第10話

 この世界は窮屈だった。人間、エルフ、魔族、三種族が共に住むにはあまりにも狭かった。


 人間は気候や土地に恵まれ、エルフは大自然の森の中で、魔族は乾燥した気候の痩せこけた土地で各自生活していた。


 人間は様々な道具を発明し、より豊かな生活を送るようになった。


 エルフは古来より自然に住む精霊から魔術なるものを教わった。


 魔族は貧しき環境故に強い者だけが生き残った。


 ある日、森の中に迷い込んだ人間がエルフと出会った。その人間とエルフが仲を深めるのに時間はかからなかった。


 次の日、人間はエルフを自分たちの暮らしに招いた。エルフは快く人間のもてなしを受けた。それが種族間の争いの火種となるとは知らずに。


 エルフは人間が出したご馳走を食べた数分後、倒れて死んだ。エルフに対して得体のしれない恐怖感を抱いた人間が毒を盛ったのだ。


 この出来事が発端となり両者は互いを敵対視し争いが始まった。


 また日、エルフは魔族を人間と勘違いし殺してしまった。当然、魔族はエルフを敵対し、同じ他種族という理由で人間を信用することができなくなった。


 これが人間とエルフと魔族の三種族の戦争へと繋がる。一つの殺しが無数の殺し合いへと発展したのだった。


 その光景を初めから傍観していたのが竜だ。竜からすれば地上での殺し合いなどどうでも良かった。小さな虫同士が争っても自分達には何の影響も無いからだ。


 争いは長期に渡り続いた。当然の如く命を落とすのはいつだって弱い者だった。人間もエルフも魔族も残るのは決まって強い者だ。


 それを悟り、ある老父は悲嘆に暮れていた。


「あああ、私たちは一体どうすればいいのだ……」


 頭を抱えて悩む老父は小さな村の村長だ。老父は二つの選択を迫られていた。王都に行き助けを求めるか、それともこの村に残り続けるかだ。


 王都に行けば兵士により安全を保たれるかもしれないが、戦争の渦中に巻き込まれる。若い男たちは戦いの最前線に立つ可能性は十分にある。歳を取った自分でも、もしかしたらということはある。


