第17話

 次の日、オリンはメリーに会いに行くことにした。


「オリン君、行く前にこれを」


 家を出る前に老人から渡されたのは、見覚えのある翠色の石だった。


「これは?」


「これは転移魔術が使える石だ。身に危険が迫った時、瞬時に別の場所に移動することができる。逃げたいと強く念じれば発動する。君の体は大切なものだ、万が一のことを考えて渡しておく」


 老人にとってオリンの体は自分の実験を成功させるための物にしか過ぎない。それはオリンも気づく。


「魔術はエルフにしか使えないと聞きましたけど」


「魔術はエルフの血液に反応し起こり得るものだ。その石は液体を吸い取る特殊な石だ。まあ、深くは言わんがそういうことだ」


 老人は言葉を濁す。一時的に魔術を使える特殊な石。その正体はエルフの血液を吸い上げた石ということだ。エルフの血液を濃縮した石は無詠唱の魔術を可能とする。


 ガラスケースにも多くの石が使われていたものだ。オリンの頭に嫌な考えが過る。


「もしかしてそれって!」


「誰かが手を汚さねば悲劇は止められない。仕方ないことなんだ、オリン君。分かってくれ」


 エルフは人間よりも地位が高い。この考えが広まりつつあるこの国でエルフの血液を入手することは簡単なことではない。 


 よって考えられる血液の入手方法は殺害したエルフの血を抜き取ることだ。

 オリンは何も言わず、メリーに会う為に家を出た。


(理不尽な現実を変えたい、だけどエルフを排除したいわけじゃない。力が無ければ望む世界を手に入れることはできない。でもその力は数多くのエルフの死の土台の上で成り立つものだ。僕はどうしたらいいんだ……)


 オリンの苦悩は続く。自分が惨めな目に遭っても相手の不幸を喜ぶことはできない。甘いオリンには重すぎる選択だった。


 村に戻りメリーと祖父の家に辿り着く。ちょうど家から出てきたメリーとバッタリ出くわす。


「あれ?オリンどうしたの?」


「や、やあ、メリー。久しぶりだね」


「もしかして、訓練が大変で抜け出してきたとか?」


「そ、そんなわけないだろ。休みが取れたから帰ってきただけだよ」


 あながち間違いじゃないメリーの発言に、オリンは慌てて誤魔化し苦笑する。


「とりあえず家に入りなよ」


「う、うん……」


 オリンは一歩進み再び立ち止まる。


「オリン?」


 メリーと祖父がいる日常に一瞬たりとも戻ってしまえば、帰って来れないと思った。

 歯を食いしばり吸い込まれそうな自分を律する。


(エルフの権力が強まれば人間が弾圧される未来は必ず来る。王都だけでなく小さな村までもその被害は及ぶかもしれない。そしたらメリーにまで……)


「ごめん、本当はあまり時間が無いんだ。メリーの顔が見たくなって抜け出して来ちゃったよ」


 オリンはメリーの手を取り翠色の石を渡す。


「オリン?」


「お守り。君が何かあった時に必ず守ってくれる」


「何かあったの?大変ならもうちょっと居ればいいじゃない」


 メリーは心配そうにオリンを見つめる。


「大丈夫だよ。メリーと会って元気が出たから。それじゃあね、おじいさんと元気でね」


 オリンは笑顔で立ち去る。力を得ることの不安、死への恐怖を胸の内に押し込める。


「オリン!」


 メリーはオリンの表情に言い表せない嫌な予感がした。駆け寄りオリンの手を掴む。


「絶対に帰って来るんだよ?約束だよ?」


「うん、絶対に帰ってくるよ」


(強くなってね)


 ゆるりとメリーの手が離れる。オリンは振り返ることなく、王都へと足を踏み出した。


 僅かな時間だった。けれど、その僅かな時間にオリンは大切なものを見出した。

 この先、メリーやおじいさんに不幸が襲いかかる方が自分の死よりも恐ろしい。

 オリンは捨て子だ。生きる未来など鼻から無く、すぐに死ぬはずだった。


 そんな自分が十六歳まで生き延びることができた。あの日、メリーの祖父に拾われなければ有り得ないことだ。


(守りたい人に襲いかかる不幸を全て払い除けられる。そんな力があるなら——)


