティアマトの苦しむ顔は変わらない。
「回復魔術が効かない……」
「何故だ!何故効かない!ティアマトしっかりしろ!」
「なんと……少女が竜王を助けた……?ならばもう一度、イトナ団長離れてください!それではあなたに弾丸が当たってしまいます!」
弾丸?見上げると家の屋根に銃口を向ける人間の姿があった。
あいつがティアマトを……。心の奥底から体を突き動かす邪悪な感情がにじみ出るのを感じる。
——今すぐ殺してやる!!!。
標的を睨みつけて手のひらに熱を集中させる。一瞬で存在事消し飛ばしてやる。
その時、我の服が引っ張られる。
ティアマトだった。服の端を掴み口を動かしている。
「りゅう、おう、さま……」
「なんだ!どうした!」
か細い声で我の名を呼ぶ。ティアマトの口元に耳を近づける。
「ハルバラ!弾丸に何を仕込んだ!」
「そ、それは……」
「答えろ!」
「毒を仕込みました……昔、対竜王戦に開発されていた物を使用しました……」
「団長どうしちまったんだよ」
「分からねえ、竜王を庇っているように見えるが……」
「俺たちはどう動けばいいんだ?」
「目の前に竜王がいるんだ!今やるしかねぇだろ!」
ティアマトの声が周りの奴らの声でかき消される。
煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い。
何人かの足音が徐々に大きくなりこちらに向かってくる。
「うるさぁぁぁァァァァアアアアアイ!」
怒り叫んだ瞬間、首にかけた翠色の石が光輝く。
翠色の光が眩しくて手で目を覆う。
石が放つ光は暫しの間、輝きを失わなかった。
光が消えて目を開く。視界に入るのは木々ばかり。
「ここは……どこだ……」
先程まで町に居たのに一瞬で静寂な森の中へと変わっている。
首に掛けた石は砕け散っている。
「何が起こったんだ」
近くにいたイトナも一緒にいる。他の騎士団の奴らの姿は見えない。
「りゅう、おう、さま……」
腕の中にいるティアマトが口を開く。
「ああ、我はここにいる!イトナ、もう一度回復魔術を頼む!」
「もう、いいです……」
「何を言っている!このままでは死んでしまうのだぞ!」
「しあわせでした。ほんとうに」
ティアマトの震えた口元が上がる。呼吸が荒い、体の震えが伝わる。
それでもティアマトの顔は笑っている。
「ダメだ!ダメだダメだダメだ!こんなのダメだ!逝くなティアマト!そっちに逝くな!」
「でも叶うなら……あなた様と一緒に何でもない日常を送りたかった。誰も争わない、平和な世界で」
「なら生きるんだ!この先も我と一緒に生きるんだ!ティアマト!」
ティアマトは瞳を閉じた。とても安らかな顔で。
何度もティアマトの名を呼んだ。けれど返事が無かった。
何度も呼べば何らかの奇跡が起きて、ティアマトが息を吹き返すと思った。
奇跡は起こらず、ティアマトの体は次第に冷たくなっていく。
「竜王、もう……」
無理だ、イトナがそう言いたいのは分かっている。
歯を噛み締める。ティアマトを抱き上げて、その場を立ち去ろうとする。
「待て!竜王!」
イトナの手が我の肩を掴む。
「……ほっといてくれ」
振り向きそう告げた。
「竜王……」
イトナの手が離れる。頬を冷たい何かが伝う。
もう何もしたくない。何も見たくない。何も聞きたくない。
ティアマトを抱えて歩き出す。イトナは追ってこなかった。
森の中を歩き彷徨い洞窟に辿り着いた。
暗闇の奥底に足を踏み出す。
空気が冷たくて肌寒いが居心地が良かった。
硬い地面にティアマトを座らせて、その横に座り込む。
ティアマトはぐたりと我の体に寄りかかる。
ティアマトと過ごした日々が鮮明にゆっくりと頭の中で流れる。いつだって少女は控え目に笑っていた。悲しむ顔は自分のことではなく、我を案じてのものだった。
ティアマトは我を庇って死んだ。生きて欲しいと思った者は、我を守って死んだのだ。
何故だろうか。生きていて欲しいと思う者ほど、守りたいと思う者ほど、この手の隙間から簡単に零れ落ちていく。
少女の願いは細やかなものだった。誰もが当然の権利であるかのように持つそれは、少女が一番叶えたい願いだった。その細やかな願いすらもこの世界は許さなかった。
「――ああ、わかった。お前が願うなら、もう一度、我は、全種族の悪となろう」
渇いた喉から出た掠れた声。けれどこの決意が揺れ動くことは決してない。
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