 奇跡的にまだこの村はエルフにも魔族にも見つかっていない。ならばこのまま争いが終わるのをひっそりと待つという選択もあり得る。


 村長として村の人々の命は守らなければならない。この選択には多くの命が乗っかっている。


「おい、そこの老ぼれ」


「えええええ!」


 突風と共に老父の前に現れたのは天空を舞う竜だった。竜の存在を噂話としか聞いたことのない老父は驚愕した。


「どうすれば生き延びられるのか悩んでおるのだろう?」


 目の前の怪物に老父は言葉を発することができず、首をコクコクと縦に振るしかなかった。


「ならばワシが守ってやろう」


「ほ、本当ですか!」


「ああ、本当だ。しかし一つ条件がある。月が満ちる度に村の若い女を一人ワシに捧げるのだ」


「え?」


「ワシが近くにおればエルフや魔族に怯える必要などない。お前らはいつも通りの生活を送るだけだ。食って寝て繁殖する、それだけで良い。どうだ?」


 それは悪魔の囁きだ。


 竜に人の倫理観など通用しないことを老父は悟った。


 たしかに竜がいればエルフや魔族が襲って来ることはない。しかしそのようなむごいことできるわけがない。一人の犠牲で村の皆が助かるなど……。


「年寄りからではダメですか?私の命を捧げますので――」


「いかん。若い女の肉が柔らかく一番美味いのだ」


「……分かりました……お願いします」


 老父は竜の提案を受け入れた。一人の犠牲で皆が助かると自分に言い聞かせた。


「ワシの名はティアマト。よろしくな人間」


 それからというもの、竜は村の近くにある洞窟に住み始めた。満月になる度に村長は嫁入り前の若い娘を竜の前に捧げた。


 何の力を持たない小さな村は一人また一人と若い女の犠牲によって生き残った。


 そして今日の夜もまた一人、村の為に犠牲を捧げる女が竜の住む洞窟にやって来る。

 檸檬色の髪を腰まで伸ばした、肌が白くて背の低い女だ。


「サクッと食べてください!痛いのは嫌なので!」


 女は洞窟とは真逆の木に向かって大声で言う。


「どこを見てる。人間」


 上から低くて威圧感のある声が聞こえる。女はこの声が竜の声だと認識する。


「えっとー」


「右に回れ」


「こうですか?」


「いや回りすぎだ。ちょっと左だ。我をバカにしているのかお前」


「いやいや違います!私生まれつき目が見えなくてバカになんかしてないです!」


 女は盲目だった。常にあるのは真っ暗な世界、生まれてからそれ以外のものを見たことがなかった。


「目が見えないのか、では我の姿も見えぬのか?」


「は、はい。全く見えないです!なので竜がどんな存在なのかもイマイチ分からなくて……あの、やっぱり食べられるのって痛いんですかね……?」


「知らぬ。我は人間など食わぬからな」


「そうですか……へぇ?」


 このまま真っ直ぐ行けば竜の捧げものとなる、そう村の人に言われて来た。しかし竜は食わないと言う。


「どういうことですか?」


「お前らを喰っていたティアマトという竜はもうおらぬ。我が追い払った」


「それってつまり……私は食べられないってこと?」


「そうなるな」


「やったーーー!」

 女は思い切り飛び跳ねて喜んだ。女は満月の日が来るのを怯えながら毎日を過ごしていた。自分が犠牲になることで村が救われる、それは単純に嬉しかった。

 目が見えない自分は村のみんなの為にできることがなかった。どちらかと言えばいつも誰かの助けを借りて生活していた。だから最初は役割を与えられた様に感じて光栄だと思った。自分にしかできないこと、その響きが心地よかった。


 しかし、死のカウントダウンが迫るにつれて、竜に食べられる瞬間を想像するようになった。


「助けてくれてありがとうございます!私はクリファと申します。私にできる範囲ですけど、何でもしますので言ってください!」


「ふんっ、勘違いするな。お前の為にやったのではない。ティアマトは竜王である我に口答えをした。だから痛い目に遭わせてやったのだ」


「そうですか……では、明日の夜ご馳走を用意しますので来てください。村のみんなも喜ぶと思いますので!」


「ふんっ、人間に貰うものなど無い」


 その言葉と共に突風が吹き付ける。あまり体が頑丈では無いクリファはその強い風に簡単に流されてしまう。地面に尻を打ち付けた時には竜の声はしなかった。


「あのー竜さん?あれ……やっぱりどこかに行っちゃたのか」


 お礼ができないことは残念だが、命は助かった。クリファはその日スキップをしながら鼻歌を歌い、村に帰った。


 しかし、そんな気分とは裏腹に村の人々から返ってきた言葉は意外なものだった。


「みんなみんな!聞いて!私食べられずに済んだよ!なんか別の竜がティアマトっていう竜を追い払ってくれたみたいなの!これでもう誰も犠牲にならなくて良くなるね!」


 クリファは目が見えない。だから相手がどのような感情を抱いているのかは視覚的には分からない。


 村のみんなは喜んでいる。それはクリファの頭の中では絶対的な反応だった。これまで六人の若い女が命を捧げて来た。竜の住む洞窟に向かう最後の後ろ姿を見た村の人々の嘆く声を聴いていた。