 オリンは一縷いちるの望みにかける。


「大切な人だけを守れればいい。きっとそれが僕の使命だ」


 オリンは小さく呟き決意する。


 王都に戻り、老人の家に向かう。夕焼けの空の下、エルフや人間の賑わいが目立つ。 

 オリンは人と人との間を通り抜けて行く。


「おい、アンタ。ちょっと面貸しな」


 道ですれ違った男に呼び止められる。オリンが振り返ると見るからに柄の悪そうな男がニヤリと笑っている。もちろん初対面だ。


「急いでいるので」


 関わらず前に進むと対面側から二人の男がオリンを通さないように立ち塞がる。


「付いてきてきてくれるよな?すぐに終わるからよ」


 仕方なく男たちに付いていく。着いた先は人気の無い路地裏だ。


「アンタもバカだねぇ。あのぼっちゃんエルフに逆らうとは」


 その言葉でオリンは全てを悟る。


「なるほど、僕を殺すように言われたのか」


「ああ、そうさ。よく分かったな」


 柄の悪い男たちは小太りエルフが仕向けた連中だった。


「俺たちも生活がかかったんだ。悪いがアンタには死んでもらう」


 小太りエルフにもだが、金で雇われて平気で人を殺す男たちにオリンは心底嫌気が差した。


「どいてくれ」


「それは無理なお願いだなぁ!やっちまえ!」


 男の命令で他二人の男がオリンを殴りにかかる。オリンは複数から来る拳を避けて一人一人に拳と蹴りの一撃を入れていく。


 戦闘経験が無くともオリンは騎士団の見習いだ。団長のシャプレーの地獄の特訓メニューに耐えて、魔族との戦いを想定した模擬戦まで行った。


 団長との一対一の模擬戦に比べれば、ごろつき二人など相手ではない。

 ごろつき二人は倒れ、残るは一人。


「くそぉぉおおお!」


 男はパンチを決めようとするがオリンに片手で止められてしまう。拳を止められた男は一瞬口元を緩め余裕を見せる。


「もう終わりだ」


「終わりなのはおめぇだよ!」


 空いた手でズボンのポケットに突っ込みナイフを抜き出す。予期せぬ行動に反応できずオリンの腹部にナイフが突き刺さる。


「ぐっ!」


「かかっ!俺の勝ちだぁ!」


 オリンは力を振り絞り男の顔面に拳を入れる。倒れる男に見向きもせず、オリンは老人の家に歩き出す。


 腹部に刺さったナイフを力いっぱい引っこ抜き、投げ捨てる。


 刺された腹部が出血し地面に垂れる。オリンは前かがみになり真っ赤に染まる腹部を手で強く押さえる。


「はやく、いかなきゃ……」


 もたついた足で一歩一歩、踏み出す。倒れそうになる体を気合で押し進める。

 溜まった血が口から噴き出る。咄嗟に塞いだ手では押さえきれないほどの量の血だ。

 手にぶちまけた血の量を見てオリンは死を感じる。


(今死ぬわけにはいかない。メリーをこの世界に残したまま死ねない!)


 心の中でメリーの名前を呼ぶ。名前と共に今までのメリーとの思い出が蘇る。

 一日中二人で森の中を駆け巡った日、些細なことで喧嘩した日、夜の星空を眺め二人で将来のことについて語り合った日。


 色褪せない日々に想いを寄せると、失う寸前の意識が踏み止まる。幾らか視界のピントが合うような気がした。


 決死の思いで老人の家に着き、扉に全体重を乗っける。

 ドンッという重い音がして中にいる老人は扉を開ける。扉に寄りかかる瀕死のオリンを見て声を上げる。


「どうしたオリン君!何があったんだ!何故転移魔術が発動しない!早く手当てを」


「はやく!僕に竜王の力を!」


 オリンは老人の服を掴み必死に訴える。


「オリン君……。分かった」


 オリンの覚悟と決意に老人は今すぐに適合手術を行うことを決める。

 老人はオリンの腕を自分の首に回して立ち上がらせる。


 その状態で地下室への梯子を降りるのは無理があり、二人とも落下してしまう。


「オリン君!すまない!」


 オリンは何も言えず今にも途切れそうな弱い呼吸をしている。もうすぐ側に死が迫ってきている。


 老人は急いでオリンを丸み帯びたポッドの中に寝かせる。


「これから君の体を低温状態にする。竜の核を移植して拒否反応が起きないようにする処置だ。なに心配することはない、君は眠っているだけでいい。次目覚めた時、君は生まれ変わる」


 早口で説明し終えると老人はポッドの蓋を閉める。


 真っ暗な空間に翠色の光が灯る。弱々しくも穏やかな光が、最後オリンの視界に映ったものだった。


 その翠色の光は魔術石だ。竜王の核を保存していたものだ。


 ポッドには無数の魔術石があり、冷気を発生させてオリンの体を低温に保つ仕組みになっている。


 ——二週間後、竜王の核をオリンの体に移植する手術が無事完了した。


 竜王の核という異物がオリンの体と混ざり合い一つとなるには、時間が必要だった。

 急いでオリンを起こしてどのような現象が起きるか分からない。

 ここは急がば回れ、じっくりと待つ時だということを老人は分かっていた。


 そんな時だった、老人の計画が崩れる事態が発生する。出血し吐血をする少年が歩き彷徨う姿を多数の通行人が目撃し、騎士団に報告がいく。


 通行人の証言で老人の家に辿り着く。老人の家に騎士団が押し寄せ、捜索が開始。床下の隠し扉が発見される。行かせまいと止める老人を取り押さえ、何人かの騎士が地下室に突入する。


 地下室にあるのは翠色に光る怪しげなポッド。


「これは?」


 一人の騎士がポッドに触れた瞬間、翠色の光が強く光り輝く。急な眩しさに手で目を覆う。次開いた時には、ポッドは姿を消し、地下室はもぬけの殻となっていた。


「い、今のは何だ!?何が起こった!」


「ハッハッハッハッハッ!させぬ!させぬぞ!エルフの犬共が!」


 取り押さえられながらも、老人は豪快に笑う。緊急事態に備え床に魔術石を設置しておいたのだ。全ては人類の希望のために。


 老人は地下室の装置について一切の言及をせず、城の牢獄で一生を終えた。

 世界の在り方を一変する兵器を遥か彼方に残して。

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