「え……それってもう、私たちは守られないってこと……?」


「ティアマト様がいないとこんな小さな村一瞬で終わるぞ……」


「俺たちはこれからどうすれば……」


「お前が居て何になるんだよ!こうなるんだったら生贄になってくれた方がマシだったのに!」


「一人じゃ何もできないお前を今まで育ててやったのに!恩を仇で返しやがって!」


 返ってきた言葉には戸惑い、悲嘆、絶望、憎悪が込められていた。その言葉を止むことなく次々と飛び交う。


「え……?」


 何故?その言葉が脳内を埋め尽くす。声の持ち主は皆、クリファに親切にしていた人たちだ。人々の変わりようについて行けず女の思考は停止する。


「起きたことを悔んでも仕方がない。クリファ、その竜にもう一度会うことは可能か?」


 しゃがれた声で村長だと気付く。


「明日の夜お礼がしたいと伝えたけど、来てくれるかは分からないです」


「そうか。ならそこに賭けるしかない。みんな今から大至急で竜をもてなす準備を始めるのだ。いいかクリファ、何とかこの村を守ってくださるように説得するのだ」


「分かりました」


 それから村で取れる果物をかき集め、猪や鳥を狩って、もてなす食事を用意した。村の人々からすれば一週間分の食事だ。


 翌日の日が沈む頃に用意した食事を洞窟の前に並べる。


「クリファ、後は頼むぞ。必ず竜との協力関係を結ぶのだ」


 その言葉を残し村長と村の住人はクリファだけを残して去った。


 クリファは洞窟の前で竜が再来することを祈るしかなかった。時間が過ぎていき、何時間も竜が来るのを正座して待ち続けた。


「滑稽だな」


 威圧感のある声と突風が吹きつけて地面が大きく揺れる。


「来てくれたんですね!」


 嬉しさのあまりクリファは立ち上がろうとする。だが長時間正座していたせいで、足が痺れて立つのに時間がかかる。


「全く長い時間、同じ体制だからそうなるのだ」


「はははっすみません。竜王様今日来てくれたことを心より感謝いたします。村一同からの感謝のしるしとして食物を捧げます」


「お前らの魂胆は見え見えだ。我の機嫌を取り村を守って欲しいと言うのだろう」


「分かってましたか……」


「全て上空から見ておった。弱者は滅びる、それが世の常だ。己の運命を受け入れるべきだ」


「どうかお願いします。竜王様、私たちの村を守ってください」


 クリファは地に頭を付けて竜王に懇願する。

「そこまでしてアイツらに守る価値があるのか?」


「あいつら?」


「お前に失望し罵詈雑言を浴びせていた連中だ。竜の我から見ても十分に醜い。自分たちが生き延びるためにお前を利用して、思い通りにならなければ責め立てる。しかし、我の前には一斎姿を見せず全てをお前に押し付ける。ティアマトを問い詰めた時、六人の若い女を喰ったとほざいていた。狂っていると思わぬか?竜に喰わせる為だけに今でお前を、他の人間を育ててきた奴らを」


 竜王が述べたことは正論だ。この村は誰かを犠牲にすることに慣れてしまったのだ。


 竜の食糧にするために、子どもを作り育てる。全ては自分たちが生き延びる為に。あまりにも狂っているとクリファも感じる。


「それでも盲目の私が役に立つことはこれぐらいしかないから……」


「ならば何故涙を流す」


 クリファは竜王の言葉で自分が涙を流していることに気付く。


 気付いた時には涙が止まらず零れ落ちていく。やっぱり自分は生きていたいのだ。誰かの役に立たなくても、誰からも感謝されなくても、まだ生きていたい。


 クリファは涙を流しながら、自分の心の声を聴いた。


「私は……竜に食べられる為に生まれたんじゃない……もっと生きたい……何で私に全て押し付けるの!私はあなたたちの為に生まれてきたんじゃない!!!」


 その後クリファはありたっけの思いを竜王にぶつけた。哀情、苦痛、不満、劣等感。彼女の存在を形作ってきた感情はどれもマイナスな表現で、彼女の振る舞う明るさはただの見せかけだ。


 小さくか細い手で地面を叩き彼女は慟哭する。溜め込んできた思いを全て吐き出す。竜王はその姿を静観する。


 全て言い終わった後、クリファは寝ころんだ。服が汚れることを気にする素振りを見せずに。


「泣いたら疲れた。はあーーー疲れた!もう疲れた!お腹減った!竜さん、そこにある食べ物少し分けてよ!」


 吹っ切れたクリファは幼児の様に駄々をこねる。


「何かお前変わってないか?我が怖くないのか?」


「全然怖くないよ!だって見えないもん!」


「ガッーーアハッハッハッ!」


 それを聞いて竜王は大いに笑い声を上げる。低くて威圧感のある声が夜空に響き渡る。


「そんなことを言われたのは初めてだ!この竜王を恐れない人間がいるとはな!」


「そんなにおもしろい?」


「我を一目見た瞬間、皆が逃げ出していく。だからお前は面白い人間だ」


「ふーん。竜ってどんぐらい大きいの?お月様に届くのかしら」


「そんなに大きいものか!生きていけぬわ!」


「あまり想像つかないなー。どんな見た目なの?」


「うーむ。そう言われると難しいな」


 竜王が悩んでいるとクリファは起き上がり「そうだ!うん!」と手を前に出す。


「なんだ?」


「触るのが手っ取り早いからさ。ね!」


 そう言って小さな手を目一杯広げる。竜王は言われた通りに大きな前足を一歩前に出す。


「もう少し前だ」


 クリファは手を伸ばす。黒い鱗を纏う大きな竜の足と小さな人間の手のひらの距離は僅か一センチ。


 そしてついにクリファの指先が竜の足に触れる。


「ゴツゴツしてて硬くて冷たい……」


「もういいだろ、いつまで触っている」


「うーん。このザラザラとした感覚どこかで……あっ分かったかも!これはトカゲを触った時の感覚だ!」


「トカゲだと……」


 クリファのトカゲ発言に竜の王は激しく動揺する。


「なんだー、結構怖い雰囲気醸し出しといて巨大トカゲみたいな見た目なんだね!」


「……それでは、さらばだ」


「ちょちょっと、待って!怒らせたならごめん!謝るから、その……また来てくれる?」


 クリファの問いに竜王は何も返さない。目が見えないので竜王がどのような反応を示しているのか読み取ることができない。


 クリファは慌てて立て続けに言葉を発する。


「あなたとの会話楽しくて、もっと話したいなって……だからまた来てくれないかな……」


 少し間が合いて、「気が向いたらな」という言葉が返って来る。


 竜王は翼を広げて動かし始める。翼を動かす動作により突風が生じる。


「ほんと?」


 風に耐えながら聞いても、竜王からの返事は無いままその場を去った。


 結局竜王は並べられた食物を一斎口にすることはなかった。


「見事であったぞ。クリファ」


 後ろからしゃがれた声がする。


「見ていたんですか。村長」


 クリファは後ろを振り返る。竜王とクリファの一連の会話を村長は木の裏に隠れて覗いていた。


「一時はどうなるかと肝を冷やしたが、最後はうまくいって何より何より。まさか竜に同情を誘うとはな。女の涙は竜にも効くというわけか」


 村長は笑い混じりに言う。声から緊張感が無くなり完全に安堵しているのが分かる。


 クリファの言葉に竜王を利用してやろうなんて思いは一ミリもない。だが結果的に村長は喜び、村の利益に繋がっている。クリファは自分が利用されたようで言い表せない不快感を感じた。


「常に村にいるけではないが、時々来てくれるだけでもマシじゃ。竜を追い払う竜という強力な見方をお前は作ってくれた。これで村のみんなはお前に感謝するぞ。よくやった、クリファこれからも頼むぞ」


 村長はクリファの肩に手を置く。結果村のみんなの為になり褒められた。いつもならみんなの役に立てて嬉しいとクリファは喜ぶだろう。だけど今回ばかりは違った。


「私はあなたたちにとって何なんですか……?いや、これまで犠牲になってきた彼女たちも含めて……生きる為の生贄ですか?竜の餌として今まで育ててきたんですか……?答えてください、村長」


 クリファの声は震えていた。村長はクリファの言葉を受け止めて目を閉じた。


「クリファ、お前は世界の残酷さが。今この瞬間も争いが起こり誰かが命を落としている。人間、エルフ、魔族、種族間の争いは完全なる勝利か完全なる敗北でしか終わらない。力を持たないこの村が今存在していること自体が奇跡なのだ。その奇跡を竜のおかげで実現することができた」


「でも、私は……」


 自由に生きたい。そう言いたかった。けれど村長の言葉が正しいと思う自分もいた。一個人の力でどうすることもできないのが戦争だ。種族間の戦争という大規模な争い。誰にも食い止めることはできない。時代の流れに沿い殺し合いをするしかない。


 この世界はいつから間違えてしまったのか。クリファは自分に問いかける。明確な答えが出ないと分かりながらも。


「帰ろう、クリファ」


「少し一人にさせてください……」


「そうか。では村のみんなには私の方から伝えておく」


 村長が去りクリファは一人残る。正直村には帰りたくない。


 夜空を見上げ、祈り願う。どうか、この争いが一刻も早く終わりを迎えるように。みんなが笑い合い自由に生きることのできる時代が来るようにと。



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